横尾 |
イトイさん、こういうページを
3年間やってきて、
いろいろつかんできたんだろうけど、
人々がいちばん求めているものは何だと思う? |
糸井 |
・・・たぶん、
「よそでは見られないもの」です。 |
横尾 |
なぜそう聞いたのかと言うと・・・。
いま、こうやって話をしてるでしょう?
それが「ほぼ日」に載ったら、読者の人が
ぼくのページに来てくれるかもしれない。
ただ、ぼくのページに来てくれる人たちの
期待しているものが何かが、
むつかしいですよね。 |
糸井 |
それは、むずかしいですね。 |
横尾 |
見に来てくれている彼らが
何を期待してるのか、
はっきり示してくれたらいいんだけど、
そうもいかないわけでしょ?
・・・イトイさんだったら、
ぼくのホームページにどんなことを期待しますか。
そういうのは、やっぱり、人それぞれかなぁ。 |
糸井 |
それぞれだとは思います。
「ほぼ日」宛てにもメールが来て、
「この人へのインタビューを是非」
なんて書いてくれる場合もありますが、
その要望は、人によってバラバラに感じます。
ただ、パーソナルなものを
ネットに求めている、というか・・・。
たとえば「台風が来た」っていうニュースでも、
NHKでやる台風情報と、
「台風でうちの屋根が飛んじゃった」
という情報では、
後者のほうが、よりパーソナルですよね。
そして、個人的な情報は、
ネットでなければ場合もありますから。
だから、ネットで見るニュースのほうが
「パーソナルでおもしろい」
「パーソナルで自分に近い」
っていう見られ方をしていると思います。 |
横尾 |
じゃあ、例えば、
雑誌とかテレビを見てた人から
声をかけてくれるのと、ネットで見た人が
声をかけてくれるのでは・・・。 |
糸井 |
はい。親しみの度合いが、ぜんぜん違いますね。 |
横尾 |
ネットって、いきなり
ともだち感覚でしょう?
なんか。 |
糸井 |
はい。
こっちも友達感覚になっちゃうんですよ。
それがおもしろいところなんですけど。 |
横尾 |
え? こっちもそうなっちゃう? |
糸井 |
なりますよ。
いつもいいメールをくれる人なんて、
何度もやりとりして、名前も覚えちゃってるし。
メールの積み重ねの中で
個人的にその人を知っちゃってますから、
その人のふつうのともだち以上に、
会ったことのないぼくが、
その人の抱える事情を知ってたりするんです。
その人が元気な時に、
二ッコ二コなメールをくれたら嬉しいし、
落ち込んだメールが来たら心配だし、
妙につながってるような気はします。 |
横尾 |
身のうえ相談みたいになっちゃったりしない? |
糸井 |
あ、それはありますよ。
それはそれで、ぼくら毎日発信してますから、
「応えないよ」っていう日もあれば、
たまには応える日もあっていいわけですよ。 |
横尾 |
相手が、自分のメールで
救われることもあるかもしれない、
と思ったりすると、しんどくならないかなぁ。 |
糸井 |
そこはもう、お客さんに囚われすぎないで、
「返事をするしないは、自分が全部決めるんだ」
という考えをしっかり持っていれば、
気まぐれで返事を出してもいいんです。
「どうせ、返事は来ないんでしょうが」
「どうせ読んでもいないでしょうが」
みたいなメールには、腹が立ちますが、
そこに返信するかどうかは、ぼくの勝手なので。
すねた読者と
コミュニケーションしていると思うと
イヤなので、数か月に一度は、
かならずぜんぶ読んでいます、と言ってます。 |
横尾 |
ホームページってすごく直接的ですよね。
たとえば、雑誌に載ったって、
それを読んでくれた人が、どれだけ
展覧会に来てくれるかはわからないでしょ?
でも、前にイトイさんが
ぼくについて書いてくれた時、
展覧会のアンケートで、すごくたくさんの人が、
「イトイさんのホームページを読んできました」
って書いてくれたんですよ。
それはすごくうれしかったですよ。 |
糸井 |
ぼくも、それ聞いてうれしいです。 |
横尾 |
ネットは、何か・・・密度が違うね。 |
糸井 |
そうですよね。
自分のうちの隣の夫婦が
仲がいいかどうかなんて知らないけど、
地方や海外の人の離婚の危機を
知ってたりするわけで。
むしろ、離れた人の動向が気になる。
・・・そういう感覚って、
ぼくには、今までになかったんですよ。
どこかで主婦をやってる人だとか、
おじいちゃんとか、そういう人たちが
ひとりひとり、いろいろなことを考えながら
生活をしているなんて、正直に言うと
ふだんそれほど考えていませんでしたから。
自分がクルマに乗って
信号待ちをしている時って、
横断歩道のところに立っている人は、
いわゆる「邪魔な人」みたいな見方を
できるじゃないですか。
でも、ネットで個人的に
いろんな人がいろいろ思ってるんだな、
と感じる生活を続けていると、
「あの人たちも、何か考えている」
と思いながら見るようになるんです。 |
横尾 |
隣の人が、隣の人じゃなくなってくるわけだ。 |
糸井 |
そうなんです。
道で見かける人と、
特にやりとりしたわけでもないのに、
「あぁ、この人は、この人なりに理由があって
はこんな格好をしてるんだろうなぁ」
とか、考えが行き渡ってしまうんですよ。
そう思うと、
いい人を見ても、やなヤツを見ても、
いわゆる、透明な存在の人がいなくなるんです。 |
横尾 |
ふーん。なるほどなぁ。 |