糸井 | 為末さんは、競技を離れてから、 個人の名前でしゃべることが 増えてると思うんですけど、 さっきも言ったように、 主語がチームだったり、競技だったり、 ひょっとしたら日本人だったり、 いろんなことを「代弁している」ことが 増えていってると思うんですね。 |
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為末 | はい。 |
糸井 | それは、なんていうんでしょう、 為末さんにとって自然なことなんですか? |
為末 | うーん、まず、 最初からこうじゃなかったというか、 一所懸命、走ってたら、 「これは行けそうだぞ」って思えて、 まわりのみんなも「行けるぞ」って言うから、 ますます一所懸命に、 ハードルというものをやってたんですね、 で、狭い部屋で、ひとりでやってたら、 ある日突然、急にカーテンがサーって開いて、 部屋がガラス張りになって みんながこっちを見てた、 っていう感じだったんですよ。なんとなく。 |
糸井 | ああ、なるほど。あるときをさかいに。 |
為末 | なぜか、あるときから、ぼくが言うことは、 陸上界が言うことっていう感じになったりとか。 それですごく戸惑ったこというか。 アスリートって、おおむね、 ただ好きだからそれをやっていた っていう人種だと思うんですけど、 どこかのタイミングで、 社会のロールモデルになってしまったり、 子どもたちのあるべき姿とか、 いろんなものを背負っていくんです。 そこに違和感を感じてあがこうとすると、 なんというか、社会の期待を 裏切ってしまうような感じになってしまって、 やっぱり、反撃にあったりするんです。 それは、ずいぶん戸惑いましたね。 |
糸井 | そうなりたかったわけじゃなくても、 為末さんがハードルの 代名詞みたいになっちゃうんですね。 |
為末 | そうですね。 とくに、勝っていくと、そうなってしまう。 |
糸井 | その戸惑いは、だいぶ続きましたか。 |
為末 | そうですね。 とはいえ、現役のときは、 いろいろあったとしても、 けっきょくは競技場での結果がすべてなんです。 でも、引退すると、そこがなくなるので、 余計にハードル界を代弁する人、 みたいになっていってしまって。 |
糸井 | そうか、 競技っていう表現の場がなくなったから。 |
為末 | なんていうか、 「ぼくはこう思うんだけど、 これ、ぜんぜんハードル界を 代表する意見じゃないんだけど‥‥」 っていうのを、一個一個前置きしていくと、 話しはじめるまで1分ぐらいかかってしまう。 |
糸井 | ああ(笑)。 |
為末 | これはぼく個人の意見で‥‥ これは陸上全体の話で‥‥ というふうに話を分けていかないと じぶんの意見がなかなか言いにくい、 というのは、いまも、ありますね。 |
糸井 | そういう意味でいうと、両方あるんですね。 為末さんのなかに、じぶんの意見と、 陸上やハードルを代表する意見と。 |
為末 | そうですね。 |
糸井 | ハードルの人である為末さんとしては、 ハードルがどうなればいいんでしょうね。 その、競技としてのポテンシャルって、 どうしても、あるじゃないですか。 たとえば、野球とかサッカーって、 「日本中が夢中になる」みたいな瞬間が ある競技だと思うんですね。 こないだの冬季オリンピックのときの フィギュアスケートもそうかもしれない。 だけど、失礼な言い方になってしまうけど、 ハードルはそこまで行かないと思うんですよ。 |
為末 | はい、はい。 |
糸井 | そういうときに、為末さんは、 ハードルに、どうなってほしいんでしょう。 |
為末 | そうですねぇ‥‥。 あの、ハードルに限らず、陸上って、 スポーツなんですけど、 誰と誰が戦っているのか、 よくわかんないんですよね。 一つのレースだけでも8人もいるし。 予選とかもあるし。 |
糸井 | ああ、そうですね(笑)。 |
為末 | で、観客席からトラックを観てると、 選手が走ってると思ったら、 いきなり向こうで ヤリが飛んだりしてる世界なんで、 どこを見ていいかもわからなくて、 なんかそういう意味でいうと、 陸上競技は、あんまり、カテゴリーを スポーツのところに持っていくというよりも、 もうちょっと、なんていうか、 盆栽とか、そういうものに(笑)。 |
糸井 | ああーー。 |
為末 | たぶん、なんか、こう、大きく眺めるような。 |
糸井 | つまり、アートに近いというか。 |
為末 | そうそう(笑)、 アートっぽいところに持っていくべきなのかな、 と思うことがあるんですけどね。 |
糸井 | いや、はじめて聞きましたけど、 説得力ありますよ、それ。 |
為末 | すくなくとも、 「小競り合いをたのしめないスポーツ」 のうちのひとつかなと思うんですけどね。 |
糸井 | なるほどなぁ(笑)。 だって、よーいドンで、あの大人数が、 ものすごい微妙な0.0いくつ みたいなところを争ってるんだもんね。 しかも、乗り越えるためのハードルを わざわざいくつも置いたりして。 |
為末 | (笑) |
糸井 | だから、非常に人工的な遊びなんですよね。 |
為末 | うん、うん。 |
糸井 | もともと、スポーツの原点というのは、 跳んだり、投げたり、走ったり、 人間の自然の行為から はじまったと思うんですけど、 例えば棒高跳びなんかだと、 もう、落ちたら死ぬような高さまで 跳ぶような不自然なことになってますからね。 でも、それも、アートだと思えば 不思議じゃないですよね。 |
為末 | そうですね。 だから、やっぱり「はみ出たい」とか、 そういう思いのようなところから はじまってるんじゃないでしょうか。 ぼくはアートにはあまり詳しくないんですけど、 スポーツもアートも、なんか、 日常から「エイ!」ってはみ出たいというのを 表現しているような気がして。 で、その表現にハマっちゃった人が、 それをずっと続けていって、それで、まぁ、 ぼくらみたいな職業が出てきたみたいな感じで。 |
糸井 | だからかな、こう、 やりたいことが達成したときに、 観ているほうもすごく愉快なんですよね。 |
為末 | ああ、そうですね。 やってるほうもおもしろいですし。 |
糸井 | 競技が終わった瞬間に、 選手も笑ってたりしますよね。 あれって、すごくうらやましい。 |