1 〈西欧的〉と〈アジア的〉

 いまご紹介にあずかりました吉本です。今日のこれを見てみますと、「アジア的と西欧的」となっているんですけど、ぼくは「西欧的とアジア的」というふうに逆にお話しようかなとおもってきたので、どういう意味あいで〈アジア的〉と〈西欧的〉という言葉を使っているのかといいますと、これはテーマとの一種の妥協ということになりますけど、〈西欧的〉という言葉で何を意味したいかといいますと、日本もこの近20年ぐらいの間のどこかで仲間入りをしました先進社会的といいましょうか、あるいは、先進資本主義的といいましょうか、その先進社会的という意味のことを〈西欧的〉という言葉でまず言いたいのがひとつあるわけです。
 それから、〈アジア的〉という言葉で何を言いたいかというと、もちろん地域としてのアジアということも意味したいわけですし、また、アジアとは言わないでオリエントと言っているものも、〈アジア的〉という概念のなかに含めて考えたいわけなんですけれども、それだけではなくて、一般的に現在の後進的な社会というもの、あるいは地域というもののもっている問題という、漠然とした意味あいで〈アジア的〉という言葉を使いたいわけなんです。どこからいこうか、あるいは、どういうことを言ってみたいかということを申し上げますと。

2 論理と同一性

 まず、〈西欧的〉ということでは、ひとつは「論理」ということを言いたいわけなんです。つまり、「論理」ということが〈西欧的〉というもののなかで、どういう意味をもつかということ、それから、もうひとつ言いますと、「手段」ということを言ってみたいわけなんです。「手段」ということが〈西欧的〉という概念のなかでどういう意味をもつか、たとえば、手段というのは色々な手段があるわけで、芸術でいえば表現手段ということがあります。その表現手段というものも社会の展開とともに変わっています。芸術の場合もそうですし、また、もちろん、どこか生産という場面をとってきても、生産手段というものを言った場合に、手段というのは刻々と変わっていくわけなのです。だから、「手段」という問題を〈西欧的〉という概念のなかで、どういう意味をもつかという、あるいは、先進社会的という意味あいのなかで、どういうことを意味するかということを言ってみたいわけなのです。
 それでもうひとつ言ってみたいことがあるのです。それは「権力」ということなんです。「権力」という問題が〈西欧的〉という概念なんかでどういう意味をもつか、それで、それが現在どういう意味をもっていると考えたらいいかという、そういう問題を言ってみたいということがあるわけなんです。
 「論理」ということから始めてみますと、どういう論理を例にとっても構わないわけですけど、いちばん簡単な例をとりますと、簡単な例をとって申し上げたいと思うのですけど、いちばん簡単な例のひとつは、「AはAである」という論理的な言い方があるわけです。つまり、AはAなんだという、いってみれば、論理的には自同律ということになるわけでしょうけど、また、哲学の言葉でいえば、同一性という言葉になるわけでしょうけど、「AはAである」ということは、いったいどういうことなんだということ、つまり、西欧的な概念のなかではどういう意味になるのかということを申し上げてみたいというところから始めてみたいと思うのですけど。
 「AはAである」ということ、つまり、同一性ということなんですけど、同一性ということには、いくつかのことが含まれています。それは文字どおり「A=A」という意味あいがひとつあります。つまり、AというものはAに等しいんだという、AはAそのものなんだという意味あいがひとつあると思います。
 それから、もうひとつ、西欧的な概念のなかで重要なことは、Aというものは、たくさんAというものがあるとすると、AというものはAというものと等しいという、関係があるといいましょうか、媒介があるといいましょうか、AとAというのは等しいという関係にあるという、そういう概念がAはAであるという概念の中に含まれます。
 つまり、同一性という概念の中には、そのものがそのものに等しいという問題と、それからもうひとつは、そのものがそのものと等しいという関係にあるとか、Aはたくさんの違うAと等しいという関係にあるという、その関係という概念が同一性というなかに含まれていることがあります。
 これは相当、重要な概念なので、重要なことだと思います。つまり、我々があっさりAはAそのもので、A=Aであるというふうに言っているもののなかに、AはAというものと同じだという関係性にあるという概念が含まれているということは、かなり重要な西欧の論理学とか、数学とか、幾何学とか、西欧だけで発達したそういう問題の中で重要な概念だというふうに思われるわけです。
 もうすこし、重要だと思われる概念を、いわゆる「AはAである」、あるいは同一性という概念なんかで、もうひとつ重要だと思われることがあるわけなんです。それは、ちょっとそこまでいくと、人間とか、人間の思考というものと関係してくるわけですけど、つまり、AはAと等しいというふうに考える考え方というものと、それから、考えている存在といいましょうか、考えている人、あるいは物ですけど、その考えていること自体も、それから、考えている人、あるいは物自体も、やっぱり、AはAという、同一性という概念のなかに含まれてしまうんだということが、もうひとつ、西欧的な概念のなかでは非常に重要なことのように思われます。
 つまり、西欧的な概念のなかでは、何かが存在しているという意味あいは、考えている、あるいは、思考しているといいましょうか、考えているということと同じ意味合いをもつということがとても重要なことのようにおもわれます。つまり、考えていることと、存在しているということとは同じなんだ。それで、同じように、A=Aという場合には、同じ同一性という概念のなかに包括されて、そのなかに考えているもの、あるいは人と、考えていること自体、あるいは思考自体が、ぜんぶ含まれている、そういうことがとても重要な概念だと思います。

3 ヘーゲルの同一性

 つまり、そのことはたぶん、遡るとギリシャの時代から一様に〈西欧的〉といわれている概念のなかに含まれている問題の中でいちばん重要なことのようにおもわれます。だから、古典近代の時代に代表的な、誰でもいいのですけど、たとえば、ヘーゲルならヘーゲルという哲学者をとってくれば、やはり、同一性のAはイコールAであるという概念のなかで、「AはAである」という概念自体と、そういうふうに考えている存在自体とは全部その概念の中に包括されてしまう、だから、考えることと存在することはイコールであるというようなことが、ヘーゲルの概念の中には含まれてきます。
 そして、ましてヘーゲルの場合には、考えること自体が存在の中に含まれてしまうということ自体を非常に根源的にといいますか、本質のところまで遡っていきまして、ヘーゲルにとってはもっと極端なことをいいますと、絶対的な概念とか、絶対的な理念とか、絶対的な真理とか、そういうものだけが、いってみれば存在するのであって、つまり、あらゆる論理及び論理の展開されたもの、あるいは、論理によって名付けられたものというのは全部、絶対的な真理とか、絶対的な概念からいちいち流れ下ってくるものなんだという概念が、ヘーゲルなんかの場合には極端にあるわけです。
 しかし、この考え方というのはヘーゲルだけのなかにあるわけじゃなくて、古典近代の西欧の概念の中には、ぜんぶ含まれていると言っていいくらい同じなのです。たとえば、デカルトならデカルトという人をとってくれば、デカルトの概念の中でいちばん重要なことはどういうことかといいますと、あらゆる事態あるいは事柄というものは、ごく単純なところから出発して、それを積み重ねて論理的に考えていけば、必ずそれは解けてしまうものだ、つまり、到達できてしまうものだという概念がひとつデカルトのなかで非常に重要な概念なんですけど。
 もうひとつは、あらゆることはやっぱり疑うべきだ、つまり、あらゆることはぜんぶ疑うべきだ、つまり、感覚的に真だと思われるものとか、あるいは、思考によって真だと思われるもの、あるいは、あらゆるそのほかのことによって、ほんとうだと思われていることは、ぜんぶ疑うべきだという概念があります。
 しかし、最後に疑っているじぶんというものだけは疑うことができない。だから、疑っているじぶんというところの状態にあるじぶんはやっぱり存在するものなんだ。それは、確かに存在するものだ。ほかの場合にはぜんぶ存在しないとしても、何かを疑っているとか、何かを思考しているとか、何かを考えているとかっていう自分だけは、そのときだけは存在しているものなんだという概念は相当やっぱりデカルトのなかで重要な概念になっているとおもいます。
 この概念はデカルトだけじゃなくて、同時代の誰でもいいのですけど、たとえば、ライプニッツならライプニッツをとってくれば、モナドという概念があるわけですけど、モナドという概念はやはり自然事象のなかで非常に本質的な、これ以上は細分化されない単位というのがモナドなので、あらゆるものはモナドのひとつの現象、あるいはモナドの現れとして考えることができるという概念を近代の初期に、つまり、古典期にそれを展開するわけですけど、そのなかでもやっぱり重要なのは、ヘーゲルでいえば、絶対的概念とか、絶対的理念といっているものですけど、ライプニッツでいえば、神という概念になるわけですけど、神というものの現れとしてモナドというのは、神から派生してあらゆる事象の根本を司っているものとして存在してしまうと、そういう概念はライプニッツのなかで非常に重要な概念であるわけです。
 このように考えていること、あるいは、論理的であること、あるいは、疑っていること、そのときだけ人間は存在するんだ、あるいは、そのときだけ、存在という概念と、それから、考えるという概念が同一なんだということを、この概念は、このことは西欧的な思考のなかで非常に重要な概念なんじゃないかというふうに思われます。
 これを先ほど言いました「AはAである」、つまり、同一性という概念のなかで、この問題をもうすこし先までもっていってしまいますと、たとえば、いちばんいいのは、ヘーゲルがいちばん例としていいわけですけど、ヘーゲルのなかで同一性という概念はどういう意味あいをもつかといいますと、この同一性という概念を非常に純粋にじぶんがじぶんに等しいとか、AはAに等しいという同一性として考えた場合には、AはAに等しいという同一性の純粋なるものというのが、いわばヘーゲルにとってはあらゆる存在するものの本質というふうに考えられているわけです。
 だから、ヘーゲルにおいては同一性の純粋なるものが、いわば事物、あるいは存在するものの本質なのであって、あらゆるものはここから流れ下ってくるというふうに考えられていると言っていいとおもいます。
 ヘーゲルが事物の同一性の純粋なるものとして、本質という概念を考えていった場合に、ヘーゲルの場合には、いくつかの段階が区別されています。本質というものの同一性、つまり、純粋な同一性としての本質というものは、まず第一にどういうことかというと、第一には区別ということなんだという考え方がヘーゲルのなかにあります。つまり、区別ということが本質の非常に重要な性質のひとつなんだと、それで、もうひとつは差異という、違いということなんですけど、差異ということがその次に重要な移行概念なんだと、差異という概念をもう少し移行させていくと、それは対立という概念になるというのがヘーゲルの論理の中で非常に重要なものになっています。
 だから、ヘーゲルの場合には、「AはAである」ということの純粋な同一性という概念から出発して、それで区別という概念があり、それから、差異という概念があり、そして、その最後に統一という概念があり、それらは移行という間柄のなかで、ぜんぶ結びついて、そして、最後に対立という概念の中には、差異と同一ということの一種の統一が対立の中にあって、また新たな同一性、新たな差異性とか、新たな区別とかいうものが、また生じていくというのが、ヘーゲルの論理の中で非常に大きな問題になります。

