ただいまご紹介に預かりました吉本です。今日は僕は皆さんに対して、詩人として、要するに詩を書く者としてお話をするわけです。で、これはシハイというか(?)大変な知恵でありまして、思想者としての僕は、わりあいうるさいですから、詩人としてはそううるさくはありませんけども、詩人としての自分の立場から詩のお話をしたいと。特に戦後詩の問題っていうものは、問題の根本にある問題をお話したいというふうに考えます。
そして、現在、例えば僕ならば語学の(?)詩人であるっていうふうにしばしば人から呼ばれることがあるわけですけれども、詩人であるっていうふうな場合にある一定の恥ずかしさと言いますか、羞恥と言いますか、そういうものを感ずるわけです。
で、その羞恥っていうのはどういうところから来るかっていうことを考えてみますと、要するに詩を書くっていうのは、つまり要は(?)文学の想像の中でいっても、ほかの分野に比べて最も密室の作業って言いますか、そういう感じを必ず伴うものであるわけです。
で、この密室の感じ、密室の作業っていうようなこの感じのその中核にあるものがなんであるかっていうふうに考えてみますと、それは非常に人に伝えがたいものっていうような感じを持ちます。つまり非常に伝えがたいものだと。これはつまり、それは持っている人に(?)理解されはしないだろうっていうような、そういう感じを持つものがいわば密室の作業っていうものは中核に存在します。
で、その中核に存在するもの、例えば(???)、僕は自分、僕が要するに真実というものを口にすると、全世界は凍ってしまうだろうっていうような、そういう詩の言葉で言ったことがあるわけですけども、その密室の作業の中核にあるそういう羞恥、つまり伝えがたいことは、そういう感じがおそらく、そういう言い方によって表現される、あるものであるっていうようなことは非常に確かなことだと思います。
で、例えばそういうことが、そういうものが密室の作業の中核にあるっていうこと、つまり真実を口にすれば全世界が凍ってしまうだろうっていうような、つまり一瞬にして表情を変え、そして青ざめて、そして立ち止まってしまうだろうという、そういう意識っていうものは、そういう感じっていうものがいわば詩人というものを、つまり現在の、つまり情報の中で情報の内側で、つまり内側で生きさせない、満ちさせないというものを何者かであるっていうふうに考えることができると思います。つまりそういうことが、例えば一般に詩人というやつはいわば無用の長物であるという言い方で言われる、つまり生活人によっては言われる、非常に本質的な(?)ところにある問題であろうというふうに思います。
確か今年の2月ごろですけれども、僕なんかの詩を非常によく読んでくれて、僕なんかの考え方を非常に追求しようとしていた学生さんが居て、その学生さんが自殺したんですけれども、その学生さんがもともと医学生で、医者の学校の学生さんだったんですけども。で、僕は連絡を受けて火葬場へ行ったわけですけども、火葬場でその学生さんが焼かれる間に火葬場の待合室で座っていたと。そしたらば、その学生さんの郷里の父親と母親と、それから兄弟という人が来ておったわけですけども。そのおやじさんが、僕に向かって言うんだけども(?)つまりうちの息子は、つまり医者の学校を卒業して、そして郷里で開業をしてもらうっていうことが自分にとって唯一の望みであった。それで、だから専門書を買うために金が欲しいって言えば、自分は(???)送金してやっていたと。なんら不自由をさせなかったというふうに思っていた。ところがどういうわけか知らんけれども、途中でそれほど露骨には言わなかったんですけど、要するにあなたみたいな人の、要するに(???)その挙句厭世観に(???)苛まれて(???)それで詩なんていうものはくだらないものだ。誠にくだらないものだっていうふうに思うんだっていうようなことを僕に向かって言ったわけです。
で、僕はそのとき黙ってそのおやじさんの言うことを聞いていたんですけれども(???)ことさら改めて言うと「よしやるぞ」っていうような、そういう気持ちっていうものを心の中でかき立てられたっていうのを覚えています。つまり、いかほど(?)詩っていうものが考えられようとも、詩人っていうものはいかに非常に健全であり、頑強であるような生活人、そして生活人の世界にとっては全くくだらない作業であるっていうこと、そういうことだけは、くだらない作業に見えるっていうことだけは極めて明瞭だっていうふうに僕には考えられます。
