TBS徳川埋蔵金ライブに向けて。
ヘルメットをかぶった
経済番組をご一緒に。

第16回 スタッフの話(その4)

赤城山ではもうそろそろ番組作りがはじまってて、
地鎮祭を行ったり、メンバーが集まってきています。
「やっぱいいね」
「はじまったなあって気がするな」
「出したいねえー!」
穴掘り野郎たちの喋りを横できいてるのは、
とっても気持ちがいいですよ。

あ、そうだ、ローテク「ほぼ日」ではありますが、
大晦日にはなんと生中継をばしっとやっちゃうよん。
本番の前から、終了後の現地の様子まで、
かなりおもしろくお送りする予定。乞御期待っす。
2000年を、徳川埋蔵金&ほぼ日で迎えましょう。


さて今回は、現地で会った埋蔵金スタッフへの
インタビューをお送りします。
まずは、このシリーズに90年当初から関わっている、
プロデューサーの菅野さんです。どーぞ。




「 個人的には神がかり的なものに興味ないですけれども、
今こうして赤城山に戻ってきちゃったっていうのは、
おもしろいなとは感じますね。
埋蔵金に関する縁なのか何なのかわからないですけど、
何かまたやることになっちゃった。
そうなってくるともう、
本のタイトルの「あるとしか言えない」じゃなくて、
「やるとしか言えない」ですね。

ここで大きな穴を掘ってると、地層の変化が見える。
それがおもしろいですね。
僕たちの掘った穴の写真は、今、
小学校4年生くらいの理科の教科書に載ってるんですよ。
「赤城村の地層」なんて書いてあって。
さすがに「埋蔵金発掘跡」とは書いてなかったけど(笑)、
なかなかよかったです。発掘も役に立ってるね。

みんなが穴掘ってる時は外で見てたりして、
食事の時には汁ものを作ってつけたりしました。
ぼくがみんなに食事作ったのは、
根が食いしん坊だから、なだけですけどね。
ジンギスカンやったりしたね。またやりたい。
今度はおでんとかがいいね。あつあつだから。

この番組のシリーズを作る過程では、
たぶん視聴率を意識してというのはあんまりなくて、
みんな、現場が楽しんでいた延長だと思うんですよね。
今回も、そうやって作っていると思います。

番組づくりの上で計算はしないほうです。
単純に自分がどこまで視聴者の目になれるかなあ、
自分が見ておもしろくなければな、とか。
変な話、若い人がどう見るかとかいう計算は
できないほうですからね。
単純に自分がおもしろいと思うか、
不自然じゃないと思うかどうか、で、
ぼくにとっては、それしかないんでしょうね。
意識して仕事のために情報収集をすることはありません。
視聴率の高さを目指す番組ばかりじゃあないですし、
もちろん作る以上は少しでも多くの方に
見ていただきたいとは思うけど、ただ、ぼくの場合は、
自分が視聴者として見て面白いかどうか、なんですね。
こういう点に関してはいろいろな意見があると思いますけど。
計算してCM前はあおって、などを重視する手法もありますからね。
まあもちろんこの番組もそういう要素はあると言えばありますが。

「いい番組」にはいろんな要素があるとは思うんですけれど、
ぼくにとっては、関わった人たちが楽しいというか、
終わった時にみんなが「よかったね」って、
例えば、怪我もなくて、とかでもいいですけど、
途中でいろいろあっても、
最後にはみんなが楽しめてたっていうようなものが
いいのかなって気がしますね。
だからこの番組も同じメンバーで
10年間やってきているのかもしれないですね。
ゴールデンの枠で、2時間半、
女性が一人も出てこないという番組も珍しいよね(笑)。

この世界に入る前は、ばくぜんとですけど、
何でもいいから作る仕事をしたいなと思ってたんです。
それで1978年から「川口浩探検隊」のADになってます。
それが10年続いたでしょ? 他の番組もやってるけど、
「川口浩」のあとでそのまま赤城という流れに近いですね。
今、他には、「神々の詩」などの番組を作っています。

ぼく、ペーペーのADの頃から今まで、
ゴールデンの番組しか知らないんですよ。
ADは6年くらいやってたんじゃないかな。
番組によってはすぐ1年くらいで
ディレクターになったりするのも
あるでしょうけれど、川口隊ってゴールデンで
90分やらなきゃならないっていうのですから。
川口隊のなかでは、視聴率的には一番悪かった
「最後の川口浩探検隊」が一番好きですね。
川口さんが亡くなられる前というのもありますが、
その時に行ったガラパコス島自体も
強く印象に残っています。

番組で取材に行って思うのは、
自然がこわいっていうこととかですね。
自然は優しいっていうのも気づきますし。
あとそうやって旅行していると、
結局、何が幸せなのかなあ、って思います。
こないだチチカカ湖の部族に会いに行きましたが、
浮島を編んで家を作ってそこに住んでるんですよ。
その浮き草を船みたいにしてそこでみんな住んでる。
で、テレビも電気もない生活ですから、
その島しか知らずに死んでいっちゃう人も
多いんだろうけれども、島から一生出ない人も
いらっしゃると思うけれど、
でもそこの子供の笑顔とか見てるとね、
テレビゲームやってる子と
どっちが幸せなのかって思いますね。
彼ら何も知らないと言われるけれども、
それできちんと生きていけている。
欲しいものは島のまわりにあるわけで。
網で魚をすくって食べられるし、
島の中でジャガイモとかも作れちゃうんですよ。
雨季に家があれば沈むわけですが、
そうならないように、なっています。
船みたいに浮かんでいるわけですから、
理にかなっているんですね。

確かに未開の部族のところに行って、
「かわいそうに」と思うときもありますから、
どっちがいいと、いちがいには言えないですが。
めしが食えない、とかありますからね。
まあそういうの見て
うちの子供の食べ物の残し方を見たりするとね、
何ていうかなあ。腹立ちます。
ああいうところでは子供たちにとって、
お父さんがすごく偉いんですね。
尊敬する人って言ったらたぶん
「お父さんお母さん」って言うんでしょうね。」



どういう感じで番組に関わられているか、
なんかよくわかります。ほんわかほんわか。
次にお話を伺ったのは、
こちらも初回から参加の、音声の佐藤さんです。



「泊りがけで何日も続けているっていう
そういう楽しさもあるね。
まあいろんな、ものが出てきたりとか、
穴の跡とかが出てくるときとかね、
けっこう冗談言いながらやってますね、作業は。
取材のはじまり方は、おんなじですね。
まだはじまったばっかりですから、
今回の感触とかはわかりませんけれど、ね。
25年以上経ってますね、この業界入って。
今の事務所に移って丸7年。
音声のコツって言われても
一口には言えないですけど、
人間の耳とマイクって違うから、
自分の耳をマイクだと思わないと、と思います。
マイクってノイズも拾うけど、
人間の耳ってその音をなくすから。」


(っちゅうことで次回に続く)

1999-12-16-THU

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