1 司会

 若い人たちに強い影響をもっておられる評論活動をおこなっております。それでは、これから、吉本隆明さんにお話を伺います。

2 短歌の独自性

(会場拍手)
 プログラムには、「詩と詩人について」っていうふうに書いてあると思いますが、今日は、すこしアカデミックな、ここに書いてあるとおり、詩的な喩の起源について、お話したいと思います。今日は、白石さんのH氏賞受賞ということをお聞きしております。
 白石さんの詩は、ひとことでいえば、節度あるやぶれかぶれみたいな(会場笑)、女性の詩人っていう、つまり、結婚の対象とか、恋愛の対象にはしないほうがいいんじゃないか(会場笑)、それは、白石さんにかぎらないわけで、どうしてかといいますと、男性にとっては、詩はかならずしも、結婚の対象ではないのですけど、女性にとっては、おそらく、詩を書くっていうこと自体が、おそらく、詩との結婚っていうことを意味するわけで、それ以外に、余計な奴がいくらあらわれても、それはダメだろうっていうふうに、ぼくには思われます。
 で、白石さんの詩について触れなければいけないのでしょうけれども、それは、このくらいで勘弁していただきまして、ただちに、アカデミックな話に(会場笑)。で、みなさんがもし、詩を書いておられるならば、かならず、そういう体験がおありであろうと思われますけど、こういうことがあります。
 つまり、もし、俳句を、たとえば、つくっていた人がいると、その俳句をつくっていた人が、たとえば、あるときから詩を書き始めた、つまり、詩を書き始めたっていうのは、おかしい言い方ですけど、いわば、現在詩を書き始めたっていうふうな体験があるとします。そうしますと、おそらく、それ以前に、たとえば、俳句を書いていたってことが、かならず、現代詩を書くっていう場合に、役立つっていうことがあります。
 それから、現代詩を書いていた人が、あるときから、小説を書くようになった、そうしますと、おそらく、その小説を書くに際して、現代詩をつくっていたという体験は、かならず、役立つだろうというふうに、ぼくには思われます。
ところで、ここに短歌を書いていたっていう、つまり、歌人であったっていう人がいたとします。で、歌人であった人が、たとえば、小説を書くとか、あるいは、現代詩を書くっていう場合に、短歌を書いていたっていうことが、役立つかどうか、つまり、なんらかの意味で役立つかどうかって考えた場合に、ぼくの考えでは、おそらく、役立たないだろうというふうに思われます。
 それは、おそらく、短歌っていうものが、非常に独特な、つまり、独自な、詩としての展開の仕方をしているので、そのために、どうも、ぼくの考えでは、俳句とも、いわゆる現代詩とも、違うものだと思いますし、また、一種の詩的迷路といいますか、そういうものが、短歌のなかにはあるので、だから、ある意味で、独自な詩形式だけれど、しかし、それが、ほかの、つまり、現代詩とか、小説とか、そういうものを書く場合に、役立つということはないだろうというふうに思われます。
 それから、もうひとつは、ある一定の水準まで、短歌の、つまり、歌人として達したと、そういう、その達したという以降が、たいへん、短歌の場合にはむずかしいんじゃないかっていうふうに思います。つまり、これは、たいへんな迷路があって、たいへんむずかしいところなんじゃないかっていうふうに思われます。これは、ほかの詩形式ってものと、おそらくは、ちょっと、短歌の場合には、違った点だっていうふうに考えます。

3 虚詩-無意味な表現の例

 ところで、そういう意味合いで、独自な詩形式なんですけど、われわれが、たとえば、現代詩における、つまり、比喩ですけど、つまり、暗喩とか、直喩とか、そういうものを考えていく場合に、その起源っていうものは、どこからくるかっていうことを、つまり、日本語における喩の起源っていうものは、どこからくるかっていうふうに考える場合に、いちばん考えやすいのは、俳句とか、現代詩とかってことじゃなくて、おそらくは、短歌のなかに求めやすいのではないかっていうふうに考えます。
 その問題を、非常に具体的に、すこし、申し述べてみますと、ここに3つばかり書いておきましたけれど、一等最初に書いたのと、二番目に書いたのは、万葉の東歌っていわれているものです。
 東歌っていうのは、なにかっていいますと、詩の形式として、あるいは、短歌の形式として、わりあいに、古いかたちを、つまり、起源にあるかたちを保存しているものです。いまの言葉でいえば、非常に、民謡に近いものです。
ただ、古いかたちを保存しているってことは、時代的に古いかどうかってこととは、一応かかわりはありません。つまり、表現的に古いかたちを保存しているっていうふうに考えます。
 で、二番目の、たとえば、

