1 挨拶

2 平安朝における『竹取物語』

 いまご紹介にあずかりました吉本です。「文学の原型について」ということですが、今日は時間を相当いただいておりますので、物語というものを主体にしまして、物語はいつ始まったのか、そしてどのようにつくられたのかというところから入ってみたいと思います。
 『源氏物語』に「絵合」という項があるんですが、その項に「物語の初めに出てきた『竹取物語』」というような言い方があります。『源氏物語』の時代ですから、平安時代にすでに「日本の物語の一番最初に整った形で出てきたものは『竹取物語』である」と言われていたことがわかります。
 当時は物語の絵巻物みたいなものがたくさんあったわけですが、『源氏物語』の「絵合」の項は光源氏が主唱して、左右に人が分かれて、その絵巻物を合わせてお互いに論じ合って、つまり弁護し合って優劣を決めるというものです。要するに宮廷人の遊びなんでしょうが、そういう遊びを絵合わせというわけです。
 その「絵合」の項は、片方から物語の最初に出てきた『竹取物語』、そしてもう片方から『宇津保物語』が出されて、左右の両方でそれぞれ『竹取物語』はここがいいんだ、こういうふうに優秀なんだ、優れているんだ、こういうふうにだめなんだと言い合うところなんですが、そこで竹取物語がどう言われているかというと、三つぐらいのことが言われています。
 一つは『竹取物語』の主人公であるかぐや姫の性格の中には、人間の高い理想像が描かれているということです。「これはいまのことしか考えられない人にはとても理解しがたいけれども、非常に理想的な人間の姿なんだ」と、たとえば左右に分かれた左方の人が『竹取物語』を弁護します。そうすると右方の人たちが『竹取物語』を批判するわけです。
 どういう批判が『源氏物語』の中にあるかというと、『竹取物語』の主人公であるかぐや姫はいずれにせよ空想的な人間にしかすぎないと、一つは空想にすぎないということを言います。それからもう一つは、『竹取物語』にはそんなに理想の生活は描かれていないということです。理想の生活とは何かといったら、当時の宮廷人にとっては宮廷の世界が理想の生活なんでしょうが、「その宮廷の世界が描かれていないじゃないか。だから生活として描かれているのは理想的ではないものである。そして一方でかぐや姫は空想的なもので、現実にありうべき人でもないし、ありうべき性格でもないんだ」という言い方で『竹取物語』を批判します。
 『源氏物語』に出てくる登場人物たちが加える『竹取物語』に対する評価は、おおよそそういうところで尽きるわけです。この登場人物たちの『竹取物語』に対する評価は、とりもなおさず、ある意味で作者である紫式部の考え方を多分に反映していると考えてよろしいと思います。だから平安朝時代において、日本の物語の一番初めの原型だとされる『竹取物語』は、いま言ったように評価されていたということがわかります。

3 『竹取物語』の物語の筋

 皆さんご存じだと思いますが、『竹取物語』というのは四国で、竹取の翁は讃岐造麿(サヌキノミヤツコマロ)という名前です。竹取の翁が山へ行って竹を切っていると竹の節に光るものがある。それを開けてみたら小さな子どもがいた。その子どもを育てていったら非常に美しい女性に成長した。評判を聞き伝えて、ほうぼうから求婚者が出てきた。その求婚者のうちで特に押しも強くて地位もある男が五人残った。
 かぐや姫は求婚を退けるために、その五人にそれぞれ無理難題、つまり到底不可能な難題を吹きかけます。そして「その難題を解決した人と自分は一緒になる」と言うわけです。たとえば石作皇子に対しては「天竺の仏の石の鉢を取ってきてくれ。それを取ってきてくれたら結婚する」と言います。もう一人、車持皇子という人がいますが、それに対しては「蓬莱山に根っこが白金(銀)で、茎が黄金で、実が白玉(真珠)である、そういう木の枝があると言われている。それを取ってきてくれたら一緒になる」と言うわけです。
 もう一人は右大臣の阿部の御主人というのがいます。あるいは「ミウシ」とも言いますが、その人に対しては「唐の国にあると言われている火ネズミの皮衣を持ってきてくれたら結婚する」と、また大伴大納言に対しては「龍の首についている五色の色を放つ玉がある。それを取ってきてくれたら結婚する」と、もう一人に対しては「ツバメが持っている子安貝を取ってきてくれたら一緒になる」と言います。
 それらはいずれもありうべきことでない。ありうるものではないんですが、いわば当時の人々にとって理想的な、あるいは想像上の最も貴重とされていたものを取ってきてくれたらと、不可能であることを言うわけです。
 もちろん五人の人たちも不可能であることを知っているものですから、それぞれ探しに行ったふりをして、家の中にこもっていて「取ってきた」と言ってそれを差し出すという経過があります。それがことごとくうそのものだということが見破られてしまって、求婚者たちは大いに恥をかいて退けられる。そういうことを時の帝王が聞いて「そんなに素晴らしい女性ならば宮仕えによこせ」と言うんですが、「そんなことは嫌だ。無理にも宮仕えを強制するなら自分は死んでしまう」とかぐや姫は言って、それもまた退けてしまいます。
 その後三年ぐらい経って、だんだん自分は元気がなくなって、「どうして元気がなくなったんだ」と竹取の翁から聞かれて「自分は元は月に住んでいた。ある罪を犯したためにこの地上に来ていたけれども、三年の間に罪を許されたので、今度の八月十五日を期して、また月へ帰っていかなくてはならない。それで別れるのがつらくて泣いているんだ」と言います。
 それで親たちも嘆いて何とかして行かせまいとするんですが、「それは自分の本意ではどうすることもできない」と言うわけです。親たちが時の帝にそれを訴えると、帝が二千人の衛士たちをよこして八月十五日に家屋敷を取り囲み、竹取の翁はかぐや姫がいる部屋の外でだれも入れないように見張りをして、竹取の嫗はかぐや姫を抱いて部屋の中にじっとしているんですけれども、それでもかぐや姫はそれらをみんな退けてというか、「退けて」という意味は、何とも言われない気持ちに皆がなっているうちに、ひとりでに昇天して行ってしまうという、そういう話です。

4 『竹取物語』の基本構造=原型

 これが物語の初めだと考えた場合、この物語をどこでとらえたらいいのかということはたくさん考えられますが、ここでどうしても申し上げておきたい肝心なとらえ方はただ一つです。
 『竹取物語』の中で、かぐや姫が不可能な課題として各々の求婚者に課する課題が象徴しているように、この物語の基本の構造になっているのは何かというと、一つはたとえば海の向こうとか、遠い唐天竺とか、あるいは海の彼方にある蓬莱山とか、そういうところに理想郷があるという考え方で、それが一番下のほうに敷き詰められた層としてあります。
 それに対してかぐや姫の無理難題や、かぐや姫がどこから来てどこへ行くかということに象徴されるように理想の世界は、あるいはユートピアと言ってもいいし、楽土と言っても、浄土と言っても、死の世界と言っても、いろいろな言い方をしていいんですが、「これは天上にあるんだ。地上に人間の世界があって、それに対して天上のほうにユートピアの世界がある。このユートピアの世界は人間の世界に対して非常に優位なものだ」という考え方が一つあります。それがこの物語を縦に通っている構造だと言うことができます。
 そして、この物語を物語にさせている基本的な中核は何かというと、それ以前からある「海を渡った向こうの遠い国に楽土がある。ユートピアがある。そこにいいものがある」という考え方と「そうじゃなくて天上のほうにいいものがある。あるいは楽土がある」という考え方の葛藤というか、矛盾というか、その葛藤のドラマがこの物語の基本の形を成していると言えると思います。
 つまり、そこでとらえるとすると「どこか遠い国、あるいは遠い海の向こうに何かいいものがある。いいところがある」という考え方と「いや、そうじゃないんだ。地上ではなくて天上にいいものがある。あるいはいい世界がある」という考え方と、この二つの葛藤が物語を成り立たせている非常に基本的な核だということがわかります。
 ここでそのことを、もう少し違う言い方をしてみますと、「人間の生と死の根拠は天上にあるんだ。あるいは人間の現実的な苦しみと楽しみの根拠も天上にあるんだ」という考え方と、一方で「そうじゃないんだ。人間の生と死の根拠も海の向こうの彼方の国にあるんだ。どこか遠い見知らぬ国とか、唐天竺とか、そういうところにあるんだ」という考え方の交差したところで、織りなしたところで物語が成立しているということがわかると思います。
 こう考えていきますと、もし『竹取物語』以前に物語的な原型があるとすれば、もともと元に敷き詰められた「海の彼方にいいところがある。海の彼方に楽土がある。いいものがある。何か人間にとって理想的なものがあるんだ」という考え方を基にして成り立っているだろうと言うことができると思います。

5 『古事記』を貫徹する〈異境意識〉

 それをあからさまに探ることはできなくて、『竹取物語』以前の物語がどうだったかということをあからさまに探る材料というか資料はないのですが、ここで手段を弄してみると、たとえば『古事記』なら『古事記』の神話の中に、物語とは言えないけれども物語らしき形を整えそうになっている話があります。『古事記』における神話時代の説話は七つか八つ物語的な形になりかけたものがありますが、これを分類してみると、四つぐらいに分類できます。
 その一つは、男の神様がタブーになっていることを破ってしまったためにとてつもないことが起こってしまうという類型です。たとえば伊邪那美命が火の神を生んだときに、自分も焼けただれてよみの国に行ってしまって、伊邪那岐命がそれを追いかけていきます。それで「もう一度帰ってきてくれ。また一緒に暮らそう」と言います。そのときに伊邪那美は「もうすでに自分はよみの国の食べ物を食べてしまったから、そう簡単に帰るわけにいかない。よみの国の神によく尋ねてみる。ただ尋ねている間に自分のいるところを覗いてくれるな。覗いたら、自分は再び地上には帰れない」と言って部屋にこもってしまいます。
 伊邪那岐は好奇心にかられて覗きます。そうすると伊邪那美命の頭とか口とかおなかとか手足とか、そういうところに全部うじがたかって、うじがわいている姿が見えるわけです。それでびっくりして伊邪那岐命は逃げてしまいます。そうすると伊邪那美命がそれを追いかけていって、黄泉比良坂ということになっていますが、そこのところまで追いかけます。
 そこの口を石でふさいでしまって、もう追いかけてこられないようにすると伊邪那美はあきらめますが、その代わり自分はこれから地上で毎日千人の生まれる子を殺してしまうとのろうわけです。それに対して伊邪那岐は、そうしたら自分は千五百人の子どもが必ず生まれるようにすると言います。これは男のほうが「見るな、見るな」というものを見たためにとてつもない目にあうという一つの例です。
 もう一つ例があります。それは山幸彦で彦火火出見尊と言いますが、奥さんの豊玉姫が赤ん坊を生むので産屋の中にこもったときに、女というのは赤ん坊を産むときには本つ国というから本の国、自分の故郷の国の姿になって子どもを産むものだからというので「それを見ないでくれ。見たら自分は再び一緒に暮らすことができないんだ」と言うわけです。
 それでやっぱり好奇心にかられて、それを犯して覗いてしまいます。そうすると元の国の姿というのは、豊玉姫がワニの姿になってのた打ち回っているのが見えてびっくりするわけです。それを見られた豊玉姫のほうは、約束を守ってくれなかったというので「自分は本つ国に帰る」と言って海の道をふさいで、海の道を通って自分の故郷へ帰ってしまうという話です。その類型が一つあります。
 もう一つの類型は、いいことをする場合も悪いことをする場合もあるんですが、男神がいいことあるいは悪いことをしたために何か大きな事件が起こってしまう、大きな結果をもたらしてしまうということです。
 たとえば須佐之男命が、天照大神が機を織っている機屋に生き馬の皮をはいで投げ込んだり、田のあぜを切ってしまったりという乱暴を重ねます。そのために天照大神は天岩戸に入ってこもってしまうわけです。それで多くの神々がお神楽をやって、笑いに紛らわさせて、覗いたところを引っ張り出して、元の明るい世界に返ったという神話があります。つまり男神が悪いことをしたために、その報いとしてある事柄が起こってしまう。いいことをした場合に、それが起こるということもあります。
 あとは皆さんも知っているように「いなばのしろうさぎ(因幡の素兎)」の話があります。これは八上姫という聞こえの高い美しい女性がいて、大国主がそれに求婚します。兄弟たちも求婚して、その兄弟たちにことごとく意地悪をされる。それであるとき、いなばのしろうさぎが皮をむかれているのを助けるという話です。
 大国主についてはもう一つあります。大国主は須佐之男命の娘と一緒になりたい。娘のほうも一緒になりたい。だけど須佐之男命が試練を課すわけです。初めにヘビの穴に入れ込んで、ヘビに食べさせてしまおうとします。そうすると娘が布きれをくれて、これを三度振ったら絶対に大丈夫だと教えて、そのきれを振って逃れます。あとはムカデとハチの巣の穴の中にとじこめられてしまって、そのときもきれを三度振ってそれを逃れる。それから野中で周りから火を放たれて殺されそうになる。そのときにもやはり同じように娘のまじないでそれを逃れるという話があります。
 これらの話の個々の類型を貫徹しているのは何かといいますと、一種のたゆたいです。たとえば須佐之男命が天照大神に悪いことをしたために追放されて地上の国へ行く。あるいは異境の国へ行く。異族が住んでいるところへ行くという話の類型もありますし、先ほどの産屋の話ではないけれども、女性のほうが異境あるいは異族の人間で、それと婚姻するためにさまざまな試練あるいは事件が起こるというものもあります。
 その場合には女性が異族とか異境、あるいはユートピアを象徴しています。そういうふうに女性が象徴している場合もありますが、いずれにせよそれらの類型を貫徹しているのは何かというと、一つの異境意識です。

6 物語のはじめにある死の問題

 現在でも、たとえば南のほうの国には海の彼方には理想の場所があるという考え方が残っています。ニューギニアにもそれが残っているし、もちろん東南アジアのほうにもありますが、「海の彼方のどこかに生と死の根拠がある。人間は死ぬとそこへ行って、霊魂が生まれ変わってまた帰ってきて、だれかのところに宿る。そして繰り返し生まれ変わっていく」という考え方がずっとあるわけです。
 その考え方は一つの異境のたゆたいというか、異境意識のたゆたいというか、その異境意識を女性が象徴する場合もありますし、あるいは本当に追放されてそこへ行って住みつく場合もあります。さまざまな類型がありますが、海の彼方にあるとか、違うところにあるとか、それを女性が象徴していて、それと一緒になってそこで何かをするとか、そこで事件が起こるというように、いずれにせよ異境意識のたゆたいが根源にあると言えると思います。
 ここで『竹取物語』にある類型、基本的な構造、あるいは『竹取物語』以前にあったに違いないようなもの、つまりこれは書き言葉じゃないんですが、神話の言い伝えとしてあったに違いない物語になりかけた神話的な説話の類型を探ってみると、「異境あるいは異族に理想の場所がある。あるいはそこに人間の生と死をつかさどる根拠地がある」という考え方が、そこに普遍的に認められると言えると思います。
 この言える問題を、いまここでは、こういうことを強調して言いたいわけです。物語の初めにあるもの、あるいは一番初めの物語にあるものは何かというと、それは人間の生死とかかわりがあるんじゃないかというところで問題を出していきたいと思います。
 つまり物語が成り立っていく一番初めの構造、あるいは構成、基盤を考えるとすると、それは人間の生と死に対する考え方とかかわりがあるんじゃないか。もっと極端に言いますと、同じ構造を持っているんじゃないかということが言えそうな気がする。人間の生と死の考え方がどうなっているかということと、物語あるいは文学の原型がどうなっているかということとはパラレルというか、同じ構造を持った、あるいは類似の構造を持った関係があるのではないかということが、ここで見つけ出せそうな気がするということを言いたいわけです。
 それをもっと煮詰めてしまうと、人間が生きていて、そして死んでいくということ、死んだ後どうなるんだという考え方の中に、物語あるいは文学を成立せしめている基本的な構造があるんじゃないか。だから人間が生あるいは死に対して、ある時代にどういう考え方を取っているかということと、物語がどういう構造で展開されているかということとは非常に関係が深いと言えそうだということを言いたいわけです。
 もっと極端に言うと、人間が生死というものをどう考えるかという、その考え方自体が物語を成立せしめているし、物語の構造を支配していると言えるんじゃないかというふうに取り出してきたいんですが、こう取り出してくると、ここで少しこの問題を突き詰めてみる必要があると思います。「この問題」というのは生と死の問題、あるいは死とは何なのかという問題です。そのことを少し突き詰めてみる必要があると思います。
 ここに非常にいい例が、つまり典型的な例がありますから、典型的な現代の優れた思想家が生と死を、あるいは死をどう考えているかということについて、類型的に例を挙げてお話ししてみたいと思います。そしておもむろに、たとえば生と死あるいは死というものが現代の文学の構造とどうかかわりがあるかということについての私たち自身の考え方に最後には入っていきたいんですが、その前に生と死あるいは死について現代の優れた思想家がどう考えているかということを少しお話ししてみたいような気がします。
 そうすると物語の基本的な構造、あるいは文学の基本的な構造、今日の表題で言うと文学の原型がどういうものなのかが、だいたいにおいてわかってくるということがありうると思います。だからまずそれを、少し例を挙げてお話ししてみたいと思います。

7 ハイデガーは死をどうとらえたか

 現代の思想に非常に決定的な影響を与えた哲学者の一人にマルティン・ハイデッガーというドイツの哲学者がいます。マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』という主著がありますが、その中で死についての考察に何章かを費やしています。つまりハイデッガーは、そこで死についての考察を非常に重要なものとしてやっています。
 これは言い回しが大変厳密で面倒にされていて、書き言葉でないと表現できないので非常に不正確ですが、ハイデッガーの死についての考察はどうなっているかということを概略的、概念的にお話ししてみます。
 皆さんも言うし、僕らもよく口にする「人間というのは一度は必ず死ぬものだ。だけど自分はさしあたって死に当面していない」という言い方があります。つまり日常われわれがやっている死についての言い方です。ハイデッガーも、日常われわれがおしゃべりの中でよく口にしている、人間なんて一度は死ぬものだぜという言い方で言っている死とは何かということから考察を始めています。
 ハイデッガーは厳密にそれを詰めていますが、たとえばわれわれが「人間は一度は死ぬものだ」「人間は必ず死ぬものだ」「人間は死ぬものだけど自分は死んではいない」「親戚のだれそれが死んだ」「全然知らない人が死んだ」と言っている場合の死の言い方は甚だ不正確であるということを言っています。不正確というか、それは意味を成していないということをまず問題にして、われわれが「人間は必ず一度は死ぬものだ」と言っている死についての考え方は実は死について何も言っていないのと同じことで、ただ死の概念を言っているだけで、死について何も言っていないということをはっきりさせています。
 本当に人間の死について言う場合に、人間はだれでも一度は死ぬものだという言い方は全然成り立たないんだということをハイデッガーはまず最初に問題にして、それを非常に厳密に詰めています。
 ハイデッガーは非常に優れた思想家ですから、われわれが疑問としているようなことには全部触れています。つまりわれわれがいいかげんに済ませているようなことについては全部厳密に、それなりに言い切っていますし、われわれがごまかしで言っていること、あるいは目をそむけたいために言っていることは全部追究しています。
 たとえば死に瀕した重病人がいるとします。近親の重病人だったり、友だちだったり、あるいは全然知らない人だったり、そういう重病人がいるとき、われわれはよくこういうことを口にします。「必ずあんたは良くなって、また元気になる。だから頑張らなくちゃならないよ」と、よく口にする。しかしこの場合、「必ず良くなって、もう一度元気になって、元どおり一緒にやろうじゃないか」という言い方で死に瀕した人を慰めている、その慰めの中に何があるかといえば、死に対する回避である。死から面(おもて)をそむけている問題がそこにある。
 ハイデッガーはこういうことを非常にはっきりと、とことんまで追い詰めています。つまり、その慰めは死に瀕した人を慰めているだけではなく、言い換えれば自分自身に対する慰めである。死に瀕した人に対する慰めとしてそう言っていることは、実は死に瀕した人にとってはちっとも慰めにも何にもなっていないのであって、ただその人にとっての慰めになっているに過ぎない。もっと極端に言えば、その人にとっての死の回避にしかなっていないと、非常にはっきりと言い切っています。
 それでは近親の死に瀕した人が死んでしまったということが近親の人にどういう影響を与えるかというと、不安や恐怖を与えることがありうるということも非常にはっきりと追い詰めています。
 だから一般的な「人間は一度は死ぬものだ」という言い方の中にあるものは、言ってみれば死について何も触れていないのと同じであるし、たとえばわれわれがよく口にするかもしれない近親の死に瀕した人、あるいは危篤の人に対しての「きっと良くなるから。再び治って元気になるからね」という慰め自体も、実は死の回避にしかなっていない。その慰めは、死に瀕した人に対して触れていくような慰めには少しもなって……
【テープ交換】
 ……必ず訪れるということ、その訪れる確実性であるということに対する不安を受け入れる勇気あるいは覚悟が重要だということを結局は言っていると思います。それならば死の確実性に対する不安を直視する、あるいはそれを受け入れる勇気がどこから出てくるのかということに対して、ハイデッガーは「それは人間の存在の先駆性だ。あるいは覚悟性だ」という言い方をしています。
 あらかじめというのはおかしい言い方ですが、ハイデッガーは「覚悟性ということ、つまり死に対して存在しているという人間の存在の仕方を先駆的に受け入れることが人間の生きていく存在の仕方だと考える。その考え方の中に死についての本当の考え方がある。結局はそこのところへ行く以外にないし、そのことが死というものに対する本当の見方だ」という言い方をしています。

8 サルトルのハイデガーへの批判

 また先ごろ亡くなったばかりですが、現代における最も重要な思想家にサルトルというフランスの哲学者がいます。『存在と無』というサルトルの最も重要な著作がありますが、やはりその中でサルトルは死について一章を費やしています。それは「私の死」という表題になっていますが、そこで死についてとことんまで追い詰めています。
 サルトルはいま言ったハイデッガーの影響下にあるわけですが、影響下にありながらハイデッガーの死に対する考え方を批判する、あるいは規定するという立場から死について一章を費やしています。
 サルトルの死についての考え方はどういうものかといいますと、たとえば非常に適切な比喩を挙げています。サルトルが挙げているのはどういう比喩かというと、人間は死に対しては、たくさんの死刑囚の中で残っている死刑囚の一人みたいなものだという比喩がある。周りの死刑囚は死刑台で次々に死んでいく。自分は死刑囚だけど、いつ死ぬか、いつ死刑台に上るかわからない。しかし、とにかく死刑囚の一人であって、刻々と周りの人たちが死刑になって消えていくのを見ている。それが死に対して人間の置かれている立場、場所だという比喩がある。この比喩の仕方は本当は間違いであると言っています。
 もしも同じような比喩を使うとすれば、そうではなくて、「死刑囚はやがて死刑になって処刑される。絞首台に上る。そのときに取り乱したり、見苦しい死に方をするのは嫌だからということで、一生懸命に死について考えたり、覚悟を決めたり、動揺したり、悟ったり、また考えたりということをいわば繰り返して、死について覚悟を決める」と。
 それは暗にハイデッガーのことを指していると思いますが、ハイデッガーのようにいつでも死についての覚悟を練り固めていて自分の死刑の日を待っている死刑囚が、絞首台に上る前に、スペイン風邪がはやっていてそれにかかってポックリと死んでしまったという比喩で語られるものが人間の死だという言い方をしています。
 つまり言い換えると、サルトルは、ハイデッガーの死についての考え方はうそだ。ハイデッガーの死についての解決の仕方というか、死についてどう考えるのが本当なのかという考え方自体もうそで手品と同じだと言っています。どうしてそう言えるかということについて、サルトルは非常に重要な考察をしています。ハイデッガーの考え方がなぜだめであり、その解決の仕方がなぜ否定されるべきかというと、ハイデッガーは一つの手品をやっているように思えると。
 ハイデッガーは死を、他者とは何の関係もなく自分自身の「私」を確実に、可能性を持って襲っているものと規定して考えている。それをサルトルは「私の死」と言い換えていますが、本当の意味での私の死はハイデッガーの考えているように存在するのかということを問うているわけです。
 サルトルはたくさんの例を挙げています。たとえば「ハイデッガーは死が私を襲うもので、他者とは何の関係もないということを前提のように言っている。しかしそれはハイデッガーが私の主観性、つまり私の心の中の問題としてしか通用しない私の死ということを、あたかもだれにでも通用するように、だれにでも襲ってくるものであるように言っているところにたぶん間違いがある」と言っています。
 その証拠にどういうことが言えるかというと、たとえば私が一人の女性を愛しているために、その女性のために死ぬことができるとか、犠牲になって死にうるとか、死ぬという場合を想定してもいい。確かにそれは私が一人の自分の愛している女性のために死ぬように見える。しかし、その場合の私の死は、実はだれとでも取り替えられるんじゃないかという問題をサルトルは出しています。
 なぜかというと、たとえばその女性を私以外の男性が死ぬほど愛することもできるし、その女性のために死ぬことができるというふうに愛することもできるのではないか。たまたま私が、その女性のために死ぬことができると考えられるということは、一種の偶然に過ぎないんじゃないか。その場合、かけがえのない私ということは主観性にしか過ぎないんじゃないか。たとえば私以外の男性が仮にその女性を愛したり、愛されたりしたとしても、やはり同じようにその女性のために死にうると考えていくと、ハイデッガーが「死は確実に他者と関係なく襲ってくる可能性だ」と言っている、その「私を襲う襲い方」という場合の私は非常に曖昧であると言えるのではないかということをサルトルは問題にしているわけです。
 それがもっとはっきり問題にできるのはこうです。つまり戦争のために死んだとか、何かの災害の犠牲になって、あるいは多くの人の犠牲になって、そのために死んだという場合には、もちろん私の死であるけれども、その私は他の人が取り替わることができる。その人が取り替わって大勢の人のために死んだとか、戦争のために死んでしまったということは、私の死であるけれども、その場合は明らかに完全にほかの他者でもいい。少しも差し支えないというか、その人も戦争のために死にうると考えていくと、ハイデッガーが考えている私を襲う死、あるいは個人、自己、個体、個別性、個別的な人間存在を襲ってくる死という、その個別性なるものはすこぶる怪しいことじゃないか。
 つまり真の私というものがそこで本当に考えられるとすれば、主観性の中にしかないのではないか。その人がそう思う「自分はこの人のために死ぬんだ」、あるいは「これの犠牲になって死ぬんだ」という内心あるいは内面においての思い方は、確実に私のもの、その人のものであるけれども、主観性以外の思い方では、死というのは私の死ではない。少なくとも「かけがえのない私の死」というものではないのではないかということをサルトルは精密に論証したうえで、ハイデッガーの死に対する考え方の批判を展開しています。

9 サルトルの死のとらえ方

 それではサルトルは死というものをどう考えるのかということも、もちろん提出しています。言い換えれば、死をどう考えたら一番いいのかということについてのサルトルの解答をしています。
 それはどういうことかといいますと、死を事実として見た場合には、ことごとく偶然性の事実と考えるべきだということです。ハイデッガーと同じように人間は必ず死ぬものだという言い方がなぜ曖昧かといえば、それは死に対する考え方になっていないからである。どうしてなっていないかというと、そういう言われ方で言う死というものを、明日死ぬかもわからないし、十年後に死ぬかもしれないし、三十年後に死ぬかもしれない。つまり時間の幅がいくらでも自由に、あるいはさまざまに取れるようなことについて、われわれが「死は確実にやってくる」あるいは「人間は必ず死ぬものだ」という言い方で確実性をそれに結びつけるのはナンセンスだ。意味がないとサルトルは指摘しています。
 つまり「明日死ぬかもわからないし、三十年後に死ぬかもしれないようなことについて、そこで確実性という概念を結びつけるのはまったく意味がない。だから、そんなことが結びつけられるはずがない」と言っています。
 それならば唯一考えられる死についての考え方は何かといえば、それは偶然性であるという言い方をしています。「それは偶然性である。偶然に襲うものである。あたかも産まれるということが偶然の事実であるのとまったく同じで、生まれるということ、あるいは死ぬということは、いずれも事実として見た場合には偶然性にしか過ぎない。偶然性と考えるべきだ。だから死というのは切羽詰った課題として考察するにも値しないし、死についての覚悟を固めるという覚悟性とか決意性、先駆性という、ハイデッガーの概念で言う死についての考え方は、ことごとく意味を成さないんじゃないか。それはまったく偶然的な事実と考えたほうがいいんだというのがサルトルの言い方です。
 むしろ逆に、われわれが事実あるいは事実の世界と考えているものは、人間の誕生と死がいずれも偶然性として同一だということが、事実の世界ということの意味だ。つまり人間の誕生と死がいずれも偶然にしか過ぎないということが、事実あるいは事実の世界ということの意味の根源を成しているとサルトルは言っているわけです。
 サルトルはそういう言い方で、死についての考察の仕方と死についてのサルトル的な解決の仕方をしています。サルトルは、それを比喩を使って言っています。
 たとえば東京から高知行きの飛行機に乗ったらやがて高知に着くのは確実だというのを、死の確実性と同じように人々は通俗的に言っています。しかしそうではない。もしそういう比喩を使って死ということを言うならば、「高知行きの航空機に乗って空を飛んだら高知に行くのは確実だということが死についての確実性ではない。死についての確実性は、そのときに二時間かかるかもしれないし、ちょっと遅れて三時間かかるかもしれないということだ。つまり二時間かかるかもしれないし、三時間かかるかもしれないという比喩で言われることが死なんだ。死というのはそう考えたほうがいい。高知行きの飛行機に乗れば必ず高知に着くというふうに死の確実性を考えるのは、一見するといかにも妥当なように見えて、それは全然うそだ。だから死をそういうふうに考えたらだめだ」とサルトルは指摘しています。
 近代以降の思想が現代の思想として展開されていく場合、ハイデッガーという哲学者は、その思想をどう評価するにしろ、これを考慮に入れずにはとても現代の思想を語ることができないというほど重要な思想家です。またサルトルも、ハイデッガーとはまるで考え方が違いますが、ハイデッガーの影響を非常に大きく受けて自分の考え方を展開していて、現代の思想を語る場合にとても抜かして語ることはできない思想家です。
 この二人の考え方は対照的ではありますが、これらの思想家が一様に考察している死についての考え方をお話ししました。われわれが漠然と、人間はやがて死ぬものですよとか、やがて死ぬものだけどさし当たって自分の番じゃないと考えて回避したり、うち忘れたりしている死の問題が実はどういう問題なのかということに対しては、少なくともこの二人の典型を挙げると、ほとんどの問題が全部出尽くしていると言えるほど、非常にたくさんのことが言われていると思います。
 つまりこの二人の対照的な現代の思想家の考え方をたどって、それにぶつけてみることによって、死についてのどんな考え方も自分が持ちうると言うことができます。それなら僕らが、あるいは僕が死についてどう考えるかということが問題になってきます。僕は死について、自分はこう考えるというほどのさしたる考え方は持っていないのですが、僕自身はこの両者の考え方のいずれにもどこかに違和感があります。どこかに納得できないところを持っているということだけは言えると思います。

10 肺結核の作家――梶井基次郎と堀辰雄

 さて先に行かなくてはいけません。さっき『竹取物語』と『古事記』の神話の物語になりかけた説話にいくらか触れながら、物語の構造、あるいは文学の原型と人間の生死、あるいは死についての考え方は何か関係があるんじゃないか。もっと極端に言うと、死についての考え方がどうあるかということが、いわばある時代の文学の成り立ちの構造を決めているのではないかという言い方をしてきました。
 だから物語が出てきた一番初めではなくて、現代の物語文学の中でこの問題がどうなっているか、あるいはどう考えられるかということに入っていきたいと思います。そして僕らの死についての考察と物語についての考察が、どこまで、どういうふうに行けるかということに少しずつ入っていきたいと考えます。
 現代の文学について、人間の生死あるいは死というものの構造、成り立ち、それについての考え方と文学についての考え方、あるいは文学の成り立ちが非常によく表れていて、典型的にそれを見ることができる、皆さんも僕も知っている作家をすぐに挙げることができます。たとえばそれは堀辰雄であり、梶井基次郎であるということがすぐにわかります。死についての考察と物語についての考察、あるいは物語がどう成り立つかという考察との関連を最もよく表現している作家であり作品であると言えるように思います。
 なぜそうなっているかというと、主題がそのように取られているだけではなく、堀辰雄も梶井基次郎も二人とも肺結核だからです。つまり肺結核にかかって、肺結核を生き、肺結核で死んだという体験を自分で持っています。もちろんその問題が主題としても、モチーフとしても、それから主題でもモチーフでもない、ある感性の流れとしても、文章のスタイルとしても、言葉としても作品の中に表れてきているから、いま僕らがここで問題にしている主題に対して取り上げるのに非常に典型的な作家だということがわかります。
 皆さんの中でお年を召した方はもちろんご存じですが、若い方は知らないかもしれないからちょっと触れてみますと、肺結核という病気は少なくとも何十年か前までは死に至る病で、肺結核にかかったら必ず死ぬと思われていたぐらいで、現在におけるがんと同じように考えられていた病気です。
 この病気を治す手段は一つもない。あるのは人間の身体に備わった自然治癒力というか、とにかくそれを増大させる以外にない。だからきれいな空気、日光、良き栄養、休息を取ることによって自然治癒力を高めること以外に、これに対する療法はないと考えられていたわけです。少なくとも僕が若いころには、そのように考えられていました。僕のきょうだいも死にましたが、必ず死ぬと考えられていた病気です。
 これを治す手段は自然治癒力を増させる以外にない。つまり、日光と安静と栄養以外に方法がない。だからこれにかかったら必ず死ぬ。緩慢に死ぬと考えられていた。もちろん梶井基次郎も堀辰雄もそう考えられていた時代に肺結核であった作家です。だからこそ物語あるいは文学の原型と、死についてのさまざまな構造が分かちがたくそこに表現され、同じ構造を持つというように作品が展開される典型となって表れてきたわけです。だからわれわれがそれを探求するのに一番適切というか、一番適した作家だと言うことができると思います。

11 肺結核という病と産業革命

 肺結核というのをもう少し申し上げると、十九世紀の初めころ、フランスにラエネクというお医者さんがいました。内科のお医者さんで、肺結核の診断というか、診断の方法を初めて発見した人です。お医者さんの専門用語で何と言うのか僕はよくわからないんですが、たとえば気管支カタルとか肺尖カタルとか肺性、つまり気管支性のカタルと肺結核とはどこが違うかということを聴診器で初めて聴き分けたわけです。
 肺結核自体は古代ギリシャ時代から、もちろん日本の古事記時代からあるわけですが、それがどういう病気かというのはさっぱりわからないで来ていました。ラエネクがあるとき気管支性の患者ではないかと言われている患者に聴診器を当てて胸音を聴いていたら、母指大というから親指大でしょうけれども、親指大の胸のある箇所に聴診器を当てたときだけ、そこから直接響いてくるような金属性の音がそこから発せられていました。
 そこと違うところに聴診器を当てた場合には普通の気管支性のラッセル音ですが、胸部の母指大のそういうところに当てたときだけ、ヒュッと直接聴診器から耳に入ってくるような鋭い金属性の音が響くということを初めて見出したわけです。
 あらためて肺結核ではないかと言われている患者を診断してみたら、ある箇所だけ金属性の鋭い音を発するということがわかって、それ以後聴診器による肺結核の診断法というか識別法が普遍的になりました。
 ところで肺結核という病気は何と関係があるかというと産業革命です。だから近代のあけぼのということと関係があるわけです。産業革命期のイギリスのロンドンにおいて肺結核が猛烈な勢いで蔓延していきます。現在から考えればいわば資本主義の勃興期で、資本家がたくさんの人と大規模な機械を使って、大規模な生産をして大規模にもうける術を初めて発見して、有頂天になって、もうけるためにやたらに規模を拡大します。
 そうして資本主義が勃興してきましたが、そのために労働者は心身ともに過剰労働に達してきたということと、都市に労働者の人口が集中し、工場が集中したために衛生状態が悪くなるとか、栄養状態がうまく行かないということも加味されて、そこで肺結核が蔓延していったわけです。だから肺結核は産業革命と非常に関係がある病気です。あるいは違う言い方をすると、人間が大規模な生産手段を獲得し、蒸気機関を獲得し、大規模にもうける方法を見出し、そのことに有頂天になっていった時代に、そういう人間の考え方と非常にパラレルな関係にあって勃興してきた病気です。
 日本でも世界的にもそうですが、結核の化学療法が見出されたのが一九四五年~一九五○年ごろで、結核はそこで初めて死に至る病であるということから脱せられました。つまり必ず治ってしまうようになったわけです。もちろん補助手段としての胸部の摘出手術とか、抗生物質の発見とか、いろいろな発達がありますが、とにかく化学療法が確立して以降に初めて結核が死病ではなくなって、むしろこれで死ぬことはあり得ないとなってきます。
 統計的によりますと、日本では一九四五年以前は結核にかかると一年以内に五○%は死ぬという統計が出ていたぐらいに必ず死ぬとされていた病気です。これに対して革命的なというか、画期的な防護方法が見出されたのが一九四五年以降で、このときから結核は衰退に向かいますから、それ以降に結核という概念を獲得している若い皆さんは、たとえば堀辰雄や梶井基次郎の文学はある意味ではちょっと滑稽かもしれないし、荒唐無稽に考えられるかもしれません。
 でも本当はそうではなくて、それは明らかに死病、死に至る病だと考えられていた。一九四五年というのは戦後のある時期ですが、それまでは確実に世界中でそのように考えられていたと言えます。だから化学療法の発見も、社会の産業の成り立ちやあり方とさまざまな関係があるかもしれませんし、もう少しそれを敷衍して現代におけるがんの多発性というのも社会構成とある関係があるかもしれません。そういうことについて確言することは素人でできないんですが、関係がある象徴なのかもしれません。
 ただ、ここで問題にしているのは肺結核自体が一九四五年以前においては死病であったということと、それが病気として大きな形で登場してきたのは産業革命以降であり、資本主義の勃興期と非常にかかわりが深いということを前提として申し上げておきたいと思います。

12 文学作品の作者はどうやって生まれるか

 ここで堀辰雄や梶井基次郎の文学を基にして、死というものに対する認識の構造と文学の原型的な現代におけるあり方の問題を探っていきたいと思います。最初に申し上げておきたいのは、文学の作者はどうやって生まれるかということです。たとえば『竹取物語』の場合にはさまざまな説があって、まだ確定されているわけではありませんが、実証的な専門家の間では「この人が書いたんだろう」と、さまざまな人が『竹取物語』の作者に擬定されています。つまり設定、仮定されています。
 しかし「作者というものはどうやって生まれるんだろうか」という場合の作者は、特定の作者と考えてほしくないわけです。作品の構造、あり方、あるいは作品を織りなしている縦糸と横糸と必然的に関係のある作者はどうやって生まれるのだろうかという意味合いで、作者という言葉を考えてほしいのです。そのように考えると、『竹取物語』はどういう織物かというと、生の世界と死の世界が織りなされてできている物語の世界だと言うことができます。また『竹取物語』以前の『古事記』の神話的な説話も、それこそ登場人物たちが自由自在に死の国へ行ったり、また生の国へ帰ってきたり、生と死がさまざまな糸になって織物のように織りなされている物語だと言うことができます。
 ではそのときの作者はだれなんだろうか、あるいはどう考えたらいいんだろうかという場合、特定の一人の作家を専門家が仮定あるいは設定するのと同じような意味合いで、ここで『竹取物語』の作者を設定することは、『竹取物語』の物語としての本質、あるいは文学の原型としての『竹取物語』を考える場合にはあまり意味を持たないことがわかります。
 それならば、この場合の作者は人間としては存在しないので、たとえば「天上のほうに理想の世界があるんだ」という考え方、あるいは「いや、そうじゃないんだ。海を隔てたどこか見知らぬ異境に理想の世界があるんだ。そこに生と死の世界のもとがあるんだ」という考え方自体が作者であると考えたほうがよろしいと思います。
 そこで特定の個人の作者を想定することは、『竹取物語』のような物語の初めの文学に対しては、学者的、学問的な意味はあるのですが、文学、芸術的な意味合いはさほどないということがわかります。だからこの場合には作者を特定しなくても、海の彼方の見知らぬ国に生と死の根拠があるんだ。そこに楽土があるんだ、ユートピアがあるんだという考え方と、天上のほうにユートピアがあるんだという考え方が織りなす世界、その織りなしている構造そのものが『竹取物語』の作者だと考えたほうがよろしいと思われます。

13 堀辰雄『聖家族』を読むことの二重性

 これに対してたとえば堀辰雄の文学、あるいは梶井基次郎の文学においては明らかに作者がいます。もちろん「堀辰雄という作者がいる」という意味合いでいるわけです。だから学者が『聖家族』の作者は堀辰雄であると確定する意味合いで作者がいます。しかしそうではなくて、堀辰雄の作品の本質的な構造とかかわりのある意味合いでの作者、本質的な意味合いでの作者というのもここで生まれています。
 どう思われているかということを、一つの例を挙げて申し上げます。たとえば堀辰雄の『聖家族』という作品があります。主人公の扁理という男性がいて、旅に出て、見知らぬ町に行って、何気なく町を歩いていて、そのときにある一つの感じに襲われます。作中の主人公である扁理は、この何とも言われないある感じを名づけることはできないけれども、もし強いて名づけるとすれば死の暗号だと考えるわけです。
 扁理は町を歩きながらそう考えて、いろいろなことを、そこからその感じを追い詰めていきます。自分がいま感じている何とも言えない、ちょっと重苦しいような、何か陰のあるような一つの感じ。でもそれを言葉にして言うことができない。その感じを扁理は歩きながら追い詰めて、死の暗号という言い方で言うのが一番いいんだと考えます。
 また作中に出てくる九鬼という死んだ作家がいます。これは扁理の知っている自殺した作家で本当のモデルは芥川ですが、九鬼という作家の死が自分の中に生きていて、ある作用を及ぼして、それがいま自分が感じているこの感じになっていると、扁理という主人公はそこで思い当たります。
 そこから扁理は、そのことを追い詰めていきます。「もしかすると九鬼という死んだ作家も生きているときに自分と同じようにこの町を訪れて、このように歩いたんじゃないか。もしかすると自分と同じような、この何とも言われない、名づけられない感じを抱いたんじゃないか」と、そこまで自分の感じた感じ方を追い詰めていくところがあります。
 僕のおしゃべりは下手ですが、皆さんが『聖家族』という作品をお読みになればわかるように、ここでどういうことがあるかというと、堀辰雄の『聖家族』の中の主人公である扁理がある町を歩きながら死の暗号であると感じている、その主人公の感じ方に自分の感情を移しながらこれを体験していきます。同時に、この体験をここで記述しているもの、あるいは主人公の扁理が感じている漠然とした苦しい感じを死の暗号だと感じる感じ方をここで表現しているのは作者ではないか。特に作者の死に対する考え方、あるいは、たぶん作者が結核にかかっていることから来る死についての考え方が、いわばこの言葉となって、扁理にこのような感じ方をさせているのではないかというふうにも読んでいることがわかります。
 つまり堀辰雄の『聖家族』という作品を読んでいる読み方を非常に丁寧に、緻密に追い詰めていくと、それは主人公がそう感じている死の感じ方を自分が読んでいると同時に、作者が死に対してある感じ方、ある考え方を持っていることがこういう表現の仕方になっているんだなということを同時に含みながら作品を読んでいることがわかります。
 たとえば私たちが堀辰雄の『聖家族』という作品を読みながら体験しているのは、作中人物の死に対する考え方がもたらすある感じであると同時に、作者が死に対して持っている感じ方を読んでいる体験だと言うことができると思います。
 このような二重性で、作品の登場人物として読んでいるその読み方の体験と作者が書いている言葉として読んでいる読み方の体験が、いわば分かちがたく一つの中に体験されている。その体験的な読み方の中で初めて作者というものが生まれているわけです。
 これは皆さんが『竹取物語』を、僕のおしゃべりではなくて直にお読みになればすぐわかりますが、『竹取物語』という作品をこのように読むことはできません。つまり『竹取物語』を読むという体験の中でわれわれが体験できるのは何かというと、「かぐや姫がこれこれの難題を吹きかけて、それに対して困った求婚者がこういうふうにした。そしてかぐや姫はとうとう最後に月の世界に上っていってしまった」という物語の筋と、先ほど僕が申し上げた『竹取物語』の基本的な構造になっているもの、天上のほうに上るというある一つの考え方あるいは感じ方と、そうではなくて海の彼方にユートピアがあるとか、生死の根拠があるんだという考え方、感じ方との織りなすあやは、『竹取物語』から受け取ることができます。
 それと同時に筋書き、物語の展開、あるいは構成の仕方も受け取ることができます。これが『竹取物語』を私たちが直に読んだ場合の体験です。だからこの場合は織りなす構造、織りなすあやを作者と見れば、そこに作者がいるわけですが、それをそう見なければ、ここには作者はいない。作者がここで生まれているんだというふうに『竹取物語』を読むことはどなたにもできないし、そういう読み方はなし得ないだろうということが言えます。

14 〈私という作者〉の〈私〉は本質的なものかという疑問

 ところで堀辰雄の『聖家族』という作品を読む場合には、明らかに僕らはこれを書いて言葉にしている作者の感じ方、あるいは作者がどういう死についての考え方を持っているかということと、作中の人物が非常に緻密に自分のある感じ方として追い詰めている、その追い詰め方と、その二つを同時に読んでいることがわかります。そうすると、ここでは明らかに作者というものを想定することができます。
 つまり一人の作者を想定することができるわけです。この一人の作者というものの登場は近代以降の文学における一つの特徴です。つまり一人の個人としての作者、本質的な作者の登場はどういうことを意味するかといいますと、輪郭ある私というもの、身体があり、心を持ち、心のある形を持ち、首尾一貫した心の形を持った一人の輪郭ある個人、輪郭のある私を想定できるということが、近代文学を近代以前の文学と分かつ一番根本的な要素です。
 ここから以降は私という個人としての作者が誕生していきます。もちろんそれ以前から物語を書いているのは個人に決まっていますが、そういう意味の個人ではなくて、本質的な作者としての個人の登場が近代以降の文学における一つの特徴です。
 ところで現代の文学を考えた場合、「輪郭のある個人と考えられる作者は、はたして本当の作者なのか。あるいは本当の個人、私なんだろうか」ということが非常に根本的な問題になってきます。このことは、先ほど死に対してハイデッガーがどう考えているか、サルトルがどう考えているかというところで申し上げたことと非常に関係がありますが、それは当然です。つまり二人とも現代を象徴する思想家ですから、そのことを考えないはずがないのです。
 だから関係が深いわけですが、そこで考察された「本当の意味での私の死というのはありうるのか。われわれが私の死と考えているものは、実はそうではなくて、本当はだれでも取り替えの利くような私ではないのか。かけがえのない私の死は本当にありうるのか」ということを、たとえばハイデッガーはハイデッガーなりに、サルトルはサルトルなりに否定したように、それを問題にしているわけです。
 ちょうど同じように、近代以降に輪郭ある私として登場した本質的な作家が、本当に本質的な私であるのか。これはだれとでも取り替えの利く私ではないのかという疑問が、大なり小なり現在の文学を根底で支配している問題だと言うことができます。もちろん堀辰雄の文学も、その疑問の中で生まれてきた文学であり、形成された作品の一つです。だから明らかに、そこでは作者というものが生まれてきています。それがどう生まれたかということについての問いは死との関連において明らかに見つかりますが、「堀辰雄の作品の中で明らかに登場している本質的な作者というものが、はたして本当に堀辰雄でなければならないのか。つまり取り替えが利く私じゃない、かけがえのない私として作者が登場しているかどうか」という疑問の中に堀辰雄の作品自体もあることは確かです。つまりそこの問題が、たとえば堀辰雄の文学が語っている非常に大きな問題の一つです。
 逆に堀辰雄の文学がなぜ優れた文学であり得ているかといいますと、本当の作者というものが、本当に私として個人に帰する輪郭ある作者がそこで成り立っているかという疑問自体を作品に登場させているし、その疑問自体をちゃんと問題にしているからです。このことが堀辰雄の作品に「ある現代性」というものを与えている根底です。

15 極限で考えられる死の迎え方

 梶井基次郎の作品でも同じで、同じようにいくらでも挙げることができますが、たとえば、死が本質的にどういうふうに襲っているか。つまり死というものがどう作品を襲っているのか。作品を襲うことによって作者を襲っているのか。あるいは逆に言って、作者が死を病として持っているために、それがどのように作品に死を襲わしめているのかという問題を、堀辰雄の作品も梶井基次郎の作品も明らかに、いわば極限の形で象徴していることがわかります。
 その例をいくつか挙げてみましょう。たとえば堀辰雄の『恢復期』という作品があります。これは堀辰雄が結核療養所に入って回復している時期の、死の恐れや不安と闘いながら療養所にいたときのことを主題にした作品ですが、その作品の中で主人公の私が夢を見るところがあります。どういう夢かといいますと、夢の中で自分のそばに一人の男がうつむいて座っています。
 それに気がついて自分が「だれだ」と言うと、Aという友人だった。「お前はAじゃないか」と言うと、うつむいている男が黙ったままいなくなってしまう。また、いつの間にか同じところに、傍らにうつむいた男が座っている。それで「お前はだれだ」と言ってよく見るとBという友人だった。「お前はBじゃないか。どうしてこんなところにいるんだ」と言うと、Bはそこから消えて、すぐにCという友人に変わってしまう。そして自分が数え上げられる友人が全部登場してしまうと夢から覚めて、夢を見ていたときの不安からも自分が覚めてしまう。
 そういう主人公が見る夢があります。夢の中でしばしば人が入れ替わってしまうとか、場面ごとに人が入れ替わってしまうというのはよくあることですが、「私」が見る夢の中では、傍らに座っている人がいつの間にか入れ替わってしまうことがなぜか非常に不安を与えます。
 そういう夢の描写がありますが、これが象徴しているもの、つまりすぐにだれかに入れ替わってしまうことが夢の中で不安であるということが象徴しているのは、もちろん死の体験です。つまり死の体験の夢であるわけです。死の体験というのは、もちろん実際的に体験することはできないんですが、夢の中ではそれを体験することができるという、主人公が体験する夢の描写があります。
 もっと極端な体験の描写があります。それは堀辰雄の『風立ちぬ』という作品の中に出てきます。主人公と恋人である結核で療養所に入った女性の二人が死の不安にかられたり、恐怖にかられたりしているときに思い出す、そこに入所している重症の病人が語ってくれた夢です。
 どういう夢かといいますと、自分は死んでしまって棺おけの中に入れられて、棺おけの中にいる。それをだれかが担いで、療養所の外の林の木の間をくぐっていく。担がれて棺おけの中で見ていると、周りの林の木々とか、そこで鳴っている風の音が耳にちゃんと聞こえる。そういう夢を見たことを語ってくれたという箇所がありますが、そこで見られている「自分が棺おけの中に入っていて、担がれていく周りの風景を見ている」という夢のあり方は、夢の専門の言葉とか病気の専門の言葉で言えば離人症とか離人的な体験の夢です。
 自分から離れてしまって自分が見えるという、その離人の体験が夢の中に表れるということは、もちろん死の体験を象徴しています。死の体験という言い方がまずければ死後の体験と言ってもいいんですが、それがはっきり自分でわかるという夢のあり方は、言うまでもなく死の体験を意味します。
 堀辰雄の作品の主人公たちは、しばしばそのようにして死の体験あるいは死の不安に襲われていきます。そして襲われては、またそこから回復していくということが堀辰雄であり梶井基次郎の作品を形成するモチーフになっていますし、もちろんテーマにもなっています。
 もっと本質的には、作品を支配している目に見えない構造になっています。この構造の中でどう考えられているかといいますと、これもまた『風立ちぬ』の中に典型的に描かれています。
 今日の出来事と明日の出来事はまた違う、朝の出来事と午後の出来事は違うというふうに、われわれにはたくさんの出来事があり、さまざまな起伏のある出来事にぶつかって、そこでさまざまなドラマが現実に展開しています。それをわれわれの生活と考えるとすれば、たとえば堀辰雄が『風立ちぬ』で主題にしているところで言えば、主人公たちは二人ともそういう世界を奪われて、療養所に入って、そこで二人で生活しているわけです。
 堀辰雄の描写では、そばにいる自分の恋人の快い存在とか、握る手のひらの温かさとか、ときどき交わす何気ない会話とか、それ以外には生を象徴するものは何もない。生活はもちろん何もなくなってしまっている。そういうところで自分たちの生き方が始まっていくんだということです。
 つまり起伏のある日常生活、そこでぶつかるさまざまな出来事が物語あるいは文学の中の物語性を成り立たせているとすれば、死の病気で起伏のなくなった生活というものが堀辰雄の作品の世界を非常によく象徴しています。あるいは生というものをもっと極端に押し進めて、起伏自体がなくなった生活を考えていけば、「それはとりもなおさず死を象徴している」と言うこともできます。
 そうすると堀辰雄の『風立ちぬ』という作品が典型的にそうですが、自分たちが織りなす物語は、普通の人が日常世界の中でさまざまな事件にぶつかりながら織りなしている現実の物語とはまったくかかわりのないものです。まったくそれを奪われてしまったところで、療養所の中の病室の病人がいるベッドの周りでしか物語を成立する基盤がなくなっている。だけど自分たちの物語はここから始まるということが、いわば『風立ちぬ』の入り口です。つまり『風立ちぬ』という作品の始まりですが、その中で堀辰雄が何を描きたかったかといえば、日常の起伏がなくなったところで織りなす物語というもの、起伏がなくなったところの極限で考えられる死の迎え方です。
 その迎え方の中に物語が初めて成り立つというところで作品を成り立たせているということが堀辰雄の文学の中で言えるわけです。そこが堀辰雄の文学を成り立たせている非常に根本的な問題です。

16 堀辰雄『風立ちぬ』の結末のつけ方

 先ほど堀辰雄の作品の二重性ということを申し上げましたが、二重性の中でその問題がはっきりと提出されてきます。『風立ちぬ』の主人公たちは、そのようにして恋人は療養し、それに付き添って病院で一緒に暮らしながら生活していきます。その起伏のない世界の中で『風立ちぬ』という作品が始まっていくわけですが、その作品の途中で主人公と病んでいる恋人である女性が話し合って、「私は自分の病気をちゃんと自分で見つめて、それを治していく中で自分の生、あるいは自分の生活を築いていかなければならない。それと同じように、あなたも何もしないでここにいるんじゃなくて、ここで自分の仕事をしていかなくてはいけないんじゃないか」と言います。主人公も自分の物語をつくっていかなければいけないと考えて、たとえば恋人を看護する傍らで自分の物語を構想するために療養所の外を徘徊したり、自然を観察したり、そこで物語の構想を考えたり、いわば物語を構想し始めるわけです。
 それに対して主人公の女性はベッドに入ったままでじっとしています。訪れるのは不安ばかりで、それに耐える生活と不安との繰り返しの中で、だんだん病が重くなっていきます。主人公は看護する傍らで、しだいに自分の物語の構想をつくり上げていきますが、いずれにしてもその結末はいくつかに想定されてしまうわけです。
 そのいくつかに想定される結末に共通しているのは、恋人である女性がやがて死んでいくということで、それだけが物語の共通の結末になっています。主人公は恋人の死をどう考えるかが物語の結末としていくつか違う結末を導きうるということに、だんだん思い至るわけです。
 たとえばあるとき主人公は、一つの結末を空想します。看護しながら自分たちの物語も進んでいって、やがて恋人である女性は、主人公が献身的に自分の病気を、死に至る病を看護してくれることを感謝しながら幸福感に満たされて死んでいった。その恋人のことを考えて主人公も非常に幸福感を感じて、これから生きていく望みを持つようになった。
 そういう結末をあるとき主人公は考えますが、主人公はその考えた結末を否定するわけです。つまり、この結末のつけ方はだめなんじゃないかと考えます。なぜかというと幸福だからだめなんじゃないか、この幸福な結末を考えることによって自分は恋人の死を回避しているんじゃないかということです。
 恋人の死を本当にちゃんと見つめることができなかったということが、物語に幸福な結末を少なくとも与えようと自分が考えた原因ではないのか。つまり自分はそう考えることによって、人間の存在自体を非常につまらないもの、俗っぽいものだと考えてしまっているのではないか。人間というのは本質的にそんなに俗っぽいものではないと本当は考えるべきではないか。そうだとすれば、主人公の献身的な看病で恋人が幸福感にかられながら死んでいったというような幸福な結末を物語につけてしまうのは、人間の存在の仕方を非常に卑俗にしてしまう、つまらないものにしてしまう考え方が自分の中に忍び込んでいるからじゃないかと考えます。

