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最終回食い入るようなファンの目で。

糸井
劇画のあとに、アニメが入ってきたことで
また新しい流派が生まれましたね。
「ぼくの代わりにほかの人が描いても、
 『巨人の星』は成り立ちます」
という文化が入った気がする。
そこからちょっと、
描法についてのDNAが
途絶える気がするのですが。
浦沢
いや‥‥ところが、そうじゃないんです。
あの、これを語りはじめると
長くなりますが、大丈夫ですか。
糸井
トークイベントの時間は
あと10分しかありませんが(笑)、
ぜひお願いします。
浦沢
わかりました。
当時、『巨人の星』のアニメを制作していたのは
「東京ムービー」でした。
ぼくは当時10歳ぐらいでしたが、
『巨人の星』は、東京ムービーが
4チームか5チーム編成で
描いているんだと見抜きまして。
糸井
わはははは。
浦沢
作画がうまい人、普通な人、下手な人がいて、
それがローテーションで放映されている、と
子どもながらに思っていました。
で、指折り数えていくと、
花形満が大リーグボール1号を打つ回は、
下手な人になっちゃうわ、と焦りました。
糸井
順番から考えると。
浦沢
そうです、「やばいぞ」と。
「あの人であの回がもつのか?」と
子どもながらに心配していました。

ところが、合間に
「何だその話?」というような、
もとのマンガで見たことのない、
たとえばグランドキーパーのおじさんの話の回みたいな
アニメのオリジナルの物語が
挿入されました。
「これが入るってことは、
 もしかするとあのうまい人が、
 花形の大リーグボール1号の回を描くんだ」
と、わかりました。

そしてそのとおり、
クライマックスはいちばんうまい、
荒木伸吾さんが担当なさいました。
ビデオがない時代だったので、
荒木さんが描いた
花形満が大リーグボール1号を打つシーンを
ぼくは、もう、じーーーーーーっと見ました。
糸井
画面を観察してたんですね。
浦沢
はい。そして、
放送が終わるやいなや、新聞広告の裏に、
花形が打つ瞬間のアニメのセル画を、
「こうなって、こうなって、こうなった」
「こうなって、こうなって、こうなった」
と、何枚も何枚も、描きました。
糸井
すごいですね。
浦沢
いまもそれは、描けます。
糸井
すごい(笑)。
大量生産したはずのアニメなのに、
作画に個性が出てきてしまうんですね。
いま、それを描いてくださる、と‥‥?
(場内に拍手が起こる)
浦沢
はい、ではいま描きます。
花形が、こうして‥‥。
糸井
すでに花形を感じます。
浦沢
花形が、こういうふうになって
こういうふうになって、ここにボールが当たる。
そして「ウニッ」となるんです。
それで、こんな感じで。
糸井
うおぉぉ。
浦沢
ボールがこうなって、
「ウーーン、カッキィーン!」
糸井
いい!
浦沢
これは小学生のときに何度も描きました。
糸井
作画演出というジャンルが、
マンガにもうひとつ生まれたんですね。
いやぁ、よくわかりました。
浦沢
そうなんです。
「こんなふうに描くと、
 人間にはこんなふうに見えるんだ」
ということが子どものぼくにもわかって‥‥。
糸井
うれしかった?
浦沢
うれしかったです。
自分の作品にも
応用して入っていくことになったと思います。
糸井
ぼくは、マンガがアニメになったときに、
がっかりしたタイプの人間でした。
ぼくが親しんでいたマンガの
「うまいへた」または「好き嫌い」の世界は
手塚さんが中心だった。
それが手塚さんから離れていくと
「違うな」と思っていました。

そうやって
「このくらいの完成度でいこう」という基準が、
アニメの分野でなんとなくできてきて、
違和感を覚えたぼくは、
それ以上近づこうとしなかったんです。
でも、浦沢少年は違う。
浦沢
貪欲にいきました。
「おもしろいアニメだなぁ」と思って見てると、
いつも最後のスタッフロールに
みやざきしゅん‥‥? って人の名前がはいってるな、
と思ってたり。
糸井
宮﨑駿(はやお)さんですね。
録画もできない時代に、
目をこらして、そこまで見てたんだ。
浦沢
見てました。
おもしろいと思うアニメは
たいてい同じ名前のメンバーが作っていました。
糸井
動画になってからも
浦沢さんの追跡は続いて、
どんなふうにマンガが分類されても、
あらゆるジャンルのものを
まんがファンの目で見ていった、
ということなんですね。
浦沢
そうですね。
糸井
その「ファンの目」が
いまも過去も、
すべての浦沢作品にいきてるんだなぁ。
いやぁ、今日はおもしろかったです。
そろそろ時間なんで、終わりにしないと‥‥。
浦沢
はい、そうですね。
しゃべりすぎました。
ありがとうございました。
糸井
ありがとうございました。

(おしまい)

2016-08-10-WED