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糸井 |
この壁画は、いろんな観かたができるけど、
左、中央、右、で
現代アート、彫刻、プリミティブアート、と、
描きかたもまったく違っていると思う。 |
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中沢 |
うん。だいたい現代芸術というのは、
ヒューマニズムの世界ですから
表現がくっきりするんですよ。 |
糸井 |
そして、そのヒューマニズムのそのすぐ上に、
巨大ブラック朝鮮人参みたいなものを
描いてるでしょう。
もんのすごいバランスだよ。
ひとりじゃないと絵って描けないんだ、
ということがわかる気がする。
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中沢 |
そうだね。 |
糸井 |
『太陽の塔』は、万博で、すぐ下に
丹下健三さんの大屋根をはじめとした
「社会そのもの」があんなに近くにあったから、
いろんなことはできなかったはずです。
だけど、それでも、太郎さんは、やったんだよね。 |
中沢 |
よくやったと思います。 |
糸井 |
一方、『明日の神話』はメキシコで、
ひとりで描いたから、
もっとくっきり現れることになったのかな。
太郎さんは、ヨーロッパと日本と、
二股かけていたような人だから、
きっと、両方のことが、見えるんだね。 |
中沢 |
ぜんぶを肯定しようとしているんだよね、
ワルもがんばれ、と。
第五福竜丸を、あんなふうに描く人、いませんもんね。
スカートはいてるもん。
これは、囲い込めない絵だなぁ。
でも、芸術なんだからさ、
そもそも意味は固定できないんだから、
「囲い込めないな、すげえな!」
でいいんじゃないかな、と思う。 |
ほぼ日 |
『太陽の塔』のときも
そうだったのかもしれないですけど、
そこはかとなく、ただものじゃない感じを
はっきり言わなくても、受けると思います。 |
糸井 |
うん。ふわふわしたものではなく
恐ろしいものを秘めている岡本太郎、というものを、
もういっかい見たような気がする。
生きてる岡本太郎がいれば、
この絵のことを、何て表現するんだろうな。
嘘つかないようにして、ほんとのことを
言ってた人だもん、きっとやっぱり
「芸術は爆発だ」って言ったんだろうなぁ。 |
中沢 |
うん。
そうやって、
みんなを取り込もうとしたと思う。 |
糸井 |
この絵は、石のお金みたいなもんだよね。
「運ばないけど俺のもの」って
みんなが言える。
『明日の神話』は、売ったって運べないですから。
こりゃあほんとにモースについて
勉強した人の仕業だな、という気がする。 |
中沢 |
どうしたって、
金に換算できないね。
糸井さんも、TARO MONEYで、
とうとうお金みたいなものをつくっちゃった。
おもしろいね、このTARO MONEY。 |
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糸井 |
太郎さんのおかげなんですよ、
僕らがこんなふうに遊べるのも。 |
中沢 |
こういうものが
岡本さんのまわりで出てきても、
何だって飲み込めちゃうもんね。
「趣味がいい」といわれるような
つまんないものより、
ほんとうはノーブルなんだよ、こっちのほうが。 |
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糸井 |
何でもオッケー、というものが、
やっぱりいちばんです。
岡本太郎はそこのところを
ちゃんとやってきた人なんだね。
そして、敏子さんが広めて、ばらまいたんだ。
ばらまかれないと「ない」ことになっちゃうから。 |
中沢 |
美術界で、あまりにも
無視されつづけた期間が長かったものね。 |
糸井 |
そして、この絵を観てつくづく思うんだけど、
敏子さんが広めようとしたものを
超えるものが、
岡本太郎にはやっぱりある。
だから二重におもしろいです。
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このあと、ふたりはなかよく電車に乗って
愛媛をあとにしました。
中沢新一さんは、いずれきちんとしたかたちで
『明日の神話』について
まとまったことを書きたい、とおっしゃっていました。
その日が来るのをたのしみに待ちたいと思います。
TARO MONEYの発売は、ゴールデンウィーク明け。
目前にせまりましたよ。
明日のこのページでは、販売のしくみなどを
くわしくお伝えします。
それでは、また。
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