── |
竹松さん、ほかにはどういうものを
鶏郎先生はつくっていらしたんですか。 |
竹松 |
この「クラリネットクインテット」と、
あと何曲か組曲を書いていたんですけど、
亡くなるまではクラシックを中心に
打ち込みをしていましたね。
サンフランシスコに行ったときの思い出の‥‥ |
細野 |
これ‥‥良いタイトル。 |
竹松 |
「桑港(サンフランシスコ)組曲」ですね。 |
慶一 |
これが、「彩帆(サイパン)組曲」。 |
細野 |
すごい! クラシックだなぁ。 |
竹松 |
これは、楽譜のみで、
音にしてなかったですね。 |
慶一 |
やらなきゃね。 |
細野 |
僕がやりたいな。借りていこうかな、これ。 |
|
竹松 |
そうですか。
じゃ、データは今度お送りしますね。 |
細野 |
データがなくても
譜面があれば何とかなるから。
自由に解釈しちゃう。 |
竹松 |
是非、お願いしたいです! |
細野 |
ほんとに! いいの? |
竹松 |
はい。お願いします。是非、是非!! |
細野 |
‥‥これは是非、やろうよ。ほんとに! |
竹松 |
あぁ! ほんとに嬉しい! |
慶一 |
手分けでいいですから(笑)。 |
細野 |
手分けで(笑)。 |
慶一 |
私がどちらかをやります。
細野さん、どっち? |
細野 |
んー‥‥「サイパン」を聴きたいです。 |
慶一 |
じゃ、私は「サンフランシスコ」を。 |
── |
これは何らかの形で発表するなり、
目標を決めておいたほうが
いいんじゃないですか。 |
細野 |
もちろん。 |
── |
またコンサートをやるぞ、とか、
iTunes Music Storeで配信するとか、
CDを出すとか。 |
細野 |
CDにはしてほしいね!
こういうものは財産だから‥‥皆の、ね。
僕は売ってほしいわけ。買いたいんだもの。 |
── |
さて‥‥ちょっと話が変わっちゃうんですけど、
お二人は同時代的に鶏郎さんの音楽を
聴いてこられたわけですよね。
鶏郎さんの音楽や言葉が
自分の作る音楽の血となり肉となっている‥‥
というようなことを、感じたりはなさいますか。 |
慶一 |
うん。なんだろうなぁ。
音楽を始めたときに‥‥
日本語でやるときに‥‥
きっかけも何もないじゃない。
手本にするものはなんだろうかと思ったときに、
漣健児(さざなみ・けんじ)さんの歌詞とか、
鶏郎さんの歌詞が、多分、
うっすらと頭に入ってたんだろうし、
音は洋楽なんだけど、やけに日本的な節回しに
影響を受けていたと思います。
はっぴいえんども、まさに、
非常に日本的な風景なんだけど、音は洋楽。 |
── |
慶一さんや細野さん‥‥
細野さんはちょっと年が上ですよね‥‥
の世代が、
日本語を洋楽的なセンスの中に乗せる
というのをポップミュージックとしては
最初にしたのだけれど、
その前には洋楽を取り入れた歌謡曲があったり、
鶏郎さんがいたわけなんですね。 |
細野 |
鶏郎さんも服部良一も、みんな、
もう出来ている世界だよね、僕たちにとっては。
だから、
それとは違うアプローチをしたんですよね。
一回、滅茶苦茶になっちゃった、という‥‥。
だから逆に、乗せるんじゃなくて
乗りにくいことをやってみたり。
で、それをやって一段楽したときに、
僕は、子供の頃聞いていた音楽に
急に戻っちゃって‥‥
例えばそれはマーティン・デニーだったり。
同時期に三木鶏郎の音楽も
ウワーッと思い出してきて。
もちろん、「僕は特急の機関士で」しか
知らなかったんだけど、とにかく、
その音楽をラジオで初めて聴いたとき、
小学生のときに、
すごく興奮したのを覚えている。
それは、グレン・ミラーとか
ジーン・クルーパーのヴギを聴いたのと
同じぐらい。
まったく同じことだから‥‥興奮度が。 |
竹松 |
へぇー‥‥ |
細野 |
