1 言葉という思想

 ……たしか古代詩のことをお話ししたと思います。今日もほかで調べたり何かしたことがあるものですから古代詩の話でもしようかなと思って見てみたら、「現代詩の思想」という題になっていまして泡を食ってしまいました。(笑)それで、ごく最近の『海』という雑誌に「現代詩の特集」というのがありましたので、何か言うことがあるかなと考えて飛びついて見てみましたら、いくつかのことが言えそうな気がしましたので、そこのところでお話ししようと思います。あまりうまくしゃべれなかったら、何か言えることが残っていたら、質疑応答とかそういうところでそれを吐き出してしまいたいと思います。その両方を合わせないとうまくしゃべれるかどうかわからないという気がしています。
 「現代詩の思想」といった時、何がいちばん面倒な問題なのか、あるいは何がいちばん難しい問題なのかと考えてみますと、それはたぶん言葉ではないか。言葉というものをひとつの思想と考えますと、言葉をどういうふうに扱ったらいいのか。あるいは、どういうふうに位置づけたらいいのか。これが現代の詩の問題としていちばん難しいことではないかと思っています。
 それはなぜなのか。時代が流動しているとか、時代と言わなくても社会情勢が流動しているとか、あるいはもっと卑近なことでもいいけれど、政治的な変動、政治的な流動が著しくて、どんな人の目にもどんな人の感覚にもその問題がじかに突き刺さってくるような時代ですと、言葉を思想として扱わなくても、思想を述べるための手段とか、思想を自分の心の中にあるものを表現するための媒体、媒介物であるとか、そうでなければ言葉がことさら問題ではなくて、そのようにじかに動いて感じられる外界とか外部の世界に対して、肉体あるいは感覚がどういうふうに反応するかということのほうが切実であり、問題なんだと、詩が、あるいは詩の表現が、創造が、もしそういうふうに感じられるとすれば、そういう場合に言葉を言葉という思想とは考えなくて、ただ、手段としての言葉とか媒介としての言葉と考えれば、言葉の問題は済んでしまいます。ですから、そういう時に言葉はたぶん思想としては重要な問題でないわけです。

2 言葉を手段とする時代、言葉を思想とする時代

 現在みたいな情勢を考えてみますと、現在みたいな情勢とは、どういうふうに言ったらいいのかわからないけれど、事という事はあまりない。戦争が終わってからもう何十年もたってしまった。もしそう思うなら、何事もなくのんべんだらりと来てしまったのではないかと思えるということですが、日本の近代、近代史が生まれた明治以降を考えてみますと、そういうことはほとんどないわけです。よく考えてみればわかりますが、十年おきぐらいにいつでも戦争をしています。戦争をしてきますと、言葉で戯れるとか、言葉という思想とか、言葉をどう処理するかというふうな問題はどこかに消し飛んでしまう、消し飛ばされてしまいます。
 それはなぜなのか。いままで中立のように見えていた、またことさら意識しないでも済んでいた政府とか政治的な委員会とかそういうものが、道徳とか倫理とか、あるいはこうせねばならぬとか、こうするのが善であり、こういうのが悪であるといったようなことをいやに言い出す。戦争みたいな時になると、いままで意識しなくても済んでいたようなこと、倫理を政治層が先取りし出すわけです。こうしなければならないとか、こうすることはよくないことであるといったことを政治層のほうから先に言い始めるわけです。
 文化というのは、それを大多数の持ち物と考えると、政治層の倫理にすぐ感染していきますから、文化自体も倫理的になっていきます。文化自体が倫理的になっていくと、それに対して異議申し立てをしようと、またそれを肯定しようと、あるいは自分もその上に乗って走ろうと、言葉自体が非常に倫理的になっていくと、ひとりでに言葉は倫理を述べるための手段であるというふうにだんだん考えられていきます。そこでの詩の表現は、言葉ということ自体が思想としてどういうことなんだというようなことは考えなくても、倫理を述べる手段であるとか、道徳を述べる手段であるとか、道徳あるいは倫理に対して抗議するための手段であるというふうに言葉を考えれば、そこで詩は成り立っていくというふうになっていきます。そこでは言葉自体が思想であると考える必要はないということになります。
 戦後でも、ぼくなどが末端にいました「荒地」の詩のグループとか、あるいは、作家のほうで言えば第一次戦後派というような人たちの言葉は、そういう意味では倫理的な色彩あるいは色合いを帯びていました。言葉とどう戯れるか、言葉をどうひねるかというよりも先に、倫理、態度を述べる手段のように考えれば、ことさら言葉自体を考えなくても済む、詩は進行するというふうに考えられてきたと思います。
 しかし、戦後、戦争から何十年もたって、支配的な政治思想とか文化の風潮が倫理をひけらかしたり、倫理を自分の手元に取り上げたりするという状態なしに何十年もたってきたことが、現代の詩に何か及ぼしているとすれば、もともとそうでない時、つまり倫理をどう剥奪するとかとか、倫理をどういうふうに所有するかということが争点だった時に比べますと、言葉とは何だろうか、あるいは言葉という思想が何だろうかということが大きなウエート、比重になって出てきます。現代の詩はその問題を考えずにどうすることもできないというふうなことになりつつあるように思います。
 倫理、倫理的態度が詩にとって重要だという時、自分は数学を勉強するように、あるいは社会学を勉強するように、あるいは文学を、あるいは古典を研究するのと同じように言葉を使うことを勉強する。倫理的な生活態度自体が非常に問題だ、それをどう争うかということが問題だという時には、そういうことは実にバカらしいということで済んでしまいますが、現在はそうはいきません。言葉は、数学を勉強するように、語学を勉強するように言葉の表現を勉強する。その勉強も、一見すると、どういうふうなことを自分の目的に課するかどうかは別にして、言葉をもてあそぶ、言葉を表現することに高度に習熟していく。そういう修練自体がすぐに詩である。詩とは何かというと、言葉を、数学を勉強するように、あるいは語学を勉強するように、勉強してどうするのかというより、それより先に勉強すること自体が詩なんだというところに、現代の詩が大きな比重をかけざるをえない。そういうことがあるのではないかと思われます。
 現代詩の思想を現在というか、同時代ということに引き寄せて考えれば、言葉を習うこと、あるいは言葉の表現を習うこと自体が詩である。言葉の表現によって何か言うことが詩だというよりも、言葉を習うこと自体、表現を習うこと自体が詩だというようなところに詩の問題が大きなウエートとしてある。そのことの意味はいったい何か。同時代の詩、現在の詩というふうに考えた場合、そのことをどう考えるかということが思想としてはいちばん重要な課題なのではないかと思います。
 もしこれを、そういうことはつまらないことなんだよと。数学なら数学を勉強して何をするんだ、どうするんだと言った時、どうするということはない。数学を勉強して受験に合格するとか、語学を勉強してどこか外国へ行くとか、目的が何かあって、そのために語学を勉強していることと、語学を勉強すること自体が語学なので、そのことが自己目的であることとは問題が大変違ってきます。詩を書くこと自体に何か倫理的な意味をつける、あるいは倫理的な意味がつけられるより、詩を書くこと自体が詩なんだ。あるいは、言葉の表現を習うこと自体が中正的、中立的に、倫理的でなくして習うこと自体が詩だという問題が大きな思想的な意味なのではないかと思われます。
 これをつまらないと思ってしまうとまったくつまらないことになってしまいますが、この問題をつまらないと片づけないほうがいいのではないかとぼくには思われるところがあります。そうではなくて、言葉の表現自体が詩である。あるいは、言葉の表現に熟達すること自体が詩である。熟達してどうするかということが詩ではない。もしそういうところに詩が入り込んでいるとすれば、そのことは、現在の社会がニュートラルでもあるけれど、中正的であるけれど、同時に高度な意味合いで管理化、制度化が進んでいることと対応するのではないかと思われます。

3 高度管理社会に言葉はどう対処できるか

 現在、高度に管理化された社会があります。管理化された社会、制度は、目には見えないけれど、そのこと自体が無垢な感受性の中で大きなウエートを占めてきます。そこでは例えば生まれた時から死ぬ時まで全部決まっているような感じがしてしょうがない。本当はちっとも決まらないし、決まってないのに、決まっているような気がして仕方がない。あるいは、自分がどうしてどうなるかということも明瞭にわかってしまう。本当はそんなことはわからないのに、わかっているように思われる。そういう感受性にある正当さがあるとすれば、それに対して言葉がどういうふうに対処していったらいいのか。
 そういうことに言葉が倫理的に対処していこうとすると、空振りしてしまったり、落ちてしまったりする。ホームランかと思ったら大ファウルになってしまったりする。それは仕方がないじゃないか。言葉を習うこと自体が自己目的なんだというふうに言葉を中正的に習熟し、受験勉強するのと同じようにこつこつと言葉の表現を勉強するとか、言葉の表現をやってみる。味もそっけもないけれど、そういうことをしてみることが現在のような中正的に見える、高度に管理化され、高度に制度化されているように見える社会に対するひとつの対処の仕方として、大きな持続力と正当性があるのではないか。そういう意味付与、意味を与えることができるような気がします。
 そのことを必然的に過不足なく感じられている現代詩の詩人たちが、言葉に対して、言葉を習うこと自体、あるいは言葉と戯れること自体に、詩というものの存在理由を賭けているのではないかと思われます。そういう詩人たちの詩を無意味ではないかと言わずに、ある意味があるのではないか、隠された意味があるのではないか。隠された制度の問題に対して、管理社会というふうな問題に対して、隠された対処の仕方を詩がやっている。そのひとつの表れではないかと理解することができるのではないかと思われます。この問題は味もそっけもない問題だけど、同時に現在の詩が当面している思想的な問題のうちで、わかりにくくて、隠れていて、かなり重要な問題になってきているのではないかとぼくには思われます。
 たまたまこれを見ますと、そういうことをやっている詩人がいるわけです。例えば入沢さんとか天沢君とか、もっと若い人たちはみんなそうだよと言ってもいいぐらい、そういう人たちがいます。そういう人たちの詩はそういうことをしているのではないかと思います。もちろん詩が作られることはわりに無意識ですし、意識して作られる部分は創造という場合にはたいした部分を占めないから、ご当人がどう思っているか、どういう意味を主観的に与えているかというのは全然かかわりないことです。でも、それにあるひとつの意味を与えようとするならば、思想的な意味を与えようというふうに読めば、詩はたぶんそういうところで書かれているのではないか。その傾向は若い年代の詩人になればなるほどその問題に、意識的にしろ無意識的にしろ、大きなかかわり方をしているのではないかと感じられます。

4 入沢康夫「泡尻鴎斎という男」を深読みすること

 例えば入沢さんの詩はいつだって同じじゃないかといったら、いつだって同じですし、いつだってうまいじゃないかと言われれば、いつでもうまいわけです。(笑)?「泡尻鴎斎という男」という詩があります。全部読んでもしょうがないから初めの三行ばかり、一節というか、一章というか、それだけ読んでみます。字の意味が大きいですから、字も言いますね。
  昔、泡尻鴎斎という儒者がいた。(儒者というのは儒学者ということでしょうね)。
  不機嫌に世を過ごし、そそくさと不機嫌に死んだ。これが泡尻鴎斎第一号である。
 何が、どこが詩なんだ。(笑)要するにうまいわけです。ある無意味な男がいた。無意味な男とはどういう男か。社会の支配者と被支配者があるひとつの倫理に対して争奪戦を演じているという社会がもしあるとすれば、そういう状況がもしあるとすれば、その状況から全然外れたところに隠者的に生きている人間のひとつの象徴として、この泡尻 斎というのを設定できるとすれば、その設定された泡尻 斎という無意味な、かつおもしろくないという感じの生き方がこの三行で表わされている。非常にうまいわけです。「昔、泡尻 斎という儒者がいた。不機嫌に世を過ごし、そそくさと不機嫌に死んだ。これが泡尻 斎第一号である」。非常にうまい。入沢さんの詩はいつでもうまいけれど。言葉に対して苦心していることがわかります。
 皆さん、詩を書いている人が大部分だろうと思いますから、そんなことはすぐわかるでしょうが、一見何でもないようだけど、これはとってもうまい。詩の表現にはそういうところがあります。何でもなく思える表現にまでへずってへずって行く。表現を的確に選んでいくためにはその背後に、泡尻鴎斎をどういうふうに設定しようかなと何百行かやっている。やっているかどうかは知りません。入沢さんは天才だと言う人がいるから、すぐに三行ができてしまうかもしれませんが、天才でない人を考えると、泡尻鴎斎を設定する時には何百行かいる。こいつを設定した場合、こいつをどういうふうにやろうかと考えたりやってみる。背後で何十行、何百行とやってみる。それから言葉の、表現の不的確性、不定性をどんどん排除していく。そうすると、最後にこの三行が残る。
 この三行は、皆さんは読み過ごすことはないでしょうが、詩を書いてない人、純粋の鑑賞者という人は読み過ごして、こんなの、何でもないと思ってしまいます。何だ、これはと思ってしまいます。しかし、自分で書いたことのある人は、あっと思います。非常にうまい、やっているなと思います。やっているなと思わせれば、入沢さんの詩はそれでいいわけです。(笑)しかし、それ以上に深読みをしないとしょうがない。これが詩か、これが現代詩か、そうさ、おっ、やってるなと言ったら、それでもう終わりではないですか。それではあまりに現代詩がかわいそうではないかということになります。
 ですから、読む人が深読みをしなければいけない。深読みというのは、やたらに深読みをする、ないものを読むという意味ではなくて、的確に深読みをしなければいけません。ご本人さえそんなことは考えてもいないというところまで考えてやらないといけない。管理社会だから、もっとモダンな人を設定してもいいけれど、これは趣味の問題でして、モダンな人を設定しようと、倫理の争奪戦を社会が演じているとかそういう時代がもしあったとすれば、つまり乱世があったとすれば、乱世から外れたところで隠者のように無意味に、この世はおもしろくないと思いながら生きている儒者みたいなものをひとつ設定する。この男が不機嫌に世を過ごし、そそくさと不機嫌に死んだ、これが泡尻鴎斎第一号であると表現する。もしそう思うなら、現在の管理社会の隅々まで目に見えない制度の管理が行き届いてしまったという感受性が可能であるような、現在の一見、平穏無事というふうな社会において言葉がどういうふうに対応するか。入沢さんはそういうことを一生懸命やっているなというふうにぼくには思われます。だからこそ、入沢さんという人は重要な詩人の象徴だと思います。

5 詩の思想とはどういうことか

 皆さんの中にも入沢さんの詩が好きだという人はいるでしょうが、なぜ好きなのかという問題に対して深読みをすることが必要なように思います。そうしなければかわいそうです。なぜならば、ぼくもどちらかというとそちらのほうだけど、支配、被支配というものが倫理の争奪戦を演じている。政治管理者とか社会管理者が倫理をとってしまったら、ちょっとかなわない。どうしてもそういう連中に倫理はやれない。そういう問題意識みたいなものがぼくなども旺盛ですが、ぼくはわりに理解力があるから、それをストレートに出さないで、そうでないというふうに自己反省したりするわけです。だから、いいわけです。そうでないやつは、なんだ、この詩人は、このブルジョワ詩人は、とやってしまうわけです。そうしたら、もうだめです。過去にもだめだったけれど、これからもだめです。そういうふうにやったら思想はまるでだめになってしまいます。
 現実にストレートに倫理の争奪戦が行われている。それに対して、言葉は手段でありさえすればいいとストレートに表現をぶつけていくことが、それに対する戦いであるかのごとき錯誤をしていると、どういうふうになるか。これは過去に経験済みだから、よくわかっています。しかし、本当をいうとそれをやりたくてしょうがない。そういうことをやってみたい。大ダンビラでぶった斬ってやったら、さぞいい気持ちだろうというところはあります。
 だけど、これはこの社会に対する倫理的な態度とか、社会に対して倫理の争奪戦にどういうふうに参加するかしないかということのストレートな問題であって、すぐに詩の問題とならない。詩の思想の問題とならない。そこで入沢さんのやっている表現は現代詩、現在の詩にとって重要なものであるという意味合いが、入沢さん自身が考えているより、意識しているよりもはるかに理解しなければ、現代詩の思想の問題の大きな部分が欠落してしまうと言えます。
 これは徹頭徹尾、言葉の問題です。言葉として、やっているなというようなものが打ち出せれば、それは詩であり、打ち出すこと自体が思想であるというところに、現代詩の思想のかなり大きな部分が入っている。このことが重要だと思います。これは入沢さんの詩でも、あとのほうに天沢さんの?「ギョフウキ」という詩がありますが、これも同じことだと思います。
 同じというのは、表現、言葉の仕方は個性的にそれぞれ違いますが、指し示している本質的な問題はたぶん同じことだと思います。言葉という思想です。言葉が思想の手段であるか、言葉は思想の倫理であるかということではなくて、言葉自体が思想です。そういうところで現代詩が書かれている、あるいは現代詩の大きな部分が書かれている。また、年齢だけで世代を言ってはいけないけれど、より若い世代の詩人たちが多く入り込んでいるところは、意識的にしろ無意識的にしろ、言葉という思想、言葉という詩、言葉を表現すること自体が詩という問題に入っていると思います。その問題が枢要ではないかと思われます。
 その問題の掘り下げは、多様な意味合いでしなければいけないのではないか。極端に言えば、存在する詩人の数だけ表現の仕方がありますから、存在する詩人の数だけの表現の仕方に即して、言葉自体が詩だ、あるいは言葉自体が思想だというところで思想がうごめいたり、掘り下げられたり、収斂されたり、そういうふうにされている様式、実態を掘り下げて、多様なところから考えていくに値するのではないかと思われます。

