今日は「普遍映像論」とありますが、本当は「普遍像学」と言いたいところで、でも「学」というのはおこがましいので「普遍像論」という自分なりのイメージ論を現在展開しつつありますので、自分にとっては生々しいところでお話ししたいと思います。
僕の言う「像論」、イメージ論ですが、そこで何が一番問題となるかということがいくつかあると思いますが、そのお話をしたいと思います。一つは、イメージの体験と言語の体験は、作品でいえば文学ですが、文学の体験はどのようにかかわるかという大きな問題です。もう一つは、もっと狭い意味で、言葉の機能とイメージ、像とがかかわり合いがあるのかということが大変な問題になると思います。そのかかわり合いの構造がはっきりいえれば、あらゆる表現はイメージの論、あるいは像のイメージの学として統一することができるというのが僕のモチーフです。うまくできるかどうかはわかりませんし、またやりつつあって途中なのですが、そういうところが一番大きな問題になるということです。
具体的に困難なことはどこにあるかというと、これは僕にとっての関心が一番あるわけですが、価値論、つまりイメージの論としてどういうふうに普遍化できるか。たとえば経済学でいえば使用価値とか交換価値という価値概念があります。あるいは皆さんだったら、絵画とか美術の作品の価値、作品の良し悪しをはかる価値とか、そういう価値概念があるでしょう。そういう価値概念をイメージとしてどういうふうに普遍化できるのか、それが非常に困難なことといえば困難なことのような気がします。もし時間があったら、そのことにもいくらか触れてみたいと思います。
もう一つ、時間があれば触れてみたいと思うのは、都市論です。京都は特殊な都市ですから、また別の意味合いを持つでしょうが、それは特殊な条件をそこに入れれば普遍的な都市論から出てくる問題が、やはり同じように適用されるわけですから、都市論をイメージの論として普遍化したらどういうことになるかという問題ですが、もし時間があれば触れたいと思います。時間がなければ勘弁してください。
去年か一昨年か、やはり僕が現在やっている問題だということでお話ししたことがあると思いますが、僕がイメージの論という場合に、二つの基になった根拠があります。一つは死です。死の体験がイメージの問題としてどういう意味を持つかということです。もう一つは、ある環境装置をつくって、それでコンピューター・グラフィックの映像を立体化する。これは偏光メガネとか色差式のメガネとかそういうもので立体化すると、現在考えられる一番高次な映像が得られます。僕のイメージ論の根拠になったのはその二つです。
一つ目の死の体験は、以前にお話ししたと思うのですが、交通事故とかで瀕死の重傷を負って、死に損なってまた生き返ったという体験をした人がたくさんいます。その人たちが体験の記録を残していますが、その記録をよく調べてみると一つの特徴、決まっている型があります。そのときは、僕自身はそれが非常に大きな問題だという申し上げ方をしたと思います。それと同じことになるのですが、文学者、つまり言葉の表現者であり、同時に死の経験者であり、その二つのことを兼ねている文学者がいないことはないのです。
僕が今日お話ししたい人は、日本でいえば去年亡くなりましたが、島尾敏雄という作家です。いい作家です。もう一人は皆さんのほうがよく作品を読んでおられると思いますが、ドストエフスキーです。この人たちの体験と表現の中には死の体験のイメージと、死の体験から生き返ってきたイメージと、文学作品としての言葉の芸術が一身に兼ねられているわけです。ですからその中のイメージの構造と作品の構造とのかかわり合いをもし取り出すことができるならば、今日のテーマにとってはおあつらえ向きで、一挙両得で、いっぺんに解けてしまう問題があるわけです。
ですから今日は普通の人が交通事故などで重態になって瀕死の体験をして帰ってきたという死の体験ではなくて、文学者がそういう体験をした場合に、文学作品の中にそれがどのように表れてくるかということで、言葉とイメージの関連の問題が解ければいいと考えます。そういうお話をしていきたいと思います。
ドストエフスキーの作品は皆さんが読んでおられると思いますが、ドストエフスキーの死の体験はペトラシェフスキー事件に連座して、仲間たちと一緒にニコライ一世から死刑の宣告を受けました。死刑台に載せられて、あわや死刑直前というときに皇帝の赦免の通知が来て助かりました。助かったときには仲間たちの何人かは、もう失神状態になっていたという体験をして、ドストエフスキーは兄への手紙と、作品でいえば『白痴』の中で主人公のムイシュキン公爵の述懐としてその体験が出てきます。
死刑の宣告を受けて、実際に死刑を執行されるまでの間の苦しさは、たとえようがないということを言っていますが、ここでは苦しさがどうかということではなくて、ドストエフスキーが死刑台の上で体験したことのイメージの告白があって、そのほうが今日の問題にとっては重要ですので、それを申し上げてみます。
ドストエフスキーにはいくつか特徴があります。一つは死刑台に載せられて、もうすぐ刑を執行されるというときに、見物人がいるのですが、その見物人の額にいぼがあって、それがよく見えたと言っています。もう一つは処刑する役人の制服の下のほうのボタンがさびているのが見えたと書いています。あるいは『白痴』のムイシュキン公爵にそのように独白させています。見ていた傍の人の記録によれば、ドストエフスキーは非常に冷静なように見えたということですが、たぶん冷静ではなくて異常状態だったと思います。
本当に死刑台の上から見物人の額のいぼが見えるかどうかが問題なわけです。本当に見えたのかもしれないし、あるいは見えたと思ったのかもしれない。それはごく平静な視覚の観点からいくと、非常に問題になるわけですが、しかしドストエフスキーはそれが見えたし、死刑執行人の制服のボタンがさびているのが見えたと言っています。見えたという意味合いはとても重要なことで、この体験は、記録を見るとだれでもが死のときに体験するものと同じだと思うのです。
その場合に、自分自身が肉体的に生きているか、死んでいるかというよりも、自分自身が視覚的なイメージ自体になってしまって、そのときはたぶん肉体はないという状態と似ている。それは瀕死の人の体験では、何か自分は横たわって死にそうになって、周りにお医者さんたちが騒いでいるのが、上のほうから見えたとしばしば書かれています。本当に見えるかどうかは大変難しいことで、それが本当かどうかは別として、とにかく見えたのだという記述が一般的です。
そのときに瀕死で横たわってお医者さんたちが人工呼吸をしたり、自分のことをしてくれる自分が上のほうから見えたという状態になっています。それが本当に見えたかどうかという問題はまた別ですが、それが死の体験におけるイメージの非常に大きな特徴です。そのときにはたぶん見ている自分には肉体がなくて、自分自身が視線自体に化しているという体験だと思います。ドストエフスキーが見物人の額にいぼがあるのが見えたというのも、本当に見えたかどうかは怪しいし、わからないのですが、しかし見えたという体験を疑うわけにはいかないので、それは見えたのだと考えると、それはたぶん死の体験におけるイメージの一つの表れ方だと思われます。
僕のところから立っている方の額のいぼは見えませんから、本当に見えるかというのは怪しいと思いますが、しかし死の体験のところで、意識がある状態になったところで見えたという体験をドストエフスキーは書きましたし、また瀕死の人の体験では上のほうから自分の肉体が見えたと言っていますから、それが死の体験におけるイメージであるわけです。それは自分自身が視線そのものと化したとき見えたと感じられるだろうイメージのことを指していると思います。
この体験は、ドストエフスキーの体験の中でとても重要なことのように思われます。それをもしドストエフスキーの作品によって裏付けようとすれば、その体験がたぶん非常に大きな役割をドストエフスキー自身に果たしているだろうと思えるところがあります。それはどの作品でもいいのですが、『白痴』を読まれた方はご存じだと思いますが、ムイシュキン公爵が近代的な概念でいえば一種の性格破産的であるわけです。一人の個性とか性格を形づくることができない。一個の性格としてみればどこかで破綻していて、拡散していて、性格が形成できないところがある。つまり性格の輪郭が曖昧模糊たるところがあります。
ムイシュキン公爵には、とても人がよくて、受身で、幼児性を持っていて、善意で、そういう性格が与えられていますが、この与えられ方はたぶん僕は一種、死刑執行直前で赦免された体験のところで壊れている。つまり存在が壊れているのか、あるいは人間としての輪郭が壊れているのかわかりませんが、とにかく何かが壊されたという一つの体験があって、それが『白痴』でいえばムイシュキン公爵の性格のあり方の中にとてもよく表現されているように思います。それは近代概念でいうやや病的な概念であり、また性格破産者的な概念になるわけですが、これは近代的な概念で解釈しなければ非常に曖昧模糊で茫洋としていて、輪郭が形づくれない性格だということができると思います。
作品の中で、ムイシュキン公爵がナスターシャとアグラーヤというまったく性格が違う二人の女性を好きになるのですが、その二人を選ぶことができない。二人の女性を好きになったら、普通ならばだれでもがどちらかを選ばなければならないということになるわけですが、ムイシュキン公爵は選ぶことができない。つまりそのように自分の性格を集中すること、あるいは輪郭づけることができない。だから二人の女性のどちらかを愛していって、それを極限まで推し進めていけば、必ずどちらかが選択されることになるわけですが、それができない。だからいつでもあるところまで行くと受身になってしまって、そうすると二人の女性を愛したり、愛されたりしながら、どちらかを選ぶことができなくなってしまう。
そういう性格は、たとえば虐げられた人々のアリョーシャという主人公にも付与されています。アリョーシャもナスターシャとカーチャという二人の女性に愛されたり、愛したりするわけですが、どちらかを選ぶことができない。一方はやや近親相姦的に好きで、一方はそうではなくて女性として好きになるのだけれども、しかしどちらかを選ぶことができない。つまり性格、個性、あるいは姿態を形づくるためにはどこかで輪郭が壊れてしまっていて、輪郭を凝縮してつくることができない。そういう性格が作品の中に与えられています。
これはドストエフスキーの作品の魅力の一つです。主人公の魅力であり、また作品の魅力であり、またある意味で近代的な解釈からすれば病的な性格を主人公に与えていることになります。また風土的な解釈からいえば一種のロシアにおけるアジア的な風習、あるいは風土がどうしても西欧近代的な意味での性格概念に合わない人物をつくり上げている魅力にもなるわけでしょう。つまりドストエフスキーの作品の中に得体の知らない、何とも言えない魅力があるわけです。
ドストエフスキーが書く主人公はインテリゲンチャ中のインテリゲンチャであるわけですが、けれども決してはっきりした輪郭や個性を持った性格がつくれないでどこか茫洋としている。お人よしで、強いて近代的な概念を使えば白痴的、知恵遅れ的だという性格解釈になってしまうような人物であり、それがドストエフスキーの作品の主人公の魅力であり、またドストエフスキーの作品自体の魅力の一方の象徴たりえているわけです。
もう一方の象徴は何かといえば、『罪と罰』のラスコーリニコフみたいな極度の自意識過剰な人物で、それで一つの悪の哲学を持っている。たとえばラスコーリニコフは金貸しの老婆を斧で殺してしまいます。ラスコーリニコフの哲学は、人間は大きく分けると普通の人、常人と超常人と二つの種類がある。普通の人は法律があれば法律に従い、善悪の社会倫理があれば社会倫理に従って、悪を行わず善を行う。常人はそのように生きざるをえないし、そのように生きていくのが常人なのだ。
超常人とは何かというと、法律などは全然かまわない、拘束されない。悪を行ってもかまわない。とにかく普通の社会的な規範とか法律とか一切を無視して生きていいのだ。それが非常人、あるいは超常人で、人間には大きく二つの種類に分けられる。そして自分は超常人である。だから何をやってもいいのだという哲学を持っているわけです。これが自意識過剰であり、そういう哲学を持って、まことに近代的、あるいは超近代的な性格を付与されているのですが、これもまたドストエフスキーの作品の魅力の他の極限にあるわけです。
ドストエフスキーの作品には、いまいった白痴的な、性格や姿態自体をつくれないようなインテリゲンチャの人物と、自意識過剰であり、その上になおかつ超人の哲学みたいなものを持ってあらゆる法律などを蹂躙してやっていいのだという信念を持って行うみたいな人物がもう一方の極限にあって、その幅の中にドストエフスキーの魅力があるわけです。もう一方で『罪と罰』の主人公みたいに、自意識過剰な上に悪の哲学を持っている人物もやはりドストエフスキーの一つの類型だと思います。
ラスコーリニコフの中でイメージの問題として、どこが興味深いかというと、二つあります。一つはラスコーリニコフが好きで、またラスコーリニコフに好意を持っているソーニャという娼婦がいますが、自分が金貸しの老婆を殺してしまったことをソーニャにだけは告白したいと考えます。この告白をする会話の場面で、ラスコーリニコフがソーニャに対して告白をすると、ソーニャが大地に口づけをして、自分の罪の許しを請わなければだめだとラスコーリニコフにお説教をします。
その描写をよくよくみると、僕の説明ではうまくいかないのですが、ラスコーリニコフが殺人を告白したから、ソーニャがそれならば大地に口づけをして自分の罪の許しを請わなければだめだと言うのか、あるいはソーニャが先にそう言ったからラスコーリニコフが告白をしようと思ったのか、どちらが先であるかというのは、まったくわからないような白熱した描写になっていきます。つまりそこの描写は告白が先で、だから罪の許しを請うべきだとソーニャが言うのか、あるいはソーニャが先にそれを言ったからラスコーリニコフが殺人の告白をしようと思ったのか、どちらが先かわからないと思わせるようになっています。
これが普通ならば原因があって結果があるとか、あることが起こったから結果がこうなったというのが、普通のわれわれの時間の体験ですが、ドストエフスキーの場合はそうではなくて、もしかすると原因と結果が反対で、結果のほうを先に言われてしまって、つまりソーニャが罪の許しを請うたほうがいいと先に言って、ラスコーリニコフの告白があとからやってくるみたいな、どちらが先かわからないという白熱した描写になっている。これはドストエフスキーの作品の描写として非常にすぐれた箇所ですが、どちらが先でどちらが後か、つまり因果がわからなくなってしまっているというかたちで白熱していく。
イメージ論でいえば、死刑台に載せられて、冷静ではなくなって、たぶん精神が異常状態になっていて、そのときに見物人の額のいぼが見えたとか、死刑執行役人のボタンがさびているのが見えたとドストエフスキーが言っている状態と、『罪と罰』の白熱した描写の中でどちらが原因でありどちらが結果か、むしろ結果のほうが先に言われて原因が後から言われたのかもしれないよ白熱していく描写の状態は、たぶんその構造は同じであり、それはドストエフスキーが死刑執行直前から免れたときの体験なしには、この描写はたぶん可能でないといえると思います。
こういう描写は『罪と罰』の中にもう一つあります。ラスコーリニコフはソーニャに対して殺人の告白をしようと思って会いに行きますが、ポルフィーリィ判事が、傍証からいえば必ずこいつが殺していると確実にわかっていて、ただ本人の告白を聞けばもうそれでいいのだというところまで追及し、ラスコーリニコフと会う場面があります。これも『罪と罰』の中でもまたものすごく白熱した場面です。ポルフィーリィ判事はラスコーリニコフをどんどん追い詰めていきます。
この場合、ラスコーリニコフは絶対告白しないと思っていて、追い詰められても、追い詰められても告白をしようとは思わない。ポルフィーリィ判事のほうはどんどん追い詰めていき、ラスコーリニコフのほうはそれをどんどん避けていく。こういうふうに追い詰められたら、もう告白する以外にないだろうというという追い詰め方をするのですが、それをラスコーリニコフはかわす。その白熱した場面にいくと、逆に一種告白しまいと思ってラスコーリニコフが言葉で逃げるからポルフィーリィ判事はお前だろうと言えるようになったのだと、ポルフィーリィ判事のほうがどんどん追い詰めるから告白せざるをえなくなって、それをすっと避けるのか、どちらが後なのか先なのかわからないという描写になります。
この描写は、ドストエフスキーの作品を超一級のものにしている非常に大きな要素だと思います。この要素はどこからやってくるのだろうかと考えると、僕はやはりドストエフスキーが死刑台に上って、まさに執行される直前に赦免される。そこまでどこまでも追い詰められてしまう、ドストエフスキーの中に一種の自分自身が壊れてしまった体験がどこかにあって、その壊れてしまった要素がドストエフスキーの作品の中にいま申し上げた二つの極端なかたちのイメージとなって表れてくると理解すると、とてもよく理解できるところがあります。
これはドストエフスキーの死から帰ってきた体験と、ドストエフスキーの作品の中の登場人物たちが演ずる体験とが、イメージと言葉の体験として、あるいはイメージの表現と言葉の表現として関連する、関連の仕方だと思います。この関連の仕方をもし抽象化していうと、存在あるいは存在感を無化してしまっている。自分の存在感が無になってしまって自分はただイメージを喚起する視覚、あるいは視線自体になってしまう。そういう一つの体験だったと考えればいいのではないか。そのように抽象化することができると思います。
もう一つの抽象化の仕方が要約できると思います。それは何かというと、普通われわれが描くイメージがあるとします。あるいは視覚的な映像があるとします。普通体験することができる視覚像、あるいは視覚的なイメージに対して、パラの位置にあるイメージを一つ設けて、そのパラの位置から普通にいうイメージとか視覚像を見ることができるという体験、あるいはそういうふうに抽象化することができると思います。体験のイメージの意味を強いて言うならば、その二つの体験に要約することができると思います。
この問題が僕にとってはとても重要な問題のように思われます。普通のイメージ、視覚像、あるいは普通の映像に対して、もう一つそれを上から見ているところの映像、これをパライメージと名づけるとすると、パライメージを同時に喚起することができるかどうかが、たぶんイメージ論としていえば現在一番高度なイメージの理論的、抽象的な原理になると思います。普通の視覚像に対してパラの位置からのイメージを作り上げることができるというのは、たぶんそういうことが現在考えられるもっとも高次なイメージの問題になるだろうと思われます。
別にドストエフスキーはそういうことを意識しているわけでも、意味づけているわけでもないのですが、彼が死からよみがえってきたという体験と、それからドストエフスキーの作品の中にばらまかれているイメージの描写との構造を関連づけて、そこからある一つの抽象化した原則を取り出すことができると思います。
同じような問題ですが、もう少し意思的に体験した作家が、日本でいえばたとえば島尾敏雄という作家だと思います。島尾敏雄の場合はある事件に連座して死刑の体験をしたというのではなくて、彼は戦争中の特攻隊として、二人乗りの特殊潜水艦みたいなもので、先端に爆弾が仕掛けられていて、それを操縦していって敵の軍艦や輸送船に体当たりして死んでしまうという、そういう部隊の隊長をしていました。戦争末期で負けそうになっているときに、奄美大島の基地にいて、いざ出動の命令が下ります。準備万端整えて、あと出撃の命令さえあれば出かけていって、もう帰ってこないという段階になったところで、中途半端にそこで外されてしまいました。
なかなか命令が下ってこない。出撃の夜が過ぎてしまって翌日になってしまい、どうしてそうなってしまったのか全然わからない。少したってわかったところでは、そこで戦争が終わり、敗戦の宣言がなされて、そこで生き返らされてしまった。二人乗りの潜水艇みたいなものに乗って体当たりして死んでしまうための訓練ばかりずっと積んできて、とにかくもう命令が下れば出撃だというところに来て、それが外されてしまうという体験をしているわけです。そういう体験はある意味ではドストエフスキーよりももっと意思的に死の体験をして、そこから戻ってきたという体験であるといえると思います。
このような体験の中で島尾敏雄がつくっている、やはりドストエフスキーと同じようなイメージがあります。そのイメージはどういうものかというと、だんだん海の向こうが狭まっていって、穴みたいになるまで狭まっていってしまった向こう側が滝みたいに落ち口になっている。自分はだんだんそこの狭まっている滝口のほうにだんだん歩いていって、その滝口に達してすっと落ちてしまったら、それで終わりなのだというイメージを思い浮かべるわけです。
ところがもう一つ、そういうイメージと一緒に落ちていくイメージがあって、それは自分がだんだん若くなっていくように思えてならなかった。つまり時間が逆に流れているような感じで、自分がだんだん若くなっていく。ずっと向こうの果てのほうがちょうど滝の落ち口みたいな、小さな穴になっている。そこに自分がだんだん若くなりながら近づいていく、そんなふうに島尾敏雄はイメージとして作品の中に描いています。
時間が逆行して自分がだんだん若くなっていきつつ、穴の先のほうで滝に落ちてしまう、そういうイメージのつくり方は、ドストエフスキーで言えば見物人の額にいぼがあるのがはっきり見えたのだという体験とたぶん同じイメージだと思います。島尾敏雄の場合は、そういう遠方の風景がだんだん狭まっていくイメージで、その先には何もなくて落ち口になってしまう。そういう風景の一種のイメージと、自分がだんだん若くなっていくという時間逆行のイメージとが重なったものが島尾敏雄の場合の死の体験のイメージだと思われます。
この体験のイメージはドストエフスキーの体験のイメージとは違いますが、僕はその中にやはり一般的に死の体験から帰ってきたものが抱くイメージとしての特徴が同じように含まれていると思います。それはドストエフスキーの場合と同じで要約すれば自分の存在、つまり肉体感が全然なくなってしまって、自分はただ目だけになってしまった、あるいは視覚的なイメージだけになってしまった。そのときの自分の肉体はなくて、ただ無だけになってしまっている。それともう一つはどちらが先で、どちらが後かわからなくなってしまっていて、だんだん自分が若くなっていくというイメージになってくる。つまり時間が逆になってしまっているという体験と考えることができます。
もし抽象化するならば、その体験はたぶんパライメージというか、普通考えられるイメージ、あるいは視覚像に対して、パラの位置から見ているイメージだと要約することができると思います。これは島尾敏雄の場合の、非常に大きな体験の一つだと思います。この体験はめったにないし、またそういう体験を持った人が、同時に文学者、作家としてすぐれた作品を生んでいるという例はそんなにたくさんありません。ドストエフスキーの場合も、島尾敏雄の場合も非常に珍しい。たまたま文学作品を生むということと、そういう体験をしたということとの間に何か一つのかかわり方、あるいは構造があって、その構造を明らかに示しているのは非常に珍しい作家の例だと思われます。
島尾敏雄の作品の中で、この体験を非常にはっきり表現しているいくつかの作品があります。島尾さんには一種、シュールレアリズムに類した一群の作品があります。その作品の中に一番よく表れていると僕には思われます。そのシュールレアリズムに近い作品の特徴は、だいたいにおいてとにかく物語の輪郭がまったくない。まったく任意の場所で、任意のところから、任意なことが起こったり、任意なことを起こしながら作品は任意に終わってしまう。
非常にすぐれた作品ですが、作品としての輪郭、また物語としての輪郭がほとんどつくられていない。始まりがあり、展開があり、山場が来て、そして終わりになるというのが物語として一種の輪郭ですが、島尾さんの一連のシュールレアリズムに近い作品にはまったくそういう輪郭がありません。任意の私という主人公は、任意の場所を歩いていくというところから始まってしまいます。
たとえば『夢の中の日常』という作品でいえば、私という駆け出しの小説家がいて、一作だけ作品を書いたのだけれど、もうそれ以上、何も書くことも浮かんでこないし、書くものも何もなくなってしまった。それならば仕方がないから、不良少年たちを集めて慈善事業団体に加わって新しい体験をして、それが何か小説の素材になるかもしれないと考えたと、いきなり始まってしまうわけです。
そのときに見た映画を思い出して、やはりその映画の主人公は小説を一作書いたのだけれども、もうそれだけで想像力も何もみんな枯渇してしまって、書くことも何も浮かんでこない。仕方がないから飲んでいる酒の杯の中に入ってしまえと思って、自分が入ってしまう。そういう映画を俺は見たと言っている。そういう映画があるかどうかは別として、島尾さんが自分の存在を消したいという考え方はとてもよく表れていて、そういう空想をして不良少年の事業団体の中に入っていく。そこでさまざまな体験をするのですが、その体験は全部輪郭がなくて、任意性だけしかない。強いて物語があるとすれば、コンプレックスしかない。どんなことをしてもコンプレックスだけが明瞭に浮かんでくる。だけど物語として、ただコンプレックスだけでどんな輪郭もつくれない。
『夢の中の日常』の最後の場面は、私は慈善事業団を出てまちを歩いていった。歩いていると飛行機がたくさん飛んできた。一つ、二つではなくて無数の飛行機が蝶々のように群がって飛んできた。そして飛行機が何か缶のようなものを落としてきた。それが地上にガタンと落ちて、何だと思ってみると油を仕込んだ缶だった。何が落ちてくるかわからないので怖くてしょうがない。何が落ちてくるか見てみると、飛行機の数がますます増えていって、ただそれを見上げているだけでも恐怖であるというイメージがやってくる。この世界はもう終わるのではないかと私というノベリストは考える。その怯えの感覚は異常に切実に描かれているのですが、ただその作品としての輪郭が描ききれていない。
また主人公はこうしてはいられないというので、母親が住んでいる家に行こうといきなり思い立つ。どういう理由でそう思ったのかは物語としては全然書かれていなくて、いきなりそう思って母親のいるところに行く。そうすると母親は自分の父親に内緒で生んだ白人の子どもおぶっていた。
これはいったいどうしたことかと思っていると、父親がそれを見て怒って殴りつけようとする。私は仕方がないから母親を殴るなら私を殴ってくれと言った。私は父親にむちでめちゃめちゃに殴られて、歯はぼろぼろになり、口の中は粉だらけになってしまうわけですが、それでも父親はなかなか許してくれない。その日に猛烈にお腹が痛み出してきたので、これはもうかなわないと思って、口から、のどから手を突っ込んで自分の胃袋をグッと引き出す。胃袋がさかさまにめくれ返って、そのめくれ返った胃袋を中心にして、自分の体が全部裏返ってしまった。そういう作品です。
それはまことに見事だという以外にないのですが、物語のあらゆる輪郭と、物語が展開する構成は全部ことごとく壊れている。つまりことごとく無視されている。この無視されている体験とは何かといったら、僕はやっぱり島尾さんの戦争中の特攻隊の体験、死の寸前のところでそれを引き外されてしまったという体験のところで、何かが壊れて、それがたぶん島尾さんのそういう作品の物語の輪郭をつくらない、小説としてのコンポジション、構成をつくらない、ただあらゆることが全部任意であって、私が行くことも感ずることもやることも際限なく任意である。
もしそこに物語があるとすれば、何か一つのコンプレックスがある。自分が存在していることがとても不安で、怖れで、それを消したくてしょうがないという一種のコンプレックスだけはきちんと流れている。しかしそのほかのあらゆることが全部構成的にも壊れているし、また物語としても壊れている。ほとんど一種の存在の任意性しかそこには感じられない。それだけが作品なのだとしか描かれていないと思います。それは島尾さんの『夢の中の日常』という作品だけではなくて、中期に多いのですが、いくつかの作品はことごとくそういう作品であるといっていいと思います。
もう一つ例を挙げるとすれば、『鬼剥ぎ』という作品があります。これはどういう作品かというと、これもまたまったく任意です。友だちがいて、その友だちの部屋からがけ下の家で男と女が裸で性行為をしているのが見える。つまりイメージとしていうと、パラの位置からのイメージが最初から鮮明に出てきます。そして上の部屋からのぞいていると偶然男女が性行為をしているのが見える。カーテンを閉めて、少し開いたところからそれをのぞいている。そして見に行こうと私も一緒にその家に行く。そしてのぞくと、人はいなくて敷かれた布団だけがある。しばらくしてもそこにだれも人が帰ってくる気配がない。それでは今日はやめにしようということで友だちと、途中で誘った女の人と三人でその家を出ていく。
主人公は友だちと別れて、今度は女の子と裏通りに行き、裏通りの家で二人は性行為をする。主人公の私は、それがだれかに上のほうからか横からかわかりませんが、とにかくだれかにパラの位置から見られているという感じがいつでも伴いながら性行為をする。性行為を終わって、その女性とまた二人でまちを歩いていくと、向こうから弟が担架に乗せられてくる。何で担架に乗せられているのか、そんなことは一切描写がない。ただ向こうから担架に乗せられた重態の弟がやってくる。そうするとなぜか女の人は担架に付き添って、弟の世話をするために一緒に病院に行き、自分だけは取り残される。
あとになって弟が、俺が死にそうになったときに一番よくやってくれたのはだれだ、それはその女の人だと言う。そして一番冷淡だったのはだれだと弟が言う。そのように言われると、何か幼いときから自分だけが母親から特権的にかわいがられて、弟はいつもかわいがられないで不平不満だったという幼児期の体験を思い出す。兄貴はいつもそうだったと弟は怒り出します。そのときに主人公の私は、自分は鬼なのだと言います。そう言ったとたんに自分のお尻のあたりがだんだん青みがかってきたような気がしてきた。しかし中途半端で完全には鬼になりきれないような状態で終わってしまったというのが作品の最後です。
この作品の中で何が述べられて、何がイメージとして重要かというと、要するにパラの位置からのイメージ、視線です。自分がやっている行為も人がやっている行為も、いつでもパラの位置から眺められている、いつでも見られているという作品自体が喚起するイメージはまったくそのようになっているということは、とても重要なことだと思われます。このことは一見すると島尾さんの特攻体験とかかわりがないように見えますが、先ほどから申しますように、そのときに死から引き外された体験はパラの位置からのイメージを非常に強いかたちで島尾さんの作品の中に喚起しているので、この体験はイメージというものを現在に普遍化していく場合に非常に重要な契機になると思われます。
もちろん島尾さんの作品の中には繰り返し、繰り返し同じパターンが表れます。のちに島尾さんは戦争中の南の島にいたときの女性と結婚しますが、その結婚生活の中で死の体験からだんだん生の体験に、死の体験という高揚した極限の体験から、だんだんありふれた日常体験に移ってしまった。そして島尾さんにほかに好きな女性ができて浮気をして、それを契機にしてまた極限の体験みたいなものがあって、奥さんは神経的に異常をきたしてしまう。
そのときも奥さんが自殺する場面と、自分が自殺をする場面と両方出てきますが、そのように自殺をせざるをえないというところまで追い詰められる体験もします。そこで島尾敏雄、つまり私が首をつろうとして、首をかけようとすると、奥さんがたどり着いてきて、それを引き外してしまう。死の体験が何度もやってきて、しかもそういう体験がいつでも未遂に終わってしまう。そういう体験を生涯の中で繰り返し反復するわけです。
どうして反復されるのか。それは仕方がなく偶然でそういう場面になってしまったのだということももちろんいえますが、別の意味からすれば初めの死の体験で壊してしまったもの、あるいは決めてしまったものが、何か生涯の中に繰り返し、繰り返しイメージのパターンとして出てくると言えば言える。それは決して偶然ではなくて、戦争中の初めの死の体験から帰ってきたという体験があまりに強烈で、存在自体を無意識のところで動かしているところがあり、そのためにそれが生涯の中で違う主題で、何度も繰り返し出てきてしまう。これが言ってみれば島尾敏雄という作家の宿命のイメージのパターンだとも言えます。
しかしそんな解釈をしなければ、これはただの偶然にしか過ぎなくて、偶然に奥さんがおかしくなって、死に追い詰められてしまったということがあっただけじゃないかということになるわけですが、しかしそうではないと考えれば、最初の死からよみがえった体験が生涯を決定していくとも考えられます。その場合にはイメージの反復として、それは作品と生涯の生き方を規定しているということができると思います。
島尾さんの体験、それからドストエフスキーの体験は種類もパターンも違うのですが、しかし死からよみがえった体験は、あるイメージとして作家の作品を支配している、あるいはイメージとして繰り返し、繰り返しそれが出てくるということにおいては、同じパターンで似ている。この体験はイメージ論としていえば、文学的な、つまり言葉の表現、それから映像の表現、あるいはイメージの表現との構造的な関連をつける場合に非常に大きな意味合いを持つということができます。
もちろん特異な作家を取ってこなくても、普通の人が交通事故に遭って死にそうになって帰ってきたという体験とか、あるいは重病で瀕死になってよみがえった体験とか、そういう体験からももちろん同じパターンを取り出すことはできる。それはどちらでももちろんかまわないのですが、そこで普遍的にある問題は、一種のパラ位置からのイメージが普通のイメージに対して可能な場所がある。それはたぶん死の体験というある構造的な類似がありうることが取り出すことができます。
もう一つは、それも死の体験と関連しますが、自分の肉体的な存在感が全部、視覚になってしまう、あるいはイメージになってしまうという体験が、パラ位置のイメージをつくる場合に非常に重要な役割を持ちます。だいたいにおいてパラ位置からのイメージと、普通の場面でのイメージとが同時に行使された場合を考えれば、たぶんそこのところで現在考えられる最も高次な映像を理解することができるわけです。つまり現在考えられるもっとも高次なイメージ、あるいは現在つくられるもっとも高次なイメージは要素的に分解してみると、普通のイメージに対して、パラの位置からのイメージが同時に行使されるというイメージといえると思います。
もう一つ強いて言おうとすれば、僕らが夢の中で見るイメージがあります。種類としては無数にありますが、類型的にいえば、一番極端なところに文字で出てくる夢があります。文字通り文字で出てくる夢のイメージです。あるいは文字が出てこない場合は、ただ言葉だけムニャムニャと夢の中で言っているというのが一つの極端なものです。もう一つの極端は何かというと、やはり夢の中で物語ができてしまっている、もちろんそれがイメージで出てくるわけですが、イメージに物語ができてしまっているという夢を見ることがあります。
もちろん中間には物語にはならないのだけれど、任意のイメージが夢になって無数にポンポン出てきて、それがさめてしまう。これを理解しようと思ってもなかなか解釈のしようがない。任意のようにイメージが出てきて、それで終わってしまっている。筋書きも何もないという夢を見る場合があります。夢の中に出てくるイメージは、三つぐらいあげるとすれば、だいたいにおいて尽くされるわけです。そのどれかに入ってしまうというのが夢の中に出てくるイメージです。あるいはイメージ自体がそのようにできているということができます。
この場合、何に該当するかといえば、自分の肉体的な存在がなくて、全部視覚に化してしまっている、あるいはイメージ自体に化してしまっているという場面で見られうるものが夢のイメージだということができると思います。夢のイメージはだいたいにおいてそうなのであって、自分の存在感、つまり肉体などは全然なくて、自分はただのイメージ、または視線に化してしまっているのだけれども、そこで出てくるのが夢の中のイメージだということができると思います。
では文学の中や言葉の中に出てくるイメージというのが何かというと、それは夢の中のイメージと似ているところもありますが、少し違う。少なくともパラ位置にあって普通のイメージや普通の視覚を統御している、そのパラ位置のイメージだけは肉体的な存在の中にあって、あるいは存在自体の根拠があって、そのパラ位置のイメージが描かれている。そのほかのイメージなら夢のイメージでもいいし、また入眠状態のイメージ、あるいは視覚像でもいいのですが、ただこれを文学、言葉の表現にするためには、パラ位置にあるイメージだけは、作家なら作家の存在感と一緒になければならない。
つまり一緒になければ文学作品、言葉の作品としては形成されないといえると思います。また夢のイメージとパラ位置からの文学的なイメージとの相違は、単にそこだけだといえばよいと思います。そこが同じになってしまえば、夢のイメージであっても、文学作品、言葉の作品の中に出てくるイメージも同じになってしまい、ただ違うところがあるとすれば、夢の中で見られるイメージは、いま言ってきたことで言えば、自分の存在感が視線あるいはイメージ自体に化してしまっているということだと思います。
文学作品の中で表現されるイメージという場合には、パラ位置のイメージだけは自分の存在感とくっついたかたち、つまり存在感のところから、あるいは主体のところからパラ位置のイメージだけが出てくる。それがたぶん文学作品、つまり言葉の作品の中に出てくるイメージであって、それが夢の中のイメージと文学作品、言葉の作品の中のイメージとを分けているところであり、違いです。観念といってもいいのですが、観念のあるところはそこに帰するのではないかと思われます。
そこの構造がうまく理解できると、たぶん文学作品も一種のイメージ論として、映像とか絵画とかと同列に扱うことができることになると僕には思われます。そこがとても重要な一つのポイントと思われます。
もう一つ申し上げますと、僕らが一番難関だと思っていることの一つに価値論があります。つまり何が価値かということがあるわけです。それをイメージ論として、像として展開することができるだろうか、像論として扱うことができるだろうかということが非常に難関の一つです。これを僕らがどのように解いていったかというと、まず価値の概念を、経済学的な、経済学的なということはつまりものをつくるということですが、自然のものがあるとすれば、それを加工して何か製品をつくります。まず初めに価値の概念を経済学的な概念に置き直すところから始めたら取っ掛かりができると考えていきました。
もしこのコップが経済学的な概念として使用価値とか交換価値がある製品、あるいは商品だとすると、これはどのようにつくられていくかというと、普遍的にいうと、自然の鉱物を精錬したり、精製したりして、それをかたちにしてコップをつくるわけです。初めに自然があって、その自然に対して手を加えていきます。加工の手段はいろいろあります。そうすると加工してでき上がった部分だけが一種の価値物質として、コップとして使用されるとか、何かと交換されるとか、使用価値や交換価値を持った価値物質としてつくられることになるわけです。
自然物に対して人間が手を加えていくことが価値をつくることの原型のイメージです。つまり価値をつくるということは、経済学的に言えば、自然物に対して加工をしていってあるかたちをつくっていく。それが価値に伴うイメージであるわけです。この価値に伴うイメージは、経済学的な範疇でも人によってさまざま違います。
たとえば自然物に手を加えることはどういうことかということについて、マルクスはこのように考えます。つまり自然に対して手を加えることは自然を人間化することだ。同時に自然のほうも人間を自然化する。自然を人間化する作用と人間を自然化する作用とがかみ合わさった、あるいは組み込まれたときに価値が生ずるのだというのが、マルクスの経済学的な概念だと思います。つまり価値は、人間が対象としてある自然に対して手を加えていく。同時に自然のほうは人間を自然化していく。その二つの作用が組み合わさる。人間が何かをつくって価値物にするということは、そういうことなのだ。
そこで皆さんは、たとえば自然に手を加えたときに自然のほうでもそれに対して反作用を及ぼして、人間を自然化する。つまり自然をシャベルや手で掘るのは同じで、人間の肉体を自然物と化していってしまう。同時にその二つの作用があって、たとえば価値をつくるということに対するイメージとして浮かんでくることができると思います。それはわずか経済学的な概念にすぎませんが、この経済学的な概念で言われる価値は、自然に対して手を加えて、同時に自然のほうは人間のほうに反作用を及ぼす、その二つの作用が組み合わされたところで価値が生まれてくる概念だし、またイメージとしてとらえることができると思います。これはとても重要なことだと思います。
初めに経済学的な概念からそのようにイメージの概念をつくり上げて、つまりイメージの概念を取って、これをどうやったら普遍化できるかということでいいわけです。イメージとして、つまり価値概念を普遍化することを意味するのですから、それをどうやって普遍化できるかと考えればいい。たとえばこの概念を普遍経済学的な、あるいは普遍経済的な概念と置き直すとすれば、つまり自然とは何かということをもう少し普遍化していけばいい。それに伴って、人間がそれに対して手を加えることを普遍化していけば、価値という概念を普遍的なイメージに置き換えることができるはずです。そこでどうやったら自然は普遍化できるかということになるわけですが、それはいってみれば商品や製品になるような自然の概念を、せいぜい少し変化するものと置き換えればいい。
マルクスの経済学的な自然概念には、たとえばガラスの材料はケイ酸の化合物で、もとは鉱物ですが、そのように自然の中でも非常に固定的な、静止された自然という概念が一つあるわけです。それから、割合に限定されている自然、つまり価値物にならなければ経済学的な範疇での価値概念は出てこない。何か加工したら価値物にならなければいけないわけです。
しかし、価値物にならない自然もあるし、また価値物の概念の自然というものをもっと微細化していくとどういうことになるか。ある時間的な変更、あるいは空間的な変更を具現しているある実体というように普遍化すると、これは別に経済学的な意味での価値物をつくるとように自然を限定する必要はなくなります。それには植物、動物、微生物も入るし、無機物も入る。
そういうすべての自然を含めて、時間、空間的な変貌、あるいは変容を絶えず遂げつつある実体なのだと、そこまで普遍化あるいは実体化すれば、自然というものもまた経済学的な意味の自然から、もっと広い範囲の自然に置きなおすことができます。それに対してある手の加え方をすると、自然から逆に手を加えられてしまう。そういう領域を考えると、その領域が重なった部分が価値概念の領域だ、つまり価値のイメージの領域だということができます。
だから自然と人間との、あるいは自然と生物との間の関係でいうと、自然がどのようになるかというと、価値領域とそうでない領域と二つに分かれてしまうことになります。もし人間が何らかの意味で自然に手を加えるとするならば、必ずその領域は、経済学的な意味の価値概念にならなくても、普遍的な意味では価値概念を生み出すことを意味することになる。そうすれば価値概念のイメージはきわめて普遍的な意味として存在してくるといえるようになります。そこのところで価値概念のイメージをつくれば、たぶん普遍的な価値概念のイメージはつくれることになると思います。
価値概念のイメージを普遍化していくと、そういうことになります。これはもう少し細部にわたって展開していかなければいけませんが、皆さんの前でお話しできるおおよそのところはだいたいそういう考え方をしていって、価値のイメージを普遍化するというやり方をつくっていったわけです。
もう一つ、都市論という都市の問題、言い換えれば文明の問題です。文明の問題がどのようにイメージ化されるかということになるわけです。あらゆる都市が歴史の方向に沿って、時間の方向に沿って展開される場合には、二つのところで展開されます。
一つは、具体的にいえば単純なことで、つまり密集地域です。人間がたくさんの視野でなければとうてい入り込むことができないようなものが、それが一視野の中に入ってきた場合にそこの場所から都市は展開していくということです。京都などはそういうところがあまりないからあまり典型にならないのですが、ビルディングでも、パラ位置からの視線をできるだけ行使しながら密集地帯を見ていくと、だいたい人間の一視野ではこんなことは入ってくるはずがないというような、たくさんの視野に重なって入ってくるというところから都市がだんだん展開されていくわけです。そこから外に展開されて一つの領域が広がっていくわけです。つまりそれが一つの広がり方です。
もう一つの広がり方があります。それは一つの領域の中に全部の都市と農村、加工された自然と加工されない自然、普通ならば加工された自然があって、その周りに加工されない自然があるということになるわけですが、そうではなくて都市の中にはある領域、あるいはもっと狭めるとビルディングになるわけで、加工されない自然と加工された自然とが同時に詰め込まれている。そういう領域、そういうビルディングがあります。屋上にプールがあるとか、五階に茶室があるとか、日本庭園があるようなビルディングがあるわけです。
そういう領域は何かというと、ある一つの領域の中に、全部が入った、つまり加工された自然、価値としての自然と、価値化されていない自然とが、同時に一つの中、それはビルディングとか、ある領域の中に入ってしまっている。都市が展開する場合には、こういうところから展開されていくといえます。つまり都市が展開される場合には、どんな都市でもいま言った二つの領域で展開されていきます。
京都のように中にお寺があったり、保護地区があったりすると、変形されます。しかし、たぶんこの人工的な領域が自然領域を中に含んでいる。たぶん京都はそうなりそうな気がするのですが、そうやって取り囲んで、これが一種のループ、輪をつくると、その中の手を加えられていない自然、あるいは比較的手が少なく加えられている部分は外に出ていきます。それに対してまた次の輪が狭められていきます。そうするとまたそこに手を加えられていない自然とか、比較的手を加えられていないお寺の境内は外に出ていきます。たぶん京都の場合にはそういうふうにして、ループの領域を広くしながら都市化は展開していくだろうと僕には思われます。都市が展開する場合には、その二つしかない。つまり展開される領域は二つしかないわけです。
ですから京都のまちがどうなっていくかということをもし皆さんが予見したいのならば、その二つの領域、二つのものが含まれている領域とか建物、あるいは建物の密集領域で、その二つの系列の領域をよくよく注目されると、この都市がどのように展開されるかはたぶんわかるはずです。つまりそれ以外に都市の展開のタイプはないわけです。
なぜこの二つのタイプが都市論の中で取り出せるかというと、それは先ほど僕が言ったように、一つは価値論です。それともう一つは死の体験とパラ位置から視線です。われわれが普通行使している視線に対してパラ位置からの視線を同時に行使する、そういうイメージとしての論理と価値論と、その二つのことをよくコンバインしていくと、都市というものが一般的に展開されていく系列を取り出すことができます。
これは普遍的な都市の理論です。好みでもって言っているわけでも何でもなくて、またどこの都市は別問題だということではないので、特殊条件はあるのですが、一般的に都市論を普遍イメージ論としていえば、その二つの系列のところでどのような都市も展開されていきます。ですからそこに着目されればいい。
また皆さんがパリやロンドン、ニューヨークに行かれても、その都市がいったいいまどうなっているのか、これからどうなっていくのか。長い間いればわかりますが、そうではなくてちょっと行って知りたいと思うのならば、その二つの系列、イメージが重複して一視野の中に入り込んでくるようなパラ位置からの視線にそういうものが入り込んでくる領域がある。それから一つの建物や領域の中に全部が含まれている、つまり価値化されていない、加えられていない自然と、手を加えられた自然とが競争していく場所は必ずあるはずです。その二つの場所に着目されるならば、その都市がどういうふうに展開されるか、あるいはいまどういう段階にあって、これからどうなっていくかということが必ずわかるはずです。
つまりそこの二つに注目されればいい。京都は文化財とか保護地域とか史跡とかいろいろあるでしょうから特殊ですが、だぶんいま言った二つの系列の一つのあり方がややバリエーションの違うやり方で展開されるでしょう。展開自体はその二つの系列を出るものではないと思います。その二つの系列に着目されるならば、都市の問題、あるいは一般的に文明がどういう方向に、どのように流れていくか、具体的にどうなるかがとてもよく見えると思います。
それは普遍的なイメージ論の中で、割合に大きな比重を占めている問題で、僕らもいろいろなかたちでその問題を展開したりしていますから、もし今日お話ししたことでそういうことをもう少しちゃんと検討してみたいということがありましたら、私も展開しつつありますから、それをよくご覧になってくださればよろしいと思います。だけどおおよそのところ、モチーフがどこにあるか、それはどういう意味合いを持つかということは本日だいたいお話しできたのではないかと思っています。
あまりうまくない話で申し訳ないのですが、もしよろしかったら書かれたもの、あるいは書きつつあるものによって補ってくだされば結構だと思います。これで終わらせていただきます。