しかし、例えば皆さんが詩人という意味を、詩人という言葉を、例えば軽蔑を込めて、例えば発せられようと、それからまた、その他いろいろな意味を込めて発せられようと、要するに僕の考えた詩人っていうものが詩を書く場合もとりあえず(?)密室の作業の中核にあるいわく例えがたいものっていうものが到底理解していただけないだろうというふうに僕には思われます。また、理解されることが不可能であるっていうふうにさえ思います。しかし、詩人っていうものがやっぱりこの世界に存在しないと、この世界っていうのはどうしようもないんだっていう、そういうことをやっぱり詩人っていうのは示していく以外に、つまり黙って、黙ってっていうことはつまり自分の想像によって示していく以外には、それに対していかなる弁明も弁解も許されないって言いますか、弁解してもそれは通じるはずがないんだっていうのは、そういうような感じは持っています。
つまり本当を言えば、詩人っていうのは相当怖いものと、恐ろしいもんだっていうふうに、僕はそういうふうに理解してほしいと思います。それは、皆さんが生活人の次元に居ようと、あるいはインテリジェンシャ(?)と言いますか、知識人の次元に居ようと、あるいは学生運動家の次元に居ようと通じるもので、つまり詩人っていうのはかなり恐ろしいものであるっていうふうに、僕はそういうふうに理解してほしいっていうふうに思います。
戦後詩の問題に入っていきますけれども、戦後詩っていうものはさまざまなかたちでさまざまな流派で、で、さまざまな詩人を現在まで生み出してきているわけです。しかし、戦後詩っていうものを敗戦の後、つまり直後に最初に戦後詩の課題っていうものは、皆来た(?)詩人たちっていうものはだいたいどういうふうに自分たちを考えたかと申しますと、自分たちのいわゆる現実的なって言いますか、生活的なって言いますか、そういう生涯というものは戦争によって傷めつけられてゆがめられ、そして終わったと。そうすると、しかしながら偶然、全く偶然としか言いようのないかたちで、戦争の終結から生きて帰ることができたと。そうすると、どうやってそうしたらば後を生きていくっていうことをやったらいいのかっていうような、そういう問題に当面にして(?)行ったわけです。
そして、その場合に唯一といえる解決法って言いますか、唯一の解決法っていうものは、要するに詩を書くっていうような作業の中で、つまり作業の中でならばやっぱり自分は生きているっていうことが、あるいは言うことができるんじゃないか。つまり自分の生活的な次元、あるいは現実的な次元での自分の生涯がもう散々に荒らされて、生きたまま放り出されたと。しかし、だからこれからこういうふうに生きていっていいか、つまり対社会的に生きていっていいかってことは全く分からなくて、しかし詩を書くなら書くという作業の中でならば、何か戦後を生きていくっていうのはそういう、生きているという感じですね。つまりそういう感じを保ち得るんじゃないかっていうような、そういう問題意識をまず初めに獲得し、それを詩の表現に裏づけていったっていうのが、戦後の最初における詩人たちをいわゆる共通に訪れた運命だったって言いますか、詩を書くという作業に対する位置づけだったっていうふうに考えています。
そして、そのために例えば戦後詩っていうものは非常に発端において、つまり当初と最初において、非常に倫理的なって言いますか、倫理的な色彩を帯び、また非常に観念的な色彩を帯びたわけです。つまりその観念的、倫理的な色彩っていうものはいわゆる停頓した感じ、つまり停滞した感じっていうものを伴ったわけですけれども、その停滞した感じっていうのは何から来るのかって言いますと、それは言うまでもなく自分の生涯を伴う(?)戦争で終わったっていうような、つまり生活次元、あるいは現実次元っていうものが戦争でもって終わったっていうような、そういうようなところから、おそらく戦後詩の観念性、あるいは倫理性というものが非常に停滞した感じ、あるいは観念の堂々巡りの感じっていうものを当てられたら(?)非常に根本的な理由であったっていうふうに思います。
戦後詩の特徴っていうものは何かって言いますと、これは日本の近代以降の詩っていうものと対比していけばすぐに分かることなんですけども。つまり日本の近代詩以降の、戦争っていうまでの詩っていうものは、詩の台頭っていうものを例えば非常に生のままの自然、つまり自然の風物、いわば花鳥風月的な風物なんですけども、そういうものとの交歓って言いますか、そういうものとの交わりとかっていうものによって詩を成り立たせるとか、あるいは非常に主観的な生活のジドクガク(?)って言いますか、そういうものとしてしか詩っていうものが存在しなかったわけです。これは例えば詩の中に生活の不合理を歌い、あるいは倫理性を歌い、世界観を歌い、イデオロギーを歌うっていうような、そういう詩人たちも戦争前までは存在したわけですけども、そういう場合においても、そういう場合には詩の、詩人のイデオロギーとか世界観とか思想とかっていうものは、いわゆる言葉の意味内容として詩の中に乗っかってくるというそれだけのことであって、別に詩の表現自体は思想性をはらむっていうようなかたちでは存在しなかったわけです。
つまりそういう意味では、花鳥風月を視点の対象に選び、そしてまた自己告白を詩の表現対象として選んだっていう、そういう詩人たちの時系列と別段異なった系列を成しているわけではありません。つまりそういう意味では非常に共通性をはらんでいたっていうことができるわけです。
ところが戦後詩っていうもの、あるいは戦後詩人たちによる詩というものは、それは自然に対する一種の感傷でもなければ、あるいは自己告白っていうようなものでもないと。さればとて、意味内容としてだけ世界観を歌い、あるいはイデオロギーを歌い、あるいは自分の成している(?)生活の不合理を歌うっていうような、そういうものとも違ったかたちで、つまり詩の表現そのものの中にそういう個人的な契機(?)、あるいはただ言語の意味内容としてだけに出てくるイデオロギー性っていうものを拒否する、そういう態度っていうものが詩の表現そのものの中に表れてきたわけです。だからそれによって詩の表現は極めて観念的にもなり、また観念的抽象的な言葉を導入することにもなりましたけれども、そこでは詩の性格っていうものはある程度、いわば人間の、つまりわれわれの周りを取り巻いてる全部のこと、全部、すべてのことを詩の対象に取り込むことができるんだっていうふうに、つまり詩の対象の世界っていうものを拡大していったっていうこと、拡大したっていうような言い方ができるかと思います。
そして、このような拡大っていうのは何をして(?)起こったかって言いますと、個人的に言えば、個々の詩人について言えば、それは戦争体験っていうようなものによって日常生活で行われる、ぶつかる体験とは全く異質の体験をしたと。つまり体験を全く広めたって言いますか、対極の世界がそのまま拡大していったっていうことが第一に数えられます。
そして、第二にはそういう対極の世界が日常性と違うところに戦争によって拡大されたっていうような、そういうことだけではなくて、日常体験の世界の向こう側に、つまりあちら側に、つまり此岸って言いますか、向こう岸のほうに、なおまた観念、つまり人間の観念なり思考なり、追求すべき対象が存在するっていう、そういうような割れ目と言いますか、裂け目をやっぱり初めて戦争体験によって一時的に垣間見たっていうことが言えると思います。
つまりそこでは日常生活から生まれたもの、思想性っていうものが、思想性の世界ではなくて、そういう日常生活以外の向こう側になんかやはり思想性の対象とするべき世界っていうのがあるのではないかっていうような、そういう世界っていうものを戦後の詩人たちは戦争体験そのものによって垣間見たっていうことができます。
これが、おそらく戦後詩によって日本現代詩、あるいは近代詩以降の詩が非常に対象の世界を拡大されたっていうことの、いわば詩人の側からの根拠であったっていうふうに思われます。
で、もう一つは何かと申しますと、つまり戦後っていうこと自体の問題が、これは社会的問題としてあるわけで。この戦後っていうのは何かって言いますと、つまりこれは(???)さまざまな言い方ができますけれども、その戦後の(?)つまり、発端(?)ですね。つまり戦争が終わった直後における時点の(?)戦後っていうものは何を意味したかって言いますと、そこではいわば日本の権力っていうものが一種の無風状態に、つまりすべての統制力、支配力を総合した(?)ある一時的な瞬間っていうものがあったっていうことなんです。で、それにあえてもらって(?)例えば知識人となれば、知識人っていうものがいかに進むべきかっていうような問題について、何も分からないと、未知であるというような、そういう体験をした時期が初めて、つまりこれは日本の近代以降、初めて訪れたっていうことができます。