6 詩人は身体という思想をどう受け入れるか

 その問題に対して、現代詩の一般的な問題、同時代的な問題としてはそれほど重要でないのかもしれませんが、もしそれに対してまったく別なものとして考えられる重要な要素があり、それが表現されていると考えますと、ぼくはこの特集を見てすぐに感じられることがふたつあります。いくつかあると言ってもいいけれど、大きなことはふたつあるような気がします。
 ひとつは、これは現代詩の問題というよりも、主題としては古典的な主題ですし、いつでもある主題ですし、いつでも問題になることですし、いつ、どんな時代でもそうなんだということになりますが、うまい言い方ができるかどうかわからないけれど、言葉という思想の言い方と同じような言い方をしますと、詩人は身体という思想にいつ入り込むか、いつ引き入れられるかという問題があると思います。
 その問題は、だれにでも普遍的に表れますし、どこででも普遍的に表れますが、身体という思想にいつ引き入れられるか。そのことがどういうふうに顕著になるかというと、人間、だれでもが老いる。老いというものにいつ引き入れられるか、老いというものをいつ考え出すか、老いというものをどう考えるかということにかかわってきます。これには個人差もありますし、質の差もあります。そういうふうな言い方をしますと、もちろん民族性の差もあります。

7 日本における身体と〈老い〉――小林秀雄の場合

 日本の文学者とか思想家の一般的なかたち、一般論として、日本の文学者とか詩人とか思想家とか、言葉の表現に携わる者の代表者、大多数は、身体という思想をいつごろ、どういうふうに自分の中に引き入れるか、あるいは、そこに引き入れられるか。日本の文学者、詩人、思想家の場合、大多数は若い時に世界のもっとも先端的な、ヨーロッパのもっとも先端的なモダンな思想に魅せられ、そこに引き入れられていきました。しかし、ある年齢、ある契機を基にしてハタと自分の身体に目を注ぐようになる。自分の身体に目を注ぐようになると同時に自然に目を注ぐようになる。自然に目を注ぐようになると、侘びとかさびとか静寂とか、自然の中での平安、安穏、安らかさにだんだん引かれていく。これが日本における身体というものに魅せられていく、あるいは身体を生理的に初めて自覚させられ、それを思想として受け入れていくその受け入れ方の一般的なパターンです。
 優秀な人ほどほとんど例外なくそういうふうに行きます。具体的にいいますと、小林秀雄がそうですし、三島由紀夫さんがそうです。必ずそうなります。どうしてそうなるかというのには理由があります。二人とも優秀な人です。ヨーロッパ、西欧の思想自体が近代以降、世界普遍性です。西欧ということが世界です。何世紀もの厚みのある近代を持っています。それに対して優秀な人は一人で耐えようとする。優秀な人ほど一人でそこに飛び込んでいく。世界最高の普遍性と言ってもいいけれど、そこに身をもって一人で、個人でもって飛び込む。追いつき、追い越せを一人でやる。
 環境など何もない。一人で飛び込んで一人で支えることの自意識上の苦痛、大変さを理解するような場もない。文化の場もないし、社会の場もない。優秀な人はそこへ一人で飛び込んで一人で支える。速成のきらいはあるけれど、一人の生涯で世界普遍性である西欧近代思想を身につけて、そういうところで伍していって決して劣らない。支えてくれる場も何もないところで、理解してくれる人も何もないところで、そういうふうなことをたった一人でやってしまう。一人の生涯を五十年、六十年とすれば、その五十年、六十年の間にそれをやってしまう。若い時分に、三十、四十の時までにほぼそれをやってしまう。だいたいにおいて遜色ないことをやってしまう、身につけてしまう。ですから、その苦痛はどんなものか。
 西欧はそれを大勢で、文化の場として、一世紀も二世紀も、十八世紀なら十八世紀以降、何世紀もかかって達成しているわけです。それも一人ではなくて、場として達成しています。それを一人でやってしまうのですから、その苦痛は想像できないほど大変なことだと思います。そうすると、自分の生理的な老いを自覚させられる年齢に達した時、ぷっつりと糸が切れてしまう。だから、日本的なもの、日本的な制度、日本的な文化、日本的な美学、日本的な思想に入り込んでしまう。それを全部肯定し、その中に入り込んでしまう。優秀な人ほどそういうふうになっていってしまいます。
 そのなっていったところが、あまり優秀でない人がもともとそうでないかというところと同じなわけです。(笑)なんだ、元の木阿弥ではないかというところと同じになってしまうわけです。これは小林秀雄を見れば典型的にわかります。若い時はフランス文学の大秀才だった。三十代、四十代の小林秀雄を見てみると、この人は世界的だった。世界的というのは、今たくさんいる国際的ということとは違います。アメリカ人と協力して映画を作ったとか、国際何とか展に出品したとか、そういうのとは全然違います。世界的と国際的は違います。世界的というのは世界のもっとも先端的なところと同じという意味合いです。
 そういうことをしていたけれど、人間というのはどんな人でも四十代後半、五十代になると生理的に老いの自覚が始まります。その時に、あっと思う。その時に糸が切れてしまう。いままで突っ張ってきたけれど、自分を支えてくれる環境、場、文化的な場もない。あとの人はどんぐりみたいだ。自分一人だけ飛び抜けてやってきたけれど、周りに何もない。そんなところでやってきて、あっと気がついた時の虚しさはやりきれないとなるわけです。そうすると、帰っていくところは同じです。元の木阿弥というところに必ず帰っていきます。小林秀雄を見れば典型的ですし、戦後で言えば三島さんのような天才的な作家の終末思想を見ていけばよくわかります。

8 西欧における身体と〈老い〉――サルトルの場合

 どうしてそういうことになってしまうのか。そこで、ヨーロッパはどうかということになります。ヨーロッパは近代以降、現在まで少なくとも世界普遍性ですから、ヨーロッパにおける身体の自覚とか、身体に引き入れられる引き入れ方、個が引き入れられる引き入れ方は何でもない。世界普遍性だから世界普遍性であり、ヨーロッパだからヨーロッパであり、それでいいわけです。
 例えばサルトルという人を見ると、サルトルにも老いがある。老いたるサルトルがいる。老いたるサルトルとは何か。目が見えない、目がきかないから、書くことはあまりできない。それならば、私はしゃべること、テレビで語ることで自分の思想を述べますよということになります。うそか本当かわからないけれど、私財を投じて毛派のわからんちんの政治青年と一緒になって新聞などを出している。それでいい年になっている、七十、八十になっている。考えてごらんなさい。七十、八十になって、つまらないことを言うなと言えばそれで済んでしまう面もあるのに、たいしたことのない政治青年と一緒になって私財を投じて新聞で自己主張をしている。自己主張というのは自己の思想を主張している。その思想というのは秩序に対する異議申し立てです。それをやっているわけです。
 日本的に考える平穏、安らかさ、自然に慰謝される安らかな情緒、侘び、さびの情緒とか、そんなものはサルトルにはないわけです。なくて、くたばってしまう、死んでしまう。これはヨーロッパだからヨーロッパなんだよということで済んでしまう。それが近代以降、現在までの世界普遍性です。世界でもっともいい老いとはそれなんだという以外にない。その老い方が人類にとってもっともいい老い方である。少なくとも近代以降における人間の個の生涯の自覚における老いのあり方として、それが最上のものだという評価はできます。価値づけはできます。しかし、その最上の評価を得るためにサルトルはそれほどの努力はしていないのではないか。努力はいると思うけれど、それほどの努力はいらない。わりに自然にそういう思想に至り着く。彼は生涯を全うすることができるのです。
 アパートかマンションの一室で死ぬわけですから、ある意味でわびしいというか、悲惨と言えば悲惨です。典型的にどうかは知りませんが、日本だったら、病床から見る庭には青々とした草木が生えている。周りには親類縁者、子供、孫までやってきて、それに看取られながら死ぬでしょうが、そういうことにはならないわけです。ならないと思います。日本においてもそうでない人がだんだん出てくるでしょうが、日本の村落の共同的な感情のあり方、そういうところでの死にざまを考えてみると、そういうふうにして死ぬのではないか。自然に慰謝され、家族、親族に慰謝され、一族郎党、村落の近隣の人たちに慰謝されながら死ぬ、大往生を遂げたみたいなことが典型的に思い浮かぶと思います。
 ヨーロッパがそうかどうかは知らないからわからないけれど、たぶんそうではないと思います。どんな大きなマンションか知らないけれど、サルトルは味もそっけもないようなマンションの一室か病院の一室か、そういうところで死ぬわけです。親類縁者が駆けつけたという意味合いもまったくなくて、それで死ぬわけです。それはひどいものだ、すごいものだ、悲惨なものだと思えば思うけれど、彼はいいじゃないですかということになります。どうせ何にもいらないし、自分の思想を全うして、それを貫いて突っ張ったという意識もそれほどなくて貫いてくたばるのだから、それこそが本当の生き方だよ、それこそが最上の生き方だよということになります。

9 思想の問題としての身体と〈老い〉

 身体というものの受け入れ方、老いの受け入れ方は、どういうのが最上なのか、どういうのを最上とするのかという問題が、個の生涯ならば個の生涯の中で必ず訪れるわけです。その訪れ方において、身体という思想をどういうふうに受け入れるかということが問われてきます。日本における最上の思想、最上の文学が身体を受け入れる受け入れ方にはそういうパターンがあります。小林秀雄がそうであり、三島由紀夫がそうであるというふうに大なり小なりなっていきます。
 皆さんは年寄りではないし、四十、五十になっている人はほとんどいないから、そんなことをおれがいくら言ってもあまり切実にはならないでしょうが、これは普遍的に切実なことです。身体という思想をどういうふうに受け入れるのか。あるいは、どういう受け入れ方をもって最上とするのか。この問題は文化の問題であり、個の生涯にとって重要な問題となります。ある年齢以降においては必ず重要な問題にさせられてしまう。百人が百人それを免れることはできない。皆さんが考える必要はないですよ。若いうちからそんなことを考えるのはバカらしいですから、考える必要はまるでないけれど、こういう問題は聞いておいて悪くないという問題です。
 聞いておいて悪くないというのは、日本はバカなのでしょうか、そういうことをあまり言わない。でも、五十、六十になった人は、どんな偉いやつでも、どんな偉いと言われている人でも、いちばん関心があるのは、自分はいつ死ぬか。どうやったら死ななくて済むか。できるだけ長生きできるか。そんなことばっかりです。(笑)そんなことばっかりとは言わないけれど、それが重要でして、本当はそのことをいちばん考えているはずです。そうだったら、そのことは思想の問題であるはずですが、それを口にするのを恥ずかしがって、おれはそんなことを考えてなくて、天下国家のことばかり考えているみたいなことを言っている。しかし、それは全部うそです。うそですから、そういう人たちの天下国家についての考え方自体もろくでもないことしか言えないのです。
 なぜかというと、虚偽だからです。ある年齢以降において身体を意識させられた時、あるいは生理的身体を意識させられた以降において、かなりの程度それは第一義的な内面の問題、あるいは生き方の問題になってきます。つまらないことだけど、免れることのできない、不可避的な問題として、それは第一義的な問題になります。それを第一義的な問題とするかどうか。あるいは、これを思想の問題としうるかどうか。このことが重要です。そのことを思想の問題となしえないものですから、つらつらしみじみ、おれは隠居したとなる。若い時に優秀な思想家ほど、文学者ほど、そういうふうになってしまうのです。例外などただの一人もいない。
 ただ一人います。それが夏目漱石です。夏目漱石だけが例外です。しかし、夏目漱石にしても死んだのは四十七歳ですから、まだそんな年でないと言えばそうです。四十七歳というのは今ですと五十七、八歳、あるいは六十五、六歳に該当するでしょうか。漱石だけはものすごく個的な、内面的なエネルギーを持っていた人です。明治以降、この人、ただ一人です。自然に慰謝されるとか、つらつらしみじみ、侘び、さびがどうしたとか、そういうことを口にするにしろしないにしろ、天皇制はいいとか、これは日本の伝統とか何とかバカなことを言わなかった文学者は、漱石ただ一人です。ですから、この人の文学に対しては、好き嫌いもあるでしょうし、非常にうらやましいなというところもあると思いますが、この人だけが唯一の存在です。あとは全部だめ。偉い人もだめ、一流の人もだめ。もちろん三流の人はだめですが。(笑)
 なぜそうなってしまうのかというと、身体という思想がないからです。その問題を思想の問題となしえなかったということが重要です。思想の問題となしえなかったというのは、西欧において、身体は思想の問題になしえなくても、身体の科学の問題とか、身体の理論の問題とか、身体の哲学の問題とか、論理的に考えることをずっとしてきているわけで、そういう分野が哲学なら哲学、医学なら医学の分野の中にあるわけです。そういうことがひとりでにやられてしまっているわけです。ですから、ことさら身体という思想が重要だというようなことを言わなくても済んでしまう。重要には違いないけれど、済んでしまう。しかし、日本においてはどうか。身体とは思想的に何なのか。どういうふうに考えたらいちばんいいのか。世界普遍性があり、しかも最上の考え方だというような問題は十分に問題となりうるわけです。

10 鮎川信夫「廃屋にて」、北村太郎「紙とエンピツ」

 この詩の特集を見ますと、そういうことに引っかかっている詩人がある一定の年齢以上にいまして、その中で一生懸命やっているな、考えているなと思えるのは、ぼくらも同じグループである鮎川信夫さんとか北村太郎さんです。彼らはそういうことを一生懸命やっています。身体ということ、老いということに一生懸命かかずらわっています。そのかかずらわっている、かかずらわり方にしても、ことさらそんなことにかかずらわなくてもいいではないですかということもまたひとつの問題としてありうるけれど、かかずらわるならば本当にかかずらわったほうがいいということもありうるのです。
 そうではなくて、日本の詩人でもかかずらわっている人のかかずらわり方があるわけです。おれもつらつら年を取ってしまった、風景が美しく見えるようになったと書いている詩もあります。それもひとつのかかずらわり方です。黙っていてもだれでもがかかずらわる、かかずらわり方です。老いとは何なのかということに一生懸命かかずらわっている、そのことに痛切にかかずらわっているのではないかというのは、鮎川信夫とか北村太郎とか三好豊一郎さんです。あるいはもう少し若くて、ちょうど入口みたいなところですと、中村稔さんとか飯島耕一さんとか、そういう人たちがそういうことに一生懸命かかずらわっていることがわかります。
 鮎川さんの詩に?「廃屋にて」というのがあります。自分の住んでいる家がぼろぼろに老化して崩れてしまっているというのと、この表現でいいますと、古今の書を読み、肉の悲しみを知る年齢になって、つまり自分も老いてぼろぼろになりつつあるということを、いわば溶かし合わせる中で詩を成り立たせている。その溶かし合わせ方が一生懸命なわけです。最後の節だけ読んでみます。

錆びた針金の?ツタに覆われてぼろぼろになった壁面にまた心理面に風はひとしきり激しくふきつけ、脅かすような慰めるような圧力を加えてくる。ああ、丘の上の廃屋よ、?ソロフキのとらわれ人よ、いとしき者よ、さらば。泣きながらこの世に生まれた人の子にとって、共に暮らした年月にもいつか終わりが来るように、やがて襲ってくる運命はとてもとても悲しいものに違いない。どの道、もう昨日よりよき明日は来ないのだから。万巻の書は不治の病となり、ぼくたちのライフをむしばみ、君たちの家を破壊に導くだろう。せめて最後の呼気だけはきれいに黙って風に手を振って、よりよき消滅を迎えようではないか。

 これが最後のところです。住んでいる家がぼろぼろということと、書を読み、詩を作り、生活をし、女と付き合ってぼろぼろになっていきつつある自分と、いわば縒り合わせることで詩を成立させていることになります。
 北村さんのかかわり方は、詩の手法としては違いますが、ぼくは入沢さんの詩にやっているなと思うのと同じような意味合いでやっているなという感じがします。これも最後のところだけ読んでみます。

どうさまよっても 密林から出られそうにない
だから ときどき 大笑いにわらいながら
自分の死体を想像してるってわけだ
棺の脇に 紙とエンピツが未練がましくあった なーんてね
ひどいことになったけど まだ何ひとつ終わってやしない
いまがまた昔にならぬわけじゃない

 これが終わりのところです。やはり引っかかっているのは同じところだと思います。ものを書いて、若い時には人々が自分を理解し、仲間が自分を理解し、自分の言うことを仲間がわかってくれたと思って一緒にやってきた。紙と鉛筆でいろいろな世界をつくってきたけれど、だんだん年を取ってきたらみんな個人個人になってしまった。このようなところから始まって今のところに行き着くわけです。
 皆さんから見ると、年寄りくさいじゃないか、そんなことをクダクダ言ってもしょうがないじゃないかと思われるかもしれませんし、それで片づけてしまうかもしれない。片づけるのが正しいような気がします。しかし、るる言ってきましたように、思想としては大変な問題だということに対して、日本の詩人はこれに対するかかわり方として戦前の人とどれだけ違ったか。例えば小林秀雄とどれだけ違うか。まだまだ小林秀雄と同じようになってしまう可能性はあるという問題も含めて、そのかかわり方は十分考えるに値するとぼくには思われます。だから、ぼくはやっているな、やっていやがるなという感じがします。

11 飯島耕一「四十九歳」、中村稔「火葬場にて」

 飯島さんの詩に?「四十九歳」というのがあります。これを読んでみます。短いから初めから終わりまで読みます。

おれももう四十九歳。頭の中身はすさまじい。あれこれの思いが交錯し、一人でいる時は情けない仏頂面である。若い女にすぐ目は行く。しかし、手は出すことはできない。四十九歳の男は全員そうだと思って誤りなからん。あとはさまざまな感傷、怒り、憤懣、後悔、そのあとに?アパッシー。ひとつの境目にあるのを感ずる。青年時代、世界の中心にいると思ったのが、今は世界の端っこにいて、何かにつかまってようやくぶらさがっているのである。

 他人のそらの詩人がねと冷やかすと冷やかせるわけですが、これは自分の老いというものの入口に対してなかなかいい。一生懸命やっている、一生懸命考えているなということがよくわかります。それはどこでわかるか。どこによく出ているか。二節目です。「若い女にすぐ目は行く、しかし、手は出すことはできない、四十九歳の男は全員そうだと思って誤りなからん」。この表現です。
 「四十九歳の男は全員そうだと思って誤りなからん」という表現は、皆さんは若いから一見するとひゅっと読み過ごしてしまうかもしれませんが、こういうふうに表現できることはいかに飯島さんが自分の生理的な老いを一生懸命考えているか。こいつはおれだけか、おれだけじゃないんではないか、だれでもそうなはずだ、だれでもそうなはずではないかというようなことを、思想としてというふうに申しにくいところがありますが、ほぼそれに近いまで一生懸命考えている。
 自分の老いを、おれ、年を食ってしまったなと思うけれど、こんなこと、ことさら言わないで若い振りをしたほうがいいやというようなところで問題を過ごしていくと、つらつらしみじみ、私は侘び、さびが好きですよと過ごしていくと、だんだんそういうふうになってしまいます。必ずそういうふうに行ってしまいます。飯島さんはそれに対してひとつの抵抗を示しているわけです。このことを相当一生懸命考えて、しかもそのことが言うに値する、考えていることが言うに値するということをよく知っていることがわかります。飯島さんの詩は、一見何でもなくて非常にうまい詩です。うまい言葉の詩です。うまい詩ですが、単にうまい、まずいの問題だけではなくて、ここには老いに対して一生懸命対応しようとする飯島さんのひとつの対応の仕方がはっきり出ています。はっきり表れているというふうにぼくは思います。
 飯島さんとほぼ同じ年代なのか、そうではなくて、ぼくらと同じ年代なのか、わかりませんが、中村稔さんの詩に「火葬場にて」というのがあります。この詩の中にも出ています。一節だけ読んでみましょう。

誰もかれもがやがて無機質のかたまりに
かわっていくのだとみずからに言いきかせながら
つめたい酒を酌みかわしながら
談笑する人々の心を掩う
くろぐろとひしめく鳩のはばたき。
じきに死者のからだは燃えつきるであろう。
火葬場の裏にはいぬふぐりの群落、ほころびはじめた梅の木の根方に
その日だまりに数羽の鳩が餌をついばむ、
昨日から今日が続いているように、今日が明日へ続いているように。
もうまだあたたかい死者の骨を拾うときだ。

 そういうふうに連がどんどん続いていきます。火葬場で親しい者が焼かれるのを待っている間の思いと、身近な人の死を契機に自分の死を意識させられている状態が交錯しているところで詩を成り立たせています。そこに中村さんなりの老いに対する対処の仕方がよくうかがわれます。

12 表現・韻律のなかの〈老い〉――萩原朔太郎の場合

 この特集の中で、ある年齢以上の戦後の詩人の詩の中に偶然その問題が主題として表れてきたのかもしれませんが、モチーフとして言うならば、この問題はかなり大きな問題です。その問題に対して皆さんのような、そういう問題に対して切実にぶつかることはまだない、だからそんなことを考えるのはナンセンスだという年代の人が、主題がそうであるから、こういう詩はだめなのではないかと考えるところで現代詩の思想をもし考えるとすれば、若干の狂いを生じるだろうとぼくには思われます。
 この若干の狂いとは何か。老いへの対処の仕方の中に、文学、もっと狭くて詩でもいいけれど、一般的に日本の詩の表現者がたどってきたひとつのパターンがあります。あるいは、日本の思想がたどってきたパターンがあります。そのパターンに対して、同じパターンをたどるのか。あるいは、同じパターンをたどっていないのか。同じパターンをたどらないで、どこでそれを表現の問題たらしめているか。
 戦前の詩と近代の詩、あるいは西欧の詩とどこが違うのか。老いなら老い、生理なら生理、生理的自然とか身体を主題とした場合にどこが違うのか。どこがかつてと違うのか、どこが同じなのか。こういう問題をきめ細かくえり分けていって初めて現代詩の思想が……。現在の詩の思想が戦前の詩の思想と比べて、朔太郎なら朔太郎の老いと比べて、あるいは明治の北原白秋の老いに比べて、あるいは薄田泣菫の詩における老いに比べて、どこが違うのか、どこが異質なのか。このような問題をそれとしてよく考えていかないと、現代詩の思想という場合の思想という意味合いを偏頗なものにしてしまうのではないか、片手落ちなものにしてしまう恐れがぼくはあると思います。
 この特集にたまたまそういう主題が多かったのは偶然かもしれませんが、偶然にしろ必然にしろ、そのことをモチーフとした詩に、あるいはモチーフとしないにしても、例えば晩年の朔太郎が文語詩みたいなもの、「いかんぞいかんぞ思惟をかへさん」みたいな詩になっているでしょう。「わが草木とならん日にたれかは知らん敗亡の」みたいな七五調の詩になっていくでしょう。そういう詩になっていくこと自体の中に、老いを主題にしていなくても朔太郎の老い方があるわけです。老い方として、七五調の音数率の中に、あるいは漢語の何とも言えない使い方、「広瀬川白く流れたり」みたいな使い方があるでしょう。その詩がべつに老いをうたっているわけではないけれど、そのこと自体の中に朔太郎の老いがあるわけです。朔太郎が身体をどういうふうに考えたか。どういう老い方をしたか。それは「月に吠える」の朔太郎とどこが違うのか。どういうふうに違っていってしまったのか。そういう問題があるわけです。
 老いが主題としてあろうとなかろうと、言葉の表現の中に、音数の韻律の中に、日本の詩は老いに対してどう対処していったか。そして、現在の詩がどういうふうに対処しているのか。そういう問題をそこのところできめ細かに詰めていかなければ、現代詩の思想といった場合の思想の意味が偏ったものになる可能性があるとぼくには思われます。

13 自然詠の問題

先ほどふたつと言いましたが、もうひとつ、感傷を見てとることができるのは自然だと思います。自然に対してどういうふうに対処しているかということのように思います。これは日本の詩の中に普遍的にある問題です。自然が詩の主題になる。草花が美しい、自然の山が美しい、山の景色がこうだということを詩が取り上げる場合、そのことがすなわち老いを取り上げる、あるいは身体を取り上げることとほとんど同じ意味があります。
日本の詩には古来から自然詠というのがあります。これは近代の詩の中にもありますし、現代の詩の中にもあります。この自然詠、自然を主題にして詩を作ること自体、あるいは自然の景物を叙情すること自体、初めから老いていると言ってもいい。初めからポテンシャルのいちばん低いところに居直ってしまったと言ってもいいぐらい、日本の詩の場合、それは身体とか老いを取り上げているのとほとんど同じ意味があります。
戦前で言えば立原道造であり、三好達治であり、中原中也であり、そのようなもっとも詩人らしい詩人と言ったらいいのでしょうか。現在でももっともよく読まれている詩人と言ったらいいのでしょうか。そういう詩人の詩はさまざまな意味合いでの自然詠ですから、もう初めから徹頭徹尾、身体、老い、生理というようなものを取り上げています。それをどう取り上げるかという問題を詩の言葉にしているというふうに考えてしまっていいほど、日本の詩における自然詠は老い自体を別の言葉で取り上げていることを意味していると思います。だから、そこでも見ることができると思います。
現在の詩が自然を取り上げている場合の取り上げ方は、中原中也の取り上げ方とどこが違うか。立原道造の取り上げ方とどう違うか。三好達治の取り上げ方とどう違うか。その問題の中に現代の詩の、現在の詩の思想があると見ていかないといけないと思いますので、これもやりたい。自然詠をする、景物を詠ずるなどということは、初めからつらつらしみじみしていることではないですか。それでもう終わりではないのと言えば終わりそうな気もしますが、それではややきめ細かく言って思想というものに対する片手落ちになるような気がします。
自然詠をしている場合、現在の自然詠は立原道造の自然詠、中原中也の自然詠、三好達治の自然詠とどこがどう違っているのか。そのこと自体をきめ細かく取り上げる中で、現在の詩が持っている思想性をきめ細かくはっきりさせることができると思います。そうすることによって、カッコ付きの思想だけではなくて、思想と言った場合に包括できるさまざまな主題、さまざまなモチーフを包括できる意味合いでの思想を問題にすることができると考えます。
中村稔さんの詩も自然詠と言えば自然詠ですが、その自然詠も独特な自然詠の仕方があります。三好豊一郎さんの自然詠でも独特な自然詠の仕方があります。立原道造とか中原中也とか三好達治とは違うところがあります。違う自然の構成の仕方、自然の景物の構成の仕方があります。もちろん景物の構成の仕方が同じではないですか、一様に入っていくところの問題に突き当たっているではないですかという問題も同時に含んでいると思いますが、まったく違うところもあります。その問題をきめ細かく取り上げていくことで、現代の詩、現在の詩の思想というようなものを包括的に問題にすることができるのではないかと思います。
いま申し上げたような問題の中で、現在の詩が当面している大きな問題が本当は象徴されているのではないかと考えられます。それがどういうふうになっていって、どういう対処の仕方が考えられたら、もっとも適切なのか、もっとも妥当なのかということを求めたいし、求めなければいられないような気がします。
しかし、その問題も、こういうふうに考えれば、こういう気の持ちようをすれば適切ではないかということを直接の倫理として、直接の思想の言葉として言うというようなことは、できないことはないでしょうが、そのことによって思想の意味合いがカッコ付きになっていきますから、できないと考えたほうがよいと思います。むしろその問題は、詩の表現の中で絶えず模索されていくでしょうし、また模索されていかなければ仕方がないということになっているのだろうと思います。ただ、そのことを知っているほうが知らないよりはいいことだろうとぼくには思われますので、少しでも明瞭になったかどうかわかりませんが、今日のお話は、こういうこともあるなというふうなことを考える場合のひとつの触発するものになれたら、いいのではないかと思っています。

14 質疑応答1
(質問者)
 ≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 ぼくが小林秀雄をたとえば挙げたでしょ。その僕の念頭にあったのは、『本居宣長』という、わりあいに近年にあれした本があるでしょ。ぼくはそれが念頭にあって、あーあと僕はそう思ったんです。あなたがいま言ってくれた小林秀雄のその言い方のなかに、ぼくは別に真理がないとか、老いというものに対する自覚といいますか、それがないというふうに、そういうふうに言わないのですけど。
 つまり、こうなんです、何を失っていくのかということを別の言い方をすると、制度ということを失っていくんです。年取ってきて、老いというものが非常に心の中では少なくとも第一義的な問題になっていきますと、政治制度とか、社会制度とか、具体的にいえばそういうふうなもので象徴させてもいいのですけど、制度に対する考察というのを失っていくというのが一般的なパターンなんです。
 どうしてかというと、老いというものが自覚してくるとか、自分の正義の衰えであり、認識の若い時との相違でありというようなことが関心の第一義になってきて、かつて、制度に対する考察をなんらかの形でなされていたことが、いかにもアホらしいこと、つまり、遠くにあるどうでもいいことのように特に思われてくるわけです。日本だったら特にそうなんです。
 なぜかというと、つまり、自然というものが、ぼくはそういう言い方をするけど、制度というもののだいたい代用品をしているところがありますから、制度に対する考察ということは、ものすごくまだるっこいというか、どうでもいいことだと、若い時によくも血道をあげたものだなとなっていくのが一般的なパターンなんです。
 制度に対する姿勢とか、態度とか、それを失っていくというのは、少なくとも、日本の文学とか思想という場合には、第一義的な老いというものの自覚のパターンなんです。それでいって、本居宣長の一種の自ずからとか、一種の自然思想ですけど、そういうものの現代的な意味あいをつけていって、それをやりきれないです、ぼくは。
 たとえば、三島さんの晩年の思想にもそういうところはあるけど、天皇制みたいなものが、自然を制度化したものと同じようなものに見えてくるんです。これは政治制度とか、思想制度というより、自然制度というふうに見えてきて、そして、それが非常に肯定されるというふうに、あからさまにそうなっていく。
 そうすると、肯定されるべきものだというふうに、感性がそれを受け入れていってから、逆に今度は、それを裏付けるための論理を今度は作ろうとするわけです。小林秀雄なんかは特にそうだけど、後から論理を作ろうとするわけです。そうすると、これは国民の大多数が承認したからしているんだということを、昔から承認したんだということを言いだすわけです。
 そうなったらそれは嘘じゃないですか、それは歴史に対する無知じゃないですか、あるいは、日本的な制度といってもそうですけど、アジアというのは皆そうなんだけど、つまり、アジア的な制度というものに対する、それは無知じゃないですか、つまり、歴史的な無知に過ぎないじゃないですか。
 つまり、古代なら古代の政治思想にとって、つまり、天皇制の成立における政治思想にとって国民と考えられたものは、自分たちの共同体の中の使いッぱしりが、それが小林秀雄のいう国民という概念はそこでしか成り立たないわけです。
 あと9割9分9厘の大多数、つまり、数百人の共同体にくっついていた、そういう使いっぱしりの人たちは、そういう人たちを除いた、地域でいえば、近畿地方の京都盆地とか、奈良盆地とか、そういうところごく周辺で、それ以外のところに住んでいた人というのは国民というふうに考えられていないわけですし、そこに住んでいた人たちにとっても、そんなのはべつにどうってことない、関係ないというふうに暮らしていたわけです。
 村落の町長を、自分たちが長老を選んで、それでお祭りをどうしようかとか、穀物をどう分けようかとか、どう耕作しようかとか、そういうことは非常に重要なことだから、そういうことは切実なんだけど、その上に、そんなのは全然関係ないよって生きてかつ死んでいたんです、農耕したりして死んでいたんです。国民なんて全然そうじゃないんです。
 だから、逆に初めに承認するところの自然的制度というものを承認しておいて、感覚的に老いというものを承認しておいて、制度思想というものはないですから失っていきますけど、もともと小林秀雄にはないですけど、なおさら老いたら失っていきますから、そしたら、天皇制みたいなものは自然制度として、自然と同じなんだから肯定的なんだよというふうに感覚的に受け入れちゃっておいて、老いは受け入れておいて、後から、批評家ですから、論理を作ろうとするわけです。だから、本居宣長をダシにして論理を作るわけです。そしたら、その論理はまるでダメだ、めちゃくちゃだということになるんです。それは無知じゃないですか、いい歳してというふうに、そういうふうになっちゃうんです。それが問題なんです。
 ぼくはそこが頭にあって、皆そうなんです。みんな制度に対する思想というのは、もともとないんですけど、なおさらないんです。若い時の小林秀雄は、たとえば、自意識こそが文学だというところでいるものだから、いること自体が社会の常識に対する違和感であったり、常識に対する反発であったり反抗であったり、必然的にありえたんですけど、それがそうでなくなっていっちゃったら、存在自体がある程度、社会からのすねものだというふうに存在自体がありえたんだけど。そういう存在自体のあれがなくなっていって、老いというのが自然制度を承認するというふうになっていった場合、いかんと、後から論理をくっつける、その論理がまるでデタラメなんだという、それは一丁前の批評家が言うべきことじゃないですよというような、それを知らなかったら問題にならないでしょうというようなことになっていく、しかし、日本の批評家というやつは、それ相当であるほどそうなっていくというような厳然たる事実があります。そのことはものすごく大変なことのような、おっかないことのような、大切なことのような気がするんです。
 ぼくは、いつでもそれが念頭にあって、あなたのいう意味で、それは達人の認識だよなという、老いというものに対する一種の達人の認識だよなっていう意味合いでは、あなたのおっしゃるとおり、面白くないことはないです。おお、感心するよなんて、それはないけど、しかし、ぼくはそうじゃなくて違うことを、主として、制度に対する思想、あるいは、存在自体が制度に対する異議申し立てだと、そこを老いというものが失っていった場合、老いの自覚がそれを失わせた場合、どうなっていくかといった場合に、そのコースは決まっているじゃないかということを、そのことは小林秀雄を見る場合に、いちばんそのことが念頭にあるんです。
 ぼくもまだその年齢じゃないですから、お前、いま偉そうなことを言ってるけど、どうなるかわからんぞというふうに言われると、それこそどうなるかわからないけど、しかし、ぼくはなんとかしてそうはなりたくないねというふうにいつだって思います。いつだって、ああはなりたくないねって思います。

(質問者)
 本居宣長から脱線して荻生徂徠のことを話したときに、悲しみの中にあっては喜びを求めることはできないけど、悲しみを整えることはできる、それが歌であるとか、そういう説明だと、そういう面で詩というものをやれば制度以外に感動も…≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 制度というのは、ほかのことを、直接この制度はけしからんということを主題にしているのがあったら、それはわかりやすいから、それは置いておくとしまして、もし、そういう直接性じゃないとすれば、どういうふうにでてくるかというと2つくらいあると思うんです。
 ひとつはリズムにでてくるような気がするんです。この人の制度に対する無意識の内面の成り立ちがどうなっているかということは、ぼくはリズムのなかに非常によく緻密にあれしますと、詰めて見出すことができるんじゃないかというふうに思います。
 最もわかりやすいのは、七五調みたいなのはわかりやす過ぎますから、それは別にして、皆、現代詩といえど見ればわかりますから、内面のリズムがちゃんとあります。一見すると散文の行分けみたいに見えるし、散文詩というのもあります。つまり、谷川俊太郎の詩とか、天沢退二郎の詩とか、散文詩みたいに行分けしていないですけど、それでもリズムがあります。そのリズムというものを非常によく考えますと、その人の制度に対する姿勢とか、態度とか、感性とか、そういうのがわかるというふうに僕はそう思います。
 それから、リズムという意味あいを広く云えば、それでいいわけですけど、もうひとつは表現の論理性というものに、論理性といっても、詩だから、それは感覚の裏であったり、心理の裏であったり、意識の流れの裏であったり、いろいろ裏がありますけど、裏打ちされているわけですけど、その詩の表現の論理性というもののなかに、この人は制度というものに対して、どう考えているのかとか、どういう態度をもっているのだろうかとか、どういう無意識の感性をもっているだろうかというようなことが、よく非常に緻密に見ていけば、それはわかるようにおもいます。そこでわかるんじゃないかと思います。
 それから、あなた、荻生徂徠なんていうでしょ、どうして悪いんだということになるんです。どうして、わびさびとか、そういうふうに歳取ってなっていくと、どうして悪いんだということになるでしょ。べつに悪いということはないんです。つまり、そのことはそのとおりだから、別に悪いということはないということになるんです。
 だけど、これはやりきれないよっていうふうに出てくる観点が何かといったら、それは現代なんです。現代というものの世界像なんです。世界像というのは、世界についてのイメージとか、世界についてのビジョンとか、どういう言い方をしてもいいんです。もっと内面的なものといってもいいんだけど。そういうビジョンというものに照らして、あるいは、ビジョンが何なんだということに照らして、それを眼に見えないビジョンとか、イメージとか、それを基準にした時に、それじゃあやりきれないよとか、これよりはサルトルの態度がいいんだよ、これは価値があるんだよ、サルトルの老い方のほうがいいんだよという、そういう言い方が出てくるのは何かといったら、何をもって世界ビジョンとするか、あるいは、世界のイメージとするか、あるいは、イメージとしての価値をどこに置くか、どこに思い描くかということをもとにして、これじゃあダメだよとか、これじゃあやりきれないよとかということが出てくるわけです。
 そうすると、たとえば、荻生徂徠なら荻生徂徠の理想というのは、一般的にいえば、近世の江戸幕府が採用した制度の思想、つまり、儒学の思想、いわば、中国の古代思想というものは、それは制度=自然という、明瞭なそういう思想なわけです。つまり、制度というものは自然である、だから、政治支配というものは自然である、自然秩序なんだ、だから、この頂点にいるものは、いちばん天然自然、天地山河の運行に、つまり、自然の運行にいちばん近いところにいるのが天子なんだと、制度の頂点にある天子というのは、天の道とか、運命・宿命というものに、いちばん近いところにいるのが天子なんだという。

