第3回
テレビドラマの創成期。
テレビドラマの創成期。
石坂 |
映画ですばらしいのは、 役者がみんな、 監督めがけて芝居するところだと思う。 役者は、 映画の時には、 レンズもスタッフも 見えなくなりますからね。 監督の顔つきを見るし、 直接には見えなくても どこかで感じているわけでしょう? ひとつでも頷きがあれば 「うわぁ、やった!」 と思うわけじゃない。 日本の何パーセントの人に 届くだろうかなんてことは 考えていないのがいい……。 だって、そんなことはどうでもいいから。 テレビは、そういうことが なさすぎると思うんです。 安易にスタッフが笑ったり 手を叩くようになってから、 ダメになる一方ですよ。 笑うぐらいコワイものはないですよ。 これは三谷幸喜さんが言っていたんだけど、 お客さんが笑うことによって、 役者は簡単にダメになると。 ちょっとよく笑う女子学生を相手に 二、三回やったら、 もう芝居なんてめちゃくちゃだそうです。 |
糸井 |
つまらないお笑いの子は、 みんなそこでダメになりますよね。 |
石坂 |
テレビが生まれて、 ドラマがドラマらしくなりはじめた頃、 ぼくにとってはありがたいことに 五社協定というものがありまして、 映画の俳優は テレビドラマには出ていけなかったんです。 |
糸井 |
五社協定は、 松竹、東宝、大映、新東宝、東映が 自社専属のスタッフと俳優を 他社に貸し出しすることを 禁じたものですよね。 |
石坂 |
そこで、 テレビが目をつけたのは 新劇だったんですけど、 新劇だけでは まかないきれなくってきたんです。 なぜかというと、 その五社のあとに日活が出てきて、 日活が新劇俳優…… 金子信雄さんだとかを、 ある程度、抱えこんでいたんです。 ただ、五社協定もかわいそうで、 大部屋さんと呼ばれた脇役俳優さんも、 通行人も、セリフがひとことふたこと、 あるかないかぐらいの人たちでも、 契約役者みたいにいわれて 拘束されていたんです。 一切、他社で仕事をしてはいかんと。 そういうなかで テレビドラマをNHKがはじめた、 TBSがはじめたというふうに どんどんなってきたわけで、 テレビも最初は講演会みたいな 番組ばかりだったんです。 |
糸井 |
(笑)……いや、 そんな頃のテレビはぼくも知りません。 この会話を読む人は、 きっと誰もわかっちゃいない時代です。 |
石坂 |
だいたいが、講演会と、スポーツ中継で。 |
2015-05-05-TUE
タイトル
テレビという神の幼年期。
対談者名 石坂浩二、糸井重里
対談収録日 2004年12月
テレビという神の幼年期。
対談者名 石坂浩二、糸井重里
対談収録日 2004年12月
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