SWITCHとあそぼう(1)新井敏記×糸井重里 対談「SWITCH」がいる理由。
ほぼ日刊イトイ新聞

第9回
「SWITCHをやっててよかった」

新井
糸井さんが師と仰ぐ方って、
どなたなんですか?
糸井
師と仰ぐ……、うーん、
どうしても吉本(隆明)さんですね。
新井
吉本さん。
糸井
吉本さんにだって弱味はあるだろうと思うけど‥‥、
「吉本さんが言ったことが、
 ずっとあとになってよくわかった」
ということがたくさんあるし、
「無意識で吉本さんの言うあのことだけは守ろう、
 と思ってて、だからいま自分はこう考えてる」
とか、そういうことが多いんです。
つまり、自分の考えの点をたどってくと、
吉本さんのところに行くことが、とても多い。
新井
大学の頃からずっと吉本さん、なんですか?
糸井
そうじゃないです。大人になってからです。
いろんな人のことをぼくは尊敬しているし、
「人間だからそんなにすごいものがあってたまるか」
という気持ちもあります。
だけど、吉本さんについては
「すごい」じゃなくて「好き」なんでしょうね。
新井
いいですね。
ぼくは大江健三郎さんです。
糸井
そうなんですか。
新井
中学の頃、日記に
大江健三郎になりたいぐらいだと書いていました。
15歳で『芽むしり仔撃ち』という作品を読んで、
まぁ、これは幻想なんですが、
物語を全部「わかった」んですよ。
物語の風景そのものを、
当時自分がいた茨城の風景に重ねて読み取ったのです。
そして手紙を書いて送って、
ある時期は蜜月を過ごさせていただいて、
で、破門になる。
糸井
破門になるんですか。
新井
破門になったんです。
糸井
大江さんが、
「新井さんの考えていた大江さん」から
変化していったのでしょうか?
新井
いや、それは‥‥ひと言では言えないです。
大江さんは、小説に
ぼくのことも書きはじめたんですよ。
「東京で雑誌を作ってる新井」という
登場人物もいます。
『静かな生活』では、
ぼくは水泳の先生として出てきて、
女の子を襲う役になったりします。
作家の、そういう転換装置が
ぼくにはよくわからなかったし、
同時に大江さんとの距離も、
少しずつわかんなくなってきたんです。
糸井
想像できないけど‥‥距離感か。
新井
難しいですよね。
糸井
大江さん以外には、どなたかいらっしゃいますか?
新井
ぼくの自慢は、笠智衆さんに会えたことです。
それは「SWITCH」で、
はじめて緒形拳さんに取材をしたことがきっかけでした。
ぼくは取材中、緒形さんに
ちょっと生意気な口をきいてしまったんです。
「この映画つまらない。
 緒形さんの出る意味がない」
って。周りの人たちも
「なに言ってるんだ。SWITCHごときの雑誌が」
と、ピリピリでした。
取材中は笑いもなく、緒形さんが憮然と答えるという、
針のむしろのような状態でした。
終わりがけ、緒形さんに
「君はこの後まだ時間あるのか」
「はい」
「ちょっと残っていて」
と言われて「ああ、殴られんだな」と思いました。
糸井
いや、殴んないでしょう(笑)。
新井
やられると思いましたよ。
緒形さん、手がすごくデカいし。
糸井
そうそう、拳(こぶし)っていう字だし。
新井
手がデカいから、拳という字を
芸名にしたんですよね。
「殴られるの嫌だな、でもしょうがねぇな」
と思いながら、緒形さんの
別の取材が3~4本終わるのを待っていました。
「終わったから行くぞ」
と言われて、車に乗せられました。
アシスタントの人を帰して、
緒形さんが自分で運転しました。
「お前は、日本映画をよくわかってない、
 素人みたいなことを言ってる、
 お前の言っていることはわかるけど」
みたいなやりとりをして、
緒形さんのご自宅に到着しました。
家につくなり緒形さんは
「こいつ、ビールでも飲ませて、客間に待たせてくれ」
と家の方に言いました。
「ぼく、お酒飲めません」
「ことわるなんて生意気だ。いいから飲んで待ってろ」
テーブルに置かれたビールは栓があけて置かれていました。
着替えをした緒形さんはそのあと、
ご自分が俳優になった理由や新国劇時代の話、映画のこと、
役者というものについて、
いろんな話をしてくれました。

「お前こんな話、つまんねえだろう」
「いえ、おもしろいです。その話を聞きたかった」
「俳優の髄をほんとうに感じたかったら、
 俺みたいな奴の話を聞くより、笠智衆さんに話を聞け」
と緒形さんは言いました。
緒形さんは笠さんのことが好きだったので
「笠智衆さんがライバルだ」と言ったことが
あったんだそうです。
それをすごく後悔して、
笠さんの自宅を訪ねて謝ったんですって。
糸井
へぇえ。
新井
緒形さんは書道をやっていたので、
笠さんが書をたしなむことをどこかで耳にしていた。
笠さんはそのとき、半紙に
「山川草木」と書いてくれたそうです。
それは、緒形さんからすると
清冽とした美しい字だったんですって。
肩の力が抜けてて、名人の極みのような字だった。
笠さんに、なぜこの字を書いたか訊ねると、
「簡単でしょ。山川草木って、誰にでも簡単です」
とおっしゃったそうです。
しかし書家からするとなかなか難しい字で、
バランスがみごとに決まっていたそうです。

しかも笠さんは、墨ではなく
市販の墨汁で書いていました。
緒形さんは、最後に
落款の判子を押してくれるようお願いしたそうです。
「ああ、いいですよ」って、笠さんは、
銀行印のような三文判をポンッと押して
「はい、どうぞ」とおっしゃったそうです。
糸井
すごいですね。
新井
そのお話を聞いてぼくは、
笠さんに会いたくなりました。
自分にも書をもらいたいという邪悪な心を持って
お手紙を書いて、取材のお願いをしたら、
受けてくださったんです。
撮影は荒木(経惟)さんにお願いしました。

荒木さんは小津安二郎さんが大好きで
『東京物語』という写真集もあります。
「小津さんの世界だったら、絶対ライカだよな」
という話をしました。
その頃、荒木さんはまだライカを
持ってなかったんですよ。
「いまからカメラを買いに行こう」って、
銀座のレモン社に行って、
M6のボディひとつと35と50ミリのレンズ、
フィルムを10本買って、取材に向かいました。
糸井
そのことだけで画になりますねぇ。
新井
そして、横須賀線で、
ふたりでライカの説明書を読みながら行きました。
駅に早く着いちゃって、
大船観音で願掛けして、荒木さんはめずらしく
「いい撮影になりますように」って、
ちょっと緊張してた。
糸井
うん、うん(笑)。
新井
けれどもそのとき、
笠さんは具合が悪くて、寝込んでたんです。
今日は撮影できないかもしれない、
まぁ、しょうがないな、ということで、
1時間ぐらい外でぶらぶら時間つぶしてたら、
笠さんがちょっと元気になっててね。
息子さんの奥さまが
「今日、お会いできます」と言ってくれて、
案内してくださいました。
そして、荒木さんが買ったばかりのライカを
持ってたわけです。

笠さんは、荒木さんのことは知らなかったけど、
小津さんが持ってたライカのことは憶えてた。
「それライカですか?」
「ライカです」
「小津先生がずっとライカで撮ってました」
「じゃあ、今日、私が小津になります」
と荒木さんは言って、
オズの魔法使いとかシャレ言って、
笠さん「ほほー」みたいな感じで。
糸井
わははは。
新井
ライカのシャッター音はいいし、
荒木さんが、いつもの、
まるで女の人のヌードを撮るような感じで
「キレイです。笠さんいいです」
とか言ってたら、
笠さん、だんだんだんだん、元気になって。
ブランコに乗るわ、すべり台に乗るわ、
四股は踏むわで元気になっちゃいました。
娘さんから「やめてください」
みたいなことも言われました。

夕方になって、もうそろそろ終わり、というときに、
荒木さんが急に
「笠さん、もうひとつお願いがあります」
と言い出しました。
「北鎌倉の小津さんのお墓まいりに行きたいんです」
「お墓まいり、ああいいですよ。久しぶりだし」
ということになって、円覚寺の
小津さんのお墓に行きました。

小津さんのお墓を背景にして、夕日が映える光景、
荒木さんが笠さんの肖像写真を撮ろうとしたときに、
「笠さん、こちらを向いてください」と
荒木さんの言葉になぜか笠さんが「いやです」と言ったんです。

「えっ?」
それまであんなに陽気だったのに、
急に「いやです」って、どういうことだろう?

荒木さんは、
よく聞こえなかったのかもしれない、と思って、
もういちど「笠さん、こっち向いてください」
と声をかけても、やっぱり
「いやです」と言われました。

いったいどうしたんだろう?
と思っていたら、笠さんが
「小津先生に、お尻は向けられません」と。
凛とした時間でした。
それでも荒木さんはなんだかんだ言いながらごまかして
墓地で1枚の笠さんの写真を撮った。
その写真が、
荒木さんの宝物の写真になりました。
それはすごく幸せな時間でした。
糸井
何年前ぐらいですか?
新井
1992年です。
笠さんが亡くなる1年半ぐらい前。
糸井
たどって、たどって、出かけて、という
話ですもんね。
新井
「SWITCH」でいくつか
やってよかったなってことあるんですが、
笠さんの特集号はそれにあたります。
糸井
ああ、ほんとうにそういうことですよね。
そういう一日がある、ということはいいなぁ。
新井
はい。雑誌をやっててよかったです。
糸井
ああ、ふたりで長く話してしまいましたが、
とてもおもしろかったです。
ありがとうございました。
新井
はい、ありがとうございました。
糸井
今日はこういう話をすることでよかったのかな?
ほぼ日
はい。
これから「恐竜がいた」展の
TOBICHIイベントや
気仙沼への旅、
あとはうちの編集部がSWITCHの編集部に
遊びにいったりと、
さまざまなことを考えています。
とりあえずこれはスタートの対談です。
糸井
ぼくもたのしみにしています。
これから、いろいろはじまりますが、
よろしくお願いします。
新井
こちらこそ、よろしくお願いします。

~switchとあそぼう 1 おしまい~

 2016-09-23-FRI

スイッチ・パブリッシングが
また魅力的な新刊を出しました。
下田昌克さんと谷川俊太郎さんの共著
『恐竜がいた』です。
この発売を記念して、ほぼ日のTOBICHI2で
展覧会を開催することになりました。
下田さんの貴重な「キャンバス生地の恐竜」作品を
身につけて写真を撮ることもできます。
かっこいい恐竜になれるチャンスです。
ぜひぜひ、おいでください

恐竜がいた

谷川俊太郎+下田昌克
(写真 池田晶紀)

雑誌「SWITCH」の
20回にわたる連載、待望の書籍化。
時間を超えて、ことばと写真で
「あのときここに生きていた」
恐竜たちに出会えます。
※この本は期間中、TOBICHIでも
 発売予定です。