それから、いわば大衆にとってもまたその状況においては、つまりどうやって生活していくのかも分からないし、もちろん自分たちの生活を強力にフセイしてきた(?)権力っていうものは全く存在しないかのごとく、その崩壊に晒されていたっていうような、そういう一時期を戦後っていうものは体験したということなんです。
で、この体験っていうものは日本は明治以降の近代の社会の歴史の中で、いわば全く初めての全く未知の体験であったわけで。そこでは権力そのものもそうですし、またその中での大衆も、また知識人というものも、いわば一歩先へ進むためには一歩手探りをしなければ分からないと。何もかも未知の体験だと。つまりこれは手探りによって徐々に切り開いていく以外に、誰もそれを外から規制してくれるものもなければ、内から規制してくれるものもない。つまり自らの手探りの体験でもって切り開いていく以外にないっていうような、そういう体験を初めて戦後、この日本の近代以降の歴史の中で、体験したわけです。
それで、そういう体験っていうものが、例えば戦後の詩っていうものを取り巻いてる、いわば社会的な環境っていうものの根本にあった問題なんです。だからそこでは少なくとも一時的には無権力状態であり、その無権力状態と同時に無風状態があり、そして無風状態と同時にどこへ行っていいかさっぱり分からないという。一歩、例えば行動するにも、だいたいその一歩がどの方向へ行けばいいのかわからない。一歩生活するにも、何を補足(?)していいのか分からないっていうような、そういうような状態的にも体験したわけです。
で、これを例えば私なら私個人の体験っていうものにしようっつって考えてみますと、私には例えば、つまり日本の国家権力を使った(???)っていうものが、いわばポツダム宣言というものを受諾して、受諾の条件として、つまり天皇制、あるいは天皇家と言いますか、そういうものの戦争責任は決して追求しないというような了解に得たうえで、日本の支配層っていうものはポツダム宣言を受諾していわば戦争を、つまり無条件降伏によって終結したわけですけれども、わたくしどもは全くそれに対して反対の考え方を持っていたわけです。
で、だからそういう戦争の終結の仕方っていうものは、もちろん予想していませんでしたし、またそういうものを納得することができないと。それならば、もし勝手に支配層が天皇制の温存っていうものを条件にしてポツダム宣言を受諾するっていうような、そういう戦争の仕方っていうことをいくら支配層がやっても、そういうことにはお構いなしに、もし例えば徹底抗戦するっていうような、そういう集団なり勢力っていうものが存在したとしたならば、やはり自分はそれに投じていくべきだと。つまり徹底抗戦すべきだというふうに考えておりました。
つまりそれほど問題っていうものは(?)不可解なかたちで、つまり突如として戦争の終結っていうようなことが行われたわけです。身辺のことを言っても、例えば当時僕は魚津岬(?)にいたわけですけども、魚津岬(?)から全く虚脱状態で帰ったわけですけど、つまり帰ってから要するに、つまり例えばまた大学が再開されるのかっていうことも分かりませんし、また再開された大学へまた例えば通うべきなのかっていうようなことも分かりませんし、つまり身辺のことの僕のこと自体を取ってみても、何一つ分からない。つまり何一つどうしていいか分からないっていうような、そういうような状態っていうものを個人的にも体験したわけです。つまり一つの身の処し方自体でも、つまり個人の身の処し方自体でも、全くすべてわからないと。つまり未知であると。そういうような状態のものを体験したとも思います。
で、だいたいそういう、これはさまざまな考え方がありますけども、こういう途方に暮れると言いますか、行く手が分からないっていうような、そういうような状態をまず例えば日本の支配層っていうものが、まず徐々に脱却したっていうのは人によっていろいろ考え方があります。僕は、それは例えば朝鮮戦争を経験する者だとか、あるいは戦後もう4、5年、あと(???)分かっていたっていうような、そういう方向に向かったっていうような、いろんな考え方があるでしょうけども、支配層っていうのは再びまた資本系の(?)軌道のもとに国家を再建、作っていくっていうような、そういう軌道を歩んだことです。
