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ポジション・トークに
気をつけて。
武田徹さんに、
「報道」への考えを訊きました。

5 宗教を報道で扱うこと

今日は、
「宗教を報道で扱うということ」について、
武田徹さんの言葉を、紹介してゆきますね!

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「日本のメディアは政教分離で来てまして、
 建前としては、ジャーナリズムは
 中立公正というのを謳ってきましたよね。
 だから、宗教紛争が出た時には、
 どう語ったらいいかわからないし、
 また、語り方がわからないままでいると、
 変なカタチで議論の中に
 宗教が入ってきちゃうんですよね。
 避けよう避けようとすると、
 逆に入ってきてしまうと言うか……。

 ただ、戦争を論じる時に
 宗教だけにスポットを当ててしまうと、
 ちょっとミスリードするところもあって、
 ボスニアとかもそうだったんですけれど、
 宗教の違いによる民族対立を生んだのかというと、
 それだけじゃなくて、経済格差もあるし、
 軍事力の不均衡だったりするし、
 問題は、宗教も含めたモザイク状になっていて。

 要するに、日本のメディアの問題は、
 宗教をあつかうのがニガテだと言うよりは、
 複雑な現実に対する読解力が
 あまりにも低いということだと思うんです。

 読解力や理解力があれば、宗教についても
 もうすこし書きようがあると思うんだけれど、
 日本のメディアは、非常に類型化して単純化した
 図式の中でしか、戦争を論じてこなかった……。

 そのあたりのツケが
 まわってきているような気がしますね。
 ある枠組みでは善だけど、
 違う枠組みでは善ではないという
 違うダイナミズムがあるわけですよね。
 そのダイナミズムを相手にした書き方を、
 これまで、日本のメディアは、してこなかったんです。

 戦争報道は、報道の質が
 極端に誇張して出るから問題になるだけで、
 戦争報道でできていないということは、
 ふだんの報道でも、できていないわけです。

 出典の明記をせよだとかいうことも、当然で。
 戦争の時に、複雑な現実を扱えなかったというのは、
 平時の現実も扱えていないはずで、
 だから逆に、戦争報道を通して、
 平時の報道がどうあるべきかも、わかるんです。

 戦争報道は、
 メディアの現状を映し出す鏡として見るべきだし、
 一方では、読者とも共犯関係があると思うんですが、
 『なぜ、すぐに
  ほころびてしまうかもしれない
  裏の取れていない戦争情報に関して、
  われわれは、知りたがるのか?』

 ……その欲望っていうのも、
 見直してみるべきだとは、思うんです。
 知りたがる人がいるから、
 報道しているところもありますからね。

 アメリカがイラクに攻めこんですぐに、
 イラク兵が8000人投降したという話があるけれど、
 次にすぐに4000人と訂正しているわけですよね。
 これはもう、ロクに数えられてものではない。
 そんな不確かな情報が伝えられるというのは、
 読者が知りたがっているからに、ほかならないわけで。

 ハッキリ言って、ぼくとしては、
 投降者数が8000人なのか4000人なのか
 といったところは、知らなくてもいい部分だと思います。
 そこに力を割いている部分は、ムダな労力なので、
 他に振り分けたほうがいいような気はするんです」


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(つづく)

2003-04-11-FRI

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