HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN × ORIX Buffaloes
		野球の人・田口壮の新章 はじめての二軍監督 2017・はじめての2年目編
25 中学野球

ほぼにちは。
「初めての二軍監督」も二年目を終え、
昨日の球団納会をもって、オフシーズンに突入しました。

申し遅れましたがわたくし、
このスーパー不定期連載に季節のおりおりで登場する、
オリックス・バファローズ二軍監督、田口壮と申します。
「えっまだ続いてたの?」とお思いでしょうが、
そこはバックナンバーなどを読み返し、
記憶をほじくり返していただければ幸いです。

ところでオフ。僕にとっては
「家族と過ごすこと。そして、
なるべく野球を家に持ちこまないこと」がテーマです。
シーズン中は遠征もあり、
地元にいても物理的に家にいる時間が少ない。
帰宅すると「本日のオリックス二軍」の話を、
玄関で、食卓で、延々と語り、好きなだけ喋り倒したら寝る。
一方で家族の話には上の空、
という大変迷惑な夫であり、父親なのだそうです。

このままでは思春期の息子からため息をつかれてしまいます。
そこで初めて、実に初めて、息子の所属している
硬式野球チームの試合を見に行ってきました。
もう入部してから2年が過ぎようとしているだけに、
周囲に馴染みまくっているヨメを尻目に、
異空間から突然現れてしまったかのような
疎外感は否めません。

1歳でプラスティックのバットを
おもちゃがわりに振り始めた寛(かん)は、
このクリスマスには14歳。
小学校1年生から軟式野球を始め、
中学から硬式に転向しました。
その間、僕は自分自身の野球にどっぷり浸り、
世の中の多くのお父さんたちのように、
息子に二人三脚で野球を教える、練習に付き合う、
といったふれあいをほとんどできませんでした。
「野球選手のお子さんなら、
さぞみっちりお父さんが教えているんでしょう?」
と言われることもありますが、
寛が尊敬し、なおかつ言うことを聞くのは、
親友のお父さんだったり、チームの監督だったりして、
僕のことは、「おいしい所だけ持っていく人」
という醒めたイメージがあるようです。

何しろ、いいプレーをすれば「お父さんのおかげ」で、
へまをすれば「野球選手の子のくせに」と
周囲にさんざん言われて育っていますので、
彼はいまだ「じゃあ俺自身はなんなんや」とふて腐れ、
自分探しの旅を続けているのです。
「教えてくれ」という一言は、僕に対する敗北宣言なのです。
僕は僕で、
「やらされている感のある人間に何を教えても身につかん。
アイツが自分から、教えてくださいお願いします!
と言って来るまで俺からは教えん」と言い放ち、
彼からの「お願いします!」を待ち続けているのです。

両想いのはずなのに、お互いを意識しつつも、
相手が告って来るまで自分からは折れない、
と決めている面倒くさいふたりのように時は流れて、
そして、今回。
息子がどのような選手なのかまったく知らないまま、
去年僕が遠征で行った地方球場で
彼がプレーするという不思議な感覚もわずかひととき。
あっという間に中学野球の
面白さに引き込まれてしまいました。
何しろ大変勉強になるのです。

野球における「サイン」や「作戦」を
散歩にたとえてみましょう。
ふと分かれ道に行き当たった時、どちらを選ぶのか。
右に行けばこうなり、左を選べばああなる。
選ぶ道によって流れも結果も変わっていきます。
プロはその流れや先行きをお互いに読みあい、
「右を選んだ。ではこうなるはずだから
こちらはこうしよう」
「左に行くなら、こっちはこうや」と、
先へ先へと相手の思惑をつぶし合い、
流れを阻止しようとします。
そこに、理論だけではどうしようもない
ヒトの肉体的、技術的、精神的な
強さや弱さが絡んできて、
野球というスポーツを面白くしてくれます。

こういった野球のセオリーを
中学野球はきちんと踏襲しており、指導者の方々の、
子供たちに基本を徹底させる、
という真摯な姿勢を感じさせてくれます。
野球はこの基本こそありきで、
土台がなければ先には進めません。
その上で中学野球をさらに面白くしているのは、
プロならできる「相手の思惑のつぶし合い」が
思うようにいかず、セオリーそのままに流れが一気に傾き、
子供たちにはそれを止める術がなくなってしまう、
という怖さでもあります。
たった一度の「道の選択」が思わぬ方向に行くことで、
あれよあれよと試合の状況が変わってしまう。
時に見かける大逆転などは、こういった
「止められなかったセオリー」の
結果であることが非常に多いのです。

図らずとも与えられてしまった試練の中で、
子供たちは悔しい、苦しい思いを噛みしめることでしょう。
そして、「どうやったら一度相手に行ってしまった流れを
引き戻すことができるのか」と、
おのずから考え始めるはずです。
中学野球は、こういった勝負の基本形を身体に叩き込み、
自ら方向を見出す力を身に着けるための場所でもあるのです。

そして僕自身にとっても、
(こうしたらこうなっていくんじゃないか)
という感性を磨いたり、自分が信じているセオリーが
合っているかどうかを見極める、格好の機会ともいえます。

試合を見ているうちに腕組みをして、
前のめっていれば、
気分はすっかりスカウトです。
息子のチームに限らず、
相手チームの選手も舐めるように観察し、名前を憶え、
「あの子は将来楽しみや」「あの子はいいセンスしとる」
などと帰宅するなり延々と語り、
好きなだけ喋り倒したら寝る‥‥。




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