ま愛しみ さ寝に吾は行く 鎌倉の
美奈の瀬河に 潮満つむなか

 っていう、これは東歌ですけど、こういう短歌があります。
 これは、どういうことかっていいますと、つまり、愛しい恋人と一緒に寝る為に自分は行くと、行くというのが、一首の、ひとつの作品としての意味です。つまり、作品としての意味は、それだけのことなわけです。
 そのあとの、「鎌倉の 美奈の瀬河に 潮満つむなか」っていうのは、まったく、一首の意味とは関係ない言葉です。関係ないってことは、いわば、ナンセンスってこと、ノンセンスってことです。つまり、無意味ってことです。
 無意味ってことは何かっていいますと、愛しい恋人と一緒に寝にいくっていうような、そういうこととは、何のかかわりもない言葉であるわけなんです。
 これを、たとえば、現代の和歌の研究家とか、学者とかに解釈させますと、そうじゃないんだと、つまり、この場合には下句ですけど、下句の言葉、つまり、これは、ある意味でいって、風景の描写なんですけど、風景の描写ってものが、上句の「ま愛しみ」ってことの、いわば、序詞ですね。イントロダクションってものになっているっていうのが、現代の研究者ってものの解釈です。
 もっといいのは、そのはじめなんですけど、

筑波嶺の をてもこてもに 守部すゑ
母い守れども 魂ぞ逢ひにける

 っていう、これも東歌です。
 この場合には、一首、つまり、一篇の詩としての意味は、まったく、下句にあるわけです。つまり、母親が監視しているけども、自分と恋人との仲っていうのは、魂が通っているんだっていうことを言いたいわけです。
その場合に、上句の、「筑波嶺の をてもこてもに 守部すゑ」っていう上句っていうのは、まったく意味がない描写であるわけです。これも、現代の和歌、あるいは、短歌の研究者、学者、あるいは、歌人っていうものにいわせると、これは、下句の、母親が守っていても、自分たちの間を妨げることができないと、魂が通うんだっていう、そういう言葉をおびきだすためのイントロダクションだっていうのが、そういう解釈の仕方をするわけです。
 しかし、ぼくは、そうは思いません。つまり、そうではないので、まったく、下句と上句とは関係のない言葉だ、関係がない表現だっていうふうに考えます。
 もちろん、みなさんは、よく勉強しておられるから、意味はおわかりでしょうけど、あの場合、筑波山のあちらの山際、こちらの山の面、そういうところに、「守部すゑ」っていうのは、つまり、守備の兵士たち、防人たちっていうことでしょうが、そういうものがいて、敵がないかってことを見守っている、そういう意味になります。
 それで、その「守部すゑ」っていうのが、「母い守れども」っていうのとひっかかってくる、つまり、「母い守れども」にひっかけるために、上句があるんだっていう、上句は、そのイントロダクションだっていうのが、現代の研究者の、一般的にとっている考え方です。
 しかし、ぼくは、そう思わないわけです。全然、これは、関係のない言葉であって、これをイントロダクションということはできないので、むしろ、虚詞といいましょうか、つまり、虚実の虚ですね、つまり、ぜんぜん虚しい、無意味な言葉だっていうふうに、表現だっていうふうに考えます。
 この無意味な表現っていうものが、非常に、たとえば、重要なことなので、これを無意味な表現といっても、それから、序詞っていっても、つまり、イントロダクションだといっても、おんなじじゃないかってお考えかもしれませんけど、そこが、非常に微妙なところでして、微妙な違いがあるのでして、つまり、これをイントロダクションだっていうふうに考えていきますと、たとえば、一番目でいえば、上句ですね、二番目でいえば、下句ですけど、下句っていうものは、いわば、上句の、喩の起源っていうことになるわけなんです。
 しかし、これをイントロダクションではなくて、ナンセンスだ、つまり、無意味だ、つまり、虚詞であると、つまり、無意味な表現であるというふうに考えた場合には、これは、上句または下句が、喩にはならないわけなんです。まったく、無意味な、あるいは、つながりのない、下句、または、上句と、つながりのない景物表現ということになります。そこのところは、非常に微妙ですけれど、それは、たいへん違う、重要な違いなんだっていうふうに考えられます。

4 なぜ無意味な表現をしなければならなかったのか

 たとえば、明治以降でも、万葉集復興みたいのが、たとえば、アララギの歌人ってものを主体にしてでてきたわけですけども、その場合に、アララギの歌人たちが、一様に誤解したのは、どういうことかっていいますと、いま言いましたように、一番目でいえば上句、二番目でいえば下句の、景物表現とみえるものを、一種のイントロダクション、いわば、詩の言葉、現代詩の言葉でいえば、喩であるというふうに理解したところに、たいへんな誤解ってものがあるわけです。その誤解が、おそらく、アララギの歌、アララギ派の短歌ってものがもっているくだらなさってものに通ずる、そういうことになるというふうに思います。
 そのことは、非常に、ぼくには重要なことのように思われます。つまり、考えてみますと、これは、日本語における喩の起源ってものを考えていきますと、最初に、喩になりきらない、あるいは、喩になることができない、無意味な表現ってものが、一種の詩の形式のなかに、必要であったってこと、その必要であったってことが、非常に重要だっていうふうなところに、たとえば、喩の起源っていうものをたどる場合の、大きな問題がかかわっているっていうふうに考えられます。
 これを、イントロダクションであるとか、比喩であるとかいうふうに考えるのと、非常に、ある意味でおんなじように、お考えになるかもしれないけど、たいへん違うことだってことが、重要だというふうに思います。
 つまり、なぜ、たとえば、日本における詩形式の、わりあいに古いかたちってものをたどっていった場合に、詩形式の、約半分を使って、無意味な表現をしなければならなかったか、あるいは、逆にいいますと、有意義な表現っていうものは、ほんのちょっぴりしかないっていうふうになければならなかったってことが、日本の詩ってものを考える場合に、あるいは、詩の喩ってものを考える場合に、非常に重要なことだっていうふうに思います。
そうだとすれば、たとえば、ほんとうの意味で、第一首目でいえば、「筑波嶺の をてもこてもに 守部すゑ」っていうのは、それならば、これは景物の、風景の、写実的な表現であろうかっていうふうに考えてみましょう。それから、二番目の「鎌倉の 美奈の瀬河に 潮満つむなか」っていうのは、それは、景物の、つまり、写実的な表現であるかっていうふうに、考えてみましょう。
 そうすると、アララギ派の考え方でいえば、それは、実相観入とかいうことになりまして、ある程度、そういうところから、写実っていう、茂吉の言葉でいえば、実相観入なんですけど、つまり、写実主義っていうものがでてきたわけです。
 しかし、ほんとうは、これは、景物の表現でありますけど、写実でもなんでもないのです。この場合の景物は、筑波嶺のうんぬんもそうですけど、この鎌倉の美奈の瀬河っていうのは、いま、稲瀬川っていってる川です。それから、この水無瀬河っていうのは、どこにでもあるものです。京都のほうにもあります。つまり、水無瀬川って、水の無い川と書いて、水無瀬川っていうふうに読ませている川があります。
つまり、そういう川っていうのは、そういう川の名前っていうのは、いたるところにあるわけですけど、そういうふうに、いたるところにあるってことが、ひとつの重要なポイントになるわけですけど、この場合には、景物の写実的表現というよりも、景物自体が、これは、ぼくの言葉でいえば、ようするに、共同幻想なんですけど、つまり、ある共同体の観念的な象徴という意味合いで、使われている景物なのです。
これは、筑波山もそうです。これは、関東地区における、たいへん、集落、あるいは、村落の共同体にとって、非常になんらかの進歩的にか、なんらかの意味で、非常に象徴的なもの、そういうものが、ここに景物表現のごとく存在して、一首のなかに、無意味な表現としてでてきているわけです。
だから、それは、けっして、写実でもなければ、いわば、われわれが現在、考えるような景物描写、風景描写ってものとも違うわけなんです。そういうことを、よく理解し、よく考えないと、そこから、写実化、しかも、景物に対する写実化っていうようなものが、非常に微細にわたって追及されてくるっていうのは、そういう短歌の形式っていうのは、近代以降においても、おこなわれてきているわけですけども、おそらくは、それは、まったく違うので、そういう人たちの、万葉の解釈の仕方っていうのは、どこかが違うのです。
どこかが違うってことは、いま言いましたように、虚詞としてみるか、つまり、無意味な表現としてみるか、あるいは、なにか一首の詩の心の在りどころってものをおびきだすためのイントロダクションとしてみるかっていう、そういう微妙な違いってものが、それを写実としてみるか、あるいは、共同の観念、宗教的にか、あるいは、生活的にか、そういうものが集まるところの景物ってものが、いわば、そういうものとして、無意味であるけども、そういうものとして、そこにだされてきたかっていうことの解釈の、非常に微妙な違いのなかに、問題がでてくるわけです。
 そういうふうに考えていきますと、日本の短歌形式というものの、起源の独自さってものが、おのずからはっきりしてくるわけで、その独自さと、いわば、迷路ってものが、非常にはっきりしてくるわけで、そこのところで、おそらく、日本語の言葉で書かれる詩の問題ってものが、大きく、問題の発端として、でてくるというふうに考えられます。

5 日本語の迷路

 それから、もうひとつの問題は、非常に、今度は、言語学上の問題になってしまうわけですけど、たとえば、日本語と、日本語周辺にある、たとえば、地域との言語年代的な比較をやると、そうすると、だいたい、どこにも類似の言葉がないっていうようなことが、現在のところでてきているところなんですけど。
 つまり、日本語と、なんらかのかたちで共通性があるらしいとみられうるのは、まず、琉球沖縄では、3,4千年くらい以前には、同じ祖語から分かれたであろうということが、おおよそ言えるということ、それから、もうひとつは、7千年から1万年くらいさかのぼりますと、日本語と朝鮮語っていうのが、あるいは、同じ祖語に、つまり、元の言葉にぶち当たるのではないかってことが、なんとなく言えそうだってところが、現在の言語年代的な到達点であるわけですけど。
しかし、考えてみまして、周辺の領地と、まったく関係のない、類推がきかないような言語っていうのは、言葉の本来的な性質からしてありえないのであって、もし、それだけのことしかいえない、つまり、日本語っていうのが、どこにも周辺に類推する基盤がない、あるいは、類似の言葉が見つからないってことは、どういうことを意味しているかっていうと、大変な誤解がどこかにあるに違いないと。
 その誤解の主な部分は、たとえば、漢字の音でもって置き換えていったと、それで、置き換えていきますと、はじめは、表音的っていいますか、音を借りるために、漢字を借りてきたわけですけど、終いには、それが年代を経ていきますと、漢字自体の一語一語に意味がそれぞれありますから、だんだん意味があるものとして、変わってきてしまうってことがありうるわけです。
 だから、たとえば、二番目のあれでいいますと、美奈の瀬河っていうふうにあるでしょ、そうすると、あの美奈っていう字を、みなさんご覧になりますと、なんとなく、きれいでおっとりしたっていいますか、そういう感じがするでしょ、つまり、そういう意味合いがあるみたいな感じがするでしょ、しかし、そこが迷路のはじまりでして、そんなことは、ぜんぜん関係ないのです。
 だから、それとおんなじことなんですけど、たとえば、水無瀬川っていう、水無しの瀬の川って書く、水無瀬川っていうのが、たとえば、京都のほうにいきますとありますけど、そうすると、なんか水があんまり無くて、川の瀬がいっぱいでているっていうような、そういう印象を、自然に受けてしまうでしょう、しかし、そんなことは何の意味もないです。
そういうふう字をあてますと、ひとりでに、字が意味をあたえてしまうってことで、変わってきてしまうのです。つまり、その種の迷路ってものは、日本語の古典語から振り分けたうえでないと、言語年代学的な比較というのはきかないということがあるのです。
 つまり、そういうことを、言語学者っていうのは、より分ける方法っていうものをつかまないかぎりは、やはり、日本語っていうのは、わりあいに、孤立語であると、つまり、周辺の領域に共通の言語っていうのはみつからない、あるいは、共通の祖語にいきあたるだろう、つまり、共通の元の言葉にいきあたるだろうっていうような言葉にいきつかないってことがでてくるのです。
 それは、そういうことは、たいへんおかしいことであって、そういうことは、本来的にいえば、ありえないことなんですけども、おそらくは、そのもとは、その種の、美奈瀬河っていうふうに、ああいう字を書けば、なんとなく美しいような、やさしいような川みたいな感じになります。それから、水の無い瀬の川っていうふうに書けば、なんか浅くて、川の瀬がいっぱいでているっていうふうな、そういう川っていうふうに、だんだん年代をくううちに、そういうふうに考えていってしまうっていうような、性質が漢字にはありますから、そういうふうにして、ぜんぜん、まったく違うものに変わってしまうってことが、違う意味に変わってしまうってことがあるのです。
 そういうことを、方法的に選り分けられなければ、おそらくは、言語年代学っていうのは、比較をやっても意味がないというふうに、ぼくには思われます。それが、おそらく、日本語を、たとえば、非常に孤立語だっていうふうに思わせてくる、非常に重要なポイントだっていうふうに思われます。

6 序詞と虚詞の違い

 そうしますと、三番目の短歌、歌になりますけど、今度は、

見渡せば 明石の浦に ともす火の
秀にぞ出でぬる 妹に恋ふらく

 っていう場合には、この場合でも、一首の意味は、まったく下の句にあるわけで、つまり、自分たちの恋っていうのが、他人になんとなくわかるようになっちゃったというふうなのが、この一首の意味であります。
 そうしますと、今度は上句ですけど、この場合の上句になりますと、あきらかに今度は、比喩、暗喩になります。つまり、「見渡せば 明石の浦に ともす火の(あるいは、ともす炎)」っていう、つまり、それは、暗喩でして、それは、おそらく、研究者がいう、序詞ですか、イントロダクションっていうふうに考えていいものです。
 それから、現代詩的な概念でいえば、暗喩っていうふうに考えてよろしいものです。で、この四番目に並べてある短歌もそうなんですけど、

辛人の 衣染むとふ 紫の
情に染みて 念ほゆるかも

 っていう場合に、この一首の詩の意味は下句にあります。つまり、心に染み入るように、こいつのことを想うっていう、それが、一首の意味です。
 そうしますと、上句っていうのは、なにかといいますと、この一首の意味を導き出すためのイントロダクションです。この場合には、現在の言葉でいえば、詩的暗喩であるというふうにいえると思います。
 そうしますと、なにが、たとえば、前のふたつと、後のふたつとは、なにが違うのであろうかっていいますと、つまり、上句、または、下句っていうものが、暗喩の短歌形式のなかで、暗喩ってものの起源となりえているということです。それだから、暗喩ですから、暗喩としての意味はありますけど、一首のほんとうの意味は、もちろん、三番目、四番目でも、下句にあるわけなんです。上句は、まったく暗喩であるっていうふうになります。
 しかし、さきほどいいましたように、一番目と二番目の場合の、上句、または、下句っていうものは、これは、暗喩ではありません。つまり、これは、暗喩ではなくて、まったく無意味な言葉です。つまり、無意味な表現です。だから、むしろ虚詞といいましょうか、ノンセンスといいましょうか、そういうものにほかならないっていうふうにいえるのです。
これは、非常に微妙ですけども、これは、終わり二番目の短歌と、それから、はじめ二番目の短歌とは、微妙に違うっていうのは、そういうところです。
 そうしますと、どういうことが考えられるかっていいますと、おそらく、最初と次の短歌っていうのは、表現として古いかたちというものを保存しているので、つまり、この古いかたちっていうのは、どういう意味合いをもつかっていいますと、これは、たとえば、短歌を黙ってつくるっていう、黙って書いてつくるっていう段階に、もちろん、あるわけですけれど、なお、それ以前に、たとえば、つまり、集団的な歌垣みたいなところですね、あるいは、祭りの集まりみたいなところで、誰かが、言葉で上句に該当することをいうとか、下句に該当することをいう、そうすると、また、男、または、つまり、異性が、たとえば、フッと、即興的に、下句または上句に該当することを、その連想からヒュッと出してきたというような、つまり、そういう音声を出して、掛け合いをやったっていうような、そういう場面っていうものの、音声言語っていうものを、ある程度、保存した表現だっていうふうに、お考えになるほうがよろしいと思います。
 だから、けっして、比喩ではなくて、あるいは、喩ではなくて、いわば、ひとりが、上句または下句に該当することを言ったと、そうすると、なんかそれからフッと触発されて、次の誰かが、下句または上句に該当する言葉を、ヒュッと掛け合いで、言葉で出していくっていう、それが、音声でもって、そういう、現実に言葉の掛け合いをやったと、それが、かなりうまくいけば、恋愛が成立するっていうような、つまり、気心があいつはわかっているってことで、恋愛が成立するっていうような、そういう情況っていうものを、状態っていうものを、ある程度、保存しているっていうふうに、一番目、二番目の東歌の場合には考えることができます。
 しかし、そうはいっても、そんなに古い表現ではありません。つまり、古い表現ではありませんっていいますと、つまり、日本語で最も古い詩の表現だっていう、たとえば、『古事記』とか『日本書紀』とかに書いてある、入れてある詩とか、あるいは、『万葉集』のこういう東歌みたいな、つまり、当時でいえば、辺ぴなところで歌われた民謡的な歌ですけど、そういうものが、いくら古いといっても、ほんとうは、ものすごく新しいものであるわけです。
 だから、ほんとうに、日本語の詩の起源とか、日本語の、言葉の言いまわしの起源っていうものにたどり着くためには、たくさんのことをより分けないと、そういう類推をきかすことができないっていうことが、非常に、本筋であろうというふうに考えられます。

7 詩のなかに意味を込めることのむずかしさ

 そうしますと、こういうことから、詩的な喩として、喩の起源として考えられることは、つまり、導き出せることは、一篇の詩というものが、つまり、詩形式のすべてをつかって、すべてをもちいて、つまり、主観的な感情をあらわすっていうふうに、詩の表現っていうのは可能でなかったってこと、それは、おそらく、日本語の性格っていうこともありましょうし、また、日本人の生活の仕方っていうもの、現実的な生活の仕方っていうのにもかかわりましょうし、さまざまな要因にかかわりましょうけども、すくなくとも、日本の詩が、わりあいに、古いかたちで、つまり、発生を起源に、わりあいに古いところで保存しているものから、われわれが現在、類推できるところによれば、日本の詩っていうやつは、どういう次第かはわかりませんけども、詩のなかに意味を込めるってことが、大変むずかしいってこと、つまり、意味を込めるところには、詩の問題っていうのは、ほんとうはあまりなかったんじゃないかってことがいえるということ。
 それから、もうひとつ、違う意味でいいますと、一般的に風景の描写だとか、日本的な自然美っていうふうにいわれているものは、まったくの、ほんとうは錯覚であって、ほんとうに起源のところで、たとえば、景物っていうものが、詩の表現でいわれている場合には、その景物は、けっして、写実的な意味での景物、あるいは、自然っていうことを意味しないのであって、それは、むしろ、宗教的に、あるいは、自然信仰の段階において、ある村落なら村落、あるいは、共同体なら共同体が、共通の象徴として、つまり、そう言えば、筑波嶺っていえば、もうアッていうふうにわかってしまうっていうふうな、そういう意味合いで、筑波嶺なら筑波嶺って言葉は使われていますし、美奈の瀬河っていう場合にも、水無瀬川っていえば、アッていうふうに、なんだっていうふうにわかってしまうっていうような、そういうような意味合いで、観念の、しかも、個人の観念じゃなくて、共同の観念が象徴的に寄り集まるところとして、たとえば、自然っていうものが、当初に詩の表現のなかに存在したってことがいえると思います。
 しかし、近代におけるさまざまな研究、あるいは、さまざまな歌人、あるいは、学者っていうものの、研究の仕方っていうのは、知らず知らずのうちに、たとえば、現代の詩の段階をもって、過去の詩の段階を推し量るっていうような、そういうところに、知らず知らずに陥るために、もともとノンセンスな、つまり、ノンセンスな虚詞にすぎないっていうものを、イントロダクションであるというふうに理解したり、また、暗喩であるとか、比喩であるとかいうふうに理解したりしたというところに、おそらく、近代以降の短歌の問題があるというふうに考えます。
 それは、おそらくは、短歌の問題だけではなくて、「おまえは歌人か。」、「ああ、そうだ。」と、「おまえは俳人か。」、「ああ、そうだ。」と、で、「おまえは詩人か。」、「はい、そうだ」と、しかし、おそらくは、ぜんぶ詩人であるわけです。だけども、いちいち、「俳人か、おまえは。」、あるいは、「おまえは歌人か。」とか、「おまえは現代詩人か。」というふうに、断らなければならない問題っていうものが、近代以降、現代にいたるまで、生じているわけですけど、しかし、おそらくは、それは、なんらかの意味合いで、日本語における詩の起源に対する、なんらかの意味合いでの誤解にもとづくっていうふうに、ぼくには考えられます。
 古典っていうものは、これは、理解するのは、たいへんむずかしいわけです。これは、もちろん言葉のむずかしさってこともあるのでしょうけど、しかし、言葉のむずかしさってものは、いずれにせよ、蓄積された業績がありますから、それは、いずれにせよ、たいしたものではないように思われます。もし、手間暇さえかければ、たいした問題ではないように思われます。
 それよりも、詩とは何かっていうような、非常に本質的な問題のところで、なにか、もし、錯覚があるならば、たいへんわかりにくい迷路のなかに入ってしまうってことが、日本の詩の表現の場合には、現在に至っても、依然としてあるというふうに、ぼくは考えます。そこの問題が、おそらくは、ほんとうにむずかしいので、これは、詩の表現ごとに、詩の比喩の表現として、つまり、喩の表現として、問題があるばかりでなく、おそらくは、言語学上の問題ってものが、そのなかに、たくさん含まれているだろうというふうに思われます。
 つまり、こういう迷路ってものは、非常に、現代の段階では不可能に近いのですけど、しかし、やがてそれが、非常にうまくっていいますか、積み重なって解かれていった場合には、おそらく、日本語の現代における詩を、現代詩であるとか、俳句であるとか、あるいは、短歌であるとか、そういうふうな、いちいち断り書きをしなければ、詩っていうことについて、なにもいえないっていうような、そういう馬鹿げたっていいますか、情況っていうものは、追々なくなっていくだろう、つまり、追々、解消していくだろう、つまり、消えていくだろうというふうに思われます。
しかし、残念なことに、現在の段階では、そういうところに、いろいろな意味で到達できていない、つまり、それは、言語学的にも到達できていない、それから、詩の表現としても、あるいは、詩形式の問題としても、到達できていないっていうところで、問題がさまざまに起こってくるってことがありうると思います。
 つまり、そこいらへんのところを解くのは、一朝一夕には不可能ですし、また、個人がいくら頑張ってもできないだろうというふうに、簡単にはできないだろうというふうに思われますが、徐々に、そういうことは、謎解きのように、徐々に、徐々に、つまり、薄紙を剥ぐようにといいましょうか、そういうふうにして、徐々に、徐々にはっきりしていくだろうというふうに思われます。
 そういうところで、おそらく、日本の詩っていうもの、あるいは、詩の、非常に本質的な問題である喩の問題、比喩の問題、あるいは、暗喩の問題っていうものが、非常に本格的なものになっていくだろうというふうに思われます。
残念なことに、たとえば、わたくしは、こういうふうなことを、ここで申し上げましても、そういうようなこと以上のことは、いまのところ、どうすることもできないっていいましょうか、確定的に指摘することができない状態っていうふうにあります。これは、ぼくなら、ぼく以外の人が、それをやっても、いまのところでは、どうすることもできないというふうに思います。
 しかし、問題の所在ってものは、いま申し上げましたようなところにあるのではないかってところが、現在、ぼくらが、そういう問題について到達している到達点です。これを、たとえば、学者、研究者、古典学者、あるいは、研究者のかたが、これを認める、認めないとか、あるいは、現代詩人たちが、認める、認めないとかいうことは、おのずから別問題なんですけど、しかし、問題の所在は、おそらく、この辺のところにあるのではないかっていうふうに、ぼくには思われます。
 だから、そこの問題のところで、たとえば、現代詩、あるいは、近代以降における日本の詩の問題ってものを、多く考えられなければならないところがあると思います。

8 現代詩と詩的喩の起源

 今日、さまざまな問題になっております、たとえば、西脇さんの詩も、詩論も、いわば、詩というのはなにか、それは、ナンセンスであると、つまり、意味がないのだと、人はいかに生くべきかとか、人生はなんであるとか、そういうことはナンセンスであるってことが、西脇さんの主張でして、それは、いまの西脇さんの詩の表現も、現在でも変わらないと思います。ただ、変わっているのは、色つやといいますか、そういうものは、歳とともに変わりますから、そういう意味合いでは変わっているでしょうけど、詩の表現がナンセンスであるというふうな、そういうことは、おそらく、現在でも、変わっていないだろうというふうに思われます。
 このことのなかには、現代詩における詩の表現というものは、ナンセンスであるということの、つまり、ナンセンスでありさえすればいいのだ、つまり、ナンセンスこそは、現代詩における非常に本質的な問題なんだっていう、そういう問題は、ある意味で、非常に本質的な問題でして、これは、明治以降、さまざまな人が、さまざまなように、詩というものはナンセンスじゃないというふうに頑張ったのですけど、それはどうすることもできないことがあるのです。
 それは、なぜ、そうかといいますと、それは、日本語の詩の表現の起源というもの、あるいは、日本語における詩的喩っていうものの起源の問題から考えても、いま申し上げましたとおり、大部分がナンセンスであるわけです。非常に簡単なことがちょっといってあるっていうような、それが、まず、非常に本格的なっていいますか、本質的な詩の問題であったわけです。
 その問題ってものは、現在でも、おそらく続いているのであって、だから、詩というものはナンセンスであるっていうようなことのなかには、それは、一個の詩人としての主張とか、詩的方法とかいう問題を超えて、非常に重要な問題が含まれているように思われます。わたくしには、詩がナンセンスであろうと、そんなことは、どうでもいいように思います。
 そういうことのなかに、争うべき、あるいは、競うべき問題なんていうのはないのであって、それよりも、詩というものはナンセンスであればいいんだと、あるいは、言葉であればいいんだっていうような、そういう問題の出され方っていうものが、どこからきたのかっていうことが問題なのです。
それが、現在の世界どこでも、世界全体どこを数えても、詩の問題の本質がそんなところにあるっていうところから、そういう言われ方がしたのならば、そういう言われ方っていうのは、おそらくは、そんなに根底はないのであって、もし、詩っていうのはナンセンスであればいいのだっていうような、現代詩っていうのは、徹頭徹尾、ナンセンスであればいいのだっていうような、そういう主張のされ方が、いま申し上げましたとおり、日本語の詩的な起源とか、喩の起源、あるいは、日本の非常に本質的な問題、そういうところから、もし、根底的にでてくるならば、それは、たいへん重要な問題であろうというふうに、ぼくには思われます。
 しかし、現代の段階では、残念なことに、詩の表現がナンセンスであるということ、あるいは、それは有意味であるっていうような主張も、いずれにしても、それは、現代詩の場合には、それはどこかからでてきているでしょう、つまり、どこかからきているということが問題なのであって、どこかからでてきてもいいのですけど、どこかからでてきていることを、あたかも、本質的であるかのごとく語るってことが問題なのであって、それは、現代詩における、たいへん大きな問題として、でてくるだろうというふうに思われます。
 その問題も、早急に解決できない問題ですけど、しかし、さまざまな人による、徐々に、実作、及び、検討といいますか、検討の積み重ねのなかから、おそらくは、段々、そういうことも、薄紙を剥ぐように、はっきりしていくだろうというふうに、ぼくには思われます。
 だから、詩は意味がなければ、それでいいのだという言い方も、言われ方も、また、詩は意味がなければならない、ハートでなければならないという言われ方も、いずれにせよ、いまのところ、非常に根底をもって、なんぴとによっても主張されたり、あるいは、実作されたりできないというところに、おそらく、現代における日本語の詩の問題ってものの、非常に本質的な問題ってものが、存在するかのごとく、ぼくには思われます。
 持ち時間の制約のなかで、ぼくがいえたことは、いま言いましたとおり、そういうところが、どうもすこし錯覚らしいとか、迷路がここにあるらしいということだけにすぎないので、それに対する、なんら解決っていうもの、あるいは、解決の示唆っていうものは、申し述べることができないのですけど、しかし、問題の所在は、おそらく、そこであろうっていうことがいえれば、ぼくは、現在のところ十分だっていうふうに考えております。
 あるいは、これからの実作、あるいは、詩論の展開のなかで、それは、徐々に、徐々に解かれていくだろうと思いますし、あるいは、それを解かれていくっていう課題は、みなさんのほうにゆだねられるのかもしれません。つまり、そこの問題が指摘できれば、ぼくにとっては、甚だ満足というべきだというふうに考えております。簡単ですけども、これで終わらせていただきます。(会場拍手)


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