第3回
「あの子たち、なんか食ってる」
- 糸井
- 新井さんは、東京?
- 新井
- ぼくは高校まで茨城でした。
- 糸井
- 茨城?
それじゃあ‥‥新井さんもぼくも、
「編集者の原則」から外れてないんですね。
- 新井
- 編集者の原則ですか?
- 糸井
- 「中心地から100キロ離れているところに
編集者がいる」
と言われてるんですよ。
- 新井
- その原則初耳です。
ああ、おもしろいですね。
- 糸井
- アメリカでもそうなんです。
中心から100キロ。
そういう記事か何かを読んだとき
「そりゃ俺だよ!」って思いました。
ぼくは前橋だから東京から100キロ。
コンパスをぐるっとまわせば、
新井さんのいる茨城。
- 新井
- ええ、そうですね。
それはおそらく、
テレビやラジオなどの電波メディアが
東京と同一ということが
関係しているのではないでしょうか。
けれども、いったん電波から離れて街に出て行くと、
話されている言葉や文化や空気が違う。
- 糸井
- そうですね。
中央のものがそのまま届いてるんだけど、
確実に何かが違うという状況ですね。
たとえば、マンガの『おそ松くん』のチビ太は、
いつもおでんを手に持っています。
でも、群馬のぼくらにとっては
おでんは大人が買うものだった。
だけど子どものチビ太が
あれを持って飛び回っているのは、なんで?!
のちに東京に行ってわかったのですが、
東京には子どもが買うおでんの屋台があったんです。
どうやら真実とされているのは東京で、
ぼくらの住んでるところで起こっていることは
ほんとうじゃないのかも?」
と思いました。
東京文化圏と、100キロ離れた文化圏は、
どっちがリアルか?
そのエリアは二重文化圏になっていくんです。
だから、編集者が育つのかもしれませんね。
- 新井
- なるほど、パラドックスですね。
- 糸井
- ぼくが自分の事務所を
「東京糸井重里事務所」という名にしたのは
意味があるんですよ。
当時は、日本であるということが少し
カッコ悪かった時代です。
頭ん中でみんな、ウッドストックに行ってたし。
- 新井
- そうですね、はい。
- 糸井
- 地方に対して東京があったのと同じように、
東京に対してウッドストックがあったり、
ロンドンがあったりするわけです。
- 新井
- リアルタイムでね。
- 糸井
- ですから、わざと
「これからは東京だぞ」と思いました。
でも、自分が東京にいるという実感は
なかなかわかない。
地方から出てきたぼくが
もっともリアルに東京を感じたのは、
事務所のあった原宿のセントラルアパートで
窓をあけて仕事をしてたときのこと。
窓から、神宮球場の光が見えていました。
ラジオをつけると、神宮のあの光の下でやっている
野球の中継をしているわけですよ。
どうしても観たくなったら、
そこからタクシーに乗って観に行ける。
そう思ったときに、
「俺は東京にいる」ということを強く感じました。
- 新井
- 粋だな、それ。カッコいい。
そのリアルタイム性は、
田舎だとないですもんね。
ぼくが東京でカルチャーショックだったことは、
御茶ノ水で女子高生がたむろして、
なんか立ちながら食ってるのを見たときです。
- 糸井
- ああー!!
- 新井
- 見ても、何を食ってんのかわかんないんですよ。
女の子ばかりだから、唐突に訊くこともできない。
それが、ハンバーガー、マクドナルドでした。
マクドナルドの1号店は銀座の三越にできましたが、
2号店か3号店が御茶ノ水にできていたんです。
ぼくにとってはそれが
「あ、東京は、なんか違う!」と
びっくりしたことでした。
- 糸井
- ハンバーグがすでにごちそうなのに、
それをあんなに気軽に(笑)、
パンにはさんで食べるなんてね。
「大ごちそう」を「雑」に食ってるわけです。
- 新井
- これ、1985年の
「SWITCH」の創刊号です。
- 糸井
- うわぁ、かっこいい。
こんなふうにバタ臭かったんだね。
- 新井
- はい、バタ臭いです。
お金がないし、広告もとれないから、
薄い本でした。
- 糸井
- なるほどなるほど。
- 新井
- ただ、伝えたいことだけはいっぱいあった。
- 糸井
- すでにこの雑誌には
「デザイン」がありますね。
- 新井
- はい。これは坂川栄治さんとやった
最初の仕事なんですよ。
- 糸井
- うん。
新井さんはこのときすでに
こんなにデザインを大事にしてますね。
- 新井
- ぼくらは「広告掲載ゼロ」から
はじまってるんですが、
雑誌をやってると、
「こういう広告が欲しいな」
という気持ちが出てきます。
おもねるというよりは、それが目標になるんです。
だから、雑誌に載せる広告を
自分たちで勝手に営業かけようと思いました。
そんなとき目にした「おいしい生活。」の広告コピーは
たいへん斬新でした。
そこに日本の新しいかたちが見えはじめてた。
あんなにかっこいい広告を載せることは
雑誌のもう一方の目標でもあったんですよ。
- 糸井
- ‥‥これまでよく、
新井さんとぼくは、
会わなかったね。
- 新井
- ええ。
でも、遠くでぼくは見てました。
(第4回につづきます)
2016-09-13-TUE
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN