横尾さんのインターネット。
横尾忠則さんが相談があるって?

第9回 ハイとローの落差が、いいのよ。



横尾 美術界は、先が見えているところだから、
好きなことを好きなようにやっても、
ぜんぜん受けないと思う。
だけど、一般大衆はよろこんでくれる。
そういうものなんですよね。

最近は、自分の中でのハイとロー、
ハイ&ローみたいなことをやりたくて
富山の展覧会をやったんだけど、
絵とポスターを一緒に飾っているから、
ほんとうならタブーなんだろうね。
糸井 あ、そうだ。
横尾 コマーシャルアートとファインアートは、
犬猿の仲とまでは言いませんけれども、
ファインアートのほうは
「アイツは、コマーシャルアートをやってる」
って、クチもきかないようなところが、
いまだにあるからさー。

いま、いろいろなポップな人が
ニューヨークで評価されているけれども、
アートにおきかえている場合が
多いじゃないですか。
その部分は、戦略なんですね。
ぼくはそれをしないで、
ごっちゃにしたいんですよ。
アートにして解釈を求めちゃうと、
テーマが「解釈」になっちゃうんですよ。
そうじゃなくて、
もっとごしゃごしゃにしたいわけ。
そのほうが、ラジカルだと思うけど。

でも、それやっても、
誰もラジカルだと言ってくれないし。
そのラジカルは、受けない、って
人は、思うんでしょう?
糸井 ふつうに見えちゃうんでしょうね。
横尾 節操のないヤツとか、二足のワラジとか、
そういうことになっちゃうもんね。
糸井 でも、いちばんラジカルですよね。
横尾 ピカビアが、お金欲しいために
看板がきみたいなポートレイトを
いっぱいやっていたわけでしょう?
あれは、アートとしてやっていなかったのに、
それがピカビアの何種類かある絵のなかで
いちばん高価な絵になっちゃったわけで。

デュシャンのやったような
あまりにも知的な作業だとおもしろくないので、
ピカビアはそれを超えているから、
ぼくはすばらしいと思うんです。
糸井 横尾さんって、ピカビアには
そうとうショックを受けたようですよね。
横尾 そう。
ぼくは、ピカビアには頭があがらない。
糸井 そう言えば、ドストエフスキーが
小説書いたのも、バクチの借金を返すために
連載小説を引き受けたんですよね。
横尾 そうなの?
やっぱり、そういうことが大事だね(笑)。
糸井 (笑)はい。
横尾 生活と人生がひとつになってるじゃない。
糸井 そう。
それが結局残っているわけですし。
ドストエフスキー、ものすごい速度で、
書き飛ばしていたらしいですよ。
なんか、そういうものですよね?
横尾 『三銃士』のデュマもそうですよ。

もっと横着なのは、
自分で書けない部分は、
人に書かせていたわけですよ(笑)。
この部分書いてくれ、みたいな。

それをツギハギにしたら
爆発的に当たっちゃった。

そんなことをやってたわけ。
糸井 でも、それ、できたものがよければ、
それでいいんですよね。作品だから。
横尾 それ、デュマがプロデューサーですから、
いまのやりかた、そのままじゃないですか。
それを彼は、内緒にしながらやっていたわけで。

三島由紀夫は、大衆小説をかいたじゃないですか。
直木賞をとってもいいような。
あれは、自分のなかで、ハイ&ローの落差を、
できるだけつくろうとしたんだろうね。
『文学界』に出たおんなじ週に
『微笑』っていう雑誌に
パトカーの格好してグラビアに
ドーンと写真で出たり。

ぼくが三島由紀夫に影響を受けたのは、
その『文学界』と『微笑』の両方に
いっぺんに出たことですよ。
あれは、そうそうできないことだから。
糸井 つまり、芸術だけじゃなくて、
生活していくというか、生きていくという
そこのところを大事にしていないと、
つまらないですよね。


(つづきます)

2001-10-21-SUN


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