17 死についての考え方と文学についての考え方が同じかたちに

 それで主人公は、この結末を自分の物語の構想の中で取ることをためらって別の構想を考えるわけです。そして先ほどの幸福な結末の場合に、死んでいった、あるいは死んでいく恋人に対してどこが自分はだめなのかということを突き詰めていきます。
 どこがだめだったかというと、これはハイデッガーの言い方と同じことになりますが、自分は、恋人が自分が献身的に看病したことに感謝して幸福感にかられながら死んでいったと思うことによって、恋人が死ぬときに思っていたであろう本当の死についての思い方を回避しているんじゃないか。つまり恋人が死んでいくときに本当に思ったであろう思い方を、自分の都合のいいように、あるいは自分が楽なように変えてしまっているところがだめなんじゃないかと考えます。
 自分は恋人が死んでいくときに本当に死について思っただろう、その思い方を受け止めてやって、その死を死としてちゃんと置いてやっているのではない。その死を無理に自分の生の幸福のほうに引き寄せてしまって、そのために恋人が本当に思っただろう死についての思い方を回避しているということが、自分がこの物語の結末を幸福な結末にしてしまったことの原因じゃないのか。つまり、そこが問題じゃないかというふうに主人公は考えるわけです。
 つまりこの考え方の中から、ハイデッガーが考えたこと、もちろんリルケが考えたことの影響が堀辰雄の中に非常に大きく本質的に食い込んでいることがわかります。また、ある意味では堀辰雄は単独に、文学の作品の構造と死に対する考え方の構造をそこまで追い詰めているということがわかります。
 そこで主人公が最後に納得いく形として考えた結末はどうなっているかといいますと、自分が看護しながら、恋人はだんだん病が重くなって死んでいった。その後に自分は、恋人が死んでいった療養所がある村へやってきて、そのとき自分たちが生活した場所、自然を再び体験して、そこを歩いてみた。そこに行って、体験してみて、そのときに自分の中に起こってきた感じは何かというと、自然は自然のままそこにあったということ、その場所の体験のままそこにあったということだ。そして恋人の死も、そのものの体験のままそこにあった。それがよみがえってきた。そこで自分が感じたのは幸福でもない、不幸でもない感じだったというものです。
 物語の結末をそういうふうに持っていったときに、『風立ちぬ』の主人公は一つの安堵感というか、安定感に達するわけです。主人公がそういう安定感に達したときに、達したところでと言ってもいいんですが、そのときに『風立ちぬ』という作品自体が終わります。つまりそれは主人公の物語の終わりであるとともに、作品である『風立ちぬ』の物語の終わりです。
 このところで堀辰雄の死についての考え方は、ハイデッガー的でもないし、サルトル的でもありません。ただ死は死のほうに置かれ、生は生のほうに置かれ、過去の体験は体験のように置かれたときに、自分に訪れている心の状態は幸福でもなければ不幸でもない。あるいはもっと違う言い方をすれば、起伏ある物語でも、起伏ある感情のドラマでも何でもない。「幸福でもない、あるいは不幸でもない非常に中性的な」と言えばいいでしょうか。そういう状態だったという結末のつけ方の中に、堀辰雄の文学を支配している死についての考え方と生についての考え方が含まれていることがわかります。
 それと同時に先ほど言ったように、私たちはたとえば堀辰雄の『風立ちぬ』という作品の中で、あるいは堀辰雄のすべての作品の中で、作者と作品、あるいは作品の登場人物の二つの体験を同時に、それも分かちがたく体験していることがわかります。そのことが現代において私たちが文学を読むということ、あるいは批評すること、鑑賞することの根底にある非常に根本的な特徴です。
 作品の中にある登場人物の体験であり、同時に作者の体験であるというものが織りなしているその織り方、構造が、現代の文学における一つの特徴だということ、つまりそういう作者の表れ方が特徴だということがわかります。その特徴の中で、なおかつ現代において非常に疑問とされ、かつ問題とされなければならないのは、死についての考え方と作品、文学についての考え方、あるいは作品を成り立たせている構造が同じ形をしているということです。そのことが非常に問題にされなければならないと言うことができます。

18 〈ほんとうの私〉というものはありうるのか

 死にこだわってきましたが、なぜ死に対する考え方が文学について、あるいは文学の構造について非常に重要な核になるかといいますと、死は体験としての極限であり、極限としての事件だからです。事件が物語であり、物語が文学であり、それが作品の構成を成すというのが文学芸術の一般的な性格だとするならば、死は最も極端な物語であり、極端なドラマであり、極端な事件であり、そこで体験する死に対する反発、拒否、回避、受け入れ、あきらめ、また反発、あきらめ、受け入れ、そして他者の慰めという中に、最も極限のドラマ、極限の物語性が圧縮されているからです。
 ある意味では、死に対する考察の仕方の構造が現代における文学の構造の基本を決定していると言えます。そうすると本当の意味で何が問題なのかというと、何が人間の存在の仕方なんだろうかということが文学における根本的な問題であり、それが文学を成り立たせている根本的な要素だと言えると思います。
 では何が人間の存在なんだろうかという場合、先ほどリルケとサルトルの例で言ったように、一番問題になることは私たちの存在の仕方です。あるいは死のあり方でも、どちらの言い方でもいいですが、私というものの死のあり方はどうあるかということです。それはハイデッガーが言う意味での私の死、つまり本当の私というものがありうるのかということです。
 たとえば私たちは、しばしば「私の愛はかけがえのないものだ」と言っています。あるいはそう言わなくても、「私がつくった作品は自分にとって非常にかけがえのないもので、これはだれにもつくることができない。それほどかけがえのないものだ」と言っています。しかし本当にそうなのか、本当にそれはかけがえのないものか、自分以外の人がかけがえもなくその人を愛することは可能じゃないか、ありうるんじゃないかという疑問があります。
 それから私がこの作品の作者であり、この作品は私の個性の刻印が分かちがたく残っていると私が考えたとしても、本当にそうなのか、本当にこの作品は堀辰雄でなければつくれないかというほど、ここに堀辰雄の真の私が刻印されているかどうかという疑問の中に堀辰雄の作品はあります。
 しかしこの疑問は、堀辰雄だけの疑問ではありません。つまり一般的に現代の文学作品にとっての疑問で共通に言えることは、ここでかけがえのない私というものがありうるのかということです。かけがえのない私のあり方、あるいは私の死のあり方がありうるのかと、とことんまで問い詰めていったときに、「真の私というものがはたして残るのか。主観性以外に残るのかどうか。本当に残るか。本質的な意味で残るかどうか」という疑問が、現代における文学の一番根本にある問題です。
 この疑問を堀辰雄の作品も提出していますし、現代のさまざまな作品はいずれもこの疑問のあり方を本質的に提出しているということが言えると思います。これは通俗的な意味でも言えます。
 通俗的な作品というのがあるでしょう。つまり大衆的な小説だと言われているものとか、流行的な作家が書いた作品だと言われているものの中にも、非常に通俗的な形でも、本当にこの人でなければ書けないのか、かけがえのない私、作者というものの存在がこの中にあるかという疑問はあります。言い換えれば、われわれがつまらない作品だと思っている作品の中にも、もちろんそういう通俗的な形で表れています。
 しかしわれわれが非常に優れた作品だと思っている現代文学の作品も、本当の意味でかけがえのない私の存在がこの作品の中にあるか、あるいは私の死というものがかけがえなく現代においてありうるかという問い自体の中に全部置かれていることがわかります。つまり、この置かれている「私というものがありうるかどうか。かけがえのない私が主観としてだけではなくて、自分の思い込みだけではなくて、本当の本質的な意味でありうるかどうか」という疑問に対してどのように答えられるのかという問題が、たぶん現代の文学において原型的に提起されてくる、つまり文学の原型として提出されてくる根本的な問題であり疑問であると言うことができると思います。
 現代の文学作品は、個々の作者が意識していると否とにかかわらず、皆さんが無意識のうちにそこのところを目指して作品を形成しつつあります。形成しては失敗し、あるいは部分的に成功しては失敗し、またそれを試みるということを、非常に高度な作品も、またごく普通の作品も、いずれも繰り返し試みながら根本的な疑問に何とかして解答を与えようとしているというのが、現代の文学の原型的な問題だと言えると僕は思います。
 まず、この問題が申し上げられたらばよろしいんじゃないかと思いました。これで終わらせていただきます。(拍手)