米原 |
今までの大臣や首相たちは、
官僚のつくったものを棒読みしてたからね。 |
糸井 |
小泉さんは、やっぱり才能があって、
相当細かいことを聞くような質問に対してでも、
「ワカったワカった」って言って、
「やるっていったらやります!」
とか、意気を出すでしょう‥‥? |
米原 |
そうそう。 |
糸井 |
あれはやっぱり女優ですよね、男優よりも。 |
米原 |
そうね。 |
糸井 |
スゴいですよ。 |
米原 |
ただ、ずうっといつまでも
セリフにすぎないところがね‥‥。 |
糸井 |
きっと、アメリカ人とかは、
話す練習をしてるんでしょうね。 |
米原 |
私がプラハにいたときの授業は、
ペーパーテストは一切なくて、
つまり、マル・バツの選択式はなくて、
「ぜんぶ口頭試問か論文」だったんですよ。 |
糸井 |
へぇー。 |
米原 |
あらゆるテストの、知識の試し方がそう。
だから、人前でしゃべる訓練というのは、
それは国語であろうと、歴史であろうと、
地理であろうと、ぜんぶ、受けましたね。 |
糸井 |
そうか。
その訓練というのは、
さっきの文法の修得もそうですけれど、
日本人は、してないですねえ。 |
米原 |
ええ、してないですね。
ですから、ものすごく受け身ですよね、
日本の試験での試し方って。
つまり、マル・バツというのは、
既にもう答えがある中で選ぶだけだから、
受動的でしょう? 選択式も。 |
糸井 |
「黙ってできること」っていう感じで。 |
米原 |
黙って、つまり、採点するのも
機械でもできちゃうんですよ。
口頭試問や論文式になると、先生は大変なのね。
つまり、責任持って評価しなくちゃいけないから。
マル・バツや選択だと
機械にかけちゃえばできちゃうし。 |
糸井 |
就職試験の面接の練習というのを、
どうも学生さんたちが、するらしいんだけど、
結局のところ、演技の幅が1つしかないから、
熱心という演技しか、できないんですよね。
つまり、下手な役者って
「熱演」するじゃないですか。
結局のところ、魂を込めてっていうのを、
もう熱演でしか表現できない。 |
米原 |
できないんですね。幅がないんだ。 |
糸井 |
だから、バレちゃうんですよ。
ぼくが1回やったことがあるのは、
5人ずつ順番に会議をさせたんですよ。
で、テーブルの端っこに僕がいて、
「こういうテーマで会議してください」
ってやると、熱演できないんです。
「熱演は、演技である」ということが、
バレてしまうから。
つまり、あとの4人に対して
真実味があると説得できない熱演だと、
議論を進行させられないんですよ。
けっこうそれは、よかったですね。 |
米原 |
あぁ、人を見るのにね。 |
糸井 |
えぇ。ただし、
こっちの神経がものすごく疲れますね。 |
米原 |
そうでしょうね。 |
糸井 |
それぞれの採点を
ずっとしなきゃ、ならないから。
でも、ああいう表現力や根っこにある魂って、
実は、ひとつのものですよ、
というようなことを、
ちゃんと教えたいですよねぇ。 |
米原 |
通訳って、人が言っているのを理解して、
それから今度それを
表現しなくちゃいけないから、
「理解するプロセス」と
「表現するプロセス」と、両方があるんです。
これ、違うプロセスなんですよ。
ご存じのように、
理解するときには分析的になるんですね。
で、表現する時には
今度は、統合的になるんですよ。
というのは、
いろいろなものを、ひとつにまとめて
表現しないと、相手に向けては
表現することができないわけですから。
羅列になってしまいますからね、
バラバラの考え、というのは。
日本の学者の発言は、羅列が多いの。
いかに知識がたくさんあるかということは
わかるんだけど、それぜんぶを
1つにまとめる統合力というのがない。
恐らくこれ、訓練をしてないからだと思うんですね。 |
糸井 |
それはやっぱり米原さんの場合には、
小学校3年生のときに、文法という形で
ロジックの組み立て方を訓練したおかげで、
日本語の組み立てにまで応用されて、
今の自分ができていらっしゃる。 |
米原 |
文法というよりも、プレゼンテーションを
毎日、やらされたからですね、あらゆる科目で。 |
糸井 |
いい勉強をしましたねえ。 |
(つづきます) |