それで、そういう軌道に対しての、あるいはその他諸々の軌道に対しても、わたくしどもは徹底的に不信の感情を持ったわけです。その不信の感じっていうものは、連中にはなんの負債もないということ。つまり、俺はどのような権力、それからどのような勢力に対しても、なんの負債も持っていないと。つまりわれわれはすべてのもの、自分自体も含めてすべてのものの醜態っていうものは全部見たと。だから誰に対しても負債を負わないと。それだから、どのように振る舞おうとまず誰からも文句言われる筋合いっていうものはないと。そういうふうな考え方っていうものに充分に到達したっていうふうに言うことができます。
その間、紆余曲折がありますけれども、つまりわれわれはすべてのものに対して権力が、それから反権力に、戦後の反権力的な人の集団、つまり戦後入ってきたそういう集団に対しての、つまりわれわれはどういう負債も負っていないと。つまり連中の醜態っていうのは戦争中、それから敗戦を境にするその混乱の機に(?)おいて、もうはらわたの底までも見尽くしたっていうこと。それはいわば(???)言えるわけで、大衆のはらわたっていうものをだいたい日本の大衆っていうものはこんなものだっていうような、そういう問題もすべて見尽くしたっていうような感じ。
だから従って、われわれは、僕はどういうものに対しても負債を負ってないと。われわれはそれに比べて決して上等であることも言えないけれども、しかしそれよりも下等であったっていうふうに、だからそれよりも駄目だったっていうふうにも少しも思わないっていうような、そういう体験っていうものを初めてしたっていうふうに思います。
そこで、つまり歩むべき方向っていうものは極めて自由であると。つまり自由であるっていうのはわがままであるとともに、つまりわがままのうえでの自由であるとともに、同時に自分では皆目分からないと。つまりこれがやはり手さぐりしていくよりほかに方法がないと。そういうような状態に戦後投げ出されたって言うことができます。これは戦後の発端の(?)詩人っていうものと若干違う考え方であるかもしれません。つまりこれは年代にも若干のずれがありますから考え方が違うかもしれませんけれども、わたくしどもはそういうふうに考えて、それならば自分自身で考え、自分自身で道をおいて(?)、そして自分自身で何かを作り上げていくっていうような、そういう状態以外には切り開くべき道っていうのは存在しないんだっていうような、そういうことを自分の課題として課してきた。そういうふうに考えております。
そして、だいたいにおいてこのような状況っていうものは、つまり個人的な体験とか、あるいは年代的な若干体験だっていうのはありますけれども、大なり小なり共通であったんじゃないかっていうふうに思われます。つまり手探りだっていうこと。手探りの中でもさまざまな馬鹿げたことが行われ、そして馬鹿げたことを行いっていうような、そういうこと。そして道を見つけるに、全く方法が(?)ないという。そういうような問題については、おそらく大なり小なり同じ状態に置かれたんじゃないかっていうふうに考えております。つまりこういう状態っていうものが戦後詩の一般的な背景と言いますか、全般的な背景っていうものを成してきたんじゃないかっていうふうに考えております。
それが、例えば戦後詩っていうものをただ単に敗戦、第二次大戦の終わり、あるいは太平洋戦争の終わった以降の問題だという意味ではなくて、戦後詩っていうものを日本の明治以降の、つまり近代詩以降の中に位置づける場合に、われわれが持っている社会的背景と、それから個々の詩人たちがそれぞれが負った、いわば全人的な荷重と言いますか、重荷って言いますか、そういうものの共通基盤にあったのではないかというふうに考えられます。
で、これがやはり戦後詩っていうものを戦争中までの(?)日本の近代詩っていうものと決定的に分けている点だと思います。例えば、だから現在マスコミなんかで詩のブームだっていうふうに言われていますけれども、そのぐらいの詩っていうのは少なくとも昭和の初年、ないしは10年ぐらいまでの詩に限られるわけです。そのブームっていうのは。
