1 司会

2 宗教家としての岡本かの子

 今日はどういう話からはじめようか考えてきたんですけど、三大噺でないですけれども、岡本かの子の文学の世界というものを、ひとつは描写の仕方の特徴ということ、もうひとつは作品の内容に当たる、生命ということについて――生命というのは岡本かの子が頻繁に使っている言葉でして、ぼくらが作品を読んでいても一種の生命の滞ることのない流れというものを感受するというのが作品のいちばん大きな眼目で、生命ということをお話ししたい。もうひとつは地誌と言いましょうか、やさしい言葉で言えば土地勘なんですけれども、土地というものあるいは地形とか地勢とかそういうものも岡本かの子の文学の特徴ではないかと思うので、けっきょくその三つのことを中心にして岡本かの子の作品の特徴をつかまえてみたいわけです。
 ぼくは、十代の頃、日本の文学作品というのを一生懸命読んでいたとき、非常に好きで、よく『花は勁し』の「丹花を口に銜みて巷を行けば、畢竟、惧れはあらじ」なんていう言葉は十代の頃よく暗記していまして、好きな作家でした。しかし元来が移り気なものですから、いろんなところに自分の関心を写して、岡本かの子のあまりいい読み手ではないかもしれませんけれども、十代の頃好きだったということは一種決定的な意味が自分のなかであって、いつかそういうことについて喋ってみたい、書いてみたい、決算をつけたいという気持ちを持ってきたわけです。今日は決算をつけられるということではなく、その糸口をつけられたらなということでやってきました。
 で、なんて言いますか、ぼくはいい読み手でも研究者でもないんですけれども、岡本かの子は作家・物書きとして出発する以前に、宗教家として一種完成した人だったということがとても重要なことのような気がします。何が岡本かの子の宗教家として独特で、完成されていたのかということをまずはじめに申し上げてみたいわけです。
 それはこうだと思うんです。岡本かの子がいちばん一生懸命、自分の宗教的な感覚の中心においたのは法華経だと思います。しかしその法華経のなかで何が重要なのかということになるわけですけれども、法華経がすべてのお経のうちいちばん重要なものなんだと考えた人たちがいるわけです。それは天台宗の始祖である天台大師がそうであり、空海の前に中国に行って天台大師の教えを受けとってきた最澄( 伝教大師 )は、法華経をすべての教文のなかでいちばん重要なものとして考えた宗教家です。もう1人いりのは日蓮です。日蓮もまた、法華経がすべての経文のなかで最重要だと考えた人です。日蓮に言わせれば、日蓮というのは強烈な人ですから、他宗も否定するし、他の僧侶も否定するわけですけれども、日蓮が否定しなかったのは、日本では伝教大師最澄だけであり、中国では天台大師だけであって、そのほかには自分しかいないと言っているわけです。
 法華経を至上とした一脈があるわけですけれども、それはさまざまなニュアンスで受けとられるわけですけれども、岡本かの子という人は法華経をいちばん大切な経文と考えた人なんです。宗教家、作家以前の岡本かの子は、法華経を諸経の王と考えた人です。そういう意味では日蓮と同じだし、またほぼ同時代の人で言えば、宮沢賢治とも同じなんです。
 ところで岡本かの子の独特なところは何かと言いますと、法華経のなかで二五章目に「観世音菩薩普門品」というのがあるわけです。岡本かの子は法華経のなかで「普門品」をもっとも重要なものだと考えたという意味では、独特な宗教家です。ぼくはあまり専門家ではありませんけれども、岡本かの子のように「普門品」というのを法華経のなかでもっとも重要で、宗教的なもののなかでいちばん重要と考えた宗教家というのは岡本かの子がはじめての人じゃないかと思います。
 もっと勘ぐって申し上げますと、岡本かの子は作家以前に宗教家としては観音宗、観音教派と言いましょうか、そういうものの教祖だと自分では考えていたというふうにぼくは思います。自分では観音教の教祖は自分だと考えていたとぼくは思っていて、そのことは作家としての岡本かの子にとってとても重要なことのように思います。

