糸井 |
アミノミズムってだいたい
日本語の凄さですよね。 |
養老 |
うん。 |
糸井 |
誰の影響も受けずに
普遍的な名前をつけてしまう。
養老さんも使っていいですから! |
養老 |
はははは。 |
糸井 |
系統樹ではなく網の目だ、
こういう考え方が
養老さんの著作の中に出ているんですか。 |
養老 |
ない。 |
糸井 |
まだそのことは書いてないんですか。 |
養老 |
書いてないです。
だっていつも、ぼくは
自分の仕事の範囲の中に
きちんと収まってこないと
言わないんですよ。 |
糸井 |
そっか。 |
養老 |
網の目っていうのも、
昔からそう思ってるんだけど、
うまく収まらなかったんですよね。
それがだんだんねぇ、
確信が出てきたっていうか。 |
糸井 |
年取れば取るほど、
一番深いところで、
バーンって言えるように
なっていくっていうのも、
アミノミズムの影響ですかね。 |
養老 |
(笑)それは‥‥どうかな? |
糸井 |
細分化していくじゃないですか、
若いときの研究って。
でも年を取ると‥‥ |
養老 |
当然ですよ、それは。
細かいところは全部落っこって、
ボケる寸前みたいになるんだ(笑)。
そうすると逆に
ジャマなものがなくなる
っていうのはあります。 |
糸井 |
思いっきり言えるようになる。
で、その頃になると、
今度自分で書いたり、
論証したりする体力が減るんで、
結局弟子が書くんですよね。 |
養老 |
うん。 |
糸井 |
その構造もじゃあ、
一種のアミノミズムですね。
弟子をあてにして、
考えってものが進化していくっていう。
養老さん、誰か書くんですかねぇ。
いまみたいな話は。 |
養老 |
じゃないですか。ぼくはなんとなく
はじめっからそう思ってるんです。 |
糸井 |
ああー‥‥! |
養老 |
だから、直接の弟子がいないんですよ、大学でも。 |
糸井 |
どっかにばら撒かれたものが。 |
養老 |
そうそうそう、どっかにいるだろう、っていう。 |
糸井 |
いま、ぼくはちょっと憶えました。 |
養老 |
それはでも本質的な網の目ですよね。
「どっかにいる」だろうという。 |
糸井 |
そうですね。
誰かが、そういえば、
これとこれと同じ話だな、
って気づいたら、
そこでガッと発展するわけだ。 |
養老 |
それをさ、昔風の系統樹で考えたら
誰々さんのお弟子、
そのまたお弟子って、
こうなっていくでしょ。 |
糸井 |
無理だ。
系統樹がなぜいけないかっていうことで、
邪魔な要素は、我(われ)なんですよね。
我のためには、系統樹はものすごくいいんだけど、
無名になると、系統樹、いらなくなるんですよね。 |
養老 |
そう。 |
糸井 |
だから、論文が
名前のある論文として出される限りは
系統樹の文化になっちゃうんだよなぁ。
はぁー‥‥。 |
養老 |
それで、ネットなんですよ。 |
糸井 |
そうですね! |
養老 |
糸井さんもそうだ。 |
糸井 |
ネットをビリビリするのは、
さっき言ったような速度のほうに
どんどん行っちゃったんで、
現実がネットの速度で動くって、
誤解しはじめちゃったんですよ。
で、こうすればいいのに、
ああすればいいのにっていうのが、
全部空回りになっちゃった。
で、しょうがないんで、
コンクリート固まらないうちには
杭打てねぇじゃねぇかみたいな話を、
ぼくらは意識的にやらなきゃならなくて、
そこで、アート&サイエンスみたいな概念が、
たぶん、必要になるんだろうな。
アート&サイエンスっていうのは、
スタイリストが考えたスローガンです。 |
養老 |
アート&サイエンス。 |
糸井 |
はい。
その直前まで思ってたのが、
グーグルの検索の仕組みに、
タブっていう概念があって
いろんな要素がタブとして出ていて、
タブとタブが、ダジャレのようにくっつく、
っていうことで、ネットワークができる。
ネットワークの組み換えがタブごとに
うわーん、うわーんと変わっていく。
これの時代なのかなぁっていうのを、
うすうす思ってたんですね。
だから、ネットワークの
接着する面積みたいなところに
タブっていうものがあるのかなぁ
とは思ってたんですが、
いまのネットワーク論が後ろにないと、
タブだけでは、考えようがないですね。
分類学っていうのは、
ダメだったんですか。 |
養老 |
典型的な系統樹になっていたんですよ。 |
糸井 |
つながりようがなかったんですね。 |
養老 |
でも、現物見てると、どんどん壊れるから
おもしろいんですよ。
つまり、分類っていうのは、
きちんと作れば作るほど、
すぐ壊れるんです。
中間のやつとか、
どっちでもないやつっていうのが出てきて。 |
糸井 |
粘菌とか、そうですよね。 |
養老 |
変な生き物が出てきちゃって、困る困る(笑)。
たとえば「これは葉虫って書いてあるけど、
よく調べていくと、
カミキリムシと違いがないじゃないか」
なんていうのが必ず出て来るんですよ。
一方に、これはゾウムシじゃあないのか?
