横尾さんのインターネット。
横尾忠則さんが、横尾忠則さんを解説するって?

「イントロダクション」の部屋【その2】
 やっていることや考えていることを
 言葉に置き換えられなかったから
 絵を描いていたんだろうね。


3Fにある第一室「イントロダクション」。
60年代の横尾さんのポスター作品と
絵画作品が並んでいる部屋で、
二人は一気に当時のことを語り始めました。
60年代というと、たとえば66年なら
横尾さんが30歳、darlingは18歳!
(そんな時代があったのねー。あたりまえだけど・・・)
そんな気分で、お読みください。



糸井 ここにある宝塚や
三島由紀夫のポスターって
依頼されてつくったものですよね?
横尾 ううん、頼まれたんじゃなくて、
自分で勝手につくったものなんです。
栗田勇さんの本
「都市とデザイン」のポスターも
自主制作。

糸井 ええええええ!
「都市とデザイン」も自主制作なんですか。
知らなかった。
横尾 「都市とデザイン」の本の挿絵は
ちゃんと依頼を受けて描いたんだけどね。
ポスターは必要とされていなかったのに、
ぼくが勝手につくった。
自分の費用で。
糸井 そうだったんですか。はぁー!
寺山さんや唐さんからはもちろん、
依頼されたわけですよね?

註:劇団「天井桟敷」を主宰していた
寺山修司さんと、
劇団「状況劇場」(紅テント)を主宰していた
唐十郎さんのことです。
ちなみに状況劇場には
ほぼ日でおなじみの小林薫さんや
ゲージツ家・クマさんらもいたそうです。
横尾 うんうん。
寺山修司が唐十郎を紹介してくれたんだよ。
そしたら、1週間と経たないうちに
唐十郎から電話がかかってきて、
いろいろ仕事をしてくれないか、
っていう相談があった。
その頃寺山修司とは
何の仕事もしていなかったというのに。
唐十郎は行動力があったね。

糸井 何歳くらいのときですか?
横尾 みんな29〜30歳くらいだったね。
唐十郎との仕事は、
最初は1色刷りのチラシだった。
その頃、彼ら状況劇場はポスターなんて
つくろうともしていなかった。
糸井 ポスターって、このころから出はじめたような
気がするんですが、
当時の流行りだったんでしょうかね?
横尾 うーん。「流行り」にまでは
なっていなかったんじゃないかな。
やってみようかな、ってなかんじだったね。
糸井 この部屋に展示してあるような流れで
「ポスター」というものが
メディアになっていったのかもしれませんね。
横尾 ああ、そうかもしれない。
糸井 この頃、横尾さんは商業デザイナーとして
デザインセンターにいた時期でしょうか。

註:1960年、田中一光さんらが創立した
「日本デザインセンター」のこと。
横尾さんは鈴木良夫さん、田中博さん、
永井一正さんなどのアシスタントを務めた。
同社には宇野亜喜良、木村恒久らがいた。
横尾 いや、もう辞めてたね。
糸井 じゃあ、会社員のころには
ポスターはつくってなかったんだ。
横尾 つくってたことはつくってたけど、
こうやってみなさんに
お見せできるようなものはないね(笑)。
糸井 ・・・いま思ってみれば、よく辞めましたよね、
デザインセンターを(笑)。
これらの作品って、当時ぼくら若いものには
そうとうショックだったんだけど、
描いた横尾さん本人は
「みんなにショックを与えよう」と
思っていたんですか?
横尾 いいや(笑)。
糸井 いったい、何を思ってつくっていたんですか?
横尾 そうねぇ、何を考えていたんだろうねぇ。
よくわからないでやっていたんじゃないかなぁ。
やっていることや考えていることを
言葉に置き換えられなかったんじゃないかなぁ。
糸井 でも、誰にも理解してもらえないようなことに
なったりしたら、
それはそれでつらいですよね。
横尾 デザインセンターに勤めていたときは、
スポンサーの気に入るようなおとなしい作品を
つくっていたから、
その反動だったのかもしれないね。
ほら、見渡してみても、
当時の広告には使えないようなものばかりでしょ。
糸井 そうですね。
肌の赤さなんて、いま考えるとすごいですよね。
当時はぼくたちも
あまり気にしないで見ていましたけど。

横尾 いや、じつは「ちょっと赤いかなぁ」って
思いながら描いていたんだけどね(笑)。
糸井 きっと、描く側に
熱がこもっていたんでしょうね。
横尾 ・・・ああ、思い出したよ。
これらの絵を描いていたときに
はじめての絵画展をやることになったんです。
そのとき
「絵画じゃないような女のポートレートを描きたい」
と思ったの。
糸井 それまでの、古典絵画にはないような。
横尾 うん。たとえば、まつげを一本一本描いたり
眼球のなかの血管を描いたりは
誰もしていなかったでしょ。
それに、歯をむき出している絵画はほとんどない。
そのふたつを描けば、これは、
「絵画でありながら絵画でないもの」
ができるんじゃないかなと思ったわけ。
裸を描くのはべつにめずらしいことじゃないからね。


↑「歯みがき」 ↓部分
糸井 あー。はぁー。
描いてありますね、眼球の血管が。ふぅむ。
この頃って、充分に生活はできていたんですか?
横尾 いや、できてない、できてない!
糸井 生活ができていないのに、
「見たことないような絵画」を描こうとした。
それは、描きたくてしょうがなかったから、
なんですか?
売れたりはしなかったでしょう。

横尾 ところがね、売れたのよ。
展覧会で、6割か7割くらい売れたんじゃないかな。
ここにある絵もほとんど売れたんだよ。
糸井 プレートを見てみると、
個人蔵のものが多いですね。
はぁぁー。

註:たとえばイラストレータの
和田誠さん所蔵の絵画もありました。
探してみてね〜!

ここの部屋にいるだけでもっともっと
いーっぱい話ができちゃう。
このままだと夜があけちゃうよ。
横尾 そうだね。
じゃ、次の部屋に行くとするか!

次回の更新では「愛とエロス」の部屋に
入っていきますよ〜! お楽しみに!

2002-08-10-SAT


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