「作曲バス」
50年代末から60年代、
鶏郎の糖尿病は悪化する一方だった。
そして鶏郎は、この大きな原因のひとつが
「忙しすぎること」であることを悟り、
これを何とかしなければならないと考えた。
しかし仕事のスケジュールを決め、
生活を規則正しく生きようと決心しても、
相手が仕事で超多忙の現実では実行が難しい。
この現象を、鶏郎は「多忙糖尿」と名付け、
多忙糖尿からの脱出大作戦をたてた。
そうして考え出したのが、
1か月を4週にわけるというプラン。
●第1週 打ち合わせの週(在東京)
●第2週 創作活動の週(旅行に出る)
●第3週 録音作業の週(在東京)
●第4週 休養の週(行方をくらます)
作曲バスは、この第2週のために用意された。
このバスの中で、数多くの
コマーシャルソングが生まれた。(竹松)
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