谷川俊太郎、詩人の命がけ。 谷川俊太郎+糸井重里ひさしぶり対談 祝 谷川俊太郎さん、80歳!
 

第3回 言葉は完全に他人のものだった。

糸井 だから、むかし自分が書いた言葉を
「いいじゃん!」って言えますよね。
谷川 けっこう言えちゃいます。
糸井 ぼくなんかがそれを言うと
みんな笑うんですよ。
だけど、笑われてもぼくは言い続ける。
なぜかというと、その言葉は
ぼくのものじゃないからです。
谷川 絶対そうですね。
でも、だいたいの詩人はみんな
詩を私有してる気持ちでいます。
糸井 ああ、そうなんですか。
谷川 ぼくはそれ、
ちょっと引っかかってるんですよね。
詩人がいちど書いた以上は、
共有物になってると思うんですが。
糸井 たぶんそうなんでしょうけれども、
身過ぎ世過ぎのためにそうなのかな。
社会的な意味としては、
著作権というものは必要です。
だけど自分の中では、
「俺がつくったものを、俺も享受する」
そんな気持ち。
谷川 ほんと、そう。
糸井 ぼくがつまんないギャグを言ったときは
その場にいる人にすぐあげるよ、
ぐらいのことを言いたいのです(笑)。
谷川 だけど、言葉が
自分の私有ではないと
考えてる人は少ないですよ。
糸井 どうもそうなんですね。
谷川 ぼくはよく、赤ん坊の頃のことを
思い出したほうがいいんじゃないか
って思うんだけど。
糸井 というと。
谷川 「おぎゃーっ」と産まれてきたときには、
まわりは全部、他人の言葉ですよね。
お母さんでもお父さんでも、誰でもね。
赤ちゃんは、人の言葉を聞いて、
だんだん覚えていく。
つまりはじめは、
言葉は完全に他人のものだった。
では、いつ、自分のものになるんだろう。
糸井 うん、うん。
谷川 それを自分のものにしていくことが、
人間が成長していく過程だと
ぼくは思っています。

自分のものになったと思いすぎると、
「これはもう自己表現である」
「わたしのものである」
「著作権はわたしにある」
みたいになっちゃう。
最初の、言葉が他人から来たものだってことを
ちゃんと確認しとかないと、
へんにまちがうと思います。
糸井 やっぱり、なんでもそうだけど‥‥
もらったものだらけだ、
ということなんですよね。

インターネットの時代になってから
やりづらくなったのは、
もらったどころか、昨日見たものを、
自分の言葉としてしゃべってるということが
あるからじゃないでしょうか。
そういう危機感がぼくにはあります。
谷川 うんうん、なるほど。
糸井 ある人の発言について
「ああ、それだったらもう、
 どこかで言ってましたね」
「知ってます」
と返す、なんだか秘密のない世界。
谷川 人間というのは、
もう何千年もずっと
言語を使ってきてるわけだから、
そんなことはあたりまえなんですよ。
ほら、吉本(隆明)さんが言ってた、
「ほんとに大事なことは、
 とっくに書かれてる」
糸井 はい、書き終わってる、
4世紀までに終わってる、って
おっしゃってました。
谷川 ほんとにそうだろうと思うもんね。
あとはみんな、
その時代に則したやり方で、
言い替えてるってだけ。

そういうふうに考えると、
言語は、言語を超えたものを
めざしてるんじゃないかと
どうしても思います。
糸井 はい、思います。
今日、ここ(鳥取)にやってくる飛行機の中で、
ぼくの近くの席に赤ん坊がいました。
最初はわんわん泣いてました。
谷川 うん、泣いてたね。
糸井 ずっと泣いてたんだけど、
飛行機から降りるときには、
泣き声に抑揚が複雑についてて、
「わんわん、うえーわーん」って、やってた。
そうか、このくらいいろんなバリエーションで
泣き声を変えて
言葉の練習してんだな、と思いましたよ。
はそんなことしないですからね。
谷川 犬はしない?
糸井 しないです。
毎日、夜の10時半になると
ぼくにしゃべりかけたりはするんですけど、
あの赤ん坊みたいに
「プロセスだ」って気はしないです。
谷川 ふうむ、そうか。

(つづきます)

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2012-04-04-WED