4 ハイデッガーの差異

 このヘーゲルの論理の中で、もうひとつ重要なことというのがあるのですけど、それはどういうことかというと、ヘーゲルの概念の中では同一性、つまり、「AはAである」ということの同一性ということの中にしか、差異性とか、区別とか、対立という概念は、生まれてくる根拠がないということ、つまり、同一性という概念の裏っ側に差異性といいましょうか、違いという概念は、そのなかにほんとうは内包されているのであって、内包されているものが移行という仕方のなかで、対立まで極端化されていくという概念がヘーゲルのなかにあります。
 ところが、この概念を、論理学的にいいますと、ヘーゲルだけを問題としたといいますか、ヘーゲルだけが問題であったハイデッガーという哲学者がいるわけですけど、ハイデッガーのなかではヘーゲルの同一性概念、純粋なる同一性概念としての本質という概念、それから、差異性という概念、そういうものがハイデッガーのなかではどういうふうに考えられているかといいますと、これは、いわば時代の相違といいましょうか、西欧的な思考方法が、いわば解体に向かって変遷していく、やむをえない必然みたいのがあって、ヘーゲルのように絶対的な概念とか、絶対的な真理とか、絶対的な理念とかいうものは、すでにハイデッガーのなかにはまったく存在していないわけです。存在することはできなくなっているわけです。
 ですから、まずハイデッガーのなかではヘーゲルの純粋なる同一性としての本質という概念とか、存在の絶対性とかいう概念はもうハイデッガーの中にはなくなってしまって、ハイデッガーのなかでは何が問題になるかといいますと、それは、ハイデッガー自身がそういうことを言っていますけど、つまり、じぶんとヘーゲルとはどこが違うか、思考の場所、あるいは思考の現場といいましょうか、あるいは思想の現場というものとして、どこが違うかというと、じぶんにはすでにヘーゲルがもっている絶対的な理念とか、絶対的な概念とか、あるいは絶対的な真理みたいなものは、もうなくなっちゃっているということ、だから、ヘーゲルが考えている思考の現場というものと、じぶんのもっている思考の現場というものは、同じ論理の問題の中でまったく違っちゃっていると、つまり、じぶんにはすでに同一性が本質であるというようなところにはもういけなくて、同一性というところから追い詰められた差異性ということしか、じぶんにはほんとうの論理学のテーマというのはなくなっちゃっているんだというようなことを、ハイデッガーはじぶんの論文の中で述べています。
 つまり、すでに同一性という概念をどこまでも追い詰めていくと、あとに差異性というのしか残らないと、そこですでにヘーゲルの同一性とはまったく違っちゃっていて、ヘーゲルの同一性は少なくとも差異性を内包しているのであって、同一性が崩れていった場合に差異性の問題が出てくるというような、そういう論理の筋道があるわけですけど、ハイデッガーではすでにそういう筋道がなくなってしまって、同一性というものから追い詰められていった場合に、いわば残りの概念として、差異性というものが考えられると、そして、その差異性についての差異といいましょうか、それしか、じぶんの論理的なテーマというのは、ほんとうはないんだというふうにハイデッガーが言っているところがあります。
 そこのところがハイデッガーならハイデッガーの、これは西欧の現代的な手法の論理の原型になっているわけですけど、ハイデッガーの場合にはすでにそこまで違っちゃっているということがあります。つまり、じぶんの論理というのは差異性についての差異なんだ、あるいは、差異についての差異性ということがじぶんの論理の非常に大きなテーマなんだというふうに、ハイデッガーはすでにそういうところまで、じぶんを追い詰められてか、追い詰めてしまってか、どちらかでありましょうけど、そういう概念をハイデッガーは提出しています。
 ハイデッガーにとって問題にするにたる哲学者というのはヘーゲルしかいなかったわけです。だから、そこでヘーゲルとじぶんとの違い、あるいは、論理学の根拠の違い、あるいは、哲学の根拠の違いというのをはっきりさせなければならないみたいな考え方がありまして、ハイデッガーはそういうふうに論理におけるじぶんの現場というものを否定しているようにおもいます。

5 キルケゴールの反復

 「手段」という概念のところにいく場合に、そこのところで問題にしたい哲学者が一人いるわけです。それはキルケゴールという哲学者なんです。キルケゴールという哲学者をどうして問題にしたいかといいますと、ヘーゲルがいちばん目の敵であったわけですけど、ヘーゲルの論理学の中で移行とか、関係とか、それから、いってみれば媒介とか、そういうふうにヘーゲルが言っているものは何かといったら、ほんとは、それは反復なんだというのが、キルケゴールのヘーゲルに対する異議申し立ての根本にある概念なんです。
 つまり、媒介とか、関係づけとか、移行とかというふうにヘーゲルが言っているようなものは、ようするに、非常に陳腐なものなのであって、ほんとうはこれは組み替えられなければいけないと、その場合に、なんで組み替えるか、どこで組み替えるかといったらば、ヘーゲルはそういうふうに関係とか、移行とか、媒介とかいうことを契機にして、つまり、それを仲立ちとして、同一性から差異性へ、それから、区別へというふうに、あるいは、対立へというふうに変わっていくと考えているものというのは、全部それは反復という概念で、ぜんぶ言い換えることができるんだというのがキルケゴールの大きな異議申し立ての根本点なわけです。
 反復という概念さえ、これを捉まえれば、そうすれば全部、近代における西欧的思考の原型になっている概念は、ぜんぶ組み替えることができるんだ。そして、それを組み替えることによって、いわば、ギリシャ的な思考方法というものがまだ分化しない以前のところまで論理の問題を遡ることが、つまり、繋げることができるんだということが、キルケゴールの非常に大きな異議申し立ての根本点にあるわけです。
 キルケゴールの反復というのは、どういうことかといいますと、ギリシャ人の、たとえば、論理、思考というものの根本を司っているのは何かといったらば、それは記憶とか、追憶というものが根本にあるんだという、そういうふうにギリシャ人はちゃんと考えている。
 そうすると、じぶんの反復という概念は何かといいますと、それはいってみれば、過去に対する、あるいは、過去に遡っていく追憶というものを、じぶんは反復という概念で置き換えることができる。それから、ヘーゲルがいう媒介とか、移行とかっていう概念は、未来へ反復される追憶というような概念でそれは置き換えることができるんだ。だから、全部、じぶんの反復という概念を繰り返しという概念を通じて、いわば、同一性というものは区別という概念に移行し、そして、それは差異性に移行し、そして、それは対立に移行しというふうに言うことができるのであって、ヘーゲルがそういうふうに移行とか、媒介とか、あるいは、同一性と差異性は一種の関係づけなんだというふうに考えているのは、全部それはそうじゃないと、いわば、経験の反復とか、追憶の反復とか、記憶の反復とか、あるいは、未来に対する追憶とか、それから、過去に対する反復とか、そういう概念でぜんぶ置き換えることができるんだと、そうすると、全部、その反復という概念を蘇らせることによって、近代初期の、つまり、古典近代の論理的な思考方法というものと、それから、いわば、古代ギリシャ的な思考方法と貫徹するひとつの論理的な観点というのを得ることができるんだというのが、キルケゴールの非常に大きな考え方の根本になっている問題ですし、また、キルケゴールが精一杯、ヘーゲルのもつ絶対理念とか、体系性とかいうものに対して、決定的な異議申し立てをしながら、しかし、かろうじてといいましょうか、根本に自分の論理が成り立つ根底として提出している概念が反復という概念なんです。
 これは、キルケゴールが『反復』という著書の中で繰り返し強調している点なわけです。この概念が「手段」という概念を考えるのに、たいへん便利なというのはおかしいですけど、いい概念だというふうに言うことができます。たとえば、生産手段を媒介として、原料から製品への移行というのは考えられるみたいな、そういう概念もまた、生産手段の反復によって、原料から製品へと移行させることができるんだというような、原料から製品を作ることができるんだという場合に、生産手段の反復で、あるいは、いわば、生産手段を入れなくても反復という概念によって、製品と原料とは繋げることができるんだという言い方もできますし、また、それはちょうど生産手段を媒介にして、原料から製品ができるんだという言い方と同じことになりますけど、しかし、反復という概念はじつに見事に実情に即しているといいましょうか、そういうことをいうことができます。
 手段ということ、あるいは、芸術表現ということを考えても同じことなんですけど、表現という手段を媒介にしてとか、あるいは、映像という手段を媒介にして、映画を作るなら作るという場合に、媒介となる手段というのを、これを反復なんだというふうな概念に置き換えることによって、かなりな程度、表現手段、あるいは、表現なら表現というものの媒介的な本質みたいなものを言い換えることができるようにおもいます。
 この反復という概念はとても重要であり、また有用なふうに思われますので、この反復という概念を提出したキルケゴールという、非常に非体系的な、体系をもたない哲学者ですけど。あるいは、体系を拒否した哲学者ですけど、この哲学者の存在というのは、西欧的な思考の中で重要なものなんじゃないかと考えられます。

6 手段

 この論理の学というものが、自然現象とか、事物の現象とか、あるいは、人間と人間との関係の現象とか、それから、何でもないものから表現的なものへ移っていく移り方といいましょうか、そういうものの運動を全部、論理の概念を使うことによって、ぜんぶ説明することができるし、ぜんぶ論理の概念によって覆い尽すことができるという思考方法は、西欧だけにしか発達しなかったと言っていいくらい非常に重要なもののように思われます。
 この重要さというものが、手段の分野でいいますと、現在みたいな技術的な社会を作り、あるいは、情報的な社会を作りというようなことの根本にある、あるいは、科学を発達させとかいうものの根本にあるものであって、論理的な思考、あるいは、論理を積み重ねていく思考方法、あるいは、論理を積み重ねているとき、はじめて、人間というのは存在するんだという、そういう極端な概念というものは西欧的思考に特有なものでありますし、また、これがあって初めて、いわば西欧的な社会といいましょうか、西欧的な社会に典型を見つけられる、現在の先進的な社会というものの、あらゆる問題は生みだされて、欠点も美点も含めて、生みだされてきているということは、言うことができると思います。
 そこのところで手段の問題になりまして、それじゃあ、現代というものを手段の分野から考えて、観点から考えて、現在、つまり、西欧的な意味合いでの先進社会というものをどういうところで捉まえていったらいいかというような問題に入っていきたいと思うのです。
 この手段ということだけでいいますと、たとえば、マルクスならマルクスにこういう言い方があります。風車とか、水車とかいうものの存在です。つまり、粉をひくための風車とか、水車とか、そういうものの存在というのは、封建社会というものを象徴するものだ。蒸気的なミル、粉挽き機ですね、蒸気的なミルというのは、やっぱり資本主義社会というものを象徴するものだという言い方を、マルクスは比喩的な意味あいで、そういう言い方をしています。
 そうだったら、現在の電子ミルといいますか、エレクトロニクスミルというものは、電子的な粉砕機というもので象徴される手段の分野というのは、どういう社会を象徴するのだろうかということが、大雑把な意味あいでいいまして、現在の先進的な社会、あるいは、西欧的な社会というものの、いちばん根本にある問題だと思われます。つまり、蒸気ミルというものが資本主義の初期、あるいは、資本主義の興隆期というものを象徴したとすれば、電子ミルというものの現在考えられる、手段の分野での象徴的な機械ですけど、それは何を象徴するのかという考え方が、現在の先進的な社会というものを考える場合の非常に大きく、皆さんもそうでしょうけど、大きくイメージが分かれるところだと思います。
 つまり、電子ミルというものが、現在の先進的な社会の手段の分野を象徴するとすれば、それは資本主義でない超資本主義といいましょうか、超資本主義を象徴するのだろうか、それとも、そうじゃなくて、資本主義の終焉といいましょうか、終末、あるいは、死というものを象徴するのだろうかというものが、たぶん、皆さんの中で、先進的な現在の西欧社会、あるいは、日本も仲間入りをしたわけですけど、日本も仲間入りをした先進的な社会というもののイメージを作る場合に、非常に大きな問題になるとおもいます。つまり、大きな分かれ道の問題になるとおもいます。
 しかし、この問題は大きな分かれ道の問題に、いっけんするとなるのですけど、実質上はこれを超資本主義に移行するんだと考えられても、資本主義は死滅して、違う何かになるんだというふうに、そういうふうにイメージを浮かべられても、たぶん、実質的にはそれほどの違いはもたないだろうなっていうのが、ぼくの考え方はそうです。つまり、大いに違っちゃうんだというふうには、ぼくは少しも思っていなくて、かなりな程度、同じことを意味するんじゃないかなということが、ぼくのなかにあるイメージです。
 このイメージの問題は極端なことをいいますと、現在の問題のほとんどすべてを象徴しているわけで、ですから、これは皆さんがゆるりゆるりとお考えになられて、決定されればいいとおもいますが、つまり、電子ミル、電子粉挽き機という言い方で暗喩して、現在の先進的な社会というものを象徴させますと、それは超資本主義へ移行しつつあるというふうに考えるか、あるいは、資本主義は死につつあると考えるか、大雑把にいえばどちらかだと思いますけど、それは実質上はどちらかと考えても、さして違いはあるまいというのが、ぼくらが漠然と抱いている考え方です。

7 表現手段

 そこで象徴させられるようなものが、様々な分野でどういうふうなあらわれ方をしているかということをちょっとお話したいと思うのです。これは、もちろん、それこそ生産手段の分野、つまり、産業の分野で問題にしてお話してもよろしいわけですし、どんな分野でお話しても結局は同じことになってしまうのですけども、あんまり産業の分野で直接お話するよりも、たぶん、表現の分野でお話したほうがわかりやすいでしょうし、きっと皆さんは、そういう専門の人とか、そういうことに関心のある人が多いわけでしょうから、そこのところでお話してみたいと思います。
 これは様々な例をあげられるのですけど、ぼくはわかりやすいし、ぼくはわりに熱中しているから、テレビの番組を例にしてお話してみたいと思います。テレビの番組の中で、どんなもので象徴してもいいのですけど、象徴させるのに便利なものをひとつだけあげてみますと、日曜日の午後の8時から8時45分頃までの間の第4チャンネルで、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』というのが、4月頃からたしか始まったはずなんです。その番組は非常によく電子ミルという、現在の先進的な社会が当面している非常に大きな問題というのをよく象徴しているような気がするのです。
 その『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』というのは、いままでに2つ大きなテーマというのを取り上げているとおもいます。ひとつは、具体的に荒川区のほうにあるわけですけど、熊野前というところがありまして、熊野前に商店街がありまして、この商店街がさびれているという、これをなんとかして活性化することはできないかというふうなことを考えまして、たとえば、川崎さんがCMを作ったりとか、あるいは様々な知恵を言ってあれしたりとかいうかたちで、どうやったら活性化できるかというようなことをひとつやったと思います。活性化するために具体的にこういうCMを川崎さんが作ってこういうふうにやったんだとか、商店街の人たちにはこういうアピールをしたんだとか、あるいは、商店街の人が寄り集まってこういうことをやったんだとかというようなことを、いちいち具体的に映像でたどりながら、それがいかに、そういうふうなことに介入していくことによって、いかに商店街が活性化されていくかということをテレビでやっているわけです。
 それからもうひとつ、横浜商科大学かなんか、さびれた大学であることを取り上げまして、このさびれた大学をいかにして景気がいい学校に展開するかということがありまして、それもまた、それをどう活性化するかというようなことを色々考えまして、そういう催しをしたり、あるいは、同じ横浜にあるフェリス女学院大学みたいな、そういうところの女の子と交換をさせたりとか、そういうことをいちいち映像に映しながら、いかにこれが活性化されていくか、あるいは、活性化の力を呼ぶかということを、いちいちその経過を映しながらやってきているのが、今までの経過だとおもいますけど。
 そうすると、この問題はどこかで大きな問題を含んでいると僕はおもいます。ひとつの問題は何かといいますと、テレビの映像の中に登場する人たちが、いわば、現場の街筋とか、現場の学校とかいうところのあり方というもののなかに介入していって、ある所定の効果を得るため、つまり、活性化するために何ができるかということを、ともかくやっているということが、やったということが、非常に大きな問題だというふうにおもわれます。
 なぜ、大きな問題かといいますと、映像の中の、ビートたけしにしろ、登場している人達にしろ、いずれにせよ、その存在というようなものが意味をもつのが、映像の中の人間として意味をもっているわけです。つまり、映像としての人間であるわけです。映像としての人間が何を勘違いしたか、あるいは、何を勘違いしないのか、つまり、新たな試みであるのかということが大きな問題なんですけど、それが実際の街筋の中に行って、映像人間が街筋を実際に活性化するために、あるいは、さびれた学校を活性化するために、何かほんとうにできるかどうかということを、とにかくやってみたということが、非常に大きな意味合いをもつわけです。つまり、ここでは具体的な人間としてどれだけの意味をもつのかということの試みがこのなかにあるわけなんです。
 もっとたくさんの深読みができます。つまり、映像人間というものと、映像でない具体的な人間というものとが、ある種の交換関係といいましょうか、錯覚関係の中で交換されているということが、深読みしてみれば、その中に含まれているということが非常に重要な問題のように思われます。
 ここでは、映像の中の人間、あるいは、映像としての人間ということと、具体的な現実の生の人間ということとが、いわば同一化されているという問題がこの中に提起されているということができると思います。これは非常に大きな重要な問題であり、またかつ、たぶん、これは電子ミルの時代といいましょうか、電子ミルの時代でなければ到底ありえなかった錯覚であり、ありえなかった交換風景なわけです。つまり、映像がすでに現実的人間と等価値であるというようなところ、あるいは、同一性であるというところに、ある種の考え方が成り立っているということを意味しているわけで、このことは電子ミルの時代でなければ、到底考えられなかったということがありうるわけなんです。だから、そのことは非常に大きな問題のようにおもいます。
 それから、もうひとつ、この番組を象徴させてみますと大きな問題があります。それは何かといいますと、番組のテレビを見ているかぎり、視聴者といいましょうか、つまり、見ている人に対して、実際に活性化したんだ、しているじゃないか、つまり、効果があったじゃないかというふうに映像自体は組み立てられていると思います。しかし、ほんとうはわからないのです。ほんとうは、そうかねっていう疑いをもって見るのが、たぶん正しい見方であって、映像を見ているかぎりは、映像としての人間たちが介入していって何かやったら、ほんとうに活性化されてきたよというふうに、映像自体は映していますけど、ほんとうに活性化されているかどうかは行って見なければわからないわけです。わからないというふうに疑ったほうがいいのです。
 それはもうひとつの映像の作用で、映像の作用は実際にそうであるかどうかということとは別に、そうなったよというふうに作り上げることができるという、思考の経路を、あるいは、映像の経路を作り上げることができるということ、つまり、人間のイメージというものをそういうふうに作り上げていくことができるということが、非常にもうひとつ大切な問題のようにおもいます。
 これは実際にほんとうに活性化しているかどうかということは、ほんとうに行って調べてみないとわからないので、これは眉に唾を付けたほうがいいので、つまり、横浜商科大学がああいうふうにやったら、ほんとうに活性化されて、ほんとうに来年度の入学試験にはわんさか人が押しかけるかどうかというのは、ほんとうはわからないことなのですけど、少なくとも、映像を見ているかぎりは、そういうふうになっていきつつあるよということを、たぶん、見せることには成功しているとおもいます。しかし、もし意地悪い見方というものがありうるとすれば、ほんとかねというふうにもうひとつ疑って、映像がひとりで走ってひとつのイメージを作り上げているので、ほんとうはそうじゃないのかもしれないということは、よくよく考えたほうがいいということがありうるわけです。つまり、映像というのは、映像自体として、現実の事態とかかわりなく、人間を引き込んでいくということが、人間をある意味形成の場所に、あるいは、イメージ形成の場所に引き込んでいくことができるということが成り立っているということを、この番組というのは象徴しているのです。
 つまり、この2つの象徴的な意味があれば、この番組というのは決していい番組といいますか、いまのところうまく固まって、面白い番組になっていると言えませんけど、しかし、意味としてはたいへん大きな意味をもっているので、たぶん、現在のいわば電子ミルの時代といいましょうか、高度情報化の時代といいましょうか、そういう電子ミルの時代、あるいは、超資本主義へ移行しつつある時代の映像と現実とのかかわり合いについて、とても大きな問題を含んでいる番組なようにおもいます。その意味ではたいへん新しい番組の試みだというふうにいうことができるというふうにおもいます。

8 世界視線

 そういう例というのはいくつもあげることができます。たとえば、ボードリヤールという人が『象徴交換と死』という中であげている例というのはちょっと違う例なのです。やっぱり同じようなことなんですけど、あげているのがあります。それはパリ郊外の空港で航空ショーみたいのがあって、そのときにソ連の超音速旅客機がそこで墜落したという例をあげて、墜落して死につつあるパイロットの姿というものを機内のテレビでもって、つまり、死につつある自分というものを見ながらパイロットが落っこちていくという、飛行機が落っこちていくという、そういう場面というものが、これは一種のハイパーリアリズム、つまり、ハイパーな空間というものの、あるいは、ハイパーな映像というもののあり方というものを象徴しているということをボードリヤールは例にあげています。
 これもまったく同じなので、死につつある自分が、死につつある自分の映像というのを見ながら死につつあるというのは、一種の映像のデカダンスといえば映像のデカダンスなのですし、また、映像と現実との関係というものでいえば、現実と映像とがもはや逆転しちゃっているという、たいへんデカダンスです。一種のデカダンスとして、あるいは、映像のデカダンスとして、それは存在する存在の仕方なのですけど、しかし、それは明らかにボードリヤールの例をあげても例をあげなくても、その手の映像のデカダンスというものは、いくらでも指摘することができるのです。具体的にありうるわけです。
 つまり、死につつある自分の映像を見ながら自分が死につつあるというような、そういうことというのは、映像との関係で成り立ちつつあるということなのです。つまり、死につつある自分の映像をパイロットがじぶんでもって見ながら死につつあるということが可能であるということは何を意味するかといいますと、映像の次元でいいますと、もうひとつ、映像の次元と映像を見ているパイロットとのそういうかかわり合いというものをもうひとつ見ている視線というものを想定することができるわけでして、それを考えますと、これはいってみれば、少なくとも四次元の映像のあり方だということがいえるわけなのです。つまり、死につつあるじぶんの姿をじぶんが死にながら見ているというような、そういうことは言ってみれば、見ている自分と映像の中の自分というのを、もうひとつ見ている視線というもの、つまり、四次元のところから見ている視線というのを想定すれば、これは、辻褄があうわけなので、こういうことは映像としてはデカダンスなんですけど、いってみれば、しかし、いまの電子ミルの時代といいましょうか、あるいは、超資本主義へ移行しつつある時代というようなものを象徴する非常に大きな意味あいをもつ例だということは言うことができるとおもいます。
 このことは重要なことなので、現在、考えられるかぎりは、いまのボードリヤールがあげている例とか、ぼくがいまテレビのビートたけしの番組をあげましたけど、この番組に象徴されている映像のあり方というものは、ぼくは非常に高度な、いってみれば、映像の問題としては、これ以上高度な映像というのは現在のところ考える必要がないというふうに考えられる高度な映像というものを象徴しているというふうにおもいます。
 つまり、だいたいにおいて、映像の概念というようなもの、あるいは、これは社会像という概念に拡張しても同じことですし、また、生産手段というふうに限定して考えても同じ問題に当面しているわけですけど、つまり、像としての社会、あるいは、イメージとしての社会のあり方というものと、社会の具体的な現実的な場面のリアルなあり方というものとの間に、いわば区別を設けることがあまり必要でない、あるいは、同一なものとして、いつでも交換できるものとして考えられる、もうひとつの視線というものを想定せざるをえないということを考えますと、想定せざるをえない視線というものが、いわば、これからどういくか、これから電子ミルの時代はどう展開されるかという場合の、いわば到達点といいますか、あるいは、そこからの出発点というのかわかりませんけど、これは終末と言っていいのか、はじめといっていいのかわかりませんけど、つまり、そこから見られている視線というものを考えることができるわけで、この問題がやはり社会像の問題としても、映像の問題としても、それから、もちろん、文学・芸術のような表現の価値の問題としても、つまり、最終的に現在、やがてだんだん大きく問題が、普遍化されて出てくるだろうなと考えられる大きな問題なわけなのです。これがようするに電子ミルの時代というものを非常によく象徴している事柄だとおもいます。

9 2つの軸

 さきほども言いましたように、これがどこにいくかということは、誰にもわからないことですし、これがウルトラな展開をするのか、あるいは、存外、ぶち壊れてしまうのか、そこのところは何とも言われないわけで、しかし、そこの問題のところで捉まえますと、現在、急速に変わりつつある様々な映像の分野、表現の分野、あるいは、手段の分野の問題というものが、あるいは、社会像の問題を捉まえる場合の根本的な捉まえ場所ってものが、わかりやすく得られるのではないかというふうに思われるわけなんです。
 ここの問題のところで、様々な大きな問題が混交してあらわれてきています。これはいっけんすると、なんとも不気味といっていいのか、やりきれない世界に移ってしまうんじゃないかというような不安とか、危惧とかいうのも同時に起こるわけですし、また、これは政治的な制度とか、政治的な分野の問題として何を意味するのかというような、そういう問題にもつながっていくかもしれませんし、現在、提起されている問題で様々な混乱を引き起こしている根本にある問題は、つまり、手段の分野として、いってみれば、無限に変わっていってしまう、この変わっていく趨勢を押しとどめる手段、方法というものは、まず、ほとんど考えられないというふうなかたちで手段の分野が変わっていってしまう、その変わっていってしまうことが、あらゆる分野を引き落としていってしまうといいますか、引きずっていってしまうというような、そういうことが起こりつつある、その問題を解く鍵というものが、そこに含まれているようにおもいます。つまり、ここの問題が、現在、西欧的な、あるいは、先進社会的な社会が一様に当面している問題であるというふうにいえるだろうと思います。
 日本というのはどういう国かわからないわけなんですけど、つまり、わかりにくいわけですけど、このわかりにくい日本というのも、たぶん、ぼくの理解の仕方では1960年代から1980年代の間のどこかで、急速な展開の仕方で、いわば、西欧先進型の社会に急速に移行してしまったということがあるとおもいます。
 それで、たぶん、手段のある特定の分野だけをとってきますと、それは、たぶん、世界の先進的な社会の中でも一二を争う先進性の仲間入りをしているというのが、たぶん日本という国の現状じゃないかというふうにおもいます。つまり、先進社会の中に移行した日本のイメージの中で、ある特定の分野で考えれば、たぶん、一番目か二番目くらいのところの分野のところで、先進国のイメージの中に入り込んでいるということが言えるとおもいます。
 ところで、なぜ、日本という国がすっきりしないかといいますと、もうひとつの問題があるわけなんです。それは今日のお話でいえば、〈アジア的〉という概念が、日本の中で、日本のイメージを作る場合に、どういうふうに消滅しつつあるかということをよくよく考えて、どういうふうな消滅の仕方をして、どういうイメージでつかまえたら、現在の消滅の度合いというものを、あるいは、消滅しない度合いというものをつかまえることができるかというようなことの問題が非常にうまく解けない問題なのです。あまりうまく解けているということを知らないわけなんです。だから、面倒くさいから、日本は先進社会のなかに、あるいは、西欧型の社会に仲間入りしちゃったんだと、そのなかでも一二を争う、そういう社会になってしまったんだというふうに、すっきりと切り捨ててしまいますと、切り捨ててすっきりさせてしまいますと、事柄は非常にすっきりするわけです。また、すっきりと問題は解けるわけで、そうすると、たぶん、西欧の先進的なというより先端的な社会というものから、少し遅れて同じことをやるに違いないとか、同じ足場を踏んでいくに違いないと考えれば、まず日本の問題というのはぜんぶ解けてしまうというふうにすっきりするわけなんです。
 ところが、ぼくの理解の仕方では、どうしてもすっきりしないんじゃないかということがあります。つまり、もうひとつのことを考えなきゃいけないことがあります。それは何かといいますと、日本というのはどのくらいの度合いで、どのくらいすっきりといいましょうか、どのくらいのあり方で、アジア的社会から離脱してしまったかという問題、その問題の度合い、あるいは、その問題のイメージというものをよくよくもうひとつ作れないと、そうすると、どうも日本の問題というのは、あんまりすっきりしないんじゃないかということが、ぼくの理解している日本に対するイメージの取り方なんです。
 ですから、ぼくがたとえば、西欧的な先進社会の民衆といいますか、誰もが中流意識をもっちゃったとか、中産階級の意識をもっちゃったとかというような社会のあり方のなかにあぐらをかいて、ぼくがたとえば、コム・デ・ギャルソンかなんかの背広かなんか着て写真を撮ったりすると、そうすると怒る人がいるわけです。おまえ、そんなの着てって、つまり、東南アジアのボロボロのを着て貧乏している民衆のことを考えろって言う人がいるわけなんです。
 そのことは何を意味するかというと、ぼくは、おれは西欧的な先進社会に仲間入りした日本国の社会の一員であるというふうに、じぶんはそういうふうにすっきりと思い決めて安心していると、そういうふうに言われちゃうわけなんです。洋服ひとつ着るにも、ビール一杯飲むにも、東南アジアのボートピープルみたいな人を考えないといけないんだとか、アジア・アフリカの難民、飢えている人達を考えないと、ビール一杯飲めないというふうな、そういうふうな考え方というのは、また一方にあるわけなんです。
 そういうことがあるということは、特定の人がそういう考え方をもっていると考えないほうがいいのであって、むしろ、やはり日本の社会の中にどういう度合いでかわかりませんけど、ある度合いでアジア的な社会の特質というものが、日本の社会の中に残っているんだ、それはどういう度合いで残っているかわからないけど、残っているが故に、その種の批判の仕方というものが提起されてくるんだというふうに考えたほうが、ぼくはいいようにおもいます。
 ただ、ぼくが絶対取り入れたくない考え方は、つまり、現在の日本の社会というものを理解する場合に、あらゆる先進社会的なものはぜんぶ否定的な象徴であると、つまり、薪とロウソクでもって生活したほうがいいというふうに考えるとか、あんまり贅沢しないで、みんなボロを着て生活したほうがいいというふうに考える人とか、そういう人と、それから、そうじゃないと、日本はぜんぜん西欧的な先進社会に入りきっちゃっているんだ、入りきっただけじゃなくて、そのなかでも一二を争うところにきちゃっているんだというふうに、すっきりしている人との対立の問題として、現在の問題を考えることには、ぼくは組したくないのであって、それはそうじゃないんだと、つまり、少なくとも、現在の日本というものを考える場合には、ふたつの軸といいましょうか、軸が必要なのであって、それは先進社会に入ってしまった日本というものの社会的なイメージと、それから、なにほどかの度合いでアジア的な社会というものの歴史的なあり方というものの影をちゃんともっている日本というあり方というものと、そのふたつの軸というものを、いわば、併存させながらといいましょうか、併存させて、それがどういう…。
 おまえ贅沢な服を着てとか、ビール一杯飲むのにも東南アジアの青年を考えろというような、そういう言い方というのに対して、ぼくは反発しますし、それは間違いだというふうにいいますけど、ぼくはその場合でも、そういう軸というものは、なにものかの度合いであるのだけど、そういうことを言う人は度合いを間違えているのであって、度合い自体は存在するというふうに、なにほどかの度合いでそれは存在しているんだというふうに考えるのが、ぼくはいいと考えています。
 この軸がなくなっちゃったのに、こういう馬鹿なことを言っているやつがいるというふうに考えないほうがいいのであって、まだ存在するんだけど、この人は度合いを間違えているんだよ、度合いをどこかで間違えているだよ、あるいは、度合いのイメージを間違えているんだよというふうに考えたほうがいいというのが、ぼくの考え方です。
 つまり、それが現在の日本の社会というものを考える場合の基軸といいますか、基本軸についての、ぼくらのもっているイメージなわけなんです。そこでもって、今日のテーマである〈アジア的〉というテーマの問題というものが、いわば問題になってくるというふうに言うことができるとおもいます。つまり、ここの問題を少し、ぼくなりに申し上げてみたいというふうに思います。申し上げた後で、もう一回、日本というのはイメージがどうなんだというふうに考えていって、いま申し上げる前よりも、すこしイメージがはっきりできたら、ぼくのおしゃべりが意味があったというふうになるんですけど、あまりさして変わり映えがなかったら、さして意味はなかったということになるとおもいます。

10 マルクスにおける〈アジア的〉

 なにほどかの度合いで残っているアジア的な残存物と考えまして、その〈アジア的〉という概念はどういう概念だろうかってことを申し上げてみたいとおもいます。〈アジア的〉という概念をぼくらが考えて、いちばん論理的にすっきりと言っちゃった人というのは、マルクスという人がたいへんよく、19世紀末か20世紀の前半に、わりあいにすっきりと言っちゃった言い方があるんです。マルクスを、エンゲルスが往復書簡みたいななかで、わりあいにすっきりと言っちゃっている言い方があるんです。何を〈アジア的〉というものの特質として捉まえようかということが、おふたりさんの、つまり、初期の社会主義者ですけど、初期の社会主義者の大きな問題になったわけです。
 それは、西欧社会だけを考えて、西欧以外の社会というものは、いわば、残余の社会というふうに片づけちゃったわけですけど、しかし、片づけちゃったということで、ほんとは片付いていないということは、初期の社会主義者たちがよく知っていることであったんです。じゃあ、これはどこで捉まえたらいいかというふうに考えて、わりあいにすっきりと言ったことがあるんです。
 それはどういう言い方かというと、支配と被支配というものを考えた場合に、〈アジア的〉という概念には3つの特色があると、何かというと、アジア的社会の支配者といいますか、支配層といいますか、それは、3つのことを考えればいいんだ。それは、ひとつは何かというと、いわば財政部門の省だといいましょうか、いまの通産省なら通産省といいますと、いわば、財政省というものをひとつ考えればいい、それから、もうひとつは軍事省というのを考えればいい、それから、もうひとつは、いまで云えば建設省というのか、つまり、大きな土建屋といいましょうか、つまり、大きな公共事業をやる、そういう省というのをひとつ、その3つの省を持てば、アジア的な社会では支配者というのはその3つの省を持てばいいんだ。それでもうすっきりしちゃうんだというような言い方をしたわけです。
 ひとつは財政省といいましょうか、つまり、どうやって国家の財政をもってくるかということでひとつ考えればいいと、それから、もうひとつは軍事省、軍事的な問題です。ようするに、他の国家が攻めてきた時にどうしたらいいかという、そういう軍事力というものをもっていればいいと、それから、もうひとつは、ようするに、公共事業省といいましょうか、建設省といいましょうか、ようするに、公共事業をやる、そういう省がどうしてもアジア的な社会では必要なんだ。そういうふうに考えたわけです、言ったわけです。
 ひとつひとつ、もうすこしだけ立ち入ってあれしますと、財政省というのは何かというと、アジア的な社会では、ようするに貢納制だということ、ようするに税金を納めるといいましょうか、税金を国家に納めるという、それが財政省の主な仕事なんだという、これがアジア的な社会の特徴だということ、もっとそのことを言いますと、アジア的な社会では土地はぜんぶ公有のものなんだ、つまるところ公有の、公の最たるものは君主であると、つまり、帝王であると、アジア的な専制君主だけがすべての土地を、国家の土地をぜんぶ持っているのであって、帰するところ皇帝の土地に帰着するわけで、だから、その土地をいわば、ここの村落の人達は、それを耕して、肯定の土地を、いわば、公用地を借りて、それを耕しているんだから、収穫したものは税金として収穫物を納めなければならない。こういう制度をいわば貢納制というわけですけど、アジア的な社会のいちばんの特徴は貢納制ということだと、そうすると、公有された土地というものを耕して、そこから収穫物を得て生活をしているわけだから、その生活をした残りのものというのは国家に納めよということ、これが貢納制ということですけど、これがアジア的社会の大きな特徴だっていうものが、指摘された財政省の主な任務ということになります。
 これをもう少しだけ経済学的な範疇といいますか、そういう言い方に言い直しますと、この貢納制における税金ですね、いわば収穫物のある何%かを国家に納めるという、国家はそれを倉にとって置いておくというような、そういう貢納制ということは何かといいますと、貢納というのは何かといいますと、もちろん税金なんですけど、同時にそれは経済学的な範疇でいいますと、地代ということになるわけです。つまり、貢納される税金とは何かといいますと、それはようするに地代なんだということ、ようするに、地代を国家に、あるいは、君主に納めているんだということがアジア的社会の大きな特徴なんだということがひとつあげられたことなんです。
 あとは軍事的なことというのが問題になるわけですけど、このアジア的な社会では、主に大陸とか、近東とか、オリエントとか、アジアの大陸を考えた、もちろん、マルクスたちはそれを考えているわけで、つまり、西欧から見られたアジアというのは、我々から見るとオリエントというのが、わりあいに当たる概念なんですけど、マルクスやなんかはオリエントとか、せいぜいインドとかいうふうなところが非常に主要に考えたところなんです。だから、オリエントとして考えたほうがいいのですけど、これもアジア的な概念のなかに入りますから、そこで考えてみますと、そこではすぐにわかりますように、村落の農耕共同体というようなものが、わりあいに広い土地のなかで、わりあいに小さく固まって、それが点在して、それはそれなりに自立的な共同体的な社会を、部分社会を作っているというのが、アジア的な社会の非常に大きな特徴なわけなんです。
 そうしておいて、そのかわり、上のほうの国家、あるいは、なんとか王朝というものは、すぐに他から征服者がやってきて、戦をして敗けてしまうと、すぐに王朝は代わってしまうわけなんです。代わってしまって次の王朝がやっぱり、わりあいに独立して営んでいる村落共同体を支配すると、その場合に、村落共同体を破壊して支配するということをしないで、いままであった村落共同体というのをそのまま成り立たせて、そこを村落の長というものを通じて、それを支配するというような形になる。また今度は、次の王朝が、ヨーロッパからか、近東からか、極東からか、攻めてきて、いまもっている王朝を滅ぼしてしまう、つまり、戦をして滅ぼしてしまった場合には、また違う王朝がやってきて村落共同体を支配する。そうすると、村落共同体のほうでは、王朝がさまざま交代しても、そんなのは知ったこっちゃないといいましょうか、そんなのは、いちいち付き合っていられないと、我々は独立の共同体をつくって、そこで耕して、そこでやっていこうというふうに、そういうふうになっているので、せいぜい小さな部分国家しかつくらないでやってくるわけです。
 征服王朝というのは、いくらでも方々からやってきて、戦に敗ければ交代するし、それを退けたりすることもあるという形で交代するわけです。それがアジア的な社会での特徴なんですけど、そこでどうしても軍事力というのがどうしても必要なんです。軍事力を司る省というのは、どうしてもなければならないということがあるわけなんです。
 それから、もうひとつは、公共事業省ということは、そういうアジア的な社会の特徴と関係するわけですけど、それは何かといいますと、それは農耕共同体というものは、非常に広い土地でもって、わりあいに閉鎖的な独立的な共同体、あるいは、小国家をつくって分立しているものですから、それらを総合して全体の耕地用の灌漑用水をつくるために、河川を修復するとか、池を作るとか、あるいは、流れをせき止めて、そこから灌漑用の水を引くとか、そういう灌漑工事というものを大きな規模でやろうということをできる実力のある人のある小さな共同体もないし、また、そういう小国家もないものですから、大部分がアジア・オリエントの大陸というものを考えると、砂漠地帯というものがかなり大きくありますし、また、平地地帯というものは、ちょっと雨が降ると、雨期になると、河川が氾濫して、田畑というのは潰れてしまい、水浸しになってしまうところは多いですから、どう考えても大規模な灌漑工事というものをやるものは、やっぱり中央政府しかないということなんです。
 だから、中央政府はアジア地区では、どうしても大きな灌漑工事をやれる力と、そういうことをやる役割をするということがどうしても必要なわけで、それは非常に柱になっているということがあって、それが必要であるということは、それがまた中央政府がやるという形がアジア的社会の大きな特徴だということを、マルクスなんかはそういうことをあげています。
 そうしますと、これは逆の現象を考えれば、非常によくわかりやすいわけで、アジア的な社会というものは、アジアでも、アジアじゃないところでも、アジア的なかたちをもっている社会ではそうですけど、たとえば、シルクロードでも、東南アジアでもいいですけど、昔、数千年前に栄えた大都市が、いまは廃墟になっちゃっていて、建物の石積みだけしか残っていないというところがいたる所にあるでしょう、ああいうのはどうして成り立つかといいますと、ひとつは中央政府が、たとえば、征服されたとか、征服されないということで、代わってしまったり、それから、追い出されて他の土地に行っちゃったとか、他の地域に行っちゃったりすると、ようするに、灌漑をやってくれる人がいないわけなんです。つまり、灌漑工事というのをやってくれる人がいないから、いままで歴然と栄えていた大都市が、王朝が代わってしまうとか、王朝が別なところに移動してしまうとかいうことになると、すぐに街自体がといいますか、都市自体が、都市としてぜんぶ潰れてしまうと、もっと極端な場合をいいますと、ほんとは何千年も栄えたはずの文明というもの自体がすぐに廃墟になっちゃうということがありうるわけなんです。
 これはアジア的な社会の大きな特徴なんです。それはなぜかといいますと、それは中央政府といいましょうか、中央の王朝というものが、征服されたり、滅亡したり、そうしたことを意味しているわけです。そうすると、中央政府が滅亡したって、ほんとうは村落社会とか、都市とかが滅亡する必要はすこしもないわけですけど、しかし、すでに灌漑工事をやってくれる人、あるいは、全体的に請け負ってくれるものはいないものですから、どうしても、街自体が、都市自体が滅びてしまうとか、あるひとつの王朝に従属した、対応した文明自体が滅びてしまうということが、アジア的社会ではありうるわけです。
 それはなぜかといいますと、中央政府に大規模な灌漑工事というものが委ねられているという、アジア的社会の特質ということから由来するわけです。だから、アジア的社会では、公共事業省といいましょうか、灌漑工事用の公共事業をやることが、中央政府の、あるいは、中央の王朝の大きな任務になるということがありうるわけです。つまり、この問題がとても大きな問題としてあるわけなんです。
 つまり、そうしますと、たとえば、アジア的な社会で、支配者あるいは支配共同体というのを考えれば、いま要約されるような3つの主な役割というのをもっていれば、支配共同体と被支配共同体とはひとつの国、国家というものを作れるというような、こういうアジア的な社会の特徴、それから、アジア的な社会では、ちいさな小国家、あるいは、ちいさな地域の共同体というものが、それぞれかなりな程度、独立した度合いで存在していて、自立自営していて、それに近いかたちで存在していて、それは王朝が代わろうがどうしようが、じぶんたちの共同体だけは守っていこうという形で対処してきた。
 そういうアジア的な社会の特質ということは、たとえば、様々な部門で、どういうことを特質して生みだすかといいますと、第一に、先ほど言いました西欧的な意味でいう論理といいましょうか、論理の展開というもの、あるいは、小さな簡単なことを単位として、それを積み重ねていって、複雑な問題を解いていくとか、あるいは、小さな簡単な解けうる問題から出発して、それをどんどん積み重ねていって、あらゆる事物における関連性というものを掴んでいくとか、そういう考え方というものは、こういう社会では、存在しなくてもいいわけですし、また、存在することは、たぶん、なかなかできないわけです。
 つまり、簡単なわけで、支配共同体と被支配共同体との関係は何かといったら、それは、公共の土地を、つまり、支配者の土地を借りていると考えて、その中の土地を耕したら、借りた土地を耕したんだから、税金として、耕したものの収穫のいくらかを納めるというような、そういうかたちでしか、いわば、支配共同体と被支配共同体との関係というのはありませんから、ここで、構築される論理的な階梯というのは、つまり、段階というものは、こういう社会では成り立ちようがないので、端があると、一方の端があるというような、それだけのことでありますし、また、支配があれば被支配があるというようなことを考えればいいわけです。

11 「内側」と「外側」

 また、近頃、西欧的な概念のなかで流行りである「内側」と「外側」という概念でいいますと、外側というのは共同体の内部ではいらないわけで、支配と被支配という、つまり、内側同士の支配、被支配というのを考えれば、そうすれば、外側を同じ役割といいますか、同じ意味合いをもつわけで、アジア的な社会が「外側」という概念をもつのは、ほんの最近といったらおかしいですけど、日本でいえば近世の初頭ぐらいのときに、初めて本格的な意味でもったというふうにいえるわけです。
 これは、どこの社会でもそうです。インドの社会でも非常に太古です。つまり、仏教なんかが発生した太古から19世紀の初頭ぐらいまでのあいだは、やっぱりアジア的な社会であってというふうに考えれば、話は済んでしまうというふうにあったわけです。
 だから、そこでどういう問題ができるかというと、農耕的な社会があって、それで、余計な収穫物は税金として納めると、それだけの社会がいわば大きな筋道であって、そこにたとえば、インド社会でいえば、家内工業、つまり、農業の農家が兼業でもっていた紡績の小さな工業が成り立っていて、また、それを販売する商業が成り立っていると、それがわずかに成り立っていて、だいたい19世紀の初めまでやってきちゃっているということがあるのです。
 つまり、そうすると、アジア的な社会で、「外側」という概念を考えるとすれば、もちろん王朝は征服王朝というのがありますから、これは「外側」と「内側」というのは、絶えず同一性として交代しているわけですけど、いわば末端の村落共同体、あるいは、農耕の共同体というのを考えますと、これの「外側」という概念はインドでいえば紡績工業ですけど、紡績工業が家内工業の位置を脱しないかぎりは「外側」という概念をつくれないわけです。だから、インド社会でいえば、19世紀の初頭までは、「外側」という概念はなくて済んだし、また、なかったというふうに考えてもいいわけなんです。
 だから、これはイギリスがインド社会を征服しまして、インド社会に入り込んできまして、インド社会の家内工業としてあった紡績工業を、いわば産業革命の、先ほど言いました蒸気ミルですけど、蒸気機関というものを紡績機として導入して、大規模に紡績産業というものをやることができるような、そういう設備、装置というものをインド社会に導入したときに、はじめて、インド社会が本格的な意味での農耕社会に対する外部というものを、あるいは、内部観念に対する外部という観念をはじめて生みだすことができたというふうにいうことができます。それまでは外部というものは存在したとしても、極小にしか、つまり、小さなものとしてしか存在できなかったというふうに言うことができます。
 日本でもまったく同じことです。つまり、小さな細工物の工業とか、農機具の工業とか、鍛冶屋さんとか、そういうようなものというのは、近世まではそんなに大きく発達しているわけじゃないのです。これが、いわば農耕社会に対する「外部」という概念をつくれる唯一のものなわけです。唯一のものがそんなにたくさんの勢力をもったわけじゃなくて、勢力をもって農耕社会と相対立してきたわけじゃないものですから、これは、ほんとうの意味で日本の社会というものが、「外部」というもの、つまり、アジア的な型の農耕社会に発生する概念に対して、「外部」の概念をつくれるようになったのは、やっぱり、明治維新の近代化というものが始まったそれ以降の問題だと思います。それ以降、はじめて、日本の社会は、いわば外部的な思考、つまり、農耕社会おける思考に対して外部的な思考、つまり、非農耕的な思考ですけど、非農耕的な産業思考というものが初めてつくりだすことができるようになったというふうに言うことができます。
 だから、アジア的な社会の特質というものは「外部」という概念をなかなかつくらなかったということと、それから、論理的な階梯、つまり、階段を踏んでいかなければ、たとえば、支配と被支配というものにも到達しないということがありえなかったということ、つまり、いわば支配共同体と被支配共同体というのを考えれば、共同体との関わりを考えればいいし、また、その関わりは単純に貢納制、つまり、税金を納めるか、受け取るかという、そういう関係として考えれば、その関係は成り立つというふうに、そういうふうなところでしか存在しない社会では、論理をもって、論理を積み重ねていって、社会のこの階層にあるものはこういう論理を使わなければ通じない、あるいは、こういう社会のものは、その上にあるこういう社会に対しては、こういう論理を使わなければ通用しないとか、そういう異質の概念、「外部」の概念もないわけですから、これはどうしても論理的な階梯を踏んでいって、あらゆる事物というもの、あらゆる出来事というのは、ぜんぶ論理の階梯を踏んでいって、それでそのつながりがあるんだというような、そういう考え方はアジア的な社会ではつくりようがないということが、どうしてもつくれないんだということがあって、アジア的な社会ではそれはほとんど存在しえないので、やっぱり外部というもの、あるいは、論理的な思考というもの、あるいは、論理的な思考というものを促すに足るだけの非農耕的な産業というものが発達した社会として入ってきたのは、やっぱり近代になってからであり、インドでいえば19世紀初頭です。19世紀の20年代くらいから初めて、イギリスがインドの植民地化ということで蒸気機関とか、紡績機という、大型のものをどんどん導入していったというような、そういうところで初めて、インド社会における外部という概念は、外部的な思考、あるいは、論理的な思考というものは、はじめて生みだされてきたというふうに言うことができるわけなんです。ここのところで、こういう考え方のなかで、アジア的社会というものの捉まえ方というものが成り立ちうるわけです。

12 日本のイメージ

 それじゃあ、日本の社会というもの、とくに日本の近代社会及び現在の日本の社会というものをどこで捉まえていくかということを先ほど言いました言葉でいえば、アジア的という概念がどこまで残存し、どこまで消えてしまっているか、つまり、脱アジアというところになっているかということをどこで捉まえていくかということを考えてみますと、そこの外部の思考、あるいは、近代的な思考というものが、どれだけそこのなかに入ってきたか、あるいは、近代的な制度というものがどこまで入ってきたかということを考えればいいわけです。
 そうすると、まず、大雑把なふうになりますけど、大雑把な近代日本社会、あるいは、これを近代アジア社会のひとつのタイプとして考えますと、近代日本社会というものは、大雑把にいいますと何かといいますと、それこそアジア的な専制君主、つまり、神聖なる天皇、万世一系の天皇がこれを統治するというふうに旧憲法にありましたけど、つまり、まったくアジア的タイプの君主というのがいて、そして、その下での近代化というのが、いわば近代以降の日本社会の基本的なイメージになります。
 そうすると、この基本的なイメージは、アジア的なタイプの君主を頭にいただいて、その下でのアジア的な農耕社会、そこにいわば近代西欧的な産業が導入されてきて、これが西欧型のタイプをそこにどんどん移植していくというような、この過程がいわば日本における近代社会の大きな移り変わりだというふうに言うことができます。
 このなかで発生しやすい考え方はいうまでもないことですけど、いわば、専制君主を頂点に置いて、農耕社会を主体にして、社会の全体を考えていくかという考え方と、それから、そういうアジア型の社会に対して、いわば西欧型の近代産業というのを導入していって、どんどん農耕のアジア型の社会共同体、あるいは、農村共同体というものを共同体意識としてどんどん破壊していく、どんどん作り変えていってしまう、あるいは、共同体意識をどんどん壊していってしまう、壊していってしまう度合いというものを日本の社会の大きなイメージとして考えるかというような考え方の角逐として、日本の近代社会の歴史というものは成り立ってきたというふうに言うことができると思います。
 その場合にアジア型の農耕社会というものがどんどん共同体意識を破壊されていく、壊されていくと、そこで西欧近代型の産業が興っていくと、そうすると、外部の思考が内部の思考と角逐を演ずるというような演じ方、その社会のあり方というものと、それじゃあ、頂点にある神聖なる万世一系の天皇というのは、そういうアジア型のディスポティズムといいましょうか、そういう皇帝君主というものの共同体とのかかわり合いというものを何が媒介したかというと、これはやっぱり相当アジア的な媒介の仕方なのであって、それは明治維新におけるどちらの功労者もいるわけですけど、いわゆる薩長連合軍に相当する維新の革命勢力というものも、徳川氏の勢力で役割を演じたものも両方いるわけですけど、両方の明治維新における革命の功労者といいましょうか、そういう人達が一種、特別な役割をして、ディスポティズムとしての天皇制というものと、それから、近代産業によって、農耕共同体が共同体の塊をどんどん壊されていき、そしてまた、同時に産業社会としてどんどん発展していくというもの、そういう社会との角逐というものと、天皇のディスポティズムというものとの競り合いといいましょうか、角逐のあり方というものを仲介していったといいましょうか、そこを調節していったものはやっぱり維新における一種の特殊な勢力の人格、ある意味では人格力でありましょうし、そういう人達の政治力といいましょうか、そういうようなものが日本の社会の混乱と角逐というようなものを、いわば調整する役割をしてきたというのが、たぶん、日本の近代社会のイメージを作る場合の大きな特質だというふうに思われます。
 ここのところで大きな変革にもうひとつさらされたというのは、いわば第一次大戦、日本でいう太平洋戦争なので、この太平洋戦争における敗戦ということは、日本の「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」というような、そういうアジア的ディスポティズムというものをかなりな程度大きく変革してしまったということが言えます。
 だから、これを象徴的に憲法でいいますと、天皇はようするに国民統合の象徴であるという言い方に変えられています。これはいわば、江藤さん流にいえば、アメリカがこれの草稿、つまり、案を作り、日本の関係者がそれに賛成したというようなことでできたとしても、そういうふうにできたとしても、天皇は国民統合の象徴であるという言い方で象徴されるものは、やはりこれがぜんぜん人工的なものだというふうに言えないのであって、これは日本の戦後社会における近代化ないし現代化のなかで、いわば象徴的なやっぱり役割というものをもっているわけです。この問題は非常に大きな問題として、またひとつあると思います。
 でもこれが万世一系の神聖な皇帝から、いわば、国民統合の象徴まで大変革したということは戦後社会の大きな特徴なので、この問題がどこまで、いわば、日本の戦後社会というものを、大戦後の社会というものをどこまで捉えているかということは非常に大きな問題で、このイメージの違いは、ようするに、様々な現在における対立と論争というものの根本の種になっているのは、そこの問題をどこで踏まえたらいちばん正当なイメージを作れるかというところで、どこかで間違えちゃっているということがあるんだとおもいます。そこの問題が現在の問題になっているというふうに、ぼくにはそう思われます。だから、そこの問題は非常に重要な問題としてあるわけだとおもいます。

13 解体現象

 ここでたとえば、日本が現在、西欧型の社会に突入していったと、西欧型の社会というのを、いわば資本主義社会、あるいは、現代社会から超現代社会へと、いわば移行していきつつあるということは、どこで捉えたらいいのかということを考えてみます。そうすると、これは、西欧社会では、たぶん先ほどから言いました、論理における一種の絶対概念、あるいは、論理における真理概念、あるいは、論理における本質という概念、あらゆる論理的な思考、あるいは、事物のあり方というものを説明するに足りる論理というものの移行の仕方というものは、絶対的な真理とか、絶対的な本質とか、あるいは、絶対的な理念から始まって、そこからどんどんどんどん流れ下ってくるものだ、そこからあらゆる事象というのは流れ下ってくるものだ、あるいは、あらゆる論理的な思考方法というのは、全部そういうふうにできているものだという、そういう概念は現在の西欧型の社会では、いわば危なくなっているんだということが言えるとおもいます。
 これは論理的な段階に対する一種の解体現象なのであって、たぶん、現在の西欧の哲学者とか思想家というものが象徴的に様々な言い方でいっている問題の根底にあるのは、いわば西欧型の論理の根底にある絶対的なものから相対的なもの、あるいは、真理から真理でないものへ、あるいは、本質から本質でない現象的なものへというのは、こういうふうにあらゆるものがもっと宗教的にいいますと、絶対的な神から流れ下って、あらゆる人間の思考とか、人間の論理というのはできあがってくるんだという、そういう考え方、西欧の近代社会、つまり、資本主義社会まで、つまり、先ほどのあれでいえば、蒸気ミルの時代までを、いわば大きく統御していた西欧的な思考方法というものが、現在、西欧自体のなかで、相当危なくなってきて、そういう概念はダメなんじゃないかという、様々な理念にさらされているというのが、大雑把な言い方でいえることじゃないかと思われます。
 つまり、これは様々な言い方をしているわけでしょう、つまり、それは脱構築であったり、解体であったり、様々な言い方をしているのでしょうけど、一様に根底にあるものは何かと言いましたら、いま言ったことで、いわば、西欧型の思考方法、あるいは論理方法、あるいは本質概念、あるいは神の概念、あるいは真理の概念から流れ下ってくる、あらゆる思考の系列、あるいは、序列というものは、ぜんぶ危なっかしいんだということは大きな課題になって、それがいわば、解体といわれたり、脱構築といわれたりしていることの根底にある問題じゃないかと思われます。
 この問題はいってみれば、資本主義が、西欧型の先進社会が資本主義から超資本主義へ移行しつつあるということを、なにほどかの度合いで反映しているわけで、あるいは、反映という言葉が問題ならば、それはなにほどかの度合いで、それは対応性があるのだというふうに、ぼくらには考えられます。この対応性なしに、論理が論理自体として、ひとり歩きしてそういうふうに現在なっているというふうに、ぼくには到底思われないので、その問題の共通の問題としてあるのは、西欧的な論理思考方法自体の根底的な問題が、西欧の現在自体によって非常に大きく揺すぶられている、あるいは、大きく解体作業は進みつつあるということが、大きな原因だというふうに思われるわけです。
 解体してどこにいくんだということは誰にもわかりません。つまり、たぶんそれを解体だと言っている人たちにも、西欧の現在の思想家とか、哲学者自体にも、たぶん、わからないはずじゃないかと思われます。だから、これは、わかるわからないかという問題は、それは資本主義から超資本主義へいくのかという、あるいは、資本主義は終わるのかという、終焉するのかというような、そのイメージの問題とも大きくかかわってくるわけで、このイメージが誰にもよく作れないという度合いと同じ意味合いで、たぶん、解体してどこにいくんだなんてことは、誰にもわからないことでありますし、また、どこへいくんだという問題を提起すること自体があまり意味がないんだというふうに考えられているかもしれません。つまり、この問題ということは、西欧の社会が、脱現代、あるいは、現在というところに入りつつあるところの大きな徴候としていえる問題だというふうに思うのです。

14 二重性

 これと同じように、西欧型の社会に入りつつあって、現在、入り込んでしまった日本の社会でも、やはり、同じ問題がいえるわけで、西欧が現在、提起している問題は同じように存在するわけです。ところで、何が複雑かといったらば、たぶん、もうひとつ、さきほどぼくらが言ってきました〈アジア的〉という概念が、どうしても一枚、日本の社会という場合には、どうしても一枚これが加わらないと、どうしても完全なイメージが描けないんじゃないかという、そういう問題が、危惧がどうしてもあるということなのです。
 そうすると、現在の〈アジア的〉という概念が日本の社会で通用するとすれば、どこで通用するのだろうかというふうに考えてみますと、たぶん、ぼくの理解の仕方では農村の共同体というようなものが壊れて、考える必要もなくなったし、資本主義はもちろん西欧型の高度な資本主義産業の時代に入りつつあるという意味あいでも、ぜんぜんアジア的残存物というものを考える必要が、ぼくにはないとおもわれるのですけど、ただひとつ、ぼくは意識というものが要するに手段の分野を一種、色揚げしているといいますか、染めあげている問題というところだけは、やっぱりアジア的という問題を、どうしても問題にせざるとえないんじゃないかというふうにおもわれます。
 つまり、そこのところの問題としていえば、日本の社会というものは、アジア的問題、あるいはアジア的意識というのが、どういうふうに手段の分野で存在しているか、あるいは、どういうふうに産業の分野で存在しているか、あるいは、どういうふうに芸術・文学の分野で存在しているかというような問題はどうしても残っているというふうに考えざるをえないんじゃないかというふうに、ぼくにはおもわれます。
 だから、それはひとつ、別の基軸というもので考えに入れなければならないし、これがいわば2つの分離した軸なんですけど、それが混合して重なった部分では、それは混合されてあらわれてきますし、重ならない部分では分離してあらわれてくるという現象が、しばしばあるわけですけども、しかし、是が非でもやっぱり、意識的な存在、あるいは、意識的なあり方というものが、手段、方法というもの、あるいは表現というものを染め上げていく、色揚げしていく度合いについてだけは、やっぱり現在の日本の社会といえども、大きくこれを問題にしないとダメなんじゃないかということが、なんとなくいえそうな気がします。
 これはたとえば、芸術・文学の分野でいえば、それはどういうふうにあらわれるかということもなかなか言うのはむずかしいのですけど、それはちょっとイメージの独特なやわらかさとか、独特な甘ったるさとか、独特な優美さとか、様々な意味あいでイメージというものを染め上げているかもしれませんし、産業の分野ではアジア型の意識の共同体というものが残っていたりして、それが日本の産業というものをプラスにしたり、あるいは、マイナスにしたりする度合いを強めているかもしれませんし、それは様々な具体的な場面で、具体的に考えていかなければ、指摘できないでしょうが、しかし、アジア的意識の残存性というものが、やっぱり手段の分野というものを様々な分野で色揚げしているということだけは勘定に入れないと、現在の日本の社会というもののイメージというのは作れないんじゃないかということが、ぼくらが漠然と取り出していっているイメージです。
 そうすると、ここではやはり西欧型の問題というものと同時に、ひとつ余計なことですけど、アジア的な意識が手段の分野を、あるいは、表現の分野をどういうふうに染め上げているかという問題を二重性として考えなければ現在の日本の社会のイメージはつくれない。したがって、現在の日本の社会における正確なイメージというのは、どうしてもその2つのことの度合いというものを、ちゃんとよく測れなければならない、測れなければどうしてもつくれないんだということがあるような気がします。つまり、余計なものを日本の社会というものは、現在、依然として背負い込んでいるような気がいたします。
 この問題が西欧の解体という、つまり、西欧的思考の西欧における解体作業といいましょうか、そういう作業にどうしても必然的に日本の社会でも、必然的にどうしてもそこに参加せざるとえないし、ある場合には、解体作業というものを、先頭になって推進せざるをえないというところに、日本の社会というものは置かれているわけですけど、同時に、しかし、アジア的残存物というもの、あるいは、アジア的意識というものの、手段の分野でのあり方というものをどうしても二重性として勘定に入れなければならないという問題は、たぶん、西欧社会では、もしかすると、いらないことなのかもしれませんし、西欧社会が日本の社会を見る場合に、誤解しているところかもしれませんし、また、ある場合には、非常に日本の社会が現在、西欧の社会にとって大きな意味をもって浮かび上がってくるように見えている理由はそこにあるのかもしれませんし、そこの問題が、現在の日本の社会のイメージが抱えている大きな問題なような気がします。
 ぼくはこの日本の社会のイメージというものをどういうふうにつくるかということを考える場合に、その度合いがどうであれ、いま言いました〈アジア的〉という意識の問題が手段の分野に与える、表現の分野に与えている問題と、それから、西欧型のいわば、意識の解体というものをどう推進していくかというような、西欧と同一課題に迫られている、その二重性の課題をどういう度合いで、いわば体現しているかということ、それがもし、うまいかたちで掴めるならば、それはやはり、我々がもっている現在の社会のイメージをよく掴めたということを意味するんじゃないかというふうに思います。

15 「世界都市」日本

 この問題は、たとえばドゥルーズという人が、宇野さんという日本の文学者の質問に答えて、日本とはいったいなんだと思うかというふうに聞かれたときに、ドゥルーズは、つまり、これはまったく外側からそう見えるということなんですけど、日本というのは何かといったら、日本というのは日本人のものでなくなってしまったというふうに言っています。日本というのは一言でいえば「世界都市」だという言い方をしています。東京が世界都市と言っているのじゃなくて、日本というのが世界都市であって、これはいわば宇宙のある交通網というなかでの、ひとつの世界都市なのであって、これが日本の現在というものに対するいちばん大きなイメージだというふうに言っています。
 それじゃあ、それをどういう意味で世界都市というかということを説明しているわけですけど、それは何かといいますと、日本に入ってきたあらゆるものというのは、これは西欧的な思考であれ、第三世界の思考であれ、アジア的な思考であれ、それが日本に入ってくると、どこのものであっても、日本に入ってくるとある世界都市的な修正を必ず受けてしまうのだと、あるいは、修正を受けたうえで必ずそれは通用してしまうんだということが、じぶんが世界都市だというふうにいう大きな理由だと、根拠だというふうに言っています。
 つまり、日本以外の大なり小なり、あらゆる社会、あるいは国家では、ある文化というものは受け入れやすいと、しかし、ある違う文化に対しては大きな反発を下してしまう、そういう意味あいで大きな選択性をもつというのが、一般的にいえば現在の世界におけるあらゆる国家のあり方というものは、だいたいそういうふうになっていると、ところで、日本というのはそうじゃないと、これはアジア文化からきても、西欧社会からきても、あらゆる思考方法は、このなかで一種の修正を受け、そして、そのなかで受け入れられてしまうと、どんな社会でも受け入れられて、そういう意味合いでは日本というものは無選択であると、選択性がないと、同時に修正された限りでは、全部が受容され、受け入れられてしまう、これがいってみれば、日本というのが世界都市だということの大きな根拠だというふうにドゥルーズはそういうふうに言っています。
 それから、もうひとつのことを言っています。もうひとつのことは何かといいますと、ところで、日本の高度な西欧型のいわば社会構造とか、それから、生産構造とか、あるいは文化の構造というもののなかの、どこかしらに古代性というものを挟みこんでいることが、日本の社会の大きな特徴だと言っています。
 これが日本が世界都市だという場合の大きな特徴のひとつは、いわば古代性というものを、どこかに挟みこんでいるということが、もうひとつの大きな特徴なんだと、つまり、この2つの特徴において、あらゆる文化というものを修正しながらぜんぶ受容してしまうというようなことと、それから、もうひとつ、そのなかに古代性というものをどこかに挿入して保存してしまっているということが、その2つの理由によって、日本というのは世界都市だというふうに考えるという言い方をしています。
 この言い方は外側から見える見方としては、ぼくはたいへん鋭いといいましょうか、たいへん鋭敏な見方なんじゃないかというふうにおもわれるわけです。それから、鋭敏ということと、もうひとつ、御愛想というものも入っているとおもいます。つまり、うまいことを言っているな、御愛想を言っているなということも含まれているような感じもします。これは内側からみますと、どうしてそんな大そうなものじゃないですよという言い方をしようとすればいくらでもできるところがあります。しかし、大そうなものじゃないですよというような言い方でいえるところと、それから、やっぱり世界都市なんだという言い方でバチッと言っちゃっているイメージとは、かなりな程度、裏表からですけど、照射する光線の置き方は違いますけど、かなりな程度一致すると考えていいと思えるところがあるのです。だから、これはかなり外側からみたら、外側からの言い方としては鋭い言い方なんじゃないかというふうに僕には思われます。
 だから、内側から、ぼくらが考えますと、そうじゃなくて、アジア的意識というものの離脱のある度合いとして、ひとつ一重性があり、そして、もうひとつの一重性はやっぱり、西欧型の社会に突入しちゃっていると、ある意味合いでは西欧型の社会をそれなりに推進しちゃっているというような問題があって、いわばその二重性の度合いというものをどこで測るかという問題として考えられる問題が、いわば、それは世界都市だという言い方で、あるいは、古代性を挿入しているところがあるというような言い方でいわれていることと関係があるのだとおもわれます。
 それから、もうひとつは、あらゆるものを受容して、受け入れてしまうのだけれど、しかし、必ずそれは修正してしまうのだと、あるいは、修正してしまうのだけど、あらゆるものを受け入れてしまうのだ、こういう言われ方でいわれているものも、いわば〈アジア的〉ということのなかに入ってくるとおもいます。つまり、あらゆるものを修正してしまうけれど受け入れちゃうということは、内側から反省的にいいますと、ようするに、創造性がないのであって、独創性なんか何にもないんだというふうな、ぜんぶ受け入れちゃって、それをひったくってきて、それをとにかくアレンジしちゃえばできちゃうんだというような、内側から反省的にもし言うなら、そういう言い方になってしまうのですけど、外側から御愛想でいいますと、あらゆるものを無差別に受け入れてしまって、これを修正はするけど、ぜんぶ受け入れてひとつのものにしてしまうという言い方に、こういう世界性という言い方になるとおもいます。
 つまり、これは光線の射し方、入れ方が違うというだけで考えればいいので、どちらのふうにうぬぼれて考えようと、またそれは、反省的に考えようと、それはたぶん、そんなに違いはないのであって、褒められているというふうに理解してもよろしいですし、また、反省的になって、それは褒められているけど、ほんとは嘘なんだよというふうに考えても、どちらでもよろしいのですけど、どちらからいってもあるひとつのイメージがあるので、そのイメージは、たぶん、現在の日本の社会のイメージを非常に大きくはっきりさせるものとしてあるような気がいたします。これが日本の現在という問題が西欧の先進国の仲間入りをしながら控えている、大きな現在の問題だというふうに、ぼくにはおもわれるのです。

16 権力の解体

 ここでもうちょっとだけ、早回しですけど、言い残していることがあるのですけど、それは権力という問題です。権力という問題概念というものを我々はどこから得てきたかといいますと、これは西欧の近代から得てきた、大雑把にいって西欧の近代から得てきたわけです。つまり、日本のアジア型の社会でいいますと、これは専制的ディスポティズムということになりますけど、アジア型の言葉で使いますと、これは社稷という言い方になるわけで、国家とか社稷とかいう言い方になるわけですけど、これは西欧型の言い方でいいますと、アジア型の専制主義という言い方になります。
 ぼくらが権力という概念をどこから得てきたかというと、西欧の近代的な思考方法の中から出てきたわけです。大雑把な言い方をしますと、西欧の近代社会というようなものは、社会・国家というのはどういうふうにできているかというと、まず、国家が社会の上に、一種の民族国家として存在する。それは社会の上に存在する。社会を包んで存在するというイメージよりも社会の上に存在するというイメージのほうがいいイメージなのです。より正確なイメージだというふうにいえます。
 その国家のイメージの下に、ようするに、社会というものが存在していると、具体的な社会が存在していると、そうすると、その国家というものは、社会に対して、法律なら法律というものを介して、こうしてはいけないとか、こうしてはいいとかいう、ある強制作用というものを及ぼしていると、この強制作用の力が、それが国家がもっているとしたら国家の権力なんだというような、それが権力という概念について、国家と権力について、我々が西欧の近代的な機構から得られたいちばん大きなイメージです。
 ところで、このイメージが現在の近代国家、あるいは近代民族国家というものと、それから、近代市民社会というものとは、対応するイメージなんです。ところが、近代市民社会の中枢というのは何かというと、それは資本制的な社会です。そうすると、今度は資本制的な社会は現在、蒸気ミルから電子ミルに移りつつある、つまり、なんと名付けているかわかりませんけど、超資本主義社会に移りつつあるというような、そういう概念のところで、国家権力という概念も、あるいは、国家の概念も変わっていかなきゃならないだろうなというふうに、変わっていきつつあるはずだというふうに当然なるわけです。
 それがどういうふうに変わりつつあるかということを大雑把にいえば、たとえば、それは欧州共同体というものを考えれば、いちばんいいわけで、欧州共同体はある経済分野に、あるいは、ある産業部門に関する限りは、いわば、国家というものはやめにしようじゃないか、つまり、国家的障壁はやめにして、いわば、欧州共同体として振るまおうじゃないかというふうになりつつあります。つまり、そこの部分では、いわば西欧社会が資本主義から超資本主義に移りかわるにしたがって、国家というものは、ある産業分野に限定して考えていきますと、ここでは欧州共同体として振るまおうじゃないか、あるいは、ある貿易に関してはそうしようじゃないかというふうなことになりつつあります。そういう意味あいでは国家というあれは、国家共同体として振るまうというところにある部分をどうしても移行しつつあるということがひとつ言えるわけです。
 それとともに、同じように権力という概念も、先ほどの概念には、すこぶる解体を受けつつあるということが言えるわけです。つまり、国家が社会の上にあって、それで社会に対して法律を介して統御しているというふうに考えれば済んだ問題は、もうすこし微細にといいましょうか、微妙に権力ということを考えなければ、どうも権力という概念が危なくなってきつつあるんじゃないか、つまり、どんどん変わりつつあるんじゃないかということがいえると思います。
 そこでもって、現在の西欧の概念では、権力の概念はだんだん国家の権力とは法律を介して、社会を取り締まっているというふうに考えれば、それで済んだというような概念から、だんだん変りつつあって、国家自体の権力というものも、もうすこし微細にどうなっているかということを考えようじゃないかと、また、社会の中でも、たとえば、社会の地域の共同体のなかで、メンバーとメンバーとの間では、どういう権力関係があるかという、残っているだろうか、あるいは、なくなっちゃっているだろうかとか、あるいは、産業社会のなかでも、産業の場面でも、職場の中でも、どういう権力関係があるだろうかというようなこと、それで、どういう質の違いがあるだろうかというようなこと、あるいは、この部分は非常に質としては進化しちゃっているんだけど、この産業の部分は非常に遅れているとか、そういうことを非常に微細にちゃんと考えていかないと、権力の問題というのはどうしても考えられなくなってきたということが、権力概念について現在当面している大きな問題だというふうに考えられます。つまり、大きな現在の問題だというふうに考えられます。
 だから、これをフーコーみたいな言い方をすれば、じぶんが今日ここにいるんだけど、明日どこそこにいかざるをえないとか、いなきゃならないというふうに考えた場合に、私をして今日ここにおらしめ、そして、明日どこそこにおらしめるというのが、一体何なんだろうかとか、誰なんだろうかというような、そういう問題から、つまり、権力が日常のというか、生活の隅々までにどういうふうに浸透され、どういうところで浸透されていないか、あるいは、どういうふうに解体しているかという、そういう問題まで考えなければ、勘定に入れなければ、権力の問題というのは、もはや考え尽すことができなくなっちゃってしまっている。それは非常に濃淡の違う権力の地図というものをちゃんと描き分けなければ、それじゃなければ、権力の問題を考えることができなくなっちゃっているというふうに言っていますけど、それは典型的な言い方なので、やはり、現在の近代国家という概念が危なくなってくる部分、つまり、国家共同体として振るまわざるをえなくなってくる、そういう必然性の度合いにちょうど比例するようにやっぱり権力という概念も、国家権力という概念を考えれば済んでしまうというような、そういうことというのは、どんどんなくなっていって、どうしても微細な権力の分布図といいましょうか、そういうことをちゃんと丁寧になでまわして、丁寧にして作っていかないと、作ってわかっていかないと、どうしてもこれはうまく考え尽すことができないというようなことに当面しているようにおもいます。

17 「裂け目」と「権力」

 そうしますと、この問題の中で、日常の隅々まで権力の問題を考えなければいけないというふうな問題として、現在、権力の問題があるとするならば、それならば、権力の問題というのはべつに考えなくてもいいということと同じじゃないかというふうにも言えそうな気がするのです。つまり、今日、じぶんがここにいて、明日、じぶんがどこそこに行かなくちゃならないという、これは誰がどういうことでそういうことになったのだろうかとかいうふうなところまで権力の問題を考えざるをえないというならば、それは権力の問題というのは取り立てて問題として考えなくてもいいという問題と同じじゃないかというふうにも言えそうな気がします。そういう意味あいでは古典的な意味での権力の概念というものは、なかなか崩れ去りつつあるというふうにいうことができるような気がします。
 ただ、ここでひとつ、ぼくはそう思うのですけど、権力の問題のなかでどうしてもそうじゃないと言えそうなところがどうしてもあるような気がするのです。それはぼくらがしきりに、裂け目とか、割れ目とか、もはや国家権力がおり、それが社会を統御し、あるいは、何々権力があり、それが人を支配しとか、強制しというふうになかなか言い難くなって、そういう意味合いでは、なんか市民社会の中におぼろげながらぜんぶ組み込まれていっちゃっているというふうに言えそうでありながら、どこかに裂け目というのが必ずあって、その裂け目というのは、いわば権力は日常の隅々の問題まで考えなければ、大雑把に体制とか、反体制ということだけでいったって、どうしようもなくなっちゃってるんだよというような、そういう問題意識の正当性に対して、どうしてもひとつの保留点というのか、空白点というのか、どうしてもどこかに裂け目というのを考えざるをえないので、その裂け目を考えれば、そこの裂け目のところが、いわば、非常に大きな権力問題として、非常に大きな問題として残るのじゃないか、そこの問題はたぶん、裂け目、あるいは、空隙という問題として、たぶん、これからの問題として、これからの社会でも、たぶん、大きく引きずっていくんじゃないかというふうに、ぼくにはおもわれるのです。
 そこでは、もしかすると古典的な意味としての権力の問題の、いわば煮詰まったイメージというものが、そこで存在しているので、何次元的に存在しているかわかりませんけど、とにかく、ある多次元的なイメージでもって、そこで古典的な意味での権力という概念も、そこのところで非常に煮詰まった形で存在している、そこであるイメージをつくらざるをえないのじゃないか、権力についてあるイメージを形成せざるをえないのじゃないかというふうにおもわれます。
 そこでの裂け目とか、空隙とか、あるいは、割れ目とか、そういうようなところでもって、非常に濃厚な権力のあり方のイメージというものを構成せざるをえないし、また、その構成する場所というものは、絶えることなく、たぶん、これから後の、つまり、超資本主義ないし電子ミルの時代に入っても、たぶん、その問題だけは存続していくんじゃないかというふうに、ぼくは、漠然としてではありますけど、そういうイメージというのを抱いています。
 つまり、そういう裂け目というのを、あるいは空隙というのを除けば、たぶん、我々に残された脱権力的なイメージとか、そういうものはだんだんなくなってしまっていくので、いわば、ひとつの総体の中に包括されてしまうというふうに言えるとおもいます。しかし、たぶん、そこのところの濃厚なイメージで考えられるひとつの空隙性というものは、たぶん、考えられる限りの、これから後の電子ミルの時代も存続していくんじゃないか、そこでの濃厚なイメージというものが何を意味するか、あるいは、何をそれは権力問題だけじゃなくて表現の問題、あるいは、手段の分野の問題を、どういうふうにそれが規定していくだろうかということは、なにかぼくの理解の仕方では、どうしても考えなければ、あるいは、考えざるをえない問題じゃないかということが、ぼくのなかにはあります。だから、ぼくはそういうイメージをもって考えれば、たぶん、現在、ぼくらが日本の社会で当面している問題というものと、それから、日本の社会が西欧の先進的な社会の中に入り込んでしまったことのイメージと、それから、これから西欧的な社会に入り込んだり、また、アジア的な社会に入り込んだりする世界の他の地域の問題に対して、どういうふうに考えていったらいいかという問題に対しても、そこの問題が大きな問題として、まず蘇ってくるんじゃないかというふうに考えます。
 そこの問題で、ぼくらがいまの社会のイメージを作りあげていくなら、それはそれぞれ個々の人のあり方によって違うでしょうけど、しかし、現在の社会のイメージをそんなに間違わないで、あるいは、芸術・文学の表現の分野におけるイメージ、それから、産業的な手段におけるイメージとか、社会像としてのイメージというものに対して、そんなに間違わないで目途がえられるんじゃないかというふうに、ぼく自身は考えております。
 今日のお話もそうですけど、そういう一種の地図屋といいましょうか、地図つくりみたいな仕事といいますか、テーマばかり与えられているようで、非常に心許ないのです、この地図つくりというのは、心許ないので、なんか当たるも八卦当たらぬも八卦というようなことでもありますし、とても心許ないのですけど、地図つくりということが果たしうる役割というのも、非常に限界があるのですけど、しかし、この地図つくりの問題は、ある度合いまでいって、その度合いが実際のほんとうの地図というものをどこまで明晰にできるか、あるいは、どこまで整理できるか、あるいは、どこまでそれを間違わせるかというような問題の限界点というようなものは、たえず地図つくりとしても確かめたり、また壊したり、また作り直したりということをしなきゃならないことも問題なので、やっぱり、地図つくりということをどうしても自分で背負い込まざるをえないみたいなことがあって、凝りもせずに作っては壊し、作っては壊しというようなことをしているというわけなんです。先ほどから考えて、日本の社会のイメージを作るのに、すこしは明晰なあれができたか、わかりやすくなったかどうかというのはちょっと危なっかしい、同じじゃないかという気がしてしょうがないですけど、よく皆さんのほうで個々にそこらへんは、一種の限りある共通イメージというところで考えればいいので、その先々は、皆さんのほうで自由に作っていかれて、自由に考えていかれればいいんじゃないかというふうに、ぼくのほうではおもいます。いちおう時間が参ったようですので、いちおうはこれで終わらせていただきます。



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