1 司会

 講演を聞きたいという声が高かったわけですけど、本日やっと、県内約20名の有志の方々のご協力によりまして、講演を開催することができたわけです。
言うまでもないことですけど、吉本さんは、『言語にとって美とはなにか』、あるいは『共同幻想論』など、言語、あるいは、心的現象など、その他さまざまな領域において、日本を問わず、世界でも優れた論者のひとりじゃないかと思っております。
本日は、さきほど亡くなりました竹内好を中心に講演をお願いするわけでございますけど、予定としましては、だいたい、いまから2時間、講演をお願いしまして、そのあと若干、みなさまの質疑の時間をとっております。よろしく最後までご清聴いただきますようお願いします。

2 中国との出遇い

 ただいまご紹介にあずかりました吉本です。長い間の念願であって、そして、あこがれでもあったここ山口へ来て、お話しできるのは、たいへん光栄です。今日は、ぼくに与えられたテーマは、去年12月から、ぼくはお体の悪いのに付きあっていたわけですけど、亡くなられた竹内好さんについてお話するようにっていうようなことなわけです。
 竹内さんは、ぼくは、論理的にはっていうのか、理念的には、あまり同じからざる道っていうのを、ある時期から歩んだように思いますけれど、ぼくは、「思想の肉体」っていう言葉を使うわけですけど、「思想の肉体」っていうのは、たいへん、ぼくは好きな人でして、つまり、そういう意味では、ほんとうはよく似ているんじゃないのかなって思いますけど。竹内さんについて論ずるということで、ぼくなりにいままで考えてきたこと、また、新しく考えたこと、竹内さんについて考えたことっていうのを整理しましてやってまいりました。
 竹内さんの思想っていうものが、いったいどういうふうに、どこから形成されていったんだろうかっていうようなことから、お話に入っていきたいとおもいます。竹内さん自身が書いているのですけど、学生時代に、大学の、当時でいう支那文学科っていう、東京大学に支那文学科っていうのがあったわけですけど、支那文学科の学生時代に北京に旅行に行ったと、それで、たちまち、そこの風物と、それから、人間、人物とに惹かれて、旅行の期間が終わっても帰りたくなくなってしまったと、その頃には自分も支那文学科っていうのに入っていたんだけど、べつに中国文学が好きだとか、中国思想がどうだとか、とくに関心があるっていうようなことでもなく、漫然と支那文学科に入っていたっていうような程度のものだったけど、なんかそこでたいへん惹かれて、帰りたくなくなって、家からお金を送ってくれって、お金をせびりまして、しばらくの間そこに滞在していたっていうこと、竹内さん自身が書いています。
 そのときに、自分は、支那文学科にいたけれど、中国人の心っていうのは、どういうものかっていうのは、全然つかまえてもいないし、中国文学っていうのは、どこに確信があるかっていうのについても、とくに自分なりの見識があるわけでもなんでもなかったと、自分はどうしても魅力があり、魅力がある風物のなかに、日常、接してみると、魅力がある人たちのほんとうの心っていうのをつかまえてみたくなったんだ。はじめて、そこで家から送られたお金でもって、しばらく食いつぶしながら、中国語の勉強をしたり、本を漁ったりしながら、街で漫然と過ごしたっていうことを書いています。
 中国人の心を自分なりにつかみたかったっていうときに、最初に出会ったのは、竹内さん自身が書いているところでは、孫文の『三民主義』っていうのは、著書があるわけですけど、『三民主義』っていうのに最初にぶつかって、はじめは、漫然と語学の勉強ぐらいのつもりでぶつかったんだけど、たちまちそれに魅せられたってことを言っています。
 孫文の『三民主義』っていうのは、竹内さんがたびたび、のちになっても、つまり、死ぬ間際、最近になっても、よく引用されていたので、やはり、相当大きな関心といいますか、影響を与えたんだっていうふうに思います。
 竹内さんが、そこで孫文の『三民主義』からどういう影響の受け方をしたかっていうことは、おおよその推察がつくわけです。ひとつは竹内さん自身が書いていますけど、孫文の『三民主義』のなかには、孫文の個性とか、政治的な理念、考え方っていうものだけではなくて、そのなかに、自分が中国人の心をつかみたいっていう場合の中国人っていう普遍性みたいなものが、孫文の文章の内容と、それから文体のなかにあるように、はっきりつかめるように思ったと、そういうふうに竹内さんは言っています。
 それで、そこのところで、中国っていうものに、最初に自分がつかまえられ、そして、自分が中国をつかまえたっていう感じになったのは、学生のときの最初の中国旅行のときだった。それで、その契機になったのは、孫文の『三民主義』だったっていうふうに言っています。孫文の『三民主義』のなかに、中国人っていうものがあるっていうふうに考えたということと、を除いて、内容的に竹内さんがのちにしばしば引用しているところは、同じ個所を引用しているわけですけど。引用しているところから、孫文の『三民主義』のどこに惹かれたかっていうのがわかるわけですけど。それは、こういう箇所です。
 つまり、ヨーロッパ及びアジア、アジアのっていうのは、つまり、日本っていうことですけど、日本みたいな強大国っていうのは、強大な国家っていうものは、皆、弱小な国家っていうものを痛めつけること、つまり、滅ぼすことによって、自分たちを太らせようっていうような、そういう道をみんな歩みつつあるっていう、だけど、もし、われわれの、中国自身が強大な国になったときには、われわれはそういう道を進みたくないと、つまり、他国を滅ぼすことによって、自ら栄えるっていう、そういう道を進みたくないっていうことを書いているわけです。
 自分たちは、弱きを助けっていうのを、いわば自分たちの民族の国是っていいましょうか、そういうものとして、自分たちは、欧米および日本のような、先進的な列強に伍するだけの国にしていかなければいけないと、ただ、そういう国にしていく場合に、かならず、他国あるいは弱小国を滅ぼすっていうような、そういうことをしながら、自らを肥え太らせていくんだけど、自分たちでは、そういう道を選びたくない。自分たちも太りたいけども、しかし、その場合に、絶対に弱きを助けるっていうことを、いわばモットーにしていこうじゃないかっていうようなことが書かれているわけです。
 これはいま、岩波文庫で安藤さんの訳がでていますから、みなさんもきっと、たやすく手に入れることができると思います。竹内さんは、たぶん、そういうところに、孫文のナショナリズムっていうものが、いわば、帝国主義っていうように、つまり、弱小国の犠牲において自らを太らせるっていうことをやめようじゃないかっていうふうに、やめようじゃないかってことが科学的にできるかできないかってことは、またおのずから別問題です。そのこととは別に、いわば孫文の政治理念として、自分たちが独立し、民族が栄えていくっていう場合に、弱きを助けっていうことだけは、自分たちの心がけにしようじゃないかっていうふうに、孫文が言っているっていう、そういうところに、竹内さんが惹かれたっていうことがわかります。
 竹内さんの言い方によれば、竹内さんはそのようにして中国っていうものに出会い、それから、中国文学に出会ったっていうふうに、自ら述べています。のちに述べています。竹内さんの思想の非常に核心っていうのがあるわけです。
 つまり、そういうふうにして中国っていうものに竹内さんが出会って、中国っていうことに出会うと同時にいわば東洋っていうこと、つまり、アジアっていうことに出会っていくわけですけど、その場合に、竹内さんの非常に考え方の、思想の核心っていうものがあります。その思想の核心っていうのは、東洋っていうものに対する考え方なんです。
 つまり、もっといいますと、東洋っていうものとヨーロッパっていうものとは、どういう関係にあるかっていう、その考え方のなかに、竹内さんの思想の核心っていうものがあります。そのことを少し、そこから入ってお話していきます。竹内さん自身も、たぶん、そこから中国っていうものにぶつかることによって、東洋っていうものに、あるいは、アジアっていうものにぶつかっていったんだっていうふうに思います。

3 アジアとヨーロッパの関係

 アジアっていうものが何だっていうことを考えることは、竹内さんにとっては、非常に大きな有形無形の問題で、つまり、政治的な問題でもあり、文学的な問題でもあり、また、内面的な問題でもあるっていうようにあったんだって思われます。
 その核心のところっていうのはどういうところかっていいますと、それをおおよそあれしてみますと、ヨーロッパっていうのは近代国家としてもそうだけれども、近代国家っていうふうに言わなくても、ヨーロッパ的な思想、あるいは、ヨーロッパ的な思考方法っていうものの核心っていうものは、つまり、中心っていうのは、なにかっていうふうに考えてみると、それは自己拡張、あるいは、自己保存、あるいは、自己防衛、あるいは、自己確立っていうようなものの運動だって考えられるっていうふうに、竹内さんはそういうふうに言っています。
 ヨーロッパの特徴っていうのは、いわば、自己を拡張することによって、自分を確立していくっていう考え方っていうのは、ヨーロッパのあらゆる分野にあると、つまり、それは合理精神としてもある、論理的な精神としてもあるし、また、いわば資本主義的な、あるいは、膨張の精神としても、あるいは、植民地へ植民地へと進出していく、そういう進出の仕方のなかにも、それはうかがわれるけど、それは、全般的に総合していえることは、ヨーロッパ自身がもっている自己拡張性っていいましょうか、自己膨張性、自己膨張することによって、自己を確認し、そして、自己を確立していくっていう、そういう考え方、および、そういう運動の仕方っていうのが、いわば、ヨーロッパの特徴だっていうふうに考えられる。
 ヨーロッパの自己拡張的な、あるいは、自己膨張的な考え方、あるいは、運動の仕方によって、自分を確立し、自分を押し立て、発展させていくっていうような、そういうヨーロッパにとって、アジアっていうものは、いわば、不可欠な存在だって考えられる。
 つまり、ヨーロッパが存在するためには、ヨーロッパが自己を拡張していくためには、アジアっていうのは、いわば不可欠な存在だ。つまり、欠くことができない存在なんだ。つまり、食いつぶしてしまう食料のようなもので、いわば、東洋っていうのは、ヨーロッパの自己拡張的な考え方、および、運動にとっては、東洋っていうのはすべてヨーロッパにとって必要なんだ。つまり、ヨーロッパにとって、東洋っていうのは存在しなければ、いわば、世界史っていうものは完成しない、つまり、世界史っていうものが完成するためには、ヨーロッパにとっては、アジア、つまり、東洋っていうのは、不可欠なものであると、それで、その場合に、とくにヨーロッパの自己拡張的な運動に対して、アジアっていうのは、いわば、不可欠の存在として存在するんだっていう考え方が、竹内さんの非常に大きな、東洋っていうものに対するつかまえ方の特徴です。
 そうしますと、ヨーロッパの自己拡張的な運動にとって、あるいは、歴史にとって、東洋っていうものが、もし不可欠な存在であるとするならば、東洋っていうもののあり方っていうのは、必然的に、いわば、侵入するものに対して侵入されるもの、自己膨張するものに対して自己消滅するもの、そういうものとしてしか、東洋っていうのは存在しえなかったんだっていうのが、つまり、世界史が世界史として存在するためには、東洋っていうのは、いわば、自分を消滅させることによって世界史の中に参加し、それから、ヨーロッパの自己拡張っていうものの不可欠の食料品として、糧として存在することによって、東洋は、はじめて、世界史の中に登場しうるし、世界史の中に登場しうる意義をもっているんだっていう、そういう考え方が、竹内さんの非常に根本的な歴史観でもあるし、また、思想でもあり、思想の中核でもあるっていうふうに考えられます。
 この考え方っていうのは、いわば、たいへん観念的な、つまり、ヘーゲル的な考え方なんですけど、ここで竹内さんのそういう考え方がヘーゲル的な考え方だっていうことを言ったって仕方がないので、そういうことは、この場合には、どうでもいいことで、竹内さんが東洋っていうものに、アジアっていうものにもっている、一種の異様なペシミズムっていいますか、憤りっていってもいいわけですけど、諦めっていってもいいわけですし、また、ペシミズムっていってもいいわけですけど、竹内さんがもっている、そういうペシミズムっていうのが、非常に重要なことだっていうふうに思われます。
 ですから、それからもうひとつは、ヨーロッパにとって、アジア、つまり、東洋っていうのは不可欠なのであって、もっとそれを押し進めていきますと、東洋っていうものは、東洋自体としては存在しえないんだっていう考え方です。
 もっとペシミズムを拡張していきますと、東洋っていうのは、東洋としては存在しえないんだ。つまり、ヨーロッパの運動およびヨーロッパ的な思考方法、考え方にとって、いわば、必要に食いつぶす、食料としてしか、存在しえないのであって、東洋的な思考とか、東洋的な自己確立とか、そういうようなものとして、東洋はだいたい存在しえないと、東洋自体でさえも、つまり、アジア自体でさえも、自分が自己確立するためには、ヨーロッパ的方法を使う、つまり、ヨーロッパ的方法によってしか、自己確立はできないんだ。それは、ヨーロッパが、自身が自身の方法によって、自己確立するだけじゃなくて、アジア自体も、つまり、東洋自体もヨーロッパ的な思考方法、あるいは、ヨーロッパ的な運動の方法をすることでなければ、自己確立することはできない、そういう存在自体が、東洋っていうものの存在の仕方なんだっていう、そういう考え方があります。
 この考え方は、たいへん特異な考え方であるし、たいへん悲観的な考え方です。つまり、アジアに対する絶望的な考え方です。竹内さんのアジアに対する愛着、終始一貫それなんですけど、愛着っていうものの根底にあったのは、つまり、あるのはなにかといったら、そういう、非常に東洋っていうのは無だよっていうこと、つまり、無いんだよ、つまり、食料品としてしか存在しないんだよっていう、そういうペシミズムです。
 それから、東洋が自己確立するっていうことは、絶望的なんだっていうことなんです。つまり、東洋が東洋の方法によって自身を確立することっていうのはできないんだっていう考え方です。つまり、東洋は自分を確立するためにさえ、ヨーロッパ的な方法、あるいは、ヨーロッパ的な拡張方法を使うより以外にないんだっていう、そういう大変なペシミズムですけど、それが竹内さんの東洋に対する愛情であり、それから、愛着であり、それから、方法であるっていうものの根底にある、竹内さんの考え方です。
 たぶん、竹内さんの考え方を、いわば、つかまえることができたならば、竹内さんの書かれたものは全部、それから、竹内さんのやられたことは全部、理解するに、間違いなく理解できるだろうって、ぼくには思われます。そこのところが、たいへん重要なところだっていうふうに、ぼくには考えられます。
 そうしますと、そういうなかで、竹内さんっていうものは、もうすこし、個人的に、その問題を自己告白しているわけですけど、どういうふうにしているかっていうと、ヨーロッパ的な思考方法のなかにある合理精神っていいましょうか、論理的な有様っていいましょうか、論理性っていいましょうか、そういうものが、自分は怖くて仕方がなかったっていうことを言っているんです。たいへん怖かったっていうことを言っているんです。
 つまり、どこまでも合理的であろうとするヨーロッパの精神とか、どこまでも論理的であろうとするヨーロッパの自己衝動みたいなもの、あるいは、ヨーロッパ的方法っていうものの根底にある衝動みたいなものです。つまり、カサカサに乾いたものなんです。つまり、荒涼たるものなんですけど、しかし、荒涼たるものなんだけど、あくまでも合理的に、あくまでも論理的に、論理で押していく、とことんまで、つまり、自己破壊するまで押してくっていうような、そういうヨーロッパ的な思考方法っていうものは、自分はほんとうをいうと、たいへん怖かったって、恐怖だったっていうことを言っています。

4 魯迅との出遇いと異境的で孤独な影

 ところで、恐怖だったっていうところで見渡してみると、そこのところで、中国の魯迅っていう文学者がいるわけですけど、魯迅っていう文学者のヨーロッパ的な合理精神、論理の徹底性っていいますか、それに対する恐怖っていうものに、精一杯耐えているっていう文学者が魯迅だっていうふうに、つまり、魯迅は、自分が怖がっているもの、自分が恐怖しているものも同じように精一杯耐えているなっていうふうに、魯迅のものを読んで自分も思ったっていうふうに、それが、自分が魯迅と出会った最初の契機だっていうふうに言っています。最初の契機であり、竹内さんの一生の契機であるわけですけども。
 魯迅っていう文学者は、作品、発言、時代的な意味っていうのは様々あるんですけど、その根底にあるのは何かっていったらば、ヨーロッパのヨーロッパ的思考方法のなかにある合理精神、あるいは、論理性、論理的な決定性、つまり、かさかさに乾いた、人間性ってなんてものは破壊してもなんでも、とにかく論理をつらぬかなくちゃいけない、論理性、合理性を貫くんだっていう、そういう無限衝動みたいなもの、そういうものに対する恐怖に精一杯耐えているっていうのが、いわば、魯迅の文学の根底にある精神のように思えた。つまり、魯迅は、自分が内面でおっかながっている、その問題というものを、いわば、まったく精一杯耐えながら文学を生んでいる、そういう存在だっていうふうに自分は思えた。そこで自分は魯迅にとらえられたんだ。つまり、魯迅にとらえられ、また、魯迅をとらえたんだっていうことを竹内さんは言っています。
 これもまた、重要なことであって、重要な言い方であって、竹内さんのさまざまな政治思想的な論文と、それから、学術論文と研究論文とがあるわけですけど、それから、時事的発言があるわけですけど、そういうもののなかで、いっけんすると、少しも表面には顔を出さない、だけれども、竹内さんの独特の文体の中からうかがえる、何とも言えないひとつの個性なんですけど、異郷的なっていいますか、日本的でもないし、ヨーロッパ的でもない、それから、中国的でもない、非常に異郷的な、孤独な影なんですけど、それの核心、いま申し上げましたようなことが核心にあるんだっていうふうに考えられます。つまり、竹内さんの生涯を貫いた核心っていうのは、そういうところにあったんじゃないかっていうふうに思われます。

5 近代日本の方法

 そういうふうに考えていきますと、どういう問題があれするかっていいますと、日本っていうのは、いわば竹内さんのそういう考え方ですると、日本っていうのは、東洋のなかのひとつの国であって、しかし、その国はなぜかヨーロッパ的方法っていうものを身に付けようと精一杯に張り切って、それから、ヨーロッパ的な自己拡張の方法っていうのもまた、身に付けて、いわば、早急にヨーロッパの資本主義に同じ資本主義として追いつき、早急にヨーロッパ的な帝国主義的な自己拡張の方法によって、植民地っていうものに、どんどん自己拡張していこうっていうような方法を、日本っていうのは、そういう方法、つまり、ヨーロッパ的な方法によって自己拡張っていうのを遂げたっていうのが日本なんだっていうのが、竹内さんの考え方の根底にある考え方です。
 ですから、いまのような考え方っていうので、ヨーロッパ自身が自己矛盾をきたした場合に、自己矛盾をきたした場合にっていうのは、たとえば、ヨーロッパ的な自己拡張っていうものが資本として拡張していって、そこで、自己矛盾をきたしたときに、いわば、ヨーロッパ的な資本の拡張の自己矛盾として、ソビエト、ロシアっていうのが、ヨーロッパ自体の胎内に生みだされたっていうようなことがいえるし、もうひとつは、ヨーロッパ的な自己拡張の方法の一個の竹内さんの言葉でいえば、「鬼っ子」であるっていうことなんですけど。
 つまり、新大陸のアメリカっていうものが、いわば、ヨーロッパの胎内から生みだされて、いわば、ヨーロッパの「鬼っ子」として成長していくっていうような過程をヨーロッパが自己拡張する方法が、いわば停滞し、分裂したときに生みだした分裂として、ロシア革命、ソビエト・ロシアおよび、もうひとつの産物としてアメリカっていうものが、ヨーロッパ自体は生みだしていったんだっていうことであるわけです。
 それと同時に日本っていう国をヨーロッパ的な方法でひきさらっていったと、日本っていうのはヨーロッパ的方法を模倣し、早急に追いつき、これを凌駕しようっていうふうに、早急に歩み切ろうとする過程でもって、ヨーロッパ並みの植民地的な自己拡張を遂げるし、自身も資本主義的な近代国家に、なにわともあれ、強引に引っぱって、鍛え上げていっちゃったっていうような、そういう過程をとったのは日本だったっていうふうに、竹内さんはそういうふうに理解するわけです。理解しているわけです。
 そうすると、竹内さんにとって、それじゃあ、日本っていう方法っていいますか、実態といいますか、そういうものは、どういうふうにとらえられるかっていうと、いまも言いましたとおり、ヨーロッパ的な自己拡張の方法を、思考方法としても、それから、いわば近代国家自体の形成の過程でも、模倣することによって拡張を遂げたっていうようなことのために起こる、つまり、早急に追いつき、追い越せっていうようなことで、掛け声でもって、早急に突っ走ったために起こる自己分裂っていいましょうか、内部分裂っていうようなものが、思想的にも、それから、思考方法としても、それから、社会階級的にも、階層的にも存在するっていうような、その問題が、いわば日本の問題だっていうことが、竹内さんの近代日本っていうものに対する捉え方です。
 そういうところで、それじゃあ、日本の著しい特徴っていうのを、いくつか、竹内さんは捉えているわけですけど、そのひとつっていうのはどういうことかっていうと、日本においては、自己拡張っていうものが、自分が自己拡張し、自己発展していくっていうことが、いわば、思考方法が、現実っていうものと矛盾していった場合に、その矛盾の中から、たとえば、ヨーロッパならば、新たな現実と新たな思考方法っていうのを矛盾の中から育てていく、あるいは、展開していくっていうのが、それがヨーロッパ的な自己拡張の方法であるし、自己拡張の結果起こりうる現実と思想観念の間の現象っていうのは、弁証っていうのは、そういうふうになされていく。ところで、日本の場合には、あまりに早急にヨーロッパ的な思考方法っていうようなものを自らの方法としていってしまったっていうことのために、その思考方法が現実のさまざまな状態と矛盾していくときには、そこの矛盾の中から、発展の考えの芽を見つけていくっていうようなことをしないで、その考え方っていうのは、いちおう捨てて、そしてまた、新しい原理っていうものを、また次に持ってくるっていうこと、その新しい原理っていうのを持ってきて、それがまた古くなってしまったらば、つまり、現実と合わなくなってしまったらば、また新しい原理を持ってきて、それを使うと、つまり、日本の持っている方法っていうのは、いつだってそれだっていうこと、展開し、自己矛盾の中から、あるいは、現実と矛盾したっていうことの中から、指向を育てていくっていうことはしないで、現実と矛盾し、そして、古くなったとしたならば、新しい原理をまたどこかから持ってきて、それを使う、それが古くなったらまた持ってきて使う、これが、日本の持っている、いちばん著しい特徴だっていう捉え方をしています。
 ですから、それは、レーニンがダメならスターリンであり、スターリンがダメだったら毛沢東であり、毛沢東がダメだったら誰でもいいですけど、ドゴールだとかなにか知らないけど、結局、日本っていうのは、いつだってそうじゃないかっていうこと、つまり、あるひとつの原理が矛盾したとき、現実と矛盾するようになったときに、その矛盾の中から、それを新しい考え方、その次の考え方を矛盾の中から育てていくっていうようなことなんかしないんだと、つまり、それが古いと思われ、現実に合わないと思われたら、また、新しいものを持ってくるっていうような、持ってきてそれを使うっていう、それがまた古くなったら、また使うっていうような、それが日本のもっている方法だっていうのが、竹内さんのひとつの捉え方です。

6 日本の息子たち

 それから、もうひとつ、竹内さんの、ぜんぶ同じことなんですけど、独特の言葉でいっていることは、日本の方法っていうのは何かっていったらば、ようするに、自分が奴隷の境涯から脱出しようとするためにどうするかっていったら、自分が奴隷の主人になるんだっていう、そういう方法だっていうことなんです。
 つまり、自分が奴隷なら奴隷の相互の間から、つまり、ある考え方が出てきて、それが現実とさまざまな場面で葛藤することによって、そこで奴隷から脱出する、ひとつの方法的な思想っていうのが生みだされてくってことは全然ないんだ。だから、自分が奴隷だったら、奴隷から脱出するために、自分が奴隷の主人になればいいっていう考え方、自分が奴隷の主人になれば、自分は奴隷から脱したっていうことなんです。
 自分が奴隷でなくなるっていうことはどうすることかっていったら、奴隷の主人になることだ。このヒエラルキーっていいましょうか、連鎖反応っていいましょうか、社会における縦の連鎖反応っていうのはどこまでいってもそうなんだ、つまり、これが日本っていうものの方法じゃないのかっていうのが竹内さんの考え方です。
 だから、日本もヨーロッパ並みに早急に近代化し、そして、早急にヨーロッパ並みの近代国家に仕立て上げる、それで、近代資本主義を植え付けるっていうことをやったものはみんな、竹内さんはそういう言葉を使っているわけですけど、一高、帝大、なんとかっていうふうにでていった秀才だっていうわけです。
 そういうようなのが一生懸命になって、つまり、秀才文化だっていうわけです。つまり、そういうものが一生懸命になって、それでもって早急に日本の国家を、ヨーロッパ的な方法によって、ヨーロッパ的な思考方法を使って、なにわともあれ早急にヨーロッパ並みの資本主義的な近代国家に育て上げてしまうっていうような、そういうのが日本の方法なんだと、それじゃあ、日本の大衆っていうのはどうするのかっていったら、自分が奴隷であって、自分が支配者でなかったら、日本の大衆っていうのは、自分の息子を東京大学か知らないけど、大学へやって、おまえ偉くなってっていうふうに、せめて自分じゃなければ、自分の息子、それで、自分が奴隷だっていうのは仕方がないから、自分の息子だけは、奴隷の主人にしようっていうような、そういう発想をするのが日本の社会だ。つまり、日本の方法だっていうことを痛烈に言っています。
 それはたいへん、当たらずといえど遠からずだと思います。つまり、そういうふうにいうと、非常にわかりやすいところがあるんです。それで、息子たちはどうかっていうことになるわけです。そうすると、みなさんと同じで、ぼくだってそうだけど、途中で親の、せめて大学でもだして、ましな人間にしてやろうなんていうのは、そういうのは大学の途中ぐらいで嫌になっちゃうわけです。つまり、馬鹿馬鹿しいっていうか、アホらしくなっちゃうわけです。そこで反逆っていうのが起こるわけです。
 反逆っていうのが起こるっていうのは、いつだって日本の例っていうのはそうです。そうじゃなければ、もともと奴隷の主人の息子っていうのは、なにか知らないけど、奴隷のほうにコンプレックスをはじめからもっていまして、階級移行と称して、なんでもないのに、そんなことをしなくてもいいのに、労働服を着てみたり、ハッピ着てみたりしたがるっていうのは、日本の優等生の、途中で疑いを生じたときの日本の支配者、つまり、上層、中産階級以上の子弟っていうものが、自分に疑いを生じたときに持つコンプレックスっていうのはそうです。決まっているわけです。
 極論すれば、そのふたつのタイプしかないんだと、その場合に、たいてい途中で、懐疑を生じない人もいるでしょうけども、ぼくらは、途中で懐疑を生じるわけです。こういう馬鹿らしいことになんかあれしていられるかっていうふうになると、いわば、グレる初めってことになっていくわけです。
 そこのところで、なんか知らないけど、長い長い旅みたいなものが始まって、終わりそうもないわけですけど、そういうふうになってどうにかなっちゃうよっていうような、そういう捉え方をすると、大変わかりやすいところはあります。竹内さんの捉え方っていうのも、まさにそのとおりなんです。

7 日本にとって何が善であり何が悪であるか

 竹内さんって人は、ものすごい、日本っていうのに対して意地が悪いんです。意地が悪いっていいますか、日本に対して、ものすごく痛烈です。そのかわり、対象的に、中国に対してはものすごく甘いわけです。これが、竹内さんの特徴なんですけど。
 だけど、なぜ中国に対して甘くて、なぜ日本に対して辛いかっていいましたら、それはさきほどいいましたように、日本っていうのは、竹内さんによれば、ヨーロッパ的な方法っていうものを早急に身につけた優等生であって、こいつは一生懸命駆け抜けて、つまり、オリンピックでいえば世界選手権を取ろうみたいに思って駆け抜けていった、つまり、それが日本の近代国家の根本にある自己衝動みたいなものであるから、こいつをもっているかぎりは、竹内さんが、日本は東洋であるくせに、そういう方法をもって、帝国主義的な自己膨張を遂げたっていうことは、竹内さんにとっては許しがたいことなわけです。だから、竹内さんはものすごく辛いです、日本に対しては、辛辣です。
 ですから、日本にとって何が善で何が悪であるかっていうことなんですけど、竹内さんの考え方っていうのは、それほど簡単にいっちゃうといけないところもありますけど、非常に簡単に言い切れるところがあります。
 日本にとって何が悪であるか。つまり、ヨーロッパ的な思考方法をもって、ヨーロッパ的な自己拡張の方法をもって、それで、文化であれ、国家であれ、それが社会経済であれ、自己拡張していくっていうような、それが悪なんだっていうこと、徹底的にそれは悪である。
 何がそれじゃあ善であるかっていうと、それは、多少なりとも主体的に、東洋っていうものの抑圧、それから、解放、そういうものに対して、多少なりとも主体的に寄与するっていうことを、もし日本がするならば、それは善であるっていうのが、竹内さんの考え方です。非常に明瞭な考え方です。
 つまり、ヨーロッパ的な方法、あるいは、ヨーロッパ的な自己拡張の仕方っていうものを、あらゆる方面でやるっていうことを日本が続行していくかぎりは、続けていくかぎりは、これは悪なんだっていうこと、徹底的に悪なんだっていう考え方です。
 それから、それと違って、多少でも、日本が自らの方法によって、東洋っていうものの抑圧、それから、東洋っていうものの進展、そういうものに寄与するならば、寄与するっていうような姿勢をもち、寄与することをするならば、それは日本にとって善なんだっていう考え方が非常に根本にあります。
 ですから、一般的に、第二次世界大戦であり、太平洋戦争であり、その時の呼び名では大東亜戦争なんですけど、大東亜戦争あるいは太平洋戦争っていうものは、侵略戦争だっていうのが、戦後における一般的な通説であり、一般的な考え方です。
 しかし、竹内さんはそれをそういうふうには考えていません。竹内さんはこう考えています。確かに、太平洋戦争っていうものは、そのときの大東亜戦争ですけど、大東亜戦争っていうものは、確かに日本の帝国主義的な自己拡張であり、それから、中国に対する侵略であり、アジア諸国に対する残虐であり、侵略でありっていうような、そういう戦争であったっていうのは、間違いないことなんだけど、だから、これは、近代における日本がヨーロッパ的な思考方法と自己膨張の方法っていうものを遂げていった、いわばなれの果てっていいましょうか、極限っていうのが大東亜戦争であって、だから、これは悪には悪なんだけど、しかし、このなかで、善である面を拾うことができるっていうのが、竹内さんの考え方です。
 善であるっていうことを拾うことができるっていうのは、たとえ、いかさまの思想であろうと、いかさまの大東亜共栄圏の建設とか、アジアの解放とか、それから、五族の協和とか、そういう戦争中のスローガンがあるわけですけど、まことに口当たりのいいスローガンがあったわけですけど、そのスローガンのインチキさ、デタラメさっていうものを、あるいは、現実と何の関係もないスローガンだけっていうような、そういうデタラメさっていうのはともあれ、そういうデタラメさを掲げる姿勢によって、アジアに対して、主体的に関わろう、つまり、アジアに対して、たとえ口先だけであろうと、これの解放のために、あるいは、これの共栄のために、共に栄えるために戦おうっていうような、そういう姿勢を示したこと自体は善なんだ。それは、評価しなければいけないっていうのが、竹内さんの考え方です。
 この考え方っていうのは、原理からして非常に当然でてくる考え方だっていうふうに考えられます。なぜならば、竹内さんにとって、ヨーロッパ的な思考法によって、日本が自らを貫徹するっていうことは悪なんですけど、そのなかで、東洋っていうことのなかに、主体的に関わっていくっていうことは、いわば、日本にとって善であるから、だから、そういう戦争評価の仕方っていうのが出てくるのも当然なわけです。
 この評価の仕方は、ぼくらのような、いわば戦中の年代の人を除いては、あまり、戦後の人々が評価しなかった考え方です。しかし、竹内さんのこの考え方っていうのは、もっと原理的なところまで、竹内さんの思想の内面的な衝動っていうようなところまで入っていきますと、まことにありうべき考え方だっていうふうに認めることができます。そういうふうに考えることができると思います。

8 講話問題をめぐって

 それから、竹内さんは戦後ですけど、敗戦後ですけど、講話問題っていうのが起こったわけです。つまり、講話問題っていうのは、単独講和か、全面講和かっていうようなことで、日本の左翼と、それから、保守系統の連中とが揉めたことがあるんです。
 左翼のほうは全面講和だっていうし、保守的なほうは、全面講和だなんていってたら、いつまで経ったって、独立な国家として国際社会に復元できないのだから、講話できるところから講話すべきなんだ。それで、少しでも早く国家の独立っていうものを保つべきだっていう考え方を保守的なほうはしたわけです。
 だから、中国およびソビエトとの講話が面倒だったら、それは抜かしておいてしようじゃないかっていう考え方を保守的なほうはするし、左翼のほうは全面講和だっていうことで揉めたことがあります。
 そのときに戦前・戦中にかけての長老っていいますか、リベラリストたちがいるわけですけど、例えば、和辻哲郎であり、津田左右吉でありっていうような、あるいは、武者小路実篤でありっていうような、長老の人たちがいるわけですけど。そういうリベラルな長老たちは、全面講和なんていってないで、少しでも講話できるところと講話して、早く、日本の独立っていうものを、早く達成して、一人前の近代国家として、また復元すべきだっていう主張を、そういう戦前・戦中のリベラルな長老たちが、そういう意見を述べたことがあります。
 それに対して、竹内さんは反対の意見を述べたことがあります。その竹内さんの反対の根拠っていうのは、なにかっていいますと、連中は保守反動で、ソビエトとか中国が嫌いだから、それを抜かして、全面講和じゃなくてもいいんだって言ってんだっていうふうには、竹内さんは言わなかったのです。
 竹内さんが言ったのは、どういうふうな言い方をしたかっていうと、それらの王道リベラリストっていいますか、戦前からの長老たちは、いわば明治の人だ。つまり、明治の優等生たちが一生懸命になって、日本の近代国家をつくろうとおもって、ヨーロッパ的な方法を真似、そして、ヨーロッパのあらゆる技術から、文化から取り入れて、早急に勤勉にでっちあげてきた、そして、日本は近代国家をつくりあげてきた。近代の独立国家をつくりあげてきた。そういう独立国家っていうのが、いわば、敗戦の占領状態に置かれているっていうことが、いわば、長老たちにとっては耐えられなかったんだ。あの人たちは耐えられないんだ。だから、一刻でも早く講和できるところから講和条約を結んで、早く独立国家にしようじゃないかっていう意見っていうのは、そういうところから出てくるんだっていうのが、竹内さんのその時の主張なんです。
 だけれども、竹内さんのそのときの反対理由は、しかし、その考え方は間違っていると、なぜならば、そういう古いリベラリストたちが考えている日本の近代国家っていうものは、ことごとく、ヨーロッパに追いつき、追い越せっていうことで、しゃにむに突っ走ってつくりあげてきた国家なんだ。その国家は必然的にヨーロッパの方法と同じように、いわば、他の弱小な国を食いつぶし、弱小な国を滅ぼすっていうこと、あるいは、植民地化するっていうことでしか、いわば、自己膨張を遂げることができないできた、そういう独立国家なんだと、近代国家なんだと、そういう独立国家ならば、いわば、独立でないほうがいいんだ、そんなオールドリベラリストたちがいうような近代国家ならば、そんな国家は復元しないほうがいいんだ。だから、自分は長老たちのいうことに反対であるっていうのが、そのときの竹内さんの主張の仕方です。
 この主張の仕方っていうのは、あまり静かすぎて、耳に入りやすい主張じゃなかったんですけど、しかし、たいへんよく読んでみると、いわば、やつらは保守反動でっていう言い方よりも、はるかに説得力のある、また、いわば、竹内さん自身の思想原理っていうものから出てきた考え方だっていうふうにいうことができます。
 この問題っていうのは大変なので、たとえば、そういうオールドリベラリストたちは、戦争中および戦争にかかる直前っていうのは、天皇制に対して、国家に対して、たいへん大きな抵抗の仕方をした人が多いんです。つまり、しない人もいるわけですけど、いわば、そういうリベラリストたちは、学問とか、文学の本質において、たいへん抵抗した人が多いんですけど。そういう抵抗をした人が、敗戦後すぐに、いわば保守主義に転じたわけです。それから、天皇制護持者っていいますか、保護者っていいますか、天皇制は保つべきだっていう考え方に転向したわけです。
 その転向っていうのは、たいへん大きな問題があるように思いますけど、しかし、竹内さんは、それは反対であると、この人達がいう国家の独立、国の独立っていうものは、いわば、同じアジアにおける弱小国を痛めつけることによってしか成長してこなかった。そういうヨーロッパ的な方法による、あるいは、ヨーロッパ的な意味での近代国家であって、こんな国家なんか、いわば独立して元に戻らないほうがいいんだっていうところから、そういうリベラルな長老たちの考え方っていうものに反対した、講話問題についても反対したことを、そのときに述べています。
 竹内さんのそういう考え方っていうのは、非常に一種特有な考え方なんですけど、いわば、論理は論理、理念は理念っていうように、竹内さんの主張はなされないで、いつでも独特の文体があって、独特の文体で主張されているので、なかなか、核心っていうものを取り出したり、その中から、ロジックの、論理の骨格っていうのを取り出すのは、なかなか難しいのですけど、しかし、原理っていうのをよくよく考えてみると、竹内さんの、そういう時どきに起こる時事的な問題についての発言のなかにでも、竹内さんの思想の根本的な原理っていうのは、大変よくつらぬかれています。

9 「国民文学論」の主張

 竹内さん自身は、魯迅から最初に入っていったように、文学っていうものについての発言がなんとしても、いちばん多いわけですけども。その場合でも、戦後になって竹内さんが主張したことは、どういうことかっていいますと、それは、いま言いましたような、日本がヨーロッパ的な方法によって近代国家をつくりあげ、そして、自己膨張的な民族国家としての膨張を遂げっていうようなことを、いわば、文学の面で考えてみると、これと同じことをした文学っていうのは、戦争中までの日本浪曼派っていうのがそうだと、日本浪曼派っていうのは、日本の近代国家っていうものが、ヨーロッパ的な方法を身に付けて、それをもって、ひた走りに走ったと同じ走り方を日本の文学もしたわけだけど。
 それがどこかに置き忘れたのか、あるいは、触れないで済ましてきたのか、そのことは問わないとしても、触れないで済ましてきた民族の問題っていうものを、文学の主張のなかに取り上げたために、日本浪曼派っていうのが、戦争中に大きな位置を占めたんだと、この日本浪曼派の問題っていうものを、日本浪曼派を戦後になって消滅させてしまったものは、同じ文学の内部の力じゃなくて、これは日本の国家を戦争でもって敗北させたとおんなじように、外部の力であって、決して、文学内部からの力によって、あるいは、内部における優位性っていうようなことによって、日本浪曼派を倒したのではなくて、倒れたのじゃなくて、いわば、これは外からの力で倒したんだ。
 だから、やっぱり依然として日本の文学が、ヨーロッパ的な方法っていうものを至上命令のようにして、それで、近代文学っていうのをつくりあげてきた、その過程でどうしても、もれてしまわざるをえなかった民族の問題っていうようなものは、日本浪曼派っていうものが消滅したって、依然として、その問題っていうのは残っているんだと、この問題をうまく解かないかぎり、いかようなかたちでかわからないけど、同じ問題っていうものは、何度も何度も日本では再生されてくるんだっていうような、そういう考え方をとったわけです。
 これに対して、日本のプロレタリア運動っていうのは、遡れば、白樺派の人道主義的な文学運動になり、それから、もっと明治になれば、それは、いろんな先駆者がいる、たとえば、それは啄木であり、それから、日本の自然主義文学でありっていうようなものが、そういう系譜っていうのをたどるけど、そういう系譜をどういうふうにたどっても、その中から民族の問題、民族の自己主張っていうものの問題っていうものは、ほんとうの正しい正当な意味での民族の自己主張っていう問題は、そのなかでは触れられていない。
 そこで、もっぱら触れられてきたものは、普遍人間性みたいなものであって、決して具体的な生活内容をもった人間が生みだした文学だっていうような、そういう文学の問題じゃなくて、普遍人間性、ヒューマニズムっていうものを基調にした、つまり、ヨーロッパ的な方法をそのまんま追いつき、追い越そうっていうことで、身に付けようとして築きあげた文学だから、依然として、この問題っていうものは残るんだっていう考え方を、竹内さんは最も大きく主張します。
 この主張は、大きくは、国民文学論議っていうようなことで、論議されたわけです。この「国民文学論」っていうものは、いずれにせよ、竹内さんの主張のようにも、それから、竹内さんの主張に同調した左翼文学者っていうのもいたわけですけど、その主張のようにも、身を結ぶことっていうのは、依然としてなかったわけです。
 しかし、現在でも同じことで、民族主義的な文学主張っていうものと、それから、ヒューマニズムの系譜の主張っていうものは、相互交代してみたり、曖昧に混じり合ってみたりっていうようなものが、現在でもある、文学の情況なわけですけど。つまり、その問題っていうのは、少しも身を結ばないで、「国民文学論」っていうのが終わってしまったわけです。

