ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第7回
イタコになること
米原 さきほど、「型」っておっしゃったけども、
通訳は、それとは違いますね。
つまり、先ほどいったように、
「字句どおり通訳する」
ということは不可能で、結局は
話し手の言いたい内容を伝えるというのが
いちばん簡単なんだけれども‥‥
その、言いたい内容を伝える時には、
言っている人の立場になる方が早いんです。
話し手の立場になった方がいい。

同時通訳するときには、
何を言うかわからないまま聞いています。
次に何を言うか、予想しながら
文の形をつくっていくわけですね。

そうすると、予想する時には、
その人の立場になった方が
予想しやすい、ということなんです。
糸井 イタコですね。
米原 そうそう、イタコみたいに。
だから「そうなるふり」が必要なわけ。
一方で、それをちょっと突き放して見る立場と、
今度は聞き手の立場と‥‥ぜんぶが必要です。
だから、完全に「型」ではないんですけれど。
糸井 そうか。
米原 それで、とんでもないとおっしゃるけれども、
字句どおり訳すことの方が、ずっと大変なんですよ。
字句どおり訳せる人は、
天才だと私は思うんですね。
糸井 そういう人もいるんですか。
米原 時々いるんです。本当に早口で。
糸井 ああ、そうか。
その場合、「早口」が大事ですね。
米原 早口で、かつ、
聞き取る能力もすごくある人。
糸井 つまり回転数の高い人ですね。
米原 思考の回転も舌の回転も早い人ね。
糸井 そうか。
マシンとしてすごい優秀じゃないと
できないですよね。
米原 できないです。
ただ、そういう人の訳が
わかりやすいかというと、わかりにくいんです。
糸井 長所の中に欠点ありですねえ。
米原 そうなんですね。
糸井 そうでしょうねぇ。
僕は今、聞いているだけで
つらかったですもの。
どのようになさっているかを
説明受けているだけで‥‥。

割と僕は同化するタイプなんです。
米原 イタコ的な才能があるわけね。
糸井 どうもパターンとしては
宗教家タイプなんだと思うんですけど、
相手がつらいだろうなと思うと、
どこかそれを引きずっちゃうタイプなんで。
米原 俳優に、向いているんじゃないですか。
糸井 向いてないんです。
俳優よりもスタッフの側にいるものだから、
「どう自分が下手か」がわかっちゃうんです。
米原 ああ、そうか。
糸井 だから、重心が違うんでしょうね。
でも、きっと俳優さんは
そういうセンスをもっと投げ出せるんでしょうね。
米原 そうですね。
糸井 きょう、ちょうどその話を、朝していたんだけど。

ぼくはたまにお遊びで
俳優の役をさせられる時があるんです。
そういうことは好きだから、カラオケと一緒で、
「やるよ」っていってやるんですよ。
絶対下手なのがわかっているわけだけど、
でも、ものすごく好きなんです。

その話をかみさんは知ってるもので、
かみさんは俳優だから、
「あなた、好きだから」なんて言うわけです。
「もう、おかしくてしょうがない」みたいに。

で、
「何でできるわけよ?
 おまえだって、最初にやったときは
 素人じゃないか?」と訊いてみたら、
「でも、できると思ってた」っていうんです。

その姿勢の差は大きくて、つまり、ぼくは
俳優を「できない」と思ってやっているんですね、
とても好きなのに‥‥。
彼女は、できない時から、
「できた」と思いこんでいるんですよ。

だから、彼女の場合は、今見ると、
とんでもない下手くそなのに、その時から、
演技する場面が終わるたびに、自分では
「できた!」と思って帰っていたというわけです。
米原 そうですね。
さめ過ぎてるとできないかもしれない。
踊りでもそうですよね。
自分が夢中になってないと、
人を夢中にさせられないですよね。
糸井 ということは、
米原さんも通訳しているときには、
何かあるモノが憑いているみたいに
なっているんですかねえ。
米原 どうなんでしょうね。
糸井 さっきの神様の立場を
もうひとつ持っているわけですよね。
米原 ただ、本人だけは
「自分はきちんと通訳している」
と思いこんでいるけれど、
客観的に見るとすごい誤訳、というのが
いっぱいあるんですよ、他人のを見ていると。
自分のは棚に上げちゃうんだけれども。

ロシア語だから、おそらく両方できる人は
日本にあんまりいないじゃないですか。
だから、かなりウソを言ってもバレないですが、
そういう誤訳は、やまほどありますね。
(つづきます)
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