HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
はたらき方をさがす旅。皆川明さん+松家仁之さん+糸井重里 鼎談
松家
いま「ミナ ペルホネン」や「ほぼ日」で
はたらくみなさんには、
どんな気持ちでいてほしいですか?
皆川
「ミナ」は、そもそもぼくが勝手にはじめたものです。
初期すぐに、いっしょに動いてくれて
いまもついてきてくれているスタッフもいますが、
人数が100人ほどになったあたりから、
みんなの「ついていく」という感覚が
定着しすぎているのが気になりはじめました。

「ついていく」んじゃなくて
自分たちが「やる」という感覚に変えなきゃいけない。
つまりそれは
「ミナ ペルホネン」の責任者になる、
ということです。
いまちょうど、ぼくらがそのように変わる
段階だと思います。
松家
いま、なんですね。
皆川
はい。いま。
これまでうちには、部長とか、副社長とか、
いなかったんですが、
これからはそういうふう名札をつけて(笑)、
背負ってもらおうと思っています。
みんなほんとうによく動いてくれていますが、
もっともっと
「自分たちでやっていいんだ」と
考えてほしいのです。
糸井
「いざとなったら皆川さんがいる」という状態は
すごく力強いけど、
同時に何かが鍛えられなくなりますよね。
松家
「ほぼ日」にも、糸井重里さんという
ふつうの会社にはまずいない、
強烈なリーダーがいます。
「ほぼ日」の社員だったら、
「糸井さんがいなくなったらどうしよう」
と、きっと考えてしまうと思うのですが‥‥。
糸井
たぶんうちのスタッフは
「いなくなったらどうしよう」と、
1年前よりいまのほうが
考えないようになったと思いますよ。
いなくなってもやっていけるように
いっしょにつくってますから。
皆川
はい、うちもそうです。
ぼくが突発的にいなくなっても大丈夫、
という空気を
会社のなかに感じた時期がありました。
だからこそ、あたらしいお店、事業を
はじめようとしている、ということでもあります。
糸井
はたらいている人たちが
「トップがいなくなったらどうしよう」
と考える段階ではなく、
もうすこしだけ落ち着いたところで
眠っていた何かが目覚める、ということが
あると思います。

どこかの高校の野球部の監督の出すサインに、
「考えろ」というサインが
あるらしいんですけどね。
松家
いいですね(笑)。
それ、最高ですね。
糸井
ここで「走る」んだろうか、
どうするんだろうか?!
と、部員が思っているときに、
出ましたサイン「考えろ」!
まいりますよね(笑)。

けれども、思えば、
スポーツの緊迫した場面は、
「考えろ」だらけです。
サッカーでもラグビーでも、なんだって
ひっきりなしに「考えろ」なわけですよ。
そういうアスリート感覚のようなものが
はたらく場所に入っていくのはとてもいいと思います。
そういう目をもって、いまぼくは、
わざとうしろに下がったりしながら
コントロールしています。
これがすごくおもしろくてね。
意外なところに意外なものが
あらわれることもあります。
皆川
ありますね。
松家
会社をみんなに手渡したら、次の段階では
なにをするつもりでいらっしゃるんですか?
糸井
いま、ぼくが受けるインタビューで
最も多いのは、会社の上場についてです。
上場しても「それがゴールですね」というふうに
見られたらかなわないので、
ぼくはしばらく、ものすごくはたらくと思うし、
先の先までやりたいことはあります。
その時間を取るために、
人に渡せるものを渡して、自分は燃料を仕入れる。
これは惜しみなくやりたいのです。
皆川
ぼくはこれまで
型紙ひとつから経営的な数字まで、
細かい質問すべてを受け、
答えることをしてきました。
でも、これからはぼく以外のみんなが
ジャッジをしていく時期です。
どうしたらいいかを考える力を持っている人は
「ミナ」のなかに、じゅうぶんいます。
自分より優秀な人がいると思っています。