10 竹内好の悲劇

 この竹内さんの主張のなかで、どういうことがいえるかっていいますと、ひとつは竹内さん自身が、それは言っているんだけど、自分が若いときから文学っていうものは、ひとつの民族っていうものの、生活感情の総和だっていうこと、つまり、トータルだっていうことです。
 つまり、ある民族の生活感情の総和っていうものが文学に表現されるものだっていう考え方を、自分は若いときからもっていた、ただ、若いときには、そういう考え方っていうのは、じつに古臭いんじゃないかと思って、口ではなかなか出せなかったけど、自分は心の中では、いつでもそういうふうに文学っていうものを考えていたっていうふうに竹内さんは言っています。
 それはまさに、魯迅にぶつかった所以でもありましょうし、竹内さんが文学における民族主義的、民族的な要素っていう問題を重要視した根拠でもあるわけでしょうけど。しかし、文学っていうものが何かっていうことについて、個々の人間がどういうふうに考えようと、そんなことはいいんです。どう考えてもいいんです。そんなことはどう考えたらいけないってことはないわけです。
 だから、竹内さんが、文学っていうものは、ひとつの民族の生活感情の総和をいうんじゃないかって考える、そういう竹内さんの文学観っていうのは、文学観として、「国民文学論」まで延長してきた考え方で、それはそれでよろしいわけでしょうけども。ただ、問題はこういうことだと思います。
 なぜ、その論議が実を結ばなかったかってことを考えてみますと、ちょうど竹内さんがそういう自己主張をしたときに、日本の同時代の文学っていうものを、どういうヨーロッパ的な方法っていうものを受け入れていたのかっていうことを考えてみれば、すぐわかるわけです。
 その時には日本は、例えばヨーロッパでいえば、アンドレ・ジッドとか、マルセル・プルーストとか、つまり、自意識の葛藤、あるいは、自意識の解体、それが演じられるドラマっていうもの、それが文学の主題であるっていうような、そういうヨーロッパの文学のあり方っていうものを、日本の文学っていうのは、竹内さんのまさに、文学っていうのは、一民族の生活感情をいうんじゃないのかって考えたときに、まさに日本の文学っていうのは、同時代の文学っていうのは、そういうようなものを受け入れて、そういう方法でもって、自分の文学を生みつつあったわけです。
 ですから、一民族の生活感情の総和っていうのが文学じゃないかっていう考え方と、それから、文学っていうのは、個々の人間の自意識、つまり、意識が自分を意識する意識ですけど、意識が自分を意識する意識というものが、さまざまに運動する、そういうドラマっていうものが文学じゃないのかっていう、そういう考え方とかかわる、つまり、ひっかかりが生ずるわけがないわけですっていうことがよくよくわかります。
 つまり、一方で、文学っていうのは、一民族の生活感情の総体っていうものを指すのではないか、大なり小なり、文学っていうのは、そういうものじゃないか、あるいは、そういうものとして見ていくべきものなんじゃないのかっていうふうに考える考え方と、まったく同じ時代に、文学っていうのは個々の人間の、個人の内面の中で、個人が内面を意識し、そして、内面を意識した内面っていうものが演ずる様々なドラマっていうもの、それが文学じゃないのかっていう考え方とが、接触点をもつはずがないっていうことなんです。
 そうすると、そういうふうに接触点をもつはずがない、そういうヨーロッパ的な方法の先端を身に付けた、そういう文学作品っていうものが、現に生みだされ、同時代に同時に生みだされているっていう情況っていいますか、状態っていうものを想像すればすぐわかるわけです。
 つまり、竹内さんの考え方が、いわば、あまりに、日本のもう一方の、竹内さんのいう悪であるヨーロッパ的な方法っていうものを身に付けた、そういう文学っていうものとの隔たりっていいますか、あるいは、無関係といっていいぐらいの隔たりです。もうかかわりがない別の宇宙で存在しているんだ、しかも、それは同時代なんだっていうような、そういうふうにいってもいいほど、文学に対する考え方が違うってことがわかります。
 そうしますと、竹内さんのそういう考え方を、どのようなかたちで、どういうふうに延長していっても、日本の文学が孕んでいる全体的な問題に対して、なんかの解決っていうものを与えうることができないってことは、まったくはじめからはっきりしているように、客観的には思われます。
 つまり、それが竹内さんの思想のもつ悲劇であるわけですし、また、日本における思想っていうものは、ほんとうに思想らしい思想っていうふうに、自らを固執していきますと、たいていは、そういうような悲劇っていうものを演ずるほかは、自己主張できないんだっていうようなことがあります。
 それは、いま申し上げましたとおり、日本のもっている、つまり、同時代をとってきても、日本のもっている方法っていうものは、片やヨーロッパの非常に先端的な方法から、片やいま竹内さんのいうように、文学っていうのは、一民族の生活感情の表現じゃないのかっていうような、そういう考え方まで、いわば、文学の平面に並んでいる状態っていうのを想像すれば、すぐにわかるわけですけど、それらをいわば統一的に把握するっていうようなこと、あるいは、統一的に把握し、それがどこかに、ただ羅列した、分類したっていうことじゃなくて、それが、あるひとつの創造的な観点から、それをぜんぶ捉えられるっていうようなことは、ちょっと考えようがないほどむずかしいことであるわけです。
 ですから、日本における文学でも、思想でも、大なり小なり、悲劇を演ずるほかに、自己貫徹できないっていう要素があります。また、自己貫徹しようとすれば、悲劇に陥るほかどうしようもないんだってことがあります。
 そうじゃなければ、それが嫌ならば、やっぱり、竹内さんがいうように、その時どきに、新しい方法を頂戴して、衣替えしていくっていうような、そういうやり方をするより、致し方がないんです。致し方がないんじゃないかっていうふうに、諦めたほうがいいような、そういう面があります。それを竹内さんっていう人は、自分なりのやり方で、諦めきったっていいましょうか。自己貫徹しきったっていうふうにいうことができると思います。

11 〈優等生主義〉への批判

 ぼくは、竹内さんって人の考え方違うねっていうふうに思う、なにか言いつのって、論議して言い負かすっていう、そういう気がちっとも起こらない人でした。どうもそういう気にならないよっていう、ならないよっていうことは、あまりに馬鹿馬鹿しいからっていうことじゃなくて、この人わかるよ、言ってることはわかるよっていう、やることがわかるよっていう、ちっとも賛成じゃないけどわかるよっていう、だから、なんか言いつのって、おめえとおれは違うんだよっていうことを言う気もしないよっていうことは、いつでもそうでしたけど、やっぱり、竹内さんなりに自分の考え方っていうものを貫いたときに起こる問題っていうのが、そういう問題に帰着していくんじゃないかっていうふうに思われます。
 だから、はじめから、戦後の「国民文学論」もそうですし、また、日本浪曼派っていうものを、大なり小なり、人々が左翼文学および近代主義的な文学者が評価しないっていうことは間違いなんだ。つまり、これを評価しないといけないし、これから取り出せるものを取り出さなきゃいけないんだっていう竹内さんの主張っていうものも、ある程度、それをわかるよっていうふうに受け入れたなら、たとえば、ぼくらみたいな、青年時代に、青春時代に日本浪曼派の影響の下に浸りきったっていうような、そういう時代をもった、そういう年代の人達だけだったんじゃないかって思われます。あとの人たちは、大なり小なり、竹内さんの主張は受け入れることができないっていうことになったと思います。
 それから、竹内さんが民族っていう場合の、民族っていう言い方っていうのは、どういう意味あいでもこれは、竹内さんの言い方では通用しないよっていうような、そういう言い方でも、たぶん、多くの人たちは受け入れることができなかったんじゃないかなっていうふうに思われます。
 でも、竹内さんの民族っていう言葉のなかに込めた独特のニュアンスっていうものは、つまり、ヨーロッパ追従的でもないし、また、それに代えるに中国をもって代えればいいんだっていうのでもないのだよっていうこと、それじゃあ、それに代わるに、日本っていうのは良い国ですよっていうような、あるいは、日本っていうのは良いですよっていうこと、素晴らしい国ですよっていうようなことでもないんですよっていう、そういう独特のニュアンスを込めて、いわば、民族の問題っていうのは無視することができないですよってことを、竹内さんはつらぬいていったんだって思われます。
 竹内さんのこういう関心っていうのは、ぼくらに、戦争中のことになってくると一致するわけですけども。例えば、日本では明治の自由民権運動みたいなので、竹内さんもそう言ってますけど、自由民権運動みたいなものが、だんだんだんだんどうなるかっていうと、いわば、竹内さんのいう、日本の自己膨張的な、あるいは、自己拡張的な、アジアに対する痛めつけみたいなものの手先になっていっちゃう、自由民権運動はそういうふうになっていっちゃう、それから、戦争中、戦前の左翼運動の政治運動家とか、左翼運動の文学者っていうものが、そのまんますぐに大政翼賛会、つまり、大政翼賛会の組織の尖兵になって、中国大陸の中へ押し出していくみたいなことになってしまう、それで、そういうふうになってしまうなかに、言うに言われない一種の必然性みたいなものがあるわけなんです。
 そういう必然性っていうのはどうしようもない必然性みたいなもの、そのどうしようもない必然性みたいなものをどこから断ち切るのか、どこで断ち切ればいいのか、どこで刈り倒せば枯れてしまうのか、つまり、どうすれば、そういうふうにならないで済むのかっていう問題っていうものが、非常に大きな問題になっていくわけですけども。
 竹内さんの処方箋っていうのは、原則的に非常にはっきりしているんです。つまり、優等生をやめればいいっていうことなんです。つまり、優等生になって、ヨーロッパに追いつき追い越そうっていうような、そういうようなこと、それから、なにか困った場合、現実と矛盾した場合に、新しい方法を持ってきて、それを接ぎ木すればいいんだ。持ってくれば、現実にちゃんと適合するものが生まれるんだ、なんとなく古臭くなったらそれを捨てればいいんだっていうような、そういう考え方っていうのをやめればいいんだ。
 つまり、そういうやめればいいっていうことは、個々の人がやめればいいっていうことじゃなくて、日本の文化の構造、政治の構造、それから、社会経済の構造のなかにある、そういう構造です。つまり、秩序といいますか、構造といいますか、構成といいますか、そういう構成の仕方自体をやめればいいんだと、それをやめればどうにかなるんだ、つまり、それをやめるっていうことをしなければ、みんなどうしてもそういうふうになっちゃうんだ、つまり、イデオロギーが左翼であるか、右翼であるかとか、リベラルであるかってことは、近代的であるかってことは、少なくとも日本においては、あんまり問題にならないんだっていうことなんです。つまり、問題にならないんだっていうと、ちょっと問題になるわけですけど。しかし、問題にならないと言っていいところがあるっていうことなんです。
 もっと極論すれば、いわば、そんなことはどうだっていいっていうことなんです。それよりも、右翼であろうが、左翼であろうが、リベラルであろうが、近代主義者であろうが、その人のいわば思考方法っていいましょうか、個人でいえば思考方法です、思考方法のなかに、やっぱり、自分が奴隷から脱出するには奴隷の主人になればいいんだとか、とにかく、世界の最も優れたものにあれするには、それをしゃにむに身に付けて、それで、駆け足でそれに追いつけばいいんだ、それで、追いつき追い越せばいいんだっていうような、そういう上昇志向型っていえばいいんですかね、そういうふうに考え方をとるかぎり、絶対に日本には革命っていうことは起こらないってことを言っているわけです。起こらないってことを、竹内さんは徹底的に言っています。
 つまり、こんなのは日本の左翼だって同じだって言ってるんです。左翼っていうのは、東京大学にいって、途中でグレたところは違うかもしれないけど、すこしマシかもしれないけど、頭がいいと自分で思っているわけで、そういうのが新人会みたいのをやって、それが福本主義になって、革命的何々主義になったりして、そういうふうになって、それで、共産党官僚になったりするっていうような、もうそのコースっていうのは、竹内さん流に言わせれば、原理的にヨーロッパだっていうことなんです。
 つまり、ヨーロッパがヨーロッパであるっていうことの意味よりも、日本がヨーロッパであるという原理的にヨーロッパだっていうことなんです。だから、そんな方法をとっていたら、それ自体が別の立身出世主義と同じなんだよっていうこと、だから、そんなものが左翼を名乗ろうが、何を名乗ろうが、そんなので革命ができないんですよっていうこと、また、それはできないですよってことが第一ですけど、できたって碌なことはしないですよってことなんです。つまり、そういうことは徹底的にそれは変えなきゃいけないってことなんです。構造を変えないかぎり、どうしたって同じだっていうことなんです。

12 日本の知識人と社会の構造的問題

 たとえば、例は簡単なことです。戦争中ですと、貧乏人の息子で多少頭がいいと、親はどう言うかというと、士官学校とか海軍兵学校とか、月謝が要らなくて、それを出れば軍隊で一般の兵隊を統括する位置になることができるわけです。そのなかでも調子いい奴はもっと偉くて、元帥になることができるわけです。だから貧しい家の親は、学費がないから学校にやれないよという場合には陸軍士官学校とか海軍兵学校の試験を受けろというわけです。その試験は受験するとかなり難しいんです。ですからその頃で、いわゆるナンバースクールに入るのと同じくらい入学試験が難しかったんじゃないかと思います。そして続々とそういう学校に入って軍隊のなかで青年将校になり、偉い人になったわけでしょう。
 途中でぐれた奴もいるわけです。途中でぐれたやつが、例えば五・一五事件とか、二・二六事件とか、北一輝の思想を受け入れてクーデターまがいの三島さんみたいなことをしたわけです。優秀な将校として士官学校に行ったわけですけれども、入ってくる兵隊を見てみると貧農の次男坊三男坊で親兄弟から余計者と邪魔だから兵隊に行っちゃえと言われて来た余計者ばっかりなわけです。それを見ていると自分はエリートなんだけど「どうもこれで自分が偉くなっちゃったらおかしいぞ」と思うわけです。小隊長なり中隊長なり連隊長なりなんとか師団長になるといって、自分がなんの懐疑も生ぜずにそうなったらおかしいぞと思ったわけです。
 なぜなら自分だって親が金がないけど勉強して何かしたいならば陸軍の士官学校に入れと言われて入ったという、そういう人間だからすぐにわかるわけなんです。見てみたら兵隊たちはみんなそういう奴ばっかりなんです。どう考えたって食い詰め者で家族から邪魔者扱いされて入って来たという人ばっかりでしょう。これを見て懐疑を生じたというのは非常に良心的な部分なわけです。これを見てグレた奴はクーデターやろうということになる。陸軍何とか大将とか上の奴は堕落してる、あんなのの言うことを聞いていたらどうしようもない、やっちゃおうじゃないかというふうに考えたわけです。それはグレたわけです。
 しかしどうグレようと同じです。戦争中の軍隊と、戦後の大学はほぼ同じ構造を持っていたわけです。現在はちょっと違って、ちょっとおもしろいことになっているというふうにぼくは考えます。それを分析することはおもしろいことだと思いますけれど、少なくともぼくらが戦後大学を出た頃からしばらくは、同じなんです。戦争中軍隊に入ることと戦後大学に入ることは同じなんです。入るということのヒエラルキー的な、構造的な意味は同じなんです。ですからこの構造を変えないかぎりは、この構造の範囲内でグレて左翼になったって大したことないんです。大したことないという意味あいはぼくもわかります。それじゃ駄目なんです。
 駄目だということの主張の仕方はさまざまあると思います。しかし竹内さんの主張の仕方は、ヨーロッパ的だからだ、ということです。ヨーロッパ的という意味は、ヨーロッパがヨーロッパ的というのはまだしも、それはそれより以外にないんだから仕方がないという意味では許せる。しかし東洋である日本がヨーロッパ的であるということは、それに追いつき追い越せで桐を刻むようになって様々な矛盾が出たりなんかというのはやりきれないじゃないかというのが竹内さんの考え方です。その構造を変えない限りは誰がどうがんばったって日本は駄目ですよ、革命ということは駄目なんですよというのが竹内さんの根本にある考え方だと思います。それは竹内さんが貫いてやまなかった考え方です。
 この考え方でもって竹内さんはたとえば日本共産党に対しても痛烈な批判をしていますし、知識人というものに対しても痛烈な批判をしているわけです。知識人というものが、うちに帰ると神棚を祀っていて、一階では神棚を飾ってステテコ一丁でごろっとしてる。二階ではハイデガーとかニーチェがどうしたと言う。そういう脆弱さというのはどうしようもないじゃないか。それだったらばいくら追いついても追い越しても仕方がないじゃないか。そういうところの、知識人にとっては自己分裂であり、社会的にいえば知識人と大衆との分裂であるというような問題は、方向をそうとっていくかぎりどうしようもないんだというものが、竹内さんの戦後における日本批判の根本にある問題だと考えることができます。
 で、だから竹内さんによればそういう構造を変えないかぎり――構造を変えるというのは構造改革とは違うんです。構革派というのがいるでしょう。そういう意味とぜんぜん違いますから、間違えないでください――思考方法の改造、社会の支配をつなぐ鎖みたいなものの構造を変えない限りどうすることもできない、そのことを力説するわけです。個人的に言う場合には自己改造という言葉を使っています。社会的に言えば構造を変えなきゃいけないという言い方をしています。これを伴わなければどうすることもできないんだという言い方をしています。
 日本というものをつかまえていく場合、日本というものは構造を変えることなしに、イデオロギーがどうだこうだということで処理できる問題でもなんでもないとたいへん辛辣です。そこでは希望のひとかけらも抱いていないというふうに痛烈に日本というものを批判し、批判する根柢を明示しているとぼくには読めます。

13 中国に対する惚れ込み方

 竹内さんの問題を離れてしまえば、そこの問題がいちばん重要なことなんでしょう。いずれにせよ日本の問題がいちばん重要なことなんでしょうけれども、竹内さんについて言うとすれば、どうしても中国に対する考え方といいますか、惚れ込み方について言わないと片手落ちになるわけです。だから中国というものが竹内さんのなかでどれだけ「惚れてしまえばあばたもえくぼ」となっていたかということも申し上げないと竹内さんらしくないということになると思います。
 竹内さんの中国に対する体験的な考え方というものの基礎になっているのはやっぱり戦争だと思います。太平洋戦争のなかで、日本の軍隊、軍部、軍閥――ヨーロッパ的な方法で自己膨張を遂げた帝国主義的な日本というものが中国で何をしたかということなんです。竹内さんが自分の兵隊に行った体験も加味して、竹内さんが疑わず信じていることのなんかでいちばん竹内さんに衝撃を与えていることは何かといいますと、日本の国家と軍閥は、中国で麻薬、アヘンの栽培をしたわけです。アヘンをつくって中国人に売って飲ませて、個人でいえば軍資金にしたわけです。それでもって軍事的行動の経済的基礎を支えたということがまぎれもなくほんとうだということがあるわけです。そのことは、戦争中ぼくらはそんなことは知らされていないし知らないわけです。しかし竹内さんは……
【音飛び】
……中国に兵隊で行っていたことがありますから、そういう体験に照らして、中国文学者ですから中国の情報はふつうの人より知っていたわけで、そういうことをおぼろげながら知っていた。それは戦後、中国の文学作品が入って来たり、東京裁判で明らかにされたりということではっきりしたわけですけれど、そういうやり方をしたということがあるわけです。竹内さん流にいえば、ヨーロッパ的な自己膨張の方法をとるために中国の民衆を滅ぼすようなことをした。アヘンを売りつけて経済的に窮乏化させただけでなく、それを飲ませ滅ぼすことによって自己拡張したことは明瞭だということなんです。これは竹内さんにとっては大変ショックだったわけです。
 ところが、日本の軍隊の占領地区ではなく、中共の占領地区ではどうだったかということがまた戦後明らかになった。それによると中国共産党の占領地区では、たとえ日本の占領地区と隣接した地区であっても、そこではアヘンの密売や取引はまったく行われていなかったし、中共はそんなことはまったくしてはいけない、そのために軍事的な行動費がなくなり、自分たちは不利で窮乏する立場になろうともそういうことは絶対してはいけないというモラルは明瞭に貫徹されていた。それは日本軍の占領地区と中共軍の占領軍が隣り合わせていた地区でもその区別だけは明瞭であったし高度な倫理性を持っていた。これは明瞭な相違だった。そこで中国共産党に象徴される倫理性は何かといったら、孫文の三民主義の延長線上にくるもので、中国の民族的な統一と帝国主義からの解放を……
【音飛び】
……するけれども、弱者を滅ぼすことによってなすんじゃないという孫文の政治モラルは中国共産党のなかでも明瞭に維持されていた。それはたとえどんな不利な立場になっても中共が固執してやまなかった。それは日本の占領地区とまるで違っていた。そのことが竹内さんにとって戦後になって衝撃だったことがわかります。
 竹内さんは魯迅を書いて兵隊に行ったわけですけれど、中国に対する関心の深まり、魯迅に対する突っ込みかたという点ではすでに戦前戦中に形成されていたわけですけれども、戦後になって明暗といいますか、日本国家が何をしたかということと、中共がどういうモラルを守ったのかという対比というのがはっきり証拠立てられるに及んで非常な衝撃を受けたということが竹内さん自身の書いた者によってわかります。
 そこで竹内さんの中国に対する惚れ込み、惚れればあばたもえくぼという考え方が始まったと思います。それが契機になったと思います。ぼくは中国について、あるいは中国文学になんら知識も見聞も何もないから、批判したくてしょうがないけど、突っ込んで批判することができない。できないから竹内さんがそう言っていると言う以外にないんです。

14 「惚れてしまえばあばたもエクボ」ということ

 なぜ竹内さんが惚れればあばたもえくぼというふうに、これは理想としての中国だとぼくには思えるかを申し上げてみます。ひとつは、現在の世界史の段階では、この地上には天国はないと思います。地獄だと思います。ぜんぶ、どこに行っても地獄だと思います。これは社会体制、政治体制によって地獄と天国ががらりと変わるということはないと思います。ぼくはそう思っています。これは基本的なペシミズム、世界に対するペシミズムとしてぼくにはあります。そこからも「ほれればあばたもえくぼだ」とぼくは言うわけです。
 それからもうひとつ言えることは、毛沢東の主著に矛盾論とか実践論とか文芸講話なんてのがあるわけです。これを読んでみますと出鱈目なわけです。これは、ぼくが骨がらみにヨーロッパ的方法を身につけているんだと思います。その部分とその論理、理念から見てみますと、とにかくこれはいい本じゃないんです。いい本じゃないということにはさまざまなニュアンスがあるんですけど、これは出鱈目です。出鱈目のことを言っているんです。矛盾ということについても出鱈目なことを言っていますし、真理ということについても出鱈目なことを言っています。それから文芸、文学に対する考え方も出鱈目です。だけれどもいいところがあります。「じゃあおまえ書けるか」ということなんです。
 だけどぼくはこれよりも正しいことは言えると思う。文学についても、毛沢東の文芸講話より、ぼくの「言語にとって美とはなにか」のほうがいい、正しいと思います。けれども正しいということと価値が高いということとは違うんです。つまり、正しくなくても――特に芸術文学はそうです――芸術文学では、正しくなくても悪であっても、芸術的に価値が高い、そういうことがありうるわけです。ですから価値として見た場合には、これはいいものです。たいへんいいと思います。なかなか書けるもんじゃないということです。ところが正しくはない、間違いだらけですということになるわけです。だけどこれはいいというより仕方がないという面と、これは正しくない、こんな出鱈目な幼稚なことを言ったら駄目だよという面とふたつあります。両方を持っています。
 ところで竹内さんは、ただの一言も、これは間違いだよということを言っていないんです。言っていないということは、ひとつには方法として言うあれを持っていなかったということが言えます。もうひとつは遠慮しているのかもしれないなということが言えます。両方言えるわけです。方法として批判することを竹内さんが身につけていなかったということが言えるわけです。もうひとつは、方法として身につけていたかもしれないけれども、言うことを憚った、遠慮したかもしれないということです。いずれの2つの場合を想定したとしても、ほれればあばたもえくぼということ以外の何ものでもないわけです。
 正しいことは正しいのであって、誰がなんと言おうと正しいのであって、正しくないことは誰がなんと言おうと正しくないと言えなければそんなものは問題にならないんです。竹内さん自身に、己に背くことなんです。それはどうして言いえていないかと言えばいまのふたつの理由です。
 ぼくらだって言いえません。たとえば惚れて好きな女の人がいれば、その人の悪口を言うのは抵抗を感じます。悪口を他人に言うのでも自分自身に言うのでも抵抗を感じます。できるなら言いたくないと思うでしょう。なぜかといえば惚れているからでしょう。それと同じで言うをためらったとすれば、方法を自らが身につけていなかったか、そうじゃなければ身につけていても言うのをためらったか、どちらかだと思います。竹内さんの毛沢東に対する惚れ込み方、惚れればあばたもえくぼということは、延長すれば中国共産党に対するあばたもえくぼということになりましょうし、魯迅に対してあばたもえくぼとなるだろうと思います。
 ところで、魯迅という人はそうでなかったとぼくは思います。つまりあまりためらうということのない人だとぼくには思われます。竹内さんもあたうかぎりそうですけれども、基準になっている中国というものは理想としての中国というのが基準になっているんじゃないかと思われます。この理想としての中国というのはあまりに目鼻がぱっちりと描かれているということと、日本に対してあまりに過酷じゃないかということとは表裏一体することだとぼくには考えられます。
 竹内さんの方法のなかにあるもっとも核心であり、もっとも大きな問題がある点はいま申し上げましたところに要約されるんじゃないかと思われます。

15 何がためにひとりの思想家はある時代に存在し続けるのか

 竹内さんという人が亡くなって一年たっぷりたっちゃうわけなんですけれども、竹内さんの方法、原理が残したものから何がつかまえられるんだろうかということが、ぼくらみたいに竹内さんが思想の肉体として好きだった人間はいろんなかたちからいろんな風に考えるわけです。何を残していったのかということと、何をつかまえたらいちばん自分たちの問題に引き寄せられるかなということを考えるわけです。
 ことが戦争中のことになると、ぼくらは無条件に共感しちゃうところが多くてあまりあれにならないんですけれども、竹内さんの原則的な方法が持っていた問題をいまはどう考えたらいいかと考えてみると、それが何であるかをつかみ出すのはまだ難しい気はするんですが、竹内さんが労苦して言ってきた問題はまったく違うところから照射することができるんじゃないかということがありそうな気が、予感がします。
 もう少しするとはっきりするんじゃないか。竹内さんが一生懸命になってきづいてきた問題点、考え方というものを、一生懸命継承する、受け継ぐという考え方をとらなくても、竹内さんが苦心して到達しようとした問題が、ひとりでに、自然に前提のように身についたというところになんとなく行ける兆候があるんじゃないかという感じがするんです。
 たとえば竹内さんほどむきになってヨーロッパの自己拡張の、帝国主義の方法は悪の権化であると生涯の懸命な努力によって考え抜いてきた問題というのを、案外あっさりと前提として出発できるという兆候が少しずつ出てきているんじゃないかという気もします。断言はできないですけれども、出てきているんじゃないかなという気がします。
 それから竹内さんが口を極めて痛烈に批判して止まなかった日本における優等生主義、ヨーロッパ的方法にいい頭の方から順々に追いついて一生懸命駆け抜けようということにつくってしまった日本の持っている悪といいますか、そういうものも竹内さんが一生懸命考えたほどではなく自然にそれを無化してしまうということができるようになりつつあるんじゃないかという気もしなくはないんです。それは錯覚かもしれませんがあります。
 ただ言うことは、思想なんていうもの、あるいは1人の思想家は、いずれにせよ生涯においてなしうることは大したことがなくてたかがしれているわけですけれども、何がために1人の思想家が存在し続けるかと考えていきますと、自分が労苦して考えに考え抜いたということが、後の世代の人たちはひとりでに身につけてしまっているとしか思えない。自然に身につけちゃっているとしか思えない。そういう比較対象ができるということが、ひとりの思想家というものが生涯にわたって存在し続けることの意味だと思います。
 ひとりの人間が自分の青年のときにつかんだある考え方、ある行いというもの、その考え方というものを生涯にわたってなんらかの意味で持続的にひねったり部分的に捨ててみたりしながら、死ぬまでこねまわしていかないかぎりは、自分のあとの世代との対比はつかないということなんです。後の世代とは脈絡がつかないということなんです。あとの世代と脈絡がつくということはたいへんなことなんです。黙っていたら脈絡がつくと考えたらそれは大間違えでして、黙っていて脈絡がつくのは、自分が生理的に生んだ子どもくらいのものです。少しでも自分以外、自分の子ども、親以外のものと思考の脈絡、もっと突き詰めていえば思想の脈絡をつけるためには、人が青年期につかんだある契機を生涯にわたって考え続けなければ脈絡はつかないということなんです。
 それを脈絡をつけるためにはどうしてもある世代のひとりの思想家は、青年期につかんだものを変えたって曲げたってどうだってかまわないけれども、つかんだもの自体を持続的に棺桶まで持ち越さなければいけない。その課題を何らかの意味あいで放棄するならば、自分のあとの世代との脈絡はまったく途絶えるということです。時代から時代へと脈絡をつけるということは、それくらい難しいことです。これはどこかで捨ててしまったら駄目です。捨てる理由も根拠も契機もあるでしょうけれども、しかし捨ててしまったら脈絡がつかないということは疑いがないんです。
それでも悲しいことに、ある時代の思想家、あるいは思想家でなくても、脈絡をつけるために一生懸命考えてきた、考え抜いたことは、やっと後の世代にごく自然に受け入れられるとなっているだけなんです。何らかの脈絡がつけえたらそれは大した思想だというふうに言うことができるほど難しいことだということが言えます。
 そういうことを放棄するならば、それは自分の子どもと肉体的な脈絡がつけられるということくらいしか脈絡はつけられないと思います。それでもけっこうですし、それぐらいしかできそうにないですけれども、原則的にいえば思想的な脈絡、歴史が何を物語るというような脈絡はそういう営為によってしかできないと言えると思います。
 そういう意味あいで、ひとりのある世代の思想家が息ある時代につかまえられた自分の契機というものをある表現にし、死ぬまでそれを持続したということの意味がもしあるとすればそういうところにしかないと思います。だから竹内さんの思想が本格的に検討されるのはこれからでありましょうし、そこから何かが後の世代の人が苦労しなくてもわかる、共感するところ、あるいはもう既に実現したところがあったとすれば、それは竹内さんの思想の功績に属するわけです。また強いていえばひとりの思想家がある時代に存在しつづけたということの意味につながっていくものだと考えることができると思います。
 そういう竹内さんの思想の本格的な検討と、それがどういうふうに皆さんをとらえるか、あるいは皆さんが捉えられるかという問題は今後に属するわけですけれども、きっとそういうことがこれからなされるに違いないし、なされるに値する思想家だったということができると思います。これでいちおう終わらせていただきます。

16 質疑応答1

(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 それは格別お教えするようなことじゃなくて、ぼくは非常に感覚的に言っているわけですけど、感覚的にあっさりと、つまり、論理っていうものを突き詰めたり、論理を通したりしようとすると、情緒的に殺伐としてくる感じを、ぼくはいつでも自分は実感するので、殺伐としてきて、これ以上、こういうふうなことに突っ込んでいくと、自分、おれっていうのは壊れちゃうなっていうような感じっていうものを、実感として伴うから、そういうことで言ったんだと思います。なにげなく言ったんだと思いますから、あんまりいうようなあれじゃない。

17 質疑応答2

(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 いまおっしゃったことは両方一緒に答えることができるような気がするんです。竹内さんが優等生文化的なものをやめればいいんじゃないかっていうのは、ぼくがいう知的な上昇過程っていうのは、自然過程なんだから知識でも何でもないんだっていう、だから、逆に知識から知識でないもの、それがつかまえられたときはじめて、ほんとうの知識っていえるんだっていうふうな言い方をぼくがすることと違うような気がするんです。
 その言い方っていうのは、たとえば、知的な上昇過程だからやめればいいんだっていう、ぼくの言い方をもっとあれしていけば、知的な上昇過程だからやめればいいんだっていうことは、ぼくは絶対に言わないわけです。
 徹底的にやれっていうわけです。徹底的にやれっていうのが、ぼくの考え方です。徹底的に知識的にやれっていうことです。だけど、ちっとも知識の総体の過程じゃない、全体の過程じゃないよ、それは、いってみれば片道切符にしか過ぎないよってことなんです。
 そうすると、毛沢東の『文芸講話』なら『文芸講話』が、どこがダメなのかっていったら、感覚的にもいえるわけです。平面の中に無理やり突っ込まれちゃう感じがするんです。それは、なぜかっていたら、毛沢東は知識っていうものを、あるいは、知識を生業とするものじゃないんです。
 生業とするっていうと職業っていう意味になっちゃうんですけど、あるいは、社会的な分業っていうことになっちゃうんですけど、もうすこし根底的に、知識を知識によって達したって言い方でなんとなく察してほしいわけです。知識が知識として立つっていうこと、あるいは、知識として存在するっていうことを、毛沢東は認めないんだよ、つまり、それは絶対、大衆というものの過程に接触しないかぎり、なんらの意味も生じないし、価値も生じないんだってことは、毛沢東は徹底的にそうなんです。
 だけど、ぼくはそうじゃないと思っている。知識っていうものは価値を持つもので、知識は知識として立っている、そういう状態を認めなければいけない、その状態はニュートラルで、つまり、権力にもいかないし、大衆にもいきません、つまり、それ自体ですから、それ自体を含む全体から、なにかを奉仕させられちゃうかもしれないのです。つまり、奉仕させられるかどうかっていうことに対して考えが及ばないかもしれない。だけど、知識は知識追及の過程自体のなかに価値があるんだっていうことを認めなければ、人類の文化っていうのは成り立っていかないっていう、つまり、ヨーロッパが、世界が成り立ってきたかっていうと、その根本的な理由は知識が知識として立つっていうこと、それを認めているからなんです。
 そうすると、それは無限過程なんです。無限に上昇する過程なんです。無限に関係が進むっていう、そういう過程なんです。それは大衆に役に立つか、役に立たないか、政治がそれを利用するかしないか、そんなことは、ほんとうはあるんです、たいていは利用されたりするわけですけど、そんなことは、探求している人自身にとっては、なんらの問題にならないほど、それは、熱中される問題なんです。そのこと自体に追及される問題です。それは、無限に追及して、追及の種は尽きることがないっていう問題です。その過程を認めることによって、ヨーロッパっていうのは世界であるかのような、ヨーロッパの知識っていうのは、それがあるために世界であるかのような顔をしてきたのです。
 それから、竹内さんが恐れを抱いたっていうのは、合理性、論理性っていうのは、論理学や数学なんていうのは、東洋ではでてこない、日本なんかで生まれないのこれは、絶対に東洋的な思想では生まれないの、なぜならば、あれは知識が知識であるっていう過程で、知識が知識を追求して、1+1がどうして2になるんだっていうことを追及するのにどういう意味があるのかっていうことを、どう大衆に役に立つのか、どうやって役に立てたらいいかってことをすぐに考えるような、そういうところでは、論理とか、数学とか、そういうものは生まれないの、絶対に。絶対に生まれない。これが生まれないっていうのが、東洋の悲しいところなんです。竹内さんのいうように利点じゃないんです。これは悲しいことなんです。つまり、ヨーロッパと比べて悲しいのはそこなんです。
 ヨーロッパっていうのは1+1は2だっていうことを、どうして2かっていうことを、死ぬまでレンズを磨くのを商売にして一生そういうことにつぎ込む、日本人、東洋人っていうのは、馬鹿だ、役に立たんぜ、あれはっていう、そういうようなこと追及をして一生涯を送ったやつはいるの、ヨーロッパではしばしば出てくるわけです。
 日本だって、良い茶碗をつくるために、焼き物をやって一生を送ったやつはいるんです。しかし、それは役立つためです。だけど、こんなものじゃ、かたちあるものじゃないんです。1+1はどうして2かっていうことなんです。そういうことを追及します。眼に見えるものじゃないんです。抽象なんです。抽象を追及することによって、一生を棒に振っちゃったってことが、ヨーロッパにはあるんです。
 それはどういう価値があるかっていうと、民衆のために役立つか、そんなことを言ったら馬鹿なんです。無駄なんです。だけど、無駄をやるっていう精神っていうのはなければ、論理、それから、数学みたいな、抽象的なもの、科学、サイエンス、そんなものは絶対に生まれない。絶対に生みだすことはできない。それをヨーロッパは生みだすことができる。
 アジアは生みだすことはできてないのです、アジアが科学をもったのは、全部、ヨーロッパの移植です。ひとつもありません、アジアで発展した科学っていうのは何もないんです。経験法則だけです、アジアにあるのは。経験法則だけ、つまり、漢方薬みたいなもの。効くかもしれないけど、経験法則です。そんなのはダメなのです。ぜんぶ成分を抽出したうえで調合できなければダメなんです。それが知識だってそうなんです。
 だから、そこが毛沢東のダメなところなんです。『文芸講話』もダメ、『実践論』もダメ、『矛盾論』もダメ、あれはダメなの、どうしてダメかっていったら、ようするに、1+1が2だっていうことを認めないから、2だっていうことに一生を棒に振る人間がいるっていうこと、あるいは、棒に振っていいんだ、その人は政治に無関心なんだ。それから、政治なんかニュートラルでいいんだ、そんなのは。それから、そういう人は、場合によっては政治的に悪く利用されることがあるかもしれない、それでもいいんだ、それでもそういう人には価値があるんだ、それで棒に振ることに価値があるんだっていうことを認めなければならない。それを毛沢東の論理っていうのは認めていないんです、ひとつも。竹内さんも認めていないんです、それは。ぼくは、そこはダメだと思う。竹内さんのダメなところだと思う。
 つまり、竹内さんは中国に対して甘くて、日本に対して過酷だっていう、そういうことだと思う、あるいは、ヨーロッパ的方法には懐疑的だけど、中国に対して懐疑的じゃないっていうのはそこだと思う。それが、ある意味ではいいんですけど、ある意味ではそこがダメだと思う、ぼくはそうじゃないんです。つまり、徹底的にやれっていうこと、ヨーロッパ的な方法を徹底的にやって、ヨーロッパを遥かに追い越してしまえ、そういうふうにするっていうことがある。
 しかし、知識にとっては、そのことはちっともいいことじゃないんです。つまり、貫徹したことじゃないんだよっていうことが、ぼくの考え方です。つまり、それは知識にとっては片道過程です。つまり、どんなにすばらしい、世界の国々を凌駕するような、そういうことを、文学において、あるいは、科学において、あるいは、何々において到達していたとしても、それ自体はちっとも偉くもなんとも、よくもなんともないんだよ、それはなんでもないんだよ。それの総体として貫徹する。ぜんぶ完璧に取り出すっていうことは、そういう過程から取り出すっていうことはできなければ、知っていうのは貫徹しないんだっていうのが、ぼくの考え方です。
 ですから、いま質問された方のおっしゃったこととは、ぼくは違うんです。ぼくが毛沢東はダメだっていうところは、そういう根本的なところなんです。どうしたってダメなんです。あるいは、毛沢東のなかにある構造的なものはことごとくダメなんです。それだから、どうしても、そこに入っていこうとすると、無理やり平面な感じで入れ込んでいかれちゃうっていう、そういう感じが感覚的に伴うわけです。
 それはなぜかっていったら、いま言ったところで、知識が知識として立つっていうような、そういうカテゴリー、無限過程を認めろっていうことなんです。それが存在するっていうこと、それを認めないかぎりは、ぼくの考えでは東洋はダメです。アジアっていうのは絶対にヨーロッパを凌駕すること、あるいは、アジアが世界であるっていう、そういうふうには絶対になりません。
 あるいは、アジア以外のものでもいいんですけど、ヨーロッパ以外のものが世界であるってことは絶対に成り立ちません。その過程っていうのを毛沢東は認めないわけです。それが、ぼくはダメだっていうことだと思います。それが毛沢東の『実践論』や『矛盾論』、『文芸講話』の根底を支配している、根底的な問題だと思います。
 だけど、なぜこれをいいかっていう、価値があるぜって認めなくちゃいけないかっていうと、一種の文体といってもいいし、内容の渾然性、渾然一体として、ちゃんと読む者に与える、それは上出来なんです。悪くない、いいんです。質がいいものなんです。
 これは、この人は相当考えてあれしないと書けないよっていう、あるひとつの渾然とした深さ、価値、それがあるんです。それは認めなくちゃいけない。個々の考量をもってきたら、間違いだよ、この人はこれを認めないからダメだとか、ここがダメだ、間違ってるとか、誤謬であるとか、これはダメだとか、そういうところっていうのは、たくさん見つけられますけど、全体として意味があるっていう、これは、現在の世界では、現存の世界では、そんなにたくさんの人から認められないのです。ある渾然とした深さっていうのがあるんです。これは、ぼくは認めなくちゃならない、それは読み取らなくちゃ、中身のロジックだけ読み取って、ロジックの間違いとか、相対的真理をたくさんの人間が集まって、絶対的真理になっちゃうみたいなことを言ったり、なに言ってんだってところがあるわけです。そういうところだけをとるんじゃなくて、渾然として打ってくるものの深さっていうものは認めなくちゃいけないって、ぼくは思いますし、それは、ぼくは、そうとう高い真理じゃないかなって、ぼくには思われます。質問された方の答えになってたかどうかしれないけど、根本的には、そういうふうに、ぼくは思っています。

