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| 『ぼくは見ておこう』 松原耕二の、 ライフ・ライブラリー。 |
60年目の検閲 「とても驚き不安になりました。 ぞっとしましたよ」 81歳になるグラント・グッドマンは、 机のひきだしから一通の封書を 引っ張りだしながら言った。 手紙が届いたのは、 2005年の12月の終わり。 封が一旦あけられ 緑のシールが貼ってあった。 シールには『国家安全保障省』 と記されていた。 国家安全保障省は9・11同時テロのあと ブッシュ大統領が作った巨大組織で、 テロや災害などに対処することを 目的としている。 ブッシュ大統領の掲げる対テロ戦争の中で、 国家安全保障省は 中心的な役割を担っていた。 「確かなのは手紙が開けられていた ということです。 誰かが中を見たということでしょう。 開けられていたんですからね」 グッドマンは憮然として言った。 「なぜあなたの手紙なのでしょう」 と私は訊ねた。 「わかりません。 もし私がテロリストと疑われていないなら、 開けられるでしょうか。 あるいはアメリカに対する 脅威になりうる人物から、 私が手紙を受けとっていると 思われたのでしょう」 グッドマンはカンザス大学の歴史学の元教授。 差出人はフィリピンのやはり元大学教授の友人、 手紙は小さく薄っぺらなものだった。 「私はアメリカ政府が こんなことをしているとは知りませんでした。 初めての体験でした。いろいろ考えた末、 これを公にすることにしました。 アメリカ国民はこうしたことが 行われていると知るべきだからです」 グッドマンは地元の新聞に電話をかけ、 顛末は記事になった。地元テレビのほか、 CNNやCNBCなどのニュースチャンネル、 また通信社の記者もカンザス州まで 彼を訪ねてきた。 手紙の検閲に怒れる老人という物語は、 メディアにとってタイミングとして悪くなかった。 おりしもブッシュ大統領が、 礼状なしで国内の盗聴を許可していたことが 大きな問題なっていたからだ。 裁判所の礼状なしに 国内で盗聴をすることは許されていない。 ブッシュ大統領は法律を破ったのだから、 ニクソン大統領のように 辞任すべきだという声まであがっていた。 これに対してブッシュ大統領は 「大統領の権限をどう使えば この国に隠れている敵を察知し、 あらたな攻撃を防ぐことができるのかが、 9・11以降、政府にとって大きな課題だった。 アメリカ国民の命を守るためだ」 と盗聴の正当性を主張していた。 実はグッドマンは第2次大戦中、 検閲をする側にいた。 アメリカ軍兵士が戦場から出す手紙の中に、 敵に知られてはいけない重要な情報が 含まれていないか、 開封してチェックする仕事をしていたのだ。 その彼が60年たって 今度は逆の立場におかれることになった。 「私自身が検閲官でした。 アメリカ軍の兵士が、軍の機密情報を 漏らしていないか探るためでした。 私はたくさんの仲間の手紙を読みました。 おぞましい実にいやな仕事でした。 人の手紙など読みたくはありませんでした。 しかし私は確信していました。 自分たちの仲間が、 敵に情報を与えるわけがないと。 しかし今回の状況はまったく違います。 戦争とも関係なければ、 敵とも関係ありません」 第2次大戦のあと、グッドマンは GHQの一員として日本に1年滞在、 マッカーサーにあてた 日本人の手紙の翻訳も行った。 カンザスの彼の家には、 古めかしいポスターが何枚も貼ってあった。 日本人への憎しみをかきたてるのを目的とした、 戦時中のアメリカのプロパガンダだった。 そんな彼にとって、今の時代に、 しかも国のために尽くしてきたと 信じている自分に対して、 国が検閲をしたことが大きなショックだった。 なぜグッドマンの手紙が開けられたのか。 国家安全保障省に問い合わせてみた。 担当者は 「個別のケースについては 一切コメントできない」と、 にべもなかった。 ただ海外からの手紙を開けることは 違法ではなく以前から行っていること、 その数や検閲をする基準、 具体的な作業内容については 一切言えないとのことだった。 9・11のあと手紙への検閲は増えているのか との質問に対しても、 答えられないというのが答えだった。 そして最後にこう付け加えた。 「開けることはできますが、 裁判所の礼状がなければ読むことは 許されていませんので、 読んではいません」 「信じますか」 私はグッドマンに訊ねた。 「ナンセンスです。 なぜ読まないのに開けるんですか。 何のために開けるというんでしょう。 この中に麻薬でも入っていると 言うんでしょうか。 何の麻薬ですか」 彼は薄い封筒を手にとって わずかに声を荒げた。 「とにかく私には、読まないのに 開けるというようなことが、 想像できないのです。 読んでいないと言われても、 確認のしようもありません。 なぜ私の手紙をあけようと思ったのか、 あけて閉めただけなのでしょうか。 じゃあ彼らは何をしたかったのでしょう」 グッドマンはあきれたように笑った。 「電話の盗聴、手紙の検閲、 私の知る限りこんなことは かつてありませんでした」 グッドマンは、 ここはアメリカです、 と強い口調で言って続けた。 「おかしいですよ。プライバシーは この国の文化の本質的な価値の ひとつだったはずです。 私もテロを懸念しているひとりです。 ですがテロに対処するのと同じくらい、 プライバシーの保護も重要なはずです」 対テロ戦争のためなら 政府はどんな権力をも行使できる、 こうした空気が9・11以降生まれ、 今もなくなってはいない。 グッドマンの異議申し立ては、 一般市民の中に広がり始めている、 ある種の思いをはっきりと示している。 |
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2006-03-15-WED
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