糸井 |
ぼくは前に
「保存と運搬をしやすい言葉」
という言い方をしたことがあるんです。
新聞記事というのは、基本的に
保存と運搬をしやすい言葉でつくられている。
それをやりとりしている限りは、
基本的にはおもしろくないんだ、
と思うんです。
「おもしろいことっていうのは
保存と運搬ができないと思う。
でも、保存と運搬のできないおもしろさを
追求すると、いつでも保存と運搬が
できるようになるからおもしろい」
そういう説明をしたことがあるので、
今のお話はすごいよくわかるんですけれども。 |
米原 |
本当に論理と物語というのは、
記憶力のためにあるんだと私は思います。
琵琶法師っていますでしょう?
あの人たちは盲ですし、目が見えないですよね。
で、膨大な「平家物語」を丸暗記しているわけです。
それに、プラトンは、
「ソクラテスがこう言っていた」
といって引用しているんだけれども、
「結局、世界にたくさんいた吟遊詩人たち
(詩をたくさん暗記している人たち)は、
文字が出てきたときには、
みんないなくなってしまった」と。
文字が記憶の役割を果たしてしまい、
記憶を頭の中じゃなく外で外在化して
保存することができるようになったら、
知能を使わなくてよくなったんですよ。
これは物語ですけど、論理にも
そんなことが言えるのではないかと思います。 |
糸井 |
プラトンの時代にもうそんなことが‥‥。 |
米原 |
と、ソクラテスは言っているわけ。
それで、実際に目の当たりにしたんじゃないですか。 |
糸井 |
でしょうね。 |
米原 |
人々が、文字ができた途端に、
どんどん忘れていくという。
人間って基本的に怠け者だから、脳も含めて。
いろんな負担を、
どんどん軽減しようとするんですよ。
記憶力みたいな負担も、どんどん軽減しようとして、
文字を発明して、計算みたいなことも、
今、コンピュータがどんどん
やってくれるようになって‥‥。 |
糸井 |
外部化ですよね、どんどんどんどん。 |
米原 |
本当は脳がやっていた、いわゆる
雑用部分をぜんぶ機械に任せてしまって、
最も創造的なクリエイティブなところだけを
脳がやる‥‥おいしいところだけ‥‥というふうに
人間は、していますよね。
だから、肉体労働だけじゃなくて、
脳の雑用もぜんぶ、何かに任せてしまう。
でも、おそらく創造的な力って
記憶力と、すごく関係していると思うんですよ。 |
糸井 |
そういう本を出したばっかりです。 |
米原 |
ああ、海馬の。 |
糸井 |
はい。
あれは見事に、そういうことを言っています。 |
米原 |
そうですよね。
いろんな情報処理の雑用とか計算能力とか、
そういったいろんな筋肉を使っていて、
そのベースの上に創造力って花開くんです。
今、どんどんどんどんそれをそぎ落として、
創造力だけを残そうとすると、
ちょうどキャベツか玉ねぎみたいな感じ、
まんなかに、何が残るの?ということに
なっていくんじゃないかという気がしますね。 |
糸井 |
まったくそうです。
方法の記憶と、名詞であらわされる記憶に分けて、
名詞であらわせる記憶をすらすらいえる人は
「博学」だとかいわれるわけですね。
それは本当はあんまり意味がなくて、
外在化できるんですね。
だけど、その材料を
方法として使う記憶というのは
外在化できないんです。
自転車に乗るだとかというのは。
そういうことをつなげると、
無限に脳は発展していきますよ、
という話なんですけど、まったく記憶なんですね。 |
米原 |
それで、ギリシャ神話のミューズっていますよね。
文学・芸術の女神たち。
これは、ゼウスという万能神と
ムネモシュネという記憶の女神との
子どもたちなんですよ。 |
糸井 |
見事だなあ‥‥。 |
米原 |
だから、音楽とか学芸とか、
それぞれが受け持つ神様が
9人ぐらいいるんですね、ミューズって。
クリエイティブな能力というのは
記憶力と非常に関係してるって、
ギリシャ人は既に知っていたわけね。
ところが、我々、それをどんどん
コンピュータにあげちゃっているわけ。 |
糸井 |
だから、いわば「モノの記憶」は、
外在化しても引き出せればいいんですけれども、
記憶として非常に保存しにくい
不定形な記憶みたいなものというのは、
もっと増えないとつまんないんですよね。 |
米原 |
ただ、不定形な記憶すらも、
モノの記憶に乗っかってあるから、
モノの記憶をなくすと「ない」んですよ。
記憶というのは、入れ物というか、
乗りものみたいなものなんですよね。 |
糸井 |
さっきの通訳の話に戻すと、
1回は人のせりふでも覚えない限り
訳せないですもんね。
そこのところを通過してないで、
誰かに渡すわけにいかないということだね。 |
米原 |
そうそう。
きちんと本人が言葉を出した時の
プロセスをもう一度経なくちゃいけなくて、
面倒くさいようですが、
その方が実は早いんですよ。
翻訳も、一字一句表現だけ拾っていくよりも、
きちんと中に入れて出した方が、なぜか早い。 |
糸井 |
それはすごいよくわかる。
だけど、米原さんは両側にすごい広いですねえ。 |
米原 |
何が? |
糸井 |
おっしゃっていることの
ロジック至上主義者のほうと、
そうではないほうとの。 |
米原 |
ああ、そうですか。
糸井さんの反応もすごいですね。
この話をしておもしろがる人は、
はじめてですよ、私。 |
糸井 |
おもしろいですもん! |
米原 |
そうですか。 |
糸井 |
つまり、ぼく、落語がものすごく好きなんです。 |
米原 |
声にした、文字にならない芸術ね。 |
糸井 |
そこではまったく内容がないものでも、
ある感情なり、ある感覚なりを、
まずは一気に共有してしまって、
あとは忘れてしまってもいいという、
時間の流れそのものを楽しむわけですね。
筋を知っていても、
もう一回聞くというのは音楽と同じで。
あの言語の使い方というのは
ものすごく魅力があって。
で、これを否定するもの、
というのは嫌なんですよ。
ぼくの中にそれはいちばん
強くある気持ちなのかもしれません。
同時に、感情でものが
どんどん動いていっちゃって、
論理のふりをして
実は感情で動いているものに対して、
とても嫌だなあと思っているんです。
ぼくは「嫌だなぁ」から出発する人間なので、
「勘弁してくれよ」
「居心地わるいなぁ」と、
寝ている時の「寝がえり」みたいな感じで
自分の興味があるんです。
今のお話なんかは、
どっちかじゃだめなんだという話が
絶えず流れているんで、僕が時々
「そうですね」というと、
必ず米原さんの方からもう一つ
違う方向の話が出てくる‥‥この循環性みたいな、
楕円の構造みたいな世界観が、おもしろいですね。
ぼく、ああした楕円の構造で物をとらえていて、
2つ軸がないと個性って出ないんだと思うんです。
中心点が1個だけだと‥‥。
そこがわかり合えると、すごく気持ちいいんです。 |
米原 |
ああ、なるほどね。
私はどちらかというと3つ点がないと不安で。
2つだと逃れようがないんですよ。
2つの関係というのは直線で。
三角形だと、ちょっと
ずれることができていいんですよ。 |
糸井 |
それ、改めてまた考えてみます。 |
米原 |
三角形が一番いいんです。 |
糸井 |
今まで、2つの中心点で
世界観を持つというのを
ずうっと僕のメソッドにしてきちゃったんで、
3つを考えてみます。 |
米原 |
トライアングルがねえ。 |
糸井 |
もしかしたら、自分も2つと思って
3つを考えていた可能性もあるんですよね。 |
米原 |
そうです。
自分が1つめで、あとの2つを
見ているんじゃないでしょうか。 |
(米原万里さんと糸井重里の対談は
これで終わりです。
お読みいただきまして、ありがとうございました) |