なぜそうかと言いますと、そこらへんまでの詩っていうものは、先ほど言いましたように、つまり花鳥風月的な視点、つまり風景的な自然に対する感情の移入を主題にしているという意味では、私たちは近代以前にさかのぼっても慣れ親しんでいる、それはモチーフでありますし、それから自己告白、つまり消極的か非消極(???)だけれども、自己告白という主題としても、これはごく一般に読者が私小説を読んで分かると同じような意味では分かりますから、そういう意味で現代の詩の部分っていうのはおそらくそのへんまでの詩を指して、つまりそのへんまでの詩の読者を想定して詩のブームっていうようなことがいわれているんだと思います。
しかし戦後詩っていうのは決してブームの中には、現在存在していないわけです。その存在していない理由は、そこでの詩のモチーフっていうのが、つまり根源的にって言いますか、本質的にあるモチーフっていうのは自己告白でもありませんし、また単なるイデオロギーの寄せ集めでもありませんし、それからまた単なる自然鑑賞っていうようなものでもありませんし、つまりそういうものという意味、つまりそういう意味合いから解釈すると、ちょっと解釈のしようがないじゃないかっていうようなところに戦後詩の特徴っていうものがありますから、この特徴はちょっと、いわば大衆的な感性、感覚、それから考え方ではとても捉えられないっていうような、つまり位置づけができないっていうような、あるいは意味づけができないっていうような面を持っています。
だから戦後詩っていうものは、現在、つまり詩のブームっていうようなものからは全く除外されているわけです。つまりそういう視点からは、つまり詩の読者、つまり多くの読者っていうものを想定した場合には、その読者の理解の尺度とはいくらか違った次元に詩のモチーフがあり、また詩の主題があるというふうに存在しておりますから、これは現在でもブームには少しもなり得ていないわけです。
こういうことは一般的に言って、戦後っていうもの、つまり開戦以後の、二十何年経っていますけども、以後という問題が本当の意味で最終の(?)問題になっていないということを意味しているのではないかというふうに思います。つまり戦後っていうものを日本の、例えば近代社会の発展の中でどう位置づけていくかっていうような問題になっていきますと、どうもはっきり位置づけることができない。少なくとも大衆が非常に直感的な、あるいは感覚的な捕まえ方から苦労せず(?)捕まえられるっていうような意味では一般的になっていないんだっていうふうに考えることができると思います。
これが例えば戦後っていうものがわれわれに残している本当の課題ではないかっていうふうに思います。それは今後解決されなければならない課題でもありますし、これはつまり思想的、あるいは政治的、その他詩固有の問題としても解かなければならない問題であるし、依然として現在に残っている問題じゃないかっていうような感じがします。
で、例えば戦後っていうものの、例えば終結、終焉って言いますか、戦後は終わったっていうような事件をどこに設定するかっていうことで、さまざまな考え方の分かれがあるとしても、戦後は現在終わったっていうふうに言われる原因は、要するに何を意味しているかっていうと、つまり戦後詩の士気(?)っていうようなものが、つまり再建の軌道に乗り、そしてその膨張の軌道に乗ってきたっていうような、その時点以降を指して、例えば戦後終わったっていうふうに言う以外に(???)方法はないのです。
つまりこの戦後は終わったっていう時点で、例えば戦後当初の詩人たち、または文学のほうでいえば第一時戦後派っていうふうに一般的にならわされている、そういう作家っていうものがだいたい次第に事態を(?)失っていったっていうこと、そういうことが言うことができるんじゃないかと思います。
つまり戦後っていう、戦後の詩、あるいは戦後の小説っていうもの、つまり散文って言いますか、小説っていうものを終結させたのは、要するに別にほかの誰でもなく、戦後詩人たち、あるいは戦後作家たち自らが終結させたのだと。つまり自らが自らの作品によって終結させたのであるっていうふうに僕は考えています。これは決して、(???)反動的、あるいは保守的な流派が起こり、あるいは文学における反動的、あるいは保守的な流派が起こったから戦後文学、あるいは戦後詩っていうものが終結したわけではなくて、自らが要するにひとたびこの再建された安定した戦後詩のある種の(?)軌道っていうものの社会に乗っかったときに、すでに戦後詩っていうものは、あるいは戦後文学っていうものは自ら終結をしてしまったわけです。