というのがあって、つながっていくことがある。 |
糸井 |
だからあれですね、
オタク的な論争とかで、
定義についてものすごくしつこく
しゃべってるのは、
そこのところで、
揺るぎたくないんですね。 |
養老 |
網の目をいくら細かく定義しようとしても、
意味がない。
全部つながってるんだから。
ずーっと動いていて、固定していないのだから。 |
糸井 |
OKですよね。
ぼく、自分が直感的にやってきた
いい加減なことが、
ネットワーク、アミノミズムということばで、
全部つながったんですよ。
──ズルなんですよ、俺はけっこう。
現実を生きるために生きてきたから、
分類学とかに負けないで来たから。 |
新潮社さん |
養老先生とお話していると、
だんだん最近になって、
網の目の話題がよく出てきます。
だんだん思考が
固まっていらっしゃる部分があって、
それがだんだん出てきているんですかね。 |
糸井 |
相手のうなずきが
またつくっていったりしますもんね。
あ、こんなに通じるんだ、みたいな。 |
養老 |
やっぱり、世の中全体が
変わってきたっていうこともあるし、
自分の中ではずっとあったことが
固まってきたということなのかもしれません。 |
糸井 |
ちっちゃい頃から思ってたことなんですよね。
きっとね。 |
養老 |
そうそう。
つながってるに決まってるじゃないかと。
それを一番無視してきた文化が、
たぶん、アメリカ文化なんですよね。 |
糸井 |
なるほどね。 |
養老 |
だから、それが逆に
コンピューターを作って
ああやってつないでしまおうとするのが
またおもしろいですよね。 |
糸井 |
そうですね。 |
養老 |
大きく落っこってないと、
大きくは何かを作れないんですよね。
仕事というのはその
「穴」を埋めることだと思うんです。
日本人みたいに器用だと、
まぁ、適当に、
穴埋めできるようなもの作っちゃうから。 |
糸井 |
ゆるゆるとロケット作っちゃう、
みたいなところなんですね。
そうかぁ。
アメリカは、コンピューターがつながったときに、
助かったような気がしたんでしょうね。
で、それにまた復讐もされる‥‥。 |
養老 |
そう。 |
糸井 |
じゃあアメリカ文化を壊すのは、また
コンピューターかもしれないですね。 |
養老 |
非常にプリミティブなつなぎ方をしていますからね。
これからどうするんですかね、
共同体を作り直すって言ってもね。 |
糸井 |
最近、企業なんかが、ソーシャルワークの中で、
そこで宣伝活動しようっていうふうに
どんどんビジネスになってるんだけど、
その中にある程度ネガティブ要素が紛れ込む、
ってことを前提とした組み方をしはじめた。
そこを許容しちゃうともう、
いままで宣伝したかった企業じゃないんですよね。 |
養老 |
うん。 |
糸井 |
つまり、ほんとに社会と溶け込んじゃうんですよ。
そうすると宣伝の意味、もう、ないのに、
それでも宣伝なんですよ。
それがねぇ、ものすごく、
行き詰まりの先なんですよ。
企業はそこに金を払ってる。
でも、払ってるその金は
消費者から吸い上げてるから
結局循環してるだけなんですよね。 |
養老 |
経済の根本じゃないですか。 |
糸井 |
そういうことなんですよね。
で、誰がイニシアチブ持って配るか、
っていうだけなんですよね。
要するに「俺が決めた」って、
それが言いたいだけなんです。
完全にそこにきましたね。 |
(つづきます) |