第14回
大河ドラマの伝統。
大河ドラマの伝統。
糸井 |
石坂さんが 有名になったのは 『太閤記』だったんですか? |
石坂 |
いわゆる世の中に わりと知られるようになるのは、 やっぱりさすがにNHKに出たからです。 |
糸井 |
もう一個、 なにか主演もやってませんでした? |
石坂 |
しばらく経ってから 『天と地と』で上杉謙信役をやりました。 あれが大河ドラマの、カラー第一作。 『天と地と』では、ディレクターは ぼくのシーンだけ残して撮りなおしてくれて。 先輩の役者さんたち、 つきあってくれましたからね。 このあいだ、 『元禄繚乱』(一九九九年)をやった時、 私(吉良上野介)の息子役が滝沢秀明で、 彼も「お残し」をしていたから、 つきあいましたよ。 私も、立ち方が悪いな、 そこで立ったほうがいいよとか、 言えることもあるから。 大河にはまだそういう いい伝統が残っているんだと思った。 若いやつが出てきたら、 みんなで盛りたててやって、 なんとかおぼえさせてやる……。 ただ、最近はとんでもない人を起用するから、 スケジュールが合わなくて たいへんな思いをしているよね。 まぁ、それはそれでいいんだろうけど。 |
糸井 |
民放には、残して、 演技指導をやるほどの 伝統はなさそうですね、なんか。 |
石坂 |
やらないね。 民放はヘタな役者はヘタなりに放っぽっちゃう。 |
糸井 |
石坂さんが 役者をやりはじめた時代の人たちっていうのは、 往々にして、ものすごく しゃべっていたみたいですね。 演出家も、スタッフも。 |
石坂 |
すごかったですね。 語りまくってました。 仕事以外の方が記憶に残っているぐらいだもん。 あんなこと言ってたなぁとか。 |
糸井 |
その伝統も石坂さんにはついていて、 今も、スタッフと、 ものすごくしゃべっていますよね。 |
石坂 |
それはやっぱり、 昔のスタッフと一緒に しゃべりながら作ってたクセが抜けない、 っていうのがある。 赤坂寮で、みんなで「万歳」なんて やってる毎日だったから、 彼らが考えていることもわかるんですよね。 これまでの経験からして、 芝居はこうした方がいいよ、 と思うこともあるから、 やっぱりついスタッフ寄りになって 一緒に話すことになるんです。 ぼくのマネージャーをやってくださった 吉田史子さんという方もそういうタイプでした。 帳簿もつけてなくて、どんぶり勘定だったけど、 私にはよかったんです。 「こういう仕事をしたほうがいいよ」 「これはおもしろいからやったほうがいいよ」 「これをやっておくと、のちのちいいよ」 そういう仕事の取り方だったから。 |
糸井 |
プロデューサーができるマネージャー。 |
石坂 |
うん。 だけど、 「こういう影のある主人公がいいんじゃないか」 とテレビ局に持ちかけたりしている上に、 来た仕事はいっさい断ってしまうから、 誰も仕事をくれなくなっちゃうという おそれはあったんだよね。 あとから考えると、ドキドキする方針だけど。 ただ、こう言ってくれていたんです。 「私はいくつになったら 京都で悠々自適の暮らしをするから、 あんたたち、その時は勝手にやんなさいよ。 勝手にやれるまではがんばるから」と。 でも悠々自適の前に、 四十いくつで亡くなって…… あれは残念だったと思います。 |
2015-05-05-TUE
タイトル
テレビという神の幼年期。
対談者名 石坂浩二、糸井重里
対談収録日 2004年12月
テレビという神の幼年期。
対談者名 石坂浩二、糸井重里
対談収録日 2004年12月
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