(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 そしたらストレートに自然詠ということ、自然を詠み、歌うということ。対応する『古今集』なら『古今集』というものの性格を見ていけばいいわけなんです。その見方で、そのなかで制度というのはどうやって見れるんだといったら、それはリズムで見るということと、論理で見るということと2つあると思う。
 『古今集』のなかで制度というのはどういうふうになっているんですか、連中が制度思想というのを持っていたとしても、そんなの対して持っていたはずがないんです。持っていたとしても、せいぜい仏教の思想とか、儒教の思想とかしかないはずです。それほどのあれはないわけですけど。思想というものを取り出せるものはないわけですけど。
 しかし、感覚的にはあるわけです。それは何で読めるかといったら、やっぱり自然詠自体は、『古今集』なら『古今集』、あるいは、自然を主題にするとか、自然をどう考えるか、憐れと思うかどうかということは、『源氏物語』なら『源氏物語』に。『古今集』なら『古今集』にとっては主題自体なんですから、主題のなかにそれを探ったってしょうがないから、大した探り方はできないから、ほんとの意味で探りたいなら、そのなかのリズムのあり方とか、表現の論理のあり方とか、そういうことのなかに詩人たちがもっていた、あるいは、『源氏物語』の作者がもっていた制度についての考え方が無意識になんであったかと取ることができるとおもいます。見出すことができると思います。
 見出すことが批評ではありませんし、見出すことが鑑賞の第一義でもありませんけど、しかし、それを見出そうとするなら、見出すことがあなたがしてみたいなら、それはそういうふうに見出せば、見出すことができると思います。ぼくはそう思います。だから、そのことの問題だと思います。
 ぼくだって、小林秀雄の書く文を感心しないわけじゃないです。しかし、わからんちんじゃないから、わかるさっていうのと、やりきれんじゃないですか、日本の文学者とか、思想家とかというのは、なっていく先というのはみんなわかっているというか、みんな同じじゃないですかということは、それは当然だといえば当然だけど、しかし、やりきれないじゃないですかと、これを肯定するなら、どうして初めから肯定しないんですかということになってくるわけです。
 そうじゃなくて、どうしてこうなっちゃうんですかということはやりきれんじゃないですか、人間はオギャアと生まれて歳とって死にますという、そう言っているだけじゃないですか、そんなこと言うなら、お前に言ってもらわなくたって誰だってそうしているんだからということになるわけでしょうが。だから、そのことで言っているわけです。
 そのことはどこから出ているかというと、わからないけど、ある未知の世界像というのの、そこから出てくるんです。そこから出てきて言われるわけなんです。言いうるわけなんです。そんなものはなくたって詩が書けるじゃないかというと、それはそのとおりなので、べつにそんなことはいいじゃないですかって言ったら、そうですよ、それはいいですよ、しょうがないです。俺の言うことは、個々の詩人がこうせねばならんとか、おまえ、こうせねばならんとか、これがないのはけしからんぞというふうに、ほんとに一人対一人の時は言いたいわけです。だけど、そうじゃなくて一般論としてはそんなことは言いたくないです。そんなことはどうでもいいです。
 詩っていうのは、ようするに、その詩人にとって最も切実に関心のあることが表現されるという、それだけのことです。それ以上の意味あいはないです。主題にも、モチーフにもないです。芸術・文学には一般的にないんです。だから、それでいいわけです。
 ぼくが言っているのはそうじゃなくて、もし、その詩人が、今日のあれでいえば、現代、あるいは、現在、思想ということについて、何それ思想とか、現在って何とか、現代って何というようなことについて、詩を書く人は、いささかでも関心を持ったとか、何だいというふうに言いたい気になってきたら、初めて、僕が今日言ったようなこととひっかかりが生ずるというふうに、ぼくは思います。
 だけど、そんなことにならなくたっていいわけです。ならないから悪いとか、そんなことは絶対にないんです。ならなくてもいいんです。そんなことは何でもないの、芸術とか、文学というのはそうじゃないんです。そういうものじゃなくて、こうねばならないということは何もないんです。何にもないし、また、ねばならないということをあれしたっていい芸術ができるわけがないですから、できる時もありますけど、できるわけがない。ようするに、その人にとって、最も意識的・無意識的に切実なるモチーフ、切実なる主題が歌われるとか表現されるという、それだけのことなわけです。それは誰にも覆すことも、変えることもできないですし、それ以外のことは誰もしないしできないです。だから、それはそれで一巻の終わり、それでいい。
 ただ、ようするに、現代とか、現在とか、思想とかっていうことはなんだいと、いったん捕らわれないとは限らないです、いつ捕らわれないとは限らないです。だから、捕らわれた時に初めて、ぼくが言ったようなことがひっかかって、あのやろうが言っていることはこういうことだったのかということが、いわば、相当、実感の問題として出てくるみたいなことがあるんじゃないでしょうか。
 だけど、そんなのは出会いの問題だから、そんなものはなくたって詩を書けますし、いっこう差し支えないですし、それは倫理的な価値判断の問題で、なんでもないですから、それはそれでいいんです。
 しかし、小林秀雄はそういうふうに制度自体を創出していながら、創出したならば、制度について何も言わなければいいんです。何も言わなければいいのに、天皇制というのはいいんだ、いいんだと言うじゃないですか。宣長の言葉を借りて、かつ、自分の論理を使って、そういうことを言うわけです。言わなければいいんです。言わなければなんでもないわけです。だから、制度を失ったっていいけど、それは、それならそのことを言わなければいいじゃないですか、それを言うんだから、そういう人は。
 明瞭に言ってますよ、かなわないですよ、やりきれないですよ。それでそれに対して付ける論理がまったく無知蒙昧でやりきれないです。考えてないなら言わなきゃいいんです。失ったら失ったでいいんだから、老いと若さしか俺にはないと、若さについてのあれしかないんだったら、それでいいから、言わなきゃればいいのに、ちゃんと言うんだから、かならず、そういう人は。言わなきゃいいんだよ、そんなことは。花鳥風月なら花鳥風月で云えばいいのに、なにも天皇とは言わなければいいんです。江藤さんだって同じ、言うんだもん、だって、政治とか、制度とか言うんだから、制度について考察する、しない、ということは、それはもうその人の恣意的な問題です、文学者にとっては。文学・芸術にとってはそんなことはどうでもいいことなんだけど、しかし、それならそれで価値の問題でもなんでもないんですけど、持たなければいけないという問題でもないのですけど。だけれでも、それならば言わなければいいじゃないですかということになっちゃうと思うんです。だけど、かならずそれは言うんです。
 言うと、自然的な制度というものとして、そうすると、儒教というのは、儒学思想というのは、徂徠の思想とか、仁斎の思想とか、これは自然的制度の思想です。アジア的思想というのはそうなんですけど。みんな、制度と自然が結ばれるところでちゃんとできあがっている思想なんです。それが原理にありうるわけです。

15 質疑応答2
(質問者)
≪音声聞き取れず≫

(吉本さん)
 ぼくは自分で言葉について考えたり、感じたりしたんですけど、ぼくのその場合の根本的な考え方のモチーフになったのは、言葉と行為というものを、言葉の構造というものと行為の構造というものとをどう結ぶかというようなことよりも、言葉が言葉にとって自己表現であるということは何なのかという、そういうところに非常に大きな重点を置いて、言葉の問題を考えたと思うんです。
 つまり、行為の構造と言葉の構造を結びつける場合の媒介になる概念は意味ということだと思うんです。行為することは意味を求めることだというふうな言い方をしますと、意味を変えることだとか、たとえば、この眼鏡をとってここへやるということは、そういう行為は眼鏡がここにあるというのをここへ移したという行為なんだ、その意味は何なのか、つまり、ここからここへ移す意味というのは、行為の意味ということなんですけど、それはなんらかの意味があって、ここにある眼鏡をここに移したか、あるいは、意味なしに、ここからこっちへ眼鏡を移すという行為があったかというのは、意味という概念と言葉の概念とを結びつけて、言葉が何か発せられた時には、それは何か意味あることを相手に伝えたいとか、自分に意味をはっきりさせたいために言葉というのは表現されるとか、そういうふうに考えれば、言葉の構造、あるいは、言葉が表現される構造と、行動の構造、行為の構造というのは、わりあいに意味論として結びついていく、あるいは、追究できる基盤というのは、ぼくはあると思いますし、わりあいに、メルロポンティなんかもそうなんだけど、ヨーロッパの言語学というのは、わりあいにそういうところがあるんです、近代言語学というのは。言語を考察する場合には、わりあいにそういうところがあるんです。
 だけど、ぼくが言葉というものについて考えたり考察する、いちばん大きな動機になったのはそうじゃなくて、言葉というものは言葉の自己表現であるというような、そういうことがいちばん問題なんだという、それは…≪テープ切れ≫



テキスト化協力:ぱんつさま(チャプター14~15)