糸井 |
「だいたい、1枚の絵で
2、3回は失敗に出会うけれども、
最初のイメージに執着を持たないで
スタンスをうまく変えられると、
絵を描くのが、すごく楽しくなる」
という、いまの横尾さんのお話、すごいなあ。 |
横尾 |
そういう作品のほうが、おもしろいの。 |
糸井 |
「どの絵ですか?」って聞きたいぐらいです。
それを知ったうえで、
「この絵ってこんなにいいのに、
8割のところまでは失敗だったんだ」
って、わかると。 |
横尾 |
「この絵が」の「この絵」っていうのが、
もう、消えてなくなってしまうわけだから。 |
糸井 |
でも、その消えるところまでの
思いがあるんだ、とわかって見ると、
「へえー」って感じて、
気持ちいいですよね。 |
横尾 |
たぶん、気持ちよく思うのは、
絵のなかにいさぎよさを感じるんだと思う。
緻密に、書き上げたものっていうのは、
まあそれもひとつの努力だと
見る人は見てくれると思いますけれども、
やっぱり、それより「いさぎよさ」ですよ。 |
糸井 |
うんうん。 |
横尾 |
どうも、そうみたいです。 |
糸井 |
それはきっと、
経営でもそうですし、
恋愛でもそうでしょうね。 |
横尾 |
かと言って、最初から
いさぎよく絵を描くことは、できないですよ。 |
糸井 |
(笑) |
横尾 |
(笑)ふふふ。
なんかねぇ、袋小路に入ってしまって、
「ああ、もうダメかもしれない」
と思った時にはじめて、
この時間をとりもどそうと思うわけですよ。 |
糸井 |
(笑) |
横尾 |
そこでその絵を失敗作にしてしまうと、
それまで関わっていた時間はないも同然だし、
「自分の人生から考えて、その時間は何?」
っていうことになっちゃうから。
そこで、瞬間的に、
1時間ぐらいの時間でもいいけど
その失敗を、ひっくりかえしちゃう。
その時は、快感だね。
生きてるって、こういうことかと思う。 |
糸井 |
種類が違うけど、
自分の仕事でも感じますよ。
あきらめちゃう、っていうのも失敗で、
その絵をほんとに描くのをやめちゃう、
っていう決断もあると思うんですね。
だけども、もう一回変化できた時には、
俺って、えらいかもしれないと思いますよね。 |
横尾 |
例えば、コピーを書くとするじゃない?
コピーをいっぱい書いて、
20も50も書いて、で、
「50も書いたんだから、この中から選んで」
っていう風に提出する場合もあるだろうけど、
いっそのこと、ぜんぶ捨てて
最後の1つだけを出すっていうのもあるでしょ? |
糸井 |
ぼくは、だいたい
いくつも書かないんですよ。 |
横尾 |
あ、そっか。
じゃあ、最初からいさぎいいんだ? |
糸井 |
最初にいっこ書いて、
ダメかどうかだけ見るんですよ。 |
横尾 |
それも、直感ですよね。 |
糸井 |
はい。
ダメだったら、そこで捨てて、
また次に書くんですよ。 |
横尾 |
1本だけっていうのは直感で、
もうひとつふたつ書いても、
勝てないですよね。 |
糸井 |
はい。 |
横尾 |
直感から逃れてないもんね。その時は。
別の直感で書けばいいんだけれども、
最初の直感にとらわれていて、
別のバージョンを作ってしまうわけだから。 |
糸井 |
はい。
そういうのは、だいたいダメですね。 |
横尾 |
判断は、理性が判断するじゃないですか。
直感を理性が判断して、
理性が「よし!」と言った場合は、
そりゃ、最高だと思います。 |
糸井 |
ええ。
だから、さっきの場合だと、
「はらまき」と言った時に、
もう、はらまきって決めてますよね。
はらまき欲しい人は1000人はいるだろう、
ってなったら、失敗しても、
たかがしれてる失敗の範囲なので、
やれ、ってなったりします。 |
横尾 |
ぼくははらまきって聞いたとたんに
もう、おもしろいわ、見なくてもおもしろい、
って、そういうふうになったのよ。 |
糸井 |
そんな判断の連続ですよね。 |
横尾 |
はらまきは、ヒット商品になるよ。
ヒットにならなければ、
未来で生きてるよと思うより
しかたがないよね。 |
糸井 |
そうですね。 |
横尾 |
「自分は未来人なんだ」と思ってあきらめて。 |