ほぼ日WEB新書シリーズ
人を表現するのに、
天才だの達人だの鬼だの名人だのという
冠になるような言葉があるのだけれど、
米原万里さんのような人は、
どう言われるのだろうか。
高等数学の記号を扱うような
細密さで言葉をあつかい、
しかも笑顔のような見えない言葉も見逃さない。
米原さんの本を読んでいたら、
すごい人だなぁということはわかるのだけれど、
じかにお会いして、正直言って、ぼくは圧倒された。
こういう人に会うのは、初めてのことだった。
米原さんの冠が、
天才なのか達人なのかわからないけれど、
数十年後にも確実に残っている人なんだろうなぁ
ということは、つくづく思った。
そんなぼくのショックが、
伝わってくれたら、おもしろいんだけど。
────糸井重里
第1回
もうひとつの世界を持つということ
糸井 外国語を勉強することって、
世界観をもうひとつ持つということだと思うので、
ぼくなんかは、その「冒険物語」に対して、
いちばん興味があるんです。

語学をやって、どう苦しかっただとか、
どう良かっただとか。
とにかく、外国と日本のまんなかに、
ものすごい川が流れていますから‥‥。

ある国と日本の
どちらもちょっとずつ知っている人なら、
たくさんおられるでしょうけれど、
米原さんのように、
世界をふたつ重ねて見るという人になることは、
とても難しいはずですよね。

ドップリ入らないと、ふたつの言葉を
使っていくことは、むずかしいんだと思うんです。
米原 通訳をやっていく場合には、
両方とも、ほぼ同じレベルで知らないと、
雇ってもらえなくなりますから。
糸井 ‥‥あ、単純に、職業として、
そういうものなんですか?
米原 そうです。
両方ともちょっとずつ知っているというかたちで
お金を稼ぐ通訳は、できるのかしら?
糸井 いや、ぼくは、
「ほとんどはそうだ」
と思って見てるんですけどねぇ。

たしかに、どんな世界でも、
ピンからキリまであるのでしょうけれど、

「観光案内に出ているようなことを知っていれば、
 だいたいは、チャラッとごまかせちゃう」
というところがあるんで‥‥。

翻訳をなさっている場合なんかだと、
自分が背景を知らなかった場合には
改めて解訳したりとか、
そういうこともあるくらいですよね。
米原 でも、観光案内って相当難しくて。
糸井 本当は、そのハズですよね。
米原 ええ。
かなり難しいですよ。
日本語でやるとしても、
東京を案内するとしたら、
通訳より難しいと思いますね。
糸井 怖いなあ。
米原 つまり、通訳するときには
「もとの発言」があるから、
それを別な言語に移しかえていけばいいわけです。
話し手依存型で話をつくっていけばいい。

だけど、案内するときには、順序からはじまって、
「ある建物の何について話そう」とかいうことを、
ぜんぶ自分で組み立てなくてはいけない。

だから、何語でやるにせよ
観光案内は、難しいんじゃないかしら。
ロシア語でやるにせよ、日本語でやるにせよ、
最初からものをつくるって大変だと思いませんか。
糸井 大変ですね。
聞き手の方の興味がどの辺にあるかと、
いうこともありますし‥‥。
16世紀の話をいくらしても、
聞きたくない人には仕方がないですし。
米原 そう。
観光案内の場合は、
「あの建物何だ?」って聞かれたときに、
「知らない」っていっちゃだめなんですよ。
糸井 米原さんも観光案内は、なさった?
米原 何でも、したことはあります。
ロシア語はとても政治的な言語で、
国と国との関係が悪くなると、
途端にあらゆる交流がなくなって、
仕事もなくなるんです。

そしたら、通訳だけでは生きていけないから、
ガイドをやったり、翻訳をやったり、
何でもやるわけです。

知らなければ、知らないでいいんです。
「あれは通産省のビルです」とか、
「ああ、あれは建設省です」とか、
「あれは家庭裁判所です」とかいっちゃえば。
だって、ほとんどの人は
二度と日本に来ないんだから。(笑)
糸井 そうか。
米原 うん。
「何だかわからない」というよりも、
名前をいった方がいいんですけどね。
糸井 通産省のビルかどうか
知りたいとも思ってないかもしれない。
米原 そうそう。
ただ、家庭裁判所とは何か、
というのを話せばいいわけですよ。
これは未成年者と、それから離婚問題、
基本的にはそれを扱う裁判所ですとか。
糸井 丸暗記風に、「いつできた建物で」とか、
「最初に何々総理大臣のときにどうだ」
とかいうことって、知っていると
妙に押しつけたくなるじゃないですか。
米原 言いたくなりますよね(笑)
糸井 あれ、こっちとしては
えらい迷惑なときが多いですよねぇ、
正直に言うと。
米原 ええ、退屈なことが多いですね。
日本語のガイドさんの話を聞いていると、
だいたいそれが多いですものね。
糸井 多いですねえ。
そうじゃない人もいるんでしょうけど。

薬師寺の高田管長、
あの方が修学旅行生を案内するのを、
ぼくは直に修学旅行生として
味わったことがあるんですけど、
これはおもしろかった。

お寺をまわるなんてことのは、
高校生には、何の興味もないわけですよね。
それを、あの坊さんは
何ておもしろいんだと思って、
いつまでも覚えていましたね。
米原 それで、その話の内容も
覚えていらっしゃるでしょう?
糸井 いや、内容は‥‥
実は「スカート」という
言葉ばっかり覚えていましたね。
「屋根がスカートになっている」

坊さんの口から関西弁で聞く
「スカート」っていう響きが、
声の質まで含めておもしろかったんですよ。
米原 比喩が斬新ですよね。
糸井 そういうことですねえ。
そういうたとえ話も、結局、観光というよりは
伝えるということのアイデアだから、
これはほかの人に案内されたら
覚えてないんだろうなあと思っているんですけど。
(つづきます)
 
 
2014-08-17-SUN
(対談収録日/2002年10月)


第1回
もうひとつの世界を持つということ
第2回
「他人の代表」という集中力
第3回
大事なところを掴めばいい
第4回
無難な翻訳=誤訳
第5回
真意をごまかさない方がいい
第6回
どれだけ自分を殺せるか
第7回
イタコになること
第8回
神と透明とのジレンマ
第9回
ロシア語の地獄
第10回
オクテの方が、完成度は高い
第11回
愛と憎悪
第12回
感情をこめると、相手に通じる
第13回
熱演だけじゃ、説得できない
第14回
ソ連の作文教育
第15回
書く訓練
第16回
グローバルスタンダードはない
第17回
日本の特色を聞かれたら
第18回
ロジックは記憶の道具
第19回
記憶は創造の源泉