『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

ファイトクラブ

最近ふたつの映画を観て驚いたことがある。
ひとつは『ボウリング・フォー・コロンバイン』。
言うまでもないが、アカデミー賞をとった、
マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画だ。

1999年4月にアメリカ・コロラド州の
コロンバイン高校で起きた銃乱射事件を入り口に、
「なぜアメリカは銃による殺人が多いか」
というテーマを追っていく。
マイケル・ムーア自身は当初「銃が多いため」
という答えを胸に携えて取材に臨む。
ところがカナダでは銃が多いにもかかわらず
銃犯罪が少ないばかりか、
自宅のドアの鍵すら閉めない人が大勢いる現状を
目の当たりにし、銃の多さだけではないと思い始める。
結局アメリカ人の精神構造、
恐怖心に問題があるのではないかと、
ムーアは我々に問いかける。

映画のストーリーとは別に、ふと気になったのは、
コロンバイン高校で銃を乱射したあと
自殺した少年が密かに練っていた計画だ。
少年のひとりの寝室から、
爆弾などで500人を殺すという計画が
書かれたメモが発見された。さらに最終的な計画では、
『飛行機をハイジャックしてニューヨークに突っ込む』
ことまで考えていたというのだ。
映画では聞き逃してしまいそうなほど、
さりげないナレーションで語られた
このエピソードに驚いた。

ニューヨークへの同時多発テロが起きたのは、
2001年9月11日。
一方コロンビア高校で銃乱射事件が起きたのは
1999年4月20日。
同時多発テロから1年半ほど前に、
少年たちは飛行機をハイジャックして
ニューヨークに突っ込むアイディアを
持っていたことになる。

こうしたアイディアが
それまで全くなかったわけではない。
トム・クランシーの『合衆国崩壊』では、
日本人の機長が日航機を操縦して
ひとりで『ワシントンDCの議事堂』に突入する。
同時多発テロの映像を見て、
この小説を思い出した人も居るに違いない。

さらに実際のテロリストが
こうした計画を持っていたことも明らかになっている。
93年に起きたワールドトレードセンター爆破事件の
容疑者として翌年フィリピンで逮捕されたテロリストらは、
次のような計画を警察官に語っている。

「旅客機に普通の乗客として乗り込んでハイジャックし、
 『ペンタゴンやCIA本部』に激突する。
 10人にも及ぶ中東系の仲間が
 アメリカでパイロットの訓練を受けていた」
さらにワールドトレードセンター爆破について
「2本のタワーが倒れ込むような形で爆破させたかった」
とも語っている。
つまりワールドトレードセンターを倒すイメージを
持っていたということになる。
(こうした経緯は青木冨貴子氏の
『FBIはなぜテロリストに敗北したのか』に詳しい。
ちなみに青木冨貴子氏はあのピート・ハミルの妻)
事実ならば9・11テロのアイディアは
事前に全て出そろっていたことになるが、
これだけの重要情報を結局FBIも生かせなかった。

こうした計画が当時アメリカで報道されたのか、
一般の人の耳に入っていたのかは定かではない。
銃を乱射した高校生、
コロラド州の小さな町に住む高校生が、なぜ
「旅客機をハイジャックして『ニューヨークに』突っ込む」
というアイディアを持ったのだろう。
小説からなのか、田舎の高校生が耳にするほどに
アメリカ人の中では知られたアイディアだったのか、
あるいはインターネットなどで
裏情報として囁かれていたのか、
他にそうしたアイディアを示した本や映画があったのか、
それとも自分で思いついたものだったのか。
そしてそれはなぜ『ニューヨーク』だったのか。

もうひとつの映画は『ファイトクラブ』だ。
ブラッド・ピットが出演するこの映画では、
アメリカ社会のシステムに
組み込まれて日常を生きる男たちが、殴り合うことで
生きる実感を取り戻す秘密クラブに入る。
そしてニューヨークにある
10の金融ビルディングを爆破し、
社会システムを崩壊するテロ計画に
荷担していくというものだ。
退屈な日常を送る主人公のサラリーマンと、
マッチョなタイプの男(ブラッド・ピット)が
正反対のタイプとして描かれていくが、
実はテロにひた走るブラッド・ピットは
主人公が幻想で作り上げた
もうひとりの自分にすぎないことが、
映画の終盤になって観客に提示される。

ラストシーンはひどく印象的だ。
ブラッド・ピットが
主人公の口の中に拳銃を突きつけて言う。
「(爆破まで)あと3分だ。どうする?
 (Three minutes. This is it.)」
さらに続ける。
「すべてが、こっぱみじんだ
 (The biginning. Ground zero.)」
9・11のテロのあと、
幾度となく耳にした「グランドゼロ」という響きが
ブラッド・ピットの口から発せられる。

最後の場面では、主人公は恋人と一緒に
ビルの崩壊を目の当たりにする。
窓の外で、ニューヨークの10の高層ビル群が
次々崩れ落ちていく。
倒れるのではなく、崩れ落ちるのだ。
まさに9月11日、あの日の映像だ。
9・11の映像を見て、
ファイトクラブを思い起こした人も多いだろう。

