第4回 本は、リトマス試験紙ではないから。
----糸井重里によるまえがき(4)
『チーズはどこに消えた?』という本が
ベストセラーになって、話題になりましたよね。
「あんな幼稚な本!」とバカにする人も、
かなり多いわけですけれども、
ぼくは、あの本の力をまじめに見たいんです。
あの本って、書いてある内容としては
「動かないで考えていても、
頭のなかの世界からは、抜け出せないよ。
外に出ていかないとわからないことだらけだから、
それを、やりましょうよ」
ということに尽きるわけですよね。
だけども、あの本って、
本の読みかたを、何層にわたって
最初と最後に丁寧につけていることが、
やはり、すごかったと思うんです。
こう読めるよ、という例をたくさん出すことで、
「どんなに幼稚だとバカにされてもいいけど、
これくらいの読みかたは、してもらえるよね」
というところまで持っていっているんです。
つまり、読んで内容を理解してくれる人の数を、
きちんと増やす努力が、払われていますよね。
ぼくなんかが読むと、実はあの本って、
まえがきとあとがきのほうが、
本文よりも、おもしろかったりするんですよ。
「あのくらい丁寧にしないと、
ものごとって、ほんとうに
伝えることはできにくいんだなあ」
と、このごろ、考えているんです。
あの本を、IBMの人とかが社内に配った、
という逸話もあるじゃないですか。
そこも、おもしろかった。
コンピュータのメーカーの人たちは、
それこそ、システムとかアルゴリズムとか、
(※ある目的を実現するために
必要な作業の手順を、
明確に示したもののことを、
アルゴリズムと言う。
この場合の「手順」とは、
適当にやるというのではなく、
示してある指示に正確に従えば
誰でもまったく同じ結果が得られるように
詳しく述べられていなければならない)
そういうものを考えながら
いつも仕事をしているわけですよね。
読んで何を感じるのが正解なのかも
書いてあるほうが、
その人たちには、よかったわけでしょう?
そのぐらいにしないと、きっと、本って、
役に立たないものなのかもしれないですよね。
「わかる人にはわかるもの」
に、なっちゃいかねないじゃないですか。
でも、本は、
「知能テスト」ではないでしょう?
わからない人がダメで、わかる人がいいとか、
本を、そんな風に、
リトマス試験紙のようなものにしてしまったら、
やっぱり、つまらないんじゃないかと思うんです。
(つづきます)
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