ほぼ日WEB新書シリーズ
糸井重里がブータンに行く直前、
解剖学者の養老孟司さんに
お会いすることになりました。
ブータンに何度か行かれ、
とても詳しい養老さんに
いろいろ教えていただこう、
という趣旨だったのですが、
脱線していった話のおもしろいこと!
昆虫、国語、左脳と右脳、そこに生まれる穴、
系統樹、分類学、コンピュータ、人間関係‥‥。
そして、出てきたキーワードは「アミノミズム」。
第4回
人間が悩むということは。
糸井 ツイッター文化に慣れてくると、
最後は、瞬発的な悲鳴の
連続になっていくんですね。
で、圧倒的にそっちが強いんですよ。
ロジックをしゃべろうとする人は
そこに嫌気が差しちゃうんです。
悲鳴に巻き込まれて。
これは気をつけなきゃいけないな、
と思ってて、
カギはなんだろうなと考えたけど、
それをつなぐのはアートなんですよね。
アート&サイエンスなんですよ。
まさしく。
養老 うん。
糸井 で、文学の領域が、両方を見渡せる
唯一の高台じゃないかなぁ、と思っていて。
悲鳴は文学じゃないですから。
いま、インテリが
いままでさんざん悩んできたテーマばっかり
ずーっと書き続けてる理由は、
そこの高台で見てるのかなと思って。
じゃあちょっと、うちはゆっくりに進めて、
ツイッター的な悲鳴から一回、
距離を置こうとしてるんですけど。
養老 大事なことだと思います。
アートとサイエンスの話でいうと、
例えば、意識の問題を
議論しようとすると、
たいていね、いわゆる
エセ科学になってしまうんです。
糸井 ああー。
養老 当たり前でね、
きちんとした論文書いて
研究費をもらって論文書いて、
給料で仕事をしてる科学者は、
左脳を重視するんですよ。
糸井 そうでしょうね。
養老 そうやって働くためには、
論理的に一度決めたらそれで進める、
というようなやり方が前提になるんです。
糸井 うん。
養老 だから、
目の前の現実を吟味できないんですよ。
そうすると、自分の範疇以外のことに結び付けて
なにか創造していくことができなくなる。
「俺たちみたいにきちんと仕事してないから、
 あれはエセだ」と言うんですよ。
糸井 うんうん。
なるほど。
養老 わかるでしょ(笑)。
左脳でばかり考えるとそうなってしまう。
糸井 ああー。
養老 でも、システムは必ずそうなっていきます。
糸井 うーん。
養老 だから、いまのアートとサイエンスの話は
文学や感性といった、
右脳の領域になると思いますよ。
糸井 うんうん。
で、ただの原始人じゃないから、
科学者の言ってること理解するっていう脳を
もう1つ持ってますから、
引き裂かれるわけですよね。
文学っていうのは、その引き裂かれがないと、
通用しないっていうことですよね。
養老 左右の大脳半球が分かれる
「分離脳」って知ってますか?
左右の脳は、脳梁という線でつながってるんです。
それが切れている状態です。
そうすると、右と左が別々に動くわけです。
一見しただけではわかりません。
糸井 ああー。
養老 ところがね、おもしろい患者がいて、
前に、アメリカ人で、
左右の脳を分離した人がいるんです。
血管腫を外科の手術で取ったときだそうです。
すると、外に出るとき靴下を履くのに、
10分ぐらいかかってしまった。
糸井 ほう‥‥。
養老 で、本人は脳をやられたから、
手がうまく動かないとかね、
勝手な理屈を後から考えるんです。
それをテレビカメラを横に置いて、
何をしているかずっと撮すんですよ。
で、解析するとよくわかるんです。
左脳は右手に、外に行くために
靴下を履くよう指示を出していますから、
右手は一所懸命に足を持ち上げて
靴下を履いているんですよ。
ところが、同時に左手が脱がしているんですよ。
糸井 えっ(笑)。
養老 だから、履けない。
糸井 手伝ってくんないんだ。
養老 手伝ってくれないならまだしも、
逆さまのことをやっているんですよ。
糸井 あ、そういうことか。
養老 そう。
だから10分も掛かっちゃうんですよ。
なんとか悪戦苦闘の結果、
靴下と靴、履くでしょう。
で、外出しようとするわけですよ。
そうすると、住み慣れたうちなのに、
ドアノブを掴んで、「開かない」と言うんですよ。
録画を見ると、
本人は気がついてないんだけど、
右手がドアノブを開けようとしてるのを、
左手が押さえてるんですよ。
糸井 へぇー!