18 質疑応答3

(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 ぼくは、戦争体験とか、戦争責任とか、そういう問題っていうのは、竹内さんもそうだけど、相当こだわって、戦争体験論とか、戦争責任論とかいうものを、それ自体としてこだわってやったことがあるんです、
 それは縁故にもとづくものであれ、騙されたという認識にもとづくものであれ、おれがかかずらったことは間違いだっていうふうに全部否定されるのはかなわんっていう、そういうモチーフによるのであり、つまり、体験を体験の次元で取り上げてかかわるっていうことをした時期があります。
 そういう時期、あるいは、そういう次元で問題を出しているかぎりだったら、あまり持続してこだわってっていうことが、実りが多いかどうかってことは、ぼくは、そうあまり実りは多くないんじゃないかと思ってる。
 ですから、ぼくは安田武っていう、年代としては同じ、たぶん、体験としても同じなことなんですけど。安田武っていうのは嫌いなんです。ぼくは、面と向かって言ったことがあるから言ってもいいと思うんですけど、おまえは東條に騙されて戦争に行ったばっかり言ってるじゃないか、だけどおまえ、戦争に行って兵隊になって、そのなかでいいこともあっただろう、良い面もあっただろうって意味じゃなくて、同じ兵隊仲間での、眼に見えない、上官には内緒の付き合いとか、友情とか、そういう様々ないいことっていうのはあっただろうっていう、どうしておまえはそれを言わないで、東條に騙された騙されたばっかり言ってるんだ、ぼくはおまえみたいなのを、そういう言い方をすれば、戦中派の面汚しよって、ぼくは言ったことがあるんです。
 ぼくだって、体験を体験として固執することに、つまり、安田武的に固執することに意義があるっていうふうにちっとも思わない。だけれども、ぼくは体験を体験として取り出して論ずるっていうことは、ある時期以降、あんまりしないようにしてきました。
 しかし、ぼくは、文学の方法論として追及したこととか、それから文学史的な仕事に徹した仕事とか、ぼくの文学、あるいは、ぼくの仕事の仕方自体で示していることとか、そういうことは全部、戦争体験を抽象化したっていたらおかしいんでしょうか、つまり、そこから、あるメカニズムを全部、ぼくはちゃんとそれを踏まえていると思います。
 ですから、そこのところにぜんぶ帰着させることもできるっていうふうに、ぼく自身は思っています。ですから、絶対にそうです、ぼくのなかにはあります、戦争体験論とか、戦争責任論から、ぼくがこういうふうにいったと同じモチーフをやってれば、こういう方法っていうのをぼくは考えなかったよってことで、こういう仕事はしなかったよってことは、いくらでもあると思います。
 だから、そういう意味あいで、あなたのおっしゃる持続、何を捨てるか捨てないかって意味合いの、あるいは、なにを捨てないで持ちこすかっていう問題を。そういう意味あいで、つまり、体験を体験としてってことではなくて、体験から、いわばどういう継承の仕方をして、どういう方法の継承の仕方をしてっていうようなことまでも含めていうならば、ぼくは持続すること自体が、はじめて後の年代との対話を可能にするみたいな、それだけ可能にする理由なんだ、根拠なんだっていうふうに、ぼくはそう考えていますけど、それをやめちゃったら、対話だってきかないんだ、だから、対話する根拠が違っちゃうんだ。統計によれば、戦争を体験しないで、しかも自己を確立しているっていう人達の年代のほうが、人数のほうが、人口のほうが多くなってきたっていう状態でしょ、こんなところで、体験を体験として提出することに固執するならば、たとえば、ぼくらが青年時代に、おじいさんが日露戦争の時はなぁ、西南戦争の時はなぁ、こうでなぁとかって言っても、何を言ってるんだって思ったのと同じことになっちゃいますから、そういう意味あいで、ぼくは体験を体験とか、青春期にぶつかったことをぶつかったことっていう、体験を体験という次元だけで言っているわけではないんですけど。ぼくはそういうになります。

19 質疑応答4

(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 第一に、ぼくね、小林秀雄と福田恒存では桁が違うんじゃないですかって言ったらいいんでしょうか、文学者として桁が違うんじゃないでしょうかっていうことがいえる、つまり、小林秀雄っていうのは、あなたのおっしゃる、どういう良からぬ役割をしようとどうしようと、保守的であろうとどうしようと、戦争中にどうしたってことがあろうと、根本的にいえば、日本における、ぼくらはみんな恩恵を受けているわけだけど、日本における近代批評っていいますか、近代批評っていう分野に、なんか書物を読んだ感想文を、感想文に毛が生えたようなものが批評文なんだよっていうような、そういうところから、近代批評っていうものの基礎を確立した人だと思います。
 その基礎を確立したってことは、批評っていうものが批評として、批評自体として成り立っていくっていうような意味あいにいくには、どういうことが考えられなければならないかっていう問題に、現代の批評家がやっている基礎的なことはほとんどやって、基礎づけをやった人だと思います。これは、どんなに見解が違おうが認めなくちゃいけない存在だと思います。
 それに対して、福田恒存っていう人は、政治的っていいましょうか、政治的ともいえないと思いますけど、政策的っていったらいいんでしょうか、政策的な発言において、一種の反動的な小気味よさっていうのがあるでしょう。つまり、その役割っていうのは、小林秀雄にもないことはないのです。もう少し立派なかたちですけど、高級なかたちですけど、小気味のよさっていうのはないことはないのです。だから、そういう意味では類似点はあると思うので、ぼくは、まるで桁が違うんじゃないかなっていう。

(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 ぼくは福田恒存に対して熱心じゃないんですけど、ただ、『藝術とはなにか』っていう本なんか、たいへん立派なものだし、それから、あの人が国語問題について発言したことも、たいへん立派なもので、よくやってるなって思いますし、そういうふうに、いくつかの仕事で、常識がさっと通り越して済ましちゃおうと思っていることについて、ことさらそれを取り出して、たいへん優れた論を展開して書いているってことを、ぼくは知っていますけど。
 だけれども、概して、時事的な事柄について発言する発言を、ぼくが読んでいるかぎりでは、それは、ちょっとぼくにはそんなに高く評価できないなっていうふうに思うんです。

(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 たとえば、時事的なことに発言するときも、政治的なことに発言するときも、福田さんっていうのは、そんなに認められないです。それは、どうしてかっていうと、すぐわかるんです。真理が、しばしばっていうより、ほとんど大部分、正しいことを言ってるんです。

(質問者)
 現実を捉えている?

(吉本さん)
 そういう意味じゃないです。現実をよく捉えているっていうのじゃないと思います。正しいことを言っているというふうにいえます。
 正しいことを言っているっていうのは、どういうことかっていうと、誰でもが心の中ではそう思っているんだけど言わずに済ませているとか、ほんとうは反対のことを言って主張しているやつでも、心の中では、こういうことをほんとうは考えているのにそいつは言わないんだっていうような、そういうことをふぁっと見事に出しちゃうと思います。だから、そういう意味で、正しいことをいうと思います。
 だけれども、その正しいことっていうのは、取り出されていないんです。取りだされていないっていうのは、正しいこと自体なんです。正しいことを自分が言うでしょ、言った正しいことと、正しいことを言っている自分っていうものを、自分が取り出せると、自分が客観視できると、この正しいことは相対的になっちゃうんです。相対性っていうのが出てくるんです。それから、もうひとつは、普遍性っていうのが出てくるんです。
 だけど、福田さんのは普遍性はないんです。正しいこと自体なんです。ある事柄が起こるでしょ、そのことについて、他人が正しくないことで押し通そうとしたり、正しいと思っているけど、それを言えないでいると、それをふぁって言うっていう、それは正しいこと自体だっていうだけなんです。
 だから、それ自体だっていうことは、ほんとうの意味で正しさっていうのはないんだと思うんです。ほんとうの意味での正しさっていうのは、またそれを取り出さなくちゃいけないんだ、正しいことっていうのは、自分で取り出さないといけないんだ、取り出すと、こっちも一緒に取り出されるわけです。正しくないと思われる流れっていうものも一緒に取り出されてしまうわけです。
 そうしないと、ほんとうにわからないわけです。ほんとうの正しいことを言おうと思うなら、両方が取り出されないと、取り出されるってところじゃないと言えないのです。だけど、福田さんは、これに対して、正しいこと自体を言うっていうだけで、それ以上の意味はないんだよっていう、だけど、正しいことを言うっていうのは、そんなに立派なことでないです。つまり、大したことじゃないと思います。

20 質疑応答5

(質問者)
 吉本さんが大学に行かれていた頃とか、それから、戦後しばらくまでは、士官学校にちょっと頭の優れたものを行かすっていう傾向があったと言われている。それから、近頃の大学と変ってきたことがあると言われている。そんななかで、近頃の大学は数も増えて、大学生も増えてきたことがあって、そういうところで、痛快なる例というような考えに、ちょっと是正がかかってきているじゃないかということ、それから、竹内好さんが必死になって考えられて主張されたことが、自然にそうなってくるじゃないかってことと関係があるんじゃないか、それと、吉本さんは近頃のちょっと前より変ってきた学生をどのように捉えられているか聞きたいです。

