ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第2回
「他人の代表」という集中力
糸井 通訳の人は、
「国が違う」ということの間を、
一瞬にして、つなぐわけですよね。
快感はあるんですか?
米原 そうですね‥‥。

つまり、ふつう、
「つまらない話」って聞かないですよね。
糸井 ええ。
米原 そういう時には、
「単に意味のない音が流れているとして、
 その時間を別なことを考えてやり過ごす」
とか、居眠りするとか、しますよね。

でも、通訳はやり過ごすわけにいかない。

どんなにつまらない、
あるいは難解で誰にもわからない言葉でも、
「とにかくここにいる聞き手全員を代表して、
 私が聞き取らなくちゃいけない」
と思うと、何かを聞き取れるんですよ。

責任感というか、
自分ひとりを代表してたなら聞き逃すことでも、
ほかの人を代表して聞いていると思うと、
ものすごい集中力が生まれて聞き取るわけです。
糸井 「自分の言いたいこと」
なんていうものじゃないですよねえ。
「誰かの言いたいこと」ですもんね。
米原 そうです。
「この人のいいたいことを、
 この人を代表して言う」となると、
「私が自分で自分の言いたいことを
 しゃべるとき」よりも、
もしかしたら熱心に、より正確に、
間違いなく伝えようとするわけですね。
糸井 なるほどね。
それは、何に似たような感じですか?
米原 郵便配達。
「人の手紙」じゃないですか。
それでも、それを必ず相手に届けることを
一生懸命にやるでしょう?
まあ、宅配便でもいいですけど。
糸井 それは、極端に現金書留だったりしたら
よくわかりますね。
米原 そうなんですよ。そういう義務感。

まあ、それで金を稼いでいるから
そうなるんでしょうけれども。

タダでやるときも時々ありますけど、
それでもその立場に立つと、
ものすごく集中力が生まれるんですね。
糸井 ふだんは、集中力のあるほうですか?
米原 いや、ないんじゃないかなぁ。
糸井 ご自分の認識としては、そうなんだ。
米原 時々ありますけども。
同時通訳も、最初にやったときは
「できる」とは思わなかったんです。
糸井 ぼくらには、ものすごいことに思えますよね。
米原 ええ、そうです。
でも、確かにやっている最中、
そうとう集中しているなあと思った
出来事がありまして‥‥。

私、四十過ぎたころ、四十肩になったのね。
あれは、すごく耐えがたいじゃないですか。
寝てても起きてても何しても、
鎮痛剤も何にも効かないし。

本当にいても立ってもいられないんだけれども、
同時通訳中だけは痛みがないの。
つまり、それだけ
集中しているんだなあと思いましたね。
糸井 よく野球の選手が、デッドボールが当たって、
シューッてスプレーをかけて
平気で一塁に行くじゃないですか。

あのスプレー、ぼくは
かけてもらったことがあるんですけど、
ほんとうは、効かないんです。
米原 おまじないなんですか。
糸井 そうでしょうねぇ。
「まったく効かない!」ですから。

その辺にあるサロンパスとか、
ああいうのをかけても同じで、
特に服の上からなんてまったく効かないのに、
みんな、やっていますよね。
米原 でも、本人たちは
効いた感じになるんですか。
糸井 もともと、「イテーッ」っていって、
シューッてやるという儀式なんで、その儀式で
「痛くないことにしよう」ということでしょうね。
それはもう痛みにまったく効かないです、素人には。
米原 でも、プロには効くわけね。
糸井 プロには効きます。
ラグビーのやかんもそうですよね。
“魔法のやかん”という、気絶しても
そのやかんで水をかけると治るというのが
ベンチにあるんですよ。
それもただの水なんですけど、
魔法のやかんという儀式で、かけると治る。
米原 じゃあ、ブラインド療法ってあるじゃないですか。
糸井 ええ、それですよ。
米原 にせものと本物の薬を飲ませると、
けっこう効いちゃうという‥‥。
糸井 「飲ませる」という儀式が大事なんでしょうね。

四十肩って、ずうっと痛いという話は
ぼくも結構聞いたことがありますけど。
米原 なったことない?
糸井 ぼくはないです。
ただ、自分のカラダのことで言うと、
ぼくは昔、ぜんそく持ちだったんですよ。
だけど、テレビのオンエアのときは
せきが出ないんです。
これはやっぱり、気持ちが違うんでしょうね。

「自分の姿が、絶えず写っているぞ」
という状態の時、
緊張しているつもりはないんです。

いつもどこかで、
「これはせきが出たら大変だな」
と思うんだけど、だいたい出なかったですね。
ダメなときは、本当に寝こんじゃうぐらいの時。
それだけすごいことなんだなぁ。

スポーツ選手なんかに近いくらい、
肉体全部が反応しているということですね。
米原 同時通訳も、
脳味噌を、筋肉として使う感じです。

たとえば、
重量あげの選手がバーベルを持ち上げる一瞬だけ、
脈拍が「140」まではね上がるんですよね。

同時通訳中は、だいたい
10分から20分ぐらいやるんですけど、
わたしはその時、脈拍が「160」ですね‥‥。
だから、ものすごく脳のある部分に、
集中しているんだと思うんです。
糸井 「すごい走り」と同じですね。
米原 そうですね。
やっぱり長くは続かないから、
10〜20分ぐらいで交代しています。
必ずブースの中は3人ぐらいで
チームをつくって入るんですけどね。
糸井 もう純粋に血流が
変わっているということですね。
脳にどんどん血液が行ってて。
「160」って、すごいですね!
米原 だから、通訳は入る前に、
まずでんぷんを摂りますね。
でんぷんをとってコーヒーを飲みます。
糸井 正しいですねえ。
甘いものじゃだめなんですね。
でんぷんの糖質じゃないと。
米原 そうそう。
(つづきます)
 
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