糸井
石川さんは研究のほかに、
会社も設立されてるじゃないですか。
そういったはたらきかたって、
まさしく、
いま選ぶいちばんおもしろい選択肢の
ひとつだと思うんです。
一つの仕事に重心をかけきっていないのは、
昔だと「ふざけるな」でしたけど、
いまだと逆に、一箇所に重心を
かけきらないことのほうが大切というか。
石川
あ、そうなんです。
ぼくらにとって一箇所に重心をかけきるのは、
もうリスクでしかないんですよ。
大学だけにいたら未来が見えないんです。
ポストはないですし、上も詰まってますし。
糸井
研究者と事業のふたつの足があれば、
いざというときには
片方の足で歩くこともできますもんね。
石川
そうなんです。
それで、このスタイルにして
特にいいなと思ったのが、
いろんな場所に重心があると、
好きな人とだけ仕事をすることが許されるんです。
そうやって、自分がおもしろいと思う方向に
どんどん進んでいける。
これがたぶん、
いままでといちばん違うところです。
‥‥ただ、そんなふうに動いていることで
いま、自分の専門がどんどん
わからなくなってきてますけど(笑)。
糸井
でもそれは、ぼくの人生もそれですよ。
重心がいろいろあって、何だかわからない。
石川
コピーライターという肩書きだけでは
言い表せないくらい、
ほんとにいろんなことをされてますもんね。
糸井
肩書きが必要な場面では
ぼくは「コピーライター」を使ってますけど、
それは、ピンが1個あれば
壁に貼れるじゃないですか。
そのピンの代わりだと思ってるんです。
初期の頃は、それですべてを表わされるのは
いやだと思う気持ちもあったんですね。
職業名って本人にとっては
なかなか不自由ですから。
でももう、仕方ないかと思っています。
石川
そういえば先日、為末大さんからも
同じような話を聞いたんです。
為末さん、何かに出るときの肩書きが
「元プロ陸上選手」になるそうなんです。
とはいえ、それは現在のことじゃないし、
いまの会社名を書いてもわからないから、
思いきって肩書きのない
「為末大」にしてみたそうなんです。
でも、それはそれで
「すみません、
何か入れてもらわないと困るんです」
って言われるらしいんですね。
糸井
それは、
「失礼ですけど、知らない人もいらっしゃるんで」
っていうような肩書きですよね。
じゃあ、知らない人に対して
何て言えばいいんだろうって話ですけど。
ぼくの場合は、どこかのタイミングで
「肩書きは借り物でいい」と決めたんです。
石川
借り物でいい、ですか。
糸井
中学生ぐらいのときに新聞で、
ビートルズが
「英国から来た4人組コーラスグループ」と
書かれていたんです。
それを見て、当時のぼくは
「しょうがないよな」と思ったんですよね。
どんな人からも、それ以上のレベルで
理解されるようにしようと思いはじめたら、
きりがないですから。
石川
たしかに、正確な理解を求めはじめたら、
終わりがないですね。
糸井
で、『ゲド戦記』だと、
自分のほんとうの名前(まことの名)を
呼ばれたら、おしまいじゃないですか。
あれと同じで、もし自分に
あまりにピタッと表わす何か一言があったら、
それは逆に命取りじゃないかとも思うんです。
石川
「名前を正確に呼ばれたら命取り」って、
おもしろいですね。
でも、たしかにそうかもしれない。
糸井
だからいろんな書かれ方をしたり、
誤解されたりはありますけど、
自分の人生ってそれなんだなと思って。
「またこんなふうに伝えて」とか
「これは褒められすぎだろう」とか
思うことはたくさんありますけど、
そうした総体が、ぼくという存在が
撒き散らした粉の軌跡だと思うんです。
石川
そういえば、自己紹介の話で
おもしろいなと思ったのが、
日本人のぼくら世代の自己紹介は、
自分の所属の歴史を話すことが多いんですね。
糸井
「〇〇大学にいます」とか、
「〇〇で働いてます」とか?
石川
そうなんです。
だけど、同世代のユダヤ人と話すと
彼らは自己紹介として、
「自分の家族の歴史」の話をするんです。
たとえば、
自分の一家はドイツから逃げてきて、
おじいちゃんはパン屋で、お父さんはこんな人で、
自分はその息子なんだ、というように。
その人自身がどう生きてきたかについて
ぜんぜん話さない。
だけど彼らのそういった話を聞くと、
なんだかその人のことが、
すごくわかるような気がするんです。
糸井
それ、おもしろいですね。
石川
どうして彼らがそんな自己紹介をするかといえば、
彼らって、中学生ぐらいになったら
「バーミツバ」という成人式をするんです。
家族や親戚が集まってきて、その子に向かって、
あなたはどんな家族の歴史のなかに生まれていて、
いま存在してるのかを、
みんなで滔々と教えるんです。
そういう儀式を経て、彼らは成人する。
するともう、
自分個人の話はどうでもいいんですよ。
歴史としては小さなことだから。
糸井
家族の歴史が自分、という認識なのかな。
石川
そうなのかもしれません。
それでぼくは最近、
自分の自己紹介を彼らにならって
家族の話をするようにしていて、
「今日はおじいちゃんの話から始めてみよう」
「おばあちゃんから始めてみよう」
とかしてみたりしてるんです。
すると、外国人たちからすごくウケがいいんです。
逆に「〇〇大学を出ましてね」なんて話しても、
向こうはポカーンとするだけで
まったく興味を持ってもらえないんです。
糸井
つまり「自己紹介」を
ひとつのメディアと考えるなら、
家族の歴史の話は
いくつものハッシュタグがつくってことですよね。
石川
そうです、そうです。
糸井
そうやって考えていくと、
いろんな自己紹介ができますね。
「自分の故郷はこんなところです」と
生まれた土地の景色を語ったっていいし、
「好きな歌を順番に歌います」
だってできそうだし。
石川
そうですね。できますね。
あといまって、みんながいろんな所属を
持つようになっているから、
自分の所属を言うこと
自己紹介のスタイル自体が
徐々に崩れはじめているとも思うんです。
自己紹介のしかたもこれからまた、
変わっていくかもしれないですね。
糸井
そうですね、変わるでしょうね。
‥‥石川さんとの話は、
次々につながっていきますね。
なんだか今日は、時間を区切るしか、
終わり方がわからなくなった感じです(笑)。
石川
このまま、永遠に続けられそうですね。
おもしろかったです。
糸井
ぼくもおもしろかったです。
今日はありがとうございました。
また、話しましょう。
石川
ぜひおねがいします。
ありがとうございました。
(石川善樹さんとの対談は、これでおしまいです。
お読みいただき、ありがとうございました)
2015-09-02-WED
『最後のダイエット』
石川善樹 著
マガジンハウス 1300円+税