(司会)
吉本先生による講演会を開かせていただきたいと思います。今日のお話の題はシモーヌ・ヴェイユについて、最初に私共の佐藤学長より、ご紹介をお願いいたします。
(佐藤学長)
今日は、吉本さんをお迎えしまして、この講演会をもつことができまして、本当にうれしく思います。かねてからひそかに期待しておりましたことが、今日実現できましたことは、私共、本当の喜びであり、感謝でございます。今日は、こういう会場で、どの程度のことになるかなぁと思っておりましたけども、まことに立錐の余地なしというところで、特に外部からお出かけになりました方については、大変こういう汚いところでご迷惑をかけますけれども、どうぞお許しいただきたいと思います。
吉本さんにつきましては、もう、ご紹介申し上げるまでもないと思いますが、わたくしは文字どおり、現代における第一等、最も優れた文学者であり、思想家であられると思います。今年の秋の大学祭にみなさんが、この間、題目として、根源なるものを求めてという題をお作りになり決められました。今までは、飛ぶとか、連帯とか、ふれあいとか、いろんな題が出てきたんですが、このたびは学生のみなさんが、根源なるもの、わたくしはこの言葉をそっくり使うならば、実に吉本さんという存在が、現代において、まさに根源なるものを求め続けてこられた、そういう優れた方で。吉本さんの著作にはたくさんございますが、とにかく一貫して、吉本さんは現代において、あらゆる思想の問題、文学の問題、言葉の問題、表現の問題、一切の問題があるならば、とことん問い詰めていこうではないか。そういう姿勢で様々な仕事を展開しておられます。例えば、安保闘争の難しい問題や、そういう誇大的な解決問題をとおして、そういう定義理論やいろんな問題を思料していく、超えていくためには、結局、言葉という問題、言葉の表現という問題を徹底的にやっていかないとです。
そこで、みなさんもご承知の『言語にとって美とはなにか』という画期的な言語論、表現論、文学○○○。その中から出てきた問題として、共同幻想論、あるいは、心的現象論、つまり、人間の様々な内なる心的現象の構造の問題、あるいは、われわれがいろんな形で関わっているという多元世界の問題、幻想について、あらゆる分野において、吉本さんの非常に根源的な、つまりラジカルな、徹底的な問いを発しておられる。また、文学の領域でも、例えば、『初期歌謡論』というタイトルの中で、日本の文学の発生の歌謡の歴史から、古今・新古今に至るなどの歌の形成・発展の歴史を、いわゆる学者とはまた違った立場から、非常に鮮明に構造力豊かな、論じる中で展開しておられます。また、殊、思想・宗教の世界では、わたしも本当に深く感銘しました『最後の親鸞』という本がございます。これは今日、思想・宗教について書いた、最も優れた著作ではないでしょうか。それから、古くはキリスト教に対しても、『マチウ書試論』、また最近では、『喩としての聖書』という、聖書に対しての独特の読みを展開しておられます。また、古典的な詩人、近代の詩人に対しては、源実朝論であるとか、あるいは、高村幸太郎、これらのひとつひとつが今まで論じられてきたものを根源的に、ある意味では、塗り変えながら、覆しながら、非常に優れた文学論、そういう数々を展開してこられました。
こういうふうに挙げていけばきりもございません。わたしは吉本さんがそういうふうに、この現代に生きている中で、ありとあらゆる形でわれわれに係っているものは、一切目を開いて、とことん問い詰めようではないか。そういう姿勢をもって展開しておられる。第1次戦後派の最も優れた文学者である埴谷雄高氏の言葉で、吉本さんの存在とは、われわれにとって、最後のひとりではないかと、最後の人ではないかと言われます。わたくしは文字どおり、それを感じます。つまり様々な、われわれ矛盾の中にありますが、吉本さんがこのようにあらゆる問題を引き受けて、問い続けておられる限り、われわれはやっぱり現代の矛盾の中で、生きていく力がそこから汲み取れるのではないか。わたしはそのように思います。
そして、吉本さんが今日、シモーヌ・ヴェイユについて、語ってくださるということは、この上もない喜びです。この中には、吉本さんのファンの方もいろいろおられると思いますが、おそらくご承知のように、吉本さんがかつてシモーヌ・ヴェイユについては、論じられたことも書かれたこともございません。わたくしはなにか文学論をやってくださるのだと思っていましたが、シモーヌ・ヴェイユをやるよとおっしゃったので、吉本さんはたしかそれは論じられたことも、触れられたこともなかったんじゃないでしょうかって言ったら、電話の中で吉本さんが、「そうですよ、書いたことありませんよ。」きっぱりとおっしゃった中に、吉本さんがこれはあえて、日頃深く関心を持ってこられたヴェイユの問題をここでひとつ、とことん展開してみよう、問うてみようということで、その封切りをこの梅光でしてくださるっていうことは、これはわれわれに対する励ましであり、ことづくしであるというふうに、わたくしは非常に感謝しています。
ヴェイユについては、フランス人の女性の外人のシモーヌ・ヴェイユがございますが、これはまったくべつでありまして、シモーヌ・ヴェイユはかつて非常に読まれた存在ですね、われわれも本当に共感して読んだ。非常に好きな思想家です。ご承知のように若くして、第2次大戦の最中に自ら餓死するような形で客死。つまり単なる哲学者・思想家ではなくて、自らこの現代の矛盾をそれこそ根源的に、ラジカルに睨み尽して身を燃やした。そういう思想家であります。わたくしは吉本さんがヴェイユを論じられると言う時、吉本さんの最初のお仕事が、あの若い時に、戦争の末期から戦後にかけた時期、自分が第一の著作として、宮沢賢治論を最初の本として出したい。そのお仕事が今残っておりますが、それが初期のお仕事として残っています。わたしはその時に、賢治に対して若い時に検討なさった吉本さんが、今、ヴェイユを論じてくださるということに、論じられることに、なにか深い一貫性を感じます。
今日はそういうことで、吉本さんが本当にお忙しい中をお立ち寄りくださいまして、私共のために、このヴェイユ論を展開してくださるということは、本当に願ってもない喜びで、吉本さんのご厚意に対して、心から感謝に絶えません。いささか言葉を長く使いましたけれども、わたしの心を少し、感謝と合わせて申し上げまして、ご紹介の言葉といたします。あとはひとつたっぷりと、吉本さんの語られるところを、学生のみなさまにしっかりと聞き取っていただきたいと思います。それでは、さっそくに吉本さんにお話を伺います。
本日は、シモーヌ・ヴェイユについてお話しするって言わさせて、やってまいりました。みなさんは、サブカルチャーっていいますか、カウンターカルチャーっていいますか、そういう文化っていう概念、あるいは、文化そのものが壊れていったり、あるいは、大衆化していったり、そういうところを自分の教養の範囲でいつも育ってこられた方。それから、ヴェイユっていう、そういう言い方をしますと、文化って、特にその西洋の、ヨーロッパの文化っていうものは、ヨーロッパの文化といえば世界文化であると、つまり、ヨーロッパの文化ということは世界の文化っていうこととおんなじことなんだっていうふうに、つまり、18世紀からヨーロッパっていうことは即世界、っていうことは普遍性をもってきた、もっといえば、勢いをもってきた時代なんですけれど。つまり、ヨーロッパの西洋の最も正統的な文化の、しかも最も固い、非常に困難な点っていいますか、困難なところに自らぶつかって、粉々になって砕け散ったみたいな、そういう思想家ですから、たぶん、みなさんが、僕は、関心を持たないだろうなというふうに思いますし、関心を持つっていうことの方が無理なんで、無理なんじゃないかなって思いますけれど。ただ、どういうのが世界の文化であり、世界の文化っていうのはどういうものであり、それがどういうものを築きあげ、そして、どういう成果を挙げて、そしてそれは、どういう欠陥をもって、重大な欠陥をもって、現代その欠陥が露呈されているかということを知るっていうことは、決して悪いことじゃないっていうふうに、僕は思います。ヴェイユっていうひとは、そういうつまり、最もヨーロッパが、ヨーロッパ即近代世界なんですけれども、近代世界が到達した、達成した、あらゆる文化とその現実の成果っていうもののいちばん難しいところです。つまり、難しいところっていうのは欠点でもありますし、同時に成果でもある。そういう難しいところに、ぶち当たって死んでしまった人ですから、それを知るっていうことは、決して悪いことじゃないことに、僕は思います。
で、ヴェイユについては、様々な評価が様々に現在までなされてきているわけです。その中で、ヴェイユの生涯っていうものを象徴させるにふさわしい評価っていうのを3つ挙げてみますと。1つは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『娘時代』っていうものの中に、学生時代のヴェイユの姿っていうのが描かれています。それからもうひとつは、これはやはりフランスの、現代最も優れた、しかもちょっと悪魔的な思想家なんですけれども、ジョルジュ・バタイユっていう思想家がいまして、バタイユの青空っていう、あるいは、日本の訳では、空の青みっていうふうに訳してあると思いますけれど。青空っていう小説がありますけれども、その空の青みっていう小説の中で、ラザールっていう名前で出てくる女の人がヴェイユの、スペインの内乱に参加していった、その時の頃の時代のヴェイユを描いている作品です。それで、バタイユの青空っていう作品は、言ってみれば中期っていいますか、中期のヴェイユの姿っていうものを非常によく浮き彫りにしている作品です。それで、もうひとつは、べつに大した文章っていうのもないんですけれど、非常に短い文章なんですけれども。アメリカに、これは現代のアメリカですけれども、アメリカにちょうど年頃はぼくらとおんなじくらいのおばさんなんだけれども、スーザン・ソンタグっていう批評家であり、同時に小説家である人がいます。女流の批評家なんですけれど、ソンタグがヴェイユについて書いてるものがあります。それは、晩年のヴェイユっていうものを象徴させるに非常にふさわしい評価なんです。
学生時代のヴェイユについて、ボーヴォワールが書いてるところはどういうことかって言いますと。高等師範学校の入学試験の準備をしながら、ソルボンヌで修学、単位を取っていたその時代に、ヴェイユが男の取り巻きの学生、いつでも2,3人取り囲まれて、学校の庭をのし歩いていたっていう。それである時、話す機会がなかったけれども、ある時、なにかの折に話すことができた。その時に、ヴェイユが言ったことは、現在の最大の問題であり、それで最大の課題っていうのは、最大唯一の課題っていうのは、要するに、この世界中から飢えた人間を一掃する革命なんだ。それだけが唯一の現代の課題なんだっていうふうにボーヴォワールに言った。
それに対して、ボーヴォワールが、いや、そうじゃない。と、人々をいかに幸福にせしめるかっていうことは、そんなに問題じゃないんだ。なぜ我々が、つまり自分たちが、なぜ存在しているのかっていう、その意義を追及すること、意義を求めること、そのことが我々の問題なんだっていうふうに答えた。
そしたら、ヴェイユが、あんた、お腹空かしたことないような顔しているわね、っていうふうに言って、行っちゃったっていう。それで、ボーヴォワールは大変自分がいらだった。自分はその時、ヴェイユに、おまえさんは要するに、金持ちのプチブル的なお嬢さんで、何にも知らないんだっていうふうに言われた。だけど自分自身の心の中では、自分の階級っていうのは、自分はもう超えているっていうふうに、自分自身は思っていた。しかし、ヴェイユと会ったのは、話したのはそれが最後であって、それで、それ以後会うことはなかったって、そういうふうに書いています。それは、ヴェイユの初期の頃を非常によく、象徴している挿話だということができます。
それから、バタイユの空の青みなんですけれども、その中でバタイユは、ヴェイユに対して、ヴェイユをどういう評価をしているかっていいますと、要するに、いつでも黒ずくめの洋服を着て、それで、あいつは世の中の、人生の廃疾者のために生命と血を捧げ尽そうっていうふうに、自分を故意に追い込んでいる。そういう女だっていうふうに言っています。ああいうのは、人間の、つまり疫病神みたいなもので、不幸な人間、あるいは、人間の不幸っていうようなものと一緒にしか存在できない存在じゃないかっていうような言い方をしています。
それから、それと同時に、スペイン内乱に参加している時のいろんなエピソードを書いているわけですけれども。エピソードも書いているわけです。ヴェイユはその時に、アナキズム系の労働者の組織に加わって、スペインの内乱に参加していくわけですけれど、どうやって戦うかっていうようなことを論議した時に、みんなは武器庫を襲撃して武器を奪って、それで戦おうっていうふうに主張した。それで、ヴェイユはその時に、いやそうじゃなくて、監獄を襲撃しようっていうふうに提案した。それで、意見が分かれたんだけど、結局はバラバラにそれぞれが、それぞれで戦うっていうことにしようじゃないかっていうことになった。それから、ヴェイユを非常に崇拝している労働者たちが、ヴェイユがこんなところで、つまんない内乱で死んじゃうっていうのはあれだっていう。つまり、このスペインの内乱には外国から、つまり国外からの、フランスからの参加者っていうのは除けてもらおうじゃないかっていうような決意をして、ヴェイユを内乱の現場から、遠ざけるっていうような、そういう提案をして、で、ヴェイユともうひとり、フランスから行った2人がそっから遠ざけられたっていうような、そういうエピソードも書いています。
で、バタイユっていう思想家、つまり、非常に大思想家ですけれど、大思想家ですけれども悪魔的な思想家です。つまり、人間にもし醜いところとか、人が自らも、そして他者も隠蔽したがっている。つまり、隠したがっている、そういうところがあるとすれば、そういうところに本当の人間っていうのがあるのだから、つまり、そういうところでもって、そういう場所でもって、つまり人々が隠したがるところ、あるいは、故意に言わないところ、そういうところに立った、そういう視点から立って見える人間だけが、本当の人間の姿なんだっていうことを、いわば思想の着想の原点にしている思想家ですから、ヴェイユに対する評価も非常に否定的な評価です。つまり、こんな薄汚ねぇ、薄汚い女っていうのはいないっていうこと、それで疫病神だっていう。疫病神みたいに不幸とともにしか存在できない人間だってなことを言っています。つまり、薄汚い聖処女だっていうふうな言い方をしています。それで、同時にバタイユは、非常に感情的にヴェイユに対して、反発も激しいんですけれども、惹かれるところも激しいっていう、そういうことが青空っていう、空の青みっていう作品を読むと非常によく描かれています。これは、非常にヴェイユの本質的なところもちゃんと掴んでいて、ヴェイユっていうのには、いつでも死のにおいがする。つまり、いつでも墓場のにおいがする。あるいは、死のにおいがするっていうこともまぎれもなくよく掴んでいて、描いています。これはたぶん、中期のヴェイユの思想っていうのを考える場合に、非常に大きなポイントになるんだろうっていうふうに思います。
それから、ソンタグは全般的な評価なんですけれど、とにかくヴェイユの自己犠牲っていうものに対する極端な指向っていいますか、好みっていいますか、それから幸福っていうことに対して、あるいは安楽っていうことに対して、侮蔑を抱いている。そういうヴェイユの不健康さっていうところ。それから、崇高なんだけれども、非常に崇高なんだけれど、しかし馬鹿げている。馬鹿げている大げさな政治的な身振りっていうものの、そういうものは全般的に言って、ヴェイユのもっている不健康さだっていうふうに言ってます。
で、この不健康さっていうのは、たとえばそれは、カフカにつながり、ニーチェにつながり、キルケゴールにつながるっていうような、つまり、この不健康さっていうのは、現代の文明とか文化っていうものが必然的に人間に負わせているっていう意味合いで、この不健康さのしるしっていうものは、非常に思想として重要なんだ。つまり、思想のしるしとしては重要なんだ。で、その重要さをヴェイユっていうのは、身につけている。それで、誰もヴェイユのまねをしようとか、ヴェイユのまねをしてごらんなさいって言っても、まねをすることもできないし、ヴェイユの思想に賛同してごらんなさいって言っても、誰も賛同することはできない。つまり、それはけた外れに、けた外れに不健康であり、けた外れに狂気であるから、誰もそれをまねすることはできないけれども、そういう思想が存在するっていうことが、存在するっていうことは、いわば人々に大きな勇気を与えるものであるっていうような、そういう評価の仕方をソンタグはしています。これはたぶん、ヴェイユの生涯の思想の全般に対してあてはまるんですけれど、特にヴェイユの晩年の思想に対して、非常に大きな意味合いをもってあてはまる評価じゃないかっていうふうに思えます。
で、この3つはたぶん、ヴェイユの生涯の3つの段階っていいますか、3つの時期っていうものを非常に象徴しているような気がします。それで、その象徴っていうものが、全体としてヴェイユの姿っていうものを共通な点で指しているんじゃないかっていうふうに思われます。
で、ヴェイユっていうのは、学校を出まして、そして、すぐに女子高等中学の先生、哲学の先生になるわけですけれども、同時にヴェイユが最大の関心をもって突っ込んでいったのは、ドイツの問題であるわけです。ドイツの問題っていうのは何かって言いますと、当時、ナチズム、あるいはファシシズムと言ってもいいんですけれども。ドイツのナチズムっていうものが非常に盛んになり、興隆してくる。そういう時期にあたっていたわけです。そうすると、ドイツの問題の中に、全ヨーロッパの問題っていうようなものが象徴されて、含まれていたっていうことがいうことができます。
で、ヴェイユは非常に鋭敏で、いわば革命的サンディカリストっていいましょうか。そういうようなところの、そういうような思想の場所から、ドイツ問題っていうものに対して、すぐに突っ込んでいくわけです。学校を出ましてすぐに高等中学校の先生をして、もうその時すぐに、その問題に突っ込んでいるわけです。で、なぜドイツ問題が重要かって言いますと。そこのところに、ドイツの、ドイツ問題の中に、ひとつはドイツファシシズム、ナチズムっていうようなものの問題と、それからもうひとつは、ドイツの労働者の問題っていうものと、それからもうひとつは、そこにロシアの、ロシアの国家及びロシアの共産党の問題っていうものが、力学的にドイツ問題の中に集中的に渦巻いていたわけです。だから、そこの問題をよく解明することは、いわばヨーロッパの問題を全部解明することと等しい意味合いをもっていたわけです。ヴェイユはそれに対して、非常に独自な、そして、どんな既成の評価にも煩わされない見事な分析の仕方をやっています。
それで、どういうことがドイツの中で問題になったかって言いますと、その当時、つまり、ドイツは第1次大戦に敗れまして、戦敗国として戦いに敗れた国として、猛烈な、たとえば日本の戦後すぐと同じように、猛烈な飢餓と疲弊っていうような状態にあったわけです。たとえば、ヴェイユはそれを描写していますけれど、昨日まで技師だった人が、公園でなにかイスかなにかを売っていると、それから学生さんも道路で、食べるものがないものだから道路で靴紐を売ったりなんかして、落花生を売ったりなんかして、それでそれを食べる糧にしている。労働者、いわば働く場所がなくて、それでいつになったら、こういう疲弊と恐慌っていうようなものが、いつになったら回復していくかっていうようなことは、全然あてにすることができない。そういうような状態になっていると。そのような状態の中で、ナチズムっていうようなものが興隆してくるわけです。
で、ナチズムっていうようなものは、どういうふうな仕方で、ドイツのナチズムっていうのはヒットラーですけども、ドイツでどういうふうに興隆してきたかって言いますと。それは、ドイツの民衆っていうのは、これだけこんなに苦しんで飢えているっていうのは、それは戦争に敗けたからだ。それで戦争に敗けて、そして、フランスあるいはヨーロッパの資本主義の圧迫に対して、圧迫されて戦敗国として、さまざまな条件下に、悪い条件下にさらされているから、だから、これがいちばんの、ドイツが苦しい、ドイツの民衆が苦しんでいる問題なんだというふうに、ドイツの民衆に対してはそういうふうに、そういうことをナチズマせ、宣伝していくってなことです。
それから、もうひとつは、ドイツを牛耳っている資本家たちっていうのは、ほとんど大部分がユダヤ人なんだっていう宣伝をするわけです。で、ユダヤ人だからドイツの国民のことは、あるいはドイツの国家のことなんか少しも考える気はないんだと、自分たちが儲けることだけしか考えていないっていうような宣伝をどんどんしていくわけです。それは、やはり明日どういうことになるかわからないっていうような状態で苦しんでいる人々に、アピールしていくっていうようなことがあるわけです。
それで、それに対して、ドイツの共産党っていうのは、ヴェイユの言い方をしますと、ロシアの、つまり一国社会主義っていいましょうか。国家社会主義っていうようなものの強烈な影響下にあり、またその出先機関だって言っているほど、強烈な影響下にあるものですから、ナチズムの言うことと、それからドイツ共産党の言うこととは、まったくおんなじことを言っていると。やっぱり、ドイツの大衆っていうものを苦しめているものは、ヴェルサイユ体制だ。つまり、戦争に敗けて、敗けた条約を押しつけて、フランスとか西欧の国々が苦しめてんだっていう言い方をして、それはナチズムとドイツ共産党の勢力とは、いわば連合していくみたいな、暗に連合していくみたいな、そういう状況っていうのを非常によく捉えています。
それに対して、それじゃあロシアっていうのは、どういうふうな態度を取ったかっていうこともちゃんと捉えているわけですけれども。そのところで、ロシアっていうのはどういうふうに考えていったかっていうと、ロシアにとって緊急なことは、ドイツとフランスとが同盟を結んで、ロシアにあたるっていうような、そういう体制ができあがることが、ロシアにとってさしあたって、いちばん妨害し、そして防がなければならない問題だ。それに比べれば、ドイツの大衆とか労働者が、どういうふうになっていくかっていうことは二の次であると。だから、そうじゃなくて、フランスと、それからドイツが同盟を結ぶっていうことを如何にして、防ぐかっていうことが、最大の関心事になっている。だから、少しもドイツの民衆とか、ドイツの批判的な勢力とか、反体制的な勢力ってのを、少しも助けようとしない。全然助けようとしないっていうような、そういう状態にあるわけです。
で、その状態を非常によくやはりヴェイユは分析しています。この、いわばロシアの動向っていうものと、ロシアにとって、たとえばドイツの労働者とか大衆ってものが立ち上がるっていうことは、ロシアにとってさしあたり不利であるっていうことを、そのことがロシアの共産党は、あるいはロシアが、たとえばナチズムが興隆していって、ドイツの共産党は壊滅して、そして、ソ連へ亡命していくっていうような時に、ロシアはドイツの共産党員をやはりナチズムに渡してしまうっていうような。そういうことみたいなことが非常に詳細に、それこそ目撃、それで分析するわけです。
で、ヴェイユがついに到達したところっていうのは、結局その問題の中で、なにがどうなってるのか。つまり、なにが正しいのか、なにが正当な道なのかっていうようなことを考えていくと、どこにもその正当な道っていうものは考えられないっていうことを、そこのところで、ヴェイユは非常によく大任していくわけです。つまり、自ら身につけて、分析士として、解読していくわけです。ヴェイユにとっては、これは相当大きなことで、もしヴェイユがそのまんまの考察っていうのを、たとえば進めていったっていうことを考えていきますと。たぶんヴェイユは、ドイツでいえば、ローザ・ルクセンブルグっていう女性の経済学者であり、そして思想家である人がいますけども。実際、フランスのローザ・ルクセンブルグに該当するような見事な外在分析っていいますか、見事な情勢分析をやっています。それから哲学的考察をやっています。だから本来ならばヴェイユっていうのは、そこのところで、いわば非常にユニークな革命思想の持ち主として、そして自らを形成していくっていうようなところにいったわけですけれど。僕はヴェイユがドイツ問題に、まず最初にぶつかったっていうことは、非常に宿命的なっていいますか、運命的なことであり、またドイツ問題にぶつかることによって、いわばどこにも、なんのためにっていう場合に、なんのためにっていう意味合いで、どこにも頼ることができない。あるいは、どこにもいわば手をつなぐとこ、場所等を求めることができないっていうようなところに、思想的に追い込まれていったことが、ヴェイユにとって宿命的なことであったように思えます。つまり、いわば時代がヴェイユに課してしまった運命みたいなもので、どうすることもできないんですけれども。しかし、ヴェイユがもしも、そういう最も困難な、つまりヨーロッパの文化っていうものが最も困難な場所にぶつかったっていうところに、ヴェイユ自体が遭遇しなかったとしたらば、ヴェイユの自己形成っていうもの、あるいは思想形成っていうようなものは、また全然別なものとしていっただろうっていうふうに思われる。しかし、いわばヨーロッパの文明っていうものが、築きあげたすべての体制、国家、それから思想、文化っていうようなものの、いわば最も強固な、そして、最も重大な欠陥と、それから最も大きな達成とが、いわば一緒のところにあるっていうような、そういうところの本当に中核のところに、ヴェイユ自体がまずぶつかってしまう。そこで精一杯考えるんですけれども、しかし、それはどうすることもできないっていうところに、ヴェイユ自体は追い込まれていくわけです。
で、ヴェイユはそこで、いくつかの結論に到達します。いくつかの結論っていうのは、たとえばどういうことかっていいますと。どうも、ひとつはロシアなんですけれども、ロシアっていう国っていうのは、ロシアの国っていうのは、労働者の国家なんじゃないんじゃないかっていう問題を第一にぶつかるわけです。これはなぜかっていいますと、労働者がいわば、労働者を管理するものの国家機関によって牛耳られているっていうことをいう、ロシアっていうのは、労働者国家ではないんじゃないかってなことにぶつかるわけです。もしも、革命っていう、社会を変えるっていうこと、革命っていうことを考えるとすれば、革命っていうことは、この場合、政治革命ってことなんですけれども。革命っていうことはどういうことなんだっていうふうに考えていきますと、それは第一に軍隊とか、それから警察とか、それから割合に、永続的な管理機関とか、つまり国家機関ですね。官僚ですね。管理機関とか、官僚制とか、そういうようなものをとにかくやめてしまう、撤廃してしまうっていうことが、政治革命の第一義的な問題であるわけです。つまり、永続的な意味合いでは、もう軍隊も許さない。それから、警察も許さない。それから、存在を許さない。それから、永続的な意味合いの官僚機構っていうようなものも許さない。つまり、これは全部、労働者自身が自身の委員会っていうようなものによって、いわば統御されるっていいますか。そういう体制を作るっていうことが、それは政治革命の第一義的な問題なんだっていうふうに考えるわけですけれど。
その第一義的な問題っていうのは、たとえばロシアにおいて、レーニンがすぐにその考えをやめてしまった。つまり、変えてしまった。それは、レーニンの理由は、ひとつは国内に反革命的な軍隊、旧帝政ロシアの軍隊っていうようなものがいて、いつでも反撃の機を窺っているから、軍隊はやっぱり必要なんだっていうことで、軍隊を復活させてしまった。警察も復活させてしまった。それで、官僚機構も、たとえば西欧資本主義諸国に取り囲まれているんだから、やはり国家機関として永続的な体制を固めなければいけないってふうなことで、いわば国家体制っていう、官僚体制っていうようなものを強固に作り上げてしまった。そうすると、いわば革命っていうような問題はです、もうレーニン自体がすでに一等初めに自らを変えてしまったんじゃないか。つまり、革命の問題はすでにその時になくなってしまったんじゃないかっていう結論に、ヴェイユは到達しています。
このヴェイユの考え方は、非常に正統的な考え方です。これは情勢でもってやむを得ないんだっていうような言い方をやめるとすれば、原則的にそれ以外に、それは正しい考え方で、つまり、革命っていうことの第一義的な問題っていうようなものは、国家機関っていうものを壊すことだ。壊すっていう意味合いは、つまり軍隊を壊し、それから警察を壊し、そして、永続的な管理組織ですね。それを壊してしまうことなんだ。壊してしまって、それは人々の合議の上で成り立ち行われる。そういうものに変えてしまわなければいけないってなことが、第一義的な問題になるわけですけれども、その問題はなくなってしまった。
そうすると、なぜそれがなくなってしまったかっていうことが、ロシアの第一義的な問題だってことで、ヴェイユは、それはこうじゃないか。つまり、マルクスはたとえば資本主義社会は働く人と働かせる人との分裂が起こる。で、分裂が起こるっていうような問題については、マルクスは非常によくそれを考察した。しかし、そうじゃなくて、もうひとつ、そういう問題とは別に、どのような時代がどのような政治体制あるいは社会体制のもとでも、管理する人と管理しない人、それから肉体をもって働かして労働する人と、そうじゃなくて精神労働する人とそういう人との区別っていうようなものは、どんな体制になっても、それは残るのではないないか。もしこの管理体制っていうようなものが、どうしてもの残って、もし管理体制がいわば人々の実際的な働きっていうようなものを牛耳るっていうような体制が、どんな体制になってもあるっていうならば、これは永続的にどうすることもできないんじゃないか。つまり、管理体制っていうものの問題っていうのを、なんとか非常にまともに考えて、そしてそれをどうにかするっていうことができなければ、これは永続的に労働者が労働し、そして、管理するものが管理し、あるものは肉体労働で就労し、あるものはそうじゃないっていうようなことは、時代っていうようなものはどうしても達成できないんじゃないかっていうような考え方に到達するわけです。つまり、これは現在言われている。現在も言われているわけです。つまり管理社会論っていうようなことでさ、あるいは官僚制社会っていうふうな言い方で言われているわけです。つまり、管理の過剰とか、管理自体がそれは権力なんじゃないか、つまり人々を管理する機構自体が権力なんじゃないかっていうふうな問題として、人々がよく言うことなんですけれど。ヴェイユもあらゆる抜け道がなくなった時、つまり、あらゆる道をふさがれた時に、思想の道をふさがれた時に、やっぱりそういう考え方に到達するわけです。
で、この考え方は、現在も非常に行われている考え方ですから、ある非常に大きな普遍的な意義をもっているんだっていうふうに思います。この問題っていうのは、一時的な問題ではなくて、相当大きな部分で考えなければならない問題のように思えます。しかし、たとえば、僕らでしたらそこはそういうふうに考えないと思います。考えないで、革命っていう概念の中に、つまり観念とか、制度とか、そういうものの革命っていう概念と、それから、社会のメカニズムとか、形骸的な機構とか、そういうものを変えるっていう概念とは、その2つがありまして、ヴェイユはまさに管理過剰っていうようなこと、あるいは、管理権力っていうようなものは、どのような社会でもなくならないんじゃないかっていうふうに言ってる問題は、たぶんそれは観念とか制度とかの革命っていうような問題の中に解消できる問題で、つまりその問題は、たぶん永続的な問題でも、なんでもないんだよっていうふうに考えます。つまり、それはやはり政治過程っていうもの、あるいは制度の過程、あるいは人間の観念が生み出す機構の過程の問題であって、したがってそれは人間の観念の、つまり人間の考え方、あるいは、ちゃんとした言い方をしますと、意思っていうことなんですけれども。人間の意思の如何によって、意思の行使の仕方如何によって、それは、解決できる問題だっていうふうに、僕はそれを考えます。しかし、ヴェイユはまさにそのところで、管理過剰の問題、管理権力の問題っていうようなものがある限り、やはり労働者が解放されることも、民衆が解放されることもないんだ。で、いつでも働く人は受動的に、受け身でもって働かされて、自ら働くっていうんじゃなくて、受け身でもって働かされ、そして、それを管理する人間がプランを立て、そしてそれを管理するってなことは、どんな時代になっても、それはなくならないだろうと。その問題を解決しなければ、どうすることもできないんだっていうふうな結論に到達するわけです。
それで、もうひとつ、ヴェイユが一生懸命それでもって考えたことがあります。それは、戦争っていうことなんです。戦争っていうことについて、一生懸命そこで考えたんです。で、どういうふうに考えたかっていいますと。つまり、これは歴史的に考えていったわけですが、戦争っていうのはどういうことなんだっていうことを、歴史的に考えていったわけで、ヴェイユがそういうことを挙げていますけども。
まず、マルクスの場合には、戦争っていうものをどういうふうに考えたかっていいますと、もし2つの国の間に戦争が起こったとすると。で、戦争が起こった場合には、労働者はどうしたらいいんだっていう場合に、もし戦争をする一方の国が、いわば攻撃的な征服しようとする国家であり、そして一方の国が征服されようとする国家、あるいは、被害を受けて攻撃されようとする国家であるとしたらば、労働者っていうのは、自分の国がどうであろうと、攻撃的であろうとどうであろうと、要するに、征服しようとしている国家に対しては、敢然と戦わなくちゃいけない。もし自国がそうだとしたら、自国に対して戦わなくちゃいけないっていうふうな、それが、戦争っていうようなものに対して、そう簡単ではないんですけどね。で、そういう時には、労働者っていうのはどうしたらいいんだ。どういうふうに考えて、その戦争っていうのを考えていったらいいかっていう場合に、エンゲルスは、労働者の権利、あるいは労働者の解放とか、権利の拡充とか、あるいは労働者の奮闘とかってふうなものに対して、非常に好意的であり、非常に応援的であるっていうような、そういう国家を守るために、そうじゃない国家っていうのに対して、戦わなくちゃいけないっていう言い方をしています。つまり、労働者の権利を守っているような、あるいは権利を認めているような、そういう国家に対して、労働者っていうのは応援すべきだ。そうじゃない国家に対して戦うべきだっていうふうな、そういう言い方をエンゲルスはしているわけです。
たとえば、レーニンならレーニンはどういうふうに言っているか。どういうふうに戦争っていうものを考えているか、また、戦争っていう場合の労働者とか大衆っていうのは、どういうふうに考えたらいいかっていうようなことについて、どう言ってるかっていいますと。レーニンは革命的な戦争、つまり革命戦争以外の戦争に対しては、労働者っていうのは自国に、自分の国の国家権力に対しては、いつでも敗北主義で、つまり、自分の国の国家権力っていうのは、敗けるように敗けるように、そういうふうに戦わなくちゃいけないっていうふうに、レーニンはそういうふうに言っています。つまり、革命戦争とかいうもの、あるいはもう少し、レーニンの場合には範囲が広くて、いわゆる民族戦争っていうようなものも入るわけでしょうけれど。民族戦争とか革命戦争っていうもの以外の場合には、いつでも労働者とか大衆っていうのは、自分の国っていうのは、敗けるように敗けるようにやらなくちゃいけないってふうな言い方をしてるわけです。
で、ヴェイユはこれらの、いわばオーソドックスな革命家っていうようなものの、戦争に対する理念っていうようなものを検討しながら、自分の理念っていうようなものを、考え方っていうものを打ち出しています。で、それはどういうことかって言いますと、つまりヴェイユに言わせると、マルクスでもエンゲルスでもレーニンでもそうなんですけれども。その戦争観の中で、1つだけ共通点があるっていうことを言ってます。その共通点は何かって言ったら、戦争自体を止せっていうことは言ってないっていうことです。これだっていうことなんです。つまり、戦争自体を、戦争っていうことを否定していないってことなんです。つまり、戦争をやれやれっていうふうに言っていないんですけれども、戦争っていうこと自体を、三者三様ですけれども、否定はしていないっていうことが、三者の共通点だっていうふうな言い方を、そういうことをヴェイユは言っています。
で、そこからヴェイユの独特の、独自の考え方っていう、戦争に対する考え方が出てくるわけです。その考え方はどういう考え方かって言いますと、あらゆる戦争は、つまりそれは、革命戦争であれ、民族戦争であれ、戦争っていうのはいったい何かって言えば、それは管理者が、つまり、管理者っていうものは国家、つまり国家権力だって言ってもいいんですけれども。国家権力あるいは国家を管理しているものが、国家の機関っていうものを牛耳っているものと、結局、大衆との、大衆との戦いっていうようなものが戦争なんだって言ってるわけです。もっともっと具体的に言いますと、要するにある国が他の国と戦争をするっていう場合には、それがどんな国家権力であろうとも、つまり社会主義国であろうと、資本主義国であろうと、国家の権力を握っているその勢力とその国家の中における大衆との戦いだって言ってるわけです。つまり戦争っていうのは、その国家とその国家の中にいる大衆、国家の機関が国家の中にいる大衆を抑圧する手段っていうのが戦争なんだって言ってるわけです。もっとやさしい言葉を言いますと、ある国家の国家機関を占めているものが、社会主義勢力であれ、資本主義勢力であれ、その国家が大衆を、他人の国に殺させにやるようなものだ。やるっていうことが、戦争の本当の本質っていうのはそれなんだっていうふうに言っているわけです。だからつまり、そこにヴェイユが管理機関っていうものと、労働者っていうものとの分裂っていうようなものは解消しないんじゃないか。永久に解消しないんじゃないかっていうヴェイユの考え方が、そこに非常に色濃く出ているわけですけれど。いわば戦争っていうようなものは、大衆っていうものに対して、ほかの国がどうこうするっていうことじゃなくて、要するに自分の国の国家機関あるいは国家権力っていうものが、自分の国の大衆を殺させるっていうことが、それが戦争なんだっていうふうに言っているわけです。一見するとそれは、敵の国の人間が殺すように見えてるけども、それは本当は嘘だって言ってるわけです。それはいわば、永続的かもしれない管理者と被管理者の間の、その戦いっていうものが戦争になってあらわれる。しかもそれが、普通の戦いじゃなくて、普通の戦いならば労働者が敗ければ失業するとか、職場を追っ払われるとか、そういうことなんだけど。そうじゃなくて、敗ければ、大衆労働者っていうのは命を落とすっていうような、そういう意味合いの、要するに国家機関っていうものが自分の国の大衆ってものを抑圧する。それが戦争なんだっていうのが、ヴェイユの戦争に対する考え方なんです。
で、その根本、なぜそういう考え方が出てきたかっていうと、それは、ヴェイユの根本的な思想である。いわば管理者と被管理者、あるいは管理勢力、権力っていうものと管理されるものとの、いわば対立と分裂っていうようなものは、非常に大きい、あらゆるものが解決された後にも残るような大きい問題じゃないかっていうヴェイユの考え方から、それは当然出てくるわけです。
それからもうひとつ、ヴェイユの考え方があるわけですけれども。もうひとつの考え方は、これは普段ならば、労働者が機械に使われるとか、労働者が機械に使われちゃうんだとか、コンピュータに使われちゃうんだっていうような、そういうコンピュータみたいな管理機関とか、機械とか、労働手段ですか。つまり、生産手段である機械とか、それに人間が使われちゃうっていうようなのが、この管理機構の特徴だとすれば、戦争っていうのは、いわばどういうことかって言いますと。戦争っていうのは、武器に、つまり兵器っていうような物、要するに兵器という物そのものですね。物とか機械とかそういうものに、人間が使われちゃうっていうことなんだ。つまり、人間が殺されちゃうとか、使われちゃうっていうようなものは、それが戦争なんだっていう見方がもうひとつ出てくるわけです。これ、ですから、管理するものあるいは管理する機械っていうもの、これは機械でもおんなじなんですけども、管理する機械っていうようなものに、人間が使われちゃうとか、抑圧されちゃうっていうようなことが、いわば非常に極度の形であらわれてくるのが、それが戦争なんだ。だから、あらゆる戦争は、全部だめだっていうようなのが、つまり、あらゆる戦争は全部だめなんだ。つまり、正義の戦争があり、不正義の戦争があるっていうようなことが、あるいは労働者、大衆を開放する戦争があり、そして、解放しない、つまり抑圧する戦争があるなんていう、そういう戦争観っていうのは全然だめだっていうような考え方に、ヴェイユは到達するわけです。
だから、たとえば現代みたいに管理機関、機械である、あるいは兵器である原子爆弾みたいなものがあるとすれば、これは最大の抑圧する機械であるわけです。これをいわばボタンひとつで操作できるっていうような権力が、国家機関があるとすれば、それは最大の抑圧者である。だから、こんなものをやる戦争なんていうものは、どんな名目を付けても全部だめなんだっていうような考え方に当然なるわけです。
で、たぶん僕の考えでは、このヴェイユの考え方は、徹底的に考えた場合には、非常にユニークであり、かつ、たぶん現在において唯一、現在、様々なことが起こっています。たとえば、社会主義国と社会主義国が戦争しているとか、様々なことが起こっていますけども。また、原子爆弾をどうするかっていうようなことも起こってますけども、つまり、現在の情勢に照らしても、あるいは、これからの情勢に照らしても、なおかつ滅びないっていいますか、なおかつ滅びない戦争観っていうようなのが、たぶんヴェイユの考え方だけだろうっていうふうに僕には思われます。だから、ここでは非常にヴェイユは画期的なっていいますか、現在でも、なお古びない考え方っていうようなものを、非常に早い時期に、つまり第一次大戦の後ですけれども。非常に早い時期にそういう考え方に到達してくってことがわかります。それで、ヴェイユのその戦争に対する考え方っていうようなものは、当然それは、革命っていうようなものに対する考え方に対しても、当然適用されてくるわけなんです。ですから、革命の問題っていうようなものを提起する場合に、革命戦争っていう概念で革命が行われるってことはありえないんじゃないかっていう考え方がヴェイユに出てきます。
それから、もうひとつは先ほど言いましたように、革命っていうのは何なのか。何なのかっていう場合に、要するに、国家っていうようなもののバランスを牛耳るってなものをなくしてしまう。それから、警察力っていうようなものをなくしてしまう。それから、だれもが固定して、永続的であるような、そういう官僚機構っていうようなものを全部なくしてしまう。それは、自由に、そして選ばれた大衆の、自由に交代制でそれを運営することができるような、そういうようなもの。あるいは、それができないならば、そういうようなものが制御する、統御することができるようなメカニズムにもっていくっていうことが革命であるから、少なくとも、この現在、地球上において、労働者の国家であるとか、労働者が解放されている国家であるとか、労働者を開放してる国家とか、そういうようなものは、地球上には全く存在しないんだっていうような、そういう考え方に到達します。
これを、存在せしめるっていうようなことは、たぶん不可能に近いんじゃないかっていうような、いわばヴェイユの第一の絶望感っていうような言い方をしますと、第一の絶望感っていうようなものがあらわれます。つまり、これはあらゆる手段を労しても、ちょっと不可能なんじゃないかな。つまり、労働者が解放されるって考え方っていうのは。労働者が、政治革命っていうようなものによって解放されるっていうような考え方、あるいは、革命戦争っていうようなもので解放されるっていうようなことは、不可能なんじゃないかっていう結論に到達します。
で、これがヴェイユを、非常に考え方を、考え方の場所を、変えさせていった第一になってるんだと思います。つまり、最初の兆候だっていったらおかしいんでしょうか。最初にヴェイユが自分の考え方を変えていった。考え方の関心の置き所ってなものを変えていった最初の転回点っていいましょうか。それは、そういうところにあったっていうふうに考えます。
そこで、ヴェイユはどういう考え方、どういうふうに考え方を変えていったかっていうことを申し上げます。ヴェイユにとっては、政治思想的に、あるいは経済思想的に、あるいは社会思想的に、社会を変えていくっていうようなもの、社会を変えていく確固とした論理、理論、理念っていうようなものは、少なくとも、ヴェイユにとっては、すべて絶望的だっていうふうなところにヴェイユ自体は到達していきます。それで、その到達の仕方っていうようなものは現在でも、検討に値するものです。それから、なおかつ現在でも、ロシア共産党、あるいはロシア国家、および、ドイツ共産党、ドイツナチズムっていうものに対するヴェイユの分析とその考え方っていうようなものは、現在でも、なおかつ死なないものだと思います。それは検討に値する考え方をそこで出しています。つまり、これは、いわば考え方として、たぶん社会思想的に、あるいは政治思想的に、不朽の意味をもっているってふうに思います。たぶんここら辺のところで、ヴェイユはそこで、いわば第一級の政治思想家であり、社会思想家であることのところにいったわけですけれど。残念なことに、ヴェイユがそういうところに到達したときには、ヴェイユがすでに絶望的であった。社会思想および政治思想の系譜に対して、すべて絶望的になってたっていうことがいえると思います。
そこで、ヴェイユの、考え方をどこに求めたかっていうことが問題になります。ヴェイユが第一にその考え方を変えてった考え方。いわば、考え方を個っていうところから考えよう。つまり、個の解放っていうようなところから考えようっていうふうに考え方を変えていったんです。いずれにせよ、革命の最終の到達点、あるいは理想的社会の最終の到達点っていうのは何かっていえば、それは、個々の人間が全く解放されることだっていうことに対して、それは間違いないことで、その過程がどういう過程を通るってことについては、様々な理念と思想がありえますけども、究極のところにおいては、すべての個が解放され、自由な考え方をもちいる社会っていうようなものの実現っていうようなことが、すべての社会思想、革命思想っていうようなものの、いわば共通点ですから、っていうことから、つまりヴェイユが、逆に個の解放っていうようなものの理想状態っていうのは、どう考えたらいいのかっていうところに、考え方を変えていったわけです。
そうすると、どういうことが言えるかっていいますと、たとえば個を支えてくれる物質的な条件、あるいは生活的な様々な条件、経済的な条件っていうようなものが、その個にとって、自分の考え方のとおり実現できるっていうような。そういうふうな社会が、理想であり、そういうものが人間にとって、本当の自由だとすれば、そういう社会っていうようなことを、望むっていうことが、またはそういう社会を実現するための、そういうことを実現するための手段を探求して、追求していくっていうことが、個にとって、思想にとって重要なことなんじゃないかっていうふうに考え方を変えていったわけです。だから、究極的に言えば、そこのところで少し、あいまいですけれども。最初に神っていう概念が、最初に登場してきます。
もしも、個っていうものが自分の考え、思考とか観念ですけれども。自分の考えによって自分を支える、自分を支える生活条件とか、経済条件を実現できる。で、その自分を支える生活条件とか、経済要件を自分が実現できる。しかも誰の助けも借りないで、自分の思考、観念、考え方だけで、それが実現できるとしたらば、それが本当の自由であり、それでそういう実現するっていうことは、いわば神っていうものの考え方を模写していることになるんじゃないかっていうふうに考えるわけです。つまり、神っていうものが完璧であり、それは人間に対してあらゆる自由っていうようなものを実現させるっていうような、させてくれる摂理をもっているものだとすれば、個の人間が自分を支える生活条件、生命条件、経済要件っていうものを、自分の観念だけで、自分の思考力だけのプランに従って、計画に従って、それが実現できるとすれば、そういうふうにして実現できたっていうようなものは、神の考え方の模写ではないか。つまり、代理をしていることになるんじゃないかっていうような考え方をしていきます。
で、この考え方の中で、はじめて、いってみれば神っていうようなものの概念が出てくるわけです。ここいらへんのところで、多少とまどいも感じるわけです。僕はとまどいを感じるわけです。そのとまどいを申し上げますと、ひとつは、僕の考え方、たいていの思想っていうのはだめじゃないかって思ってるんですけどね。僕の考え方は、ちょっと違うんですよ。個が個に対して自由であるっていうことと、自由であるそういう観念の世界っていうものと、それから個が他者に対して自由である。あるいは他者と関係ともつ、他者っていうことは他のひとりっていうことですけれど、他のひとりと関係をもつ観念の領域っていうもの。それは、セックスとかエロスとかっていうものの領域なんですけれども、そういうものと、それから人間が共同的に、共同的なものとして、自分の考え方をおこなっていく、そういう観念の領域っていうようなものは、ひとりの人間でも別々の領域だ。あるいは、次元の違う領域だっていうふうに考える以外に救いようがないんだっていうふうに、僕はそういうふうに考えていきましたから。つまり、あらゆる社会思想、政治思想っていうようなものに、絶望していった時に、個の全き自由っていうのは、人間の自由とはなにかっていうようなところから考え方をしていって、それから様々な条件を考えていくっていうヴェイユの考え方っていうようなものは、ちょっととまどいを感じます。つまり、僕だったらそういうふうに考えていかないなぁっていうふうに思うことがあります。思うところで、とまどいを感じます。
それから、もうひとつのとまどいはなにかっていいますと、神っていうことなんですよね。ヴェイユがもともと出発したのは、マルクスであり、エンゲルスであり、レーニンであり、そして、トロツキーであり、フランスでいえばプルートンとかサン=シモンとか、つまり社会思想家でしょ。つまり社会思想であり、政治思想でしょ。それをヴェイユが出発点としていったわけなんですよ。そうすると、大体においてその系譜の思想っていうようなものが、もとをただせば、ヘーゲルから始まるんですけれど。その系譜の思想っていうようなものは、神っていうものに対しては、神とはなにかっていうことに対しては、一応は解決をつけているわけなんですよ。で、僕がとまどいを感じるっていうのは、ヴェイユがそういう思想から出発したわけだから、神とはなにかっていうことに対しては、相当知っているはずなんですよ。その系譜の思想が、到達しているところの、それからどういう考え方をするかっていうことも知っているはずなんですよ、じゅうぶん。だから、もしもヴェイユのいうように、神っていう概念がそこで出てくるんだとしたらば、ヴェイユ自身が神とはなにかっていうことに対して、自分の従来の考え方、やはり革命とか戦争とかっていう概念と同じように、自分の神っていう概念に対して、神とはなにかっていったら、それは、人間の内面の無限性だっていうこと、内面の無限性が神なんだ。つまり、個の内面の無限性っていう概念が、それが神なんだっていうことを、考え方を、その系譜の思想はとりますから、神っていうものは人間の内面性なんだっていうこと。それから、人間の内面性を見出したものだ。しかもただの内面性じゃなくて、人間の内面性は無限の領域を切り開くことができる。その無限の領域の果てのところに、神っていう概念が生み出されるんだっていうようなことは、すでにヘーゲル、マルクス系統の考え方というのでは、十分にそのことは、それなりに考え尽されているわけなんですよ。ですから、ここでヴェイユが神っていう概念をもってくるならば、もってくるとすれば、そういう概念が、系統の神っていう概念がどこに違いがあり、どこに違いがあるんだってことについて、十分な思想的な検討を指し示さなければいけないはずなんですよ。でも、僕の見たところでは、僕が追跡したところでは、どうしてもヴェイユの神の概念っていうものは、唐突な概念として出てくると思います。ですから、ヴェイユがここで神っていう概念を出してきても、無限の自由っていう概念のところで、神っていう概念を出してきても、それは言い換えれば、その神っていうのは人間の内面性の無限っていうこと、人間の意識の無限性っていうことの説明にほかならないよっていうような言い方をしてしまうと、それで、この場合には説けてしまうところがあるんです。そこのところはヴェイユが一生懸命、神の問題っていうようなものについて、自分の考え方を指し示さなければいけないのですけれど、少なくても、それがある程度、考察が進められるのは、非常に晩年に至ってなわけです。ここのところが、僕の考えでは、きわめて唐突に神っていう概念と自由っていう概念が結び付けられて出てくるっていうようなことを言うことができます。
ヴェイユがこのように、すべての社会思想、それから、政治思想あるいは経済思想ってなものの系譜に、いわば絶望と感じた時に、ヴェイユはどこに結論を求めていったかっていいますと、それはそこからなんですけれど、ヴェイユは自ら志願して、女子の工員さんになるわけです。工場に働きに、肉体労働で工場に働きに行くわけです。働きに志願するわけです。で、工場に働きに行くわけです。工場に働きに行って、そして、僕はとてもそれがヴェイユっていう思想家の、ヴェイユっていう思想家であり、女性なんですけども、女性の痛ましいところであるし、真剣なところだと思うんですけども、ヴェイユはそこであらゆる社会思想、大衆を開放する思想ってなものの系譜に全部絶望した時に、自分が志願して、女工さんに、工場に働きに出るわけです。
で、工場に働きに出て、まったく同業の女工さん並みの条件で、まったくそのとおりに働くわけなんです。そういう過程っていうようなものは、いわばそういう働きに出る女工さんとして働くっていうようなそういう過程で、ひとつひとつ当面してく、で、身につけていく、あるいは感じてく、その問題っていうようなものに対して、ひとつひとつ解決を与えていこうっていうような、そういう努力の、いわば痛ましい過程っていうふうに言うことができるわけなんです。で、ヴェイユはそういう生き方をしていくわけです。これは並大抵のことでしたら、ソルボンヌの大秀才の女性がいい気になって、労働者かわいそうだみたいないい気になった同情心で、女工の真似事をしてっていうようなことで、馬鹿にする以外に方法はないっていうようなことにはなるんですけど、ヴェイユの女工さんになり方っていうのは、はるかに、そういう馬鹿にするっていう領域をはるかに超えるわけなんですよ。つまり、徹底的なわけなんです。徹底的ななりきるってわけですよ。なりきってしまうわけなんです。だから、さすがに、馬鹿だ馬鹿だっていうふうに、もの好きな周りの労働者たちが、物好きな女の人が、インテリが、馬鹿だ馬鹿だっていうふうに思いながら、それでなにかやらせると不器用でしょうがないわけですよ、ヴェイユっていうのは。だから、馬鹿だ馬鹿だって思いながら周りの労働者っていうのは、なにかっていうと手を助けてやるっていうようなことになってしまうわけです。それで、労働者っていうのは、ある労働者は、本当に感心しちゃうっていいますか、本当にヴェイユを崇拝してしまう労働者も出てくるわけなんです。それで、それはまったく徹底しているわけです。どんな特権的な条件も、どんなあれもしないわけです。しないし、まったく同じようにやって、もうへとへとになってくたくたになってしまうわけなんです。そこまで、やってしまうわけなんです。
で、そういうふうにやって、やることの中に、やることにどういう意味があるのかっていうことは、また○○○○から別なんですけれども、しかし、ヴェイユはやってしまうってことは、やってしまったってことは非常に確かなことなんで、そこからヴェイユはひとつひとつの解決の問題と、それから大きな解決の問題と、2つを、そこから掴んでいこうとしていくわけなんです。
で、そこでヴェイユが、くたくたになってへとへとになって、それでなにも考えられないっていうような、そういう日々の生活になっていって、それで、ヴェイユが感じたことっていうのは、どういうことかって言いますと、それはヴェイユが、それは非常に決定的な問題、ヴェイユにとっては決定的なことなんだったと思いますけど。人間っていうのは、自分は、はじめは、こういう中でひとつひとつ自分が行き詰ってしまった問題のところからも、ひとつひとつ自分が身に感じたものを解決していこうとか、労働者っていうのは実際、外からじゃなくて、体験的に何をして、どういうことになっているのかっていうのを、身をもって知ろうぐらいなふうに考えいったけれども。で、自分がいちばん気が付いたことは何かっていったら、要するに自分がそういうふうにして、まったく同じように、ほかの労働者と同じように働いたら、意外なことに、自分は反抗心を持ったり、敵愾心を持ったり、反体制的なっていいますか、反体制的な敵愾心を燃え上がらせるっていうふうに、自分でも思うところがあった。そうなるかなって思ったところもあるんですけれど、意外や意外、自分がそういうところに、ぎゅうぎゅうに職制に抑えつけられて、暇もなく精神つくりに洗脳させられちゃって、そういう状態に、むちゃくちゃに働いてあれした。そういう過程で、自分は意外なことにそういう状態に対して、自分は反発しないで、それを受け入れたっていうことが意外だったっていうことなんです。つまり、人間っていうのは、そこで反発、本当に隷属状態に、にっちもさっちもいかないような、つまり目も口も開かないっていうような状態に陥ると、状態に置かれると、そのこと自体を受け入れてしまうものなんだ。つまり、反発するのではなくて、それを受け入れてしまうんだっていうことがはじめてわかった。自分は素直になってしまったって言ってるんです。つまり、自分はある意味で非常に素直になってしまって、この抑圧っていうのを受け入れる。つまり、あたかも古代の奴隷っていうものが、奴隷としてこき使われるっていうことに、いわば嬉々としてこき使われるみたいに、こき使われるっていうのはそれと同じように中へかいくぐってみたら、自分は心からそのことを肯定し、そのことをいわば受け入れているっていうような、そういう心の精神状態に自分はなったっていうことが自分にとって衝撃だっていうことを言ってるわけで、そのことが、たぶんヴェイユの工場で働いて体験したところでいちばん大きな問題、ヴェイユの問題っていうのは、ヴェイユの体験の核になっているものはそのことなんです。
で、このことは、僕はヴェイユっていうのは偉いな、やっぱり優秀だって思うんです。ふつうごく一般、外側から考えると、そういうふうに考えられないんですけどね。つまり、外側から大きく掴みますと、労働者の状態っていうようなものは、非常にきついんだっていうような状態、悲惨なんだっていう。で、労働者はたぶん悲惨も感じているだろう。悲惨も感じているわけです。感じているだろうって、だれでも外から考えるのとは違って、そのこと自体を肯定もしているんだっていう精神状態っていうか、心理状態っていうのも、同時にあるっていうその掴み方っていうのは、非常に正当な掴み方だっていうふうに思います。
それからもうひとつは、ヴェイユはそれを、そういうことを口にしてないんですけども。つまり知識っていうことなんですけども、知識っていう、みなさんは学校でしょ。僕も学校出たんだけども、知識っていうものは非常に富なわけなんですよ。知識っていうものは、それ自体が富なんですよ。つまり、知識っていうのは救うんですよ、人を。ある事柄を知っているとか、教養をもってとかいうことは、それ自体が救うんですよ。救いなんです。そのことが、いわばその中にいるときにはわからないし、ごくふつうだから、当たり前のことだっていうように思っているんだけれども、それはいわば救済なんで、そのこと自体が救済なんですよ。
だから、僕もね、僕はそんなヴェイユみたいに、しっかりした確固たる理念があってじゃなくて、僕は学校出た時、敗戦直後の、いわばヴェイユのいうドイツのあれとおんなじようで、つまり職がないわけです。で、新聞広告でまぁ、しょうがないから町工場へ行ったんですよ。そしたら、やっぱりひどいわけですよ(会場笑)。ひどいわけですよ。で、つい1か月ぐらい前に学校でみんなとだべくって、なまけて、だらけて遊んでたなぁっていうのは、もうはるか夢の出来事の世界で(会場笑)、遠い風景になって、1か月も経たないうちにそうなっちゃうんですよ。それで、そうなってきついし、そうなるんです。そして、やっぱりここがちょっとこの世には地獄っていうのはあるぜっていう感じなんです(会場笑)。だけど、全然そんなもの地獄でも何でもないと、なんでもないんですよ。なんでもない町工場なんです。町工場で昼夜交代で、夜勤になって、いろんなあれを創起しちゃえば、あとは寝てたっていいわけで、それを出すまでは寝てもいいわけなんで、寝てるとやってきて怒るわけです。寝ちゃいけねぇってわけなんです。寝たってもう終わってんだからいいじゃねぇかって言うと(会場笑)、いやとにかくそれは油を扱ってるんだから、火災のあれがあるから絶えず起きていなきゃいけない。だから、完全なる徹夜なんです。それを交代で2日置きぐらいにやってると、これはかなわないねっていう。ところが、やっぱり意地っていうものがありますから、一緒に交代で働いている工員さんに、だいたいこんなの文句を言わないなんておかしいじゃないかって、けしかけるわけですね(会場笑)。どうして文句言わないんだって、それじゃあ、言ったってしょうがないですよって言うわけなんです。それで、非常に平然としているわけで、もちろん体力も違うんですけれど(会場笑)。平然としているわけです。で、おもしろくねえなぁって思うんですけれど、しかし、だけどやっぱりプライドがあって、こいつはできるだろう俺だってっていうふうにやるわけですけれど。しかし、僕はまいってしまって、3か月くらいで、体を壊したって覚えてるんですけどね。
つまりそうなってくると、知識ってそこで非常にわかるんです。僕はヴェイユのあれはわかりますけれど。僕はその時、くだらないから、僕自身はくだらないから、それを体得しないわけです。俺は非常に素直になったなぁっていうふうに、自分はならなかったんです(会場笑)。僕自身はそうなって、後々まで僕は、あの工場のおやじさんと町で会ったらただじゃおかないと(会場笑)、後々までそういうふうに思ったくらい反抗心を燃やしたんですけれど。しかし、僕もやっぱり体験的にはわかりましたけど。つまり、ああそうか、こういうのは平気でやってるっていうことなんだよなっていうこと。つまり、もし人間に、ある場所で、あることで最大限に、ある体験で感じなければならないことの範囲が、ある範囲があるとします。最大限の範囲があるとします。しかし、人によっては、そのことをたとえば、労働者っていうものは、それを全部感じているかっていうと、そうじゃないことがあるんです。その場合、全般的に完全にその状態を全部感じ体得し、そして考えたら、たとえばこれだけの範囲があるとすれば、労働者はこのくらいの範囲を考えている、あるいは感じているから、だから言ってみれば、我慢していられるんだなっていうことはあるわけなんです。
しかし、逆に言いますと、これだけのことを、これだけ感じなければならない最大限の問題は、たとえばこれだけたくさんあるとすると、しかし、これだけたくさんあるから、これだけたくさんあることをただちに行使するっていうことは、どういう結果をもたらすかっていうことは、また別問題なんだ。つまり、どういう結果を大衆のために、労働者のためにもたらすかっていうことは、まったくそれとは別の問題だっていうことも言えるわけなんです。だから、その観点からすると逆に、これだけ感じなければならないたくさんのことがあるのに、労働者が感じていることは、いわばこれだけのことだっていうのは、それは労働者が鈍感なんじゃなくて、そのことの中にたくさんの意味が含まれているっていうこともまたありうるわけなんです。
しかし、しかしですよ、もし人間に知識という富というものが、もし備わっているとするならば、それが大事なもの、知識という富が大切なものだとするならば、労働者だってこんだけのことしか感じられないところで、これだけの全部のことを感ずるっていうふうになることができるわけなんです。また、インテリっていうようなものは、知識についてはいわば無際限に拡大する能力と、それから想像力っていうようなものを行使する。たとえば、部分的でありますけれど、行使する自由っていうのは、一時的でありますけれど、自由っていうのをもっているわけです。だから、その自由っていうようなものは、やっぱり問われなければならない。どういうふうに問われなければならないかっていうと、その自由っていうのは無限大にまで拡大しなければならないっていう、そういうことを絶えず問われているんですよ、インテリっていうのは。つまり、インテリゲンツィアあるいは知識っていうものが問われるっていうことは、これだけしか感じない人が世の中にはいるんだぞっていうことを、そういうことを知らなくちゃいけないっていうことはどうでもいいんです。つまり、悪いことじゃないんですけれど、それは第二義的なものなんです。知識にとっては第2番目のことなんですよ。知識にとって最大限に重要なことは、無限大に、知識っていうのは無限大に感じ、それから、無限大に想像力を働かせ、無限大に考えるっていう、そういう知識っていうのはいわば、議論をもってるぞっていう、それが知識にとっての課題なんですよ。知識のためにいろいろな、たとえば経済的な制約のために、労働者、大衆っていうようなものは、これだけしか感じられないんだよ、かわいそうなんだよっていうようなことを、なにも同情はするなんてことはどうでもいいわけなんですよ。つまり、どうでもいいっていうのは第2番目のことなんですよ。しかし、そうじゃなくて知識っていうのは、本当は無限大に感じなければならない。あるいは無限大に考えなければならないのに、たったこれだけのことしか考えることをしていないとすれば、それは知識が問われるわけなんです。知識の怠慢っていうようなものは、そこで問われるわけなんです。だから、知識っていうのは、その時代の人間が感じている自由っていうものを、自由の範囲っていうようなものを感じているとすれば、その範囲を同じ時代の人が感じているよりもはるかに多くの自由っていうようなものの範囲を感じ、考えなければならないっていうものが、知識にとって第一義的なことなわけなんです。
つまり、その観点から言いますと、僕はヴェイユっていうのは、そこがダメなような気がするの。僕の考えでダメだっていうんですよ。ダメなような気がするんで、つまり僕とは違うなって思うの。考え方が違っているなって思うの。なぜかっていうと、ヴェイユはそこで、無際限の知識っていう富を自分が持っている。しかも、ヴェイユっていうのはソルボンヌの秀才ですから、当代の第一級の知識人ですから、なおさら罪を感ずるわけですよ。罪なんです。知識を持たない人に対して、あるいは、制約された場所でもって働いているそういう人たちに対して、無限大の罪を感じていたわけなんです。だから、そこに無限大に自分を同化していくことによって、なにかを獲得していこうっていうふうに考えていくわけなんです。
で、この考え方、決して僕は馬鹿だとかなんとか言いませんけれど、しかし、僕はそれは違うと思います。ヴェイユの考え方の中で、違うところがあるんです。違うと僕が思うところがあるんです。それは、ヴェイユだけじゃなくて、宮沢賢治なんかでもあるんですよ。似てるところがありまして、つまり、知識っていうものは罪悪だって、つまり、知識っていうものに罪を感じるっていう観点があるのですよ。宮沢賢治にもあるんですよ。自分を無限に超人的なところに追い込んでいくわけです。この追い込み方っていうのは、非常に宮沢賢治とよく似ているんです。
しかし、その考え方は違うと僕は考えます。こういうことを宮沢賢治でも言います。宮沢賢治の詩の中にも童話の中にもしきりに出てきますけれども。自分も農学校の先生をしてましたから、宮沢賢治は生徒たちに与える詩みたいのがありますけど、君たちがのっぱらに出て、畑や田んぼに出て、それで、ひとつひとつ耕しながら、そして、身につけていく、そういう学問の方が、学校行ってテニスをしながら教わるような、そういうものに比べたら、本当の学問っていうのはそういうのだっていうような言い方を、宮沢賢治もします。
しかし、僕はそうじゃないと思ってる。それは間違いだと思っています。つまり、知識っていうものは、いったん拡大した、獲得した、人類が獲得した、人類の誰でもいいんです。最大限に獲得した知識、あるいは感受性、そういうものは、それが一見退廃的であろうとなんだろうと、いったん獲得した精神の範囲っていうものは、逆に戻るっていうことはありえないのです。つまり、これを逆に戻すことはありえないのです。そういうことはないのです。知識っていうのは技術よりも、科学技術よりも、もっと確かなんです。科学技術っていうものは、やっぱり人間が統御すれば、わざとシンプルな機械を使ったりすることはできる。そういう社会を作ることもできるんです。しかし、知識だけは、いったん獲得された、人類の時代が長い間あれして獲得した知識の範囲っていうものは、これをせばめることはできないのです。だから、これを乗り越えるためには、それよりもより大きな自由っていうもの、より大きな感受性、想像力、それから思考力でもって、これを包括する以外に知識がそれを乗り越える道っていうのはないのですよ。ここのところが非常に重要なんです。
つまり、ここのところで、僕たちは、いつでも大衆っていうようなことを考えたり、あるいは貧困っていうことを考えたり、あるいは虐げられし人っていうものはどうなってるかとか、あるいは圧制されているものっていうようなものを考える場合に、いつでも突っかかってくることは、そこなんです。そこの問題です。そこでいつでも突っかかります。そこで、いつでも岐路に立たされます。知識っていうのはいつでもそこで岐路に立たされます。おまえはこういう人たちがいるっていうことを理解するところに、おまえは理解力を行使したり、また、その中に飛び込んでいかなければならないっていうような言い方が一方でなされます。しかし、一方でそのなされ方、言われ方の中に、一種のいつでも欺瞞が含まれます。いつでも一種の、どう言ったらいいんでしょうか、この息苦しさっていうのは名付けようがないけれど。しかし、それは間違いであろう。感覚が告げるところでは、それは間違いであろうっていうものが、いつでも付きまといます。それで、いつでも当面するものは、いつでもおんなじです。だからその気張っている中で、気張っているところで、ヴェイユがヴェイユなりに、知識の課題を無限の罪のところにもっていくわけです。
しかし、僕の考えではそうではありません。宮沢賢治もそういうふうにもってきます。だから、自らも超人的に自分も超人的なところに追い込んでいくわけです。しかし、それで潰れるわけです。潰れてしまうわけです。それは壮絶な潰れ方ですけども。しかし、僕はそうじゃないと思います。僕は、それは違うんだと思います。それはどこが違うんだって言うと、今言いましたように、知識っていうのは、いったん人類が獲得された知識、あるいは感覚とか思考力っていうようなものは、絶対にそれは逆戻りはしないっていうことなんです。だから、これに対して対立する知識を持ってきたってダメだっていうこと。これを克服するには、あるいはこれを総括してしまうには、これを無視して否定してしまうには、これ以上に知識を、あるいは感受性、想像力、思考力の範囲を拡大する以外に方法がないっていうことなんです。
だから、そこのところでたぶん、ヴェイユの考え方っていうのは、一種の凄まじい倫理観に追い込まれるっていいますか、そういう最初の兆しっていうようなものが、そこで現れてきます。これがたぶんヴェイユが当面した工場体験って言いますか、工場生活で体験したいちばん大きな問題なわけなんです。それでたぶんこういうところで、ヴェイユは何をしたかっていいますと。ひとつひとつたとえば、労働者っていうものに、知識や判断力や、それから教養とかゆとりとかっていうのを与えるには、どういうやり方をしたらいいんだろうかっていうのは、どうやったら日々の息苦しさっていうところから自分を一時的にであれ、自分を開放するみたいな、そういうことをどうやったら実現できるだろうかっていうことをしきりに考えていきます。
そして、その考えていったところで、ヴェイユはある意味非常にヒューマニズムにとんだ工場の工場長あるいは自治長みたいな人がいるわけです。その人が、労働者を教化するためにっていいますか、教育するためにっていいますか、教養を付けるためにっていうことで、雑誌を出したりしているところがあるんです。それで、ヴェイユはそれに心身腐乱になって、自分をそこに参加させてくれって言うわけです。自分はギリシャ悲劇の問題について、問題点について労働者に対して書いていたんだっていうようなことを訴えて、そこに協力させてくれないかっていうふうに訴えるわけです。
そうすると、このヴェイユの考え方は、一種の社会民主主義的な考え方でっていうことになるわけです。つまり、工場の管理者っていうとか、工場の責任者とか、そういう地位にある人と、いわば手をつないで労働者の教化、教育とか、それから知識の獲得とか、そういうことに協力するっていうことですから、いわゆるこれを社会思想的に見てしまったらば、社会民主主義的であるヴェイユっていう人は、自分のラジカルな思想っていうようなものを放棄してしまったっていうようなことに、外側から見ると一見するとそういうふうになるわけですけれど、ヴェイユが意図してやったことは、全然そういうこととは違うんです。
つまり、体験的に出てきた問題から、労働者がいちいち当面してくる問題っていうのがあって、その問題に対して、どのようにひとつひとつの小さい問題、小さくてしかも非常に微妙な問題で、これは外側からどうしても掴めないような微妙な問題がある。その問題を、どうしたらそれを解きほぐすことができるかっていうような、そういう問題に当面して、そういう問題に対して、ヴェイユなりの適応の仕方をしていったっていうことが、その過程であるというふうに言うことができます。だから、一見外側から言いますと、ヴェイユもラジカルだった初期に比べてずいぶん変わってしまったなっていうことになるわけですけれども。しかし、そういう意味合いと別にヴェイユはひとつひとつのしかも外から、つまり、社会運動家とか、政治運動家からは決して見えないような、決して体現できない、見えないような、微妙なしかし、そこがスッと解決されれば、スッとスムーズにいっちゃうみたいな、そういう微妙な問題があるわけ、その問題に対してひとつひとつ解いていこうっていうような、解決していこうっていうような、そういう考え方っていうようなものをひとつひとつ確かめていったわけです。で、これはたぶんヴェイユの工場体験っていうようなものの非常に大きな意味合いになります。
もはや、このところで、僕は、必然的にそうなるに決まってんだっていいますか、そうなるに決まってんだっていうふうに言えるところが、先ほど言いましたように、知識っていうようなものを解決するために、問題を解決するために、自分が徹底的に女工さんになってしまったっていうような、そういう過程で、知識の問題に対して、自己自身に対しても、自己自身をも救い、そしてそこからなにかを、知識の問題を、普遍的な問題を導き出そうみたいなふうに考えた時にすでに、ヴェイユにとっては、さらに違う、言ってみればヴェイユの神の問題とか、信仰の問題っていうことになるわけですけれども。その問題は出てくるに決まってるっていえば決まっているわけですけれども。その問題が明らかに、明瞭な形で、さらに明瞭な形で出てきたっていうふうに言うことができます。それは、そんな言い方もできるわけですけれども。そこのところで、ヴェイユがそのころ打ち込んだ特殊体験みたいなところから、その問題を問うていきますと、ヴェイユはここのところの末期ではすでに、カトリックの恩寵とか、救済とか、それから神の認知とか、そういう問題について、ヴェイユは自分の考えを、明らかに自分の考え方を提出するっていうようなところに、ヴェイユ自身は工場体験を、苦しい体験っていうようなものを契機にしながら、そういうものを打ち出そうとして、打ち出していたわけです。
で、その契機はどういうところで、その問題を捉えたか、あるいは捉えたらいいかっていいますと。それは、ヴェイユがこの頃、民俗学とか、人類学とか、あるいはもっと簡単に言えば、民話思想みたいなものに、少し打ち込んでいたことがあるんです。その民話っていうようなものの打ち込み方の中から、その問題をヴェイユは導き出したっていうふうに考えて、一番考えやすいのは、そういう考え方をしてみますと、どういうことかっていいますと、民話っていうようなものには、大体、2つぐらいパターンがあるんです。それは万国共通なんです。万国共通だっていうことは、つまり、民衆が古い時代から、大昔から語り継いだり、創り上げたりする物語っていうようなものは、大体おんなじことを指すわけだっていうことを意味するわけなんですけれども。つまり万国共通に、民話にはいつもパターンがあります。
そのパターンはなにかっていいますと、ひとつは日本流に言いますと、貴種流離譚っていうものがあるんですよ。身分の高い人が非常に苦労して、諸国を巡り歩いて、非常に苦労して、ひねくれたり、ダメになったりしながら、最後には救済されるみたいな、そういう貴種流離譚みたいな救済される、救済じゃない場合もあるんです。つまり、悲劇的に死んじゃうっていう場合もある。そのパターンは、バリュエーションはあります。そういうパターンがひとつある。
もうひとつは、日本の古典で言えば、とりかへばや物語っていうのがあるわけです。とりかへばやっていうのは、男と女が取り替えたらっていう、そういう物語もありますけれど、もうひとつは、身分が高い者と身分の低い者が取り替えたらっていうような、そういうとりかへばや物語っていうのがあるんです。この2つが民話っていうようなものを牛耳ってるっていいますか、ネガティブなものを本質的に否定しているパターンなわけです。型なわけです。
その貴種流離譚っていうようなものは、西欧ヨーロッパ流にいうと、どういうことになるかといいますと、神っていうようなものは、乞食みたいな恰好をして、誰にもわかんないように、町々を訪れてくるっていうわけです。そうして、人間の間に訪れてくる。そうすると、人間っていうのは、全然神だっていうことを気づいてない、気づかない。むしろ、気づかないだけではなくて、それは乞食じゃないかって言って、薄汚い奴じゃないかって、そういうふうに考えて、むしろそれから逃げようとする。あるいは逃げてしまう。で、神っていうものは、乞食のことをいうんですけれど、それに対して、追っかけていく、あるいは、別な姿を変えて、つまり、美人の恰好をして、姿を変えて追っかけていくとかね。どういう考え方でもいいんで、どういうあれでもいいんですけれど、そういうふうにして、追っかけていく。そして、追っかけていって、なおも拒否する。拒否していくと、人間っていうのは拒否しているうちに、段々段々、自分がにっちもさっちもいかなくなって苦しんでしまう。苦悩してしまう。で、苦悩がフッと果てた時に、ああって気が付く、それで、ああ、あれ乞食じゃないんだよなっていうふうに気が付く。それは神なんだよなっていうふうに気が付くっていう、それが西欧流の貴種流離譚なんですけれど。
ヴェイユが言うには、神っていうようなものは、ここちょっと、神っていうとなんかちょっとね(会場笑)、なんとなくちょっとあれなんですけれど、ヴェイユはそう言ったっていう。神っていうものが人間にやってくる来方、あるいは、人間っていうようなものが、神っていうものを捉える捉え方って、そういう捉え方だっていうふうな言い方をしています。そういうふうに捉えます。それはいわば、認知っていうような問題です。つまり、乞食の恰好をして神がやってくる。それは人間は気が付かない。気が付かない時に、神がもっとほかの乞食じゃない恰好をしてみせたり、誘惑してみせたり、つまり女性の姿をして誘惑してみせたりとかっていうふうな形を変えてみせる。これは、いわば恩寵っていうのはそういうんだっていうふうに言ってるわけです。で、その恩寵っていうようなものに対して、人間っていうのは気が付かない。なお、逃げてる。逃げていけば必ず苦悩に陥っちゃう。苦悩に陥った場合、陥ってもうこれはダメだって、自滅だっていうふうになった時に、フッと気がついて、それで神っていうようなものは認知されるっていうふうに、そういう言われ方、言い方をしています。
で、これはすべての問題について言えるだろう。とりかへばや物語でいえば、王女が召使を連れて、王子様と出会うために旅に出て、途中でもって召使と自分と服装を取り替えたり、身分を取り替えたり、言葉遣いを取り替えたりしなきゃならない羽目に陥る。すると、王女様の方が召使だと思われ、それから、召使の方が王女様だっていうふうに思われ、そういうふうに思われて誤解されて、もはや誤解は極まって、王女様は王子に絶対出会えないんだっていうふうなところで、はじめて王子様っていうのが気が付いて、それで、召使の恰好をした王女と結婚するみたいな、そういう民話のパターンがある。そのパターンもまったくおんなじだ。そのパターンは、神の来訪っていうのは、やっぱりそういうやり方をするんだ。それ以外のやり方をしないんだっていうふうに、ヴェイユが言います。それは、ヴェイユはそういう言い方でもって、神の概念っていうようなものを創り出していくわけです。
しかし、今言いましたとおり、これは、民話っていうもの、つまり、民衆が代々長い年月をかけて、語り継いで、創り上げて、でっち上げてきた物語のパターンっていうのは、全部おんなじなんです。万国共通なんです。で、この問題は、決してヴェイユの言うように、神の問題、神の来訪の問題を象徴してるのでもなんでもないのですよ。これは、なぜそういうパターンができるかっていうと、それは人間の精神構造っていうようなもののパターンの、精神の働き方のパターンはいつでもそうあることなんです。つまり、ある事柄に対して、人間はぶつかれないで、それから目を背けている。そうすると、その事柄が、たとえば抜き差しならぬぐらいな重さでもって差し迫ってくる。みなさんはだれでもそれは体験するわけです。なぜならば、それは普遍的だからです。ある事柄があったとすると、それがどんな事柄でもいいんです。事柄に対して面と向かっていると、どうしてもその事柄はつらいとか、重いとかってことになってくると、それから逃げようとする。人間はだれでも逃げようと、精神的に逃げようとします。そうすると、逃げてむこうも逃げてくれればいいんですけれど、その事柄がどんどんどんどん差し迫ってくると、逃げてくれないと、どんどん自分が追い詰められると、追い詰められて土壇場まで、追い詰められると、フッと道が開けてくることがありますし、また道が開けないでそこで潰れることがあります。
それが、みなさんが、だれもが体験、みなさんだけじゃないんです。これは、知識のある人も、知識のない人も変わりないことなんです。民衆であろうとインテリゲンツィアであろうと変わりないことですけれども。人間はいつでも、人間の心の、精神の働き方っていうのは、精神の心の動き方っていうのは、いつでもそういう心の動き方をするわけなんです。それを物語に、だからそれは民話の物語の基本的なパターンになるわけなんです。だから、これは人間の精神構造は、とりうる対象に対して、対象がなんであれ、対象に対してとりうる精神構造の型っていうものはそういう型なわけなんです。だからこれは民話の思想でもなければ、なんでもないんですよ。要するに人間の精神構造っていうのは、いつでもそういうパターンをとるっていうことなんです。それが、普遍的な問題なんです。
でも、ヴェイユはそれを、神っていうものの存在とその来訪の仕方っていうようなものは、こういうふうにやってくるんだっていうようなことで、ヴェイユなりに自分をなんっていいましょうか、神学っていいましょうかね。ヴェイユなりの神学っていうようなものを獲得していったということができます。つまり、固めていったっていうことが、こういうふうに固めていった時には、もはやヴェイユっていう存在っていうようなものは、固めていった時に、ヴェイユが自己完成したとか、自己解放したっていうふうにヴェイユ自身が考えられていたとしたらば、やはりヴェイユはここでもひとかどの、いわばカトリックの思想家だっていうふうなことで、よかったんだと思います。終わったんだと思います。
ところで、ヴェイユがこの思想っていうものを完成した時に、つまり、この思想を自分なりに、公然と、神っていう概念を公然と口に出して、自分の考え方を固め、そして自分の考え方を確立していった時に、ヴェイユ自身が、現実のヴェイユ自身が絶望していったわけです。完全な絶望だったわけです。もはや、一滴も自分自身の生き方としては、希望はひとつも残っていないっていうふうなところまで、ヴェイユ自身が絶望していったわけなんです。つまり、これは現実のヴェイユとして絶望していったわけです。思想のヴェイユとしては、たぶんそこで、ひとつの完成をみるわけです。
だから、ヴェイユがよく付き合っているカトリックの神父さんがいるわけ、神父さんは、これはもう本当にカトリックとして入信してもいいくらいだっていうような、盛んに入信をすすめたり、洗礼をすすめたりします。しかし、それは一面的に過ぎないと僕は思います。ヴェイユにとってそれは、たしかに思想の完成なんですけども、同時にヴェイユにとっては、現実的ヴェイユ、つまり、肉体的ヴェイユでもいいですけどね、肉体を動かして現実の社会に生きている。そういうヴェイユとしては、ほとんどもう希望の一滴も残っていないっていうようなところに、もうヴェイユ自身は到達しているわけなんです。
そこにまた、ヴェイユがそこのところで終わらなかった理由があるんです。つまり自分を徹底的に追い込めていった。自滅にまで追い込めていった必然的な警悟っていうなのは、そこからまた出てくるわけなんです。だから、思想の完成が、同時に自己完成であり、同時に自己解放であったとしたらば、いわばヴェイユは思想家として満たされていったわけでしょうけれども。そうじゃなくて、思想家としての、思想としてのヴェイユが完成されていった時には、すでに現実のヴェイユは、もう絶望の、血の一滴も残っていない。しずくの一滴も残っていないところまで、もはや絶望的だっていうふうな。
だから、日本の中世の思想家、これは日本のあれでいいますと、つまり古典でいいますと、一言芳談抄っていうなかに、たくさんそういうあれがありますけど、日本の中世の浄土教系の思想家っていうので、大きな思想家、つまり親鸞とか、法然とか、そういう大きな思想家じゃなくて、そういう人じゃなくて、小さな思想家がたくさんいるわけですよ。小さな思想家は、小さな思想家なりに、ラジカルなんですけれど。そういう小さな思想家たちが、中世の思想家たちですけど、浄土系の思想家たちですけど、こういう人たちはやっぱり、一刻もはやく死ななきゃっていうふうなことを言うわけです。つまり、疾く死なばやっていうふうなことを、徹底的に言うわけです。人間っていうのは生っていうのを厭わなければいけない。できるだけはやく死んじまわなければいけないっていうことを、公然と思想として述べるわけです。で、これは非常に興味深いことなんですけれども。これは一言芳談抄をみれば、出てきますけれども、それはちょっとおもしろいんですよ。おもしろいっていうか特異なんですけれども。そういう浄土思想家たちは、やっぱりはやく死ななきゃ、はやく浄土にいかなきゃっていう、生きてんのやだとか、生きてんのは罪悪だとか、はやく死にたいんだっていうようなところに、自分を追い込めていくわけです。そういう思想家がいますけれども。
ちょうどヴェイユは、日本の中世のそういう、ラジカルであるけども小さな思想家がたくさんいるんですけれど、その小さな思想家たちとちょうどおんなじように、はやく死ななきゃっていうようなことばっかり言うようになる。つまり、考えるようになる。人間が本当の自由っていうのを獲得するために、現世にいる限りはダメだ。現世に自分が存在していると、そうすると自分はどうかっていうと、自分は息を吐いたり吸ったり、そういうふうにしてるだけでも、天と地は曇ってしまうんだ。こういうふうに言ってるわけです。つまり、自分が存在して、呼吸をしているっていう、その呼吸の息のぬくもりっていうようなものは大体、天地の清澄さっていうようなもの、あるいは、聖性っていいましょうか、尊さみたいな崇高さっていうものを汚してしまうんだっていう概念に到達するわけです。
だから、死っていうことの中にしか、もはや人間の真の自由っていうのは存在しないっていうふうに、ヴェイユは自分の思想を完成していく、思想を追い込んでいくわけです。で、そして追い込んでいったところで、どういう概念に到達するかっていうと、いわばこれは労働っていう概念があります。労働っていう概念は働くっていうことです。労働って概念と死の概念っていうのがありますけれど、労働と死っていうのは、神から与えられた刑罰であるっていうふうに言っているわけです。考えていくわけです。
ところで、労働っていうのはそれじゃあ何なのか。何なのかっていいますと、それは日々の死だっていうふうに言っているわけです、つまり、刑罰であり、同時にそれは毎日毎日死ぬことっていうようなことが、毎日毎日の死っていうようなものが労働だっていう概念に到達するわけです。ヴェイユの思想はそこで完成していくわけです。そこで完結していくわけです。死と労働っていうようなものを基本にして、ヴェイユの思想っていうのは完成していくわけです。
そうすると、それじゃあ神を感受するっていうものはどういうことかっていいますと、それは、要するに労働っていうようなものを、単に人から管理されているからとか、人に服従して労働するんじゃなくて、自らの意思で、自らのよろこびでもって、労働をなしえるならば、あるいは、そういうふうになしうる労働っていうようなものが、この世に存在するならば、それは神に到達することなんだっていう概念に到達します。概念に結論をもっていくわけです。
それから、死っていうのも、死はこれは神の刑罰であると、しかも、永続的な刑罰であるっていうことになる。しかし、もし死っていうようなものを自発的にっていいましょうか、自分の方で自発的に、あるいは、意識的に受け入れることができるっていうようなことが可能であるならば、それはやはり、神に到達するっていう道であると、神に到達する唯一の道であるというようなところに、ヴェイユ自身が神の概念をもっていきます。つまり、追い込んでいきます。
つまり、そこのところで、たぶんヴェイユの最後の思想っていうようなものが、完成されていくわけです。現実問題として、ヴェイユは最後には、食事をとることを拒絶して、栄養失調と心不全でもって死んだっていうふうに言われています。つまり、あんまり生きることに望みがないっていうだけでなくて、いかに死ぬかっていうことばかり考えていたっていうふうにいうことができます。いかに死ぬかっていうことばかり考え始めた一等最初はもしかすると、スペインの内乱に参加した時かもしれないです。ですから、これはジョルジュ・バタイユが青空の中で描写している、あるいは、感受している、ヴェイユに感じとっている死の匂いっていうようなものは、非常に正確であるかもしれない。
しかし、思想として死っていうようなものは、完成するのは非常に晩年です。それは、第2次大戦中だっていうことができます。第2次大戦中にヴェイユは、例えば一例あるんですけど、ヴェイユは、ユダヤ人だっていうことで、ドイツから、フランスから、本国からアメリカに渡るわけですけれど、自分はアメリカで恋々として生きているのが嫌なものだから、志願してイギリスに渡って、それからフランス本国へ行って、第一線で働きたい。働きたいっていうことは死にたいっていうことなんですけれど。っていうように考えるわけです。それで、第一線看護婦を編成する計画みたいなものを作りまして、それをレジスタンスの委員会に提出するわけですよ。それで、これを採用してくれって言うわけです。
ところで、その第一線看護婦の編成計画っていうのは何か、どういう理念からなっているかっていいますと、たとえばそれはナチスドイツっていうのは、挺身とか、自己犠牲とか、民衆のためにとか、国家のためにとか、祖国のためにっていうことでもって、若い青年たちを釣り上げて、そして、ナチスのいわば突撃隊とか、特別攻撃隊みたいなものに仕立て上げていくと。それで、それにヨーロッパの連合軍っていうのは、押し負けられてる。これに対して、自分が理念的に対決しうる唯一の対立の方法は、女性、しかも独身の女性っていうものが看護婦となって、そして第一線に志願して、そして、そこで傷ついたり、倒れたりしている兵士たちに対して、献身的に、つまり、自己犠牲にして、命を犠牲にして、看護とか介抱にあたるっていうような、そのことこそがナチスドイツの突撃隊、特攻隊あるいは献身、自己犠牲、青年は自己犠牲をして祖国のために殉じるとか、大衆のために殉じるっていうような、そういう殉じ方に対して、唯一対決しうる、思想的に対決しうる原理っていうようなものは、これしかないっていうふうに、ヴェイユは考えるわけです。だから、母性を以ってっていいますか、母性を以って、それから自らを犠牲にしたっていいますか、生命をはじめから犠牲にした。そういう母性的な人間が第一線に行って、兵士たちの死とか、それから負傷とか、倒れたとかそういうものを看護するっていうようなことの中に含まれている理念以外に、これに対決しうる理念っていうのは考えられないっていうのが、ヴェイユのそういう計画を立てた、思想っていいますか、理念であったわけです。
この理念っていうものは、ヴェイユにとってはいわばもうギリギリであり、つまり、第一線看護婦編成っていうことは、もっとあっさり言ってしまえば、ヴェイユ自身にとっては、おれはもう死にたいよっていうことなんです。そこで死んじまいたいよっていう、その死ぬ場合に、そういう理念を遂げて死にたいっていうようなことが、その計画の基本の核にあるわけです。そういう考え方を提出するわけです。しかし、これはキチガイじみているっていうふうに言われて、斥けられるわけです。実際問題として、斥けられるわけですけれども。それで、自分自身はロンドンまで行って、レジスタンスの仕事の事務的なことにたずさわりながら、あるいは、宣伝的なことにたずさわりながら、そこでもって餓死みたいにして、自ら餓死するみたいに死んでしまうわけです。
