ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第14回
ソ連の作文教育
米原 私、3年生まで日本の学校にいて、
中学2年で日本に戻ってきたので、
日本の教育もある程度経験していますが、
日本の作文教育って、
何にも評価の基準がないじゃないですか。

「よくできました」
「大変よくできました」
何がどういいのかというのは
ぜんぜんわからないから、書いて書きっぱなし。

だから、その後に
さらにうまくなる可能性も、ぜんぜんないわけ。
先生の趣味に合うかどうかだけになる。

ところが、ソ連の学校で
受けた作文の授業というのは、例えば、
「じゃあ、友達について書きましょう」
ということになると、名作の人物描写の部分を
ぜんぶ抜粋してきて読ませるんですよ。

例えば「戦争と平和」の
ナターシャ・ロストワという女主人公に
ピエールという語り手が出会う場面の前に、
彼女に関するうわさがあって、
出会って、そのときの第一印象があって、
顔とか口とか目の描写があって、
その後、直接主人公との交流があって、
ある事件があって
主人公のナターシャの成長があってと、
とにかくそういう風に抜粋を読ませて、
その内容の要旨っていうのか、
どんな構造になっているのか、
というのを書かせるわけです。

ツルゲーネフの「初恋」でも何でも、
とにかく幾つか名作を読ませて、それが
どういう構造になってるかというのを分析させて、
じゃあ、あなたがお母さんについてだとか
友達についてだとかいうことを書くなら、
それをどういう構造で書くかと。

まず彼女の評判から書く?
あるいは彼女の目の描写から書く?

そういったことを、
とにかく「構造」をまず書かせるわけ。

構造を書かせた上で、
構造に基づいて、まず作文させる。
当初の構造どおり書けたか書けなかったか、
というのを確認しながら、
じゃあ、構造を変えていくとかいうふうにしてね。
糸井 小学生に?
米原 小学生で。
非常に方法論がしっかりしているわけですよ。
糸井 きっと小学生でもその方法論を、
今みたいな説明では、すぐには理解できないけど、
やらしてみたらわかりますよね。
米原 わかるんですよ。
日本もいろいろすぐれた小説があるわけだから、
たとえば人物描写の部分について読ませて、
「これはどういう構造になっているか、
 ちょっと分析してごらんなさい」
ってみんなにさせたら、
けっこう、やれると思うんですね。
糸井 やれますねえ。
米原 とにかく非常に方法論がはっきりして、
しっかりしていましたね。
物理をやるときには、
物理は何をやる学問かということを
まず徹底的に教えてくれるし。

つまり、化学をやるときも、
物理をやるときも、最初の授業は、
それは一体どんな範囲を扱う学問で、
どういう方法でやる学問かというのを
まずしっかり教えてくれてやっていくという。
つまり、方法論をしっかり教えてくれる。
糸井 だから、日本の作文って
インパクト主義になっちゃうんで、
「泣かせるのがいちばんいい」
ということになっちゃうんですよ。

要するに感情を揺すぶるというのは、
身を切って揺すぶれば一番いいわけで、
極端にいうと、クラスで一番不幸な子が
ありのままを書けば先生に褒められますよね。

でもぼくは、あの構造を
小学校のときから怪しいと思ってたんですよ。
おかしいなあと思ったんです。
だけど、それは‥‥。
米原 それは1回限りで終わっちゃいますからねえ。
糸井 でも、次々に引きずって、
もっと悲しいことを探せば探せるんですよ。

それがどうも子供心にわかったんですよね。
だから、作文がものすごく苦手だったんです。
米原 ああ、意外ですね。
糸井 「そんなのないや!」と思ってたんです。
で、ウソを書かせてくれるんだったら
いいやと思っていましたから、
ウソを書くときだけ、
作文の点がよかったんです。

たとえば擬人法を学ぶからといって、
何かモノを主人公にして書きなさい、
というときは点がいいんですよ。

だけど、遠足に行ったこととか、
父のことを書けとか、全部嫌だった。
本当にいいたくないことの方が、
おもしろいんですよ。
米原 そうそう。
糸井 父親が酔っぱらって
俺に理不尽な怒り方をする、
ということを書いた方が、点数は高い。
でも、俺はそんなことを人に言いたくないんです。

そうすると、作文では書きたくないんですね。
バカは書くんですよね‥‥
「お父ちゃんがこんなこといわはって」
そうすると、いい点数なんです。

だから、裸になるかならないかという、
AVの基準と同じなんですよね。
米原 でも、日本の私小説ってそうですよね。
糸井 そうなんです。
米原 で、はっきりいってつまんないんですよ。
糸井 つまんないです。
米原 私、日本に帰ってきて、まとめて
日本の小説を読んですごいショック受けました。
何てつまんないんだろうと思って‥‥。
糸井 でしょうねえ。
だから、推理小説は形というものが、
ルールが、書いてないけど、
ヒントなしに犯人探しちゃいけないとか、
そういうのがあるから……。
米原 そうそう。
ちゃんと伏線を張らなくちゃいけないとかね。
糸井 そうなんですね。
だから、推理小説のパターンの中に、
自分の持っている文学的な要素を
乗っけていくという作家が、
だんだんふえていってますよね。
米原 ええ、そうなんですよ。
だって、何か苦痛のような、
我慢試しのような感じでしょう?
日本の小説って。
糸井 もっとひどくなると、それが仕事になると、
自分から悲しい目に遭うように生きていくっていう。
米原 そうですよね。そういう作家、何人かいますよね。
糸井 それがまた冒険的に外からは見えますから、
拍手とかするわけですよねえ。
これ、作文教育と同じ構造なんだと思うんです。
米原 ああ、そうですね、そういえばね。

いやぁ、私、作文教育では、あんまり
自分のことを書けっていわない先生だったですね。
だから、個人差があるのかもしれない。
糸井 本当にいいたいことっていうのは、
人に言う時期が来るまでは
言わないというのが人間じゃないですか。

それを先生が出した子を褒めることで
点数高くなるみたいな、あの形というのは、
基本的にはポルノ映画だと思ったんですよ。
若い女の子をだまして
やらしちゃうのと同じですよね。
米原 そうですね。
糸井 そうか、米原さん、
外から来たから、それがわかるんですね。
(つづきます)
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