三木鶏郎楽団
ダンスホールのジャズバンドに雇われて
ピアノを弾いていた鶏郎が、
バンドマスターのピンハネによる
夜逃げによってバンドを任されることになった。
この時鶏郎は、バンドそのものを
日本初の組合組織にした。
組合長となった鶏郎は、
メンバーにいくつか条件を出したが、
その中に「この楽団がラジオや舞台に
出演する時、三木鶏郎楽団とする」と決めた。
こうして1946年6月30日、三木鶏郎楽団誕生。
昼間は飛行館、夜はキャバレー・マンハッタン、
深夜は米軍キャンプで演奏した。
1948年、楽器を預けていた倉庫が火災に遭い、
すべてを焼失。解散の止むなきに至った。(竹松) |
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