そしてそれ以降の課題っていうものは、要するにいかにしてどこに、つまり集中力、あるいは凝集力って言いますか、そういう凝集力の禍福(?)っていうものをどこに求めるのかっていうような、そういう問題についてモチーフを創出したっていう、失ったっていうことが大きなそれ以降の戦後詩の問題になってくると思われます。
で、その集中すべき、あるいは集中力、あるいは集中力を書くっていうものを失ったっていう問題は、おそらくわが国だけの特有な問題ではなくて、これはいわゆる世界的な規模でそういうことが言えると思いますけれども、つまり世界中的な規模で、要するにどこに、例えば詩の創造の核を求めるかっていうのは、そういう問題に対する集中力を失っていったと。失わざるを得ないような状況に立ち至ったっていうことが、おそらく今言った大正の戦後詩(?)っていうものが消滅した後に、例えば詩人たちがその消滅した問題であったっていうふうに考えることができます。
それで、この問題っていうものは、例えば思想的な問題から政治的な問題、そのさまざまな問題からそういうことが同じように定義され得るわけですけども、詩の問題として言えば、そのとき以降において詩人たちは、いわば拡散、つまり凝集力を失った主題を自分は失った、失ったっていうふうに歌う、書くか、あるいは凝集力を失われて、拡散してしまった社会との拡散したある場面っていうものを主題にして詩を作るかっていうようなかたちに転化していったのではないかっていうふうに考えております。
で、それならば例えば現代の世界状況の中で、一般的な状況、共通の状況の中で、何がって言えば詩人の創造の密室を密室たらしめる、つまり凝集力っていうものの核になるかっていうような問題があるわけですけれども、その問題は現代、つまり非常にさまざまな混乱を呈して提出されているわけです。
例えば皆さん、あるいはお読みになった方もおられるかもしれませんけれども、最近佐藤の東南アジア、南ベトナム訪問っていうのに際して(?)学生運動がそれを阻止運動をやったと。で、その阻止運動が、で、1人の学生さんが死んだと。そういうのに対して一口に言えば後悔派の(???)詩人職務っていうのは(?)中心に声明が出されていますけれども、皆さんがお読みになった方もおられるでしょう。つまりそれは(???)である某でありっていうようなかたちで、声明が出されております。つまりその声明が要点と言いますか、肝心なところを言いますと、その声明っていう、声明はつまり誰もそれを進んで受け入れようとしなかった佐藤の南ベトナム訪問阻止っていうことを学生運動が最初にやったんであるっていうこと。で、おだてて言うわけですけど、おだてられたほうは極めていい気持ちかもしれませんけれども、私はその声明を読んで極めて不愉快でありました。それは理論的に不愉快であり、かつ思想的に不愉快であり。
つまりなぜかと言いますと、それらの詩人たちっていうのは決して個々の人として才能がないような詩人ではないんですけれども、しかしそれらの詩人たちが考えている現代における凝集力、先ほど(???)詩の想像力を凝集力って言いますか、そういうものの核を依然として政治と文学っていうようなパターンで捉えているっていうことなんですよ。
つまり政治が、あるいはそれによっかかりっていうところに核を求めているわけなんです。つまり政治と文学っていうようなパターン、つまり日本においてはプロレタリア文学(???)それから全社会的には社会的に2人(?)つまり社会(???)見られるものっていうような本流を成している政治と文学っていうような、そういう考え方における、文学の相対的な、政治に対する相対的な中毒性って言いますか、そういうものの(???)っていうものが非常に(???)そういう詩人たちの声明の基本的なパターンを成しているわけです。
つまり詩人が例えば自らの力によって自らの相当の覚悟を見つけるっていうような、そういうようなことに徹し、最後には徹しきれないで、つまり割合に立ち消えそうな(?)顔をしていたそういう人たちが徹しきれないで、最後にはやっぱり政治と文学っていうようなパターンって言いますか、(???)って言いますか、そういうスターリン以降の図式(?)っていうものがどうしても逃れることができないという、そういうものが醜状っていうものをさらけ出しているわけです。