(吉本さん)
 おっしゃったことは、ぼくも、そのことはひとつの条件じゃないかな、いまの学生さんっていうのは、大学っていうのは変わった、学生っていうのは変わったっていうのは、大学の数も多くなって、大学生の人数も多くなって、中身のほうは、ちょっとぼくはわからないんですけど、だから、これを出たら優等生で、社会の中で優等生として、そういうふうになっていくみたいにはならないで、あまりに人数が多く、あまりに画一的で、そうはならないでしょうっていう意味あい、確かにそのことを僕も考えて、竹内さんのいうのも変わってきているんじゃないかなっていうことの、ひとつのあれとして、ぼくもそういうことを結び付けて考えていました。
 それで、なかなかどういうふうに変わってるのかなっていう実態はわからないところがあるんですけど、竹内さんがそういうふうに必死に考えて、優等生を崩せ崩せって言っていることは、かなり、ひとりでに崩れていってるんじゃないかなっていう意味あいと、やっぱりそれは結び付けないんじゃないかなって思うんです。
 ただ、それが竹内さんが期待したほど、いい意味で、価値検討っていう意味あいで、それが崩れているっていうのか、そうじゃなくて、ただ自然過程として、自然にただ崩れちゃっているんだよっていう、つまり、現象として崩れちゃったので、それは意識して崩れているってことじゃないんじゃないかっていうふうに、だから、竹内さんがいうほど、崩れたっていうことに対して、優等生を志向しないこと自体に、竹内さんのいうほど意味があるか、意義があるかどうかってことはまた、別なんじゃないかなっていうふうにも、ぼくは捉えられると思います。
 竹内さんもきっと、優等生的な構造を崩すっていった場合、もっと違うことを主張したかったんじゃないかな、むしろ、そんなことが実現可能かどうかわからないけど、優等生文化の反対のものっていいましょうか、つまり、反対の構造をとにかく作れっていうことを、竹内さんは言いたかったんじゃないかなと思うんですけど。
 反対の構造が現在つくれているのか、あるいは、つくれる引き出しがあるのか、あるいは、ただ自然に崩れたっていうだけで、べつに反対の価値観がそこから形成されていくのかどうかってことが別問題なのかってことは、いまは確定できないところがあるから、それほど意味があるのかどうかっていうのは、ぼくにはよく呑み込めないです。そこのところは、ぼくなんかにはわからないところだと思います。
 こっちも年とったせいもあるし、あんまり、学生さんっていうのの実態がわかるほど、つかまえるほど、接触点がないから、むしろ、ぼくなんかのほうが、逆にそういうあれは知りたいなっていう感じだと思います。
 ただ、ぼくは、ただ自然過程として崩れてしまったとか、人数が多くなると当然そうならざるをえないっていうことで、竹内さんが期待したような意味あいで、それがなかったとしても、そのことは大変、竹内さんが一生懸命考えて到達しようとし、また、到達させようとした考え方の半分っていうものを、半分って言い方はおかしいですけど、ある非常に大きな部分がそこで、自然に実現されちゃったんじゃないかなっていうふうに、ぼくはそう評価できるっていうふうに思ってはいます。
 ですけど、竹内さんが考えてたとおり、10割それが実現したか、自然に実現したかってことは、ぼくにはよくわからないです。そこまでは言えないんじゃないかなって気がするんです。たとえば、半分ぐらいまでは、竹内さんが一生懸命考えていたことの半分ぐらいまでは、いま自然にそういうふうになりつつ、実現しつつ、あるんじゃないかな、それも自然に、ごく自然に、さまざまな社会的な要因からそういうふうにできたんじゃないかなっていうふうには、ぼく自身は評価しているわけです。
 どうなったらいいのかなってことになってくるわけでしょうけど、竹内さんって人の教育っていうこと、広義の意味で教育っていうことは、抽象的な意味の有効性っていう意味、観念の有効性って意味の教育っていうのは、そういう意味あいで、教育っていう言葉は、竹内さんの思想の中には、相当な本質的な部分に食い込んでいく問題なんですけど、ぼくのなかには、ぼくはあんまりないんですよ。少なくともグレてからは、ただ通ればいいって考え方だったんです。
 ぼくはよくそういう例を引きますけど、太宰治っていうのは、学校っていうのは、何したってかまわないんだ、出ちゃえばいいって言ってるのがあるんですけど、ぼくはそれが好きなんです。ぼくはまさにサーって出ちゃったっていう感じなんです。だから、できるだけ敬遠しながら出ちゃったって感じで、あんまり教育っていうこととか、学校っていうことについて、なんか理想とか、こうならいいっていうようなあれは、ほんとうはないし、そういう資格もないです。
 ただ、ぼくが竹内さんみたいに、社会の優等生であるかないかってことより、学校で学んだことがあれば、ごく通俗的な意味で遊んだっていうことなんです。つまり、遊ぶことを学んだっていうこと、遊ぶことを学んだっていうのは、ものすごく嫌なことなんです。ちょっとおもしろくなってきた。
 親っていうのはそうじゃないんです。つまり、人によって違うでしょうけど、乏しくて、自分が無学だから、子どもにはせめて教育をぐらいに思っているわけだから、乏しい稼いだ金の中から、子どもに金を割り振るわけ、そうすると、子どもっていうのは何を思うか、ぼくは学校行って何を学んだか、遊ぶことを学んだわけです。学校をサボる、授業をサボって映画にいくとか、飲んだり食ったりしてサボって、そういうことばかりして、ぼくはものすごい親孝行でしたから、そういう自分がものすごく罪の意識なんです。罪の意識だけど、それ以外にないっていうような、そうするわけです。試験のときには、とにかく協同してノートを写し合って、それで通っちゃうっていう、6割以上取ればいいのだってことで、とにかく、めちゃくちゃにやるわけです。
 そういう意味では、なにひとつ身につけなかったっていっても過言ではないってこと、そうやって通ったと、親は有効性でしか金を出していないんです、子どもに。学費を出していないんです。有効性なんです、これは役に立つっていう、ぼくはその有効性を否定するわけです。
 有効性を否定するっていうことを大学で学んで、こんなの中共に行ったら、中国に行ったら、おまえどっかで人民公社ですこし働いてこいって、労働者として働いてこいって、だけども、ぼくの価値観によれば、それがいけないのです、よくないのです。遊んだっていうことは、ものすごく悪いことなんです。それがものすごく、ぼくの生涯を害しているわけです。つまり、ぼくの人格を純粋でなくしています。つまり、正義の男じゃなくしています。
 それから、ぼくは左翼的ですけど、並みの左翼とどうしてもぼくは、これは違うって思えてならないのはそこだと思います。マジメすぎる。つまり、マジメなやつはたいてい嘘だって感じがあるのです。マジメすぎるのはおかしいんだってことなんです。
 つまり、遊びとか、役に立たんことを、それに生涯を無駄に使っちゃうっていう、それがなければ、知識っていうのは、世界性が持てないです。さっきと同じです。持てないですよってことを、大きくいえば、ぼくはそれを学んだんです。それを大学で学んだんです。他では学ばなかったです。
 それは徹頭徹尾、親父なんか、プロレタリアですね、親父なんかそうだと思います。組織労働者じゃないです、プロレタリア、親父なんか徹頭徹尾そう思っています。それは騙すわけです。徹頭徹尾、有効性によって、身を切るようにして稼いだ金を子どもに送っているんです。ぼくはそれを遊びに使っちゃうわけです。ちっとも有効性のないものに使うから、ものすごい罪の意識です。しかし、ぼくは断固としてそれをやめないわけです。あるいは、やめられなかったです。
 そのぐうたらってことはものすごい悪いことなんです。ぼくは、ぐうたらは絶対いいとは言わない、これは悪いこと、ものすごい悪いことなんだけど、随分ぐうたらであるため、ずいぶん損していますし、ダメだな、おれはって思っていますし、いまでもあるんですけど。だから苦しいですけど、なんか仕事をするとき、やれやれってしょうがなくて、そのぐうたらさっていうのは、大学でぼくは学んだことなんです。
 だけれど、しいてそこに意義を求めるならば、親父みたいなプロレタリアを騙して、有効性で身を切るような貧しい金を使って、遊びに使っちゃって、それでぼくが学んだいいことっていうのは、ぼくはいまも生かしているし、断固として、世界思想として主張して止まないのは、知識が知識であること、遊ぶことが遊ぶことで、生涯をアウトにしちゃう、全然、毛沢東的にいえば無価値である、あるいは、スターリン的にいったら無価値であるっていう生き方、それから、ぐうたらでどうしようもなくて、酒飲んで中毒になって死んじゃったとか、そういう生き方のなかに価値があるんだよっていうこと、それから、知識が知識で何の役にも立たなくて、それを追及したあとのことは、馬鹿で全然なんにも知らない、どう利用されても知らないっていう、そういうのは価値があるんだよっていうこと、それがなければ、思想っていうものは、世界性っていうものと、歴史性ってものを持てないんだよっていうこと、つまり、思想っていうのが一代限りになっちゃう、人間の生涯が100年とすれば、100年限りの思想、100年を超える思想、歴史性、時間性を持つ思想っていうのは、絶対にそういうものを肯定しないかぎり、できあがらないんですよっていうこと、そういう核心っていうのだけあるんです。
 どこで学んだかっていったら、ぼくは、ぐうたらなことで、遊ぶことによって、親を騙すことによって、プロレタリアである親を騙すことによって学んだと思います。これを学ぶために、ぼくはぐうたらさっていうものを身に付けて、ぐうたらさっていう悪べきことを身に付けて、そういう、いわば、人間性の犠牲の上に、ぼくはそういう考え方っていうのを獲得したと思うんです。
 この考え方は、たぶん世界のマルクス主義っていうのを修正するに足るんです。と、ぼくは思っているわけ、世界のマルクス主義っていうのは、修正しないかぎりダメですよって、ぼくは思っているわけです。そういう確信があります。そういう批判があります。だから、ぼくは自信があります。それはどうしてもダメなんです。それがなければ、思想が世界性を持てないんです。毛沢東思想では世界をリードすることはできないんです。
 後進国とか、虐げられた、つまり弱きを助ける、弱き者に示唆を与える、そういうあれにはなれるかもしれないけど、世界思想っていうもの、あるいは世界っていうものをぜんぶ掌握したうえで、ぜんぶ掌に指したうえで、掌握っていうのは支配っていう意味じゃないですよ、世界の構造を掌に全部あれしたうえで、弱きを助けるっていうことは、ほんとうはどういうことなんだっていうことに対しては、毛沢東思想は必ず間違えると思います。現在の中国の思想は必ず間違えると思います。
 ただ弱きを即物的、あるいは即時的に助ける、つまり、第三世界の解放運動を助けるとか、即物的に助けるとか、即自的にその思想を助けるとか、あるいは影響を与えるとか、そういう意味では有効性があるでしょうけど、それらがほんとうの意味で真理であるか、ほんとうに世界性があるかどうかは別なんです。ほんとうの世界性っていうのは世界の別の構造です。毛沢東思想が絶対にひっかかってこない、精神的なあれなんです。
 その世界全部をいわば構造として掌握できるっていう、そういう視点がもったとき、はじめて、そのときに、弱いのはどこなんだってことで、ここなんだ、それを助けるにはこうなんだっていうような、それができるなら、はじめてそれは有効であり真理なんです。
 だけども、即自的な有効性っていうものは真理であるか、ほんとうの意味で有効であるかどうかっていうのは、絶対に、即時性であるかぎりは、絶対に判定できないということ、これは、あらゆる実践家っていうのは心得なければいけないことだと思います。また、あらゆる理念というものは、絶対に身につけなければいけない問題だというふうに、ぼくは信じます。
 ぼくはどこからあれしたかというと、大学からです、大学の先生からじゃないんです、絶対そうじゃないんです。ぼくはそういう意味で教育について確たる施策がないんです。ぼくは悪いことばかりしかしてないのに、あんまり言えないので、ぐうたらっていうのは、ほんとうによくないことなんです。
 ぼくはもう少しぐうたらじゃなかった場合、ちょっといいと思います。優秀だと思います。だけどダメです、ぐうたらなんです。だから、ものすごい悪いことです。ちゃらんぽらんなところが、ものすごく悪いんです。意識しないで、他人を見ちゃうことだったり、ものすごく内省するんですけど、それでもそうだっていう、非常によくないものを身につけたんです。優等生も残酷ですけど、遊び人とか、怠け者っていうのは、すごい残酷です。残酷でいけないところがあるんです。そういう意味で悪いことを身に付けてます。それは悪いことです。
 しかし、それを犠牲にして獲得したこともあります。ぼくはそういうところなので、大学とか、教育とかについて、あまり言うことが多くないし、理想がないんです。こうじゃなきゃいけないみたいのがないんです。
 たとえば、自分の子どもに対して、ものすごく嫌ですね、ダメですね、ぼくの理念からいけば、ほったらかしにする、ほっとく以外にないんですね、何も文句をいうことができないのです。おまえだってそうだったんだからなって言われると困るので、言えないのです。だけど、言えないっていうことが、しかし、親から見ていると、イライライライラするわけです(会場笑)。
 そういうふうに逃げ通しに逃げていたって、いつかは逃げられないんだよっていうことだけは、言いたくてしょうがない、子どもに。逃げてるし、怠けているし、逃げっ通しに逃げて、それから、きわどいことになると、ニコニコしてごまかして、「おまえ、いつかどこかで逃げられないぞってことがあるんだよ、人生には」とか、「人間にはあるんだよ、生涯にはあるんだよ」ってことは、どうも説教したくて仕方がないんだけど、できないですね、イライラしても、する資格ないよっていう、ぼくの経験からいえば、親から説教されて、言うこと聞いた覚えはないのです(会場笑)。親が無意識にやったことからたくさんのことを学んでいますけど、親から少なくとも意識的に説教されたことは、どんなにいいことを言われても学ばなかったなぁ。
 だから、おれはそういうことを言いたくてしょうがないけど言えないです。仕方がないので、みなさんに対してこうして言うわけです(会場笑)。子どもには言えないです。自分がぐうたらってことはちゃんと世襲されます。ほんとうに嫌ですけど、日頃のことならどんなやけくそ、嫌なことがあっても、やけ酒のむっていうのは、この頃はないんですけど、子どものことだと呑みたくなりますね、それほど嫌なことです。
 しかし、それは、身から出た錆っていうか、銀河は巡るっていう、だから、ぼくがよくわかるのは、聖書の中でキリストが故郷へ行って説教をするでしょ、そしたら、有効性がないわけです。言うこと聞かないで、なんだあいつは大工の息子がって、そう言うだけで全然いうことを聞かないんです。だから、どんな偉そうなことを言ったってダメです。そういうふうに有効性がないんです。キリストだってないわけです。
 子どもとか、肉親の前ではないわけです。だから、ぼくらには全然ないわけです。みなさんに言えば、ちょっとは、ぼくは気持ちが晴れるわけです。思い当たることは、多少はあるでしょうけど、みなさんも、だから、言うわけですけど、ぐうたらっていうのは、復讐されますよ、必ず。必ず復讐されますけど、でも、学んだことなんです。(会場拍手)


テキスト化協力(1~11、16~20):ぱんつさま