日本の音楽とか外国の音楽とか、
そういう意識はないから。子供は。
“僕は特急の〜”という、あの出だしがね、
残っちゃっているわけですよ。だからその後、
ティン・パン・アレーで
自分の曲の中にそのフレーズを入れたりして。 |
慶一 |
エンディングに入っていた。 |
細野 |
そのときに山下達郎に
コーラスをやってもらったら、
彼も知っていたわけ‥‥
喜んでやっていたからね(笑)。 |
竹松 |
ラジオで‥‥? |
細野 |
そう。冗談音楽をラジオで聴いていたの。 |
竹松 |
昭和29年に文化放送で始まった
「みんなでやろう冗談音楽」ですね。 |
細野 |
そこらへんだ‥‥7歳だ。
それを聴いていたんだよ。 |
慶一 |
私は細野さんより4つ下なんだけれど‥‥ |
細野 |
たいして変わらないって(笑)。 |
慶一 |
でも、結構、そこの3、4年ぐらいはね‥‥
だいぶ違うんですよ。 |
細野 |
あ、そうだね。違うか。 |
|
慶一 |
僕は、鶏郎先生の「吟遊詩人の歌」を
何歳で聴いたか覚えていないし、
なんの「吟遊詩人の歌」だったかも
覚えていないんだよなぁ‥‥。
「トリローサンドイッチ」ぐらいに
なっちゃうのかな?
あのね、正月にマージャンをやったときに、
ちょっと実験したのよ。親父がいて、
親戚の72歳の叔父さんがいて。
親父は78‥‥か。
で、BGMでかけたの。
みんな、歌うのよ。びっくりした(笑) |
一同 |
アハハハハ! |
細野 |
知ってるんだ。 |
── |
染み込んでる。 |
慶一 |
ずーっと歌いながらやってるんだよね。 |
── |
もう、当然のように出てきちゃうんですね。 |
慶一 |
ええ。全部、歌うのよ。 |
竹松 |
ヘーッ! |
佐藤 |
サビだけとかじゃなくて、全部歌うの? |
慶一 |
全部。
ずーっとリピートしてかけていると、
積極的に歌う曲って決まってくるのね。
叔父さんは「僕はサラリーマン」(笑)。
‥‥親父は「吟遊詩人の歌」を歌ってたな。 |
── |
親子二代(笑)
慶一さんもラジオで聴いたんですよね。 |
慶一 |
そう。その記憶はあるんですけど、
何歳かは覚えていない。
河井坊茶さんの歌ですね。
強烈に印象に残っている曲が
細野さんと私とで微妙に違って、面白いですね。
「僕は特急の機関士で」と「吟遊詩人の歌」。
「吟遊詩人の歌」はマイナーな曲なんだけど、
ほんとに湿り気のない感じで‥‥今、考えると。
泣かせるものでもないので。 |
竹松 |
初めてのマイナー(コード)な曲なんです。
ほとんど書いてないですからね。
意識的に書かない、という感じで。 |
── |
マイナーでも、演歌とは違って湿り気がないですね。
お二人は、その後は、とくに鶏郎さんの
メロディーを意識したということは? |
細野 |
うん。どこかではあるね。
マイナーな曲を書いても乾いていたい、と。 |
── |
意識というより、体に入っている? |
細野 |
うん‥‥“乾いている”とか“湿っている”と
表現できちゃうんだけど‥‥ウーン‥‥
その湿った音楽はなんだろうなぁーというと、
困っちゃうけどなぁ。 |
竹松 |
鶏郎先生は“マイナー排除”ですからね(笑)。
とにかく、戦後、「リンゴの歌」とか、
「暗い歌はなんとかしてくれ」ということで、
絶対にマイナーな曲は書かないで、
メジャーで「明るく歌おう」ということが
テーマでしたから。 |
細野 |
その影響があるかもね。
僕もマイナーな曲、書けないもの。 |
── |
慶一さんは、ちょっと前に
「東京太郎」名義で
「吟遊詩人の歌」を歌っているんですよね。 |
慶一 |
86、7年。 |
── |
オリジナルと、聞き比べてみましょうか。
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