食育の話は、さっきの佐藤さんの話、
はじめて聞きまして、びっくりしました。
ぼくが食育と聞いて
一番思いだすのが、
実は原始人。
ま、早い話、
最初にナマコを食ったやつは偉いし、
最初にトラフグを食って
死ななかったやつも偉かった
ってことなんですが。
結局、
人間の文明で一番古くて一番でかいのは、
食文明ですよね。
なぜかって言ったら、
食べ物がないと我々は生きていけませんから。
例えば、トマトジュースの原料の
トマトっていうのは、ナス科の植物で、
もともと南米、新大陸にしかなかった。
今は考えられないですけども、
ジャガイモ、トマト、
トウガラシ、ピーマンといった
ナス科の植物は
コロンブスがアメリカにたどり着いた
16世紀より以前には、
ヨーロッパにどれひとつなかったんです。
これらの食べ物がないヨーロッパの料理って、
ちょっと想像つかないですよね。
江戸時代に日本に入ってきたとき
トマトは観葉植物として入ってきました。
色がどきついから、
ヨーロッパなんかでも最初は
毒じゃないかって言われてたんです。
そういう見たことのないもの、
口にしたことのないもの、
そんなもののなかから、
何を食べるか、食べないのか、
どうしたらおいしくなるのか、
その経験を試行錯誤しながら
蓄積していくってことが、
食育の本質なのかな、とぼくは感じます。
たとえば、カキを食ってあたる、
ってことだって立派な食育のような・・・・。
むかし、カキを食って
あたった人たちの経験がなかったら、
カキはどの季節に食えばいいのか、
いまだにぼくたちは知りえないわけですから。
要するに先人のリスクの上に
「食べる」という文化は成り立っている。
だから、ある程度のリスクをとる
という発想が根っこにない限り、
食育ってできないような気がする。
戦後の日本人は
リスクをとることを、食の話にかかわらず
ものすごくマイナスととらえる傾向がある。
お役所の仕組みなんかはその典型で
リスクをとることをものすごく嫌がるんですね。
ただ、お役所にリスクをとりたがらない発想を
抱かせちゃったのは
なんかあったときに役所にむかって
なんでもかんでも責任取れって騒ぐ、
我々の側の責任も、一方ではある。
食育の話にからめると、
保育園や幼稚園の食事で
食中毒があって、親が騒ぐ。
保育園側が悪いケースだって
あるんでしょうが、
防ぎきれないケースだってあるはず。
それを全部いっしょくたにして騒ぐっていうのも、
ほんとは、
かなり不健康な事態だと思う。
ぼくたちは、無菌室で
暮らしてるわけじゃないですから。
食育は、
リスクをいい意味で取るっていうのが大切で、
基本的には
「最初にウニやナマコを食ったやつは偉い。
フグ食って死んじゃったやつもいるけど」
って視点をベースに考えたほうが、
健康的な気がします。 |