『ファイトクラブ』が公開されたのが
1999年10月15日。
9・11の2年前、
コロンバイン高校銃乱射事件の半年後だ。
ちなみに、原作の小説ではニューヨークの高層ビル群に
爆弾を仕掛けるところまではあるが、
ビルが崩れ落ちるところまでは描かれていないという。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』の
高校生のテロ計画と
『ファイトクラブ』には、ひとつの共通点がある。
いずれも、外からのテロではなく
『内』からのテロであることだ。
コロンバイン高校乱射事件の犯人の高校生2人は、
学校でいじめにあっていて、
うちひとりは事件の数日前、入りたかった海兵隊から
不合格通知を受け取っていたという。

ファイト・クラブの主人公は、
自動車会社でリコールの査定の仕事をしている。
出張に追われるが、
警備員付きのコンドミニアムに住むなど
経済的には満たされている。
だが、つまらない日常の中で
「世界をぶっ壊したい」という願望を密かに持つ。
どこまで主人公の幻想でどこまでが現実か
わからないようなストーリーになっているが、
人間が誰しも持ちうる破壊願望を暴力的に表現している。

いずれもアメリカに住む一般のアメリカ人が
テロを画策する。
つまり『内』からのテロであり、
対象は9・11と同じ『ニューヨーク』だ。
 
我々は9・11以降、
以前よりアメリカについて考えるようになった。
イラク戦争に至っては
『アメリカとは何者なのか』という問いかけを
自分自身にするようになった。

9・11テロがなぜ起きたかという問いに
ひとつの答えを出すのは難しいが、
どう控えめに言っても
背景には明らかに反米感情がある。
突出した軍事力を背景に、
自分の価値観を世界に押しつけるアメリカは許せない、
と思う人々が居たとしてもなんら不思議はない。
それが、大義のためなら喜んで自分の命も捧げる
人々の思想と結びついたとしたら、
想像を超える事態が起こりうるのも、
今となっては想像できる。

アメリカから見ると、
それらは『外』からのテロだった。
9・11以降、議論の中心は、
アメリカ帝国主義が世界の他の国々にどういう影響を与え、
どんな反発を受けているかということだった。
いわば西欧近代の価値による文明が、
中東やアジアなどの固有の文化と
摩擦を起こしうることが改めて認識され、
議論されたのだ。
それはもっぱらアメリカと
『外』との関係性においてだった。

だがふたつの映画を見るうち、
自分の中でアメリカの『内』なるものが
抜け落ちていたことに気付くことになった。

アメリカは世界の縮図だという言い方がある。
インディアンを除くと全員が移民の国だ。
世界に例がないほど、
アジア系、イスラム系、ヒスパニック系など
多様な民族がひしめきあっている。
当然、様々な軋轢も生まれる。
そうした異なる文化や宗教をもつ人々を束ねているのは、
星条旗への忠誠など国家への帰属意識と、
自由と民主主義という理念だろう。

固有の文化と摩擦を起こしうる
『自由と民主主義』という価値を、
半ば強引に輸出しようとして摩擦を生むアメリカが、
『自国の内部には世界の縮図を抱えている』実情を、
どう考えればいいのだろうか。

『アメリカミニズムの終焉』など
現代文明におけるアメリカを論じている佐伯啓思は
『新『帝国』アメリカを解剖する』(ちくま新書)
の中でこう述べている。
「『多様な世界』とそれにも関わらず『中心にある西欧』、
 こうした二重構造化された論理を具現化した社会、
 それこそが『アメリカ』だったのではなかっただろうか。
 世界の構造は、実はアメリカ社会の構造でもあった。
 多様な民族を文化を許容しつつ、
 その中心にあって、社会統合の責任を持つものとしての
 西欧文化(いわゆるWASP)、
 この二重構造を社会の原理としているのが
 『アメリカ』という社会に他ならないのではないか」
 (WASPとはW=ホワイト、AS=アングロサクソン、
  P=プロテスタント)

『中心にある西欧』とは、
ヨーロッパが中心という意味でなく、
『アメリカが実践している西欧的な価値観が
 他より優れているという確信』と捉えるべきだろう。
白人の比率が下がり
有色人種の比率が増えているアメリカ社会において、
支配層にとっては西欧的な価値を
どう守っていくのかは重要な問題なのである。
佐伯啓思も論じているように、
アメリカがいま世界に輸出している問題は、
実はアメリカの『内』なる問題と
言ってもいいのではないだろうか。

「飛行機をハイジャックしてニューヨークに突っ込む」
計画を立てていたコロンバイン高校の高校生も、
「金融の中心であるニューヨークの10の摩天楼を
爆破し崩れさせた」ファイトクラブの主人公も白人だ。
アメリカ的な『自由』は、人種に関係なく
確実にはっきりした勝者と敗者を生む。
90年代に激しくなった金融などの
グローバルな自由競争は、
さらに極端な所得格差を生み出した。
民族の摩擦に加え、経済的な勝敗が入り乱れて、
アメリカ社会はより複雑な様相を呈することになる。

高層ビルが次々と崩れ落ちる
ファイトクラブの夜景のラストシーンで、
主人公は隣にいる恋人にささやく。
「これからはもっとうまくいくさ」
映画では崩壊はあまりに美しく描かれ、
それが主人公の幻想に過ぎないことを暗示する。
しかしアメリカが直面する問題は、
もはや幻想などではないのだ。

2003-06-03-TUE

TANUKI
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