養老 右脳と左脳はおそらく
多くの場合、競合の関係にあるんですよ。
この場合は、左右の情報交換ができなくなって、
それぞれが別のことをしてしまう。
中枢での
競合関係で、
一番よく知られているものに、
両眼視野闘争があります。
糸井 うんうん。
養老 左右の目に違うものを見せたときに、
どちらかだけ意識に上ることです。
時間が経つと上がってくるものも変わる。
1つの物を両目で見ますよね。
同じ物を、右脳でも、左脳でも見るわけです。
しかも、たとえば左手前にあるものを、
ぼくが見るときに、
右目の外側の視野に入ると同時に
左目の内側の視野にも入ってるはずですよね。
糸井 はいはい。
養老 わかりますでしょ。
糸井 わかります。
養老 左目の内側の情報は、右脳の方に入って、
右目の外側の情報も、同じ脳に入る。
同じ像が脳に入ってくるわけですけど、
右と左から、右左、右左、右左、右左
って、1ミリぐらいの幅で、
皮質が順繰りに入ってるんですよ。
問題が起こるのは、
眼軸がずれている場合で、
ずれている方の目が競争で、
負けてしまうんです。
そうすると、左がずれているとすると、
互い違いに右左、右左、右左
ってなってたのが、右、右、右‥‥、
になってしまう。見えない部分が出るんです。
糸井 はい。
養老 そんなふうに目を例にしても、
左右は案外、競争関係にあるんです。
一番おもしろいのは、意識的に考えている以上は、
われわれが論理的に考えて
正しいと言っている答えは、
あくまでも左脳の働きなんですよね。
糸井 うんうん。
養老 意識の限界までくると、
正しいか、正しくないか、
よくわかんないわけですよ、結局。
糸井 最後に、なんらかの形でジャッジが
あるわけですよね。
養老 そうそうそう。
糸井 ジャッジは、両方の矛盾のままになされてる。
養老 だから、人間が悩むという場合は、
まさにその競合なんです。
結局、あっちこっちで抗争が起こって、
それを悩むと呼んでいるわけですよ。
糸井 うんうん。
養老 論理的にはこうしなきゃいけない、と、
左脳は納得していても、
実際にそれをやると、
血圧が上がって入院するようなことになっちゃう。
糸井 なっちゃう、なっちゃう。
ジャッジは何がしてるかというと‥‥
養老 わかんないんですよ。
糸井 わかんないんですか。
養老 ジャッジがあるって考えが
おかしいんじゃないですか。
網の目なんですよ。
全体としてこうなったというしかないんです。
糸井 つまり、“仕方なく”っていう
形を取ってるわけですね。
養老 よく言えば“必然”ですね。
全体としての必然で決まってくる。
糸井 だから立場をどかないんですね、みんな。
養老 (笑)。どうなんでしょうね。
歴史が入ってますからね、
立場となると。
糸井 そうですね。
そこに依拠しないと
自分としては決められないから。
養老 そうそう。
できるだけ判断を外に預けておいて、
左脳的に言えばシステムや法律で、
がんじがらめにしていくでしょう。
だから、ぼくは文明というものが滅びるとしたら
考えによってはその自縄自縛が原因になる気がします。
同じシステムを踏襲して
ずーっとやっていくことになるから。
糸井 おもしろ怖いですね。
養老 人間の作り出すものには、
肝心なところにどこか必ず穴がある。
その穴は本人にはわからないんです。
だって、機械を見ても、
今日は顔色が悪そうだな、
とかわからないじゃないですか。
それが多少出ている世界でないと
人間とはものすごく、折り合いが悪いんですよ。
(つづきます)
2014-08-20-WED
(対談収録日/2011年6月)


第1回
他の人になれないから。
第2回
英語と日本語、どうだっていい。
第3回
「それは管轄外です」
第4回
人間が悩むということは。
第5回
系統樹から網の目へ。
第6回
アメリカ文化を壊すもの。
第7回
弱点が関係をつくる。