ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第11回
愛と憎悪
糸井 以前に、スポーツ系の方と
お会いして聞いたのですが、
「とっても才能のある選手は
 金メダルを取れない」んですって‥‥。
米原 あ、そうだろうね。
糸井 その人を追い抜こうと思っていた、
「ちょっとマシな人ぐらいの人」が、
自分より先を走っている天才を見定めて
努力していくと、金メダルなんですって。

金メダルの選手って基本的には、
本当に才能のあるやつが先にこぼれてくれて、
その結果、あそこの位置にいるそうで、
その話には、リアリティーありますよね。
米原 ちゃんとできちゃう人は、
それをできるということを、あんまり
ありがたいと思わないという面がありますね。
苦労しないで手に入れるから。

結局、人間って
自分がかわいくて、自分が努力した量が多いほど、
それを貴重に思えるじゃないですか。
糸井 それは、何かを学んでいくときの
大きなヒントですね。
米原 そうですね。
だから、何かたとえば男の人でも、
虫が好かない人の方が、けっこう本当は
よかったりすることある……それはないか(笑)
糸井 男だと、それはないですよ。
米原 ないですか。
でも、嫌いでも好きでも、
気になるんですよね、結局はね。
糸井 そうでしょうね。
たぶん自分にどこかで
一本通じているものがあるんでしょう。
米原 そうですね。
糸井 僕を大嫌いだというメールを送る人って、
僕のことをよく知っていますもん。
ひととおりぜんぶ知っていますもん。
‥‥ほんと、嫌いなんでしょうねぇ。
米原 そうですよ。
「愛」の反対語は「憎悪」じゃなくて
「無関心」だというぐらいだからね。
糸井 そういうことですね。
でも、そいつに愛されたいとも
思わないですけれども‥‥。

やっぱり時間というものがあるんで、
だいたいのケースでは、憎悪したままで、
人間の寿命って来ちゃうんだと思うんですよ。
なおるまでつき合わないもの。
米原 いや、憎悪というふうに
自分は認識しているけど、実は
愛だったりすることはあるんですよ。
だって、そんなに心のエネルギーを
使うわけですから、その人のためにね。
糸井 使っていますよねえ。
命をかけて、エネルギーをね。
米原 通訳するときも、
正反対の人の言葉の方が、訳しやすいんですよ。
すごく微妙に自分の立場と違う人が、
いちばん訳しにくい。
つい間違って自分に引き寄せちゃうでしょう?
だから、本当に微妙な違いの人の言うことを
正確に訳していくことはとっても難しくて
苦労するから、何か憎悪しますね‥‥その人を。
その、「ちょっとした違い」をね。

すごく離れていると、何かとってもラク。
糸井 通訳と通訳の会話を通訳する、
という場面とか‥‥嫌でしょうね。
つまり、スワヒリ語と日本語をしゃべれる人の。
米原 でも、しょっちゅうありますよ、
リレー通訳というの。
糸井 オーッ。
米原 ほとんど国際会議ってリレーが多いですよ。
糸井 そうか。
しょっちゅうあることなんだ。
米原 ええ。
たとえばインドネシア語で発言したら、
インドネシアの人がそれを英語に訳して、
その英語が日本語になって、
その日本語を私がロシア語にするとかね。
それをほとんど同時にワーッとやっていますよ。
糸井 もうイヤ‥‥。
米原 でも、もちろん途中でたくさん、
言いたいことが落ちてゆくんですけどね。
糸井 当然落ちるでしょう。
米原 落ちます。
糸井 スワヒリ語の人とロシアの人の間の違いなんて、
ぼくらには想像できないですものね。
前に話に出た「裸のつきあい」みたいな表現が、
その間に、何度も何度も出てきているかもしれない。
米原 ぜんぜん違う話に
なっていたりする可能性はありますよね。
糸井 何か国際社会って、実は
危ういところでつながっているんですね、思えば。
米原 ええ。
糸井 「私、あなた、好き」
ぐらいのことが、ベースなんですねえ。
米原 おそらくね。
糸井 たくさんのロジックが
やりとりされているんだけど、
やっぱり最終的に、
「よし」「いや、違う」
というところは、大きく感情の
うねりみたいなものが支配しますよね。
米原 そうですね。
人間は理性よりも感情で動きますね。
糸井 そっちの分量の方が大きいですねぇ。
何だこの野郎だとか。
それは現場に行って
絶えず感じていらっしゃるんですね。
米原 いや、国際舞台では、
けっこう、人間は見栄を張りますからね。
だから、かなり理性的な発言をします。
糸井 複雑だなあ。
(つづきます)
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