矢沢 |
イトイなんかも、
ちょうど5年前くらいか、
自分でイトイ新聞を作って、
「メディアが欲しい」
と言ってたじゃない?
それを実際に作って、
今日のここまで迎えるまでには、
タイヘンだったと思うのよ。
でも、あの時は、とにかく、
見切り発車でも何でもいいから、
走らなければいけなくて、そっちに
飛びこまなきゃいけなかったじゃない? |
糸井 |
うん。
ひとりでも、やらなきゃいけなかった。
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矢沢 |
世間は何とでも言うさ。
でも、やらにゃいかん。
イトイ新聞って、
1日のアクセス数、どれくらい? |
糸井 |
今、50万ぐらい。 |
矢沢 |
毎日、50万アクセスって言ったら、
まわり、急に態度、変わっちゃってさ。
「イトイさん、今度お茶でも飲みに行きません?」
なんて、なったりしてね。 |
糸井 |
(笑)最初は、600アクセスですからね。 |
矢沢 |
600だったら、
「小僧が、なんか、チョコチョコしてるわ」
で終わるけど、1日50万アクセスっていったら、
そりゃ、みんな、態度変わりますよ。 |
糸井 |
永ちゃんが、ランニング・シャツ一枚で、
シャベル持って、新しいところを掘った時みたいに、
その500だ600だのアクセスを
「ありがたい」って思う気持ちは、忘れないよね。 |
矢沢 |
同じ時期、オレは、何が何でも、
アメリカに行かなきゃいけなかった。
イトイは、イトイ新聞立ち上げなきゃいけなかった。 |
糸井 |
おんなじ時期だったんだね。
永ちゃんがアメリカに家族ごと移住したときと。
偶然だよね。おたがい、
あたらしい場所に行かないとダメだ、って時。 |
矢沢 |
あの時、イトイに電話入れたっけ? |
糸井 |
入れた。
「永ちゃんもそんなこと思ってたの?
実は、オレもだよ」って。 |
矢沢 |
オレが、アメリカ行く前? |
糸井 |
うん。
で、今、笑い話なんだけど、
永ちゃんから電話がかかってきて、
1時間ぐらい、ずっとしゃべってたんだよ。 |
矢沢 |
はいはいはい。 |
糸井 |
で、その後、
「イトイ、ワルいな、長くなっちゃって。
あの……悪いけど、切るわ!」って言って。 |
矢沢 |
(笑)ハハハハ。 |
糸井 |
「おまえが、かけてきたんじゃないか!」
っていう……(笑)。
オレもちょうど、
撮影現場からタクシーに乗ってる時で、
戻んなきゃなんない間、ずっとタクシーの中で、
ずーっと、ぶっつづけで、しゃべってたもん。 |
矢沢 |
うん、やっぱり、オレもその時は、
おセンチな部分も、あったんじゃない? |
糸井 |
うん、日本から1回、別れたんだもん。 |
矢沢 |
「これから、日本を出るから」
というのが、あったから。
今日も、
渋谷陽一さん(ロッキング・オン代表)と
取材で話した時に思ったんだけど、
渋谷さんも、『BRIDGE』とか、もう、
いろんな雑誌を作っているわけじゃない?
あの人も、すごいよね。 |
糸井 |
すごい。 |
矢沢 |
メディアを持ったハシリだもんね。
インタビューをしたとかしないとか、
そういう世界の中で、
「自分でメディアを持つ」
という発想は、当時、ハシリだったでしょう。 |
糸井 |
うん。
ほんとに、たいしたもんですよ。 |
矢沢 |
そうそう。
渋谷さんもそうだし、糸井重里もそうだよ?。
ふつうだったら、取材して、
いろいろな写真を撮って……で終わる。
インタビュアーとしてうまくて、
話のツボを知っていて……っていうと、
だいたい、いくらでもいるじゃん、
そういうの。 |
糸井 |
そうなんだよね。
いちばんよくても、
「最高の芸者さん」になっちゃうんだよね。 |
矢沢 |
うん。 |
糸井 |
芸者よりは、置屋になんないとね。 |
矢沢 |
そうだね。
やっぱり、自分で
そういうところの、発信源を作らないと‥‥。 |
糸井 |
うん。
なんかやっぱり、
自分でメディアを持たないと、
やっていることに関して、
「上下」「あの人よりうまいか」
みたいな価値観が、ついちゃうんですよ。
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