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糸井 |
『わが家の歴史』のように、
歴史の年表を組み込みつつ、
それをホームドラマのかたちで
しっかりと表現していくっていうのは
そうとうたいへんなことだと思うんですが、
そのあたりはいかがでしたか。
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三谷 |
やっぱり、いろんな意味で難しかったですね。
まぁ、僕個人があんまり
そういうものをやったことないっていうのも、
もちろんあるでしょうし。
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糸井 |
誰しも、あまり経験がないタイプの
ドラマですよね。
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三谷 |
ただ、まるごとではないけれど、
部分的にはこれまでの経験が活きていて。
たとえば『新選組!』で培った経験は
今回、すごく活きてると思います。
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糸井 |
ああ、なるほど。
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三谷 |
『新選組!』も、
近藤勇という庶民から見た幕末、
という感じでしたから。
そういう視点を得たときに
なにが助かるかというと、
「近藤勇が知らないことは
描かなくていいんだ」っていう
安心感みたいなものが生まれるんです。
それで時代や歴史がのびのび描けるというか。
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糸井 |
そうか、そうか。
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三谷 |
この『わが家の歴史』も、
それに近いものがあったかもしれないですね。
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糸井 |
そうですね。
主人公の一家は、昭和の歴史の中心にいて
だいたいのことを目撃するんですけど、
本当には、それの意味することを
知らないですよね。
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三谷 |
うん。
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糸井 |
新聞読んで、ああだこうだと言うだけで。
でもそれは、庶民が目撃する歴史の
いちばんリアリティーのある姿かもしれない。
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三谷 |
ええ。
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糸井 |
重岡さんは番組のプロデューサーとして、
このドラマを実現させる難しさについて
ある意味、三谷さんよりも
現実的な部分で心配していたと思うんですけど
いかがでしたか。
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重岡 |
おっしゃるように
最初はすごく難しいと感じていました。
歴史を組み込んでいくドラマということで
最初、わたしが想像したのは
『フォレスト・ガンプ』の
ようなものだったんですね。
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糸井 |
ああ、『フォレスト・ガンプ』。
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重岡 |
はい。でも、あの映画は、
たしかに歴史上の事件や人物が
絡んでいくんですけど、
主人公のガンプが知的障害者である
という設定によって、
ひとつひとつの事件を重くならないようにして、
全体をうまく成立させているんです。
それを、今回のドラマでは
どうしたらいいんだろうかと。
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糸井 |
なるほど、なるほど。
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重岡 |
歴史的な事件であるとか、
当時の社会的な状況というものに
主人公たちはどういう思いを持って、
どうリアクションしていくのか。
そういうところを描いていくのが
すごく難しいだろうなと思いました。
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三谷 |
『フォレスト・ガンプ』の場合は、
そこを主人公の設定によって
ファンタジーにしているんですよね。
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重岡 |
そうなんです。
それを、ふつうの家族を主人公にした場合、
どうやって成立させるんだろう、と。
ですから、じつは私は、
そこの想像がまったくつかなかったものですから、
当初、この企画に反対していたんです。
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糸井 |
あー、そうでしたか。
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重岡 |
ですから、糸井さんがさきほどから
おっしゃってくださっている
「平熱」とか、「寄りすぎない距離感」とかは、
この企画を成立させるために
必要なものだったんだろうなぁと
いまさらながらに感じています。
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糸井 |
そうかもしれないです。
妙な抑揚をつけていって、
「歴史に翻弄される庶民」みたいなところを
軸にしちゃったら、
描けないことはないのかもしれませんけど、
あの長さを、楽しめないですからね。
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重岡 |
そうですね。ええ、ええ、はい。
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糸井 |
その意味では、あの家族は、
ひいてはこのドラマの総体は、
影響されてないとさえ言えるんですよ。
社会や、歴史に。
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重岡 |
ええ、ええ。
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糸井 |
それはでも、
そうとう知的な抑制によるものでしょう。
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重岡 |
そうですね。
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糸井 |
あの家族がひとつひとつの事件や、
それこそお金がないというような状況に
影響されてたら、もたないですよ。
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重岡 |
そう思います。
一方で、家族の外にいる人たち、
たとえば主人公の元婚約者の
玉山鉄二さんなんかは
歴史や社会に「影響される人」で。
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糸井 |
そうですね、そこは対照的に描かれてますね。
ですから、このドラマにとっての
玉山さんの役割って、ある種、犠牲者ですよね。
ドラマを成立させるための人柱みたいな存在で。
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重岡 |
ええ、ええ。
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三谷 |
玉山さんと長澤まさみさんが
家族の外にいる人たちなんですよね。
あのふたりが、いろんな人生を歩んで
どんどん成長していくんですけど、
この家族って、けっきょく、
ほとんど成長しないんですよね。
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糸井 |
(笑)
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三谷 |
サザエさん一家みたいなもんで。
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糸井 |
そうですね。まったくそうですね。
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三谷 |
家は何度も引っ越すけど、
ぜんぜん何も学ばないんですよ、あの人たち。
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糸井 |
(笑)
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三谷 |
でも、そういう人たちが主役だからこそ、
こう、俯瞰で描くことができたっていう。
ただ、それで「8時間もつか」っていうのは、
不安は不安だったんですけど。
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糸井 |
いや、「それでもつか」っていうのは、
たぶん、三谷さんの中には、
「もたせるぞ」っていう確信なり決意が
あったんだとオレは思うんですよ。
だって、そうじゃないとはじめられないから。
たとえば、あの一家の経済状況って
極端な幅がありますよね。
一時期は大金持ちで、それがぜんぶなくなって、
運動会の応援に行けないくらい貧乏になる。
あの人たちがそれをちょっとでも恨んだら、
それこそドラマが「もたない」わけだから。
だからこそ、あの家族は成長しない、
平熱の一家なんですよ。
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三谷 |
うーん、そうですね。
そういう意味ではこのドラマは
じつは『フォレスト・ガンプ』と
同じ構造なんですよね。
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糸井 |
ああー、そうかそうか(笑)。
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三谷 |
歴史や社会に動じない家族が
真ん中にいるから成立するという。
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糸井 |
でも、なんていうんでしょう、
それがやっぱりふつうの家族なのかもしれない。
戦争が起ころうと、終わろうと、
今日の晩ご飯はどうしようかね、っていう。
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三谷 |
そうですね。
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糸井 |
あの、こんなところに急に持ち出してくる
名前じゃないかもしれませんけど、
吉本隆明さんっていう人と話をしていると、
「明日のことしか考えない
ふつうの人生が100点なんだ」
っていう言い方をされるんです。
それを100点とすると、
マルクスとか、そういう、
いわゆる特別な偉い人は0点だと。
だから、そういう意味では、
あのサザエさん的な家族は
100点満点なのかもしれません。
(つづきます) |