横尾 |
美術界は、先が見えているところだから、
好きなことを好きなようにやっても、
ぜんぜん受けないと思う。
だけど、一般大衆はよろこんでくれる。
そういうものなんですよね。
最近は、自分の中でのハイとロー、
ハイ&ローみたいなことをやりたくて
富山の展覧会をやったんだけど、
絵とポスターを一緒に飾っているから、
ほんとうならタブーなんだろうね。 |
糸井 |
あ、そうだ。 |
横尾 |
コマーシャルアートとファインアートは、
犬猿の仲とまでは言いませんけれども、
ファインアートのほうは
「アイツは、コマーシャルアートをやってる」
って、クチもきかないようなところが、
いまだにあるからさー。
いま、いろいろなポップな人が
ニューヨークで評価されているけれども、
アートにおきかえている場合が
多いじゃないですか。
その部分は、戦略なんですね。
ぼくはそれをしないで、
ごっちゃにしたいんですよ。
アートにして解釈を求めちゃうと、
テーマが「解釈」になっちゃうんですよ。
そうじゃなくて、
もっとごしゃごしゃにしたいわけ。
そのほうが、ラジカルだと思うけど。
でも、それやっても、
誰もラジカルだと言ってくれないし。
そのラジカルは、受けない、って
人は、思うんでしょう? |
糸井 |
ふつうに見えちゃうんでしょうね。 |
横尾 |
節操のないヤツとか、二足のワラジとか、
そういうことになっちゃうもんね。 |
糸井 |
でも、いちばんラジカルですよね。 |
横尾 |
ピカビアが、お金欲しいために
看板がきみたいなポートレイトを
いっぱいやっていたわけでしょう?
あれは、アートとしてやっていなかったのに、
それがピカビアの何種類かある絵のなかで
いちばん高価な絵になっちゃったわけで。
デュシャンのやったような
あまりにも知的な作業だとおもしろくないので、
ピカビアはそれを超えているから、
ぼくはすばらしいと思うんです。 |
糸井 |
横尾さんって、ピカビアには
そうとうショックを受けたようですよね。 |
横尾 |
そう。
ぼくは、ピカビアには頭があがらない。 |
糸井 |
そう言えば、ドストエフスキーが
小説書いたのも、バクチの借金を返すために
連載小説を引き受けたんですよね。 |
横尾 |
そうなの?
やっぱり、そういうことが大事だね(笑)。 |
糸井 |
(笑)はい。 |
横尾 |
生活と人生がひとつになってるじゃない。 |
糸井 |
そう。
それが結局残っているわけですし。
ドストエフスキー、ものすごい速度で、
書き飛ばしていたらしいですよ。
なんか、そういうものですよね? |
横尾 |
『三銃士』のデュマもそうですよ。
もっと横着なのは、
自分で書けない部分は、
人に書かせていたわけですよ(笑)。
この部分書いてくれ、みたいな。
それをツギハギにしたら
爆発的に当たっちゃった。
そんなことをやってたわけ。 |
糸井 |
でも、それ、できたものがよければ、
それでいいんですよね。作品だから。 |
横尾 |
それ、デュマがプロデューサーですから、
いまのやりかた、そのままじゃないですか。
それを彼は、内緒にしながらやっていたわけで。
三島由紀夫は、大衆小説をかいたじゃないですか。
直木賞をとってもいいような。
あれは、自分のなかで、ハイ&ローの落差を、
できるだけつくろうとしたんだろうね。
『文学界』に出たおんなじ週に
『微笑』っていう雑誌に
パトカーの格好してグラビアに
ドーンと写真で出たり。
ぼくが三島由紀夫に影響を受けたのは、
その『文学界』と『微笑』の両方に
いっぺんに出たことですよ。
あれは、そうそうできないことだから。 |
糸井 |
つまり、芸術だけじゃなくて、
生活していくというか、生きていくという
そこのところを大事にしていないと、
つまらないですよね。
(つづきます)
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