3 「観世音菩薩普門品」の特徴

 法華経というのは、日蓮にいちばん典型的にあらわれますけれども、ものすごく強烈なわけです。このお経はすべてのお経のなかで最上のものだと経文のなか自体に書いてありますし、これを信じて護持する人はもっとも優れた仏教者なんだとも言ってありますし、もっと極端なことを言いますと法華経には中身なんかありゃしないんで、「これはいいぞ、法華経てのはいいもんだぞ」と言っていることが法華経というものの内容だと言っていいくらいなものです。日蓮というのは典型的な人で、法華経のなかで「この経文をくさしたりなんかする人はみんな駄目だ、ひどい目にあうぞ」「これを護持するためにさまざまな災難にあう、受難をすることがありうるぞ」ということが経文のなかに書かれていますけれども、書かれているご当体はおれなんだ、という考え方です。自分は最澄に比べても天台大師に比べても駄目な宗教家で及びもつかないんだけれども、法華経のなかに予言されている、これを護持するものは人から迫害されることがありうると書かれている、まさにその迫害されているご当人はおれなんだ、おれはそういう意味では最澄ほどえらくはないけれども、法華経の護持者として自分はそういう資格があるんだと言っています。
 しかしそれはもっと悪口を言えば、わざわざ弾圧されるようなことを言って弾圧されて、迫害を受けたのはおれじゃないかと言っていると、何か本末転倒じゃないかとお考えが浮かぶかもしれませんけれども、その構造は法華経自体の構造に近いものです。
 そういうことが法華経の根本のところにあるですけれども、岡本かの子が二五章に当たる「普門品」というのを最上のものだと考えた根拠は、岡本かの子自身もそういうふうに言っていますけれども、ここには何らお説教も書いていないし、批判的なことも書いていないし、これを護持しないものはよくないぞということも書いていない、唯一の章というのがこの「普門品」だというふうに言っています。なぜいいかと言えば、ここには、あらゆる否定的、批判的な意志、あるいはこれを護持しないものを迫害を受けるというような一種の強迫観念にかられることもない。ただ観世音菩薩の名号を称えれば、あらゆることがぜんぶ救われちゃう。苦しみもなにもぜんぶ救われちゃう。観世音菩薩とは何者であるかというと、仏の身になって人を済渡する場合には仏にもなりうるし、少年少女になって人を助ける場合には少年少女にも自在に変身して人を助けることができる。非常に自在にすべての人の苦しみの声とか、悩みの声というのを聞きとって、その人の悩みにふさわしいかたちに変身できて、それを救ってあげるということができるのが観世音菩薩だと「普門品」には書かれています。観世音菩薩というのは称えればいいだけで、批判も否定も強烈な意志力も書かれていない。ただ人間のあらゆる苦しみとか悩みに対して、変身しながらその人を助け、その人の生命観というのを外に向かって開いてあげることができるのが観世音菩薩で、ただ称えればいいんだと書かれています。これが「普門品」の特徴で、自分はこれの信仰者だと言っています。
 もっと推察を働かせれば、法華経について言わないで、法華経のなかの二五番目の「普門品」というのを主体にして考えて、法華経自体の全体がその背景をなすものだという考え方をとったのは自分がはじめてだという言い方をしています。もっと言いますと、自分は宗教家としては一宗を立てると言いますか、観音宗という一宗を立てるくらい、新しい考え方を法華経に対してとりましたよということが、岡本かの子の本音だと思います。このことはとても重要なんで、法華経を至上とするのは天台宗なんですけれども、天台宗には天台学という体系があって岡本かの子もよくそれを勉強していますけれども、それは背景であって、法華経を至上のものとした日本で言えば伝教大師、日蓮というのはいるけれども、自分は法華経を至上とするけれども、法華経は全体は背景に退けて、そのなかの二五章目の「観世音菩薩普門品」というのをいちばんいいものだと考えたというのは自分がはじめてですよと言っていると思います。
 それはとても大切なことじゃないでしょうか。つまりあらゆる人の声とか音とかを聞き分けて、その人にふさわしいかたちでいつでも名前を称えさえすればそこに行くことができ、その人の悩みを解き放って生命感与えることができるという考え方を自分はいちばん大事なものだと思っていますということを言ったはじめての人じゃないかと思いますし、それがたぶん作家以前の岡本かの子の核心をなすものだと思われます。
 ぼくらが十代半ば頃岡本かの子の作品に惹かれたのも、たぶんみなさんが岡本かの子の作品に惹かれているところも、たぶん、その一種の生命の流れみたいなものを高揚する、解き放つところじゃないのかなと思います。それはどこから来ているかというと、法華経から来ていますし、法華経に対する独自な考え方で、二五番目の「観世音菩薩普門品」というのを全面に出して法華経の全内容を背面に考えたという考え方から来ていると考えると考えやすいんじゃないかと思われます。

4 接写的な描写

 さて、作家以前の岡本かの子の核心というのをそこに置いておきまして、作家・岡本かの子のなかに入っていくわけですけれども、こういうことに皆さんがご関心があるかどうかは別として、岡本かの子の作品の描写のなかで、あるいは文体のなかで非常に大きな特徴があります。それは何かと言いますと、ひとつは接写ということなんです。カメラをやったことがおありになる人はお分かりになるでしょうけれども、ふつうのカメラのふつうのレンズだったら、四、五〇センチ離れた対象でなきゃ撮れないんです。ある種のレンズをつければ間近なところで撮ることができるということがあるわけです。そうすると花びらがものすごく拡大して見えてきたりするわけです。全体ではなく部分が鮮明に見えたり、大きく広がって見えたり、奇妙な世界に一見思えるんですけど、岡本かの子の文体の描写のなかには接写と言いましょうか、ふつうに対象を眺めてそれを文章で描くという描き方よりも、もっと間近に迫って描けているという感じを持ちます。
 接写の感じ、描写しているのは、ここに自分がいて、文章があって、対象を描写しているという三つの関係が非常に近くなっちゃって、この対象と自分と描いている文体とがぜんぶ同じ、くっついちゃっている、体験しているそのこと自体が描かれているという感じを読者に与えるところがあります。それは簡単に言えば接写と言うとわかりやすいと思います。つまりふつうのカメラだったら五、六〇センチ前に来ちゃうと撮れないということになります。それが接写レンズをつけますと近くで撮れるわけで、そうすると実に奇妙な世界が撮れるわけです。
 それと同じように、体験している――この花を見ている――自分と、この花を見ている自分と、対象である花とがくっついちゃって描かれている。つまり体験即描写、しかも言葉で描写している。その鮮明な印象というのが非常に大きな特徴だと思われます。例もいくつかあげることができると思います。どの作品の任意の場所を開いてご覧になってもすぐにそれがわかると思います。

5 「混沌未分」――高速度写真の描写

 もうひとつは、ちょっと違うことなんですけど、そういう言い方で言えば、映写技術で高速度写真というものがあるわけです。非常に早くフィルムを回しておいて動いている対象を撮り、スクリーンに写すときにはふつうの早さで写しますと、徐々に徐々に動くという、この頃テレビでやる中国の体操があるでしょう、あのように非常に早回しをして対象を撮ってふつうの早さでスクリーンに写すと、非常に微細な手の動きが撮れるということが、一種の高速度写真の技術ですけれども、あるでしょう。
 これもまた岡本かの子の描写の大きな特徴だと思います。これもみなさんが任意の作品の任意の場所というのを開けてご覧になってお読みになればわかると思います。高速度写真のテンポになっているところをちょっとぼくが四五行読んでみましょう。
 「混沌未分」という初期の非常にいい作品です。そのなかで主人公が小初という水泳場の娘が飛び込み台から飛び込むところを描いている文章です。

それは、まったく翡翠(かわせみ)が杭(くい)の上から魚影を覗(うかが)う敏捷(びんしょう)でしかも瀟洒(しょうしゃ)な姿態である。そして、このとき今まで彫刻的(ちょうこくてき)に見えた小初の肉体から妖艶(ようえん)な雰囲気(ふんいき)が月暈(つきがさ)のようにほのめき出て、四囲の自然の風端の中に一箇(こ)不自然な人工的の生々しい魅惑(みわく)を掻(か)き開かせた。と見る間に「三!」と叫(さけ)んで小初は肉体を軽く浮び上らせ不思議な支えの力で空中の一箇所(かしょ)でたゆたい、そこで、見る見る姿勢を逆に落しつつ両脚(りょうあし)を梶(かじ)のように後へ折り曲げ両手を突き出して、胴(どう)はあくまでしなやかに反らせ、ほとんど音もなく水に体を鋤(す)き入れた。
 これだけの描写は、飛び込み台の上で手を挙げて飛び込んで水に入ったというだけのことです。それだけの描写を高速度写真でなければ描写できないように描写してあります。これは事実そのままの描写ではないということがわかります。どこが違うかと言えば、空中の一カ所で止まってしまったり、その時々の姿勢をいちいち描写しているということになっています。ほんとうならば、小初は飛び込み台にあがって姿勢をとると飛び込んだ、と書けばふつうの小説ならそれでいいわけです。別にこれは「混沌未分」という小説自体にとってはちっとも重要なことではありません。娘が飛び込み台から飛び込んだというだけのことですから、ふつうの作家のふつうの作品だったら、そう書けばそれで終わりなわけです。そんなことは作品全体の動きに対して何の影響も及ぼさないことです。
 しかしこれは、文学作品を意味として、何が含まれているかとかどういう教訓が含まれているかとか、どういう倫理道徳があるかというふうに作品を読めば、何の意味もない個所です。だからこんな描写をする必要はないので、たった一行かそこらで飛び込み台から飛び込んだと書けばそれでいいわけです。ところが文学作品というのは必ずしも意味ではありません。意味ではなく、イメージで読んだり、岡本かの子の場合にはイメージでもないんです。これは概念なんです。つまり、意味のもとになっているものなんです。そのなかに含まれている生命の量なんです。
 生命を糸のように考えれば、生命の糸がグルグル巻きになって概念のなかに含まれている、そのグルグル撒きになっているものを伸ばしてみせたと言いましょうか、それが岡本かの子の意味以外の作品の特徴です。つまり、生命の糸をこう伸ばしてみると、ほんとうは生命の糸というのは概念のなかでグルグル巻きになっているんですけれど、それをスーっと伸ばして生命の糸だよというのを読者に感じさせるように出来ているのが岡本かの子の文学の特徴です。
 これを意味だけで岡本かの子の作品をとったら、このなかには岡本かの子の文学の世界はべつに教訓がある世界でもないし、道徳を言っている世界でもないんです。そういう意味で言ったら、意味なんかそんなにないんです。ただ、生命があるんです。それはどこから来るかといったら、この高速度写真的な描写のなかから来るわけなんです。これは、本来ならば生命が意味のもとになる言葉の概念のなかには、グルグル巻きになったかたちでしか生命の糸が含まれていないんですけど、それを高速度写真的な描写をすることによって、糸を伸ばしてみせる。だから小初という娘が飛び込み台にのぼって姿勢をとって飛び込んだという描写のなかからも、読む人が生命を感ずることができるわけです。生命感と言いましょうか、生命の糸が長く見えてくるという見え方がするということができるわけです。これは岡本文学のたいへん大きな特徴だと思います。
 このことがなければ、岡本かの子の文学はイメージが鮮明でもありませんし、意味が鮮明でもありません。倫理道徳教訓がそれほど含まれているわけでもありませんから、これは漠然と華やかなことが書かれているなと思われてしまうわけです。しかしその華やかに思われている世界をよくよく考えてみれば、生命の糸というものをスーっと伸ばして流してみせる、川の流れに布をさらすように、生命の糸をさらしてみせる、そういう作用があると思います。それは岡本文学のとても大きな特徴で、これは岡本文学を意味とだけ受けとったらぜんぜん受けとれないことだと思います。だからこれは意味として受けとるんじゃなくて生命の糸として受けとるということです。
 それからイメージとしてそれほど鮮明ではないから、イメージとして受けとってもあんまりいい作品じゃない。これは素人の作品だと同時代の批評家がよくいっていますけど、なんとなくこれは構成が物足りないとか破綻を来しているという批評がよくやられていますけれど、それはイメージとして、意味として受けとるからそうなっちゃうんです。ところがこれを概念のなかに含まれている生命の糸として受けとれば、ものすごい大きな生命の糸の量を受けとることができるんです。それを受けとれたらまず岡本文学はわかったと言ってもいいくらいなものだと思います。それがまたとても重要なことのように思われます。それから文学のなかでは大切な機能のひとつです。

6 生命の糸としての文学

 それからあえて岡本かの子の特徴を言いますと、生命の糸をこれだけ文学作品のなかで見せて感じさせたという作家というのはほかにいないわけです。そこでもってこの作家は天才だと思います。天才というよりしょうがないと思いますし、またぼくらが明治以降の近代文学のなかで女流作家のなかで、女流という言葉を入れなくても済んでしまう、最高の作家だとぼくには思われます。この人を最高の作家だと言うためには、生命の糸を感じられないといけないように思います。イメージとして読んでもいけないし、意味としてだけ読んでもいけない。生命の糸がちゃんとほぐれている、だからこんな無駄な描写で、ただ小初が飛び込み台にのぼって飛び込んだと書けば済んじゃうという受けとり方をしたら、岡本かの子の作品は駄目になってしまう、受けとれないと思います。そこがとても重要なことのように思われます。
 見ているのと描写しているのと体験しているのがまるで分離せず一体である接写のような描写の仕方というのと、高速度写真でゆっくりとほぐしたために概念のなかに含まれている生命の糸を伸ばしてみせた、そこが岡本かの子の文学における描写の仕方の非常に大きな特徴だと思います。そのことに理解がいったら、とてもやめられないくらい魅力的な作家だということになると思います。
 もうひとつ生命の問題が、描写ではなく内容の問題としてどういうふうにあらわれてくるかということについてちょっと触れてみたいと思います。ついでにことですからいまの「混沌身分」で言いますと、最後の近いところで言いますと、主人公である小初という水練場の娘さんが、水泳にやってくる子どもたちと一緒に遠泳をやって、そのときに小初のことを好きな、お金持ちで自分のお妾さんにしたいという男がいます。衰えかけた水練場にお金を援助してその代償に小初を自分が世話したいと思っている初老の男がいます。その男が遠泳に着いてくるんですが、もう一人、小初が好きな薫という年下の少年も遠泳に付いてきます。薫と貝原という初老の男は小初という娘をめぐって一種の三角関係――これは岡本かの子の作品の特徴です――で意識の鞘当てをやっています。小初は、自分をめぐる二人の男の意識の葛藤みたいなものが泳ぎながらも感じられてそれが煩わしくてしょうがなく、逃げたいと思うわけです。子どもたちの遠泳に付いているということも面倒な感じに襲われて、一人で子どもたちも貝原と薫の二人の男をも引き離して、「混沌未分」の世界の彼方のほうにどんどん泳いで行ってしまうというところで作品が終わります。
 この場合の二人の男たちが、ふだんは小初という娘は少年とも水の中で一緒に戯れたり肉体関係を結んだりということをして、自分の性的な意識を子どもと絡めていますし、貝原という自分を保護したいおじさんに対しても、お金を出して自分の家の水練場を保護してくれるというだけではなく、自分の性の意識、エロスの流れというのをちゃんと絡ませているんですけれど、遠泳のときにその流れを断ち切りたくなって、二人の生命の流れを断ち切り、子どもたちとのあいだにある関係を断ち切りたくて、どんどん一人で「混沌未分」のほうに泳いで行っちゃう。言ってみますと、小初という娘が持っているさまざまな人間関係のあいだに、流している自分の意識、生命の流れというのを回収したくなって、自分のなかに閉めてしまってそこから逃れたくなっているということを描いているわけです。
 この描き方というものが、たぶん生命感というものの内容をなしているわけです。いつでもそのように思います。つまり、生命は自由に、自分の傍によって関係を結んでくる風景に対して、人に対しても、それからさまざまな事柄に対しても、ぜんぶ自分の生命の流れは解放して、ぜんぶ流してしまうことでタブー、禁止を設けないことが主人公たちの特徴です。しかしそのなかにも揺れというのがあり、どういうふうに揺れるかということをさまざまな関係のなかで描くということが岡本かの子の作品の内容としての生命感なんです。描写ではなく内容としての生命感は、さまざまな風景、さまざまな人というものと絡ませていってそれが一種の波をつくっていくということが、たぶん岡本かの子の作品の生命の内容をあらわしているものだと思います。
 「混沌未分」というのは割合に初期の作品ですけれど、最後に突然亡くなりましたので遺稿として出てきた優れた作品――「女体開顕」とか「生々流転」という長編小説はその実現そのものです――他の人間との関係、風景との関係、そういうものとの複雑な生命の絡み合いを描き、それをどう波として描き、また回収して孤独になっていくか。またそれをどう解放していくか。そういうことを描くというのが岡本作品の特徴になっていると思います。その最初のあらわれというのは「混沌未分」だと思います。
 日本の同時代の文学の世界に登場したのは、同じ頃つくられた「鶴は病みき」という芥川をモデルにした小説でしょうけれども、たぶん生涯の作品全体の流れで言いますと、はじめて生命の流れというものを人間同士の関係の流れとして描いたものの最初の作品は「鶴は病みき」よりも「混沌未分」のほうではないかと思います。だから「混沌未分」のほうが後々の岡本かの子の作品まで考えれば中心になる作品のように思われます。

7 生命の量の違いとして描く

 岡本かの子の作品のなかに描かれた人間の関係や風景の関係のなかに描かれた生命の流れというものをもう少し細かく言ってみますと、こういう考え方、感じ方というのがあると思います。それぞれの人間は、それぞれが持っている一種の生命の量がある。質ももちろんあるわけでしょうけれども、生命の量がある。その生命の量というのはもしかするとその人に固有のものかもしれない。もしかすると固有のものであり、その人しか持っていない色合い、肌合い、流れ方を持っているかもしれないという考え方があります。
 もし生命の量が違う男と女がいて、それが恋愛関係になったりして、近親関係になったりして、それぞれの生命の流れを絡ませ合うという運命に立ち至ったときに、生命の量が格段に違うような男と女が一緒になったりすると、それはうまくいかない事態が訪れてくる。もしも恋愛関係みたいなものがあって、恋愛関係のなかでうまくいかないみたいなことがあるとすれば、ふつうの作品の描き方ですと、これこれをきっかけにして気持ちの食い違いが起こり、駄目になって二人は失恋したという描写になるべきところなんですけれども、岡本かの子の場合には、男と女の生命の量が違うために、片方の生命の量――たとえば女の生命の量が圧倒的な流れとして男のほうにやってきて、それを受け止めきれないということが起こってくると、男のほうはそれが嫌になってくる。男のほうは参ったということで敬遠するようになるか病気になって倒れてしまうかというかたちで、受けとめきれない。あるいは別なやり方をすると、自分と同じくらいの生命の量の他の女の人を見つけて仲良くなってしまう。われわれの生活のなかで男女のあいだに起こる恋愛関係のもつれ、失敗、浮気、三角関係というのがあるとすれば、それは生命の量が違う男女がある契機に仲良くなったみた。しかしそれは圧倒的に異性からくる生命の量を受けきれない。するとどうしても自分は身体を弱らせてしまうか、自分の受けきれる生命量の異性を見つけて一緒になるか、といことが起こってしまう。
 これは言ってみれば、ある事柄を契機にして感情の齟齬が起こって別れたとか、男のほうが助平だから浮気をして三角関係になり破綻がきたという理解の仕方を、岡本かの子の作品のなかではとられていないということなんです。それはあくまでも生命の量の違いということなんです。多い方がいいか、少ない方がいいかということではないのであって、岡本かの子は層思っていたと思うんですけど、自分のような生命の量が格段に多く、開放もできている女性が、男を好きになったら、男は逃れられないはずだ。自分を好きになってくれなきゃ嘘のはずだと思っていたと思います。けれどもそうはいかないんです。人間にはそれぞれの生命の量があって、自分の生命の量と同じような異性のほうが好きになってしまう。その人は必ずしも自分より顔が綺麗なわけでもなく、教養があるわけでもなく、人格がいいというわけでもないのに、なぜ自分は蹴飛ばされて結ばれてしまうのかまったくわからないということが男女のなかでありうるとすれば、それは感情の齟齬でもなんでもなく、生命の量があうものを人は無意識に求めあう。だから自分が圧倒的に生命の量も教養も美貌も持っている。これでもってすべての異性というものがよってこなければ嘘だと思うのはとんでもない思い違いで、男女のあいだはそういうふうにできていないということを、ふつうの作家ならば意味として書くわけですけれども、そうではなく生命の量の違いとして描くということが、岡本文学の非常に大きな特徴をなしていると思います。

8 「花は勁し」

 これはたとえば「花は勁し」みたいな作品を持ってきてもいいんです。桂子というお花のお師匠さんは、岡本かの子が自分をモデルにしたような、生命の量をたくさん持っていて、自分よりも年下の病弱な男と仲良くしているわけです。終いにとうとう男のほうがそれを受けきれなくなって、自分の姪である内弟子と仲良くなって、裏切られちゃうのですけれど、それは典型的にその描き方をしています。
 「なんでそんなことをしてくれたんだ」と主人公が言うわけですけれど、「それはおまえさんが悪いわけでもないし、自分が悪いと思っているわけでもない。ただ、お前さんの圧倒的な生命の流れを受けるのが自分はきつくなってきた。だから自分にふさわしい、よく連絡にやってくる姪の女の子と仲良くなったんだ」と言うところがあります。この男女間の問題、一般的に言えば人間関係における和合、融和、親和力、齟齬、反発、離反というものの理解の仕方というものを、信不信とか、配信とか裏切りという理解をしないで、あくまでもその問題を生命の量があわなかったという問題として作品の世界を描こうとしたというのが岡本かの子の非常に大きな特徴だと思います。「花は勁し」は中期の傑作ですけれども、そういう作品から最後の遺作になった「女体開顕」とか「生々流転」のような作品のなかでもやはり同じような描き方をしていると思います。
 たとえば、「女体開顕」のなかで、主人公がいままで仲良くしていた男の子や関係を結んでいた男が煩わしくなっちゃって、女の子同士で静かに針仕事のままごとをしながら遊ぶことに凝りはじめるという描写があるんですけれども、人間それぞれの持っている生命の量というのは回収して丸めてしまえば、針仕事というのは象徴的で、意味のもとである概念になってしまいます。人間というのは概念のところまで生命の糸を丸めて縮めてたたんでしまうということもありうるし、それを自分の外へ解き放って、意味としては何もないけど、生命の糸を引き延ばしてそれを自分の関係している男や女に絡ませてしまう、そういうこともありうる。そういうことを繰り返しているのが人間と人間の関係でありうるし、個人が持っている一種の生命の量なんだという考え方がありまして、それは人間にとって、それはある人間があるとき、不機嫌で鬱状態になって人と付き合うのもの嫌だ、出て行くのも煩わしいとなる場合と、自分の持っているものを誰かに話したい、親密になりたい、どこかに出かけて風景を見たいとなることもある。それはどうしてかと言えば、医学的に言えば鬱状態になったり躁状態になったり、あるいは楽しくなるきっかけがあって人間はそれを話したくなったり開放したり風景を見たくなるとか、憂鬱なこととか悲しいことにぶつかってやりきれないために自分が鬱状態になってしまうということが、人間の心の動きを意味として解釈すればそういうことになります。
 しかし、岡本かの子の場合には、それを意味として解釈するよりも、一人一人が量としても持っている生命の糸を、概念にして意味のもととして自分のなかに畳んでしまう。そういう事態になったときが、人と会うのも億劫で家にこもりがちになってしまう状態なんだ。もしその生命の糸が引き延ばして、人に絡ませてみたいとか、風景に絡ませてみたいという気分になったときは、その人がほがらかに、躁状態に、愉快になったときだという理解の仕方を岡本かの子はしていると思います。
 この理解の仕方は岡本文学にしかない特徴だと言えます。たいていの文学作品は意味とイメージでできあがっています。しかし岡本かの子の場合は、意味とイメージでできあがるべきところを、生命の量を畳み込むか引き延ばすか、あるいはそれを人に絡ませるか、絡ませた糸を自分のなかに回収してしまうか、そういうものとして人と人との関係、人と風景との関係を理解するということが岡本かの子の文学の基本的な問題だと思います。
 このやり方を基本的にしている作家というのは岡本かの子しかいないのです。大なり小なりはどんな作家もやっているんですけれど、そうではなくそれを文学作品の第一義の問題として実践して世界をつくっているのは岡本かの子の世界以外にはないんです。もしこの観点にたって岡本かの子の文学をご覧になったら、岡本かの子という作家は三人とか四人しかいないよという大作家だということになると思います。しかしもしこの作家を意味とかイメージで読んだとしたらば、天才的な作家ではありますけれども、構成は素人みたいなところがあるとか破綻を来しているところがあるとか、なんら意味を受けとれない、教訓がないじゃないか、華やかなフワーっとした世界があるだけで何の意味もないという理解の仕方をしてしまうと思います。そうしたら、天才的な作家ではありますけれどそれほどのものじゃないと思われるかもしれないと思います。
 けれども生命の糸、それを引き延ばしたり縮めたり、回収したり絡ませたりということで人間の心の世界、関係の世界を描いていると理解したら、これはほんとうに明治以降の近代文学のなかで一人二人三人しかいない大作家だということになると思います。そこのところが読み分けるべき大切な個所じゃないかと思いますし、また文学作品というものはどう読めるのかという場合に、読み方を拡大したということが出来ると思います。この人がいたために、意味としてイメージとして読むということのほかに、生命の糸として読むという読み方を可能にしたと言えることがあると思います。

9 地誌的な作家

 そういうことともうひとつ、三番目のことになりますけれど、地誌的と申し上げました。地理とか地勢とか地形、風景です。つまり風景というものは何かということです。風景としてたとえば、どんな小説のなかにもひとかどの長編だったらたいてい、漱石なら漱石、鴎外なら鴎外の文学作品をとりますと、いちばん多く出てくるのは上野とか駒込というところが作品の舞台としてしきりに出てくるところです。大なり小なり登場人物が上野公園で会ったとか別れたというかたちで土地というのは出てくるわけです。そういう意味あいで小説のなかには土地がその作家固有の好みとか選択で出てきます。
 岡本かの子はそういう意味あいではどんな作家よりもたくさん土地のことが出てきます。それはふたつに要約できるでしょう。研究者の方がよく知っておられることですけれども、実家である多摩川の川筋の風景が出てきます。もう一つ出てくるのは下町です。大川と言いますけれど隅田川周辺の場所がたくさん出てきます。それが主なる作品の舞台です。そういう意味あいだけからとっても、岡本かの子というのは地誌的な作家です。鴎外や漱石みたいに好みの場所が一カ所くらいあってというのではなく、岡本かの子は、好みを言えば下町と多摩川の二カ所ですけれど、作品のなかの舞台として言えば普遍的に地勢や地理とか川の流れ、川筋で遊んだことが出てくるという意味あいでは、極端なほど地誌的、地勢的、地理的な作家だということができます。
 それはさまざまな段階で言えます。たとえば『東海道五十三次』にこって一生を棒に振った、つまり土地に凝って東海道五十三次を行ったり来たりするのが好きで好きで一生を棒に振った、土地に淫したと言いましょうか、そういう人を主人公にした作品――単なる土地の凝っちゃった人という意味あいで土地が出てくる場合もあります。
 もっと普遍的に言いますと、岡本かの子の土地、地誌――土地の歴史、あるいは地勢でも地形でもいいですけれども、地形というのは何かと言ったら、作品のなかに出てくる地形というのは、生命の流れのパターン、型なんです。生命の流れの型が地勢だと作品のなかでは描かれていると思います。
 なかなかうまい言い方ができないのでうまく通ずる自身がないのですけれども、ふつうの人はたいてい「上野公園で、桜が咲いていた。そこに主人公と女性がやってきて出会った」と描写するところなんですけれども、岡本かの子が隅田川でもこのへんの地勢でも描写が出てくるときには、地理的な描写をしていること事態が、すでに作者の生命が地勢の描写自体のなかに絡まっているという描写の仕方、もうひとつはそれを背景に出てくる登場人物の生命がそのなかに絡まって出てきちゃっている。先ほどの接写という言い方をしたところで言えば、作者の生命が地理的な描写をしているところに絡まっちゃっている。同時に絡まっていることが登場人物が土地を背景にして出てくるのではなく、登場人物の生命の流れもその土地に絡まっちゃっている。その三つが接写的に区別がつかなくなっちゃっているという描写の仕方をしていると思います。それがものすごい特徴です。
 ふつうの小説の作品に出てくる土地とまるで違います。それは舞台の背景としての土地の描写です。漱石の作品なんか典型的にそうです。『それから』なんて近所に住んでいたからわかりますけど、千駄木、谷中、上野という界隈が盛んに出てくるんですけど、そこで登場人物は出会ったりするわけです。『三四郎』では大観音の縁日に歩いていて美穪子と三四郎は仲良くなる。そういう意味あいでそこは背景として出てくるわけです。
 ところが岡本かの子は一見すると背景として出てくるように見えますけれど、熱心な読者の方ならご存知の通り、出てきたらそこに主人公の生命の糸が絡まっているように描写されています。それからもちろん作者の思い込み、思い入れと言いましょうか、生命の糸が絡みあったように出てきます。登場人物の生命が絡み合っているのか書いているご本人の生命が絡み合っているか、あるいは土地を描写しているのかわからない、みんな混じり合ってわからなくなっているというかたちで土地の歴史というものが出てくるというのが岡本かの子のとても大きな特徴だと思います。
 それは先ほど言いましたように、一生を棒に振っても東海道五十三次を行ったり来たりして、この宿に泊まったら何がうまかったとか、この景色がよかったということが一生の楽しみになっちゃってそこを離れられないという主人公を描いた作品から、一般的な作品の舞台の背景として地勢を描いているというものも含めて、いずれの場合でも、生命の流れが土地の風景、歴史と絡まって引き離すことができないという描写になってしまいます。
 そういうところを時間があればいくつか読んでさしあげてもいいわけですけれど、それはそれとしまして、地誌的なことがどういうふうに岡本かの子の作品のなかで出てくるかということが大きな特徴だと思います。つまり、これを総合して申し上げますと、描写の接写性、高速度写真性ということと、生命ということの流れ、生命の量の違いということで人間と人間の関係を描いているということ、それから地理歴史、地勢の歴史、多摩川なら多摩川のほとりにある旧家の歴史というものを描く場合でも、隅田川の川筋を舞台にして蠢く芸人や置屋の娘さんの恋愛を描いている場合でも、地誌的なものにたいして既に生命の糸が絡まっていて単に主人公たちの背景として地理歴史が出てくるのではなく、そのこと自体が登場人物と描いている作者の内面の糸が絡まっているものとして出てくるということが、岡本文学の三つの特徴だととらえることができると思います。

10 「鮨」

 そうしますと岡本かの子の作品のなかでいい作品とはどういう作品だろうかということになります。ついでの言い方を申し上げますと、描写性というものと生命の糸というものと、地理歴史性という三つの要素が複雑に絡み合ってひとつの複雑な波と糸を展開している作品が岡本文学のなかでいい作品、傑作だと言えると思います。
 これはもちろんみなさんが人それぞれでいい作品を持っていてご自分が共感される作品というのはそれぞれあると思います。ぼくなんかが自分の好みもあわせて言いますと、遺稿になった「女体開顕」とか「生々流転」というのは申し分のないいい作品だと思います。短編で言いますと、「鮨」という作品が好きで、単に好きというだけではなくいい作品だと思われます。
 この「鮨」という作品をいま言いましたことから少しだけ言い換えをしますと、ここでは人間の関係、つまり生命の糸と生命の糸を人間と人間が直接絡み合っている世界があるとします。この世界がもしひとつの型というものを、その人たちのあいだでつくれるとしたら、この絡み合った生命の糸の型というのは風景であり、地誌だと言えると思います。先ほどと逆になります。地誌のなかに生命の糸を絡ませているというのが岡本作品のなかに出てくる風景だとすれば、逆に岡本作品のなかで人間と人間との関係の生命の糸の絡み合いが息苦しくなっちゃったときに、主人公たちは一方的に逃げちゃったりするんですけれども、そうではなくその息苦しくなった部分を型として、パターンとして取り出されたときにはそれは風景の歴史と同じなんだという理解があると思います。
 この「鮨」という短編で言えば、その寿司屋さんに常連としてやってくる人にはさまざまな人がいるんだけれども、この寿司屋さんにきているあいだだけは職業もなければ社会的な地位もなく、面倒くさい関係もなく、その人はその人なりの勝手なポーズで鮨をつまみ、他の人は他の人なりに鬱屈している時は黙って、はしゃいでるときははしゃいでそれを食っていれば傍の人は何も言わずそれを許すことができる。その雰囲気をこのお寿司屋さんはつくっている。娘さんが一人いるわけですけれども、そういう寿司屋だと設定されています。
 言ってみれば現実の世界の人間と人間との絡み合いが苦しくて苦しくて仕方ない人たちがこの寿司屋さんに来ると人間の絡み合いが風景になった部分――地誌になった部分だけが寿司屋さんのなかにあるわけです。だからそこへやってくれば、みんな気分がゆったりして、今日どんな鬱屈すべきことがあっても、その寿司屋さんに来れば呑気になっちゃう。そういう世界をその寿司屋さんはつくっているというふうになっています。
 これは典型的にそうなんですけれども、人間と人間の絡み合い、モタモタした極端で逃げ出す以外にないというときに、それをひとつの型にすることができたらば、それは風景と同じように一種の救済で、救いになるよという考え方、モチーフが岡本作品のなかにあると思います。それがたぶん、下町というものを舞台に選んだり、多摩川のほとりを舞台に選んだりした大きな理由じゃないかと思います。
 濃厚に絡み合った人間と人間との関係が慰められるとこがある。それはどういうところかと言うと、型になったときだ。それは伝統の世界でもあるわけですけれども、人間と人間の絡み合いの濃密さというものをひとつのパターン、型にまで取り出すことができたら、そこの世界に行ったときには、濃密だけど救いではありますよという世界を描いているところがあります。それは下町を舞台にしたり芸人の世界を舞台にしたり、小料理屋に出入りする人たちを描いたりした理由だとぼくには思われます。つまりそれは今日の言い方をすれば、人間と人間の絡み合いを型にすることで、型になったものは風景、地誌と同じに扱える。そこにいけば人間には生命の救いがあるよ、ということが言えるところがある。それは岡本作品のひとつの特徴で、「鮨」という作品は非常にいいところだと思います。

11 幼児における自己告白

 ぼくには喋るに便利でもう少し言えそうなところですから、もう少し「鮨」のことをいいですか。大丈夫ですか?もうちょっと言わせてください。
 この「鮨」という作品で、常連で一人の紳士がいるわけです。終始静かに鮨を食べ、そして行くという存在で、寿司屋の娘さんのほうから見ると、あまり人のおしゃべりにも載ってこないし、自分のことも見てくれないで、静かにお寿司を食べて行っちゃう。はじめのうちはなんで自分の方を見てくれないんだろうと思っているんですけれど、だんだん慣れてくると、なんか自分の父親母親にないあったかいものを持っている人だというふうに思えてくるんです。そうなってくると少し口がきけるようになって仲良くなる。あるとき、一緒に近所の公園かなにかで会うわけです。そのときに、「おじさんはなんでお寿司が好きなの、食べにくるの?」なんてことを言うわけです。すると紳士は理由を聞かせてくれるわけです。
 それは、自分は子どものとき、食べることが嫌だった。どんな食べ物を食べても、食べると汚れるような気が自分にはして、食べるのはなんでも嫌だったと言うんです。わずかにその卵焼きと海苔しかなくて、あらゆる食べ物はみんな嫌だった。食べるということは身体のなかが汚れちゃう気がして嫌だった。いまの言葉で言えば拒食症ということです。そうしたら母親があるとき真新しい板と包丁で、子どもの自分を目の前に綺麗だろ、私がつくってあげるからね、と言ってお寿司をつくってくれて、前の日につくったタネを次々乗せてくれて、はじめは卵しか食べられないんだけど、イカだったらこれは白い卵と同じだよ、食べてご覧とつくってくれて、そうしたら少し食べられるようになったんだ。それまではほんとうに、自分はあらゆる食べ物が嫌で、あまり食べないで気を失っちゃってどうしようもないときがあった。すると母親は父親からお前の教育が悪いから偏食になったと言われて、いつも責められている。けれどもぜんぜん食べなかったんだけれども、母親がそういうふうにしてくれて食べられるようになった。それでお寿司を食べるというと、自分はそのときのことを思い出すんだと常連の紳士が話してくれるわけです。
 話してくれた後、その紳士はもうそのお寿司屋さんに来なくなっちゃうんです。そのお寿司屋の娘さんは、年が隔たっていますからほんとうの恋愛ではないんですけれども、やっと自分の生命の糸と、紳士の生命の糸が絡み合って一致してきたという印象を持ったときに、その紳士が来なくなっちゃうわけです。だからはじめのうちは店にいても不安で会いたくてとなるんですけれど、だんだん収まって慣れてくるんです。そして常連たちは、「湊さんはどうしたんだろうね、来なくなったね」といううわさ話になるんです。すると娘さんはどこか他の土地へ行って、どこかお寿司屋さんに行っているよ、と会話を交わすというのが作品のクライマックスなわけです。
 この微妙な、生命の絡ませ合いが型になったときに、それは風景や地誌と同じように扱える憩いになるんだということがお寿司屋さんの世界として描かれているということ、それからそのなかの一人の常連の紳士がなぜ鮨を食べにくるのか。幼児のときこういうことがあったという問題と、寿司屋の娘さんとの淡い恋愛――生命の糸がやっとこさ絡み合いはじめたときにそのおじさんはいなくなる――を描いている描き方と、そのふたつの描き方のなかに、岡本作品のあらゆる良さと言いますか、特徴がぜんぶ出ていると思います。もうひとつあえて言えば、この紳士が告白する拒食症です。身体が汚れるようで食べ物はぜんぶ食べられなかったという紳士は、ぼくの理解の仕方ではこの紳士の幼児体験は、岡本かの子自身の幼児体験に該当するだろうと思います。これはあてずっぽうですから、研究者の方にちゃんと教えていただかないといけないんですけれど、ぼくはそう推量します。
 ぼくはこれは岡本かの子の幼児における自己告白だと思います。もう少し当て推量をさかのぼりますと、たぶん岡本かの子には、乳児あるいは胎児のときに――岡本かの子は年譜を見ますと兄貴が二人いる第三子の長女だと思います――お母さんとの関係に障害があったろうと推量いたします。
 これも研究者の方に質問しないとわからないことだから当てにはなりません。けれども推量いたします。だからこのお寿司屋さんの世界に紳士が告白する拒食症的な症状と、それに対する母親の振る舞いということを描いているんですけれども、たぶんこれは自分の幼児体験をたぶんに投影しているだろうと思われますし、その幼児体験をもっとさかのぼれば、もしかすると岡本かの子もそれを告白していないけれども、たぶん乳胎児期にたぶん母親と父親のあいだとか、母親と乳児のあいだに何かがあっただろうと思われます。あるいは岡本かの子だけでなく兄弟全部にあったのかもしれません。年譜にはただ、神経過敏で身体が弱かったということとか、六歳頃に両親に別れて、伯父さんのところに育てられたとか、一時同じ村の別の家に里子にやられたことがあるとか、親類の未亡人の人が養育母になったということがわずかに七、八歳までの年譜に書かれています。
 もしみなさんが岡本かの子についてたくさん読まれて研究されてみたいと思われるんだったら、もっとこの年譜の背後に何があるか、もっとさかのぼれば乳胎児のときにご両親はどうだったんだということまでさかのぼって調べてご覧になればもっとよく岡本かの子の世界を理解できるかもしれないとぼくには思われます。
 このような問題をぜんぶひっくるめまして、岡本かの子の一種独特な世界というのが成り立っていると思います。岡本かの子の独特な世界が、作家以前の岡本かの子がすでに宗教家としてつくりあげていたものだと思います。もしあれだったら、岡本かの子自身は、ナルシシズムを含めまして、ひとつの宗派を開けるほど独自の宗教的な考え方を持っていると考えたとぼくは思います。このことと、いま申し上げた作品の世界の三つの特徴というもの。それから三つの特徴が絡み合って非常にうまくできたときに、岡本作品の優れた作品ができあがっているということが、岡本かの子を日本における近代文学の世界のなかで独特なものにしている要因だとぼくには思われます。これ以上のことは、研究者の方の書かれたものに依拠されるのがいいと思いますし、あとは皆さんがご自分の考えで作品をお読みになってどんどん突っ込んで行かれたらよろしいんじゃないかと思われます。
 そのためにほんのちょっとご参考に供することができたらぼくの役割は済んだと思われます。これで終わらせていただきます。