第3回 有名になる能力はなかった。
糸井 引退してから変わったこと、
たくさんあると思いますけど、
意外だったことって、なにかありますか。
為末 感覚とか記憶の違いというのは、
おもしろいなと思いましたね。
あの、ぼくはヘルシンキというところで
メダルをとったんですね。
(2005年世界陸上ヘルシンキ大会、
 400mハードル銅メダル)
そのとき、大雨の中、満員の競技場で
走って、ゴールして、メダルをとって、
その風景をすごく憶えているんですけど、
先日、そのヘルシンキの競技場に行ったら、
思ってたよりぜんぜんちっちゃくて(笑)。
糸井 ああー。
為末 じぶんの中では、もう、
10万人ぐらい入ってた気がしたけど、
4万人しか入らない競技場だったんです。
だから、見たものを記憶してるんじゃなくて、
見たときのじぶんの気持ちとか、
じぶんを取り巻く関係とかも含めて
記憶してたんだんだなぁと思って。
糸井 こころを記憶してるんですね。
為末 そうなんですよね。
そう考えると、同じものを見ても、
どんな気分で見てるかとか、
それとじぶんがどういう関係にあるのか、
ということによって、
記憶ってずいぶん違うんだろうなぁって、
引退したあと、あらためて思いましたね。
糸井 でも、その2つを比べられる人って、
なかなかしあわせですよね。
つまり、競技のときのじぶんと、
そこを離れたじぶんと。
為末 そうかもしれないですね。
糸井 その記憶そのものが、得がたい財産ですよね。
練習していた時間だとか、
悔しがってた時間も含めて。
それはもう、ぼくらには、
絶対に味わえないものですから。
ゴールしたときに、
なにをどんなふうに感じるか、とか。
為末 そうですね‥‥。
いいレースを走ったときは、
勝ったよろこびもあるんですけど、
走ってる瞬間に、なんかこう、
わーっと湧き出るものがあったりして。
糸井 ほーー。
為末 最後の直線に入ってくるときって、
大袈裟にいうと、
「思いっきり大きい声を出してる」
っていうような感じなんです。
こう、「わあーー!」って言ってる感じ。
走りながら、最後は、
「ああぁぁーーーー」って
息が続かなくなって、
小さくなって、最後に、
「うんんんーー‥‥」っていう感じで
なんとか辿り着く、みたいな。
糸井 はーー。
尽きる、という感じでしょうか。
為末 なんというか、苦しいことなんですけどね。
でも、振り返ってみると、
あの感じって、すごく、
「生きてる」っていうか、
気持ちよさがあったなぁと思うんです。
たしかに、そういうものって、
なかなか、引退したあとは‥‥。
糸井 ないでしょう。
為末 そうですね(笑)。
糸井 スポーツで努力してちゃんと上まで行った人は、
そこを大事にしてますよね。
その、得がたい感覚を。
だから、為末さんのこころのなかには、
やっぱり、グラウンドというか、
トラックがあるんですよ、たぶん。
為末 そうかもしれません。
糸井 引退したとしてもね。
なんか、それは、いいなぁ。
為末 それで思い出したんですが、
有森(裕子)さんが
引退した選手を対象にした講演のなかで、
こんなふうにおっしゃってたんです。
「現役時代にみなさんには、
 すばらしい思い出と感動が
 あったと思いますが、
 引退後の世界には、
 もう、そんなものはありません。
 それを受け入れることから、
 引退後の人生をはじめましょう」って。
それは、たしかにそのとおりだなと思いました。
競技のなかであれほど強烈な興奮を味わったら、
引退後の人生でも探してしまって、
そのまま、ここでもない、ここでもない、って
流浪の旅に出ちゃったりしますから。
そうなってしまうよりは、
「そんなものはもうないんだ」って
割り切ることを伝えてあげるほうが、
やさしさなのかもしれないな、って。
糸井 それほどのことなんですね、引退するって。
やめるとき、会見とかで
涙する選手も多いですけど、
為末さんはどうでした?
為末 うーん‥‥そうですね‥‥。
子どものころ、ぼくはレゴとかで、
夢中になって遊ぶ子だったんですけど、
ずーっとひとりで遊んでると、
ご飯のときに下の階から呼ばれても、
その声が聞こえない感じだったんですね。
すごく大きい声で呼ばれてはじめて
「あ、晩ご飯ができたんだ」
って気づくような感じで。
そのときの感覚と同じ感じでしたね、
引退した瞬間って。
糸井 あーー、そうですか。
為末 「なんだ、もう終わりの時間か」
っていう感じで。
糸井 はーー、
もう聞くだけです、そういう話は。
一同 (笑)
為末 ははははは。
糸井 聞くだけだなぁ。
いやぁ、そういう話が聞けて、うれしいです。
(つづきます)
2014-09-05-FRI