第3回 有名になる能力はなかった。
糸井 為末さんは、競技を離れてから、
個人の名前でしゃべることが
増えてると思うんですけど、
さっきも言ったように、
主語がチームだったり、競技だったり、
ひょっとしたら日本人だったり、
いろんなことを「代弁している」ことが
増えていってると思うんですね。
為末 はい。
糸井 それは、なんていうんでしょう、
為末さんにとって自然なことなんですか?
為末 うーん、まず、
最初からこうじゃなかったというか、
一所懸命、走ってたら、
「これは行けそうだぞ」って思えて、
まわりのみんなも「行けるぞ」って言うから、
ますます一所懸命に、
ハードルというものをやってたんですね、
で、狭い部屋で、ひとりでやってたら、
ある日突然、急にカーテンがサーって開いて、
部屋がガラス張りになって
みんながこっちを見てた、
っていう感じだったんですよ。なんとなく。
糸井 ああ、なるほど。あるときをさかいに。
為末 なぜか、あるときから、ぼくが言うことは、
陸上界が言うことっていう感じになったりとか。
それですごく戸惑ったこというか。
アスリートって、おおむね、
ただ好きだからそれをやっていた
っていう人種だと思うんですけど、
どこかのタイミングで、
社会のロールモデルになってしまったり、
子どもたちのあるべき姿とか、
いろんなものを背負っていくんです。
そこに違和感を感じてあがこうとすると、
なんというか、社会の期待を
裏切ってしまうような感じになってしまって、
やっぱり、反撃にあったりするんです。
それは、ずいぶん戸惑いましたね。
糸井 そうなりたかったわけじゃなくても、
為末さんがハードルの
代名詞みたいになっちゃうんですね。
為末 そうですね。
とくに、勝っていくと、そうなってしまう。
糸井 その戸惑いは、だいぶ続きましたか。
為末 そうですね。
とはいえ、現役のときは、
いろいろあったとしても、
けっきょくは競技場での結果がすべてなんです。
でも、引退すると、そこがなくなるので、
余計にハードル界を代弁する人、
みたいになっていってしまって。
糸井 そうか、
競技っていう表現の場がなくなったから。
為末 なんていうか、
「ぼくはこう思うんだけど、
 これ、ぜんぜんハードル界を
 代表する意見じゃないんだけど‥‥」
っていうのを、一個一個前置きしていくと、
話しはじめるまで1分ぐらいかかってしまう。
糸井 ああ(笑)。
為末 これはぼく個人の意見で‥‥
これは陸上全体の話で‥‥
というふうに話を分けていかないと
じぶんの意見がなかなか言いにくい、
というのは、いまも、ありますね。
糸井 そういう意味でいうと、両方あるんですね。
為末さんのなかに、じぶんの意見と、
陸上やハードルを代表する意見と。
為末 そうですね。
糸井 ハードルの人である為末さんとしては、
ハードルがどうなればいいんでしょうね。
その、競技としてのポテンシャルって、
どうしても、あるじゃないですか。
たとえば、野球とかサッカーって、
「日本中が夢中になる」みたいな瞬間が
ある競技だと思うんですね。
こないだの冬季オリンピックのときの
フィギュアスケートもそうかもしれない。
だけど、失礼な言い方になってしまうけど、
ハードルはそこまで行かないと思うんですよ。
為末 はい、はい。
糸井 そういうときに、為末さんは、
ハードルに、どうなってほしいんでしょう。
為末 そうですねぇ‥‥。
あの、ハードルに限らず、陸上って、
スポーツなんですけど、
誰と誰が戦っているのか、
よくわかんないんですよね。
一つのレースだけでも8人もいるし。
予選とかもあるし。
糸井 ああ、そうですね(笑)。
為末 で、観客席からトラックを観てると、
選手が走ってると思ったら、
いきなり向こうで
ヤリが飛んだりしてる世界なんで、
どこを見ていいかもわからなくて、
なんかそういう意味でいうと、
陸上競技は、あんまり、カテゴリーを
スポーツのところに持っていくというよりも、
もうちょっと、なんていうか、
盆栽とか、そういうものに(笑)。
糸井 ああーー。
為末 たぶん、なんか、こう、大きく眺めるような。
糸井 つまり、アートに近いというか。
為末 そうそう(笑)、
アートっぽいところに持っていくべきなのかな、
と思うことがあるんですけどね。
糸井 いや、はじめて聞きましたけど、
説得力ありますよ、それ。
為末 すくなくとも、
「小競り合いをたのしめないスポーツ」
のうちのひとつかなと思うんですけどね。
糸井 なるほどなぁ(笑)。
だって、よーいドンで、あの大人数が、
ものすごい微妙な0.0いくつ
みたいなところを争ってるんだもんね。
しかも、乗り越えるためのハードルを
わざわざいくつも置いたりして。
為末 (笑)
糸井 だから、非常に人工的な遊びなんですよね。
為末 うん、うん。
糸井 もともと、スポーツの原点というのは、
跳んだり、投げたり、走ったり、
人間の自然の行為から
はじまったと思うんですけど、
例えば棒高跳びなんかだと、
もう、落ちたら死ぬような高さまで
跳ぶような不自然なことになってますからね。
でも、それも、アートだと思えば
不思議じゃないですよね。
為末 そうですね。
だから、やっぱり「はみ出たい」とか、
そういう思いのようなところから
はじまってるんじゃないでしょうか。
ぼくはアートにはあまり詳しくないんですけど、
スポーツもアートも、なんか、
日常から「エイ!」ってはみ出たいというのを
表現しているような気がして。
で、その表現にハマっちゃった人が、
それをずっと続けていって、それで、まぁ、
ぼくらみたいな職業が出てきたみたいな感じで。
糸井 だからかな、こう、
やりたいことが達成したときに、
観ているほうもすごく愉快なんですよね。
為末 ああ、そうですね。
やってるほうもおもしろいですし。
糸井 競技が終わった瞬間に、
選手も笑ってたりしますよね。
あれって、すごくうらやましい。
(つづきます)
2014-09-03-WED