ヴェイユの第一線看護婦編成計画みたいなもののなかに含まれてる理念は、まさにヴェイユの思想の帰結なんですけれども、つまり終着点なんですけれども。しかし、それ自体は途方もない馬鹿げたことだって、つまり、キチガイじみたことであり、かつ、よく考えてみると非常に不健康なことです。これは、スーザン・ソンタグが言うのとおなんじになり、非常に不健康な考え方です。不健康な計画だっていうことがすぐにわかります。
しかし、その計画自体の不健康さっていうものを支えている、基本になったヴェイユの理念っていうもの。それは、ヴェイユの思想の当然の帰結だった。つまり、完全な終着点だったっていうふうにいうことができます。ヴェイユは終着点に至った時、ヴェイユはすでに現実社会に対して、現実社会の条件に対しては、まさにキチガイじみたこと、あるいは不健康なことしか、考えられないところに自分を追い込んでいったっていうようなことができると思います。
ヴェイユの生涯っていうようなことを考えますと、僕らはいつでもいうことなんだけれど、ヴェイユの生涯だけじゃなくていうことなんだけれども。現実っていうようなものは、現実の動きっていうようなものは、理念のとおりとか、あるいは、理想のとおりいくもんじゃないんだ。それは当然なんだ。で、いくらかでもそのギャップを埋めるかどうかってことは別として、現実が理念のとおり、あるいは理想のとおりいくわけがなんだ。いくわけがないのがけしからんっていう場合と、それから、いくわけがないんだから、理想のとおりいかないからといって、それを否定するのはインテリの浅はかさだって言う人もいます。それから、いや、理想のとおりいかないっていうのはおかしいじゃないかっていうふうなことにこだわる人もいます。
しかし、その問題の中には、ヴェイユがとことんまで突き詰めた問題なんですけども、つまり、近代のヨーロッパっていうものが、世界思想として実現した文化とか、それから政治社会とか、そういうようなものっていう中に、それは達成と同時に、同時にそれは欠陥であるっていうものはそのなかにあって、だからそれに対して、ヨーロッパの近代が生み出した世界思想でもって、相対していける。それは、言ってみれば、思想が実現したものに対して、鏡を映しているってことにすぎないのかもしれないんです。
つまり、これは、理想と現実のくい違いとか、インテリと労働者の違いだとか、政治運動とか社会運動やってる人とはたからそれを傍観している人との違いであるとか、そんなことは全然ないのかもしれないのです。ヨーロッパの近代に具現されている人類の思想っていうものの到達点が、当然実現したところのものが、実現した観念に鏡のように相対している。それは、いわば鏡に映すように歪んで映っている、あるいは同時に、歪んで映っているそのこと自体が、やっぱり人類の世界的な達成なんだっていうような、そういうことが根本にある問題かもしれないわけです。ヴェイユっていうのは、まさにこの問題のいちばん根本のところで、いちばん核のところで、しかもいちばん困難でいちばん固いところに、自分でもって身をぶつけていって、自分でもって砕けて、そして、死んでしまった、自滅してしまったっていうふうに考えることができると思います。
このいわばヴェイユの思想の跡っていうようなものは、我々が当面している問題っていうのは、文化っていうものは、文化の解体機ですから、つまり反文化ですから、カウンターカルチャーですから、つまり我々をとりまいている状況はそうなんで、ヴェイユのように正面切ってヨーロッパが達成した根本的な問題にぶちあたってっていうようなことは、みなさんにとって課題でもなければ、不可能でもあるし、またそれは正面切った課題では全然ないかもしれないんですけれど、しかし、こういう課題にぶつかってとび散ったっていうことの中には、文化の問題っていうようなものと、それから、そういう人間の思想の軌跡のあり方っていうようなもの、そういうことは知っておくっていうことは、けっして悪いことじゃないっていうふうに僕は考えます。
もちろん、ソンタグが言っているように、まねをしてくれとか、そういうふうに考えなきゃいけないんだぜとか、そういうふうに正面切って生真面目にっていうか、徹底的にやらないといけないんだぜっていうようなことは、たぶん文化と文明の状況自体は違いますから、こういうことはみなさんの課題にはならないと思うんですけれど、かってまだ何十年しかたっていない昔、いってみれば同時代の昔にそういう人がいて、そういう砕け方とそういう○○○方をしたっていうことは、大変、我々になにかを言わせてやまないもんだっていうふうに、僕は考えています。まだやりたいとこもあるんですけど(会場笑)。(拍手)
(司会)
時間を延長しましたけれども、吉本さんが全力を傾けて、わたしもいままで数々読んだ講演やお聞きした講演の中で、今日の講演っていうのは、すごく重い講演になります。若い学生のみなさんに手抜きなしに容赦なく、真正面から、大学に学ぶなかに、知を担うとはなにか、今の状況のなかに目を見張って生きるとはなにかっていうこと、根源的にぶつけると。若い女学生のみなさん、どうか今日の講演を機縁として、さらに十分に、学ぶということはなにかを見つめながら、しっかりとひとつ積んでいただきたいと思います。
なお、この講演がなされましたことは、ご承知のように、明日午後6時から、小倉の毎日会館ホールで、小倉の金榮堂書店の創立65周年の特別記念講演として、吉本さんがアジア的とはなにかという、これも最近繰り返しておられます、今日の状況のなかで、我々がいろんな意味でアジア的っていうものを、時間的、空間的にいろんな意味で被っているわけですが、そういうことを時間と空間の問題をクロスしながら、われわれの今日の状況の問題を説いてくださるというか、その講演が明日ございます。
そのじつは、途次でございまして、いわば金榮堂さんがそういう特別な講演を開講なさった与件を被って、この会を開くことができました。しかしわれわれにとって、まさにヴェイユの様々な問題、その共感と同時に、やっぱり彼女のあり方の、ひとつの一連的な生き方の綻びる○○○も、鮮やかに聞かして、非常に私自身聞いて、非常に目を開かれる、鮮やかに、新たに感じることができた。すばらしい講演でございました。
なお、このあとの先生に質問することがございますが、その会のことについては、トオイ先生からまた引き続きお話しします。ここでひとくぎり、もういっぺんすばらしい講演をしてくださった吉本先生に感謝の拍手を。(拍手)
(トオイ先生)
この後、場所を変えまして質問および座談の会をする予定でございますけれども、先生は5時40分にはここをお発ちにならねばなりません。場所を変えておりましたら、時間がますます過ぎますので、この場で質問の会を開きたいと思います。なお、下関駅の方にまいります汽車は梅ケ峠駅5時25分と6時12分でございます。従いまして、5時25分の汽車でおかえりの予定の方は静かに席を立って、ご退席ください。お願いいたします。それでは6時半まで質問の会を吉本先生の司会で行いたいと思います。
(司会)
ものすごい講演で、僕自身ももう圧倒されてしまって、司会なんてもんじゃないんだけども、30分かけて時間もとっていただきましたので、ご自由に話をしていただけたらいいんじゃないかと思います。今日の話を聞いてると、ヴェイユの話ですけれども、たぶん思想の突き詰め方、または知識の突き詰め方、論理の突き詰め方っていういちばん根本の吉本さんの論理が出てきたので、いろんなところに話がとんでいっていいんじゃないかと僕自身は思うんで、あらゆる角度からみなさん、質問の機会にされたい人は、どうぞしてみてください。
(質問者)
前回僕にとって、非常に興味とか関心を持たせていただいたのは、最後の親鸞であったわけであります。で、今日、先生のお話を聞きまして、僕なりに最後のシモーヌ・ヴェイユっていうものを教えていただいた。その最後の親鸞と最後のシモーヌ・ヴェイユの同一点とここは違うと先生がお考えとなられることを教えていただければと思います。
(吉本さん)
これは、親鸞をとってきても、同時代ですから宮沢賢治をとってきても、おんなじだと思うですけど。親鸞でいえば、最後に自然法爾って考え方が出てきますね。つまり自然っていう考え方ですけども。それから、宮沢賢治でも最後に自然っていうのがすすんだんですよね。つまり、自然っていうこと、交感するっていうところへ、そこの場所では、宮沢賢治っていうのは非常にほっとするっていいますか、ほっとくるし、きらびやかだし、華やかなんですね。わりに解放感を世の人に与える。つまり、世の人に与えることが自分自身も解放されているっていうことですね。
ところで、親鸞の自然っていうことをいう時には、やはり、一種の解放があると思うんです。そこは解放だと思うんです。つまり、突きつめて突きつめていっても、最後にボッと出てくるのは、自ずからはからうものになるっていう、あるいは自ずからはからわれるものなんだっていうところに、一種の解放感ですね。これ、抜粋しているわけなんですけれど。自然っていうのは、やっぱり東洋なんだと思うんですよ。
ヴェイユっていう、つまりヨーロッパっていうのは、そういう時には内面性ですから、特にキリスト教執念理念等々ってのはそうですよ。人間の内面性の問題にしようとする。だからその意味で詰めていった場合には、到達点っていった場合に、非常にきついわけだと思いますね。きついところにいく。結局、個の内面の問題を個がどうすることもできないじゃないかっていうことにいきます。そうすると、東洋がそこへいきますと、いつでもすぐに自然っていうのが出てきて、その自然っていうものと交感している時には、わりに感覚的解放っていうことになってるんですね。それが非常に根本的な違いなんじゃないんでしょうか。到達点として、根本的な違いだと思います。
そのほかのことは非常によく似ていると思います。似てるけど、先ほどヴェイユを浄土教の、浄土宗の思想家の小さな思想家、群衆の思想家で、しかしラジカルに、この世はもうだめなんだって、気持ち悪くなって、死んで浄土に逝くんだっていうことを公然と思想に表明して、自分も死んじゃうわけですよ。で、死んだら死体は鳥かなにかにつつかせて、食わしちゃえっていうような、そういう死に方をした小さな思想家っていうのはたくさんいますけども。で、死ぬことが最もよいっていう考え方ですけども、それと似ているんです。で、親鸞はそういう思想家に対しては、違うっていうふうに言ってます。それは、死ぬ時なんだって、よく歎異抄のなかに出てくる、機縁がきてひとりでに終わりにきた時に終わればいいんですよって言い方をするわけです。そんな死に急ぐことはない。死ぬ義務はないっていうだけではなくて、それは嘘だって言うんです。浄土を求めるって言ったって、ちっともうれしくないじゃないかって言うのに対して、それは当然なんだ。うれしくないのは当然なんだ。なぜならば、苦悩の現世っていうものが、苦悩の終着があるからそうなんだ。だから、力が尽きて終わった時に、その時に死にゃあいいんですよ。死の問題としては、親鸞はそう言っています。
ヴェイユは徹底的に、死以外に真の自由はない。○○○しないっていうふうに言います。そこの差っていうのは、違うんじゃないでしょうか。どっちがいいかなっていうのはわからないですけども、きつさの度合いがまるで違うんじゃないでしょうか。われわれの文化っていった場合に、西欧文化っていうのを主体に考えます。文化の方法を考えるでしょ。そうするとやっぱりきつさっていうのが、いいようなもんですね。内面性っていう考え方がいいようなもんですね。この内面性の考え方に対して、僕はあんまり現在のカウンターカルチャーみたいなもの、あるいは、カルチャーの大衆化みたいなところから、それは受動的な受け入れっていうようなところから、ヨーロッパは現在そうなんですよ。カルチャーの壊滅とカウンターカルチャーの、ヨーロッパの現在っていうのはそうなんです。ヨーロッパの、それとアメリカの。
で、日本はそうじゃない、そんなことしちゃいけないっていうものですね。内面を突きつめる問題に対しては、なにが対応するかっていうと、自然みたいな思想っていうのが対応するんですよ。しかし、カウンターカルチャーっていうような問題はヨーロッパの現在の問題だから、われわれも同時代にいますから受け入れますけれども、特に若い人は受け入れますけれども、しかし、それはわれわれ固有の、日本固有の思想は、ヨーロッパのきつい内面性の思想を放棄していいっていう理由にはちっともならない。その問題は依然として残る。その問題は、その問題として決着をつけなきゃいけないっていうふうに思いますけどね。今のカウンターカルチャーっていうものを世界的な○○○をやってる人に、次世代の人に求めるっていうのは、たぶん違うような気がします。たぶんそれは違うんだっていうような気がします。しかし、古典的な文化っていうもの、世界文化っていうようなものの洗礼を受けた人は、しかたがないからその問題はとことんまでいきつけても、解かなくちゃいけないっていうことは今でもあると思いますけれど、ヴェイユのやり方っていうのは、早急で鋭敏で拡大された形のような気がしますけれどね。宮沢賢治やなんかはもっと楽なところですよね。死んだものは楽なしっていう言葉がありますね。そこは違うんじゃないでしょうかね。
テキスト化協力:ぱんつさま