- 糸井
- 手塚さんは、影だけじゃなく、
目の描き方にも変遷がありますよね。
そのひとつひとつを浦沢さんは
見逃してないんでしょうね。
- 浦沢
- はい、そうです。
アトムって、こういう目をしてますよね。
- 糸井
- はい。
- 浦沢
- 手塚さんは
『ビッグX(エックス)』のときも、
こういう目を描いていました。
『火の鳥』のヤマト編、宇宙編あたりで、
ちょっと‥‥こんなふうに。
- 糸井
- 横に伸びるんですね。
- 浦沢
- 1960年代後半あたりからでしょうか。
1970年に入って復活編にもなれば、
もっとタッチが変わっていきます。
- 糸井
- うん、もう、ぜんぜん違いますね。
- 浦沢
- 手塚プロダクション編の
『原画の秘密』を見るとわかるんですが、
『ブラック・ジャック』第1回目の
初登場の原稿なんですが、
目を小さくする修正を
なさっているところがあるんです。
絵を時代に合わせていく、
手塚先生的なやり方だったんでしょう。
- 糸井
- 眉の形も変わっていきますね。
- 浦沢
- 時代が「劇画」になりつつあるところに、
手塚先生が、どのぐらいコミットできるか、
ということだと思います。
背景もどんどん
リアリズムのほうに歩み寄っていきました。
劇画というものと、いちおうは対向して
やっていく姿勢だったとは思いますが、
自分のなかでどこまでできるか、
チャレンジなさっていたんでしょう。
- 糸井
- 手塚治虫さんの、あの忙しさの中で、
新しい方向にちょっとでも向かおうとすることが
すごいですね。
- 浦沢
- マンガ界の中で、手塚先生ほど
絵柄が変化した人は
いないんじゃないかなと思います。
すごくフレキシブルでした。
- 糸井
- 変わることで、
手塚治虫であり続けられた、
という人なのかもしれないですね。
この目‥‥いま、ここで気づいたんだけど、
戦後日本とアメリカの関係を
まさにあらわしていますね。
- 浦沢
- はぁ、あの‥‥?
- 糸井
- あの‥‥えーっと。
- 浦沢
- 糸井さん、描いてみてください。
- 糸井
- 本職の前で‥‥。
- 浦沢
- いやいや。
- 糸井
- じゃあ、描きます(笑)。
おおもとに、この目があるんですね。
- 浦沢
- はい、はい。あります、あります。
- 糸井
- ミッキーの目ですね。
で、これをマルで囲むと、杉浦茂さんになります。
ミッキーの最初の頃は、
目がパックマンみたいだったりするんですね。
で、手塚さんの初期は、
このミッキーの、パックマンの流れだと思います。
- 浦沢
- そうですね。
- 糸井
- これがどんどんどんどん、
劇画を媒介にして、
『ゴルゴ13』のような切れ長に至るわけです。
マンガの中の動きも、ギャグもぜんぶ、
アメリカの動画の描法でした。
そこから手塚さんが離脱していくプロセスが
見てとれるような気がします。
それはマンガだけじゃなく、
電化製品から何から、
全部がそうだったのかもしれない。
アメリカのデザインで、
アメリカから来たものをそのまま使っていました。
それが唯一の価値だった時代から、
日本ならではのデザインや生活を作っていく。
その歴史と手塚さんの「目」の変遷が
重なるんじゃないかなぁ。
- 浦沢
- いわゆる、日本マンガの
オリジナルなかたちになっていく、
ということですね。
- 糸井
- はい。
いまの日本のマンガは、
途中からアニメーションが入ったことで、
もうひとつ分岐があると思います。
アニメーションは、
大量生産するための記号化が含まれますからね。
でもそれ以前の、
個人がマンガ家として描いてきた絵の変化は、
アメリカと日本の関係に
とても符合するんじゃないでしょうか。
- 浦沢
- アメリカから取り入れた
「初期のマンガの絵」は、
1枚でもTシャツのイラストになる感じがしますね。
- 糸井
- なりますね。
- 浦沢
- マンガひとコマを取り上げて
カレンダーになったりもします。
『タンタン』もそうです。
1個で充分イラストになるような、
「一枚絵」として存在感が強いのが、
アメリカやヨーロッパのマンガです。
- 糸井
- ああ、まったくそうですね。
- 浦沢
- けれども、
日本のマンガは「連なり」なんです。
- 糸井
- うん、うん、そうですね。
- 浦沢
- 1枚ずつ絵を取り出しても、それでは弱い。
くり返しめくっていくことで魅力が出ます。
日本の場合は、連なりになればなるほど、
ページ単位で成立させていく。
そういう方向に、日本のマンガは
どんどん向かいはじめました。
(最終回に、つづきます)
2016-08-09-TUE
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN