鳥類学、進化生物学、人類生態学、
地理学、文明史など幅広い分野を
縦横無尽に研究し続ける
ピュリッツァー賞受賞の世界的研究者、
ジャレド・ダイアモンドさんが
糸井重里と対談しました。
とくにおもしろかったのは、
糸井の投げかける問いに
ダイアモンドさんが鮮やかに答えていくさま。
ニューギニアの紛争解決法や、
地理学の大事な教えなど、
興味深い例とともに語られる
ダイアモンドさんの視点は、とにかくクリアで
「物事の考え方」のヒントが詰まっていました。
第6回
いつ生まれたの?どこで生まれたの?
糸井
今日、お話をさせていただいて、
ダイアモンドさんは本当にクリアな知性を
お持ちの方という印象をぼくは受けました。
それで、教えていただきたいのですが、
ダイアモンドさんご自身は、
何が今の自分の形成に
とくに大きな影響を与えてきたと思いますか?

ダイアモンド いい親のもとに生まれ、
育ったことだと思います。
糸井
ああ、なるほど。そうですか。
ダイアモンド 父は医学の研究者でした。
母はピアノのプロでありながら、
言語学者でもありました。
ですので私はかなり幼い頃から
両親、特に母から言葉を教わりました。
そして、ボストンに生まれたこと。
平和な時代であったし、
いい学校に通えたことも、よかったと思います。
また、非常に面白い時期に
ヨーロッパに行けたというのも。
いい妻に巡り会えて、子供二人にも恵まれました。
妻は今も元気ですし。
総じて言うと、
いい時代に、いい場所に生まれた、
という意味で運がよかったのと、
一所懸命やってきたかな、というところでしょうか。
糸井
ご自身のことも、著書での分析のように
まるでいくつもの「条件」が重なった結果のように
お話しになりますね。
「条件」さえ揃えば、まるでほかの人でも
同じような人が育っていたかのように(笑)。

ダイアモンド あ、それについては私、
ある程度そういうものだと思っているんです。
私は現在、カリフォルニア大学で
地理学の教授をしているのですが、
私がとても大切に思っている
地理学のとても重要な教えのひとつに、
こういう言葉があるんです。
「初めて会った相手がどんな人物かを知りたければ、
 聞くべき質問は2つだけだ。
 『いつ生まれたの?』
 『どこで生まれたの?』
 この2つを聞けば、ある程度のことがわかる」
糸井
はああー、なるほどねえ。
ダイアモンド たとえば1937年生まれでも、
ボストンに生まれたか、ベルリンで生まれたか、
東京で生まれたかで、
その後の人生は、ずいぶん変わるわけですよね。
同じベルリン生まれた人でも、
1937年に生まれるのと、1957年に生まれるのとでは
これまた大きな違いであるわけです。
もちろん個人の個性や自由意志というのは
当然ありますし、
1937年にボストンで生まれた人間が
みんな同じかというと
もちろんそんなことはありません。
ですが、
「いつ」「どこで」生まれたかということが
それぞれの人の形成のかなり大きい部分を
占めているのは明らかなんですよ。
糸井
それは人間を「だいたい同じだ」と
大きな括りで捉える考え方でもありますよね。
そして、もしかしたら
それでいいのかもしれない。
ぼくらは「人間」を考えるときに
細かい枝葉のところを
見すぎているのかもしれない、と思いました。
ちなみにその教えは
ダイアモンドさんご自身が考えたことですか?

ダイアモンド そうですね(少し考える)、
‥‥振り返ってみるとおそらく、
私は自分の直接的な経験から
今のことを学んだと思いますね。

私は1937年に生まれ、1957年から62年まで
ヨーロッパで学生をしていました。
若かったので、友達の多くは同年代の人たちでした。
そうすると、1937年にボストンに生まれた自分は、
ほかの多くのアメリカ人の友人たちと同じように、
平和な子供時代を過ごしていたのですが、
同じ年頃のイギリス人で、
子供時代にロンドンで暮らしていた友人たちは、
毎晩のように空襲があって、疎開して、
ということを経験していました。
ドイツ人の友達の多くは孤児になって、
あるいは、爆撃を避けるために家を出て、
橋の下で夜を過ごすことが多かったり、
あるいは学童疎開のようなことがあって、
遠くの町に爆弾が落ちて火の手があがるのを見ながら、
「お父さん、お母さんは大丈夫かな‥‥」と
心配するような子供時代を送っていました。
さらにユーゴスラビア出身の友達もいたので、
そうすると彼らが戦時下の4年間に
どれほど酷い目をみてきたかというのは、
もう、言うまでもないわけです。

そうした個人的な友人関係を
さまざまな人たちと結んでいくなかで、私は
「どこで生まれたか、という偶然が、
 大きな差を生むんだ‥‥」
ということを、とても深く胸に刻みました。
糸井
自分と違う境遇の人がいると知るだけでも、
とても重要なことですよね。

ダイアモンド ええ。さらに、ニューギニアを
訪れるようになってその思いは強まりました。
ニューギニアには、とても頭のいい
知的好奇心の旺盛な人たちが大勢いるのですが、
彼らは日々、
サツマイモを育てて暮らしているんです。
そういった人々に出会ったことでも、
「やはり『いつ』『どこで』なのだ」
と、より強く考えるようになりました。
糸井
なんだか、
「人はひとりひとり、みんな違う」
ということと、
「人というものは、おおむね一緒だ」という
2つの要素がいつでも
ダイアモンドさんの中にありますね。

ダイアモンド そうだと思います。
糸井
ぼくは、自分が「忘れてはいけないな」と
よく思い出していることがあるんです。
それは、あるとき交差点で
信号を待ってるときに思ったことです。
信号を待ちながら、自分の周りにも
同じように歩道を渡ろうと
いっぱい待っている人たちがいました。
向こう側にもいました。
車で道を通り過ぎていく人もいました。
そこでぼくは、はたと気づきました。
「この交差点で、ここにいる人たちは
 みんなが違うことを考えているのか‥‥」
当たり前のようですけど、
あらためてそのことをはっきり認識して、
びっくりしました。
それで、今でもその感覚を、
自分の「地図」みたいにしています。
人ってどうしても、
他人が何か考えていることを忘れて、
「自分だけが、何かを考えている」
と思ってしまいがちなので。

ダイアモンド ええ、ええ。
それは、とても大切な視点ですね。
糸井
ありがとうございます。
そして‥‥お時間がきてしまいました。
今日はたいへん長い時間、ありがとうございました。
高校生になったような気持ちで
いろいろと聞いてしまいました。

ダイアモンド いえ、こちらこそありがとうございました。
でも私の感覚では、私の方が高校生に思えました。
好奇心の源は何なのか、上手に導いてくれる先生と
お話ししていたような気分でしたよ。
糸井
いえいえそんな、とんでもないです。
それにしても面白かったです。
改めて学校に行きなおしたくなりました。

ダイアモンド お会いできてよかったです。
糸井
ありがとうございます。
ぼくも、お会いできてうれしかったです。

(ジャレド・ダイアモンドさんと糸井重里の対談は
 これで終わりです。
 お読みいただきまして、ありがとうございました)
 
2014-08-11-MON
(対談収録日/2013年3月)


第1回
すべての原点は、好奇心。
第2回
アメリカから来ました。鳥の研究者です。
第3回
「いまいる自分」から自由になるために。
第4回
価値観は変わる。また、変えることができる。
第5回
「対立」が起きたとき、私たちは。
第6回
いつ生まれたの? どこで生まれたの?