そういう図式はいつまで経ったって政治と文学っていうような、そういう図式を逃れることはできませんよっていうふうに言うことができます。そうしますと、政治が、つまり政治っていうものが政治学的に(?)雪解け政策を実施すれば割合に自由な詩ができて、わがままな詩が出てきて、そしてちょっとギュッとちょっと締められるとまた締められたような詩ができる。そういうパターンっていうものを繰り返し繰り返しさせている(?)っていうような、そういう段階って言いますか、そういう緩急(?)っていうものをどうしても出られないわけなんです。
で、それは詩人、つまり詩人っていうものが自らの創造の核っていうものを、核って言いますか、凝集する核っていうものをどこに求めるかっていうのが今日考えていきますと、僕は詩人が、要するに原型として考えられる大衆っていうものを、あるいは沈黙の意味としてしか存在し得ない、あるいは沈黙の意味として存在している大衆との繰り返し繰り返し対話って言いますか、つまり対話っていうものによってしか詩の創造の核っていうものは現在回収(?)することができないっていうふうに考えます。
政治と文学っていうような図式でいく限りは、まだまだ拡散、分散が、分散、拡散が続くでしょうし、そういう次元で問題が仲裁されるなんていうふうに考えるのは全くばかげた考え方であって、そういうものによって例えば詩の創造っていうようなものが、こんにち置かれている拡散した状況っていうのを免れることは僕はできないだろうというふうに考えております。
それで、唯一の詩人が現在の状況における拡散を免れるって言いますか、拡散からある凝集力を奪回するっていうような、そういう場合の唯一のよりどころっていうものは、いわゆる原型として考えられる大衆っていうもの、そういうものの沈黙っていうものの裂け目(?)ですね。そういうものとも繰り返し繰り返しやるその対話っていうものですね。対話っていうものによって自己を奪回していく。つまり自己の創造の核っていうものを拡散から凝集へっていうふうに、あるいは周辺から核へっていうふうに結集していく。つまり自ら創造の核を結集していく根拠っていうものは得られないだろうというふうに考えております。
で、そういう問題意識に至ったとき、初めて現代、例えば西洋詩(?)がいかに当初の理想であり、当初の、つまり無権力状態の中で垣間見たそういう混乱と無秩序の中から何かを見つけていく、(???)的に見つけていくっていうような、そういうものを、例えば現在極めて(???)いるかのごとくに見える、そういう戦後の(?)資本制社会っていうもののそういう国家権力のもとでの拡散状況に対して、これを打ち余って(?)凝縮していく。凝縮していく核、創造の核っていうものを獲得していく、非常に(?)根拠っていうものはそういうところにあり、またおそらく現代における詩人というもの、つまり広義の意味の戦後の詩人というものの存在理由っていうものは、おそらくそういうところにあるだろうっていうふうに考えます。
そういうところで成される創造っていうものは、詩の創造っていうのは、わたくしが現代見ている限りでは、今ではその形を表してはいませんけれども、こういう予言っていうのはなかなか当たらないものですけども、おそらく数年間の後に、おそらくそういう核を獲得してきた詩人っていうものがわれわれの眼前に現れるであろうっていうことが、僕は想定しているわけです。そしてそのときにおそらく、戦後詩の問題っていうものが単に敗戦直後の問題っていうようなイメージではなく、例えば明治以降の全近代詩の中での戦後詩の問題っていうようなものが初めて作品そのものによって表現されて表れるのではないかっていうふうに考えております。そういう詩人が、また現れなければおしまいなわけで、つまりいつまで経ってもおしまいなわけで、私はそういうおしまいに居たっていうことを想定しないためには、必ずそういう詩人が出てきて、いわば戦後っていうものを近代詩の中で、近代の中で位置づけうると同じように、戦後詩っていうものを広義な意味で、つまり近代以降の日本の歴史の中で位置づけうるというような、そういう作品となって表れてくるに違いないと考えますし、またある意味でそれに望みを託しているっていうふうにいうことができます。
簡単ですが、これで(???)
テキスト化協力:はるさめさま