『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者の皆様へ>
選挙で多忙を極め、
今回は選挙中のエピソードを
書かせてもらいました。
大好きな大先輩
筑紫哲也さんのエピソードです。



多事争論の謎


選挙番組というのはテレビ局にとって一大イベントだ。
プロデューサー、ディレクター、記者を始め、
技術や美術のスタッフ、
コンピューターグラフィクスの専門家、
票読・当確の担当者から
入社予定の大学生、アルバイトまでかき集め、
合わせると関わる人間は数百人にのぼる。
それだけの人が番組に関わって調整していくのだから、
当然進行のリハーサルも長くなる。
そしてそれは出演者にとっては
待ち時間が長いことを意味する。

TBSの選挙番組は筑紫哲也と田丸美寿々を中心に
私も加わって進行する。ここ数年はずっと同じ布陣。
待ち時間には様々なおしゃべりをすることになる。
 
前々から不思議に思っていることがあった。
筑紫の多事争論だった。
『筑紫哲也ニュース23』には
『多事争論』というコーナーがある。
筑紫がテーマをフリップに書いて提示し、
画面に向かって論を展開する。
話すコラムといったところだろうか。

ご存じの方も多いと思うが、
たとえば最近で言えば参議院選挙を前に
『戦略投票』というテーマを出していた。
筑紫は今回の選挙の選択の難しさの例をあげたあと
次のような内容を言う。

政治の世界には戦略投票という言葉がある。
それは自分が誰を支持するかだけでなく、
望ましい状況を作り出すために
自分の票を動かしてみる投票行動だという。
選挙は1票と言うが、
参議院選挙は比例と地方区で2票ある。
これを使い分けるも戦略投票のひとつではないか。
そしてこう締めくくる。
「どういう方法をとるにしろ、
 今度の選挙で求められているのは、
 有権者の賢さであることになんら変わりはありません」
その間、およそ80秒。
筑紫は一度も下を見ず画面を向いたまま話し続ける。
このコーナーはほぼ毎日だ。

毎回見るたびに思った。
「どうして毎日できるんだろう。下書きしてるのかなあ」
私も『ニュース23』のスタッフだったのだが、
番組立ち上げの時のことで
そのころ多事争論のコーナーはなかった。
スタートははっきりしないが4,5年前ではないだろうか。
最近、番組は3000回を迎えた。
よって多事争論はごく少なく見積もっても
1000回はやっている計算になる。

1000回だ。
自分がコラムのネタを1000回探さなければならないと
考えただけでくらくらしそうだ。
しかも毎日だとするとそれこそ私なら逃げ出してしまうだろう。
なぜ毎日なんてことができるのか。そして下書きは?
長く思っていた多事争論の謎が、
どういうわけか選挙の待ち時間で解けることになった。

去年の衆議院選番組の放送開始2分前。
大勢のスタッフが動き回る広々したスタジオは
緊張に包まれていた。
すでに筑紫もキャスター席に座っている。
私も隣に腰を下ろした。あとは本番を待つだけだった。
そのときだった。
ふと筑紫の横顔を見たときその謎を思い出したのだ。
なぜだかわからない。ふと訊いてみようかなと思った。

「筑紫さん、前から聞いてみたかったんですが、
 多事争論、あれ下書きしてるんですか」
本番前のあまりに唐突な質問に筑紫は驚く様子もなく、
にこやかに答えた。
「え、してないよ」
「下書きなし?」私は繰り返した。
筑紫はうなずく。
「メモは書くんですか?」私は訊ねた。
「メモもないんだよ」
「頭の中でこういうこと言おうと考えて、
 ぶっつけ本番で話すんですか?」
「まあそういことになるなあ。
 だから話しながら途中で結末を変えたりする時もあるし、
 なんだか、『しめ』がうまくいかなかったりすることも
 あるんだよ」
 筑紫はそう言ってにやっと笑った。
「ちゃんとうまくおさまっているように見えますが・・」
「そうでもないんだよ」
筑紫は照れたような笑顔を見せた。

私は驚いていた。下書きもメモもなし。
それを80秒で『落ち』までつける。
そんなことよくできるなあ。
言葉は違うかもしれないが、
これはもうほとんど芸の域に達しているのでないか。
その時、スタッフがスタジオ中に響くほどの大きな声をあげた。
「本番1分前です」
そして開票番組があわただしく始まった。

今回の参議院選挙でも筑紫のそばに座った。
今度は本番1時間ほどまえ。
事前収録のVTR撮りの待ち時間だった。
ふと思いだしてまた訊いてみた。
「筑紫さん、多事争論って
 どんなきっかけで始まったんですか」
「ああ、あれは僕が思いついて言ってみたんだ。
 番組もだいぶ長くなってきて
 何か新しいものをって皆で探していたときだったかな。
 言ってはみたけど、まあ皆で話してみて
 別にやらなくてもいいし、
 どっちでもいいって言ったんだよ。
 その後ちょうど夏休みをとっていて帰ってみると、
 やりましょうって。それで始まったんだ」

「最初からメモも書かずですか?」私は訊ねた。
「最初はメモを書いてみたんだけど、そうすると
 どうしても読むような喋り方になってしまうんだよね。
 だからやめたんだ」
筑紫は思いだしながら言う。私は続けた。
「ネタはいつ考えるんですか」
筑紫は深々とイスに座って冷たいお茶を飲みながら言った。
「いつだろう。決まってないなあ。
 これにしようと思っていてもスタジオに向かって
 歩いているうちに気が変わったりするんだよなあ。
 番組の最中に別のものに変えることもあるんだよ」
「え」と驚く私を見て筑紫は続けた。
「その時のニュースの動きとか、
 番組の流れとかを見ているうちに、
 別のテーマのほうが番組にしっくりはまると
 思ったら変えるんだよ」
ほとんど即興のコラムを毎日、口にしているということだ。

「よく時間内にいつもおさまりますね」私は訊ねた。 
「最初始めたころ
 テレビでひとりが話してあきられない限界は
 1分だって言われていたんだ。
 でも始めたときはそのタブーを無視して90秒にしたんだ。
 途中から短くされちゃって80秒になったんだけどね」
筑紫はおだやかに笑った。 
「時間です。もうしめてください。という合図がでて
 あわてて終えることもあるんだよ」
とてもそうは見えないと言おうとしたところで
「スタンバイお願いします」というスタッフの声が響いた。

筑紫は日本を代表するキャスターであると同時に
おそらく有数のコラムニストでもある。
テレビで語るのはある意味恐いことだ。
いったん口から出た言葉は
決して消しゴムで消すことはできない。
それをテレビでこれほどの長きにわたって
下書きもなしに視聴者に向かって語りかけているのは
テレビコラムの新しい分野のように思える。

どうしてそれほど話すことがあるんだろう。
ジャーナリストとして人間としての引き出しが多い
と言ってしまえばそれまでなのだが、
それにしてもだ。
多事争論の謎はまだ残っている。

次の選挙が来たら訊いてみるとするか。






『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2001-07-31-TUE

TANUKI
戻る