YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

映画の世界を目指しはじめた頃


天童 映画は好きでしたが、
創作者になりたいなんていう気持ちは
まだ生まれていなかったんです。

とにかく好きで好きで、
おもしろいということのレベルも上がっていって、
以前は理解できなかったような
映画のよさがわかってくる……。

たとえば中二のときに
『男と女』を観たときは退屈だったのが、
中三のときにもう一度観たら、
そのすばらしさに感動したんですね。
たった一年で感性がグンと伸びてる。

運動選手のタイムが縮まったみたいなもので、
成長が実感できるんで、またのめり込むんです。
ファンとして、
映画を素朴に受けとめていた時期でした。

野球部では、補欠だし、
カーブなんてとても打てない(笑)。
たまに試合には出してもらえるけど、
バットを思いきりつよく振る
勇気がなかなか出なくて、
守備要員みたいな感じだったかなぁ。

ぼくは、三男なんです。

あらゆることに先行している兄貴がいるので、
無意識に、押しこめられていたりするわけです。
これは、長男長女にはわからない、
弟や妹である人だけわかる感覚かもしれないけど。

何にしても、年上の兄たちと自分が
同じようにできないことは当たり前のことなのに、
子どもって、そうは考えられないんですよね。

できないことが、劣等感になっちゃう。
兄たちも子どもだったから、
生意気な弟をやり込めたり、
笑ったりすることもあって、
なんとなく尻ごみする子になってた。

だから、ぼくは自分のことを、
ダメだと思うクセがあったんです。

野球部でも、友だちどうしなら
そこそこ能力が出せるのに、大勢の人がいたり、
監督やおとなが見ていたりすると、とたんに
「できないんじゃないか」
という劣等感が、筋肉を縛っちゃう、と言いますか。
緊張してカチコチになって、萎縮しちゃうんです。

そういう気持ちは、
後で『永遠の仔』なんかに
フィードバックして書いたんですけど、
メンタルなものって、スポーツに限らず、
あらゆることに対して、
あなどれないぐらい大きいですよね。

だから、話は違うけど、まぁ、
若いみなさんは、幼い頃の否定的な経験は、
子どもだったんだから
仕方がなかったんだなと自覚して、
あまり劣等感を持たずに。
ほぼ日 (笑)大事なアドバイスですね。
天童 ちいさい頃は、誰もそんなことを
教えてくれないから、自分を縛っちゃっていたもの。

中学時代が終わって、
高校でも、一応野球部に入るんです。
『巨人の星』世代だから、
やはり野球は好きだったし、
自分が進む高校は、
あまり強くないって噂も耳にしたので、
じゃあ、たのしみながら野球して、
あとは映画観て過ごそうなんて
甘く考えてたんですね。

だけど、噂はまったくのデマだった。
強豪とは言えなくても、熱心に頑張る部だったし、
たまたまその年、各中学のキャプテンとか、
本当にうまい奴らが集まっちゃった。
しかもほんとうに野球好きなやつは、
入学前の春休みから部活動に参加させてもらって、
先輩ともう一緒に練習していたりする。
こっちは映画ばっかり観てたのにね。

だから入部した段階で、もうすごく差がついてた。

高校野球は、ほんとにきついからね。
愛媛県って、野球、強いし。

「おい、今日は雨だろ?
 ふつう、雨は休みだろ?
 ランニングすんなよ、おい……。
 今日は
 『ゴッドファーザー2』を観たかったのに。
 今、あそこに行けば、上映してるのに!」

そんなことを思いながら練習してるもんだから、
下手くそのままだし、そのうち、
野球部を続けることに意味はないなあ、
ここにいても息苦しいだけだなあと
思うようになるんですね。

映画は更に好きになってくるのに、
部活に休みはないから、
ほとんど映画が観られないし、
体は、練習についていくだけで
ボロボロになりかけてたんで、
野球は、高校一年の夏で辞めました。

でも、いまもつき合いのある親友は、
同じ部だったから、
まったく無駄でもなかったんですけどね、
あとで考えると。

野球を辞めてからは、それこそ、
せきを切ったようにというか、
大いに羽をのばして映画を観るようになりました。

それまでの限られた時間で観ていたのは、
洋画ばかりだったんですが、野球を辞めたら、
もう「何でも観よう」と思ったので、
日本映画も観はじめたんです。

そうすると、当時は市川崑さんも
浦山桐郎さんも元気だし、
深作欣二さんも野村芳太郎さんも
全盛のころなんで、おもしろかったの!

その頃も、映画界では、
邦画はちょっと衰退してきてるように
言われてたんだけど、ぼくが観たときの映画は、
まだまだ、すんごい、おもしろかった。

ただ、確かに、洋画の一流どころに比べると、
「隙」や「足りないところ」はありました。

だけど、それはそれで、
キライになる理由にはならないで
「これだけ隙があるんだったら、
 オレもこの世界に入れる」

と思うきっかけになっちゃったんです……。

すごいおもしろいこともやっているし、
B級だとすごいしょうもないことをやっている。
だから、自分もここに加われるんじゃないか?

高校一年の秋口から冬になると、
ぼくは、雑誌としては
『スクリーン』から『キネマ旬報』に行くんですね。
中学時代は『ロードショー』、
中三の頃には『スクリーン』になっていたのが。

その頃に、はじめて、創作者になりたいと思ったんです。
まだ、高校二年になる前でしたね。

それからさらに、映画の世界に行きたいと思いこんだら、
『キネマ旬報』の次に
『シナリオ』を買いはじめるようになります。

『シナリオ』を読んでいると、
「映画の世界に行きたければ、まず
 シナリオを書けるようにならなければいけない」

みたいなことがアドバイスとして書いてある。
じゃあとにかく、書かなきゃ、と。

雑誌には
「書くためには、映画をいっぱい観なさい」
とかいうことも書いてあるので、
県内に来た映画は、もう、
ぜんぶ観にいくようになっていたんですよ。

※インタビューはさらに続きます。
 また、5月には、再度のインタビューを
 天童さんに、させていただく予定です。おたのしみに。
 (残りのインタビュー部分は、
  来月あたりに、おとどけできる予定です。
  天童さんは、現在小説に集中しているために、
  残りのインタビュー文のチェックが、
  『家族狩り』五部作が完成後になるからなのです。
  続きがかなり後になること、ご了承くださいませ!)
 天童さんの言葉への感想やメッセージなどは、
 postman@1101.com
 こちらまで、件名を「天童さん」としてお送りください!





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第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて、
postman@1101.com に、対話するようにお送りください!
インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-04-26-MON

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