いまの規模の「ミナ」にとって、
ぼくのいちばんいい使いみちは何かというと
いいデザインをすること、
デザインを内部に広めること、
その時間がたくさんあることです。
いろんなことのジャッジをするよりも、
デザインをして経営資源をつくっていくこと。
その時間を取ったほうがいいんです。
糸井さんと同じく、ぼくはさらに、
はたらこうと思っています。
糸井
ぼくは、発想のようなものが
仕事だと思っています。
手をくだすことはしないけど、
「あの考え」「あのアイデア」からはじまった、
といわれるようなことをつくる、
それがいちばんの仕事です。
その意味では、引退してこもったりするよりは、
年に1個か2個、
発想力を発揮する原料を取ってくる、みたいなことを
したいんですよ。
皆川
ああ、いいですねぇ。
「call」のことで言うと、
ぼくたちははじめて、カフェをやるんです。
これを新しい扉に位置づけた、
将来に描いている夢もあります。
松家
「call」ができるのは、
スパイラルビルの5階で、
もともとレストランだった場所ですね。
皆川
はい、もともとの
厨房がしっかりあるので、
そこをつくりかえて、お店にします。
糸井
それ、すごくおもしろいですね。
皆川
姉が農業をやっているので、
姉の仲間や全国の産地から
野菜を集めて販売したり、
カフェのお料理に使ったりしよう、とか。
糸井
レストランって、いま
ファッションの人たちが
ものすごく興味を持ってる感じがします。
松家
そうなんですか。
糸井
食の現場は、生のお客さんの生のよろこびが、
「お笑い」の舞台に近いぐらい、
爆発する場所なんだと思います。
洋服は、所持すること、着ること、そして
着て出かけること、にかかわりますよね。
よろこびのさざ波の立つ、川のような
レストランという場所に
皆川さんたちが惹かれる理由は
じゅうぶんあると思います。

レストランで「給仕する」「料理をつくる」ことは、
やっぱりロボットじゃできないんですよ。
そこにも、ぼくはとても興味があります。
皆川
人しかできないことをする、
そのとおりですね。
糸井
ファッションでもそうですが、
大量生産品の良さもあれば、
ふぞろいでも「手でつくったもの」を
ほしくなることもあります。

「あっため直し」でおいしい料理は
たくさんあります。
手づくりの料理は、ひょっとしたら、
ちょっとだけまずくなっちゃうかもしれない。
それも含めて、
人とのコミュニケーションを求めることが
どうしても出てくると思います。
レストランという場所はそれが
うずまく現場になるんじゃないかなぁ。

アホでもいい、何もできなくてもいい、
あなたが人間ならば、ということが
これからの仕事の
大きなテーマになっていくと思います。
松家
「つるとはな」の新しい号
表紙に写っていらっしゃるのは、
藤巻あつこさんという梅干しづくりの名人の方です。
いま、94歳。
藤巻さんは、インタビューの中で
「料理は、自分ではなく
 人を喜ばせるためのものだ」
とおっしゃっているんです。
糸井
ああ、そうですね。
松家
これね、ぼくはけっこう心にきました。
そうか。
料理って、食べるのがうれしいわけだけど、
おいしく食べてもらうとことは、
ほかに置き換えられないよろこびなんだな、
ということを感じました。
皆川
うん、そういうことですよね。
糸井
人がやることはすばらしい、ということは
いまの社会、なかなか肯定されません。
しかし、人間が人間をもてなす、ということが
商売のはじまりだとすれば、
人をよろこばせる食べもの屋さんは、
一周めぐって、とても未来的な商売だと
いうこともできると思います。

もうひとつあるとすれば、ぼくは個人的に
「ペット」だと思っているんです。
病気だった犬が死んじゃうことは、つまり、
いちばん役に立たないものが
亡くなるということです。
そこの悲しさに人は心をくだくわけで、
そのあたり、工業社会全盛時代には、
ないことにする傾向にあったと思います。

「よろこびを中心にした発想」で
「はたらく資源」を考える。

ぼくが生きてるうちにはわからないかもしれないけど、
こういうはたらき方がもっとさかんになって、
おもしろくなっていくといいなぁ。
松家
これから先、まだまだ
糸井さんと皆川さんのまわりで
はたらくことの、いろんな価値が
生まれてくるんだ、ということを改めて感じます。
皆川
「つるとはな」という雑誌自体も
ほんとうに斬新ですよ。
糸井
今日は「つるとはな」の話を
あまりできなかったなぁ。
もっと言いたいこと、あるんだけどな。
松家
ありがとうございます。
ぜひ、皆川さんの募集要項とあわせて
「つるとはな」第3号
みなさまにごらんいただければと思います。

皆川さんの募集要項、ほんとうに
宛先しか書いてないんですよ。
ふつうは少なくとも履歴書をつけてください、とか、
あるじゃないですか。それが一切ないんです。
なんとなく落ち着かない気分ですが、
だからそれこそ、これから先は
「考えろ」ってことですよね。
皆川
ひねくれてるかもしれないですけど、
応募する方に
便利じゃいけないと思ったんです。
糸井
そうですね。
応募する人にも、社員にも、
サインは「考えろ」です。
松家
はい、ほんとうにそうですね(笑)。
本日はありがとうございました。

(おしまいです。ありがとうございました!)
2016-07-04-MON
©HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN