1 三島由紀夫の考え方について

 本日は、「政治と文学について」という命題をあたえられているのですけど、またという感じがしないでもないです。みなさんのほうでも、ああ、またかという感じもおありかと思います。自分では、もう、政治と文学の関係とか、政治と文学のかかわり方っていうのは、どうあるべきかということについては、自分では卒業したつもりできたわけです。仕事自体もいちおう卒業したんだというつもりで、仕事をしてきたわけですけども。
たとえば、例をあげますと、去年の暮れの、三島さんが、政治と文学について、非常にショッキングなあり方っていうものを提供してくれたわけです。この場合には、またかっていうわけにいかない面があります。
その、またかというふうにいかない面っていうのは、なにかといいますと、ぼくらが考えている政治と文学のかかわり方についてっていうような問題と、いくらか質が違うところで、三島さんの政治的行動というものと、それから、そこに残された文学というものが、目の前に置かれたというあんばいだと思います。
正直にいって、たとえば、ぼくは、三島さんの作品は、『美しい星』ぐらいまではついていったように思います。しかし、それ以降のものについては知りませんし、それから、そのほかの三島さんの仕事についても、まったく知らないといったくらい知らないわけです。
ところで、亡くなられてから、やはり、ぼくなりの関心がありまして、座談集みたいなもの、それから、わりあいに、軽く書き流したようなもの、つまり、ぼくの言葉でいえば、駄本というわけですけど(会場笑)、読んでみたのです。
そうすると、かなり、やさしい言葉で、はっきり、三島さん自身の考え方ってものを述べているのがわかります。これは、ちょっと意外だなという感じをもっています。三島さんの考え方の主な点は、こういうことが書いてあると思いますけど、つまり、文学者、あるいは、芸術家っていうものは、たとえば、死について描写すると、あるいは、さまざまな問題について描写すると、しかし、たとえば、この場合に、死について描写するだけの文学者っていうのは、ほんとうに死んで見せたら、いっぺんで、ぺしゃんこじゃないかっていうふうな考え方っていうのが、三島さんにあることがわかったのですけど。
もともと、芸術、あるいは、文学っていうのは、紙の上に書くフィクションですから、フィクションの強さってものをどこで主張するかっていうと、それは、現実的な根拠があるかどうかうんぬんってところには、はじめから、フィクションの強さをもとめることはないわけです。
これは、たいへん、意外な考え方なのです。意外な考え方というのは、これは、三島さん的な思想じゃなくて、わりあいに、ぼくら的な思想でいえば、おまえは書いたりなんかしてるけど、すこしも実行しないじゃないかっていうような、そういう問題提起の仕方っていうものが、これは、戦前からずっとあるわけです。つまり、4,50年の歴史をもっているわけです。だから、そういう問題については、充分に説かれ尽しているっていうふうに、ぼくらは考えていると、しかし、三島さんは、あらためて、そういう考え方を提供されて、そして、それを実行されるっていうようなことになってきます。
これはまた、おのずから違う意味合いでまた、目の前に、そういう問題が突きつけられたっていうようなことがないことはないのです。その場合に、三島さんが、じゃあ、芸術家、あるいは、文学者ってものが、文学者であって、しかも、実行家ってものにたいして、拮抗しうるとすれば、やはり死を描写するだけでなく、自分が死んで見せなきゃ、ダメじゃないかっていうのが、三島さんの考え方のように思われます。
この考え方っていうのは、三島さんも、みずから実行されたわけですから、そこのところで、なにか言いたくないのですけど、考え方自体としては、たいへん古い考え方で、また、文学の根拠ってものを、そういうところに求めていった場合には、つまり、観念の強さってもの、観念がつくりあげたものの強さってものの根拠ってものが、おのずからゆらぐということになってしまいます。つまり、観念のつくりだした強さってのは、別のところに根拠を求めなければならないことがあるのです。
つまり、これは、実行家が現実に実行するという問題とは、おのずから次元の違うところに、観念のつくりだしたものの強さってものの根拠を求めなければならないっていうようなことがありうると思います。つまり、求めなければならないはずだというふうに、当然なるわけです。
もうひとつ、関連しまして、三島さんのそういう考え方で感じましたのは、ほんとうにいいますと、三島さんは、文学の創造ってこと、あるいは、芸術の創造ってこと、あるいは、一般的にいいますと、観念的につくられるもの、観念の作業によってつくられるもの、そういうつくられる行為、あるいは、つくられる過程っていうもの、それが、たとえば、書物なら書物として提供されて、多くの人に伝えられるっていうような、そういう伝えられ方、観念の作業ができあがり、そして、伝えられていく、あるいは、流布されていくっていうような、その流布されていくことと、つくりあげることっていうことは、まったく違うことなんだっていうことを、ほんとうの意味では、あんまり考えられなかったんじゃないかっていうふうに思われます。
で、第一級の作家ですから、自分の創造体験ってものとあわせて、体験的に、文学をつくるっていう過程っていうもの、それと、そのつくられた文学が書物となって、それが流布されていくっていうような過程とは、違うってことは、実感として知らないはずはないのであって、それは、もちろん知っているわけなんですけど、その知っているという状態は、ただ実感的に知っているということじゃなくて、想像力をつきつめていかなければいけないことがあるように思われます。つまり、その点については、三島さんは、わりあいに、無造作であったんじゃないかというふうに、ぼくは思います。

2 三島由紀夫の死に方と市川団蔵の死に方

 ちょうど座談集のなかで、三島さんが、市川団蔵のことにふれている言葉があったんですけど、市川団蔵っていう歌舞伎役者っていうのは、しょっちゅう脇役ばっかりしていて、それで、芸としても、二流の芸しかもっていない役者だと、しかし、団蔵は、死ぬことによって、はじめて、自分の芸を高めるってことができた人だってこと、死ななければ、やっぱり、二流の役者、あるいは、河原乞食といわれたって仕方がないものだと、これは、一般的に、芸術、文学の創造にたずさわるのは、みなすべて、そういうふうなものでないかっていうふうなことを述べておられます。
しかし、ぼくは、市川団蔵っていうのは好きでして、団蔵が死んだっていう新聞の記事を読んだときも、死にざまっていいますか、死に方っていうのを、いいっていうふうに思った、つまり、すこしあこがれをもったわけです。
それは、引退して、たとえば、これからは、ご遍路でも行くかっていうような考えで、家を出て、そして、いつ、どこで、どうしたのかってこともわからないぐらいに、ひっそりと、船の上から海へ飛び込んで死んでしまって、あとから気がついてみたら、なんか遺物といいますか、下駄だか、靴だか残されているのが、はじめてわかったみたいな、そういう死に方をされたと、ぼくが、死に方として考えるならば、市川団蔵の死に方のほうが、たいへんよろしいと考えております。
そういう点では、三島さんが、たとえば、死ぬに際して、どう考えても、ぼくの映像に関する知識では、あらかじめ、とにかく、テレビカメラってものを用意させなければ、到底、撮れないような撮られ方で、自分の死の直前の場面を撮らせておいて、そして、死ぬっていうような、そういう死に方とくらべると、まさに対照的なわけです。
その場合に、いわば、死っていうこと、死ぬっていうことと、自分が死ぬってことを伝達すること、あるいは、伝えるということを、むしろ、三島さんのほうが混同していたというふうにしか、ぼくには思えないのです。
つまり、一人の個人が生き死にするっていう問題は、あくまで、一人の個人が生き死にするっていう問題であって、それは、まったくそういうものだろうというふうに、ぼくには思われます。
そういう本質からいいますと、団蔵の死に方のほうが、はるかに立派なものであるというふうに、ぼくには思われるわけです。つまり、真似するなら、こっちのほうだっていうふうな感じをもつわけです(会場笑)。

3 サムライ社会と町人社会

 その座談のところで、ついでに、三島さんが、たとえば、武士の、もののふの社会では、つまり、武士の、サムライの社会では、歌舞伎役者は河原乞食だというふうに軽蔑したと、それは、なぜかっていうと、サムライっていうのは、いつでも自分が死ねるんだっていう、そういう倫理、あるいは、用意をもっていて、日常を律していると、それに対して、歌舞伎役者なんていうものは、一般的に、死んだふりをして、死んだ真似をして、つまり、演技をしてみせるだけで、自分自身が、べつに死ぬわけでもなんでもないと、そういうところの差異っていうのは、つまり、倫理的な厳しさの差異ってものが、いわば、サムライ社会だけの、あるいは、歌舞伎の役者の世界ってものを、河原乞食の世界だっていうふうに軽蔑した理由だっていうふうに、三島さんは、そういうふうに、やはり、同じ座談のところで述べています。
しかし、ぼくはそういうふうに思わないのであって、その場合、おそらく、三島さんは、武士社会ってもの、武家社会ってものを、あまり、ご存じなかったんだっていうふうに思います。つまり、武家社会っていうのは、つまり、武士が歌舞伎役者を河原乞食っていうふうに軽蔑していたっていう言い方を、同じふうにいえば、武士の社会っていうのは、町民の社会から軽蔑されていたわけです。
なぜ、軽蔑されているかっていうと、あいつらは、とにかく威張っているだけで、なんの能力もないと、それで、なんにもせずにぷらぷらしていると、それにくらべて、自分たちは、実践的に金を儲け、物をつくり、そして、それを動かすっていうようなことして、実質的に働いていると、それにくらべれば、あいつらは、ただ威張っているだけで、体面ばかり気にして、つまり、くだらないやつらだっていうのが、町民の社会から武士の社会を軽蔑していた軽蔑の仕方だっていうふうに、ぼくは理解しています。
それにたいして、たとえば、三島さんは、陽明学っていうふうに言われますけど、近世における、つまり、武家社会のいろんな倫理的、あるいは、思想的支柱となった、一般的にいえば儒学なんですけど、儒学というのが、武家に対して、どういうことを教えたかっていうと、どういうことを主張したかっていうと、武家社会っていうのは、このままでは、あんまりだってことになってしまうわけで、それ以上のものではないっていうふうになるよりほかないのです。
つまり、この武家社会ってものを、どういうふうに思想的に武装したならば、町民社会からの軽蔑っていうものを避けられるかっていうことが、近世における儒学者ってものの、非常に大きな課題だったわけです。
そのひとつの解決法っていうのは、誰でもそうなんです、荻生徂徠にしても、山中方谷にしても、誰でもそうなんですけど、考えたことは、武士たちを、つまり、自分の領地、いいかえれば、農村ですけども、農村に返すということなのです。返すということを考えたと、そこで、直に、自分が耕作するとか、あるいは、直に、耕作者っていうものと接触するっていうような、そういうところで、ひとつは、武家社会の徒食者であり、あるいは、無駄飯食いで、威張っているだけだっていうような、そういう空虚な武家社会ってものを、どうやって救済するかっていうと、そういうふうにすれば、ひとつは解決するかっていうのがあるのではないかっていうのが、ひとつの考え方です。
それから、近世の儒学者がとった、もうひとつの考え方っていうのがあります。武家社会に、厳しい日常的な倫理といいますか、規範といいますか、そういうものを確立するってことなんです。
つまり、倫理的規範っていうものを非常に厳しく確立して、つまり、朝、目が覚めて、起きてから、夜、寝るまで、それから、つまり、セックスのことまで全部ですけど、全部、ものすごい倫理的な規範っていうものを設けるわけです。
そして、これを武家社会ってものが、武士たちが実行すれば、みずから実行すれば、倫理的規範の厳しさってことで、かろうじて、町民社会からの軽蔑っていうものを避けられるだろうというのが、近世の儒学者ってものが一般的に考えた、武士の救済法であるわけです。
だから、これは、ぼくの考えでは、このほうが、武家社会、あるいは、武士道なるものについての理解の仕方としては、三島さんの理解の仕方よりも、はるかに正しいだろうというふうに、ぼくは思っています。ぼくは、武家社会というものを、そういうふうに思っているわけです。そういう連中の社会だったっていうふうに思っています。
それにたいして、ただ倫理的な厳しさっていうものを、あるいは、倫理的な戒律ってものを、みずから厳密に保つっていうところで、かろうじて、町民社会からの軽蔑をまぬがれていた、あるいは、まぬがれるところ、それが唯一の方法であったっていうところに、武家社会の本当の実体ってものがあったというふうに、ぼくは考えています。

4 カストロとゲバラへの評価

 それから、たとえば、キューバのカストロの革命について、言っているわけです。ゲバラについて、言及しているわけです。これは、ゲバラにしても、死んだからいいんだと、キューバの、いわば、自分が座長をして、とにかく駆け上がって、現在の社会主義国からも、資本主義国からも、さかんに攻撃されながら、しかし、自分たちの手だけで、キューバの革命を成就したっていうような、そういうことは、やっぱりすばらしいことなんだっていうのが、座談会での理解の仕方です。
しかし、それは、いわば、伝えられた、つまり、流布された情報でして、流布された知識でして、ほんとうのキューバ革命、あるいは、カストロの革命っていうものは、それほど優秀なものでもないわけですし、その後の変質の仕方っていうのを考えていきますと、そんなたいして意味がないんだっていうようなふうに言ってもいいくらいなものです。
それから、ゲバラも、そんなに優秀な革命家でないっていうことが、ゲバラの日本で翻訳されてだされている日記なんていうものを見たってわかるので、そんなに、優秀な革命家でもないわけです。
つまり、そういうふうに、考えていきますと、三島さんの武士社会に対する評価、あるいは、キューバ革命についての評価とか、それから、ゲバラについての評価とかっていうものは、いずれも、ことごとく流布された、あるいは、情報によって得られた、そういう、ひとつの固定観念であって、その場合、実際のキューバ革命っていうのは、どういうふうであったかとか、キューバ自体は、現在、どういうふうになっているのかという問題、それから、たとえば、ゲバラっていうのは、ほんとうをいったら、どの程度の革命家だったのかっていうような、そういう問題について、三島さんはつっこんでいく意志っていうのはないというふうにしか、ぼくには受け取れないのです。
だから、流布された情報っていうものと、それから、それが実質的にそうであるかどうかってことは、たいへん違うんだってことについて、三島さんが、かなりうかつなところがあったのではないかっていうふうに、ぼくには思われます。
つまり、そこのところの問題が、三島さんが、身をもって提起された問題のなかで、非常に重要なポイントなんだっていうふうに考えるわけです。だから、そこのところの問題について、たくさんのことが、考えさせられるっていうことを、生きている者たちにあたえたっていうふうに、残したっていうふうに、ぼくはそういうふうに理解しています。

5 文学者はなぜ弁解するのか

 まず、文学者あるいは芸術家っていうものと、政治家あるいは政治運動家っていうものと、どこが違うのかというふうに問われたっていうふうに考えます。
そうすると、ぼくのなかでは、三島さんのように考えて、芸術家とか文学者っていうのは、口で言うか、言葉で書くだけで、自分のほうは、のほほんとしているんだっていうような問題、それから、政治家とか政治運動家っていうのは、実際に、現実的に立ち回り、現実的に処理し、現実的に社会的にやってるものだと、つまり、文学者っていうのは、いつだって、そういう意味合いで、政治運動家に気兼ねをしなければならない弱みみたいなものをもっているっていうっていうようなところで、ぼくならば、たとえば、芸術家とか、文学者っていうものと政治家、あるいは、政治運動家ってものを区別しないで、つまり、そういうところは、ぼくが、そうしてよろしいわけで、そういうふうな考え、で、どこが違うかっていうと、ぼくが、ただひとつ、違いと考えられるのは、そういう言い方をしたほうが、みなさんにとおりがいいと思うので、そういう言い方をするのですけど。
文学者っていうのは、多少でも、政治とか、政治運動っていうふうに、関心をもった、あるいは、かかわりをもった、そういう文学者ってものは、非常によく弁解するわけです。ある政治的な事件があったと、その事件に対して、流布されるところがこうこうだったと、つまり、誰誰がこうこうだったと、たとえば、それは誰でもいいのですけど、中野重治さんはこうだったっていうような、たとえば、流布された情報があると、そうすると、文学者っていうのは、すぐに弁解するわけです。
弁解するっていうのは、どういうことかっていいますと、たとえば、それは、作品によって弁解する場合もあります。それから、座談会によって弁解する場合もありますし、また、こういう講演会で弁解する場合もあると思いますけども。つまり、よく弁解するのです。
つまり、誤解されたこと、あるいは、事実と相異されて流布された情報に対して、自分は実際にそうでなかったっていうふうな、実際こうだったっていう弁解ってものをするところは、政治運動家あるいは政治家っていうものと文学者との大きな違いだっていうふうに考えます。
文学者は、なぜそれを弁解するかっていいますと、もともと誤解されるのがやりきれないっていうような、そういう感覚もあるのでしょうけど、ある事実があったと、その事件に対して、事件のほんとうの、本質っていうのはどこにあるのかっていうことを、たとえば、文学者っていうのは、よく考えると思うんです。
つまり、考えて、どうしても、そこは、流布されたものと、それから、実際にこうだったものとは違うんだってことについての弁解ってものが、ある意味では必然的に、ある意味では一種の弱さから、ある意味では、実質がどうであるってことを、ほんとうは言わなければいけないと、つまり、誤解を以て放置してはいけないんだっていうような、そういう、ある意味で積極的な意味あいからも、弁解をよくするってことなんです。

6 文学者と政治運動家の違い

 しかし、政治運動家、あるいは、政治家っていうものは、えてしてそういうことはしないわけです。つまり、そういうことをいちいち弁解していたら、つまり、自分がすこし悪になったと、悪党になって新聞に載っていたと、それで、そういうことをいちいち弁解していたら、実際問題として、動くことも何もできないという問題が現実にあるわけです。だから、そういう意味でも弁解しないわけです。
それから、弁解するっていうことは、自分個人の身を清くするかもしれないけれど、自分の属している共同性といいますか、そういうものに対して、そういうもの全体を清くするということとは、つながらないということを、政治運動家のほうは、骨身にしみて知っているということがあると思います。
それから、もうひとつはやっぱり、政治とか、政治運動なんていうのは、非常に汚いものなわけです。汚いものってことは、つまり、誰かが手を汚さなければできないんだっていう面が、かならず、どこかにあるわけなんです。
だから、それに対して、いちいち弁解していたら、何も始まらないっていう問題っていうのは、いつも控えているわけです。だから、そういうことも含めて、たとえば、政治家、あるいは、政治運動家ってものは、弁解しないって考えます。
ところで、悪党、悪い政治運動家になりますと、政治運動家自体、あるいは、政治運動自体がもっている、弁解しないってこと、そういう特徴っていうものを逆用するっていうことがありうるわけです。
たとえば、スターリンが、自分のかつての同僚たちを、次々に粛清していったときに、どういうことが問題であるかっていうと、たとえば、自分のかつての同僚たちを、国家に違反する陰謀をめぐらしたっていうふうにやって、それを捕まえると、そして、表からじゃなくて、陰から、ようするに、おまえが責任者じゃないことはよく知っていると、それから、おまえ自体がそういうことを考える人間じゃないこともよく知っていると、だけれども、政治のために犠牲になって、おれがやったんだっていうことを承認してくれないかということを、裏からそういうふうにやっていって、公表された裁判で、そいつを粛清する。そして、あとで約束なんかは守らない、つまり、おまえの名誉を回復してやるからってことは、絶対に、そういうふうに言っておいて、そうすると、政治運動家っていうのは、そういう問題ってものをよく知っていますから、よろしいってことで、いちばんおれが悪党になってやろうっていう感じになって、それで粛清されちゃうわけです。そうしておいて、粛清した後では、べつに、あれはすばらしいやつだってことは、絶対、言わないわけです。
そういうふうにして、スターリンが、徹底的に、かつての同僚、かつての部下っていいますか、そういうものを、どんどん粛清していたっていうことがあるわけです。つまり、悪くすれば、そういう、政治、あるいは、政治運動がもっている特質といいましょうか、そういうものを逆用する政治運動家っていうのも生じてくる可能性っていうものがあるわけです。
ところで、ぼくが知っているかぎりでは、かつて、文学に関心をもち、あるいは、文学者であり、しかし、かつては、政治に関心をもち、あるいは、政治運動をやったことがあるっていうような人で、ある事件について、問題が起こったと、それに対して、弁解をしなかったという文学者、つまり、政治に関係のある文学者っていうのは、ただの一人もおらないというふうに、ぼくには見えます。
つまり、そこのところが、ものすごく問題なわけです。そこがおそらく、政治運動ってものがもっている問題と、それから、文学者っていうもの、あるいは、文学、芸術がもっているものの、非常に本質的な違いってものが、そこのところにでてくるんだっていうふうに思います。

7 政治と文学の問題と中心

 そうしますと、政治運動の世界では、悪くすると、それは、マゾヒズムになってしまいます。つまり、弁解しないってことで、マゾヒズムになってしまいます。つまり、自分だけを清くするっていうことは、実際としてしないっていうことを、もし逆用できるならば、一種のマゾヒズムってものに、その本質がなっていくっていう問題があります。それは、おそらく、スターリン主義っていわれているものの、非常に根底にある問題だって考えられます。
それから、文学者っていう場合には、今度は逆であって、よく弁解するものだってこと、それから、もうひとつは、さきほどいいました、三島さんが、いくつか問題と考えて、流布された情報っていうものを過信するところがあります。
そういうことは、おそらく、自分が文学作品の創造、あるいは、芸術作品の創造をするという過程、これは、まったく個人的な、あるいは、密室の過程ですけど、そういう密室の過程を経て、それが、一個の書物なら書物となって、それが流布されていくっていうような、そして、それが売れるとか、売れないとかという問題の世界に、あまりにも慣れ過ぎてしまいますと、しばしば、そこに混同が起こって、流布されている自分の作品、あるいは、自分の作品がよりよく流布されているってことは、自分が、よりよい文学者であるっていうふうに、錯覚してしまうっていうところが、ぼくはあると思うんです。
だから、そういうふうに錯覚されてきますと、たとえば、自分についての誤報っていうものが流布された、つまり、何百万、あるいは、何千万と読者をもった新聞、雑誌というようなものに流布されると、それに対して、どうしても、真相はこうなんだと、実際はこうなんだという、弁明せざるをえないようなふうになっていくっていうようなところがあります。
それは、おそらく、いわば、政治、あるいは、政治運動っていうようなものとのかかわりあいにおいて、文学者が、最もみずからを戒めなければならないっていうような問題のひとつだっていうふうに考えます。
つまり、繰り返し申しますと、あまり、流布されたもの、あるいは、自分が創造の過程で、苦心惨憺して創り上げたっていう過程を、自分が尊重するっていうことが重要なのであって、それが、いかに流布されるかとか、いかなるかたちで書物となって、いかなるかたちで、いかなる大勢、多数の員数に読まれるかってことに、あまり、信をおいてはいけないということ、そこのところが、おそらくは、文学者っていうもの、あるいは、多少でも、政治なら政治というものに関心をもった文学者ってものが、最も、絶えず内省しなければならない、そういう問題だっていうふうに、ぼくには思われます。
つまり、ぼくが、もし、政治と文学っていうようなことを、自分自身の問題に引き寄せて考えるとすれば、おそらく、そこのところが、いちばん中心になってくるんじゃないかっていうふうに、ぼくは考えます。

8 多数であることは真理の規準にはならない

 ぼくはかつて、こういうことを考えたことがあるんです。つまり、非常に初期なんですけど、キリスト、つまり、マタイ伝について書いていた頃なんですけど、つまり、ある思想をもって、それに則って行動をしている集団があるとします。それにたいして、同じように行動している集団なんですけど、考え方っていうのは、すこし違うんだっていうような、そういう政治集団があったとします。
そうすると、みなさんがよくご存じのように、内ゲバっていうのが起こるわけです。この内ゲバっていうのは、権力に対しては、なんの意味合いもないです。つまり、権力のほうからいえば、内ゲバなんかやってくれて、分裂してくれて助かるようなもので、何の役にも立たないというふうに、これはなっていくわけです。
しかし、ぼくは、べ平連とか、市民主義者ではないですから、いまごろ内輪もめしている段階ではないという、そういう考え方に、ぼくは反対なのです。ぼくは、そういうことを言う人は、どこかしら、政治とか、政治運動とか、政治現象とかいうものを、遠くからしか見ていないというふうに、ぼくは考えたことがあるんです。
そういう場合に、内ゲバっていうのは、当然、思想のほんの些細な違いかもしれませんけど、それが生ずるっていうことはどうしてなのか、ある意味では、たいへん必然性をもっているっていうふうに、ぼくは考えるわけです。
それから、もうひとつは、そういう、ある意味では、時の権力、あるいは、時の体制ってものに、反逆していく思想っていうもの、これはキリスト教の教祖がそうなんですけど、その思想っていうのは、かならず、自分とよく似たもの、たとえば、キリスト教の場合でいえば、ユダヤ教ですけど、そういうものと、ものすごい、いかめしくて、惨憺たる対立、抗争みたいなものを、そういうものを通してしか、権力への戦いっていうようなものにゆきつけないっていうような、そういう一種の必然性みたいなものっていいますか、そういうものがあるわけなんです。
だから、ぼくは、市民主義者のいうようには、こんな無駄なことをして分裂したって、こんなのは権力が喜ぶだけだっていうような、ぼくは、そういう論理をとりたくはないわけです。そういう考え方をもっていません。
しかし、問題は、その場合に、つまり、どこかといえば、そういう対立抗争する、あるいは、内ゲバの、二つの政治的な集団、あるいは、共同性っていうのがあったとして、そのどちらが正しいのか、どちらが真理であるかってことを判定する目安っていうのは、それはどこにおけばいいのか、つまり、そういう規準をどこにおけばいいのかっていうのは、規準っていうのはどこにあるのだろうかっていう問題は、依然としてあるわけです。
その場合に、ぼくは、市民主義者っていうのは、嫌いですし、共産党も嫌いです。どうして嫌いかというと、その場合に、ようするに勝てばいいんだろうってこと、つまり、勝てばいいんだ、勝ったら正しいんだ、つまり、現在の体制を変革する場合に、誰がそこに早く到達するかってことで、勝ち負けが決まるんだっていうような、そういう、いわばプラグマティックな考え方っていうのはあるっていうことは、虫が好かんのです(会場笑)。それは、真理ではないのです。どちらが真理かってことを決める判定規準っていうのは、そういうところには決してないのです。
そしたらば、どちらが真理であるかってことを決める規準っていうのは何なのかってことを、ぼくは、一時期、非常に深刻に考えたことがあります。ぼくが得られた、ぼくなりの結論っていうのは、こういうことだったんです。つまり、この場合、どちらが真理かってことは、もちろん、当事者が、多数のほうが、少ないほうをぺちゃんこにしちゃったってことでは、もちろん決められないと、あるいは、ぺちゃんこにされちゃったってことで、真理じゃないということも決められないと、じゃあ、なにが規準なのかっていった場合に、それは、非常にわかりにくいですけど、これは、ある種の絶対性ってものがあるはずだってことなんです。
その絶対性ってものは、そういう集団、思想と思想とのあいだの問題でいえば、思想と思想との関係ってことなんですけど、その関係のなかに、ひとつの絶対性ってものがあるんだっていうこと、つまり、それから、そういう観念、あるいは、思想というものの次元ではなくて、つまり、そういう問題の外でいけば、それはなにかわかりませんけど、人間が形づくってきた社会のなかには、あるいは、政治制度っていうもののなかには、個々の思想家とか、個々の思想集団っていうものの当事者が、いずれも、おれは真理だっていうふうに主張しようがしまいが、そういうこととは、かかわりのないところにある、ひとつの客観的な絶対性みたいなものがあるっていうふうに考えるわけです。
それは、観念の問題でいえば、いわば、観念と観念との関係、思想と思想との関係のなかには、ある種の絶対性っていうのがあるはずなんだっていうふうに考えたわけです。その絶対性っていうことが、おそらく、真理っていうものを、つまり、いずれが真理なんだっていう、そういうことを決めるだろうっていうのが、そのとき、ぼくが得た結論であるわけです。
こういう結論っていうふうにいいますと、みなさんは、何のことかさっぱりわからないというふうに考えられるかもしれません。しかし、みなさんが、しきりによく考えられると、絶対性っていうような意味が、どういうことをいっているのかっていうのが、わかるのではないかというふうに思われます。
ただ、そういうことは、ここでは、ぼくは申し上げなくてもいいと思います。ただ、申し上げなければいけないなと、今日の課題が終わらないなと思うのは、員数が多くなってくるとか、つまり、マスコミだか知りませんけど、新聞界か、ジャーナリズムか知りませんけど、そういうものが、大多数が流布した情報ですか、それが支持したとか、あるいは、その支持したかにみえたから、それが真理であるとか、それから、とりあえず絶対多数を獲得したから真理であるとか、そういう動きっていうのは、真理規準にはならないということ、つまり、真理を判定する規準には、絶対ならないのだということを、ぼくは共同体というふうにいうのです。
つまり、そういうところに、ひとつの思想と、ひとつの思想の、どちらが真理であるかってことを決める規準を、いささかでも求めてはならないのではないかってことだけは、はっきり言わなければならないというふうに、ぼくは考えております。

9 絶えず目覚めて覚醒していること

 そこで問題はどういうことになっていくかっていいますと、ぼくが結論付けたことで、申し述べられるとすれば、ようするに、絶えず覚醒すること、絶えず目覚めるってことをやらないと、それは、個人としても、あるいは、思想集団としても、政治集団としても、絶えず目覚めることをやらないと、絶えず眠ってはならないと、すこしでも眠った場合には、かならず、いくら多数を獲得しているよう現象的にみえても、それはダメなんだと、それは役に立たんのであるってこと、ダメになっているんだってこと、そういうことが絶えず覚醒すること、絶えず目を覚ましていること、それは、個人としてもそうですし、絶えず、集団としても、あるいは、政治運動家としても醒めている、覚醒していること、絶えずおのれを知っていること、おのれの集団を知っていること、あるいは、絶えず他の集団を知っていること、絶えず社会を知っていること、絶えず現実を知っていること、そういうことにおいて、目を覚ますっていいますか、覚醒していること、そういうことが、おそらく、現在のような、ぽわんとなってしまうような、鋭い考察も非常に一時的なもので、ぽわんとなってしまうっていうような、えてしてそうなってしまうときには、絶えず覚醒していくってことが、非常に重要なんじゃないか、つまり、それだけが唯一の救いなんじゃないかというふうに思われます。
だから、文学者のなかにもいると思います。つまり、文学、芸術家のなかにも、自分は多数の員数を獲得している集団に属しているからとか、自分の読者っていうのは多数いるから、おれは相当なものなんだって思っていて、実はもう死人なんだっていう人は、文学者っていうのは、たくさんいると思います。そういうことは他人のことばかりじゃなくて、おまえのことも言えると思います(会場笑)。
こういうことは、みなさんにお話するなかで、絶えず覚醒していくことっていえるくらいだから、そういう意味では、絶えず○○っていうふうに思っていただければ、自分は多数の読者をもっているから、多数の読者をもっているところに属しているから、おれは死んじゃいないんだっていうふうにおもっている人と、たとえば、ぼくとのケースっていうのは、非常に分かれるわけです(会場笑)。
そのいうところっていうのは、恐ろしいことだと思います。つまり、たいへん恐ろしいことなんです。その恐ろしいってことについて、実は、情報社会っていうのは、すこしも責任をもっていないわけです。だから、責任をもってくれないわけです。
つまり、それは、今日、多数の情報を獲得し、そして、それが少数の情報に転化したならば、また多数の情報を獲得するものを別にどこからかもってくれば、それでいいわけなんです。それですこしも、個々の人間がそこで生き死にする、あるいは、個々の文学者、芸術家が、そこで生き死にするっていうことに対して、すこしも責任をもってくれるわけではないのです。だから、えてして、流布された情報を信じていると死んでしまうわけです。
だから、絶えず、責任をもってくれない社会に、ますます、これから突入していくわけですから、それなので、絶えず、自分で自分を覚醒せしめていなければ、ちょっと、自分自身に対しても責任がもてないってこと、あるいは、自分の集団にたいして、あるいは、自分の思想に対しても、責任はもてないってことに、あるいは、死んでしまうってことに、絶えずさらされていくっていうのが、いまの社会における、いささかでも、政治あるいは思想というものにかかわりをもっている文学者っていうもの、文学者ですけど、考えなければならない重要な問題があるんだっていうふうに、ぼくはこういう意見をもっています。
つまり、絶えず覚醒していくってことができれば、ぼくはよろしいんじゃないか、つまり、それが真理であるかっていう場合に、絶対性、絶対性っていうけど、絶対性とはなんだっていうことについて、かならずしも、ぼくの言うことが、うまく通じたりなんかしなくても、その点はそれでよろしいのであって、とにかく、覚醒していなければ死ぬのであるっていうこと、つまり、死ぬことであるっていうのは、生きながら死ぬってことのほうが、死にながら死ぬってことよりも、はるかに恐ろしいことなんだと思います。そういうことがほんとうにあると思います。そういうことを、ぼくは最後に申し上げて、話を終わりたいと思います。(会場拍手)


テキスト化ご協力:ぱんつさま